静寂に包まれる第三アリーナ。その中心には四人の人物がいた。
「……」
その中の一人は先日転校してきたドイツの代表候補生、ラウラ・ボーデヴィッヒである。黒を基調とした専用機、シュヴァルツェア・レーゲンを纏う彼女は、その冷たい右目で地に伏した少女二人と、その前に立ちはだかる男を見下ろしていた。
「田所、浩二」
「田所さん……」
「先輩……」
ラウラ、そして満身創痍のセシリアと鈴音がその名を口にしたのは、奇しくも全く同時であった。
「──怒らせちゃったねぇ、俺のことね」
後ろの二人を一瞥した野獣は、宙に立つラウラを睨みつける。口からこぼれたその言葉には、確かな怒気が滲んでいた。
「おじさんのこと本気で怒らせちゃったねぇ!」
「ふっ……いいぞ、その顔だ。いつもヘラヘラと笑っている貴様の表情が歪むのは存外に愉快だぞ、田所浩二」
にやりと口角を上げ、嘲笑するラウラ。その直後、アリーナのゲートから二つの機影が姿を現した。
「先輩! セシリア! 鈴!」
「二人共、大丈夫!?」
野獣より少々遅れてアリーナに降り立ったのは、一夏とシャルルである。二人は地面に倒れ伏すセシリア達を起こすと、そのままキッとラウラを見上げた。
「なんで……なんで必要以上に攻撃した!? ただ倒すだけなら、ここまで痛めつけることはなかっただろ!?」
「必要ならあったさ。そいつらは言わば貴様らを引きずり出すための餌だ。身内が傷つけられたとなれば、いくら貴様らとて私を無視することは出来ないだろう?」
「っ、てめぇえええ!!」
ラウラの真意を理解した一夏は、沸き立つ怒りのままに飛び掛かろうとする。が、そんな彼を野獣は「あっ、おい待てぃ(江戸っ子)」と制止した。
「先輩! 止めないでください! 俺はあいつを倒さなきゃいけないんです!」
「まま、そう焦んないでよ。そもそもCCLAとRNを一人で倒した奴に、一夏じゃちょっと荷が重いゾ」
「……じゃあ、どうしろって言うんですか?」
正論を説かれ、少しだけ頭を冷やした一夏だが、依然としてその怒りは燻っている。そんなしかめっ面の彼に対し、野獣はいつものようにふっと笑いかけた。
「大丈夫だって安心しろよ~。BDWGは俺に任せてくれよな~、頼むよ~」
「なっ、無茶ですよ! さっき俺に言ったじゃないですか!?」
「うん、まぁそうなんすけど──」
そこで野獣は言葉を区切り、その表情を切り替える。
「頭にきてるんだよな~俺もな~」
その真剣な面持ちと鋭い眼光に、四人の背中を悪寒が走る。直近にいた一夏とシャルルなど気圧されたあまり、思わずその場から後退ってしまった。
「じゃ、CCLAとRNはよろしくぅ!」
笑顔とサムズアップを残し、野獣はサイクロップスに乗って空へと飛び立っていく。一夏やシャルルにはその背中を見送ることしか出来なかった。
やがて、戦闘が始まる。
先手を取ったのは野獣だ。視線の先で不敵に嗤うラウラに狙いを定め、バイザーから荷電粒子砲を放った。ラウラはこれを回避、そのまま流れるようにリボルバーカノンの照準を、距離を詰めてくる野獣に合わせた。
「消えろ」
轟音と共に飛来する砲撃を、野獣は立て続けに放った荷電粒子砲で撃ち落とす。生まれた爆発に見えなくなる二人のISは、黒煙が晴れる頃にはそれぞれ近接戦闘へと移行していた。野獣は拳を、ラウラはプラズマ手刀を構え、ぶつかり合う。
「オルルァ!!」
「はぁあああああああ!!」
繰り広げられる激しい格闘の応酬を、一夏達ギャラリーは固唾を飲んで見守った。攻めと守りがひっきりなしに入れ替わり、両者の間には火花が絶えず飛び散る。お互いに全く譲らない二人の戦いは、更に熾烈さを増していった。
「お前なかなか……耐えるじゃねぇか(称賛)」
一進一退の攻防の中、野獣は相対するラウラの実力に目を見張った。現役の軍人であること、そしてセシリアと鈴音の二人を単独で撃墜したことから、油断していい相手ではないと踏んでいた野獣だったが、その怒濤の連続攻撃と反応速度には思わず舌を巻く。
「くっ……! この私が、攻め切れないだと……!?」
しかしそれはラウラも同様だ。たかがISに乗って数ヶ月のルーキーごとき簡単に墜とせる、そう考えていたというのに、蓋を開けてみれば一瞬たりとも気を抜けない状況に陥っているのである。
彼女は知らなかった。目の前の男が入学試験の際、初代
驚愕。焦燥。そして憤怒。
自尊心故か、時間と共に込み上げてくる激情に犬歯を剥き出し、ラウラはがむしゃらにプラズマ手刀を振り回した。
「女の子みたいな手ぇしてんな」
が、それは悪手。精細を欠いたラウラの攻撃は呆気なく野獣に受け止められてしまう。そして──、
「YOォ!!」
「ぐあっ!?」
間髪入れず、もがくラウラの頬に野獣の鉄拳が突き刺さった。その凄まじい衝撃に脳を揺さぶられ、意識を半ば刈り取られながら、ラウラはアリーナの地面に叩きつけられる。辛うじて失神を免れたのは、単にISの搭乗者保護機能のおかげだろう。
「がっ……! ぐぅ……!」
「よぉ、ドイツの嬢ちゃん……もう終わりか?(強者の余裕)」
ふらつきながらも立ち上がったラウラを見下ろす野獣は、意趣返しとばかりに挑発的な笑みを浮かべる。彼女のプライドを刺激するには、それで十分だった。
「舐めるな! 田所浩二! ここからは本気で貴様を潰してやる!」
眼帯を外し、黄金色に輝く左目で野獣を睨みながら、ラウラは声を張り上げた。地を蹴って飛翔した彼女は右手を突き出し、シュヴァルツェア・レーゲンの切り札を発動させる。
「あれは……!」
「まずい! 先輩避けてっ!」
そう叫ぶのはラウラを狙いを察したセシリアと鈴音である。二人の声を受け、素早くその場から後退しようとする野獣であったが、それよりも早くラウラの切り札が襲いかかった。
アクティブ・イナーシャル・キャンセラー。略称、AIC。
慣性を停止させる結界に捕らわれた野獣は、縫いつけられたようにピタリと動きを止められてしまう。
「ファッ!?」
「フハハハハハハハハ! どうだ! これこそがシュヴァルツェア・レーゲンの停止結界! こうなったが最後、貴様は私に嬲られる人形も同然だ!」
勝ち誇ったように哄笑するラウラはプラズマ手刀と六本のワイヤーブレードを展開し、ゆっくりと野獣に近付いていく。
「私を散々虚仮にしてくれた礼だ、じわじわと追い詰め、惨めな敗北を味わわせてやろう。絶対的な負けをその身に刻み、自らの愚かさを呪うがいい! そして──」
そこでラウラは、野獣から離れた位置で立ち尽くす一夏に視線を移した。
「次は貴様だ、織斑一夏。教官の輝かしい栄光を無に帰したこと、必ず後悔させてやる。精々、怯えて待っていることだな」
「……そうかよ。なら俺からも一つだけ言わせてもらうぜ」
にやりと、一夏は笑った。
「
「……何?」
ラウラが眉をひそめたその瞬間、その小さな体が吹き飛んだ。
「なっ──!?」
この戦闘中、何度目かとなる驚愕にラウラの頭は真っ白になる。どうにか体勢を立て直し、顔を上げた彼女は、何事もなかったかのように悠然と浮遊するその男に絶叫した。
「何故だ!? AICは一度でも捕まれば逃れることは出来ない無敵の結界だぞ!? 一体何をした!?」
「出ようと思えば(王者の風格)」
あっけらかんに言い放つ野獣にラウラは言葉を失う。と、そのとき、彼女の左目──『
「まさか……圧縮したエネルギーを解き放つことで、強引に拘束を破ったのか!? そんな馬鹿なこと、出来る筈が……!?」
「ベストを尽くせば結果は出せる、はっきり分かんだね」
話は終わりとばかりに野獣はスラスターを噴かせ、絶句するラウラへと突っ込む。我に返ったラウラもまた即座にワイヤーブレードを操り、迎撃の姿勢に入る。三次元的な動きで様々な方向から迫るワイヤーブレードだが、野獣はその挙動を冷静に見抜いていた。
「ちぃ! ならば!」
ワイヤーブレードでは止められない、そう悟ったラウラはAICを発動せんと右手を掲げ──直後、荷電粒子砲による妨害を受けてしまう。絶大な効果を発揮する反面、相応の集中力を必要とするAICは、たったそれだけのことで無力化された。
「くっ、そぉおおおおおお!!」
最早、野獣はラウラの目の前まで迫ってきている。リボルバーカノンも、ワイヤーブレードも、切り札のAICすら使えないこの状況で、彼女に残された武器はプラズマ手刀のみだ。
「お前には正義の鉄槌でその腐った心を矯正してやる!!」
「私を、舐めるなぁああああああ!!」
振りかぶられた拳とプラズマ手刀、二人による渾身の一撃がぶつかり合う。
そして砕けたのは──ラウラの方だった。
「っ……! そんな……!?」
パキィィン、という甲高い音にラウラの両目が見開かれる。
その決定的な隙を、野獣は見逃さない。
「ホラホラホラホラホラホラホラホラホラホラホラホラホラホラホラホラホラホラホラホラァ!! †悔い改めて†」
嵐のような拳の乱打がシュヴァルツェア・レーゲンの装甲を砕き、破り、吹き飛ばす。なす術なく蹂躙され、空中に投げ出されたラウラは重力に引かれ、墜ちていく。
「(──何故だ)」
呆然となるラウラの脳内を、『何故』の二文字が埋め尽くしていく。
「(私が、負けるというのか? こんなところで……)」
徐々に遠ざかっていく野獣。自らを見下ろす彼と目が合った瞬間、彼女はギリリと歯を食い縛った。
「(まだだっ! 私は負けられない! 負ける訳にはいかないのだっ!)」
朦朧とする意識の中、ラウラは何かにすがるように手を伸ばした。
そんな彼女に、悪魔が囁く。
──汝、力を欲するか……? 比類なき力を……?
「あぁ……! 寄越せ……! 奴を倒すための力を、私に寄越せぇ!!」
声にラウラは応え、虚空へと吼える。
その瞬間、電流が迸った。
「ああああぁああああああぁああああ!!」
突如として悲痛な絶叫を上げたラウラに、野獣だけでなくアリーナにいた全員が目を見開く。そして彼、彼女らが見つめる前で、シュヴァルツェア・レーゲンが再構成を開始する。どろどろに溶け、泥のようになったそれは、操縦者たるラウラをも飲み込み、ゆっくりと形を成していく。
「あれは……!?」
「うせやろ……?」
その正体に気付いたのは一夏と野獣の二人のみ。やがて立ち上がった漆黒のISはその手に近接ブレードを握り、再び野獣の前に浮かび上がった。
『──ぼくひで』