暗闇と静寂、凍えるような冷たい地獄はある日終わりを迎えた。
彼の王……『白王』が聖王を主軸とした連合に属することになった。その際に彼らに同盟の証として『アゼル』を彼らに引き渡すことになった。
王位継承権を失くしたが実子。それ故に表向きは人質のような物だが、実体は厄介払いだろう。アゼルは彼らにとって手に負える物ではなかった。それでも殺さなかったのは彼を本物の悪魔と信じて疑わない者がいたからだ、そんなものを殺してもし祟られたら……そんな恐怖があったから生かし続けていた。
だがそれでも、ただそこにいるというだけで怖れる者は少なくない。その上での処遇だ。
尤も本当にただ厄介払いしたい為に引き渡したわけではない。彼に秘めた素質に関しては彼らは骨身に染みる程痛感している。
結果、同盟の際幾分か情報を隠し彼を引き渡したのだ。
『アゼル』は自らの異常性に気づいてはいなかった。
王家直系の者なら誰しもが持っているはずの魔眼、それを持ち得なかったと皆は言う。しかし実は彼は持っていたのだ、目に見える形ではなく、変質してしまった故に理解できるものがいなかっただけで彼自身は『それ』を持っていると確信できていた。
だが実際の所、『それ』は他の者とは一線を画す程の物へと昇華していた。
白王家が有する力は視界に入れた物質の解析能力だ。それは『視る』という行為が必須であり、同時に視界内の物しか対象にできない。
対してアゼルが有する力は魔力届く範囲、触れたものなら如何なるものでも瞬時に解析、理解してしまえる。対物どころか下手をしたら相手の思考……心の内すら読み取ることも可能なのだ。
だからこそ誰がどんなことを望み、どんなことを考えてるのかが手に取るように分かってしまう。物心がつく前から当たり前のように使っていた為にその『異常性』に気づくことができなかった。
何故皆が自分を恐れ、牢に封じ込めたのか、それが分からなかった。
それを理解できたのは牢に入れられて一カ月も後からだった。
自分は『異端』である。
そう自覚してしまったからアゼルに僅かに残っていた感情は完全に消えてしまった。心を殺し、他人を信じることを止め、独りであることを受け入れたからだ。
それから彼は正に死人の様にただそこにあるだけの存在になった。
自分以外の存在、外の世界の事を完全に関係ないものとして切り離した。
だから聖王連合に渡る際も他人事のように常に上の空。関係ないものなら知る必要がないとして『力』を使うことも止めた。
そうしたからと言って自分を取り巻く環境が変わる訳でもないのに、と……。
実際それは当たっていた。
聖王家に渡った彼の処遇、それについて皆頭を悩ませていた。
あの国が白を神聖視していることは噂でよく耳にしていた。その国から『黒い者』がきたとなれば警戒するのは当然だろう。
如何に素質溢れる者とて自分達に害なすものであってはならない。
だからこそじっくり吟味しなくていけないのだ。
値踏みするような、そんな好奇の目に晒されてもアゼルにはもはや関係ないものだった。
自らの処遇、その扱いがどんな物であろうと彼には興味がない。
どうせ皆恐れることなど容易に想像できる。現に、今ですら自分を『得体の知れないもの』として見ているのが大多数だ。
手をこまねき、問題の先送りでもするかのように彼の処遇は難航を極めた。
扱いが非常に難しい立場、その得体の知れない者など厄介以外の何者でもないだろう。故にこそ、皆
ただし例外というものはどこにでも存在する。
そんな中で名乗りを挙げる者もいた。
それは当時のゼーゲブレヒト家の当主――後の聖王教会が崇拝する『聖王オリヴィエ』の母だった。
彼女は決断を渋る彼らに呆れ、自分がアゼルの面倒を見ると宣言した。
元より面倒見が良いことは周知の事実であった。しかしまさか得体の知れぬものすら招き入れるとは……その場にいた全員が驚愕の表情を浮かべていたが、彼女からすればまだ年端もいかない子どもを怖れる彼らの方が信じられない。それにそんな幼い実の子を差し出した彼の王もだ。
彼女の身体には今新たな命が宿っている。生まれるのはまだ先だがもうすぐ親になるのだ。
一体どんな子が生まれてきてくれるのだろうか。そんな思いを抱きながら過ごしている彼女にとって今回の一件はとても無視できるものではなかった。
結局、彼女の強い希望と他の者が口出ししなかったことから問題は解決した。
実際の所、アゼルは彼女と出会ったことで救われた。
彼女と過ごした時間は短かった。しかしその時間は彼にとって何よりも代えがたい物であり、それがあったから彼はオリヴィエや黎王を守る為奮起し歴史に名を刻める程の偉業を成し遂げることができたのだ。
他人の心、思考が分かってしまうアゼルにとって裏がない、純粋な人間というのはそれだけで希少な存在だ。
人には必ず裏があり、多かれ少なかれ打算を持っている。特に当時は戦乱の時代、腹に一物や二物抱える人間が大多数だ。
実際問題、彼の実の親ですらそうだったのだ。彼らのそれを解消しようとアゼルは彼なりに努力したが、その結果があの様だ。
そのような経緯により人間不信……いや人そのものに絶望してしまった。そんな彼にとって初めて『信じられる』と思えた人物、それが彼女だった。
彼女のアゼルに向ける愛情は正しく母のそれであり、それが本物であると分かるからこそ彼も報いようとした。その姿は本当の親子のようであった。
『イージェス』という姓も彼女が与えたものだ。アゼルというのが悪魔の名であると知った彼女は怒った、しかし勝手に名を変えることは難しい。そう考えた結果、姓を与えることにした。
『イージェス』はある女神が持つとされる盾をもじった言葉であり、『アゼル・イージェス』とは『悪魔を払う盾』もしくは『悪魔の力を撥ね退ける者』という意味合いなんだとか。
そのことを聞いた当のアゼル本人は呆れていた、自分の名など今更気にしても仕方ないもの。しかし、それでも自分のことを想い、与えてくれたその名を彼は名乗り続けていった。
『母』がくれた大事な物だから……。
平穏な生活は続くかと思われた。しかし出産が迫った日、彼女は娘を、オリヴィエを産んだ後そのまま生涯を終えてしまう。
自らの死期を悟ってか、それとも生まれてくる子の『家族』としてか、アゼルは彼女にオリヴィエのことを託されていた。
結局、彼女に恩を返すことが出来なかった。それは彼の人生で一番の心残りであった。
しかし嘆いてる暇はなかった。
実の母の命を奪った鬼子としてオリヴィエは疎まれるようになった。
自身の評価は変わらない、いや寧ろ「悪魔を招き入れたから彼女は死に魅入られた」などという噂が立ち、更に悪化していた。
しかし彼にそんなことはどうでもよかった。こちらは実の親ですら見捨てたのだ。今更噂を拭うのは無理だと諦めている。
だがオリヴィエは違う。彼女は正真正銘の人の子だ。彼女の母はちゃんと愛していたのだ。例え自らが命を落とすと分かっていても、それと引き換えにしても我が子の誕生を祝福したのだ。
確かにオリヴィエは生まれながら腕がない、その容姿故にあらぬ風評が流れるのは事実だ。
しかし、だからといって彼女の愛すら否定されるのは見過ごすことはできない。
そのことに少なからず怒りを覚えたが、彼が如何に述べようと他の者は耳を傾けないだろう。それどころか下手に口を出せば、更なる悪評が立ってしまう。
だからこそ、アゼルは口を閉ざし静観を決め込んでいた。
それこそが自分にできる最善策だと信じて……。
しかしそれも僅か数年で終わりを告げることになる。
物心ついたオリヴィエは自身に向けられる雑言を気にするようになり、母がいないことを寂しく思うようになったのだ。
同年代の子には居て当たり前の母がなぜ自分にいないのか? もしかしたら自分が悪いのでないか?
そんな疑問が湧き、悪夢にうなされる日が続いた。
そしてある時限界を迎え母を求め深夜の城内を歩き回った。その時は深夜アゼルが様子を見にきて、部屋にいないことに気づき、『力』を使ってすぐ見つかったから大事にならずに済んだ。
しかしアゼルは察した。幼い彼女の精神はもう限界が近づいている。そのままあらぬ風評に晒され続けては病んでしまう。
だが彼がどんなに頑張ったところでオリヴィエにまつわる悪評が拭えぬのは分かっている。
彼はその『力』故に大抵のことは出来る、しかし万能というわけではない。
だからこそ彼は自分に出来る手を考えた。
考えた結果――彼は『本物の悪魔』になることを選んだ。
それから一年もしない内にオリヴィエの悪評は鳴りを潜めた。
代わりにアゼルの黒い噂が流れ始めた。
彼は一兵士として戦場に出ることにした。そこで悪目立ちすることでオリヴィエに向けられる視線を失くそうとしたのだ。
結果として彼の目論見は成功していた。
初陣ですら数百という軍勢を相手にたった一騎で壊滅に追いやり、その騎士の誇りすら感じぬ効率だけを求めた非道さに恐れた者達が口々にしていた。
あれは悪魔である、と。
それ以降も彼は幾度も戦場に赴き見せしめを行った。それは敵だけでなく味方ですら恐れた程。
奇異の目を自分に向けさせるという目的もあったが、それでもこの頃の彼は非業の行いをしていた。
許しを請いた者の首を撥ね、立ちはだかった者の臓器を生きたまま引き抜き、戦いを恐れた者の腕を引き千切り、逃げる者は足を砕いた。
その容赦のない行いは瞬く間に広がった。騎士のする所業、聖王の組みする同盟に相応しくないとし非難する者が続々と声を挙げた。
しかし、だからといって彼は止めることはなかった。
オリヴィエを守るには力がいる。偏見や侮蔑、そういった物すら許さぬ程の圧倒的な
結局、数年に渡り彼の所業は続いた。
その中で彼は人の壊し方を理解し、如何に効率よく殺せるのかという術を身につけていた。その力は強力でただ触れるだけ、近づくだけで命を奪える程。
そこまでの力を持った彼は最早同盟だけでなく、周辺の諸国からですら恐怖の対象になっていた。
戦果に関しては問題ない所か同盟で一番手柄を立てていると言っても過言ではない。
しかし彼の行いは『武』を軽んじるとして騎士たちから反感を買っていた。
そしてある年のことだ。ついに彼を正そうとその代の聖王騎士団団長が一騎討ちを挑んできた。
彼は正に騎士という言葉を形にしたような者で、だからこそ力を有しながらもそれをただ殺すことにしか使わないアゼルが許せなかったようだ。
実際、アゼルに騎士の誇りはない。だがそれは彼に騎士としての戦い方を教えもせず、悪魔と恐れて次々と戦場に送っていたからだ。そうして手にした力を今更不定され、今度からは『武を讃えて戦え』などと言われても出来るはずもない。
結果、彼は自力で戦い方を学ぶしかなかった。そうなれば誇りだ何だと言うより効率を求めるのが当たり前だろう。
だからこそ今更変えることはできず、団長ももはや手遅れでありどうしようもないと匙を投げ、一騎討ちという形で決着をつけようとしたのだろう。
そうして、当時最強と称されていた団長とアゼルは刃を交えることになる。
しかし、この時気付く者はいなかった。最強の騎士とて彼と刃を交えるという行為が如何に危険なことであったのかを……。
決着は一瞬で終わったという。
最強と謳われた騎士の一撃。それをただガントレットで受け止めた。
それだけだったらしい。ただそれだけで団長は動かなくなり、そしてそのまま倒れ、息を引き取った。
その光景を見ていた者達は我が目を疑った。同盟最強の騎士がただの一合で命を奪われる。それはあまりに現実離れしていた。
しかしそれは確かに目の前で起こった物である。だが同時に理解できるはずもない。
それでも『団長の死』という事実のみを受け入れた彼らは恐怖と混乱で騒いだ。普通なら毒を盛ったなどと言うものがいるだろうが、彼の力を知っている者達は皆ただ怖れて口を噤んでいたという。
そのことは聖王や他の王の耳にも入ったらしく、アゼルの危険性を再認識した。
そしてこのことが原因で彼は最も守りたかった人と離ればなれになることとなった。
察した人もいると思うけどスペックに関してはヒロよりアゼルの方が数段上です。