それでいいのなら
「……近い、暑い」
「えぇ〜、久しぶりなんやからええやん」
なぜこの人は私にべったりくっついているのだろう。本気でそう思う。
久しぶりにやって来た母校は、あの日、夢に向かって走っていた頃と変わっていない。
――1番変わってて欲しかったこの人が変わりない時点でもうね。
季節は春から夏へと変わる足音を連日けたたましく挙げている。外では何かを間違えて早く眠りから覚めてしまった蝉が鳴き、あれだけ人々の鼻や目を襲っていた花粉たちは殆ど姿を見せなくなった。
私立姫松高校。私の青春を捧げた場所。私はここに生徒としてでも、OBとしてでもなく戻ってきた。大学の教育実習は前提として自分の母校に行く事になっている。基本的に3回生の時にある教育実習だが、何故かうちの大学は4回次に行われる。就活と並行して行わなければいけない為、スケジュール的にも精神的にもキツイ。
「そのうえ職員室でこんなんにベタベタされたら、そらね」
「え〜っ、今うちのことこんなん言うた〜?」
「言いましたはっきり言ったんで離れてください赤阪先生?」
「久しぶりの末原ちゃんが厳しいっ……」
赤阪郁乃。私の恩師の1人。いや、これを恩師と言って良いのだろうか。まあ、お世話にはなった。善野監督程では無いけれども。
「で、何しに来たんですか?資料の整理と授業の準備手伝ってくれるんですか?」
「そんなん自分でやらな意味無いやん〜。うちは末原ちゃんを部活に呼ぼう思ってな〜」
「……せっかくのお誘いですけどお断りします。まだまだここから手を離せそうに無いので」
「え〜」
「すいません」
いや、もし今暇だったとしても、私は断るだろう。私にあの場所に行く権利は無い。それは自分が一番わかっている。
赤阪先生は、私の表情を見てか、諦めたように部屋を出てしまった。やっと居なくなった。そう思うのはあまり良くないけど、あの人がいたら作業が進まないのも確かなのだ。さっさと片付けてさっさと帰る。頬を軽く叩き、画面に集中することにした。
「ふぅ……終わった」
窓の外を眺めると、既に日が落ちかけている。なかなかの時間集中していたらしい。とりあえず今日やることは終わったので帰り支度をする。これなら一応いつもの夕飯の時間に間に合いそうだ。
「それじゃあ、お疲れさまです」
まばらな返事が返ってくる中教務室を出る。グラウンドでは運動部が夏の大会に向けてまだ練習をしている。
――もうすぐ県予選の季節、か。
思い出されるあの日々。この季節だと私は自分が打つ以上に他校の映像や牌譜を眺めて対策を練っていた気がする。実際、それって監督の仕事なのではと思ってしまうが、赤阪監督にそれを求めるのは酷だ。彼女はどちらかというと私達を信じてどしっと座っているタイプだ。いや、ふらふらしてるけど、どしっとしているというかなんて言うか……。まあ、私を信じてくれていた。
帰るつもりで進んでいた足取りは何故か帰る方では無い方へと進んでいく。この道を3年間歩き続けた。どれだけスランプだったとしても1日たりともサボったことは無い。やって来たのは、麻雀部部室。明かりはもちろん付いていて、牌の音が部屋の外に立っていてもわかる程度には響いている。私の手は無意識に扉のノブに掛けられ、あと少し力を入れれば扉は開くだろう。
――ハハッ。
耳に聞こえた笑い声。あの時と1つも変わらず耳に入ってくる。慌てて後ろを振り向くが、誰もいない。
私はここにいていい訳が無い。その資格は無い。そう、アイツに言われている気がする。
麻雀から逃げた弱い私を嘲笑う様に、外でカラスがひと鳴き。
ここに来たことを中の人間に気付かれないように、視界がぼやけているのには気付かないふりをして、私はそこを離れ、帰路についた。
「はぁ……。末原ちゃん。アホやなぁ〜……」
教育実習にやって来た元教え子。いつまでも過去に縛られている彼女。
――大事なのは今と違うん〜?
過去に囚われていたら、大事な大事な今を見逃してしまう。
――それは嫌やろ〜?
それを聞くのは私の仕事では無い。もっと適任者がいる。過去から立ち直って今を生きている人間が、彼女の傍にはいるのだから。
「……勝負は夏やな〜」
愛しい教え子達が切磋琢磨している中、そんな当たり前の事を小さく小さく呟きそっと微笑む。その瞬間だけ、世界が彼女を中心に廻っている、ような気がした。
早めの更新が出来て嬉しいと思うと同時にこの話を今投稿していいのかななんて思ったりしますが、夏の作品への伏線としてはこの頃投稿でも問題ないかなと。
夏コミ受かっててほしいと思う毎日です。
次も早めに頑張ります