へー、と最初に浮かんだのは純粋な感嘆だった。
第一層のフロアボスは《イルファング・ザ・コボルドロード》と言った。褐色肌で肥満体の、人の数倍の大きさの獣人だ。斧と丸盾を持つ。そのボスをだいぶ削ったなと思ったあたりでディアベルが皆を下がらせて、一人で突っ込む構えを見せた時に思ったことがである。
それはつまりディアベルのスキルとして大量のフレンドリーファイアを引き起こすようなマップ攻撃があることを意味しているだろう。アーランはそういうものが存在することも知らなかったが、トップランカーともなるとそういうスキルも持っているのか、という感嘆であった。
最大級の攻撃スキルとして単独の相手に使うには非効率な手段であり、どちらかといえばディアベルはロード周囲の取り巻き達、フルプレートアーマーの棍棒使い《センチネル》の群れの討伐を担当すべきではなかったか。レイドリーダーとして、そういう役を回避しようと思ったことは責められないが、彼が取り巻きを担当し、代わりに E や F のグループがボス相手のローテーションに加われるなら、そのほうが余裕はあったに違いない。
何にしても勝てば官軍なのであっていまさら主張するようなことではないか、と彼は思った。大枠において攻撃量はかなりの余裕をもって足りていた。
「マップ攻撃ってあるもんなんだな」
目をディアベルに向けたまま呟く。隣のエギルも生返事だ。
「ほう?」
アーランはふと思いついてメニューを操作してポーションを取り出しつつ、エギルに提案した。
「今のうちにポーション飲んでおかないか?」
今は一種の POT ローテの休み時間である。ディアベルがケリをつけてしまったとしても、第二層主街区ウルバスに行くためにどうせ飲むものであった。
「……そうだな。おまえらも飲んどけ」
エギルが B隊の全員に指示。目の片隅でキバオウが呆れた表情を向けていた。
みなが飲み始めたかどうかというところで後方から大声が響いた。
「だ、だめだ、下がれ! 全力で後ろに跳べーっ!」
見ると H 隊コンビの中学生くらいの少年のほうだ。ディアベルに目を戻しても特に変わった様子はない。エギルが彼に目で「どうする?」と尋ねる。
全開速度で思考が回る。少年、隣のケープの女性、ディアベル、と素早く巡るが引っかかりはない。再び少年に戻り。
少年に対するアーランの評価は乱高下が激しい。
最初に彼を個別認識したのは、この日、ディアベルが全員を煽った時に見せた彼の思案気な表情からである。彼ら二人も誘って計八人でなら、ディアベルに撤退の提案が出来るかというものであった。
この算段はレイドが始まってすぐ放棄することになる。彼は強かったのだ。単位時間当たり攻撃量で上から数えたほうが早い、どころか一、二位を争う。これだけの力量の持ち主が攻略組に知られていないはずはなく、グループ分けでどこからも誘われずに二人だけのグループになったということは、相当に気質か人格に問題があると思わざるをえない。単純に、攻略会議の時に後ろのほうに離れて座っていたからだという素朴な理由ではありえなかった。
言い換えると、撤退の提案時に彼らを誘うと、かえってディアベルないしその周囲のプレイヤーから反発を買いかねなかった。
しばらくして再び見解を変えることになった。ここで気になったのは彼とコンビを組んでいるケープを被ったレイピア使いのほうだ。会議が解散した時の歩き方からそこそこ以上に良いところの出の女性としか分からないが、彼女に対ししばしば何かを教えている姿を見るに、彼女のほうが
グループ分けの前、少年のほうはソロだったように思うから、彼女もソロだった可能性もあるが、だとすればそれはそれで少年がちゃんと他人と初見でペアを組めるプレイヤーだということでもあった。
つまり、少年に対して一定の信頼を置くべきだろう。彼の発言とディアベルの行動を総合して、ワーストケースは?
アーランはメイスを握りなおし、正面に構えて腰を下げた。
「ボスからの範囲攻撃、来るぞ」
エギルは慌ててポーションを投げ捨て、叫んだ。
「全員、D隊守れっ!」
コボルドロードは長い太刀を構えて大きなモーションで一回転、刀を振りきった。次の瞬間、爆風が彼らを襲った。
何故か力が抜ける。視野の端、HPバーグラフ傍にイエローの何かが点灯する。スタン約一秒。
崩れるにまかせて受身を取り、流れるように立ち上がりつつそのまま勢いで前転してしまうところを彼はなんとか立ち止まった。もう一本ポーションを取り出して隣で倒れたままのエギルの口に突っ込む。手の中で瓶が結晶化して消える。さいわい、取り巻きの細かいの ── 《センチネル》のポップはまだ無く、周囲はクリア。
コボルドロードから目を離さずに訊く。
「あとどんだけ掛かる?」
エギルが震える手で指を折り、一つずつ伸ばしていく。あと二秒、一秒、がく、と一度大きく弛緩してから彼が半身を起こした。
「……また助けられたな。だが多分これにポーション効いてないっぽいぞ。過信するなよ?」
「諒解した。HP が万全というだけ良しとしよう」
そこに悲鳴の渦が巻き起こり、彼はディアベルが死んだことを知った。ディアベルを助け出そうとして彼のところに走り込んでいた少年のポーションは間に合わなかったか。A、C隊が精神的に半壊、後方に居た D、F隊は我先にと逃げ出した。
B隊の四人は、のそのそと立ち上がったところだ。モタモタとメニューを操作しているナイジャンにさっさとポーションを取り出して手に乗せておく。
札三名をどちらに投入するかを思う。つまり A、C、D、F が安全圏に脱出するまで、まだ隊の形が残っている B と E で支えるとして、救護隊として前者の補助とするか、予備隊として後者への補充にするか ── 警告を発した少年はどちらに動くか目で追って彼は息を飲んだ。
「っ!」
少年がロードに突っ込んでいく。彼とコンビを組んでいた女性もケープを振り払ってそれに続いた。
二人はしんがりを務めるつもりでロードの前に立ったのではない。明らかに倒す気迫でぶつかっている。
パニックを起こしていた D、F隊のプレイヤーでさえ足を止めて振り返った。
それなら、と彼は入口に手の平を向けてティクル達が来るのを制止した。
その脇を、かっと目を見開いたエギルが猛然とボスに突っ込んでいく。見れば太刀をふりかぶるボスの下に警告を発した少年が転んでいる。
おもわず目をつぶりたくなるほどの大きな金属音を立て、エギルが太刀を受け止めた。
その一撃を受け切ったのを横目で確認し、振り返って HP がイエローの端をゆったりと戻るウルフギャングの肩を押さえ、アーランは首をふる。がっくりと肩を落したウルフギャングの身体から気迫が霧散した。ローバッカ・ナイジャン・ラストは問題ない、グリーンに戻った。彼らとともに急いでエギルに並ぶ。
「あいつらが火力で俺たちが壁でいいんだなっ?」
「そうだっ」
これまでより破格に強くなったボス相手に急速に HP が減る。B隊だけでは POT ローテに足りないと振り返ると、まだうつろな顔をしたままの A隊が目が合う。彼はオットセイ共を声で蹴飛ばした。
「A隊っ」
「お、おお……スイッチ」
のっさりと寄せて B隊の前に出る。棒立ちな上にまだ四肢に力が入ってないことを危惧しつつ彼らと場所を入れ替わる。少なくとも初撃は問題なく受け止めた。いつ武器ごともっていかれるかと気が気がないが、こちらのポーション補給の間だけ死ななければ良いと割り切る。
E隊は半分残ったが火力にはオミソコンビもとい主力コンビの速度についていけず壁になるには堅さがたりず、しぶしぶ他の隊の使えそうなのを引っこ抜いてセンチネル掃討に回っている様子が遠目に窺えた。
今や総指揮は少年が取っていた。
人数が想定よりだいぶ少ないのは疲労の蓄積に繋がる。太刀を受け止めつつミスのパターンのイメトレ ── そもそも集中を切っている段階で自身の疲労も相当なものだったのだろう、と後になれば分かることだが。とはいえ、戦闘参加者の時間当たり攻撃量と HP の減り具合いからみて、アーランもコボルドロードを倒し切るのに足りると読んだ。
ヘイトの見えない糸が剣やメイスに絡みつくのを感じる。
もはや火力の主体となったコンビの片割れ、姿を現したレイピアの少女がリニアーを打ち込むたびにその糸が千切れ、引き下がる彼女にまとわりついていく。ローバッカが威圧でヘイトを巻き取り、アーランがコボルドロードと少女の間に割って入ってコボルドロードの視線を切る。
ちなみに直剣の少年のほうはもう少しスマートだ。壁組が僅かに銃眼を開けて誘うと無理なく切りこみ、引く時も余裕のある壁プレイヤーに音もなくヘイト値をなすりつけていく。ソロと見ていたのだが野良支援プレイヤーの類だろうか?
ナイジャンがコボルドロードの左手を叩き、ヘイト圧力を右に振ってラストに POT タイミングを作る。壁の枚数不足の中、妙な形で合同練習が活きていた。あの時も六人しか居ない壁プレイヤーを半分に分けてローテしたものである。
戦線は再び安定化した。
「一夜漬けってな、やっておくもんだなっ」
苦笑したエギルが太刀の軌道をずらす。伸び切った右手に剣先を伸ばすと、いまいましげにコボルドロードが太刀を引き戻した。
ふたたびボスと視線が合う。ちなみにスキルなしだったのでヒットしてもダメはほとんどない。ついでに技後硬直もない。
飛んで来た太刀をラストに任せて避ける。この間にナイジャンがポーション嚥下。
だが、結局、一夜漬けは B隊と E隊だけのものだ。
ナイジャンのポーションを壁の
顔色を変えたエギルが横から腹をぶん殴ってタゲを奪い取る。壁全体のヘイトバランスが戻り、ロードが一歩よろけ ──
「まだ立つなっ」
少年が鋭い警告。場を目で追ってアーランはフロアボスの AI に戦慄する。転んでいた A隊のプレイヤーの位置がおかしい。
少年言うところの、ロードの《旋車》が禁止されているらしい半円陣を組んで対処していたが、ボスにはわざわざ円形包囲陣を形作らせようとする知恵があるのか。少しずつロードの立ち位置がずれて、転んでいた仔鹿君は相対的にボスの背後に移っていた。彼が立てば陣は半円でなく円になる。
アーランは内心で盛大に舌打ちした。エギルの顔にも苦みが走る。しかしここで引く様子を見せれば今のしんがり隊ですら崩壊する。
ポーションの準備以外に何の手も打てないままボスが跳び上がって身体を捻じるモーションに入る。さすがに血の気が引いた。おそらくイエロー突入と七から八秒のスタンと見る。依然として八十メートル奥に控える予備隊で間に合うか。スタン後に攻撃を受けても耐える姿勢をイメージする。多分ティクルが間に合う。しかしそれはタスタス達の戦場最深部への投入ということでもあった。彼が想定した展開の中でも最悪のものに近い。
一方、警告した少年が壁に大穴を開けてつっこんだ。もはやヘイト管理どころではない。
彼の一撃がクリティカルに入ったらしくボスがひっくりかえって技がキャンセル、手足をバタバタさせはじめた。タンブルだ。真っ青になっていた A隊の諸悪の根源君ですら目に光が戻る。
「今だ囲んでいいっ! 《旋車》は無いぞっ」
「おうっ!」
大技。スキルで削りうる HP の最大値をがっつり削った手応えの快感が身体を満たす。
その技後硬直が終わる前、ボスが立ち上がろうとするところを最後は主力コンビが綺麗にワンツーで止めを刺し、ボスを吹き飛ぶ結晶に変えた。
Conguratulation の文字が空間に大書きされ、大歓声がわきあがった。
最後の瞬間、隣に戻ってきていたウルフギャングと強く握手を交わし、そしてアーランは大の字にひっくりかえった。
彼は少しだけディアベルに黙祷を捧げた。そのまま目を閉じて振り返ってみる。ディアベルに代って指揮をとった少年の出来は素晴らしかった。
ただし、ボスの次の挙動があれほど正確に分かるなら、そのことはせめて元ベータテスターの間では周知しておいて欲しかったと思うのだ。ディアベルは元ベータテスターであり、少年もそうと知っていた、あるいは想像していて彼も同じことを知っているだろうとみなしていたのかもしれないが、アルゴのボス情報のペーパーにその記述はない。つまりベータテスターであっても周知されていない性質のものであることは彼も知っていたのだから。
「は」
彼は大きく息を吐いて立ち上がった。
もう暫く静かに寝させろよ、と思うものであった。一部のプレイヤーが少年を非難しはじめたのである。
反感を主導しているのは E隊というか、キバオウパーティに居たケープを被ったプレイヤーと C隊でよくディアベルのそばにいたシミター使い。
分からなくもないがと最初は思っていたが、しかし良く聞くと話がおかしい。彼等は、少年が元ベータテスターとしてベータ時代のコボルドロードの情報を隠匿し、その結果としてディアベルが死んだと言う。
少年の知識を皆で共有していた場合、レイドは速やかに無傷で勝ち抜いただろう、その主張は正しい。
少年が知識を隠匿していた場合、つまりディアベルも知らなかった場合、ディアベルは知らないなりに計画を立て、そのように行動し、結果として長時間戦うはめになったとしても、無事に皆で勝利するか、あるいは一時撤退を決めて皆を無事に帰宅させるかを選ぶべきであった。
無傷で勝利したのならディアベルが賞讃されたはずだったのだから、被害がでればその一義的な責任はディアベルにある。少年の責任を問うのはディアベルのリーダーの資質を問う行為なのだ。それをディアベル隊の人間がやっている。また、E隊は戦線崩壊後も仕事をしていたとはいえ、十指に入る戦力の少女ですらケープを被ってはいられなかった戦場でケープを被ったままで居たということは仕事をさぼったと声高に主張しているに等しい。真っ先に逃走、戦線を崩壊させた戦犯の C隊はもちろんそれ以下だが。
E隊のリーダー、キバオウに止める様子はなく、彼も厳しい表情で少年を睨んでいた。
アーランは手を挙げて発言を求めた。水をぶっかける。
「でもさ、昨日配布された攻略本に、ボスの攻撃パターンはベータ時代の情報だ、って書いてあったろ? 彼が本当に元テスターなら、むしろ知識はあの攻略本と同じなんじゃないのか?」
非難を主導していたシミター使いは一瞬怯んだもののすぐに噛みつくように、
「あの攻略本がウソだったんだっ、アルゴって情報屋がウソを売りつけたんだ、あいつだって元ベータテスターなんだから、タダで本当のことなんか教えるわけなかったんだ!」
これほど精神的に疲労していなかったとすれば、その言葉に彼が吹いたであろうことは間違いなかった。
反応の鈍かったアーランに代わり、エギルと、少年とコンビを組んでいた少女がシミター使いに詰め寄った。
「おい、おまえ」
「あなたね」
被告席の少年が二人に無意味だと手を振ってそれを止めた。
「元ベータテスターだって? 俺をあんな素人連中と一緒にしないでもらいたいな」
その後の少年の発言にアーランは胸が痛くなった。
「今のあんたらの方がまだマシさ ──」
こういうあたり、キバオウを持ち上げた昨日の自分も同じである。振り返るとエギルが弱々しくにやりとし、彼も苦笑以前を返すしかなかった。何が面倒だって、非難する側も少年の側もおそらく一定の真実を混ぜて話している点であろう。
「チーターだ!」
「ベータでチーター! だからビーターだ!」
「ビーターか、良い名前じゃないか」
実際にどの程度チーターなのかはこの際どうでも良いのだが、微妙に悪の道を切り開いてしまったことが気になってキバオウを窺うと、目が合ってしまった。先に向こうが気まずげに顔を背けて、アーランは少し安堵した。元ベータテスターを上手く使えとは言ったが、特定の個人を罠に嵌めろとは言ってないつもりだったから、そこまではしないというキバオウの答えに安心したのである。
ただ、この場の反応はそれで鎮静化してしまった。ラストアタックボーナスの黒い上着を羽織ると、さっそうと少年は立ち去った。コンビを組んでいた少女がそれを追いかける。
つまり後始末も何にもしないで最大の殊勲者が立ち去ってしまったわけで、呆然として皆がお互いを見回すことになった。
口をぽかんと開けたままのキバオウにアーランは静かに詰め寄った。不穏な空気を感じてかフロア出口に向いていたキバオウの視線が彼に移る。目に力も戻っていることを見てとってから、小さく彼は言った。
「ここから先はあんたの仕事だぞ。名分もある。あいつに仕切らせるな」
動きのないシミター使いに目を送る。
「……分かっとるわいっ」
姿勢を整えてからキバオウは大声を上げた。
「おい、おまえらっ」
反射的に皆がキバオウに向き、次いでエギルに不安な眼差しが向いたのは御愛嬌であろう。キバオウが仕切ろうとしているのは明らかで、彼に名分もあるが、そのことに殊勲者の一角である反キバオウのエギルが承知するか。エギルは苦笑したあとキバオウに先を促した。全体の空気も弛緩する。
アーランが一息ついて B隊が集まっているところに戻ると、ウルフギャングが出口を指さして彼に申し訳なさそうに小さく言った。
「エギルさんがあっちもよろしくって」
見るとレイピア使いの少女が階段途中に一人でぼけっと佇んでいた。彼も囁いた。
「少年のほうはどうしたの?」
「なんか置いていかれたみたい……俺等ああいうの無理」
がんばって、とその場の四人ともが小さく手を振った。
最初の《旋車》の後、壁隊が出遅れた理由がよくわかんなかったのて適当に設定。