「ふぅ……」
リビングのソファーに腰を下ろしたヒロは淹れたてのコーヒーを口にした。
あれから数時間程経った。一気に多くの情報を読み込んだヴィヴィオは脳が疲れたのか眠るように倒れ、今はヒロの自室に寝かせている。
暫くしてから帰って来たアインハルトが看病していたが、特訓から続けてだった為か今は寄り添うように彼女も眠っている。
「急ぎ過ぎたか……」
そう思うものの時間がないのは確かだ。
ヴィヴィオが見た禁書は『アゼルについてのみ』描かれており、実は本当に危険なものについては触れていない。それはもし彼に近しい者が読んだ場合悲しむのではないかという筆者の配慮なのだろう。
奇しくもヒロは別の方法でそれを知っている為意味を成さなかったが、ヴィヴィオには有効だろう。
ヴィヴィオとオリヴィエの気持ちが同調していようものなら、過去と同じ結果になった可能性もあり得るのだから……。
――そう、あれには書かれていなかったが、あの場で涙を流した者は二人いたのだ。
一人は言わずもがな彼の友である『聖剣の担い手』。
そしてもう一人は、アゼルのことを心配して引き返して来てしまった黎王だ。
彼女はアゼルのことを好いていたのだろう。従者や騎士としてではなく一人の男性として。だから何としても生きて欲しいと願った。最期まで自分の近くにいて欲しいと想った。
しかしそれは叶わなかった。
彼女が現場に着いたのはアゼルが友と認めた者がその聖剣で心臓を貫いた瞬間だった。
遺言通り彼は己の力でアゼルを灰に変えた。自分の手で友人の殺めただけではなく、その亡骸すらも残さず滅さなければならなかった彼に周囲を確認する余裕はない。
だから気付くことが出来なった。唯一残された希望を壊された者が傍にいることなど……。
その時が彼女の心が壊れた瞬間だったのだろう。
王として愛した国を焼かれ民を殺され、そして女として愛した人の命を目の前で奪われたのだ。
それが如何な絶望かは計り知れない。
しかし、慈愛に満ちていた優しい王を破壊の化身に変えてしまう程だったことは伺い知れる。
国の平和の為に回していた魔力を全て破壊の為に使用した。己が身体や魔力器官にすら手を加え、ただの殺戮兵器としてその姿を変えた。
彼女の嘆きは大地を抉り、慟哭は人々を
災害という言葉すら生温い、ベルカを終焉へと到らそうとした彼女を止めたのがオリヴィエだ。
乗った者の命を奪うとも云われた禁断の兵器『聖王のゆりかご』に乗り、親友の暴走を止めようとしたのだ。
しかし、その「ゆりかご」を使っても黎王は止まらない。
黎明から続く原初の力であるそれは想像を絶する程の脅威だった。
結局は滅びを目の当たりにした他の王族や騎士までもが力を合わせて、禁術の一つであった『ある封印魔法』を用いることでしか黎王を封じることは出来なかった。
だがそれは急造であった為不完全な物であり、あくまでも「その場しのぎ」でしかない。
そして数百年の時を超え、その封印は解ける兆しを見せている。
「……ッ!」
唐突に襲った眠気に頭を振り、押さえた。気を抜くとそのまま泥沼にでも呑まれそうな感覚に耐え、常備していた薬を取り出した。
それはかつてフェイトのいる前で飲んだ物であり、当時彼女には『栄養剤』と偽った物だ。片方の薬は増血剤で間違いないがこちらは違う。精神を不安定にさせるという、ある種のドラックだ。
本来なら害しかないものだが、ヒロが独自に改良を加えたことにより副作用は抑えられている。しかしその用途そのものは変わらない。
それを飲むということは悪戯に自らを追い詰めるような事だ。だが彼にはそれが必要だった。下手に精神安定剤等を飲めばそれこそ自殺行為なのだ。
現に彼はそれを飲むことで自己を安定させることに成功している。
「……やっぱり、限界が近いな……」
しかし“彼”に残された時間は刻一刻と迫っている。
ヴィヴィオのことは大事だが、だからと言って時間を無駄に費やすわけにはいかない。
黎王の封印の解除には聖王の力が必要不可欠だ。
「もう少し、なんだがな……」
あと少しで決着がつく。それを迎えなければ安心など到底できるわけがない。
記憶を継いだとは言え元は過去の遺物。現代を生きる者には到底関係ない話かもしれない。
しかし“彼”にとってはその限りではなかった。
継いだどころか自らの一部として組み込まれてしまった彼には黎王のことは人事では終われない。彼女のことに関しては自分は無関係ではいられない。
だからこそリードに協力しているのだ。
彼との因縁は長い。それこそ自分が生まれた時からの付き合いだ。
最初はなのはについてのことで契約を持ち掛けられ、それを承諾してしまった。それから黎王のことを明かされ、ある種の運命共同体とも言える関係になった。
実際、それ以外にも彼には色々と手を回して貰った。今こうしていられるのは間違いなく彼のおかげだろう。
だがしかし、同時に彼は自分の『誕生』に大きく関わっている。その結果自分はある“怖れ”を常に抱き続けることになった。
それを他人に打ち明けたことは数えるくらいしかない。
両親や、大切な妹にすら明かしていない『秘密』。
『彼女』にはそこに至る為のヒントを与えたが、果たして辿り着くことができるだろうか?
真実を知っているリードに訊くのが一番手っ取り早いが、彼が何の核心も証拠も推理もなく来た者に教えるとは到底思えない。あれでも知識を司る者だ、手土産の一つでもなければ口は割らないだろう。
出来ることなら早めに至って欲しいと願っているが、それは文字通り『神のみぞ知る』と言ったところか。
兎に角にも自分に残された時間も限られている。
最低でも黎王の件は解決しなければならない。
「タイムリミットはそんなに長くないぞ……フェイト」
それが己のエゴであると自覚しながらも、彼は期待せずにはいられなかった。
何せそれが“ヒロ”に出来る精一杯の足掻きなのだから……。
これで憂鬱本編の三分の二は終わりました。
あとの三分の一で色々と決着とかつきます。