あーしさん√はまちがえられない。   作:あおだるま

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それでも彼女は望んでいる。

 修学旅行一日目。俺たちは京都駅に降り立つ。

 

 新幹線車内では最初はどうなることかと思ったが、あの後戸部はどうやらそこそこ海老名さんに話しかけていたようだ。「え、海老名さんは休みの日とか何してんの?」「秋葉行くか時間あったら池袋まで行くけど…ち、ちなみに戸部君はヒキタニ君と葉山君どっちが本命なの?」「え?」…うん、とってもかみ合ってるね。

 

 

 バスで清水寺まで行くと、胎内めぐりとかいうものに由比ヶ浜に誘われた。暗いところでお堂を回るようだ。依頼のことを考えてもこのチョイスは悪くはないだろう。…海老名さんが暗闇程度で隙を見せるとは思えないが。

 

 海老名さんと戸部、葉山と三浦、そして由比ヶ浜と俺の六人がお堂の前に立つ。なんというか俺、すごく、浮いています。

 由比ヶ浜の仕切りで最初に三浦と葉山、その次に俺と由比ヶ浜、最後に戸部と海老名さんという組み合わせになった。葉山は早く戻れるに越したことはない、と言った。そんなにゆっくりと行くつもりもないし正論なんだが、ならばあとで時間のある時に行こう、という提案がより正しいのではないか。

 

 少しの違和感とともに、俺は由比ヶ浜とお堂の前に立つ。最初に行った三浦の声が暗闇から聞こえる。

 

「ちょ、やばいやばいやばいやばい。暗いってこれやばいやばい。隼人、やばいってこれ」

 …うん、やばいのは分かったから、無駄に後続の不安をあおるのはやめようね。

 

 三浦の声を聞き、案の定不安をあおられたのか、由比ヶ浜がこちらを見る。大丈夫、あの女王様が意外と乙女なだけだから。

 

「…行くか」

 俺はそう短くつぶやき、ポケットに手を入れて階段を下る。

 

「うん」

 なぜか嬉しそうにうなずき、由比ヶ浜は後ろからついてきた。

 

 

 で、俺は暗闇のお堂を歩いているわけだが…

 

「ちょ、ちょっとこれやばいってマジで…ひっ!今なんか冷たいものが足に…」

 

 前からやばいを連呼する三浦の声が響くため、ちっとも情緒を味わえない。そのたびに「そうだな…涼しいし、結構雰囲気あるね」といった葉山の相槌が入るが、それもろくに聞こえていないのか三浦はまた「やばいやばい…」と連呼していた。…大丈夫か、あいつ。

 

 由比ヶ浜もそんな三浦の声を聞き、苦笑を漏らす。まあ、そうだな。あいつにはお遊びでもお化け屋敷も肝試しも誘うわけにはいくまい。

 

 なんやかんや俺たちはお堂を抜けた。いや、なんやかんやといっても、終始三浦の念仏のような声が聞こえてきたため、俺たちは特に風情も少しの恐怖も感じず、外に出た。女王様ェ…。

 

「おい、おまえ大丈夫か?」

 出口ではぁ、はぁ、と肩で息をする三浦に、さすがに俺は一声かける。ていうか、そこにいられると俺と由比ヶ浜が外に出られねえんだよ。

 

「あぁ!?別にヒキオにそんなこと言われる筋合いもなければ、なんの問題もないんだけど」

 彼女は下に向けていた頭をこちらにぐるんとむけ、俺をにらむ。いつもの縦ロールが少し乱れていることもあり、迫力は平常の五割増しである。きょ、きょわい!

 

 そんな彼女に俺は返事を返せず、由比ヶ浜は苦笑とともに彼女を案ずる言葉を二、三かけるのみだった。葉山は尋常ではない三浦ではなく、なぜか俺を見ている気がしたが、完全にスルーした。海老名さんの燃料になるような行動は慎んでくださいね、葉山君。

 

 

 清水の舞台に立つと、少しの感慨を覚えた。さすがに大勢の人間が来たがるだけある。

 そんなことを思っていると、俺はなぜかその場にいた二桁近いクラスメイトと、知らない人の写真を撮ることになった。おい、なんで片言の外人まで俺にカメラ渡してきてんだよ。

 

 

 

 

 

 

 そして場所は変わって、現在俺はホテルのロビーにいる。

 

 あれからおみくじ開封の儀で、大吉を引いた三浦に戸部が空気の読めない発言をして不穏な空気になったりもしたが、大きな問題は起きずにホテルまでついた。戸部と海老名さんはぎこちないながらも、何とか行動を共にしていたようだ。…三浦の視線に一日耐えきった戸部、君は、強い。

 

 部屋につくと俺はすぐに寝てしまい、戸塚とのお風呂タイムを見事に逃してしまった。クソ、クソ!これでは修学旅行に来た意味がない。

 そして俺は材木座と戸塚にウノで負けた罰ゲームで、自販機にジュースを買いに行っている、わけ、だが…

 

「うッ…ひぐっ、う…もうあんなとこ、もどんないし…」

 なんで号泣している三浦優美子が目の前にいるんでしょうか。

 

 俺はどうすればよいかわからず、しばし固まる。な、なんだこいつ。こいつが泣こうが今更特に驚きもしないが、なんでよりによって自販機の横のソファで泣いてんだよ。

 

 俺は周りを見渡し、得心する。ここにはほかに人がいない。少し離れた土産屋には学生らしき人影があるが、ここまでくる人間はそういないのか。誰にも見られたくなかったわけだ。だったらトイレにでも行けばいいのだが、そこまで行くと逃げた気がして許せないのだろう。プライドの高い彼女らしい。

 

 俺は引き返そうと踵を返す。夜は休むものだ。休むべき時にこいつに関わることは、俺の理念に反する。三浦とかかわって俺の気が休まるわけがない。どこか別の場所でジュースは調達しよう。

 

「…ヒキオ」

 びくっっっ。俺の肩が激しく揺れる。下を向いたままの彼女の表情はうかがえない。が、ろくなことにはならない。俺は早足に部屋に戻ろうとする。が、

 

「ヒキオ、ねえ、聞こえてんでしょ?」

 彼女の声にいつもの怒気がこもる。怖い怖い怖い。

 

「な、なんでしょうか。ぼくは何も見てません」

 殺人現場を目撃した三下のようなセリフだ。すぐ殺されそう。だが、俺はそうまでしてまだ死にたくないのだ。戸塚とお風呂に入るその時まで。

 

「…あーし、のどかわいたんだけど」

 彼女は下を向いたまま、そうこぼす。そりゃあ涙を流せばそうなるのは自然の節理だが…

 

「新幹線でお使いに行っただろうが」

 あのマッ缶騒動の後、車内で三浦は俺のことを見ようともしなかった。バツが悪かったのだろう。あの後彼女は「ん。」と一言だけ言ってマッ缶分の金を俺に渡した。だからまあ、文句はなかったが。

 

「あーし、のどかわいた」

 彼女はもう一度、それだけを言う。俺がその願いを聞き入れる義理はないんだがなぁ。

 

 はぁ。ため息が出る。さすがにここまで言われては、後が怖い。いつもの女王に戻った後に何を言われるか、されるかわかったものではない。

 

「…オレンジジュースでいいか?」

 マッ缶がねえ!!そう心の中でで叫びながら、以前昼休み彼女が飲んでいたものをチョイスする。彼女はコクッ、と首だけ縦に振る。…いつもそんくらい大人しければな。

 

 ガタン。ジュースが出る。それを彼女に渡すと、俺は早々にその場を立ち去ろうとする。無理。これ以上は八幡、無理。

 

「ちょっと」

 後ろからそう声がかかる。まだなんかあんのか。俺は振り返る。その瞬間、冷たい感触が頬に伝わる。

 

「飲みな。…新幹線と、今の礼でおごりでいいし」

 彼女はマッ缶もどきのコーヒーを俺の顔に押し付ける。…貸しは作りっぱなしにしておきたかったが。というか、だったら自分で買いなさい。

 

「…おお」

 普段では見られない彼女の顔に、俺は思わずそうつぶやき、少し離れてソファに腰掛ける。いや、おお、じゃねえよ。なに座ってんだよ。俺は安易に座ってしまった自分に悪態をつく。あんな顔をされては、帰るに帰れないではないか。

 

「……」

 

「……」

 

 沈黙が下りる。

 マッ缶もどきを飲む俺ののどがゴク、ゴク、と鳴る。くそ、甘さが足りない。こんな厳しい時間には、甘いコーヒーが飲みたい。

 コーヒーを飲みほし、今度こそ、今度こそ席を立とうとする。が、

 

「ヒキオ」

 彼女はまた俺を呼ぶ。だからヒキオって誰だよ。ここ最近でその呼び名にも慣れ始めた俺は、いかん、俺には両親からもらった名前がある、と思い直す。…最近では両親にすら「小町のお兄ちゃん」と呼ばれることがあるが。

 更に暗い気持ちになるが、反論しようと彼女を見る。だが、先んじてつぶやく彼女に俺は口を開けない。

 

「あんた、何にも聞かないの?」

 俺の視界にはうつむく彼女の金髪だけが映る。

 

「…別に。珍しいことでもねえだろ。俺だって世の不条理を嘆くことはよくある。誰も彼も、いつでも強い人間なんて存在しねえよ」

 ほんとこの世って理不尽だよな、と公園で一人黄昏ているだけでお母様方から白い眼を向けられるこの世は、本当に理不尽である。通報される前に家に帰るが。

 

 彼女は少し驚いたような顔で俺を見るが、すぐに馬鹿にしたように鼻を鳴らし、首を振る。

「隼人なら普通に聞いてくれるのに。あんた最低」

 

「あいにくだな。俺はあんなリア充には何十回転生しようとなることはない。…つーか、なら葉山に泣きつけ」

 口をとがらせる彼女に、俺はそう返す。

 

「は?隼人にこんな顔見せられるわけないじゃん」

 

 そういって、彼女は俺を見る。俺なら別にいいわけね…。そう思いつつ、今一度俺も彼女の顔を見る。泣き顔を見るのは遠慮していたが、向こうが見せようとしているのならばいいだろう。

 

 泣いていたためか風呂上がりだからか、彼女の頬は上気している。金髪はいつもの縦ロールがおさまり、年相応の幼さを醸し出す。瞳は少し赤く、そこにはいつものきついアイメイクも、灯る炎もない。その顔からは化粧も女王としてのメッキも剥がれ落ち、残っていたのは触れれば壊れそうな少女だけだった。

 

「…んなことねえだろ」

 あまりに違う彼女に、俺はそう小さくつぶやいてしまう。

 

「は?何が」

 突然つぶやく俺に、彼女は怪訝な視線を送る。しまった…。

 

 二の句を継げない俺に、彼女は鋭い視線を送る。

「だから、何が。あーし途中でやめられんのが一番嫌いなんだけど」

 

 ひぃぃぃぃぃぃ。前言撤回。化粧がない分その眼光の威力は直接俺に届く。ごめんなさい。

 心の中で土下座し、俺は明後日の方向を見て、焦って口を開く。

 

「いや…いつもの化粧もねえし目も赤いし、客観的に見れば確かに見るに耐えん顔だな、と」

 

「あぁ!?」

 

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。焦って本心が出てしまった。だがそれゆえ、俺は次の言葉も止めることができない。

 

「でもまあ、自分で思ってるよりは今の顔、男から見たら悪くないんじゃねえの。葉山がどう思うかまでは知らんけど」

 

「…は?」

 そう一言だけ発し、彼女の頬はだんだんと染まる。両腕をぶんぶん、とふる。

 

 やってしまった…

 

「だ、だからなんでヒキオごときに偉そうに上から評価されなきゃなんないわけ!?まじで意味わかんないんだけど。…大体」

 

突然彼女の腕は力なくだらりと下がり、その目は下を向く。

 

「隼人はいっつもあーしのことほめてくれる。こんな顔でも隼人は…絶対にほめてくれる。変わらず」

 彼女は小さく、確かにつぶやく。しかしそのつぶやきは今にも消え入りそうなものだった。

 

 それはそうだ。俺は自らの放った言葉の無意味さを思い知る。彼ならば今の彼女にも、いつも通りの賞賛を、慰めをかけるだろう。…葉山隼人であれば。 

 

 沈黙する彼女に俺は言葉をかけられない。別に、かける気もない。…かけるべきは、彼女の望むものは、俺の言葉などではない。

 

 そうだ、戸塚にジュースを買ってやらなければ。

「じゃあな」

 

 俺は戸塚のジュースを買い、そう一言いい残し、今度こそ自分の部屋へ向かう。

 

「ありがと…」そう、聞こえた気がした。なにもしたつもりはないが、女王に貸しを作っておくのも悪くないだろう。

 

 

「は、八幡?我のジュースは?」

 部屋に戻ると材木座が涙目で問いかけてくるが、知らん。女王様の腹の中だ。

 戸塚がそんな材木座に「あ、じゃあ僕が飲んだやつでよければ」という天真爛漫な笑顔を向ける。対照的に材木座の顔は気持ち悪く赤く染まり、「え、ええ!?べ、別に我は戸塚氏が飲んだやつでも全然いい、というかむしろ望むところというか…結婚してください」とどもる。戸塚の安全のために、俺が飲んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 修学旅行二日目。今日はグループ行動の日だ。映画村のお化け屋敷を一通り楽しみ、何とか皆を説得してタクシーに乗った。その後龍安寺で雪ノ下と遭遇し、ホテルについた。いや、いろいろと大変だったんですよ…俺はお化け屋敷を思い出す。

 

 またもや由比ヶ浜の仕切りによってお化け屋敷を回る組み合わせが決められたわけだが、今度は俺と由比ヶ浜の組み合わせに戸塚と川崎も加わった。だが、川崎が意外とビビりなのである。俺の服を引っ張る引っ張る。あの、服伸ばして小町に怒られるのは俺なんだからね。

 戸塚は全く怖がる素振りを見せず、楽しんでいた。やっぱり戸塚は攻めだね☆

 

 そして、三浦である。お堂巡りですらあのざまだったこいつがお化け屋敷などまともに回れるわけもなく、前方の彼女からは常に悲鳴が聞こえ、お化け屋敷を出た後は珍しく葉山が疲れたような顔をしていた。

 …お疲れさん。俺はつい葉山に同情の念を送る。お化け屋敷などというわかりやすい場所ならば、乙女三浦なら葉山に甘えるそぶりを見せるものかと思ったが、どうやら思っていた以上に乙女だったらしい。そんな余裕もなく、結局素を出してしまったのか。涙目になる彼女は、かわいくないこともなかった。

 そんな三浦を見る葉山の目は、いつもとは違ったもののように俺には見えた。

 

 海老名さんと戸部はお化け屋敷の中はいつものテンションで抜けたようだが、土産物屋ではさらにテンションが上がっていた。戸部は木刀、海老名さんは新撰組。…う、うーん、まあ進展、した、のか?

 

 

 そしてタクシーの中。俺は由比ヶ浜から昨晩の三浦の事情を聞かされた。

 

「昨日枕投げしてたんだけど、本気出したサキサキに優美子が泣かされて、部屋飛び出しちゃったの。優美子のことだからあんまりついていかないほうがいいかな、って思ったんだけど…」

 

 彼女はたはは、と苦笑いを浮かべる。うむ、確かにその判断は正しいだろう。俺だって泣いているプライドの高い女王様の逆鱗になど、触れたくはない。昨日は焦るあまり本心が出てけんかを売りかけたが、何とか生きて帰ってこれてよかった。

 

 だが。俺は大きくため息をつく。枕投げで泣かされるって、小学生でもねえだろ。どんだけ打たれ弱いんだよ、あの女王様。心配して損した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてホテルにつき、現在俺は一人でコンビニへ向かっている。雑誌コーナーで足を止め、目当ての雑誌を探す。

 

 サンデーGXはどこかな、と。

 

 すると横から高圧的な声が聞こえる。

 

「ヒキオじゃん」

 横を向くと、そこには雑誌を読んだままの三浦優美子がいた。

 

「おう」

 短く返し、俺はGXを拾いパラパラとめくる。彼女の変わらない様子に、少し安堵する。あんなことがあったから何か言われるか、しめられるかと心配したが、そんなことはないらしい。

 

 しかしGXを読む俺の耳に、また彼女の声が届く。

 

「あんたら、なにコソコソやってんの?」

 

 彼女の冷たい口調に、俺の肩が震える。

 

「…何が」

 俺は一言、そう返し恐る恐る彼女を見る。

 

「だから、戸部と海老名のこと。戸部がおかしい。結衣がおかしい。そんで…あんたも、おかしいでしょ」

 

 彼女は金髪をかき上げ、そう言い切った。

 

 まっすぐに俺を見る彼女に、俺は口を開けない。しかしいつかとは違い、その目からは目が離せなかった。その目は、今度は俺に向けられている気がした。

 

 何も言えない俺に、彼女はため息をつく。

 

「結衣は戸部と海老名を妙に一緒に行動させたがる。普段空気読みつつ、海老名とかあーしの気持ちも考えて行動してる結衣が、あんなわかりやすいことしてんの。おかしくない?あんたもおみくじ結ぶときに、なんか戸部に言ってた。…普段のあんたなら、絶対しないでしょ、そんなこと。

 …まあ、あんたと結衣がおかしいってことは、戸部に協力してくれ、とでも部活で頼まれたんだとわかる。…でも」

 

 彼女は視線を下げる。

 

「なにより、隼人がおかしい」

 

 なんと。俺は少し驚く。三浦も彼の行動に違和感を覚えていたのか。

 

 だが、俺はすぐに思いなおす。いつももっとも近くで、どこまでも彼を見ていた彼女だからこそ、彼のいつもとの違いには気づいて当然だろう。

 

「うまくは言えないけど…隼人、なんか辛そうだった。少なくとも、あーしにはそう見えた。言ってることもいつもと同じで優しいんだけど、いつもより中途半端っつーか。

 それにはたぶん、海老名があんたらの部室に来たことも絡んでるんじゃないの?…海老名のあーしに見せる姿だけは、いつもと変わんないけど」

 

 彼女は自嘲気味に笑い、下を向く。しかし、すぐに俺の方を向きなおす。

 

「ヒキオ。知ってることがあるなら教えてほしい」

 

 彼女らしくない言葉に、彼女らしくない瞳に、俺はまた何も言えない。

 

 たぶん。俺はぼんやりと思う。彼女はなんとなく気づいているのかもしれない。戸部の想いに、海老名さんの願いに、そして、葉山の行動とそこに込められた意味に。

 しかし、それらすべてが絡み合ってできている現状にまでは思いいたっていない。当然のことだと思う。半分当事者の俺ですら、その現状に気づき始めたのはこの修学旅行が始まってから、葉山の行動のおかしさを見てからだ。傍観しているだけの彼女に全貌は分かるはずもない。

 いや。もしかしたら気づいているが、まだそれに踏み込む踏ん切りがつかないのかもしれない。それは、今までの彼女らの関係を、これからの日常を変えかねないものであるから。

 

「さあな。俺にはお前が何を言ってるかよくわからん。よってお前の質問には答えられない」

 俺はそれだけ言って、視線を雑誌に移す。

 

「ヒキオ」

 しかし、彼女は俺を呼ぶ。

 

「あんたが何を知って、どう思ってるのか、あーしにはわかんない。別にわかりたくもない。

 でも、隼人は。あんたと話すときの、あんたを見るときの隼人は、あーしの知らない隼人なの。昨日、今日だけでもそれは間違いないと思った。

 そんで、あーしは。そんな隼人とあーしを、この関係を、変えたい。そう思った。

 …海老名はたぶん、そうは思ってない。変わったら、変えようとしたら、海老名はあーしから離れていくかもしれない。変わるくらいなら、壊れるくらいなら、全部放り投げるかもしれない。あーしだって今の居場所は、好き。この場所でバカやってるのが楽しい。

 でも、あーしは。それでも隼人を、海老名を、みんなを知りたい。今より近づきたい。そう思った。だから」

 

 彼女は言葉を切り、大きく息を吸う。俺をまっすぐに見る。

 

「海老名と戸部は、…あーしと隼人は、べつに、変わってもいい。余計なことだけはしないで」

 

 …彼女らしい。俺を見る彼女に、そう思ってしまう。海老名さんの気持ちも、葉山の願いも、彼女は分かっている。それでも彼女は。三浦優美子は、自分の気持ちを無視できないのだ。殺したくないのだ。わかっていてなお、それを望んでいるのだ。

 

「それに」

 彼女は続ける。

 

「海老名が離れていっても、あーしは地の果てまで追いかける。絶対にあいつの考えてることも、思いも聞き出して…それで、いつか一緒に笑ってやる。変わったかもしれないところで、一緒に。あーしは離さない」

 

 三浦優美子は、そう笑った。…その笑顔を、俺は直視できない。だが。

 

 俺はその意見に賛同できない。

 

「つっても、お前だけの気持ちで物事は進まない。お前が変わってもいい、といってもそうじゃないやつもいるだろう。このままでいたいと思うやつの方が多いだろう。…少なくとも、お前の近くにはそう思うやつがいるかもしれん。

 そして俺は、その気持ちのほうが…まだわかる。だから俺は」

 

 彼女は、強い。それがいかに危うくても、儚くても、彼女は強い。強い、という事実は変わらない。

 

「知ってるし。なんとなく見てたから、知ってる。だから、一応言っただけ。なんとなく釘刺しといただけ。

 大体お願いするなんて、あーしらしくなかった。あーしはあーしで勝手に行動して、あーしの好きなようにする」

 

 彼女はどういえばいいかわからない俺を尻目に、笑う。いつかのような言葉が発せられ、俺はその先に待っている運命をすでに知っているような気がした。

 

「だから、ヒキオ」

 彼女はにやりと笑う。

 

「これから、覚悟しな」

 

 だが。俺は今度は何とか一言、口にする。この程度のことでは俺の弱さは、臆病は曲がらない。

 

「勝手にしろ。…俺は俺で、好きにやる」

 

 

 誰も彼も、彼女のように強くない。

 


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