「隼人!」
「優美子……」
「……」
隼人は、一色と歩いていた。たぶん最初は戸部も一緒に居たんだろうけど、一色に言いくるめられて先に帰ったんだと思う。
隼人の居場所は海老名がメールで教えてくれた。ずっとケータイ弄ってるの珍しいなと思ってたけど、どうやら一色に今いる場所、これから行く場所を教えてもらっていたらしい。あーしが海老名からそれを教えてもらった時、ちょっと自分の友達が怖くなった。――いや、どこまで読んで行動してんの、海老名。
「あれ~?三浦先輩?どうしてこんなとこいるんですか?私と葉山先輩でこれから買い物行くんで、用事ならあとにしてもらっていいですか?」
隼人の場所を教えてた一色は、いけしゃあしゃあと言う。駄目だ、あーしやっぱりこいつのこと嫌いだ。今日こいつのこと可愛い後輩とか思ってたの、やっぱり気の迷いだ。あっちもあーしのこと嫌いだろうけど。
「ごめん、あーし隼人にちょっと話あるから、一色は外してもらえる?」
「えー、別にそれに私が従う理由なくないですか?」
「うん、ない。ただ頼んでるだけだし。……あんたにディスティニーランドでされた話。あれの答え、今出すから」
「そうですか」
思ったよりはるかにあっさりと、一色は隼人の横を離れる。「ごめんなさい~、また今度買い物付き合ってください」と隼人に手を合わせ、あーしの方に向かってくる。
すれ違う瞬間、一色は立ち止まる。
「海老名先輩から頂いた情報料は『三浦先輩がやりたいようにやること』です」
思わず一色を見る。でもそこにあるのは、いつもの小生意気でひたすらムカつくだけの笑顔だけ。
「この期に及んでうだうだと嘗めた嘘ついたら、承知しませんから。……私を生徒会に入れた時みたいに、好き勝手にやってください。うじうじしてる三浦先輩、見ててうざいです」
それだけ言い残し、一色はその場からいなくなる。やっぱりクソ生意気なだけの後輩だ。
あーしの責任で一色を生徒会に入れた。それも事実で、あーしがやったことだ。あーしの行動で与えた、確かな影響だ。
でも、今それは関係ない。今更何を言われたところで、あーしの行動は変わらない。心の中で生意気で、可愛い後輩に誓う。
あーしは、好きなようにやるから。
「隼人、話聞いてくれる?」
「うん、いいよ」
ただの道路。駅が近いから車が多く、時折眩しいライトの光があーしの目に入り、隼人の姿は逆光で見えにくくなる。
そんな場所でも、隼人は話を聞いてくれる。
「さっき言われたことの答え、今、言うね」
「うん」
隼人は何のことか、と聞き返すこともない。隼人は待つと言ってくれた。こんなあーしに、自分のことすらよくわかんなくなったあーしに、それでも待つと言ってくれた。
だから隼人に、あーしのが好きになったこの人にまず、あーしの答えを伝えなきゃいけない。
「あいつと……奉仕部の連中に関わるようになってから、あーしはおかしい。わかってたんだ
最初はただの興味本位だった。隼人の視線を追ってたら、その先にはいつもあいつがいた。暗くてぼっちで何考えてるかよくわかんなくて、嫌いで嫌いで、あーしが絶対理解なんてできないタイプ」
「うん」
「わざと悪役を引き受けてるような態度が気に食わなかった。それを何でもないように受けいれてる感じなのも腹が立った。そんな奴のことを隼人が考えてるのも意味わかんなかった」
「うん」
「あいつのやり方を否定しようとした。そうしたら、なんか隼人に気持ち伝えちゃってた。あいつと話して、時にはケンカも売られて、隼人に好きになってもらえるように頑張ろうとした」
「うん」
「その後はいつの間にかあーしみたいのが生徒会長になって、奉仕部の奴らと一色と生徒会なんてのやるようになった。絶対合わないと思ってたけど、やってみると結構悪くなかった」
「……うん、流石にあれは驚いたよ」
「そんなことあって、でね。あーしはなんか知らないけど悩んじゃってた。あいつと話して、一色に諭されて、今日なんて隼人にだって説教されて、ずっとぐらぐら揺れてた。気持ちと体がバラバラになったみたいに。自分の気持ちと行動が一致しなかった」
「そうか」
「でも、やっとわかった」
「修学旅行、隼人に告白した気持ちは本当。
でも、それでも。あいつといて、あいつと悩んで、話して、喧嘩だってして。その時間がなかったらここまで隼人のこと知れなかった。隼人のそばに居られなかった。……ここまで悩むことだって、多分、なかった。
その時間だって、あーしにとっての本当なんだ」
あーしは、もう一度隼人を見る。暗い中でも、やっぱり格好いいのはわかる。顔だけじゃない。いつでも優しくて、周りのこと考えてて、何考えてるかよくわかんない。
だから、この人に。大好きな王子様に、この気持ちを伝えなきゃいけない。
「隼人、だから、あーしは――」
黙って話を聞いてくれた隼人は、やっぱり優しく微笑んでいてくれた。あーしはその顔を見て、心の底から想う。
この人を、好きになってよかった。
でも、その瞬間。
「ちょっと待ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!っていってえっ!?」
ガラガラガッシャーン。そんな擬音が後ろから聞こえてきた。
突然現れたその物体は、あーしと隼人の横の道路の生垣に、自転車ごと突っ込んでいった。
は?なにこれ。なんだこれ。なんなんだこいつ。
あーしの頭の中がハテナで満たされる。目の前の隼人は面白そうに笑いをかみ殺しているように見える。え、なに?
「そ、その話の続き、ちょっと待った」
生垣から腕がニュッとはえてくる。こ、こわっ!
でも、その声は聞き覚えのある声で。
ペッペッペッと口の中に入っただろう砂利を吐き出し、全然格好良くなんかない、泥だらけの格好で、そいつは何とか生垣から立ち上がる。
そして、あーしの前に立つ。
「待ってくれ、三浦。その前に、俺はお前に話したいことがある」
久々に、こいつの目を見た気がする。隼人を通してじゃない。初めて、こいつだけを見てる気がする。
ダサくて汚くて、王子様とは程遠い。でもその瞬間、あーしは理解する。
体温が上がるって、きっと、こういうことなんだ。
三浦は、葉山に告白する寸前だった。
「は、は?あんた何してんの?今あーしは隼人と話して――」
「だから、待ってくれと言っている」
三浦は困惑しているようだった。葉山はいつものように腹立つ薄笑いを浮かべているだけだ。改めてみるとイケメンだなこいつ。腹立つ。俺の今の汗と泥だらけであろう顔を想像すると余計腹立つ。
こいつらの居場所は一色から教えてもらった。情報料は既に貰ってるからいらないらしい。なんのこっちゃ。
なんやかんやで自転車を思い切り飛ばし、何とか間に合った。自転車をこぎ過ぎて足が鉛のように重い。なんかずきずきと脚が痛いし、手はすりむいて結構な血も出てる。
でも、今はそんなことはどうでもいい。
「三浦、俺はわかっている」
「わ、わかってるって、何が……」
車のライトに照らされた三浦の顔は、耳まで赤い。さっきから俺に目を合わせようともしないし、なぜかもじもじとしきりに下を向いて指をいじっている。朝からのこいつと同じだ。なんか違う気もするが、一貫して目が合わない。同じだ。
「三浦」
「な、なんだし、そんなあらたまって」
やはり目が合わない。今までそこそこうまくやってきたと思ったが、もう戻れないのかもしれない。そうでも仕方ないことを俺はした。
三浦の視線が下がる。その視界に映るように一歩前に出ると、三浦はビクリと肩を震わせる。本当は言うべきじゃない。
でも、言わずにはいられない。
「お前がまた、葉山に告白しようとしているのは分かっている」
「…………は?」
三浦の震えがピタリと止まる。顔を上げると、そこには何の感情もない。かろうじて読み取れる感情は、困惑。俺は構わず続ける。
「それはわかっている。ただその前に、昨日の質問に答えさせて欲しい」
「は?隼人に告白?昨日の続き?あんた、何言って――」
「言いたいことは分かる。邪魔すんなってのもわかる。でも聞いてくれ。これは俺のわがままだ」
俺は彼女を遮る。冷静になられると困る。俺が今していることは、まったく筋が通ってない。こいつの気持ちに割り込むことも、告白を邪魔することも、どう考えても正当ではない。関係ないからどっかいけと言われてしまえばそれまでだ。俺は早口で続ける。
「お前は俺に『自分のことが好きか』と聞いた。それに、答えさせてくれ。
お前が葉山のことを好きなのはわかっている。多分、今となっては誰よりも俺はそれを理解している」
「え、え、は?そんなこと言われなくても、あーしはあんたのこと――」
「いや、だからわかってる。言わなくていい。お前が見ているのは俺じゃないことは知っているし、見返りが欲しいわけでも、それに応えてほしいわけでもない」
ビキリと、三浦のこめかみに青筋が立った気がした。まずい。闖入をキレられる前に伝えなければ。俺は早口でそれを伝える。
いま、言わなければならない。
「ただ俺は、お前のことが――っていってぇ!?」
想いを伝える瞬間、殴られた。目の前の女に殴られた。え?は?痛い。とりあえず痛い。
殴られた腹を押さえながら見ると、三浦はやはり下を向き、俺とは目を合わせようとしない。また肩が震えているし、握りこまれた拳もプルプルと震えている。俺は舌打ちしたくなる衝動を抑える。やはり先にキレられたか。どっか行けと言われるとこまる――
「ねえ、あんた、バカ?何さっきからこっちの話も聞かないで、勝手なことばっか言ってるわけ?」
低く、冷たい声に思考まで遮られる。三浦は一つ一つ言い聞かせるように、言葉を放つ。弱みを見せてはいけない。俺が関係ない闖入者だと気づかれてはいけない。
「いや、だから、お前が葉山のこと好きなのはわかってるから、聞きたくないって言ってんだろ。その前にする話があると。お前こそ何言ってんだ。バカか?」
プチン。
その音は、確かに聞こえた。
そして、獄炎の女王は爆発する。
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!ほんっと、あんた、何っっっにも変わってないし!」
「な、なにを、俺は全部無視して、お前に気持ちを伝えようと――」
「結局自分のことばっかりじゃんあんたは!あーしの話なんて全然聞かないで!あんたは自分の都合押し付けるだけじゃん!あーしのことなんて考えてないんだ、ヒキオは!」
なぜか彼女はぶちぎれていた。意味がわからない。ここまでキレられるほど悪いことをした気はないが。もしかしたら女の子の日だろうか。
「い、いや、お前のこと考えてるから、今こうしてここにいるわけで――」
「うっさいうっさいうっさい!何勝手にわかった気になってんだしこのクソ鈍感!余計なことばっかわかるくせに、なんで肝心な時に何にもわかんないわけ!?」
「三浦!」
「もういいし!」
三浦は俺から背を向け、ドスドスと不機嫌を足音にし、どこかに行こうとする。行かせるわけにはいかない。とっさに彼女の手首を握る。彼女は俺に背を向けたまま立ち止まる。
「お前こそ、俺がなんでお前のこと諦めてたか、わかってねえのかよ」
「……え?」
それを聞いた瞬間、激昂していた三浦は俺に向き直り、俺に問い直す。
「今、諦めてた、って」
「ああ、そうだ。諦めてた。お前のために、俺とお前のこれまでの時間のために、諦めてた。
でも、もうやめだ。それを伝えにここまできた」
うつむく三浦とさらに距離を詰める。もう俺たちの間に距離はほどんどない。少し手を動かせば触れてしまいそうなほど近い。
そして彼女の耳元で、それを言葉にする。
「もう俺は、お前を。三浦優美子を諦める気はない」
「―――――ッッッッッッ!!!!!!!!」
ボン。そんな音が聞こえるかと思うほど、三浦の顔が真っ赤になる。それはもう、怒りではないのかもしれない。
「散々考えた。お前の隣にいて、いくらか助言をして、演説までさせられた。お前はいつでも一つの目標にひたすら向かっていった。その目に映っていたのはいつでも俺じゃなかった。俺はそんなお前が、一つのことだけに突っ走れるお前が羨ましかった。
でも、いつからかそれだけじゃなくなった。傍から見てるだけじゃ足りなくなった」
俺越しに彼を見ていた彼女。嘘を赦さず、彼だけを見て告白した彼女。彼に恥じないために会長となった彼女。
でも、俺はこう思ってしまう自分を結局抑えられなかった。
「比企谷八幡だけを、三浦優美子の目に映したいと思うようになった」
だから、俺は。
しかし言葉は続かない。俺の唇に指が当てられる。
「あーしだって、言いたい」
三浦は顔を俺に向ける。大きな瞳にはいっぱいに雫が溜まり、今にも零れそうだ。俺はそれを手で拭う。無意識だった。血と泥で汚れていることに気づき、反射的に引っ込めようとする。
しかしその手は、優しく包まれる。三浦の手に包まれる。彼女は顔と手が汚れるのも気にせず、俺の手を弄ぶ。
そして泣き顔のまま、弾けるように少女は笑う。
「やっと、つかまえた」
その笑顔は涙でぐしゃぐしゃで、俺の血と泥すら付いて、とても綺麗とは呼べない。でも、俺は心の底から思った。
やはり三浦優美子は、世界一可愛い女の子である。