覇王の兄の憂鬱   作:朝人

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すまない、今年で三年目に突入するのに未だに終わる気配がなくて本当にすまない……。



三十四話

 リビングのソファーに腰かけ昼間読み途中の本に目を走らせていた。

 夜も更け始めてきたこともあってか思いのほか静けさが辺りを支配していた。

 聞こえてくるのは今時珍しいアンティーク(アナログ式)の壁時計の秒針音だけだ。こだわりがうるさい父が買ってきた物らしく、所々細やかではあるが鮮やかな装飾がなされていた。

 普段は邪険に扱われる父だがこういう物を見る目は評価したい。……もっとも、褒めようものなら調子に乗って通常三倍はうるさくなると思われるので決して表には出すことはないが。

 そんな静寂が支配する空間に不意に軋むような音がした。しかもそれは自分のすぐ横で、その後側面に重みを感じた。

 見るとそこにはアインハルトがいた。腰かけるどころか寄り添うようにヒロに体を預けている。

 

「~♪」

 

 何となしに頭を撫でると更に擦り寄って密着してきた。余程気持ちよかったのか顔が破綻している、いつ喉を鳴らしてもおかしくないほど緩み切っていた。

 その様を見て「ネコっぽい」と感想を抱くと同時に思った。

 ――そういえば、普通に触れているな……。

 ここの所、というよりはアスティオンが来てからというもの接触する機会があると必ず妨害されていたのだが、今日はそれがなくスムーズに触れることができた。

 

「ティオは休眠モードに入ってますよ」

 

 そのことに疑問を感じたのを察してかすぐにアインハルトが呟いた。

 ああ、納得した。如何に巧妙高性能に出来ていようともあの子はデバイスなのだ。ならばパワーダウンさせれば必然できることはなくなっていく。特に休眠状態ともなればマスターが危機的状況にでも遭わない限り目覚めることはないだろう。そしてこんな状況で危険な目に遭うはずもなく、寧ろアインハルトにとっての癒しである今目覚める可能性はゼロと言えるだろう。

 それが分かってるからかアインハルトは更に甘えてきた。此処暫くヒロが仕事で遅かったり、修行が長引いたり、ティオに邪魔されたりと二人きりでゆっくりとできなかった反動であろう。

 そこを感じ取ったヒロは優しく髪を撫で、妹の頭を自らの膝の上に置いた。

 膝枕というものだ。一般的には女性が男性に対してやってあげるものらしいが、今はその逆、兄が妹に対して行っている。

 いくら筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)ではないとはいえ、ヒロも男。体の柔らかさでは女性の方が勝り、心地はそれほどよくないと思われたが……。

 

「えへへ」

 

 しかしアインハルトにとってはそんなこと二の次だったらしく、「兄が自分のためにしてくれた」という事実そのものが嬉しいらしく、満面の笑みを浮かべている。

 誰にも邪魔されず愛しい兄と一緒に居れる。それだけでアインハルトは幸せだった。そんな時間がずっと続けばいいと半ば本気で思っていたのも束の間――

 

『あ、ヒロくん。今ちょっといいかな?』

 

 それはすぐに壊されることになった。

 

「えい」

 

 着信を告げる音が響き、次いで空間モニターが現れた。そこに映っている人物を確認するや否や兄が応えるよりも早くアインハルトはその通信を切った。

 「おいおい」とその様子に呆れていると再度着信が。今度は妹が手を出さないように気を付けて出た。

 

『いきなり切るなんて酷いよ!』

 

「すみません、私の中でエネミー判定が出てしまったもので、つい……」

 

『わたし敵扱いなの!?』

 

 再び出たモニターの向こう側から非難の声が上がった。通話開始僅か五秒で切られるとは思っていなかったから当然と言えば当然の反応だろう。しかし口を尖らせたアインハルトの言葉に今度は驚きの声が上がる。

 

「兄さんを傷つける、傷つけたものは誰であろうと一度は敵認定しますから」

 

『う……』

 

 責めるようなその視線に、覚えがある人物――なのはは言葉に詰まり項垂れた。物理的にでなくとも精神的に傷をつけた過去があるのは事実だからだ。

 結果、罪悪感を感じて正面を見ることはできずに表情も暗くなり、対してアインハルトは胸元にまで寄り添うと「絶対に許さない」と言わんばかりに威嚇してきた。

 その様に当事者であるヒロは頭を抱え、ため息を一つ。

 

「それでオレに何か用か? 高町」

 

 妹の気持ちは嬉しいがこれでは話が進まないと思い、少し強引だが切れだし、その意図を察したなのはは表情を切り替え応える。

 

『あ、えっと、ヴィヴィオのことなんだけどね。今度の土曜の午後空いてるかな?』

 

「ふむ、土曜か」

 

 話とはヴィヴィオのことらしい。恐らく合宿中に伝えた“時間取れる日”のことだろう。常々気になっていた『聖王の鎧』について調べるためヴィヴィオに診療所に来てもらうよう頼んでいたのだ。

 事がことだけになのはにも話は通してある。だからこそヴィヴィオ本人ではなく保護者であるなのはが連絡してきたのだ。

 さて、どうだったか。頭の中で予定を確認しようとした瞬間、

 

「大丈夫ですよ、その日は問題なかったはずですから」

 

 その前に何故か妹が決定事項を伝えていた。

 いや、確かに今思い出した感じでは本当に何も問題はないのだが、別のところで新たな問題が発生した。

 

『えー……と、なんでアインハルトちゃんがヒロくんの予定を知ってるの?』

 

「? 当たり前のことでは? 兄の一週間程度の予定を把握できずして良妹とは言えませんから」

 

 なのはの疑問に小首を傾げたアインハルトは心の底から不思議そうにそう語っていた。

 その様を目の当たりにし、ヒロに視線を移すがその本人は「今更」なことなので特に気にした風もない。

 つい、疑問を感じた自分の方がおかしいのだろうかと思ってしまったが、この兄妹(二人)に一般常識を当てはめて考えるのは無駄だと諦めた。

 

「そういうことだからこっちは問題ないぞ。……要件はそれだけか?」

 

『え? う、うん……』

 

 そっか。普段と変わらない表情でそう言ったヒロだが、少し名残惜しそうに見えたのは気のせいだろうか。

 気になって名前を呼ぼうとしたが、ふとその瞬間フェイトと一緒にいる姿を思い返してしまった。その時の二人が脳裏にこびりつき言葉が詰まる。

 その様子に気づいたヒロは心配そうに訊ねてきたが、つい反射的に「大丈夫」と返してしまった。その後で少しばかり後悔の念がこみ上げたがなんとか押し殺した。

 

『それじゃあ、またね』

 

 そして悟らせないように微笑を浮かべ、通信を切った。

 

「………………」

 

 多少強引に切ったことと先ほどの表情が気になったヒロは通信が切れた後も黒くなったモニターを見つめて続けていた。

 

「あの、兄さん。少しいいですか?」

 

 そんな兄の姿を見たアインハルトは複雑な思いを抱きつつもヒロにある「お願い」をしたのだった。

 

 

 黒く染まったモニター。先ほどまでそこには好意を抱いている人が映っていたが、今は鏡のように自分の姿しか見えない。

 物理的でなくとも「繋がり」がなくなったことに寂しさを覚えたのはきっと心の何処かでその人を求めているからだろう。

 ふと、無意識に手がモニターに伸びていることに気づいたのは、それがすり抜けた後だった。

 虚しさを覚えた。自分の手はあの人に届かないのではないかという被害妄想が襲う。自分の知らないところで、自分の一番の親友と会っていたというだけで胸が締め付けられる。

 本能はこんなにも焦がれているというのに理性がそれを必死に抑えて込んでいる。「自分に関われば不幸にしてしまう」と何度も囁いている。

 それは、過去なのはを救うために限りある未来を切り捨てた彼を知っているからだ。当人にそんな自覚はないだろう、後悔もしていないだろう。しかし、彼の出生を、存在意義を知っているなのははどうしても考えてしまう。

 なのはと関わらず、本当に自分が望んだ道を生きたであろう彼の姿を……そんな『if』を想像せずにはいられない。

 リードの部下になったのはなのはを救った結果であり、医者になったきっかけはなのはを救ったことが原因だ。

 ヒロの根底にあるのは「妹への想い」だ、そこは揺るがず変わらない。しかし彼の周囲と生き方を変えたのは間違いなくなのはだ。

 その行為は素直に嬉しかった。思えばあれが好きになるきっかけだったのかもしれない。

 故に、だからこそこれ以上彼の人生を狂わせてはいけない。

 身体のことはあれど平和に暮らせるはずだった。あれほど妹を溺愛していようときっと赤い糸は何処かに繋がっているはずだった。

 それを自分は壊した、切った、失わせた。

 平凡とは程遠い環境に彼を置いてしまったのだ……ただ、「もう一度空を飛びたい」という想いを捨て切れなかったが故に……。

 

「ヒロくん……」

 

 それでも求めてしまうのは何故なのだろう。

 分かっているのに、自分がこれ以上彼の人生に踏み込んでいいわけがないって分かっているのに……。

 心は求める。思考は彼のことで絡め取られる。指が自然と彼の連絡先をはじき出している。

 律しようとすればするほど反動が大きくなるのか、無意識下でそんな行動が起きてしまっていた。

 もし仮に、ここでもう一度連絡を取れば彼は迷わず出てくれるだろう、「会いたい」と言えばきっと会ってくれるだろう。

 だがしかし、それを求めてはいけない。今の関係より深く踏み入ってはならない。『現状維持』こそが最善なのだから--。

 

 そうして焦がれる衝動を必死に抑え込んだ頃、なのはの端末に知らない番号から連絡が入った。

 見覚えも身に覚えもなく、最初は警戒したものの着信を告げるアラーム音はなかなか鳴り止まない。仕方なく覚悟して出ると再度通信モニターに明かりが(とも)った。

 そしてそこに映っていた者は……。

 

『先程ぶりですなのはさん。少しお時間よろしいでしょうか?』

 

 想い人の最愛の妹だった。






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