覇王の兄の憂鬱   作:朝人

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去年の心残り、ヴィヴィスト見れなかった……。


三十七話

 暗く、冷たい密閉された空間に彼はいた。

 日の光を浴びる事のなかった肌は雪のように白く、闇に覆われた場所ですらその存在を主張している。

 自分を此処に閉じ込めた者は余程彼のことが恐ろしかったのだろう、手足だけでなく首にまで鎖が巻き付けられている。鎖の長さ的に動く分には不自由はない。しかし此処からは決して出ることは出来ないだろう。

 ふと、唯一の出入口である扉が開いた。

 入ってきた兵士の手には冷え切ったスープやパンがのったトレイがある。

 そういえばもうそんな時間だったか……。

 そんなことをなんとなく思った彼の前にそれを置くと彼らは無言で立ち去ろうとする。

 律儀なものだ。仕事とはいえ毎日毎日大変だろうに……。

 ふと。こんな時には何と言うのかを思い出した彼は労いの言葉を口にした。

 ――ッ!?

 その瞬間兵士達の目が信じられないものを、おぞましいものでも見たかのように恐怖の色へと変わった。

 そして我先にとそこから逃げていく。

 その様子を疑問に思った彼は、自らに備わった能力を使い、逃げ行く彼らの言葉を拾い、理解した。

 

 ――ああそうか、『ヒト』は誰にも教わらずに意味ある言葉を喋ったりしないのか。

 

 納得し、以後注意しようと思い瞼を瞑る彼の耳に馴染みのある言葉が聞こえた。

 ――だから言っただろう! 奴は『悪魔(アゼル)』だと!

 

 

 

「ん……」

 

「あ、起きた?」

 

 意識が覚醒する前に馴染んだ声を耳が拾う。それが目を覚ます手伝いにでもなったのかいつもよりも順調に視界が景色を捉え、思考が澄んでいく。数秒もしない内に少し前に見た夢のことなど忘れてしまうほどだ。

 ただ、それ故に気が緩んだのだろう本来なら決して口にしない言葉を出してしまった。

 

「なのは……」

 

 呼ばれた当人――なのはは驚き、その反応を見てヒロもハッと我に返った。

 

「あ、あはは……久しぶりだね、そう呼ばれるの」

 

 弁明する間もなくなのはは朱に染まった頬を掻きながら照れるようにそう言った。

 いや、事実照れているのだろう。ここ数年、ヒロからファーストネームで呼ばれることはなかったのだから。

 

「……忘れてくれ」

 

「はーい」

 

 苦虫を噛み潰したような顔で今の出来事をなくしたいヒロだったが、返ってきた声色や表情から見るに絶対に忘れる気がないことが分かる。

 「ああ……」と激しく後悔した。

 これはヒロなりの線引きだったはずなのに。フラれたのだからいつまでも未練がましく思わないようにと戒めの意味も込めて行っていたある種の誓約だ。

 それが一瞬とはいえ崩れたのは恐らく此処最近会う機会が増えたことと――

 

「どうしたの? もうご飯出来てるよ?」

 

 テーブルの上に並ぶ家庭的な料理を前に「来て」と言わんばかりに呼びかけるなのは。出来あがったばかりだからか彼女は未だにピンクのエプロンを着けている。その姿がより家庭的に映り、尚且つ(あで)やかで少し動悸が速くなるのを感じた。

 

 ――そんな彼女が今自分の家にいるのが原因ではないだろうか……?

 

 

 ヴィヴィオの件は『保留』という形でひとまず置いておくこととなった、そうなった経緯や現在のヴィヴィオの現状は無論彼女の保護者であるなのはにも伝わっている。

 端的に言って今のヴィヴィオの状態は「詰まったホースのようなものだ」と。総魔力量というタンクからそのホースで魔力という水を使っているようなものだ。水は出る、しかしその勢いは本来のそれとは劣る。無理にでも本来以上の勢いを求めれば下手をしたらホースそのものが破損する虞がある。

 幸いヴィヴィオはなのはと違い、身体に負荷のかかる砲撃魔法などは使えない。接近戦を主体とした戦闘スタイルの為緊急を要することはない。

 しかし人間というのはいつ火事場の馬鹿力が発揮するか分からない。特に格闘技など極限状態になることなどザラにあるだろう。その時に今の状態で無茶な魔力運用を行ってみよう……無事で済む保証はないのだ。

 だから手術が必要だ。

 そう判断し、伝えるとなのはは笑顔で「ありがとう」と言った。真摯にヴィヴィオのことを思ってくれて、気を遣ってくれて、その気持ちが嬉しいと。

 そんな言葉を真っ向から言われたヒロは流石に気恥ずかしくなった。だからとっとと話を切り上げようとしたのだが……。

 

 ――ねぇ、今度の休み何か予定ある?

 

 唐突にそんなことを訊かれ、つい「ない」と言ってしまったのがそもそもの原因だ。

 それから「ヴィヴィオが世話になるお礼」としてその日の夕食はなのはが腕によりをかけて作ると意気込み、静止の言葉も聞かずあれよあれよという間に現在へと至った。

 

 

「……どう?」

 

「美味いよ」

 

 思考の海から引き上げるように件の人物が不安そうに視線を向ける。

 何故こうなったのか。その経緯を軽く思い出していた為か、手の動きが鈍っていたのだろう。口に合わなかったのか等と見当違いのことを思われる前にヒロはスープを掬って一口、素直な感想を述べた。

 それでほっとしたのか、胸を撫で下ろすようになのはは息を漏らした。

 現在ストラトス邸にはヒロとなのはの二人しかいない。父は未だ仕事で帰らず、母もちょっとした出張。妹のアインハルトも、なのはとチェンジするかのように高町邸でヴィヴィオと団欒しているらしい。帰ってくるのも明日だそうだ。

 珍しい。そう思う反面少しつづでも兄離れしていくことが嬉しくもあり、寂しくもあった。

 …………いや、実際は血涙でも流しそうな決死の決意があったのだが、流石にヒロでもそこまでは分からなかったようだ。

 

「そっか、よかった~」

 

 

 アインハルトがそこまでのことをした理由はなのはにある。

 実は先日ヴィヴィオの検診の日程を確認した後のこと、アインハルトからなのはへと連絡が来たのだ。どうしたのだろうと思っていると単刀直入にあることを訊かれた。

 

『正直なところ、なのはさんは兄さんのことが好きなのですか?』

 

『えぇぇ!? な、なんで……!』

 

 完全に油断して所を突かれたなのはは目に見える程に狼狽した。

 それを確認すると「やっぱり」と言わんばかりに彼の妹はジト目で視線を向けた。

 以前からなんとなくではあるが二人には何かあると察していた、それは先程のやり取りで確信に変わった。

 色恋についてはまだまだ至らないところがある為そこは置いておくとしても、互いに好意を持っているのは分かる。ただ、なのはは何かを恐れているように、ヒロは過去にフラれたことで互いにこれ以上近づかないようにしているように感じたのだ。

 

『一つ助言を。兄さんは自分のことに関しては敏感ですが他人の好意には鈍感です、そのまま抱え続けるようなら一生その想いは伝わりませんよ』

 

 兄の幸せを願う妹は頭に手を当てながら、どうしようもなく奥手な乙女に手を差し伸べた。

 恐らく兄の方は『フラれた』という過去がある以上彼女の好意を察せないだろう。気づけてもそれは一般的なものとして受け取り愛情のものとして受け入れないだろう。

 だから必然、発破をかけるならなのはの方になる。

 

『え……? えーと……いいの?』

 

 アインハルトの事情を知らない身としては当然の疑問だった。

 あの、兄にべったりで、自分のことを敵視していた少女が、勘違いでなければなのはを応援している気がするのだが……。

 

『良いも悪いも、最終的に決めるのは兄さんです。兄さんが決めたことなら私は受け入れましょう。……尤もその機会が無ければ話になりませんが……』

 

 兄の幸せを願いはするが、その辺りはやはりジレンマがあるらしい。言葉では納得しているように聞こえるが実際は拳を握りプルプルと震えている。

 ただ、それでもヒロにそんな浮いた話が出ること自体が稀なので機会は失わせたくないというのも事実だ。

 

『そういったわけで、アプローチするならばどうぞ』

 

『いや、どうぞって言われても……』

 

 急に「やれ」と言われてもどうすればいいのか悩む。如何せん今までずっと踏み込むことを恐れていたのだ、彼の実妹の許しが出てもどう実行していいのか困ってしまう。

 そんな様子のなのはにアインハルトはため息を一つ。その仕草はどこかヒロに似ていた。

 

『検診の日にヴィヴィオさんを迎えにいくついでに次の休日でも訊いたらどうですか?』

 

 

 そうした経緯を経てなのはは今に至る。

 アインハルトの助言通り休みの日を聞き出し、勇気を持って来たのだ。アインハルトが変な気を遣い、結果家にはヒロと二人だけになったり、連日他の病院の患者を治療していた疲れからかそのヒロが眠ってしまったり、彼の寝顔を見て余計意識してしまったりと、悶々としながらも何とか夕飯を作り終え一段落着いたところなのだ。

 

「こうして二人だけなのって久しぶりだね」

 

 僅かな沈黙が続いてた中、なのはは懐かしむように言った。

 確かに、あの「合宿」の後は互いに時間が合う日は中々なかった。ましてや一緒に食事をするなど今までを振り返ってみてもそうそうあることではない。

 

「そうだな。ま、厄介事を持ち込まれなくてオレは安心してたが」

 

「あ、ひどーい」

 

 ヒロの皮肉を込めた冗談につい口元が緩む。実際厄介だと分かっていても自分のことは見捨てないのだろう、この人は。

 素直に嬉しい。それ程自分は彼に大切に思われているのだと、つい自惚れてしまう程に。

 

「……ねぇ、確かめたいんだけど」

 

「ん? なんだ?」

 

 だから気になってしまった。

 

「フェイトちゃんのこと」

 

 自分の親友について向けられている感情が、どういう意味で彼女と接触しているのか、その真意が。

 それを訊かれた際ヒロは一瞬バツが悪そうに視線を伏せた。だが数秒には意を決したように向き直る。

 

「アイツには“オレ” のことを知って欲しいと思った」

 

 そこでヒロは合宿の時、フェイトにトレースが起きた後の惨状を見られたことを告白した。それから一度一日付き合うことでその人柄を知り、その結果自分の『秘密』を知って貰おうと考えた。

 その事を聞きなのはは後悔した。まだ追体験が起きるまで一日くらいは余裕があると、過去の経験からそう油断していた。ヴィヴィオとの接触が彼にどんな影響をもたらすのか考慮出来なかった。

 出来ることならあの日の自分を止めたい。フェイトではなく自分が行けば彼女に不必要な重荷を持たせることもなかっただろう。

 自分の親友はとても優しい。あの光景を見て、ヒロが苛まれていると知れば絶対に力になろうとする。事実彼女はヒロからあるデータを貰っている。それは直接的ではないにしろ、ヒロが隠してきたある『真実』に辿り着く為のものでもある。

 しかし……。

 

「フェイトちゃんにも背負ってもらうの?」

 

 その『真実』は探っていいもの……ましてや辿り着いていいものでは決してない。

 世の中には知らなくていいことがある、知る必要のないものがある。ヒロの『秘密』とはその部類に入る物だ。

 知ってしまえば最後、後悔することになる。どうしようもない現実を悲観することになる。

 きっと今まで通りには付き合えない。それは『彼』自身も分かっていることだ。悲しませることになると。

 

「……ああ」

 

 だがそれでも、知って欲しいと願わずにはいられない。

 

 ――だってそれが、彼に出来る最後の悪足掻き(抵抗)なのだから……。

 

『………………』

 

 また、沈黙が訪れた。

 親友のことは大切だが、同様に目の前の人物も大切な存在だ。

 板挟みの状態となり、どう声をかけていいのか分からない。

 それでも何かを言おうとして、口を開きかけた瞬間――

 

『やあ、お邪魔するよ。ちょっといいかな』

 

 空気を読んでか読まずか、突如現れたモニターにはリードの姿が映っている。

 意図せずも沈黙が破られたことにほっとするなのはだったが、次に放たれたリードの言葉に息を呑んだ。

 

『仕事だよ、ヒロ。強行派としての、ね』

 

 




アゼルの名前の元ネタはとある堕天使です。

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