最後に青い空を見たのは一体いつだったか?
既に動かなくなった体は死臭と肉が焼けた臭いが支配する地べたに投げ出され、曇った空を眺めていた。
もう指一本まともに動かすことができない死に体。恐らく後数分もしない内にその命の灯火は消えるだろう。そして周りに散らばっている屍の仲間入りすることになる。
死ぬことに抵抗はない。医者から長くはないと言われた命、病にただ蝕まれて朽ちるよりはマシだ。自分の周りに四散している四桁もある屍、これだけの道連れを引き連れて逝くのだから「あの世」というのはこれから大変ごった返すことになることだろう。
ふと、恩人である女性にもう一度会えるかもという願望が混じっての妄想に苦笑する。何を馬鹿な、地獄に逝くことが確定しているようなこの身が天国で安らいでいる人に逢えるわけがない。そう思い口が歪むのがわかる。
その瞬間人の気配を感じ取り視線を向ける。
そこには銀の鎧を身に纏った赤い髪の騎士がいた。手には彼を象徴する剣が握られている。
嘗て「友」と呼んだ自分の変わり果てた姿を見て、騎士は一瞬ありえないものを見たようにその金の目が見開かれる。しかし既に手遅れであることを知るとやりきれない思いで唇を噛み締めた。
ああ、本当に優しい青年だ。こんな時代でなければきっと彼は幸せに生きられただろう。彼の力は確かに目を瞠るものがあるが、しかし彼自身は本来戦いには向かない。そんな優しい騎士にこれから非道なことを行わせるかと思うと僅かばかりに心が痛む。
「ぁ……」
微かに動く口でなんとか青年に最後の頼みを言うと、やはり彼は首を横に振った。「嫌だ、やりたくない」と言い、果てには涙を流してまで拒絶する。
しかし自分も此処で退くわけにはいけない。残された最後の力、生きてる時間でこの優しい騎士に教えなければならない。
--真に人を殺すという意味を。親しい人の命を奪わなければいけない状況に追いやれた時、それを実行できる覚悟を。
自分のようなただの人殺しでない彼だから知っていて欲しい。恐らくこれから更に戦火が広がることになる、そうなれば謀反を企む者も出てくる。その時「顔見知りだから殺せない」では話にならない。もうその役目を果たしていた自分はいなくなるのだから。一国の騎士達を担う身でそれでは示しがつかないだろう。
それになにより……。
「もう、殺すのは……
その言葉が全てを物語っていた。誰かの為、国の為、そんな正義を掲げる前から殺し、手どころか全身血に染まった彼。多くの武勇や逸話を持つ彼の遺体がこのまま丁重に葬られるとは思えない。例え自分達の国が許しても他の国は許さないだろう、七騎士の中でも特に恐れられたその力は死した後も使われるかもしれない。
激化する戦火により、禁忌とされ封印されたモノ達が次々と解禁されている。その中には死体を使った冒涜的なものまである。生きてる時だけでは飽き足らず死んだ後ですらその片棒を担がされるなどあっていいわけがない。
--させない……そんなことは絶対にさせない。
彼の友達としてそんなことは許容できない。
鞘から剣を抜き、大きく振り上げる。暗闇すら切り裂いてしまえそうな輝きを放つ綺麗な刃、手向けには十分過ぎる美しいそれを、友と呼び慕っていた者の心臓目掛けて振り下ろす。
名剣にして聖剣、名の知れたその刃は容易く彼を貫き、その命を刈り取った。
最後に彼が見た光景は、黒く濁った空から降ってきた雨粒と、子どものように泣きじゃくる優しい騎士の姿だった。
それを見取ると彼の体は炎に包まれ、灰になる。青年の力で悪用されないようにそうしたのだ。
残された騎士はそれを握り締め泣き叫んだ。
慟哭を掻き消すように激しくなった雨にも負けず、ただただ泣き叫んだ。
「はぁ……」
ヒロの目覚めは最悪だった。
恒例となる悪夢を見たというのもあるが、目覚めて最初に目に入った部屋の風景で既に目眩がした。
あの夢を見た後なのだから予想は着いていた。寧ろ経験上そろそろだとわかっていたからなのはもヒロを誘ったのだろう。色々と理由を並べて強化合宿に連れてきたが、それは万が一に備えてのこと。事情を知っているなのはが傍に居れば何かとフォローできると踏んでのことだった。実際そうやって何度か助けられたことはある。
体質というか、とある後遺症でヒロの体は定期的にある症状に悩まされている。慣れたとはいえやはりないにこした事はないが、病魔の類ではない為に治療することは出来ない。
難儀なものだな。改めてそう思いながら、いい加減着替えくらいは済ますかとまずは“張り付いた”シャツを脱いだ。
丁度その時扉をノックする音が聞こえ--
「ヒロ、起きてる?」
そして了承の言葉を待たずにフェイトが部屋に入ってきた。
「あ……」
「え……?」
フェイトがヒロの部屋に来たのは偶然だった。
朝になり皆が起きてくる中、全く起きる気配がないヒロのことが気になり様子を見に来たのだ。本来であればノックをしてからきちんと返事を待ってから入るのだが、朝食の準備で忙しいなのはから「なかなか起きない人だから勝手に入って起こしていいよ」と言われた為、ノックと軽く言葉を掛けてから入ったのだが、そこで見たのは着替えの為にシャツを脱いだばかりのヒロの姿だった。
それだけなら誤って着替えを覗いてしまったというハプニング程度で済むのだが、問題なのは部屋の内装だ。部屋の至る所、特にベットの周辺に『赤い液体』が飛び散ったような跡があった。前衛的な模様だというには生々しく、しかもまだ乾いていない。おまけに鼻を突く鉄の臭い、それは仕事上悲惨な現場に赴いた際に必ずと言っていいほど見知ったものだった。
よくよく見るとヒロの体も傷口こそないが所々に同じものが付いている。手にしたシャツも真っ赤に染まっていた。
「ヒロ、一体何が--」
事情を訊こうとするより速くヒロの手がフェイトの口を覆う。いきなりのことで驚くと同時にヒロの手は異常な程鉄臭かった。それで確信した、やはり『赤い液体』の正体は血だ。
何故一晩でこんな悲惨な部屋が出来上がったのか? ヒロは何をしていたのか?
そんな疑問が頭を浮かぶ中ヒロが小声で、しかしはっきりと聞こえるように耳元で言う。
「知られた以上仕方ないが、騒ぐな。ちゃんと事情は話してやるから、わかったな?」
返事が出来ないため頷くしかないフェイトを見て、「よし」と口から手を離した瞬間ヒロは寄りかかるようにフェイトに体を預けてしまった。
いきなりの事態に驚くフェイトだったが、ヒロの顔色が悪いことに気付くとすぐに誰かを呼ぼうとする。しかしそれはヒロに止められ、まずは「部屋の中に入れさせてくれ」と頼まれた。
いまいち状況が把握できないフェイトだったが、説明をしてくれると言ったヒロの言葉を信じて今は彼に従うことにした。
部屋に入りベットに腰を下ろすと、荷物の中から薬剤が入ったビンを二つ取り出し、それぞれ一粒ずつ口に放り込む。それは何かと訊くと言い辛そうに一拍置いてから「増血剤」と「栄養剤」と応えた。
その言葉を聞き、まさかこの部屋に血塗られたものは全てヒロの血なのかと思いキョロキョロと部屋の中を見回す。
挙動怪しくしているフェイト。やはり部屋の血が気になるのだろうと思うとヒロはまた荷物を漁り一冊の本を取り出した。
それは表紙が白く、それほど厚みのない本だった。開いてとある一文を読み上げる、血が気になって聞き取れなかったが「白く染まれ」、「穢れ、祓え」といった言葉が聞こえた。そして全て読み終えると本から術式が浮かび上がり、部屋全体に行き渡ると染み付いたはずの血痕が消えていく。それは部屋だけでなく、ヒロの体や衣服も同様で瞬く間に綺麗な状態になっていった。
フェイトが驚く暇もなく、本は役目を終えたと言わんばかりに塵のように消えていく。
「凄いだろ? 知り合いの
一連の光景に呆気に取られていたフェイトを他所にヒロは自慢気に話す。
それで我に返ったフェイトは約束通りヒロに説明して貰うことにした。
次回はまた説明回。その次からは日常系の予定。