あーしさん√はまちがえられない。   作:あおだるま

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やはり彼女も女子である。

 

 

 彼女の突然の誘いから約二時間。俺は彼女の買い物にひたすら付き合わされた。

 

 付き合わされた、とは本当に文字通りである。ただ後を歩き、荷物を持つ。いや、それだけならよかった。問題は矛先が俺に向いた時である。

 

 彼女が二つのシャツを広げて悩んでいるときだった。ふと彼女は俺を見る。

「そういやあんた、普段服とかどーゆーとこで買うん?」

 

「いや、特にはねえな。…親か小町が買ってきたものをそのまんま着てるって感じか」

 

 というかそもそも、服を選んで買うという概念がなかった。そこに用意されていて、それを適当に着るだけだ。だから正直女子がここまで服選びに時間をかける理由が、俺にはよくわからない。

 

…コスプレは別である。あの時の俺は、すでに死んでいる。

 

「はぁ!?じゃああんた、自分で服選んだりしないわけ?」

 彼女にはどうやら俺の言葉は信じられないものだったらしい。俺にはお前の方が信じられないんだけどな。

 

「ああ。つーか、そんなもんに払う金があったらほかにいくらでも欲しいもんがある」

 ラノベの新刊とか、新作ゲームとか、ブルーレイボックスとか。一瞬で金は飛んでいく。

 

「…へー、言うじゃん。あーしがこんな悩んでんのに、そんなもん、ね」 

 彼女の眉間にしわが寄る。

「服選んだこともないくせに、そーゆーこと言うんだ」

 

 しまった。付き合わされているお返しに嫌味の一つも言いたくなったのだが、彼女が負けず嫌いだということを忘れていた。

 

「わかった。ヒキオ、こっちきな」

 彼女はおいてあった二枚のシャツはそのまま、メンズの服売り場へ向かう。俺も仕方ないのでついてゆく。

 

 彼女は一通り店内の服を見ると、まさに疾風のごとき速さで俺に何点かの服を押し付けた。

 

「これ着て来いし。あそこに試着室あるから」

 

「いや、だから俺服に興味ないって言ってんだろ…」

 

「はぁ?あんたしたこともないくせに、服選ぶこと馬鹿にしたっしょ。…馬鹿にすんのは経験してからだし」

 彼女はにやりと笑う。ぐ…。俺の信条と過去の言葉に首を絞められるとは。確かに経験したことのないものは、判断できない。

 

「…ちょっと待ってろ」

 試着室のカーテンを開ける。びっくり!イケメンになってても知らねえからな。

 

 彼女の選んだ服は暗いカーキのブルゾンに、オフホワイトのパーカー、グレーのタンクトップを裾だしし、ボトムスは黒のスラックス。ご丁寧にブラウンのストールまでついていた。なにこれ、この人あの一瞬でここまで選んでたの?超能力者かなにか?

 

 颯爽とカーテンを開ける。どやっ。彼女に俺の男前ぶりを見せつける。

 

 さて、三浦の反応は。

 

「ぷ…あ、あんた…うん、よく似合ってるんじゃない?ぷ…くくく…」

 

 はい、爆笑でした。

 

 いや俺だってびっくりしたよ、鏡見て。

なんでこんなことになったんですかねぇ。顔はそこそこいいと思ってたから、信じられないイケメンになってたらどうしよう。そんな風に思ってた時期が僕にもありました。

…だから小町と親はいつもああいう服買ってくるわけだ。ユニクロみたいな。

 

 まあなんにせよ、これでおしゃれ<サブカルという図式は証明されたわけだ。当初の目標は達成されたから良しとしよう。…これからの俺はおしゃれが不可能だということも証明されました。おつかれでしたー。

 

「でもなんでだろ…あんた顔もスタイルも別に悪くないんだけど…」

 一通り笑った後、彼女は本気で顎に指を当てて悩みだした。確かに俺もそう思ったんだけどな。たぶんその前に決定的に悪い部分が、八幡あると思うの。

 

「あのー」

 

 一人の女性店員がニコニコと俺と三浦に話しかけてくる。感じの良いお姉さん、という風であまりアパレル店員という印象を受けないところに、俺は好感が持てた。

 

「これとかお試しになられてはいかがでしょうか」

 彼女が差し出したもの。黒い縁にレンズが二つ。

 

 そう。眼鏡である。

 

 俺の店員のお姉さんへの好感度が一気にマイナスに振り切る。いや、だから悪いところは自分でもわかってたよ?

 

聞くところによると、人の顔の美しさというのは足し算ではなく掛け算らしい。いくら輪郭が100点、鼻の通りが100点、口元が100点でも、他のどこか一つが0点だと、総合的には0点になるわけだ。

俺の場合、目が0点どころか、マイナスなのである。なまじ他がいいだけに、掛け算するとマイナスが大変なことになる。はちまん、マイナスとプラスの算数くらいできるよ?

 

「え?…あぁ、なるほど。ありがとうございます」

 三浦は店員からメガネを受け取り、礼を言う。あなたちゃんとした言葉遣いもできるのね。

 

 「これ、かけろし。その腐った目を隠しきれるのかは知らんけど」

 彼女はまた鼻で笑い、俺に眼鏡を押し付ける。思えば生まれてこの方眼鏡などかけてこなかった。物は試し。どうせついでだ。

 

「ほれ、どうだ」

 俺は下を向いて眼鏡をかけ、彼女を見る。鏡を背にしているので、自分ではどんな出来かわからない。

 

 しかし、彼女からの返答はない。目を丸くし、まじまじと俺を見るばかりだ。

 

 おい、着させてつけさせたんだから、せめてリアクションはしろ。

 

「わぁ、とってもお似合いです。お兄さん、イケメンだったんですね!」

 

 褒められるのはうれしいのだが、お姉さん、その言葉にとげがあるどころかぶっ刺さりまくってるのは気のせいでしょうか。

 

 店員の言葉で三浦も我に返る。咳ばらいを何回かし、俺から目をそらす。

 

「ま、まあ、なに?別に悪くないんじゃない。見れるようにはなったし」

 

 褒められてるのか貶されているのかよくわからんが、まあこれでもういいだろう。俺はさっさと眼鏡を外し、カーテンを閉める。まあとりあえず。

 

 誰が二度とおしゃれなんぞするか。

 

 

 

 

 

 彼女の買い物に付き合い、ついでに着せ替え人形にされた後、三浦は俺がまず入らないであろうリア充色150%のカフェに入る。なんでコーヒーに500円も払わなきゃいけないんだ。別に苦いコーヒーが嫌いというわけではないが、マックスコーヒーのほうがうまい。甘いし。

 

 彼女は舌を噛みそうな「なんたらフラッペ」とかいうものを頼んだ。なにそれくっそ甘そう。メニュー見てもよくわからんかったから、とりあえずブレンドにしたが。

 

 そんなことより、である。

 

「で、なんのつもりだ」

 俺はフラッペをほぼ飲み終えた彼女に声をかける。色々と言いたいことはあるが、もろもろ含めての質問だ。

 

「…別に。ただ暇で買い物したかっただけだし」

 彼女はフラッペの残りをストローで吸いながら、窓の外を見る。…あくまで自分から言い出す気はないわけか。

 

 心底面倒だ。俺はガシガシと頭をかく。

「そういうことじゃねえよ。最近のお前の行動、態度全般について聞いてんだよ」

 

「はぁ?そんなのヒキオに関係ないじゃん」

 彼女は俺をにらむ。だが、その目には力がない。

 

「そうだな。俺もそう言えたら楽だったんだが、被害をこうむってんのはこっちなんだよ。部室の空気悪くされて、かき回されて、落ち着いて本も読めない。

 まあそれでも俺はまだいい。目は滑るが、別に少し我慢すればいいだけだ。

 だが…今の言葉、由比ヶ浜にも言えるのか?」

 

 彼女は言葉に詰まる。そこで由比ヶ浜の気持ちを無視して、開き直る女ではないことは知っている。

 

「空気悪くしてることはお前だって自覚があるだろう。だがお前はそれでも部室にきて、そして雪ノ下からたしなめられても、由比ヶ浜からなだめられても態度を改めなかった。…いや、改めることができなかった」

 

 俺は息を吐く。

 

「おまえは、やっぱり助けてほしいんだろうな」

 

 彼女の行動を説明するには、結局この結論しかない。

 

 彼女は部の空気を悪くしていた。それは彼女の機嫌の悪さからくるものだ。そしてそれは奉仕部でだけではなく、教室でもそうだった。彼女は常にイラついているように俺には見えた。

 

 ではなぜ奉仕部に来つづけたか。彼女は何に不満を持っていたのか。

 

 雪ノ下の言っていたことはまちがっていない。三浦は悩みを抱えている。

 しかし、それを相談するのではなく、あくまで気づいてほしかったのだ。だれかに、どこかで。悩みとして相談し、打ち明けることは女王としての彼女が許さなかった。…それは、その悩みの内容が、女王としての彼女を揺るがすものだからに他ならない。雪ノ下に対してそんな自分を見せることができなかったのだ、彼女は。

 そしてそれを望める相手が、彼女の人間関係では奉仕部しかいなかった。本来ならば葉山の仕事ではあるが…この問題は、葉山に話すことはできないだろう。

 

 昼休み、トイレから戻ってきた後の彼女の豹変。女子たちの三浦への視線。導かれる解は。

 

「…誰が誰を助けるって?」

 彼女はらしくない暗い瞳を俺に向ける。そんな目をされても、何の圧力も今は感じない。

 

「別に俺は欠片も助けようなんて思っちゃいないんだがな。部長の意思はお前を助けることらしい。俺としても、これ以上読書がはかどらないのは気持ち悪い」

 

 俺は彼女をしっかりと見返し、大きく息を吸う。

 

 うまく声が出せるだろうか。

 

「『あの女、抜け駆けして葉山君に告ったらしいよ。まあ結局振られてるんだから、女王とか言ってても大したことないよね。その他大勢と一緒じゃん。つーか、流石に調子乗りすぎでしょ』

 …大方こんなところか?」

 

 俺の言葉を聞いた彼女の表情。

 

 怒り、羞恥、そして…恐れも俺には見えた。

 

「あ、あんたきいてたわけ?」

 

「別に聞いてねえよ。ただ状況から判断して、昼休みのトイレで陰口でもたたかれてたんじゃねえかと思っただけだ。教室で女子からあんな目を向けられた経験もないだろうな、お前は」

 

「そこまでわかってんなら…!!」

 

 彼女は言いよどむ。その先は、言えないだろう。

 

 三浦は葉山に告白したことで、女子から陰口をたたかれていた。

 

 それは仕方ない帰結ともいえる。葉山は学年問わず女子のあこがれの的。にもかかわらず浮いた話が持ち上がらないのは、「葉山隼人はみんなのもの」という共通認識がある程度女子の中にあったからに他ならない。…なにより、葉山自身が誰よりもそれを望んでいたのかもしれない。

 

 そして女子たちの嘲笑。以前の彼女なら、女王なら、それを受けながすなり直接突っかかるなりしただろう。

 

 しかし彼女は葉山に一人の女として告白し、普通に振られ、普通に泣いた。普通の女子のように。

 クラスの、学年の、学校の女子たちは今までのように三浦優美子のことを畏れるだろうか?一目置くだろうか?そのカリスマ性は、今まで通りであり続けられるだろうか?

 

 そう、彼女は怖いのだ。三浦優美子は今まで女王だった。男子も女子も彼女に一目置いていた。それは彼女に備わっていたカリスマ性によるものだろう。彼女の迷いのない行動は、そのカリスマ性が土台となっている。

 

 彼女が恐れているのは、女王を疎ましく思う視線ではない。そんなものには彼女は慣れ切っている。

 彼女が怖いのは、一人の女子を、ただの「三浦優美子」を、軽く見る視線。彼女は今それに恐怖している。だから彼女はこのことを奉仕部に相談できなかった。女王として、弱い自分を認めたくなかった。

 

 そして彼女は今日俺を誘った。

 

 理由は二点ほどだろう。一つは、男であり明らかにカースト下位の人間とのやり取りでの自信の回復。加えて彼女が修学旅行での件を俺への貸しだと感じているならば、二つ目はそこからくる、俺が悩みをどうにかしてくれるという淡い期待。そこまで思っては穿ちすぎだろうか。

 

 

 俺は彼女の言葉を引き取る。

 

 「そうだ。どこまでわかっていようが、この問題は本来、俺たちにはどうしようもない。大体本人にどうにかしようとする気がないことまで、俺たちがどうにかできるわけがない」

 

「それでも、あーしはただ、隼人ともっと近づきたい、知りたい、そう思っただけだし…なんつーか、今のままじゃ居心地も悪いし」 

 

 彼女の声はしぼむ。俺たちの間に静寂が下りる。

 

 目の前にいる女は下を向き、俺を見ようともしない。指は意味もなく髪に当てられ、意識はどこにも向かってはいない。

 

 ああ。どこまでも、どこまでも彼女らしくない。これを女王といえるのだろうか。

 

 なぜか無性に腹が立った。らしくない彼女に。拒絶も、許容もしなかった彼に。そして…結局このやり方しか出来ない、俺自身に。

 

 俺は彼女を、それでも鼻で笑う。

 

「なるほどな。自らとった告白という選択の甘いところだけを味わいたい、ってところか」

 

 俺の挑発的な言葉に、彼女は顔をあげる。しかし、俺は続ける。

「さっき雪ノ下に、何様だ、とか言ってたっけな。そういえば俺もずっと聞きたかったんだが」

 

 一息つく。

 

「何様のつもりだ、お前は」

 彼女の眉がピクリと動く。

 

「知りたかっただけ?近づきたかった?

 都合のいいこと言ってんじゃねえよ。

 選択肢のマイナスもひっくるめて、それを選んだのはお前だろうが。ならそのマイナスも受け入れるのが筋じゃねえの?

 受け入れるのが嫌なら逃げ出すなり、また別の選択をとるなり、やりようはいくらでもあるだろうが。不機嫌垂れ流して、周りに気ぃ使わせても、何にもならねえよ。

 由比ヶ浜はいつまでお前の不機嫌に付き合ってくれるんだろうな。雪ノ下だって今は優しいが、最終的にはまたお前が泣かされるのがオチだろ」

 

 俺は最後に、一言だけ付け加える。

 

「いつまで女王様の椅子にしがみついてるつもりだ。…その椅子は、もうお前のもんじゃねえ」

 

「あんた…っ!!」

 黙っていた彼女は何かが爆発したように、テーブル越しに俺の胸ぐらをつかむ。その目には真っ赤な獄炎が宿っている。俺はその目に一瞬ひるむが、何とか口の端を持ち上げる。

 

 そう、この問題はだれにも、どうしようもない。

 

 別に三浦が直接的に被害を受けているわけではない。女子たちに陰口をやめるように言って回ることもできない。

 …本当のことを言えば一人だけ、それを行える人間がいる。しかし彼にそれを求めることは、少なくとも俺にはできない。その義理が彼にはなく、それを彼に求める権利が俺にはない。

 

 だから結局は、彼女の気持ち次第なのだ。それを受け入れるか、気にしないか。

 

 そして自信の喪失した彼女の精神では、それはどちらも不可能に近い。問題をどうにかするには、まずは何かしらの方法で彼女持ち前の気性を取り戻す必要があった。

 

 だから俺はただ言いたいことを言った。彼女に適当な偽りは通用しない。真正面から彼女を挑発することで、女王としての彼女を呼び戻す。加えてさすがにこれで彼女とは疎遠となるだろうから、俺は心の平穏をとり戻し、部の空気の浄化にもなる。最も効率的である。

 この後俺が殴られるのは、修学旅行でのことを彼女への借りとするならば、貸し借りゼロでよいだろう。

 

 しかし。とある日の教師の言葉がよみがえる。リスクリターン抜きに、思うままに。思うままに行動はしたが、どうもどこかにしこりが残る。違和感がどうしてもぬぐえない。自分の思考が、心情が、やはり把握しきれない。

 

 この気持ちは、一体なんなのだろうか。目の前で俺を睨む彼女から、そのヒントを掴めるだろうか。

 その目にはいつもの力があり、怒りがあった。とりあえず、俺の小賢しい目論見は当たったらしい。

 

「お客様、店内でのそういったご行為は他のお客様のご迷惑となりますので…」

 店員の控えめな声が声が横からかかる。

 

 しかし彼女はそちらを見ようともしない。彼女の瞳は今、俺だけに向けられていた。

 

 どのくらいそうしていたのだろうか。彼女は俺の目から何を読み取ったのだろうか。悪意を探して、好意を遠ざけるこの目に、見るべき価値のあるものなどあったのだろうか。

 

「…悪かったし」

 三浦は小さく店員に詫び、さっさとカフェを出ていった。

 

 正直殴られるかと思ったが、どうやら五体満足で帰れそうだ。けんかになったら勝てる気がしない。まあ俺は男女平等主義者だから、二発以上殴られたら一発は返したが。

 

 平和的に終わったことに胸をなでおろし、俺も帰り支度をする。ああ、これで平穏な日々が戻ってくるのか。とりあえず帰ってアニメでも見よう。

 

 …が、

 

 カバンがない。

 

 出口を見る。なぜか俺の鞄は三浦が持っていた。俺の手元には見慣れないストラップがついたセカンドバッグが一つ。どうやら取り違えたことに気が付いていないらしい。やはり、ポンコツである。

 

 どんどんと歩いていく彼女を、俺は追う。つーか歩くの早い。ほとんど競歩じゃねえか。

 

 駅を出て公園に入ったところで、ようやく彼女は足を止めた。手に持った鞄を眺めている。ようやく間違えたことに気が付いたらしい。

 

 彼女は鞄を持ったままたたずむ。こちらに背を向けているためその表情は分からない。そんな彼女に俺は声をかけられない。…鞄置いたりしねえかな。そうすればそっとすり替えるんだが。

 

 次の瞬間。

 

「…ふっっっっざけんな!!!!」

 三浦優美子は俺の鞄をベンチにたたきつけ始めた。

 

「何が何様だ、だし!あーしはあーしだけど。なんなわけあいつ!お前こそぼっちのくせに何様のつもりだっつーの」

 ガン、ガン、とベンチに俺の鞄をぶつけまくる。ちょっと、それ以上はやめてあげて!殴るなら僕にして!

 

「おい、お前いい加減に…」

 さすがに彼女の手首をつかみ、鞄への暴行を止めさせる。突然の制止に振り向いた彼女は。

 

 泣いていた。

 

「ヒキ、オ…」

 俺の顔を見ると彼女の態度は急激にしおれ、瞳からは涙がぼろぼろと零れ落ちる。

 

「なんでついてきてんだし」

 彼女は瞼をこすり俺に背を向け、弱弱しい声でなんとか俺に尋ねる。

 

「そりゃ鞄が取り違えられてりゃ追いかけるし、ズタボロにされてれば声もかける。…んなことしたところで何も解決しねえぞ」

 

「そんなこと、あーしだってわかってる」

 彼女は背を向けたまま、下を向く。

 

「わかってる、あんたなんかに言われなくたって。でも」

 吐き出した言葉は、止まらない。

 

「でも、じゃあどうしろっての?あーしは隼人に振られたの。いらないって、隼人は別にあーしじゃなくていいって…」

 消え入りそうな声で、彼女は続ける。

 

「隼人のことはいまだって、これからだって好き。それは変わらない。

 でも今までの時間は、これまでのあーしの隼人への気持ちは、なんだったの?それって隼人にとっては全部無駄で、どうでもいいことだったわけ?あーしが隼人のこと考えてる時も、隼人はあーしのことなんか考えてもなかったの?ほかの、…大勢の女子と、隼人にとってのあーしは同じだったの?そんなの…やだし。あーしはもう、隼人の気持ちがわかんない。

 なのに周りは勝手にあーしのこと決めつけるし、それに文句の一つも言えない。…なんで?あーしはいつからそんな弱くなったわけ?」

 

 泣きじゃくる彼女を目の前に、今度こそ俺は何も言えない。

 

 

 俺はいったい、何を見ていたのだろうか。

 

 

 彼女の女王としての立場。クラスメイトの彼女への心象。選択のリスクとリターン。周りの視線。すべてが見えていると思っていた。

 

 俺はまた、彼女の気持ちを見ていなかった。

 

 彼女が怖いのは女王としての立場が危うくなり、一人の、ただの女子としてみられることではなかった。

 

 彼女は、自らの気持ちが拒絶されたことが怖かったのだ。

 

 自らの過去を思い出す。俺のあれらの黒歴史で、どの告白もたぶん本物ではなかった。それでも、思いを伝え、拒絶される。好ましく思っていた者に、「お前ではだめだ」と突き付けられる。

 

 ましてや三浦は葉山をあれだけ想っていたのだ。…こたえないわけがない。

 

 そんなときに急に向けられた悪意。弱った彼女は、ただそれが怖かった。

 

 なぜこうも学ばないのか。なぜ誰でもわかりそうなことが、真っ先に出てこないのか。彼女の異変の発端は、その恐怖からきていたのに。

 本当に、何様のつもりだ。さすがに笑えてくる。修学旅行の後、気持ちがまず最初にあると、頭でわかった気になっていた。理解なんて到底できないあいまいなものを、頭で理解しようとしていた。

 

 前提から、根本から、間違っていた。

 

 

「そうだな。過去は取り戻せない」

 しかし、俺は口を開く。俯いた彼女の表情はわからない。

 

 まったく、どの口が言えたものなのか。俺こそ、この期に及んで過去を取り返そうとしている。間違えを取り繕おうとしている。愚かでしかない。

 

 それでも、自らが間違えたことがわかっていても、…いや、間違えていたからこそ、彼女に言わなければならないことがある気がした。

 

 いつも気持ちで動く三浦優美子に、俺は…

 

 なるほど。本当の気持ちは言葉にならない。彼女は、だからそれを誰にも相談できなかった。

 

「なら、今をどうにかするしかねえんじゃねえの。葉山の気持ちがわかんねえなら、一方的に想い続けることが怖いなら、葉山の気持ちを変えちまえばいい」

 

「は?あんた何言ってんの?」

 三浦は瞼をゴシゴシとまたこすりながら、俺に馬鹿にした目線を送る。ああ、アイメイク…いい加減その顔も見慣れた。

 

「だから、要するに」

 俺は頭をガシガシと掻く。

 

「葉山をお前に惚れさせちまえばいい。葉山が惚れるお前に、「三浦優美子」になればいいんじゃねえの。…知らんけど」

 

 今までの海老名姫菜が誰にも心を許そうとしなかったように、今の葉山隼人が何かを選び取るわけがない。なにも見えていなかったおれにも、それには確信を持てる。

 

 そう、前提からまちがっているのだ。理由を三浦に求めても仕方ない。いくら彼女が変わろうと、彼がそのままでは進むはずもない。

 

 ならば、彼を変えるしかない。

 

 …まったく、矛盾している。変わらないことに、選ばないことに賛同したのは俺ではなかったのか。

 

 整合性もくそもない。正しいわけもない。確実性なんて皆無の、100%人任せの案だ。

 

 しかし、ずっとどこかに残っていたしこりは、気持ち悪さは、今は感じない。

 

 

 俺の言葉に、彼女は目を丸くする。

 

「ぷ、くくく…あっはっはー!!ま、まさかあんたからそんな少女漫画みたいなセリフが出てくるとは思わなかったし!」

 

『少女漫画なのはお前の脳内だけだろ』

 そんな嫌味も、羞恥からか発することができない。

 

 くそ、わかっていた。らしくないことは俺自身が一番わかってはいた。だが出てきた答えは、彼女にかけるべき言葉は、こんな陳腐なものしか見つからなかった。

 

「つーか、そんなことできれば苦労ないんだけど」

 彼女は金髪をくるくると巻きながらぶーたれる。いや、俺も自分で言っといてなんだけど、その意見には激しく同意する。しかし。

 

 俺はいつも通り気持ち悪く笑う。

 

「まあ、苦労は買ってでもしろっていうしな」

 

 「あんた、熱でもあんの?」

 本気で心配されてしまった。しかし、彼女の顔には笑みが浮かんでいた。その笑顔から俺は目をそらす。

 

笑っている方が可愛い、などと言っては、それこそ少女趣味が過ぎるだろうか。

 

 


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