あーしさん√はまちがえられない。   作:あおだるま

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やはり彼女はクレープよりも甘い。

「明日、か」

 

「そうだし。ったく、別にチョコ作るくらいのことで、海浜総合まで呼ぶほど大げさにしなくてよかったってのに……」

 

「まあ一色の提案だからな、諦めろ」

 

 放課後の生徒会室。少しばかり陽も傾き、俺と三浦の二人しかいない教室は肌寒い。三浦も寒そうに肩をさすり、せこせこと仕事をこなす俺に向かって、時折「ん」とティーカップを差し出してくる。

 ……ええ、淹れろってことですか。寒いから紅茶を入れろってことですか。文句を言っても無駄に終わるとわかっているのでそのたびに無言で紅茶を淹れる。砂糖を二個入れて混ぜる。

 つーかなにが「ん」だよ、長年連れ添った夫婦かよ。しかも男女の役割が逆な気がするし。あ、俺専業主夫志望だったからいいのか。これも花婿修行か。

 いや。俺はかぶりを振って思い直す。社会に出るにも「気働き」なるものは必要か。相手のして欲しいことを察し、それとなく行動に移す。「報告連絡相談もできないの」と「言われなきゃわからないの」はセットで使われるものだろう。いや言われなきゃわかんねえだろ、常識的に考えて。そんなことも言われなきゃわかんないんですか?

 

 三浦は俺から紅茶を奪うようにひったくり、書類に判を押しながらため息を吐く。

 

「どーにも、雪ノ下さん一色の頼みに弱くない?そもそもバレンタイン自体に乗り気じゃなかったのに、あんな頼みきいちゃうなんて」

 

「まああいつが一色に弱いのは確かにそうだろうが、結局お前も了承してるからなぁ」

 

「うっ……いやだって、結衣も乗り気だったし、一応一色はあーしが生徒会に無理やり入れたようなもんだから……」

 

 だから生徒会での願いくらいは聞くべき、か。俯く三浦の言葉を勝手に捕捉し、続きを引き取る。声には出さないが。声に出したらたぶん殴られる。俺は俺で事務処理に意識を戻し、キーボードに向き直る。

 

「ま、バレンタインも明日だし、今更うだうだ言っても仕方ないし」

 

 明日は毒見役ちゃんとやれよー。そう小さく笑い、三浦もまた手元の資料に意識を戻す。三浦、お前はそのチョコの中に、本物の毒物が混ざっている可能性があることをまだ知らない。ガハマさんがいるなら庶務として救急車を事前に手配しておくべきか、少し悩むところである。

 

 

 

 川崎の来訪から一週間。三浦の頼みと川崎の依頼をまとめる形で、生徒会主導でバレンタインイベントを企画することとなった。まあさっき言った通り、結局は一色のバレンタインイベント推しに雪ノ下と三浦が折れ、それを由比ヶ浜が援護して実現の運びとなった。まあイベントという体があれば気兼ねなく葉山を呼べるだろうから、三浦としてはまんざらでもないだろう。

 なにせそれこそ一色の狙いでもあり、彼女らの利害は一致している。一色の海浜総合から予算を引っ張ってこようという魂胆はせこいとしか言いようがないが。さすが俺たちにできないことを平然とやってのける後輩である。そこに痺れる憧れ……ねえよ。

 

 現在雪ノ下と由比ヶ浜は平塚先生にイベントについての報告をしている。一色は海浜総合高校との最終調整の最中だ。海浜側への交渉が主に一色に一任されたのは、前回のクリスマスイベントでのことで三浦と雪ノ下ではあちらの高校側と角が立つのではないか、という平塚先生お達しからだった。あっちの意識高い系生徒会長、結構ビビってたからなぁ。ご愁傷さまです、本当に。

 

 まあ、とはいえそれだけが分業の理由ではない。生徒会の人員は五人、とても多いとは言えない。タスクはある程度割り振る必要がある。俺は現在、明日のイベントについて関係者へのメールと生徒会の本来の事務処理を手掛け、三浦は俺の手掛けた資料のチェックをしつつ決算報告書とにらめっこの最中である。

 

 というように年度末のこの時期、イベントごとだけにかまけている暇はない。ここ数日はそれら業務に忙殺され、すっかりプチ社畜も板についてきた。……といってもそれは平塚先生も同じようで、最近は俺にも勝るとも劣らない腐った目で書類に向かっている。俺ら学生とは比べ物にならない社畜っぷりなのであろう。ああ、社会とか一生出たくない。家から出たくない。

 

 例に漏れず少し疲れた顔で書類に向かう三浦は、渋面を作る。

「げ、これ部活側への確認もいるとかメンド……こっちでチャチャっと済ませといてもばれなくない?」

 

「気にする人間もいるとは思えんが、少なくとも雪ノ下にバレたら大目玉食らうぞ」

 

「……はぁ。しゃーない、後で雪ノ下さんに聞いてからにするっしょ。あの人にバレたら説教長いし。今やれることもうそんなないし、そろそろ終わろっか」

 

 資料を棚に戻し、三浦は大きく伸びをしてのんきにあくびを一つ。その動作と連動して揺れる揺れる、揺れるよあれが。母性の塊が。

 ……あの、そういう仕草を無防備にやられると人並み以上に育った双丘がですね、ええ。どこがどうとは言いませんけどね。チラチラと見てないですからね。役得とか思ってないですから。いやまじで。

 

「ヒキオ、つーか見すぎだから。きっも」

 

 べべべ、別に見てないし。内心の動揺を押し殺し、俺はキーボードをたたく音を気持ち大きくする。タターン!どうですか僕の意識の高いキーボードさばきは。某スタバでマックいじりながらあえてブレンド頼むサラリーマンくらい意識高い。あの人たちマック壊れるくらいの勢いでキーボード叩いてるけど、パソコン大丈夫かなと八幡たまに心配になります。

 

 無視してキーボードをたたく俺を白い目で見て、三浦はケータイを取り出す。

 

「言っとくけどそういうの女子は分かってっからね。結衣もあんたがたまに見てくるって言ってたし」

 

「あの、嘘ですよね、三浦さん。嘘だと言って。いや、ここは嘘ってことにしないか」

 

「……いや、ほんとに見てんのかよ。最低だしこいつ。女の敵。もうシンプルに死ねよ」

 

 はめやがったこのアマ。はめるのは男の仕事なのに。おっと、こういうことを言うとまた白い目で見られる。ここは責任転嫁と論点のすり替えで誤魔化すしかない。

 

「嘘つく方が人としてどうかと思うが。俺以上にどうかと思うが。正直人間性疑うわ」

 

「あっ、じゃあ後で結衣にヒキオがあーしとあんたの胸ガン見してたって……」

 

「ごめんなさい僕が悪かったです見てました認めますだから許して」

 

 痴漢冤罪は百パーセント男が悪いのである。俺は素直に頭を下げる。別にやましいことは考えてないですけどね。はい。

 頭を下げたままでいると、上から偉そうな声が降ってくる。

 

「あーし、駅前のクレープ屋のバナナピーチホイップ520円が食べたい」

 

「……へいへい、喜んで」

 

 俺の返事も聞いているのかいないのか、三浦は既にケータイでクレープ屋のメニューを眺め、鼻歌を歌っている。

 

まあ、口止め料には安いくらいだろう。

 

 

 

 

 

 

「うーん、おいしい!」

 

「見てるだけで胸焼けするんだが……」

 

 三浦は俺がおごったクレープを公園のベンチに腰掛け、うまそうにほおばる。ふと、クレープなんかもう一生食わんかもなと、思った。

 何せ男が、一人で食うものとは最もかけ離れたところに位置する食べ物だろう。男が集団で食っている図すら思い浮かばないのだ。クレープを食す人間のイメージといえばカップルか、家族か、女子同士か。そのような買い手の内、俺はどれにも属していない。なんなら男友達も二人くらいしかいないし、家族のお出かけに参加したことも、ここ数年記憶にない。あれれ、なんか目から汗が……。

 

 甘すぎるであろうクレープと苦すぎる自分の人生に辟易とする俺に、三浦は呆れたようにため息を漏らす。

 

「あんたいっつも練乳そのものみたいなもん飲んでるくせに、よく言うし」

 

「マックスコーヒーか?それはマックスコーヒーのことか?」

 

「あの不自然な甘さより、よっぽど自然な甘さだと思うけどね」

 

「ばっかお前わかってねえな、あの不健全な甘さが暴力的にうまいんだろうが。病みつきになるんだろうが。お前それでも千葉県民かよ」

 

「わかりたくもないし、それなら千葉県民じゃなくていいんだけど……つーかそこまで言うなら」

 

 一人分開いていた距離を、三浦は小さく腰を浮かして詰め、

 

「ん」

 

 手にもったクレープを、俺に差し出してきた。

 

「……なんだ」

 

「なんだ、じゃないし。そこまで言うなら食ってから言えっての」

 

 こんなこと前もあったような……しかし三浦はいつも通り引く気はないらしく、クレープを俺にさらに押し付ける。

 

「いや、だから別に食いたい気分じゃなかったから買わなかったんだけど」

 

「だから、食いもせずに文句言うなって言ってんの」

 

 堂々巡りとはこのことか。三浦はなぜか明後日の方向を向きながら、今度は手だけをこちらに差し出す。

 

「……ほ、ほら、口開けろし」

 

「いや、だからんなこと言われてもな」

 

「い、いいから早く!」

 

 んぐ。彼女の持つクレープを口の中にツッコまれる。やだなんか卑猥……。

 

 そこまで言われると断ったときに後が怖い。仕方なく口を開き、三浦の持つクレープを味わう。パナナピーチという味はなかなか想像できなかったが、そこまで悪くない。生クリームは少々くどいが、バナナとピーチは思ったほどしつこくない。咀嚼しながら感想を述べる。

 

「まあたまになら悪くはないな」

 

「……そ」

 

 三浦は俺に差し出したクレープを手元に戻し、今度はじっとそれを見つめる。……いやいや。

 

「そんなに見つめても味は変わらんと思うが」

 

「う、うぇっ!?そ、そんなのあんたに言われなくてもわかってるし!」

 

 あーしに指図すんなヒキオのくせに。彼女はスネ夫君ばりの文句を口にしつつ、女子らしからぬ大口を開けてクレープにかぶりつく。

 

「……おいし」

 

 三浦は生クリームに覆われた口元をそっと手で隠し、小さく零した。

 

 意識しちゃうからそういう反応はやめて頂けるとありがたい。

 




あまりに中途半端な文字数になってしまったので、二つに分けます。続きは書けてるので明日にはあげます。

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