あーしさん√はまちがえられない。   作:あおだるま

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そして彼女のメッキははげる。

 

「で、ヒキオ」

 三浦に放課後連れ去られた翌朝。登校すると、なぜか俺の机には彼女が座っている。

 

 昨日は時間も遅かったのであの後すぐに各々下校し、事なきを得た。

 いや、俺の鞄という若干の犠牲はあったが、大きな被害ははなかった。血が流れることも一時は覚悟していたので、これはうまくやったと言っていいだろう。

 

「で、」じゃねえよ。

 なんで俺の机に座ってんだよ。

 ぼっちには軽く触れるべからず。

 

 俺はいろいろと突っ込みたいことを飲み込み、無言で彼女を見る。何か言ってもやぶへびになるだけだ。クラスメイトの視線が若干痛いが、三浦にはそれは特に気にならないらしい。

 

「昨日あんたが言ってたことだけど、…な、なに、具体的になんかいい考えでもあんの?」

 彼女はケータイをいじりながら、俺に横目で視線を送る。

 俺は昨日の自分を殴りたい衝動に駆られる。勢いに任せて適当なことを言うものではない。

 

「ん?なんのことでしょうか」

 授業の準備をしながら、俺はとぼける。

 

「はぁ?あんた自分の言葉には責任もてっつーの。…覚えてないとか言ったら、殴る」

 彼女は俺を見て口をとがらせる。本当に殴りそうで怖い。

 

 俺は心中溜息をつく。いや、覚えてるけど。自分で言っといてなんだが、無理があると思うんだよなぁ。

 大体あの葉山隼人を惚れさせられるヒューマンとか存在するの?それこそ戸塚レベルじゃないと不可能じゃないか?…駄目だ、戸塚はやらん!いや、まず女で探そうぜ。

 

「まあ、案がないこともない」

 俺はまた口から出まかせを言う。まあ、未来のことは未来の自分が何とかしてくれるさ。そうやって未来に先延ばしし続けて、彼女の記憶から忘却してくれればいいな!

 

「そーなん?…なんだ、あんたもたまには使えんじゃん」

 彼女は俺の背中をバシバシとたたく。

 ちょっと、痛いって。…おい、痛いよ?…あの、まじで痛いからやめて!

 

 男子ならだれでもあこがれるスキンシップに痛みしか感じなかった。朝からありえない。

 

「じゃ、とりあえず昼休みにあんたが飯食ってるところで話聞くから。どーせあーし海老名にじゃんけん負けるから、ジュース買いにあそこ行くし」

 

 課題にはまさかの期限付き。ありえない。じゃんけん弱すぎ。ありえない。

 

 

 

 

 

「じゃ、あんたが考えてる隼人をあーしにほ…惚れ、させる案、聞かせてもらうし」

 

 昼休み。彼女は本当にベストプレイスにやってきた。ああ、俺の聖域はこいつに汚されてしまった…

 

 しかし、気になることがある。

 

「お前、飲み物はどうした?」

 海老名さんとのじゃんけんで負けて、彼女はここにきている。ならば飲物は二つないとおかしいわけだが、彼女の手に持たれたのは一つのオレンジジュースのみ。

 

「え?ああ、そのこと。あー、それねー…」

 彼女はチラチラと後ろに回した片手を見る。…なんかやばいものでも隠してるわけじゃねえだろうな。

 

 彼女は息を吐くと、俺の頬に何かかたいものを押し付ける。なんかエロイ表現になったが、断じてそんなことではない。

 

「こ、これ、ありがたく飲めし。あんたそのくっそ甘いコーヒー好きでしょ?」

 彼女はそっぽを向きながら俺にマッ缶を差し出した。

 

 …なんのつもりだ?

 

「いや、何言ってんの?お前から施しを受けるいわれがねえよ」

 マッ缶を彼女の手に押し返す。俺は養われる気はあっても、施しを受ける気は一切ない。

 

「はぁ?あーしのおごったジュースが飲めないっての?」

 彼女はすごむが、内容は酔っ払いのそれである。つーかジュースって。いや、間違ってはないんだけどさ。練乳飲料だし。

 

「ま、まあ、なに?一応相談に乗ってもらうわけだし、これくらいは別にいいっしょ」

 彼女は頬をかき、またマッ缶を俺に押し付ける。しかし俺もここは引けない。

 

「どう考えても受け取る理由がねえよ。あれは俺が勝手に提案した、愚策ともいえんほどの皮算用だ。勝手に期待されても困る」

 

 彼女は押し黙る。どうやら俺を見ているようだが、俺は目をそらして昼飯を食う。だって怖いし、この人。

 

 昼休みのひと時を、静寂が支配する。

 

 それを破ったのは

 

「プシュッ」

 缶を開ける音だった。俺は怖いので、まだ横はむけない。

 

「ゴクゴク」

 のどを鳴らし、何かを飲む音がする。

 

「ん」

 

 ん?

 

 目の前には開けられたマッ缶が一つ。

 

「…おい、何のつもりだ」

 

「だから、飲みな」

 

 ここで俺は初めて横を向く。そこには

 

 笑顔を浮かべながら額に青筋を立てる三浦優美子がいた。

 

「…なんで一回飲んだのでしょうか?」

 恐怖のあまり敬語にもなる。おい、リップの跡とか残ってんじゃねえか。無理無理無理無理。いや、無理。

 

「は?嫌がらせに決まってんじゃん。人の好意を、つーか、あーしの気まぐれを受け取らない権利が、あんたにあると思ってんの?」

 

 彼女の顔には青筋が二つ、三つ…

 忘れていた。最近しおらしかったから、こいつが根っからの女王気質だということを忘れていた。ついでに俺がカースト最下層のさらに底辺にいることも忘れていた。女王としてのプライドを傷つけてしまったらしい。

 

 どうすればいい。

 

 俺は怒りが最高潮の彼女からいったん目をそらし、周りを見る。なにかないか。この状況をどうにかできるものは。

 このマッ缶に口をつけるのは、もはや論外。だが彼女の気まぐれは受け取らざるを得ない

 

 と、なれば。

 

「じゃあ、俺からも」

 俺は彼女に飲んでいたパックの牛乳を差し出す。彼女は息を詰まらせる。

 

「なに、遠慮することはない。もらったものの礼くらいは俺だってする」

 

 しかし彼女は少し身を引き、続く言葉は出てこない。ふ。どうやら俺の気持ち悪さは俺が思っていた以上だったか。女王をひるませるとは。さすが俺。

 

「…飲みたくないなら無理にとは言わん。それなら俺もそれを受け取れない」

 

 自分の嫌なことは、他人にしてはいけません。幼稚園で習ったことな。

 

 ぐうの音も出ない彼女を尻目に、俺は気分よく最後のサンドイッチを食す。うむ。サンドイッチと牛乳は、やはりよいな。

 

 残り少しとなった牛乳をとる。これでちょうどよく飲み終わるはず…

 

 しかし、置いたはずの場所に牛乳はない。

 

 チュー…

 

 嫌な音がした。

 

「ご、ごちそうになったし。…で、これであんたも飲むんだっけ?」

 

 頬を染めた三浦優美子は、それでもニヤつきながら飲みさしのマッ缶を俺に押し付けた。

 

 …まじかこいつ。

 

 誤算はただ一つ。彼女の負けず嫌いを甘くみていた。俺としては負けず嫌いよりも「三浦優美子乙女パワー」が勝ると思っていた。そこは恥じらえよ。飲めるか!っていうツッコミいれろよ。

 

 いっそわざとこぼすか?

 

 しかし金色に輝くマッ缶を前に、俺にはどうしてもその選択が取れない。くそ、このマッ缶への海よりも深い愛情が憎い。

 

 仕方ない。

 

 毒を食らわば皿まで。俺は缶ごと食いつくす勢いで、一気にそれを飲みほす。

 

「…ごちそうさん」

 そっぽを向いて、彼女にマッ缶を押し付ける。温か~いマッ缶はやはり、体まで温まる。

 

 おかげで頬まで熱い。

 

 「お、お粗末様、だし」

 

 おい、それ色々とおかしいだろ。

 

 

 

 

 

「じゃあヒキオ、とりあえずどんな案があるか聞かせてもらうし」

 あの後、若干妙な空気になりながらも、彼女はそう切り出した。

 

「どんな、といわれてもだな…」

 俺は言葉を濁す。あるにはあるんだが、これ言いたくないんだよなぁ…

 

「あ?さっき言ったけど、この期に及んで口から出まかせだった、とか言うんだったら」

 彼女はボキ、ボキ、と両拳を鳴らす。おおよそ女子高生が出していい音ではない。

 

「まて、落ち着け。策なら、ないこともないといっただろ」

 俺は両手で彼女を制する。ドウドウ。気分はジョッキー。それかマタドール。

 

「そうだな。まずは形から入ったほうがいいだろうな」

 

「形から?外見からってこと?」

 彼女は珍しくふむふむ、と素直に俺の話を聞く。よろしい。人に教えを乞う時はこういった素直さが肝要だ。

 

「そうだ。ちなみにお前、異性に外見について何か言われることはあるか?」

 

 三浦は頭をガシガシとかきながら、自らを指差す。

「あー、あーしってほら、綺麗じゃん?スタイルもいいし。だから基本男どもはその辺ほめるよ ね。別にどうでもいいやつに褒められたってどうでもいいけど」

 

「…その傲慢さは何とかならんか?」

 

「あ?」

 

 ごめんなさい。つい思ったことが出てしまった。

 

「あー、まあなんだ。つまりあれだ。基本褒められる、と」

 俺はすぐに取り繕う。

 

「ま、そうだし。隼人も大体あーしのことほめてくれるけど?」

 いや、そこでふふん、と胸を張られても。俺としてはその胸とかほめたいところだけど、セクハラになるらしいので止めておく。ガハマさんには勝てないしね!

 

「葉山は大概の奴を褒めると思うけどな。

 …いや、そういうことが言いたいんじゃなくて」

 彼女の眼光が鋭くなり、俺は目を背ける。逆に葉山が貶す相手がいたら、そっちの方が脈アリじゃねえのか?

 

 誰にでも褒められる、ねぇ。問題はやはりそこか。

 仕方ない。言うか。適当なこと言っても一蹴されるし。

 

 俺は意を決して、口を開く。

「…その化粧、どうにかならんか?」

 

「あんた、死にたいの?」

 

 ちょっと、その辺にある大き目の石を片手に持つのはやめてください。ほんとに、死ぬ。

 

 今度は俺が頭を掻く。これ以上険悪にしては話し合いにすらならない。

 

「すまん、俺の言い方が悪かった。別にお前の化粧が悪い、とか言いたいわけじゃない。そもそも化粧のことなんて、俺にはまったくわからん。でもな」

 

 一息に言い切る。言いよどんだら、死ぬ。

「男子高校生は、女子高校生に過度なメイクなんざ求めてないんだよ」

 

 両手で体を抱え、飛んでくるであろう暴力から自らの体を守る。さすがの俺も、失礼なことを言っている自覚はある。彼女は毎日時間をかけてメイクをしているのだろう。それを否定するなど。

 

 しかし、これは真実でもある。そしてあざとい女子なら、というか、普通の女子ならとっくに知っていてしかるべきだ。

 気合いを入れすぎれば、何事も誰かからツッコミが入るからだ。ワックスで頭がテカテカになった中学二年の春を思い出す。誰か言ってくれなきゃ、気づけないんだよ…

 

 しかし、彼女にはその相手がいないのではないだろうか。つまり、彼女に対して面と向かって、気楽に「力入れすぎwww」と言ってくれる相手が。

 

女王としてならばそれでいい。しかし、1人の女子としての魅力を考えるならば。

 

 彼女からは反応がない。恐る恐る目を開けると、そこには目を丸くした三浦優美子がいた。

 

「…そーなん?」

 彼女は心底不思議そうに、俺に尋ねた。俺は胸をなでおろす。

 

「ああ、そうだと思うぞ。社会人ならともかく、高校生でケバイのは普通引かれるだけだろ」

 彼女の眉がピクリと動く。ああ、また余計なことを。彼女と話しているとつい余計なことを言いたくなってしまう。この女王、いちいちリアクションがわかりやすいのだ。

 

 とはいっても怖いものは怖い。俺は一応付け足す。

 

「それにお前自分で言ってただろうが。綺麗でスタイルもいいと。まあ、その自己評価はまちがってねえよ。

 だからその、なんだ。ある程度化粧薄くすれば、葉山にお前の素の良さが伝わって、印象も多少変わるんじゃねえの?知らんけど」

 俺は小石をいじりながら、彼女の方を見ずに吐き捨てる。責任は負いませんよ、の意味の「知らんけど」便利すぎぃ。

 

「だ、だからヒキオのくせに何上から物言ってんだし!…でも、もしかしたらそーかもね。あーし隼人と同じクラスになってからは、特に毎日気合い入れてメイクしてっから…」

 

 あ、そうだったんですね。ほんと乙女、あーしさん。

 

「ま、ヒキオにしては少しはあーしの役に立てたんじゃない?本望でしょ」

 彼女は俺に笑いかける。この笑顔も、見慣れてきた。しかし目は合わせられない。

 

 俺は雲を見ながら、つぶやく。

「ありがたき幸せ」

 

 

 

 

 

 

「…で、結衣。あんたメイクとかどうしてんの?」

 放課後の部室。三浦は持ち前の行動力で、早速由比ヶ浜に化粧について尋ねていた。相談相手の俺の前で臆面もなくこういうことを聞けるのは、この女の良いところだろう。俺ならば自意識が邪魔をしてしまう。

 

「え?あ、あたしの化粧?うーん、たぶん普通だと思うけど…」

 ケータイをいじっていた由比ヶ浜は、突然の質問に言いよどむ。

 

「その普通、ってのがよくわっかんないんだよねー。誰も教えてくんないし、誰かさんはあーしの化粧が女子高生の感じじゃない、とかほざくし」

 俺をぎろりとにらむ。なんだよ、納得したんじゃなかったのか。まだ根に持っていたらしい。

 

 俺は目を合わせないよう、文庫本に視線を移す。

 

「まあ、あなたのその厚化粧は女子高生のそれか、と言われれば確かに首をかしげざるを得ないわね」

 本を読んでいた雪ノ下も話に加わる。やばい、戦争が始まる。

 

 そう直感して本の世界に没入しようとするが、特に怒声は聞こえない。

 

「あー、雪ノ下さんは肌めっちゃ白いけど、どーゆーメイクしてんの?」

 三浦は雪ノ下の発言を特に気にするわけでもなく、直球で尋ねる。

 

 …そうか。恐らく今の彼女にとっては由比ヶ浜や雪ノ下といった、自分よりもモテる同性の意見は貴重なのだろう。

 

「い、いえ。私は基本的にノーメイクだけれど」

 彼女のいつもとは違う態度に、逆に雪ノ下のほうが戸惑う。由比ヶ浜も同じ気持ちだったのか、目を丸くして三浦を見る。まあ、昨日まで不機嫌の絶頂だったしな。

 

「えっ、まじ!?雪ノ下さんそれで化粧してないの?ちょ、うそっしょ」

 彼女は席を立ち、雪ノ下に歩み寄る。雪ノ下は体をこわばらせるが、三浦はそれも一切介さず、雪ノ下の肌を触る。

 

「うっわ、ほんとだし。化粧してない。…てか、流石にスベスベすぎない?雪ノ下さんどーゆー化粧水使ってんのこれ」

 三浦は雪ノ下の頬を何度もこすりながら、まじまじと彼女の顔を見る。

 うわぁ。なんか急に女子の部室っぽくなってきた。

 

「あ、それあたしも気になる!ゆきのんの肌メイクもしてないのにありえないくらい綺麗だから、聞きたかったんだよね」

 今度は由比ヶ浜が雪ノ下のもう片方の頬を撫でる。なんか動物をめでる部活みたいになってますけど…

 

「姉さんがおいていく化粧水を適当に使っているだけだけれど…」

 当の雪ノ下は、突然の出来事にどうすればいいかわからないのか、本を開いたり閉じたりしている。…ほんとアドリブきかないなこいつ。

 

 しかし、散々褒められたことで余裕が生まれたのか、雪ノ下はご高説を垂れ始める。

 

「大体、基本的に肌というのは化粧水云々の問題ではなく、規則正しい生活、栄養バランスの良い食生活、毎日の睡眠によって作られるものではないかしら。そんな一朝一夕でどうにかなるものではないと思うのだけれど」

 ない胸を張って、彼女は二人に力説する。二人とも感心しているが、大事なものが一つ抜けてないか?

 

「おい、「適度な運動」が抜けてるぞ。体力づくりのためにもお前には必須だろ」

 俺の横槍に、彼女は渋面を作り舌打ちをする。

 

「そんなもの、陽に当たるだけ肌にはマイナスだわ。それとあいにく、考えなしに生きているあなたと違って、私のエネルギー消費は頭脳労働だけで間に合っているの。それと、あなたこそもう少し陽に当たったほうがいいかもしれないわね。引きこもり君?」

 

「いや、頭脳労働関係ねえだろ。それにそれだとただの引きこもりだろうが。比企谷だ比企谷」

 

「あら、ごめんなさい。比企谷くん」

 

「おい、読み方「ヒキタニくん」は漢字じゃ伝わらねえからな。あとそれはリアルにやられる間違いだからやめろ。ネタにならん」

 ふう。このくらい喋っておけばよいだろう。

 

 今日もノルマを達成した俺は、今度こそ文庫本に目を落とす。三浦が来てからというもの特に、少しは部室で話しておかなければ自分がなんでここにいるのかわからなくなるのだ。なにそれ哀しい。

 

「で、結衣はどんな感じで化粧してんの?」

 三浦は思い出したように由比ヶ浜に尋ねる。

 

「あたしはほんとに特にないよ。学校に来るときはできるだけうすーくするように気を付けてる、くらいかな?基本アイメイクはしないし。…よっぽど気合い入れた外出くらいじゃないと」

 由比ヶ浜はそわそわと髪の毛をいじりながら答える。気合い入れた外出、ねぇ。彼女のキョドり具合から察するに、ライブかコミケですね。わかります。

 

「やっぱそんなもんなんだ。…あーしもも少しうすくしてみよっかな…」

 

「そっちの方がいいかもしれないわね――」「絶対そっちの方がいいよ!優美子、かわいいし!!」

 珍しく即答する雪ノ下の言葉を、由比ヶ浜が引き取る。

 

 そう。三浦に必要だったのは、こうやって指摘してくれる同性だったのだ。俺にはいなかったけど。…い、いいもん。俺には小町がいるし。中二のある朝、気合い入れて髪型セットする俺に、小町は「それ、キモイ」と一言言ってくれたし。あれ、思い出したら泣きそうなんだけど、あれは小町の優しさだよね?

 

「そ、そう?じゃあ今度試してみるし」

 二人の予想外の反応に若干引きながらも、彼女はうなずく。

 

 話がまとまったところで、鐘が鳴った。本日の部活、もとい女子会は終了である。あれ、俺の存在価値って…

 

 

 

 

 

 

 翌朝。学生の身分である俺は、せかせかと登校し、教室のドアを開ける。クラスメイトたちは何やらいつもと違って、というかいつもより一層騒がしいが、おれはいつも通りである。いつも通り、調子は良くない。目の濁り具合もゲームでほぼ徹夜だったため、むしろいつもよりいい具合だろう。

 

「ヒキオ、あんたくんのおっそい」

 そして、朝からこいつの相手である。

 

 いや、ほんとに勘弁してほしい。まじでせめて机じゃなくて椅子に座ってくれ、椅子に。お前が机で脚組んでいると、目のやり場に困る。その…見えちゃうだろうが。

 

 教室に入ったときから、彼女から、というより彼女の脚から意図的に目をそらし、授業の支度をする。ちょっと、朝からしんどいんだけど。

 

「ヒキオ」

 

 さて、一限目は…よし、数学。睡眠の時間だ。

 

「…ねえ、あんた何無視してんの?」

 

 二限目は…げ、現国。それは聞いてない。二限目現国は聞いてない。これは一時間目に集中して寝ておかなければ。

 

 ドガッ!!

 

 

 Q.これは何の音ですか? 

 

 A.三浦さんが俺のむこうずねを蹴飛ばした音です。

 

 

「ちょ、おま、加減ってもんを知らねえのか…」

 

 俺はむこうずねを押さえながら、毒づく。正直、涙が出るくらい痛い。

 こういう類の暴力って、女がやっても男がやっても大して痛みは変わらない気がするのに、なんで男がやったら絶対悪で女がやったら許されるんだろうな。重ねて言うが男女平等主義の俺としては、そのあたりをもう少ししっかりとしてもらいたい。

 

「は?朝っぱらからあーしのこと無視するあんたが悪いっしょ?」

 

「なら朝っぱらからむこうずね蹴とばすのは許されんのか、よ…」

 顔をあげて今日初めて彼女をみる。が、彼女の顔を見た俺は、続く言葉が出てこない。

 

 あの、どちら様で?

 

「あー、お前、三浦優美子…だよな?」

 

「…よし、あんた朝からあーしにグーで殴られたいってことね」

 

「ごめんなさいむこうずねだけで十分です」

 俺は即謝罪する。うむ。この傲慢さ、野蛮さは確かに三浦優美子のそれである。にしても

 

 俺はもう一度、クラスのざわめきをうっとうしがる三浦に目を向ける。

 …化粧で女は変わる、とはいうが、逆のパターンもあるらしい。

 

「あ?なにじろじろみてんだし。…な、なんかおかしいとこでもある?」

 彼女は手鏡を取り出し、髪型、メイクをチェックしなおす。

 

「別に、問題ねえ。メイク変えておかしくなったら、半分は俺の責任だしな。そうならなくて心底安心した」

 

 彼女は数秒黙るが、次の瞬間にはいつもの不遜さを取り戻す。

「ふ、ふん!ま、あーしだしね。メイクぐらいじゃオーラはゆるがない、っていうか?」

 

 さすがあーし、と三浦は手鏡を見て鼻歌を歌いだす。いや、オーラは正直かなり薄まっているのだが…俺はもう一度目の前の女子を見る。そう、有り体に言ってしまえば

 

 こいつ、こんなにかわいかったか?

 

 いかん。

 

 俺は自らを戒める。血迷うな。これはそう、あれだ。例えるならば、なんとも思っていなかった女子の意外にかわいい私服姿を、街中で見てしまった時の感覚に似ている。いつもとは違うギャップがそう思わせている、一種のまやかしにすぎない。すぐに慣れる。そして慣れれば何とも思わなくなる。

 

「で、お前今日はなんでここに居んの?」

 

「化粧薄くしろって言ったのはあんたっしょ?だから隼人が来る前に責任もって見てもらおうと思ったの。

 …クラスの連中はあーしに近づこうとしないし。結衣はかわいいかわいいって連呼するだけ。海老名は…朝から必死によくわからん本読んでるし。一番普通にあーしに意見しそうなの、あんただけなわけ」

 

 いや、そんな平常心ではなかったけどな。どうやら内心の動揺は隠せていたらしい。

 

 由比ヶ浜を見ると何やら頬を膨らませてこちらを見ている。海老名さんはよだれを垂らしながら机にかじりついて本を読んでいる。…たしかに、あれには関わり合いになりたくない。

 

 では、他のクラスメイト達は。

 

 葉山グループのサッカー部連中ははまだ朝練があるのか、来ていない。それ以外の男子たちの視線は分かりやすい。一割が好奇の視線を送り、九割が下心を持った視線を送っている。まあ男なんてそんなもんだ。俺もその九割だしな。

 

 しかし、他の女子たちの視線となると、なかなか複雑だった。ある者は単純な賞賛の眼差しを、ある者は羨望の眼差しを、ある者は侮蔑の眼差しを、そしてある者は嫉妬の眼差しを向けている。…やはり、女子はよくわからん。

 

 朝から騒々しかったが、ホームルームの時間も近くなり、サッカー部の連中が朝練から戻ってくると、それはより一層のものとなる。

 

「おはー。いやー、まじ今日の練習やばかったわー。いろはす厳しすぎだべー」

 言葉のわりに元気そうに話すのは、言うまでもなく戸部である。

 

「はは、まあ、いろはもよくやってくれてるよな」

 そしてその後ろにいる、朝からさわやかオーラをまき散らすイケメンは、これまた言うまでもなく葉山隼人だ。

 

 さて、どう来る。

 

 三浦も少し緊張しているのか、自慢の縦ロールをくるくる巻きながら、葉山の前に立つ。

 

 だが、口を開いたのは。

 

「あー!あ、あれ?んん?優美子、いつもと違うような…なんかいつもよりかわいくない?あ、い、いっつもかわいいんだけど、今日はいっそうやべー、ってか」

 

 軽薄な茶髪カチューシャ。おまえじゃねえよ。

 

 たぶん、クラス中が戸部にツッコんだ声が俺には聞こえた。なんでこの男は肝心な時に空気読めないのだろうか。

 

 しかしもはや三浦の目には戸部など映ってないらしい。彼女は頬を染め、葉山に上目遣いを送る。

 

「お、おはよ。隼人」

 恐らく彼らの間で何十回、何百回とくりかえされてきたであろう挨拶。三浦にとっては間違いなくいつもとは違うものになったはずだ。

 

 彼にとってはどうだろうか。

 

「ああ、おはよう。優美子。…そろそろホームルーム始まっちゃうし、席に座ろうか」

 彼はいつもと同じ、柔らかい声を三浦にかける。

 

「う、うん。そうだし。…今日朝練大変だったん?」

 三浦もそれに、普通ではまず出さない、女子の声を出していつも通りに応じる。

 

 そうこうしているうちに、鐘が鳴り、平塚教諭が教室に入る。

 

 …これはどうだったのだろうか。元々有効な作戦だったとは思ってはいなかったが。彼女の無理に上げた声のトーンが、耳から離れない。

 

 昼休みが来るのをこれほど嫌に思うことも、ないのではないだろうか。

 

 

 

 


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