全員の顔合せは出発前日のホルンカの村広場で行われた。二十数個の椅子を半円に並べておいたところ、綺麗に護衛と鍛冶とで分かれて座っていた。別に意図してそうしたわけではなく、知り合いの関係から自然にそうなったのだろう。ただ、攻略プレイヤーと鍛冶プレイヤーでは、やはりお互いあまり馴染みがないということは覚えておく。最初にアーランはトールバーナ側の担当になるティクルを紹介した。彼はこのあとすぐにトールバーナに発ち、受け入れ準備に入ることになっていた。タスタスははじまりの街に待機して彼らと直接関わらないので紹介の必要はない ── ホルンカで鍛冶屋の売り子をしていた彼女を表に出すといろいろ煩い可能性があったので、リズベットに続いてさっさと脱出させている。
その後、オリエンテーションガイドブックを配布して全体の旅程、出現が予想されるモンスター、その他の困難について説明する。ちなみにガイドブックには何気に《鼠》マークが入っている。なにしろほぼそのままホルンカ〜トールバーナ間の移動における注意書きの集大成である。
それをざっと聞いてから、戦う鍛冶屋の片割れがこちらを見てにやっとして酔狂を言い出した。
「そうだ運搬クエ受けよう」
「却下。確かにナイトメアスリカータの特効薬であることは認めますが、駄目です」
経路上のモンスターのうち、凶悪なのが一種あった。全長 50 センチほどの二足歩行のイタチのようなモンスターのナイトメアスリカータである。離れていれば無害、近寄ると凶暴になるパッシブの変型タイプで、放置してもよいくらいだが御丁寧にもポップするのがプレイヤーの足元なのだ。ポップエフェクトと同時に素早く 3 メートル以上離れるか、すぐに叩く必要があった。おそらく即応性のチュートリアルのためのモンスターであろう。レベル 2 相当で今の護衛組にとってはどうとでもなる相手だが、鍛冶師の足元にもポップすることを思えば護衛に難儀することは間違いなかった。
「ああ、やっぱり効果あるんだ」
護衛側にそこかしこに納得と期待の声が広まる。半端に噂が伝わってんなと彼は思う。アルゴには伝えたが、彼女も攻略本には載せていない。
「リアカーの上にはポップしてこなかった。上に乗っていてもらえば、スリカータ相手の護衛は楽になります。確かに」
わかってんだろ、と言い出しっぺを睨む。
「シュードユニコーン、どうするつもりですか」
ナイトメアスリカータとほぼ同地域に現れるモンスター。サラブレッドベースのユニコーンを思い描き、そこから胴体を三倍ほどに膨れさせ、脚の太さを四倍に、長さを半分に、首の長さをほぼゼロにしたもの。丘の上、道からやや離れた高台に現れて吶喊してくるアクティブモンスターである。ほとんどまっすぐ突っ込んでくるだけなので避けてもいいが、もちろん避け続けているとそのうち数が増える。シュードユニコーンを相手するため遠くを見ていると足元にナイトメアスリカータが現れ、噛まれて敏捷性が落ちるとシュードユニコーン相手に致命的になる構図であった。
ベータ時代での対策の基本はナイトメアスリカータのポップを置き去りにする速度で走り抜けることである。どうせ彼らの出る地域では休憩できないのだから。ただし本番のデスゲームでは走り抜けるのは一種のトラップではないか、という評価もある。レベル上げを怠って先に進むと次の沼地がとても辛いからだ。他の方針としては低地の川沿いの道でなくシュードユニコーンのポップしそうな稜線を進み、ポップと同時に掃討してしまうこと。戦術を選ぶ、ということのチュートリアルでもあるだろう。しかし道無き道を鍛冶師に歩かせるのは論外だし、低速のリアカーでナイトメアスリカータのポップを置き去りにできるとは彼は思わなかったし、リアカーに向けてシュードユニコーンが突っ込んできた時、避けられるとも思わなかった。ただその男、シムラはそうは思わなかったらしい。意外そうな顔をした。
「正面から受けてもイケるだろ? ていうか、あんたのことだ、試したろ?」
もちろん試してうまくいった。
「なんでそんなことまで知ってるんです?」
「そりゃあ命預ける相手だ、《鼠》にいろいろ聞いたからさ。みんなもだよなぁ?」
鍛冶組護衛組を問わず半分くらいが頷いていた。おもわず彼はアルゴが高笑いするところを幻視した。信用のため、ある程度まで話して良い ── この場合の「話して良い」は、話したとしてもそのことをこちらに伝えなくて良いという意味 ── とは言ってあったが案外多かった。どちらかというとアルゴから喜々として売りつけて回ったのだろう。
「ちゃんと言うとですね、理由は二つあります。一つは壁が薄いこと」
護衛での最重要ポジションだが、根本的に壁装備が高価であることが理由で、レベルの高い壁プレイヤーは前線でもまだ貴重だった。後方まで戻って来るようなフットワークは偵察プレイヤーや火力担当プレイヤーのほうが良い傾向にあったから、護衛部隊は肝腎の壁役が相対的に見劣りした。突撃してくるシュードユニコーンを避ける、という行動オプションをなくすのは恐かったのである。
ここで鍛冶組のほうに目を向けた。
「もう一つは、どうせトロンダからトールバーナまではみんな歩くんです。致命的なのが襲って来ない楽なうちに少しは慣れておきましょうってことなんですが」
リズベットが手を挙げた。
「護衛の人達がばったばったなぎ倒すところは見ておきたいと思うんだけど。トロンダの向こうに出るまでに、ちゃんと強いところは見たい。降りろと言われれば……降りるくらいの覚悟はあるけどさ」
落ち着いて確認したいと言われればそのことへの反論は難しい。が、しかし。
「でかいのがどどどーと向かってきている時に、おとなしくリアカーで座ってままでいるのは、その時点で既に護衛に相当に信頼がないと出来ないと思うんですが」
「う」
既に護衛に対する信頼があるからこその盲点はなかなか可愛らしかったが顔には出さず、護衛組に目を戻すと顔つきは二つに分かれていた。「良いとこみせよう派」と「あんたがきめてくれ派」で、なぜかリアカーなどというとり回しの悪そうなものを持ち歩くことについて強い拒否反応を示すプレイヤーは居なかった。酔狂もするが TPO 弁えずにリアカー引いてまわってる訳じゃねーぞと心の中で呟いてから、あまり期待せずに訊く。
「壁に転向できる人は居ませんか? とりあえず、僕も壁に回りますが」
誰も手を挙げないのは仕方がなかった。自分のパーティもあるのだから。少し考えこんで、しかしまあ、いいかと思う。
「避難所の代わりくらいにはなりますか。クエスト失敗のペナルティはシムラさんでかまいませんね?」
ほとんど空荷のクエストに調整する。したがってクエスト成功のメリットは小さく、失敗のデメリットは大きい。提案のわりには嫌な顔はせず、
「二台要ると思うけどクエスト重複して受けられんの? もう一つはこいつに任せるか?」
そう言ってコンビの頭を叩く。アーランは首を振った。
「一台でお願いします。二台は隊列が長くなりすぎて手が回らなくなります。鍛冶のみなさんが全員は乗れませんが、半分乗れれば余裕はだいぶ違うでしょう」
戦闘能力のある二人を除いて鍛冶師八名。無理して六人は乗れても八人詰め込むのは逆に緊急時に問題が出そうである。二、三名はしょうがないとシムラも納得して頷いた。
「さすがに移動中は怪我人以外は人を乗せませんが、スリカータのポップでリアカーに避難くらいはしてもらうことにしましょう」
定石通り走り抜けようとすればパーティが自然にバラける。その横をシュードユニコーンに突かれたくないとすれば走らず歩くべきで、ナイトメアスリカータと混戦したくないとすれば避難所を用意するのは理にかなっていた ── と堂々と主張するほどのものかどうかは微妙なところだと思うが、捨てても良いなら行動オプションが増えるだけなので問題ない。それはともかく、彼らのエリアを通りぬけるまで三回ほど戦うことになる予定であった。
翌日、船団がホルンカの北の口を出た時刻は朝というにはやや遅い。アーランは右手の平べったい西斜面に朝日が通って丘の凹凸の影が消えるのを待ったのである。
この北の口は東の口よりもうらびれていて裏門という雰囲気があった。北へ伸びる道の左側に川、対岸の草っ原のさら奥に西の森が見える。右側はゆったりとのぼる丘になる。はじまりの街寄りと違い、奥のこちら側は村が見えるあたりではまだレベル 3 以上のモンスターは出ない。すぐに逃げ帰るのは許しませんよ、というメッセージがうかがえた。
並行する川は村の近くで川幅が 1 メートルから 3 メートルほど、水深 20 センチほどと幅のわりに浅い。ただ水量はある。土地の傾斜度のわりに流れが速いのである。透明度は高く、水中にモンスターは居ない。戦闘での障害というほどではないが、水に足を突っ込んでいるときっちり敏捷性は落ちる。戦闘中に存在を忘れて川に落ちると危機レベルが上がるわけである。逆にモンスターを川に落すのを試みられることもあり、落してから水際で叩く戦術は一時期の攻略本に載ったが、堪え性なく川に入るプレイヤーが続出して取り消されている。アーランとしては好みの戦術なので使う可能性があることを全員に申し渡してあった。
ざっと左右を見回してみてアーランは自分の緊張を感じた。ここは、もう何度も通って見慣れている道なのだが、通るたびに水量の妙な多さに突っ込んでいた。多いこと自体に突っ込むお約束に近いものなのだが、今は自然に戦闘への影響を考えたのである。
(今日の午後まで我慢だ)
今日一日だけでももう一往復する予定である。次の往路では少しこの手のものを観てまわる機会があるはずだった。
アーランが先頭、索敵スキルが最高のキタローとリアカーを引くシムラを最後尾とした隊列で進む。キタローに訊けば、自分達の後方 50 メートルほどを数人の集団が追跡しているということだった。思いついてアーランは自分でも位置を確認してみる。後方のパーティリーダーとは旅の間フレンドなのでフレンド探索で位置が分かる。使うのは初めてだが、面白い機能だと思う。逆に向こうも偵察隊を出さずにこちらとの距離を調整できるわけである。
また、本隊よりさらに先に某鍛冶屋のオマケ二人組が先行している。どちらかというと壁役の二人で偵察には不向きなのだが、この先で急速に役立たず扱いされるはずなので、いまのうちに気分良くなってもらうことにしたものであった。名目上は本隊の最終防衛ラインとなる二人なのだが、正直、二人のところまで守備が抜かれたら負けだというのは残りの護衛組の総意である。
先行の二人が問題のエリアに踏み入れそうなあたりで呼び戻す。踏み入れてもらっても問題ないが意味のない行為であろう。二人は喜々として戦果を誇りながら戻ってきた。アーランはほっとした思いである。
戦力に数えるメンバーは自分の指揮に従うかどうかを見極めながら選んだが、戦闘で当てにしないプレイヤーはそのあたり無意識に適当だったのだ。そのことをタスタスに指摘されて青くなったものである。具体的には鍛冶屋のオマケのギルガメッシュとエルキドゥ、それに戦う鍛冶屋のシムラ、セドの四人のことである。よりによって反抗心の強そうな面々であった。特にエルキドゥ氏は面談の時についいじってしまったので心配だったのだが、アーランの前で親友設定のギルガメッシュ氏と仲良く戦功を争うあたり、とても微笑ましかった。
親友設定というのはつまり、「エルキドゥ」という名前が単独で採用される可能性はほとんどなく、「ギルガメッシュ」が先に採用されていて、リアルもしくは別のゲームか何かで「ギルガメッシュ」氏とのつき合いがあるからこその「エルキドゥ」採用だと思うからだが、二人が仲良く喧嘩する様子はそのあたりも含めて周囲から生暖かく見つめられていた。
少し進んで問題のエリアの直前で彼はストップを掛けた。護衛組の一部は既に真剣な顔で周囲を警戒している。
「ここからが問題のエリアになります。とりあえず、一匹サンプルを見てみましょうか」
10 メートルほど進み、足を止めると足元にポップエフェクト。ステップバックで大きく避けた。光が消えると、そこに小柄なモンスターがてれてれと道を外れて歩きだすところだった。
「パッシブで、離れていれば何も起きませんが ──」
背後からすっと近付く。唐突に身体を捻って飛びかかってきたところをメイスで歯を全て折るくらいのつもりで口に突っ込んで捻じり、消し飛ばした。
「近くに居るだけでけっこう凶暴だったりするわけです」
彼が戻ってくるとリズベットが手を挙げた。
「なんかすんごくドン引きな倒し方だったんだけど、それ必要だったの?」
見回すと鍛冶組はおろか護衛組まで一部頷いていた。もっとも護衛組のうち前線から派遣されてきた三人やキタローのあたりはアーランがソードスキルを使わなかったことに思うことがある様子だった。そういや言わなかったなと思う。ソードスキルのあとのクールタイムに入っている間の、人手が減る瞬間が一番恐いのだ。派遣組はスキルなしでも一撃のはずなので、使わずにすませるよう言っておくべきである。
彼はメイスを少し持ち上げてみせた。
「これ持ってまだ日が浅くって、細かい手加減が分からないんですよ。今日一日くらいなら全力全開で振り回してもどうということはないんで、オーバーキル目にやってます。他の護衛の方はもうすこし効率よくさっぱり倒してくれると思うんで、気分を悪くされたら謝ります」
「へー、そうなんだ。普段は……」
「アニールブレード使ってますが、壁ロールなんで今日はこっちで」
リアカーなしで鍛冶一人に護衛一人がついてナイトメアスリカータを防ぐ形が最初の構想だった。この場合は対シュードユニコーンの壁を諦めて彼も剣を持った。シュードユニコーンの相手は二人、さらにシムラ達につく護衛を機会を見て遊撃に回して計四名が火力担当という形で駆け抜けることになったはずである。
「じゃあ始めましょう」
護衛組に頷いてみせると、予定通りに遊撃隊グループが稜線に駆け上がっていく。速力優先で壁役は居ない。なおオマケ二人組は鍛冶がリアカーに飛び乗る時の補助担当で、直接戦闘からは外れている。アーランはちらと二人の顔を見たが真剣味があり当面は問題なさそうだった。
「モデルとしては空母と護衛航空戦隊になります」
顔合せで語ったことをもう一度繰り返した。
「鈍足の空母を狙う敵艦隊を遠方で航空戦力で殲滅します。空母に向かって
ポップしてきた小さいのを消し飛ばしながら続ける。
「当るコースの奴は、本隊で迎撃することになるでしょう」
見上げると遊撃隊が上でポップするシュードユニコーンの討伐に入るところだった。彼らは衝突コースを取ろうとしたものから優先して討つ。本隊の後方を抜けていきそうなのは後回しでかまわない。川そばまで駆け抜けたユニコーンを川に突き落とし、本隊直衛で叩く。そして唯一の問題が ──
「わりい、衝突コース行った!」
リアカーの走る、そのすこし先を駆け抜けて行くような形になる時である。無理に速度を上げてもやりすごすところまではできない。
「止まれ!」
周囲にポップエフェクトの光がとりまく。大急ぎでリアカーに飛び乗る鍛冶組。こちらをギロっと睨みながら目の前を通過していくユニコーン。足を止めれば途端にナイトメアスリカータが脅威になる。一通り掃討するまで一歩も動けなくなり、上でユニコーン退治にあたるプレイヤーも目が血走ってくる。
「川担当行ったぞ!」
「押し付けてんじゃねーっ!」
「文句は上の連中に言え!」
リアカーの上に避難してしまった鍛冶組はまだ良い。護衛されながらナイトメアスリカータを避ける鍛冶組が案外問題になった。鈍重なうえに予測し辛いのだ。護衛組が力任せに抱えて飛び退くことすらある。
「おそいっ」
「あ、すまん、どうしてもな……」
「あれはモンスターだっつーの」
ナイトメアスリカータの見た目が恐くなく、しかも被害がゼロなので全く切迫感がない。ちゃんと恐がってくれれば行動は二択、逃げるかすくむかなのに、中途半端に余裕があるものだから実に様々な余計なことをする。なぜそこに居る、なぜそこから動く、いつのまにそんなところに居る、いつのまにか消えてんじゃねぇ、動くなと言ったろう、引いてろと言ったろう、守備陣から離れるんじゃねぇ、etc. etc.
護衛任務がこれほど精神を消耗するとはアーランも思っていなかった。護衛組の誰もが他のプレイヤーを連れてレベリングさせた経験を持ち、皆がその延長線上に軽く考えていた。ここまできてリアカー大正解だと護衛の誰もが思ったことである。いっそ保育園のお散歩カー、と思い浮かばなかった護衛組は少ないだろう。これ以上、鍛冶屋にうろうろされてなるものかという。なにげに鍛冶組も自分達がお散歩カーに詰め込まれる乳児待遇である感じがしていたらしいが、後にそう抗議されても護衛組は謝らなかったし、アーランも笑ってごまかした。
良い方向に誤算だったのはオマケ二人組の補助が適切だったことで、アーランは戦力のうちに数えることにした。さすがに足手まといを連れて歩くことに慣れているだけのことはある。
「上に乗ってる人! ちゃんと自分なら避けられると思う人は下の奴と場所交換!」
アーランも提案してみたが、顔を見合わせるばかりで降りようとする人は居ない。彼もバカを言ったと思う。プライド捨てれば居心地の良い場所ではあるので、曖昧な言い方で手を挙げる人がいるわけがなかった。言い方を変えようと言葉を舌の上で転がして ──
「あ、あたし降りるっ」
リズベットが名乗りを上げた。
下で護衛されていたうちでいちばん護衛に重いプレイヤーと位置を入れ替えると、彼女はメニューを操作してメイスを取り出した。周囲はぎょっとする。ポップエフェクトの光から飛び退いてリアカーに手をついたシムラも呆れて、
「おいおい、あんたやる気かよ」
アーランも振りむいて驚き、ストップを掛けた。
「リズベットさん、止めてください。護衛さんが近寄れなくなります」
「ここまで連れて来てもらって感謝はしてるんだけどさ、ただ守られてるってすんごい嫌なの! 小さいのの相手くらいさせてくんない?」
「駄目です、特にあなたは駄目、女性がメイス振り回すと男の子が後に引けなくなります。その状態の戦闘管理なんて無理、罵ってくれてかまいませんし、協力には感謝しますが、武器を持つのは止めて下さい。お願いします」
足元のナイトメアスリカータを消してからアーランは彼女に向かって頭を下げた。戦闘職でないリズベットではナイトメアスリカータは五分の相手だ。護衛組、特に派遣組あたりになるとハエ叩きでハエをほいほい叩くよりも簡単そうに処理しているが、パーティプレイを経験していない彼女が二匹を相手にするようなことになれば詰んでしまう。彼女はメイスを降ろし、唸りながら仕舞う。そこをほとんど横抱えしてアーランが後方へ跳ねる。彼女の居た位置にポップエフェクト、シムラが叩く。
アーランの背にしがみついたままこわばったリズベットの手を解きほぐす。彼女の手は冷たく、一度だけ温めるように握った。憐憫の情が湧き上がる。勢いで来てみたは良いが周囲が全員敵に見える彼女のストレスは強烈なものであろう。ぶつける相手が欲しかったのは分かる。しかし聞き耳スキルのことを思えば、ここで話しかけることすら危険だった。使えるのはタスタス経由のメールくらいであって、それについては打ち合わせてある。あまり頻繁に使うのも駄目だが、タスタスのところでタイムラグを作れば数往復程度なら気付かれることはないと思われた。ただ、ナイトメアスリカータの領域を抜けるまではメールそのものが不可能である。
派遣組の一人が上から大声で、
「鍛冶屋共にはおとなしくしてもらうのには大賛成だが、
挑発に彼も澄まし顔で応えた。
「百層までに出来るようになっていれば良いんですよっ」
心当たりがあるオマケ二人組が腹を抱えて笑う。上のプレイヤーもユニコーンを押し止めながら、
「言うじゃねーかっ」
「シュードユニコーンの領域抜けます。稜線の方々、戻ってください。お疲れさまでした。川はまだ放置ですが、右手の丘は注意しててください」
シュードユニコーンの突撃がなくなると同時に、ナイトメアスリカータも半減する。シュードユニコーンとなわばりを接する形で棲息するのはムステリオービット。イタチ風モンスターが白黒二匹のペアでポップし、プレイヤーを直線上に挟んで磁石の吸着よろしく一方が超高速で吶喊してくる。ソロ殺しだがポップ頻度が低いのが幸いで、両方を同時に視野に入れられるパーティプレイでは大きな問題にならない。攻撃が短距離型なのでナイトメアスリカータと併せても近場の警戒だけでよく、ツーマンセルの薄い防御陣でも陣形が破綻することはない。
余裕を取り戻して、ゆったりと進むうちにモンスターに道を塞がれた。高さ 1 メートル、直径 10 センチメートルほどの細い木が竹林風に林立して絡み合い、直径 10 メートルくらいに繋がった形状をした植物型モンスターである。
「フラットカンデリアか。パッシブです。やりすごします」
そのままなら攻撃力はほぼないのだが、縦に斬れば左右が別のモンスターとして動き、横に斬れば切り口に口が生えて攻撃してくるという性質で、しかもレアな割に狩っても美味しくないモンスターだったため、攻略本では放置推奨である。しかも大きいうちは速度も知れているのに切り刻んで小さくすると速くなるので諦めるなら早いうちが吉であった。
「なんでこういう時に限って道を塞いで立ち止まるんですかね?」
川岸まで降りてしばらくそこで佇んでから消えるのがお約束のはずである。
「ほら、根っ子のさきっぽが川に届いてるからじゃね?」
見れば、もじゃとした塊から川のほうへ一本、枝だか根だかよくわからないものが地を這って伸びていた。
「あれ斬れば水場まで降りっかな?」
「アクティブ化して襲ってくるだろーよ」
「ですよね。右を迂回します。シムラさんセドさんはリアカー持ち上げてよろしく。ギルガメシュさんエルキドゥさんは二人の足元のケアを。減ったと言ってもまだナイトメアスリカータの圏内です、立ち止まり続けるのには注意してください。行きます」
モンスターの、ちょうど脇を通過しようというころ、誰かの足元でパキという音。全員の警戒心が一気に跳ね上がった。それに応えるかのようにもさもさと身悶えして林が動き出す。
「リアカー四人、早く降りて! 道に出たら鍛冶さん乗って、キタローさん周囲警戒、残りでフラットカンデリア包んで包囲殲滅戦よろっ」
「おうっ」
シムラ達のすぐそばに白いポップエフェクト、数えて六つ。多い。プレイヤーから離れていないから全て慣れてきたナイトメアスリカータなのが幸いだ。三名を引き抜いて鍛冶師保護に回す。残ったチームから悲鳴。
「人数足りてねーっ」
「川のほう開けてかまいません、川に押し付けて!」
「分かったっ」
川に沈めた場合のフラットカンデリアの挙動は報告されていない。
「キタローさん幾つ見えてますかっ」
凶悪化するならリアカー捨てて脱出である。どうせそろそろナイトメアスリカータの領域も終わる。注意を向けておくと小さい切れ端が大人しくふわっと消えるのが目にとまった。
「フラットカンデリア 5 つ全部ひとっところ、ナイトメアスリカータ 4、いや 3!」
つまり見逃したフラットカンデリアの切れ端なし、と言うことなら陣形は出来たことになる。そう思った瞬間に出現する小さいやつ。舌打ちしながら消し飛ばす。パーティ移動速度の速い今はともかく、このあたりに前線があった時はさぞかし神経を削られたことと思う。一方で林のほうは足止めといった迂遠なことは必要なくなった。
「潰せっ」
「おうっ」
プレイヤーの隙間から素早く抜け出ようとする切れ端をケアしながらだからレベルのわりには時間がかかる。第一層にはトラップの類はないことになっているがさっきのはトラップではないのか、と空に向かって抗議しながら柴の塊をすくって林に突き返しているうちにリアカー側の掃討が終わった。
「こっち終わったぞっ、手伝うぞっ」
「それよりキタローさん先導でちっこいのの領域さっさと抜けちゃってくださいっ」
領域の境あたりまで遠目に見えているが、間には何もない。ナイトメアスリカータでがたがたやっている間にムステリオービットが現れなかったのは僥倖である。むしろフラットカンデリア討伐を放棄して自分達も逃げだす指示をしたいくらいだ。そういう反射的な指示だったが、経験値稼ぎを断ったという点で危ない指示でもある。キタロー氏が笑って頷いたのをちらと確認して彼は安心した。
フラットカンデリア討伐を終え、攻略本ではナイトメアスリカータのポップ領域を抜けた休憩所扱いになっている草地で先行のリアカー守備隊と合流する。戦う鍛冶屋二人も含め鍛冶組全員がへたりこんでいた。そして護衛の六人が均等に周囲に立つ。ただこの配置は ──
「キタローさん、これ、護衛の人が挟み込まれそうになった時のリアクションの取り方は」
「説明しておいた。心配いらんよ」
「ああ、ありがとうございます」
大きく礼をした。円形陣を組んでムステリオービットと対した場合、たとえば陣の一人目と三人目がイタチを相手にしていたとすると間の二人目が突然死しかねない。もちろん対策や注意の仕方はいろいろあるが、おそらくムステリオービットと対したことのないオマケ二人を含んでの円陣だったから少し心配になった。
アーランが六人で陣を組むなら、先ほどまでそうしてきたように二人ずつペアにして三角に囲む。このほうが護衛の死角は少ない。ただ隙間が大きいから鍛冶組が怯えて逃げ出すかもしれず、護衛ついでに鍛冶組を円陣の中に拘束してしまったキタローの気分は良く分かった。
キタローが笑った。
「むしろ君が知っていることが驚きだよ」
使いどころがないですもんね、とアーランも笑いながら彼とハイタッチを交わした。三人パーティで三角形の陣は二人が対処している時に三人目がイタチに挟まれて死ぬ形にはならない。
これでようやくトロンダまでの道半ばであった。しかし船団の護衛組にとってはおもわずハイタッチを交わし合うほど、全旅程の九割が終わった気分になっていた。ここから先、モンスターそのものは確かにレベルアップしてくるが、慣れた定石手順ですむ相手になるのである。