覇王の兄の憂鬱   作:朝人

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こんな貧相な発想しか浮かばなかった非力な私を許してくれ……。


二十五話

 息を潜め、体を出来るだけ屈める。姿を見せないよう細心の注意を配り前進する。

 さながら軍人のように任務を遂行すべく、迅速に行動する。

 ターゲットを視認し、気配を殺して近付き、一瞬を持って仕留める。

 思考は狩人、身体は獣にでもなったかのようにうっくりとされど確実に距離を詰める。

 そう、勝負は一瞬。僅かな時間しか許されない。慎重且つスピーディさが求められるそこは、ある種の戦場とも言えた。

 獲物を視界に捉え、息を殺し、気付かれぬようゆっくりと手を伸ばす。

 そして、あと少しで“それ”が手中に収まる――

 

「こら」

 

「痛ッ!?」

 

 瞬間。バシっと硬いもので叩かれ、堪らずリオは声を上げてしまった。

 痛みで悶えるリオの眼前にはおたまを持ったヒロの姿があった。エプロンを掛け呆れたように覗き込む姿勢で主犯を見る。

 夕飯の惣菜が幾つか出揃ったテーブルの下。その下で今正につまみ食いをしようとしていた不届き者がいた、未遂では終わったものの罰として軽い制裁は下した。

 未だに手の甲を撫でるリオを眺めつつ、これで何人目かと深いため息を吐いた。

 今回の夕飯。合宿三日目、最後の晩餐ということもありそれなりに豪勢に振舞うことにしたのだが、気合を入れて作っている所為かキッチンから匂いが漏れ、それに誘われてくるものが後を絶たない。特に普段元気な子ほど釣れるようでつまみ食い未遂犯の数はそろそろ片手では数えれなくなった。

 

「ほら、これやるからもう少し待ってなさい」

 

 涙を浮かべながら物欲しそうに惣菜の数々を見るリオにその内の一つを渡すと台所から出るように促す。

 あと残っているのはデザートくらいであり、それも変に凝ったものではなく普通のゼリーだ。これなら主食を食べてる間に固まるだろう。

 そう思って作業を再開すると一人黙々と手を動かし始めた。

 

「ほぐほぐ……まったく、皆さん揃ってつまみ食いなんてはしたないですよ」

 

「あ、アインハルト……さん?」

 

 ヒロを見送った後近くで見知った声を聴いたリオはその方へと首を向ける。

 今夜の夕飯は主にヒロが大半を務めるらしく、今の所キッチンにはヒロしか立っていない。兄にべったりな彼女が此処にいても差しておかしくはない。

 しかしそこにいたのはペーパータオルに包まれたコロッケをもぐもぐと食べるアインハルトだった。一口食べる毎にとろんと頬が落ちるような恍惚な表情を浮かべる辺り余程そのコロッケが好きなのか、それとも単純に美味しいのか、はたまた両方なのか。

 ともにもかくにも幸せそうなアインハルトの姿がそこにはあった。

 

「…………」

 

 一瞬不意を突かれるものの、そんなに良い物なのだろうかとふと視線を自分の手に落とす。そこには先程渡された一品があり、それは奇しくも今アインハルトが食べているものと同じものだった。

 確かに揚げたてでホカホカ、ジューシーな匂いが鼻腔を刺激する。実際に食べてもいないのに脳が「美味しい」と錯覚する程の出来栄えだ。

 ゴクリと唾を呑む。意を決し、一口食べてみる。

 

「……!?」

 

 衣がさっくりしているのに中身はよく揚がっておりそれでいて溢れ出る肉汁とは別にとろみがある。

 口内から伝わる匂い、そして親しみのある味わいにそれが何かはすぐに分かった。

 チーズ入りコロッケだ。どちらかが際立つ事もなく、自然と溶けるように一体となっている。それだけで如何に熟練されているのかがわかる。

 まだ熱くことなどお構いなしに手と口は勝手に動いていき、あっという間にコロッケはリオの腹に収まった。

 文句の付けようのない美味しさに舌鼓を打った。満足したのかリオの表情は先程のアインハルトと同じになっていた。

 

「もぐもぐ……大体兄さんはちゃんと頼めば味見とさせてくれるのですから、わざわざ危険を冒す必要性はないのです……もぐもぐ」

 

 その横では既に先のコロッケを平らげ、別の惣菜を口にしているアインハルトがいた。

 なるほど、つまり彼女がキッチンにいる理由はそうことらしい。お零れを欲してくるハイエナではなく、親が獲物を持ってくるのを待つ子ライオンと言ったところだろうか。

 

「……そんなに食べて夕飯は大丈夫なんですか?」

 

「兄さんの手料理なら百皿は余裕でいけますが?」

 

 リオの心配など何処吹く風。けろっとそんな応えが返ってきた。しかも彼女なら本当にやりかねない、彼女のブラコンは偶に不可思議な現象なども起こせるから怖い所だ。

 そうですか。あまり深く考えては負けだと悟ったリオはそのまま静かにキッチンを後にした。

 とりあえず、今日の夕食は胸が躍るほど期待できる。

 今から楽しみなリオの足取りは軽かった。

 

 

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「明日で最後」

 

 なんだかんだで楽しい夕食が終わり、自分達の部屋に戻って来て談笑を交わした後就寝時間を迎えたヴィヴィオ達は既に皆寝入っている。

 そんな中唯一起きているアインハルトは窓辺から月を眺め此処三日間の思い出に浸る。

 最初はノーヴェに誘われてきただけだったのに、思わぬところで大好きな兄と一緒に来れることになった。

 それからは大変ながらも楽しい日々だった。練習回に加わったり、ヒロの初恋の相手を知れたりと色々あった。

 しかしそれも明日で最後。そうなればまた今まで通り……いや「インターミドル・チャンピオンシップ」に参加するために特訓の毎日が待っているのだが、兄と一緒にいる時間は減ることだろう。合宿の最中出来うる限りは傍にいたつもりだ、それは向こうに戻ればヒロには仕事が待っているからに他ならない。四日も休んだ以上暫くの間は仕事量が増え、帰ってくる時間も遅くなるだろう。ましてや診療所はともかく中将の方はそれなりに忙しいようだ、そんな中休みを取ったのだから幾分か仕事を回されることだろう。

 故に、明日が正真正銘ヒロと一緒の旅行最後の日。こんな機会今度いつあるかわからない、少なくとも今年はもう無理だろう。今までの経験で大体分かる。

 この世界からミッドチルダまで四時間の航行時間がある。そのことを考慮すると恐らく昼まで……長くても昼過ぎには帰るはずだ。

 午前しか時間はない上、更に時間は限られている。その僅かな間でも出来る限りの思い出を作ろう。

 そんな密かな思いを抱き、ぐっと拳を握る。

 人知れず決意表明を行うとアインハルトもようやくベッドに潜り込む。

 良くも悪くも明日のことで頭を埋め尽くされるが、布団を被ると自然と眠気が襲ってくる。

 うつらうつらと舟を漕ぐ中、とりあえずなるべく早く起きようと思い、そして意識は黒く染まっていく。

 逸る気持ちが胸に押し込め少女は静かに瞼を閉じる。

 

 

 ここ三日は本当に楽しい毎日だった。だからこれからもこんな日々がずっと続くと信じていた。

 しかしその夜そんな思いを壊してしまいそうな『悪夢』がアインハルトを襲った。




大勢書くのは無理なので夕食の風景はカットしました。

合宿はあと二、三話で終わる予定。

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