「先輩ー、連れて来ましたー、お薦めの子ですー。山から落ちたら助けてくれましたー」
リズベットが鉱山で助けた女性 ── タスタスと名乗った ── と一緒にはじまりの街に戻った時、お話がありますと、そのまま西門近くの建物まで連れてこられた。鉱山で足を滑らせて落ちるほどのぼんやりとした美人さんだったが、案外に押しが強いなと思いつつ、手を引かれてついて行く。
三階のその部屋はリズベットが泊まっている部屋の数倍の大きさで、ただ、寝泊まりのためというよりは事務所という感じだ。壁には美術の時間で見たことがあるドラクロワの『自由の女神』の絵が飾られていた。お金ってあるところにはあるのねーという感慨を抱く。
やや窓際寄りに四人掛けダイニングテーブルが置かれ、その上に第一層の地図がデザインされたテーブルクロスがのっていた。同じデザインのハンカチが売っているのを見たことがあるが、攻略した範囲の狭さが目についてしまって手にとる気になれなかった奴だ。地図の南半分が印刷で、北半分は空白のはずだが鉛筆書きでいろいろ書き込みがある。
テーブルの向こうには、親しみやすそうな笑みを浮かべつつ実は腹の中真っ黒そうな男が羊皮紙スクロールをめくっていた。彼女は自分の身にすこしばかり危機を感じる。ヤクザの事務所である。たぶん。
男が顔を上げてリズベットを見あげた。リズベット的に、睨まれたというのは彼女の思い過ごしだろう。彼はスクロールをしまい、手を口の前に組んだ。
「あー、早かったな。はじめまして。アーランと言います ──」
「良い子ですよー。わたしを助けてくれる人に悪い人は居ません」
いろいろぶち壊しにする割込みに彼の頭がずり落ちた。組んだ手が額の位置に。悪人のオーラが消えて、ただの大学生になった。
「今のロジックで、この世界に悪い人って居ると思うか……?」
呟きはリズベットに訊いているらしい。ドヤ顔風味のタスタスの顔を見、胸を見、自分の胸に目を降ろし、ふたたび彼女に目をむけ、彼に目を戻した。これでリアルを反映しているアバターとか、世界とは不公平に出来ているなあとリズベットは思う。悪い人であっても下心満載で彼女を助けるだろう。
「いないわね、きっと」
一度アーランが組んでいた手をほどいて背凭れによりかかる。
「
彼が席を立って大きく頭を下げた。
「うちの子を助けてくれてありがとう」
「べつに大したことはしてないわ」
慌ててぱたぱたと手を振る。なにをどう助けたかの話はしてないんじゃないかなーと思うがこの空気では言えない。
「リズベットよ。お察しの通り、鍛冶屋志望レベル 1 」
「話ってのは、君を雇いたいという話」
アーランがリズベットに座るように促して、自分の席もつく。商談に入るなら座ってくれということねと理解して、彼女も座る。
「拘束時間は一週間ほど」言い切ろうとしたところでアーランが小さく首を傾げ、「短くて五日間、長くて十日間くらい。そのあたりはまだちょっと不確定なんで、ごめんなさいだけど」
「けっこう長いわね。で、もしかして拒否権とか無かったりするのかしら」
なにしろヤクザの事務所である。
「無いよー」さっきとは違う超絶軽い謝罪が返った。「その代り言い値は出す。ふっかけてくれて良い」
「鍛冶の仕事よね?」彼が頷くのを確認して、「じゃあ一日二千コル、工賃込み材料費別で」
気軽に「拒否権無いよー」とか言ってんじゃないわよと思ってふっかけては見たものの、そういえばヤーさん相手だった気がと思い出して内心はビクビクものである。しかも知らぬ顔で彼が吊り上げてくる。
「じゃあ仕事場移動のコスト含めて一日三千コルでどうかな」
「移動ってどこ連れてかれるの」
「ホルンカの村」
彼がテーブルの一点を指した。見れば指のその先に《ホルンカの村》とある。リズベットは顔を上げた。
「前線じゃない、あんたら攻略組か」アーランとタスタスの顔を見比べ、「言われてみればそんな雰囲気かも」
わずかに苦笑が返る。
「今の最前線はもうすこし先かな」
すっと鉛筆書きの領域まで指を動かす。横線が何本か引かれていてその一番北の一本。
彼女は鍛冶屋という性質上、前線の話を聞くことはよくあるが、具体的にどこかまでは知らなかった。攻略組か、それに近い人達ではあるらしい。
「まあホルンカも君の言う攻略組がうろうろしている土地ではある。圏外での通行の安全は保証する。というか、こことホルンカの間をソロで移動できるくらいまでレベリングするのも契約のうちだ」
仕事内容の詳細を聞けば鍛冶屋の仕事そのまんま ── というか金を払っても受けたい鍛冶スキルのレベリングだった。
「まとめると、ホルンカで鍛冶の仕事、ついでにレベリングしてもらって一日三千コル? なんか話がうますぎない?」
「優秀な鍛冶屋に仕事を頼めば高値につくんだろう? 一日三千コルでは仕事を受けてもらえないレベルの鍛冶屋に育ってくれれば僕らも黒字にするには問題ない。それと、多少恩に着てくれるとあとで僕達が助かる」
「ああ、なるほど。せいぜい努力してみるわ」
「それと、これは先の話だけども、第一層攻略の最終基地《トールバーナ》まで鍛冶プレイヤーを複数、鍛冶屋コミュニティの規模にもよるが、十名程度、
そう言って彼は丸い地図の北端少し下、《トールバーナ?》と書かれている部分を指さした。
「覚えておいてくれ」
彼女は息を飲んだ。
「……
「うん」
笑顔だったが、目が自分達を叱っていた。彼は鍛冶プレイヤー達に「攻略に参加しろ」と言っていた。今のように、後方でちまちまと言い訳のような仕事をしてないで。
雑談に入ってリズベットが吹きだしたのが、彼らが実は三人パーティであったことだった。
「たった三人かっ! あんたらそれでコンボイとか良く言ったもんだわねー」
「この部屋見て何人くらいのパーティだと思った?」
「え、五人か六人? でも椅子四つだし、ソファはある、でもほんとに三人でこの部屋」
ソファ含めて定員は六人か。でもそれでは会議できまい。逆に三人だと優雅な部屋だ。第一感がそこそこ金の掛かった部屋だと思ったことを思い出した。
「現時点では、資金力なら攻略組でもそこそこの部類だと自負しているよ。君達的に必要なのはまずそこだろう。もっとも一週間で僕らの地位は底辺まで下がるんだけど。なにしろ攻略しないから」
「あ、ごめん」
「金といえば、下世話な話になるが、あー、こっちが言葉を翻すことはない、ということは断言しておくが、二千コルというのは実は相場的にはふっかけたほう? 安売りしたほう?」
「あははー、ちょっとふっかけたかも。あ、でもあんた達にとってもそんなに悪い額じゃないと思うわよ。けっこう良いほうの鍛冶屋雇ったんだもの」
そう言って彼女は胸を張った。アーランは内心で驚いていた。それはつまり上位を自負するプレイヤーをして一日二千コルでふっかけた気分ということだった。ゲームが始まって一週間で生じた資産格差を、予測していたとはいえ実際に目の当りにしたのである。
敵地に居るうちのこういう段階で気を許すな、とはディアベルやアルゴに怒られた部分だが、それは指摘しないでおく。したほうが良いのだろうか。ごまかすように彼はタスタスに話を振った。
「タスタスからは補足ある?」
「ものすっごく大事なこと忘れてます。リズベットさんから話が出なかったのも不思議なんですが……」
「なんだっけ?」
「リズベットさんホルンカの村のどこに泊まってもらう予定なんでしたか?」
「あ」
アーランとリズベットの声が重なる。アーランは掌を合わせてお願いの形を作った。
「あそこ小さな村でね、ここと同じくらいのを一部屋確保できてるだけなんだ。君が一人で泊まることになるんだが、すまないが出来ればうちの子も泊めてやってほしい」
十分に広いじゃんとリズベットは思いつつ、
「一人で泊まるって言い張ったらこの人はどうするの?」
「ここの並びの部屋に泊まることになるな」
アーランが奥のほうを指す。
「本当に一人だけになるのね」
「まあな。夜はそうだ。昼はいずれにしても彼女が補佐に付く。それ以外に二日ほどソードアート・オンラインについて良く知る情報屋が来ることになっている。アルゴあるいは《鼠》というのを聞いたことは?」
ガイドブックの有名人だった。リズベットは頷く。ただし会ったことはないと。アーランも頷いた。
「そう。情報料は無料だ。つまり僕達が全額持つ。徹底的に搾ってくれて良い。夜どうするかは……メリットデメリット考えてどうするか君達で相談してくれ」
そう告げて彼は席を立った。
「僕は少し席を外すんで、決まったら呼んでくれ」
何言ってんだこの人と思っていたら、あれよあれよという間に本当に彼は部屋の外へ出ていってしまった。リズベッドはタスタスと二人で部屋に取り残された。これどうなのよと少し離れて座っている彼女を見れば、やや困惑気味ながらあいかわらず微笑みを崩さず何を考えているかよく分からない。どう持ち掛けたもんかと思う。ちいさく愚痴る。
「いや、わざわざ席外さんでも」
女の子の秘密ーとかやるつもりはない。彼女とは遭って半日の仲である。タスタスが頭を小さく下げた。
「不手際でごめんなさい」
「それは良いんだけども……あなたはあたしと一緒で思うところはない?」
「そもそもリズベットさん選んだのわたしですよ?」
「あ、そう。そういやそんなこと言ってたわね。他に候補居たんだ」
「いませんよ? 先輩は素行調査やろうって言ってたんですけどね。探偵仕事とか不審者丸出しじゃないですか」
「えーとよくわかんないんだけど」
「リストにあった女性鍛冶師、ということで話をしにいって山から落ちたら助けてくれました。それで十分だと思います」
両手をそろえ、背筋を伸ばして椅子に腰かけている彼女は美しかった。顔の造形だけじゃないんだなとリズベットは思った。
「女性鍛冶師、というのは分かる。つまりあんたと一緒に同じ部屋に泊まるから、ってことね?」
「んー、順番がちょっと違います。もともと先輩がサポートに入るはずでした。鍛冶屋さん、男性しか考えていなかったので。女性の鍛冶屋さんも居るんだ、ということで、そちらを優先することになったんですよね」
ただ、そのまま流れで素行調査に入りそうだったのは黙っておく。
「あ、そりゃそうか。じゃあ女性というのは……」
「女性少ないじゃないですか。一対四くらいですよね。理由はなんでもいいから早めに女性の間でフレンドネットワーク立ち上げておいてくれ、というのが先輩の
タスタスがそう言ってちょっと首をすくめる。ああそりゃ部屋出てくわ、とリズベットは思った。話を聞いているだけでも恥ずかしい。喋っているほうも耳が心なし赤くなっている気がする。
「なら、いいわ。一週間よろしくお願いします」
「こちらこそ」
ふたりで顔を見合わせて、それからアーランにメッセージを送った。
こうすぐに呼び戻されることは予期していなかったのか、彼は出ていくよりも戻ってくるまでのほうが長かった。
「えらい早いな」
「べつに難しく考えることでもないしね。スポンサー様の御意向には従いますわよ」
「いや、無理しなくてもいいんだけど。けっこう長いルームシェアになるぜ?」
「たぶん大丈夫でしょ」
ほう、とアーランは思った。部屋から去る前より、二人の間にだいぶリラックスした感があった。良いことだと思う。
「君の予定のほうだけど、何時くらいからならホルンカに来てもらえるかな。もちろんその時は僕らも同行するけども」
「いちおう頼まれ仕事があるのよね」
「そうなのかい?」
「残念ながら、これからかかれば晩までに終わる量よ」
見栄が張れなくて本当に残念そうだった。なかなか微笑ましい。ただし、それは前線の人間がはじまりの街まで戻って仕事を頼んでいない、ということでもあった。彼も本題を思い出す。
「ついでだから、ホルンカに連れていってくれる人達がいるってことも宣伝しておいてくれていいぞ」
「やあよ。羨ましがられるどころか、妬まれるでしょーが」
「君、どうせ妬まれるよ? シンデレラさん」
「う」
そのあたりのトラブルを想像してリズベットが詰まる。
「まあ普段付き合いも大事だからうまくやってくれ。じゃあ明日の昼くらいでいいかな? 昼ごはんの前と後どっちが良い? 君がふだんどこで食べてるかにもよるが、食事のレベルは向こうとこっちで似たようなもんだ。ただちょっと選択肢は少ないかも」
「そうね。ホルンカの村って、行くのに何時間くらいかかんの?」
「何時間……一般人の距離感ってのはそうなるのか? ちょっと感覚がズレてきたかな、これは」
タスタスを見れば、彼女の顔にも懸念が浮かんでいる。
「走って五分くらいかな? 歩いて三十分。すぐ着くよ」
「それはモンスターと戦わない場合でしょうが! リアルならそんくらいの距離だってのは知ってるわよ!」
「モンスターと戦って時間を有意にロスするほどだと圏外をソロで何往復とか無理だからな? そのうち事故って死ぬから。モンスターを片手間に処理できるくらいは大前提だから。感覚の違いはそこか?」
「そう……そうね。そうかも」
そっかー、片手間かー、レベル違うわーとうわ言のようにリズベットが呟いた。
結局、待ち合わせは昼前になる。どうせ一週間ホルンカで食事することになるのだからということと、
リズベットなりに、護衛がお腹一杯で戦闘出来なくなるのを配慮したということもあった。
翌日の昼前、待ち合わせて北西門から外に出る。事務室内でのさっぱりした服装と違って、三人とも戦闘服だ。アーランは革の胸当て、右に直剣を差している他、やや背中寄りのきんちゃくにダガーが数本。タスタスは見た目防具がないが、ないということはなくベストと上からの白いケープがそうなのだろう。剣が下がっているのも裾から覗いている。リズベットもフル装備だ。アーランのと似た革の胸当て、小型メイスと槌。東の門から出る時はそうでもなくなってきたが、モンスターが多いと言われる北西門から出るのは緊張する。
「あたしこっちから外に出るの初めてだわ……」
「じゃ、ちょっとわたし探してきますね」
「うん」
リズベッドはちょっとぐらい何か言ってくれるのを期待したが、二人にさっくり無視された。待ち合わせたのにすぐにタスタスが分かれて先に行く。アーランもそれを当然のように頷く。
「えっと、何? 偵察とか?」
「君のレベリング用にモンスター捕まえてくるんだけど……、さて、僕達も行くよ」
すこしするとタスタスがイノシシっぽい大きな動物を抱えて戻ってきた。なにげなくカーソルを読んでびっくりする。フレンジーボアとのこと。あまり戦意を感じなくて恐くないが、モンスターだった。しかも見るかぎり無傷である。アーランの後に隠れながら、
「ちょ、それモンスター。あんた大丈夫なの?」
タスタスはにこにこと、どこかの動物園で動物を抱えさせてもらって笑っているのに近い。よく考えると動物のサイズ含めてとてもおかしいが、異和感がないのが凄かった。リズベットの戸惑いを無視するかのように、アーランが話しかけてくる。
「そのメイスは使えるよね?」
「そりゃ使ったことあるにはあるけど……」
「じゃ、ちゃっちゃとやって。たぶん十回かそこら当てればいけるから」
言われたとおりこちらに腹を向けたイノシシにメイスを打ち込む。案外早く、五回ほどでタスタスの腕の中からポリコンとなって消えた。タスタスはパタパタとケープをはたいたあと、再び二人から離れる。またイノシシを探しに行ったらしい。
「こんなんで良いの? なんか傷だらけなんだけど……」
彼女のケープはそこかしこで光って割れていた。つまり傷だらけということだ。アーランは遠い目をした。
「ケープだけなら使い捨てにするつもりだから、まあ。怪我しても圏内に戻れば完治するといったのは僕だし……。この養殖法、あいつの提案なんだよなぁ。ラストアタックした人に経験値が渡る形式なら瀕死にしたイノシシ連れてくるんだけど、SAO は与ダメージ量に比例しての経験値分配だから、ぜんぶ君がやるコレが一番効率が良いのは確かなんだが」
抱え方はタスタスに説明を受けたがさっぱり分からなかったからリズベットに説明できるものでもない。ティクルのほうも心当たりがあるようなないような感じだった。
「いや、そういうこと聞いたんじゃないんだけど。あんたがいいならまあいいわ」
生け捕りにする上での不慮の事故とか事故とか事故とか。
そうこうしているうちにタスタスが二体目をつれてくる。
「なんか時間かかったね。このあたり、もうイノシシ居なくなった?」
「そういうんじゃなくて、なんかわたしの顔見るとこの子たち逃げるんですよ。酷いと思いません?」
「戯言は放置の方向で。じゃもう一度」
「ええ」
リズベットはメイスを構えなおした。なんとなくタスタスとの付き合い方が分かってきたと思う。
後の街も前にあるはずの村もみえない道の真ん中、タスタスが離れている時に白いポップエフェクト。
「き、来たっ」
慌ててアーランの背中にへばりついた。フレンジーボアが出現する。彼が苦笑して後ろ手に彼女をかるくたたく。
「かえって危ないから。振り回す剣に当るかもだから」
「あ、うん」
そろそろと離れ、思い出したようにメイスをしっかりと握る。彼が一瞥する。
「一人でやってみる?」
おもいっきり首を横に振った。
「まだ、早いかな?」
そう呟いて、突っ込んできたイノシシを正面から叩き斬って消し飛ばした。一閃だった。
「はー」
感嘆していると、彼女の脇を通りすぎて背後でもう一回。へ?と思いつつ振り返ると、モンスターが消えるエフェクトの残滓。
二頭かー、へー、と思っていれば、ダガーが彼女の脇をすっとんでいく。ひっと息を飲むと続いて本人が風のように。
「三頭時間差とか、やるじゃないかシステム」
彼女がなにがなにやらと思っているうちに、落ちていたダガーを拾いながら彼が感心していた。いまさらのように震えがくる。
「さ、先進まない? ここ危なくない?」
「むしろリポップタイムが来るまでここのほうが安全だろ。昨日この道を通った人少なかったのかな。イノシシが湧く数が増えてるみたいだが」
「そ、そういうもん?」
「……そうか」
安心する彼女のかたわら、何かを思いついたように彼がつぶやいたのを耳にした。リズベットは断言できる。ろくでもないことだと。嫌がる彼女の背中を「先進もうか」と押しはじめた。
「あ、あぶないんじゃなかった?」
「しかし行かないわけにもいかないだろう」
「そうなんだけど」
納得はするものの足取りは重い。そこにあいかわらず大きなイノシシを胸に抱えてタスタスが戻ってきた。天の助け、だと思ったが ──
「来ましたー」
「おう、おかえりー」
気分どん底のリズベットをほっといてハイタッチする二人。モンスター抱えた手を離すなと突っ込みたいが、言っても聞いちゃいないだろう。ついでにイノシシ君、その隙をついて暴れる気配もなかった。なぜだ、胸か。さっきの三頭の凶悪な連係攻撃とは大違いである。
「どうしました、リズベットさん」
タスタスが首を傾げる。一緒にイノシシも首を傾げたような気がするが、さすがに気のせいだろう。
「いや、なんかもうどこから突っ込んでいいのか、愚痴るべきなのか……」
「とりあえず、やっちゃいましょう」
「あ、うん」
「やる」も「
「お、おお?」
「わあ、ぱちぱちぱちー、おめでとー」
口の擬音とともに手も叩くタスタス。アーランも拍手している。
「なにこれ?」
「レベルが上がったってこと。初めてならレベル 2 かな。レベルアップおめでとう」
「あ、ああ。そうなんだ。ありがとう?」
タスタスにレベルアップ時の音と光の消し方を教わる。鍛冶屋的にはどうでもいいことだが、アーランが言うには、攻略プレイヤー的には繁みにかくれている時にひょんなことでレベルアップで光ったりしたらかなわんだろ、ということらしい。
「それじゃ、レベルも上がったことだし ──」
リズベットの抗議も聞かず、レベリングが実戦形式になった。正面から以外は全て二人が封じてくれるものの、正面から突っ込んでくるモンスターは恐かった。しかも数が多い。反省点を一言二言アーランから聞くとすぐ次が来る。疑問に思って途中で聞けば、実に良い笑顔で語ってくれた。
「そりゃあ人通りが少なくて、イノシシがあんまり退治されてないところに来てるからね」
「ひー」
脇の草原に人がちらほら見えるようになる頃、リズベットもだいぶ慣れてきた。ついて来る二人も彼女の両脇で、サイドと後方しかケアしなくなっていた。そして集落の境界を踏み越える直前、アーランが一歩先に出る。くるりと振り返って、
「ようこそ、鍛冶プレイヤー未踏の地、《ホルンカの村》へ」
「あ、うん。連れて来てくれてありがとう?」
「わー。ぱちぱち」
そんなやりとりをしつつ、リズベットはホルンカ入りを果たした。
昼食と仕事場見学どちらを先にする、とリズベットに問うと、彼女は仕事場を見る、と答えた。三人が水車小屋までやってくると、柵にアルゴが腰かけている。手にはサンドイッチがあった。気付いたアルゴも手を挙げて、彼女から話しかけてきた。
「その子が例ノ?」
「アルゴ。君の予定は明日だろう」
「今日はおれっチの自由意志だヨ。こういうのは初日が肝腎だからネ」
まさに初日が肝腎だからこそアルゴを呼ばなかったアーランは内心で渋い表情をした。
「待ち合わせてもないのによく待つ気になったな。忙しいくせに」
「これでも張り込み経験値おっきいからネ。いつごろターゲットが来るかだいだい分かル」
このタイミングでここに来ることは、ついさっきまでアーランも知らなかっただけに彼女の技能に身震いした。
「とんでもないな」
タスタス先導で四人が敷地内に入る。当然のようにアルゴもついてきた。リズベットが訊く。
「その人が?」
「そう。この人が《鼠》のアルゴ。明日と四日後、君にいろいろ教えてくれる人。いろいろ道具とか使うだろう? この人はそういったものの一部と思ってくれ」
「ひどイ!」
「代金のカタで受け取った身柄だからな」
「アア、悔やんでも悔やみきれない一言、おれっチは何ということをしてしまったノカ」
さらっとした話の流れだったが、内容にリズベットは驚愕した。音を立てて信頼というものが崩壊していく。人身売買だった。第一感、ヤクザと思ったことを思い出す。ここがどこかかも。辺境、ホルンカの村に閉じ込められたことに気付いた。自力でははじまりの街に戻れない。
「うん? どうした?」
彼の言葉も届かない。全身、手足が冷えていく。
── うしろからゆったりとタスタスに抱きしめられた。
「先輩だめですよ、本当に怯えてるじゃないですか。アルゴさんもあんまり煽らないでください」
「これくらいはニーサンに意趣返ししても良いと思わないカ ──」
そこでリズベット背後に目を向けたアルゴが頭を下げる。
「思わないヨネ、ごめんなサイ」
アーランも苦笑いした。
「信用がないな、何かやらかしたっけ……とりあえず五日分前払いだ。一万五千コル」
メニューを操作して、おそらく金貨の入った袋を彼が差し出した。リズベットも見たことがない金額というわけではないが、手元に残る金額というのでは初めてで、冷たくなった手でうけとる。震えはまだとまらない。アルゴもフォローした。
「これだけあれば、村の食堂で誰か雇えるヨ」
アーラン達が無体なことをするなら、対抗できるプレイヤーを雇えば良いということだった。
リズベットが席につく。タスタスはあいかわらず後から彼女を抱えたままだ。アーランがテーブルの前に、アルゴは壁際。アーランがテーブルの上に小剣を三本、それに白紙のメモを置いた。
「とりあえず、こいつの強化あたりから始めてみようか。足りないものが山ほどあると思うから、書き出しておいてくれ」
言われたままに強化素材を書き込んでいく。そのメモに彼は軽く目を通して一行ほど書き加えてからストレージにしまう。アルゴを振り返って仕方ないなという顔をする。そして、テーブルの上に剣を追加していった。次から次へと。大小合わせて総数、十三本。アルゴは驚いた。
「にーさんそれどうやっタ?」
アーランはすっとぼけた。
「地道にクエストこなしてだが」
「そっちじゃない、ストレージに入んないダロ、その数」
「がんばれば出来るんじゃないか?」
「そんなことしてないだろ。はじまりの街から来たばっかりじゃないか。他にも荷物はあったハズ。超舐めプしたんでないかぎり……にーさんが客人連れてそんなことしないダロ」
そういうところ口煩いタイプだというのは分かっていた。アーランがにやりとして、
「たいしたネタじゃないが、いくらで買う? もうひとつ見せるもんがあるが、そっちで無理きいてくれたらこれは無料にしてやるよ」
「大盤振る舞いだった頃のにーさんが懐かしいゾ」
「けっこうこれも大盤振る舞いだと思うんだがなぁ」
「くぅ、無理ってのはどんなことダ?」
「情報の管理について。売るのは構わない。だが、売ったあと、売った相手のフォロー、監督をしてほしい。べつに僕に顧客名簿をよこせということじゃない、あくまで君がやる仕事としてだ」
「おれっチはプレイヤーのリアル、ベータテスタかどうかといった情報は売らナイ。そこまででないにせよ、それに近い扱いをしろと?」
「そう」
「いいダロ」
少しして彼は別のものをとりだしてならべはじめた。鉱石、素材。最初に驚いたのはリズベットだ。
「これ」
「メモにあったやつ、とりあえずこれでいい?」
彼はこの部屋から離れてもいないのに、どうやったのか。戸惑いながら彼女は答えた。
「剣のが多いわよ」
彼女は三本分の強化素材しか頼んでいない。十三本となれば、まったく足りなかった。アーランもそれは分かっていた。
「そのあたりは次のメモでだな」
そこでアルゴが気付いた。
「おおぅ、なるほど、ストレージ共有か、こういう使いかたもあるんだナ」
メモをストレージ共有タブ経由で受け取った三人目が買い出しして商品をストレージ共有タブ経由でこちらに送り返した。ストレージに入らない剣もこれだ。三人目が持っていた。そういえばいっぺんに出さずに一本一本取り出していた。十本入るほど共有領域は大きくないのだろう。さらに言えば、行きは一々メモするでなくメッセージで良い。リズベットへの便宜とおそらくアルゴへのヒントである。
笑みを浮かべて彼が頷く。ただ、すぐに真剣な表情を作った。
「人を選んで売るのは良いが、ガイドには載せるなよ?」
「いや、そういうわけには。これ便利だよ? 攻略の武器になるだロ?」
物を動かすのにストレージ共有を使うことはほとんどない。ストレージ共有はパーティ内部で行うことが多く、一般にパーティメンバは同一行動を取るからだ。これを発明したのがこのパーティというのは必然性があった。はじまりの街、ホルンカと二つの土地にまたがって活動し、金や物を持ち逃げされない信頼感が互いにあるからこその活用法である。
「最前線キャンプと、後方支援のはじまりの街。
アーランがはっきりとアルゴに向きなおった。
「君は SAO に奴隷階級を作るつもりか? ひたすら買い出しだけやらされるプレイヤーをどう思うよ? 買い出しではレベルも経験値も上がらないんだぞ」
これを広めて良いなら、そもそも苦労して鍛冶屋をトールバーナに連れて行く必要がない。前線組の後方担当部隊にはじまりの街で仕事を依頼してもらえば良いのだから。買い出し部隊がトールバーナに滞在するからこそ、第二軍として前線でレベル上げする機会もある。
「……君らの三人目はおれっチより奴隷ダナ?」
「違うな。彼女のレベリングが軌道にのり次第、つまりたぶん明後日からは僕も買い出しに回る。うちのパーティで筋力値が一番あるのは僕なんで、鉱石掘りとかもできるしな」
「わかったヨ、ガイドブックには載せナイ。まあ確かに奴隷は面白くない。攻略組に売る時にも、念書とってからにするヨ」
アーランが両手を上げて降参のポーズ。
「そんな強調しないでくれよ。僕も悪かったよ」
リズベットが彼に気を許したのは、この時からだったかもしれない。
── ところで。このストレージ共有による輸送システムは、結局、発明者が所属した血盟騎士団以外では大々的に使われることは少なかった。
迷宮区やダンジョンなどで共有タブが凍結されることが分かったからである。共有タブは自分のストレージ枠の一部を割いて設定する。リソースをもっとも必要とする迷宮区でストレージが減ることを許せるプレイヤーは多くなかったのだ。
共有タブにまつわる制限は独自設定。ただ、原作中の SAO にも同様の仕掛けがあるはず。せっかくダンジョンではフレンドメッセージすら禁止しているのに、中で共有タブ有効だと手紙のやりとりが可能になってしまう。