血盟騎士団調査室   作:神木三回

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攻略戦前夜

 アルゴ・ティクル・タスタスの打ち合わせの席上、ティクルがメッセージを受け取るそぶりを見せた。案の定というか、彼は可視化してから隣に座っていたタスタスに見せ、彼女が文面と正面のアルゴを見比べ、何か話し出しそうになったところでアルゴはそれを止めた。

 「まった。場所を変えようか。おれっチが使ってるところがアル」

 ティクルのところに届いたのはアーランからの指示書だと見当をつけた。三人が話し込んでいたのは中央広場そばの大食堂である。どちらかというと攻略会議のことをわざわざ周囲に聞かせるために選んだロケーションだったが、ここから先は人の居ないところのほうが良い。

 アルゴがそう言うと、タスタスはティクルに判断を任せるように彼を見、彼が小さく頷くと、彼女は訊いた。

 「えっと、どういうところでしょうか?」

 アルゴは「おや」と思った。

 まず。アーランと対面した時にみせる彼のアドリブは、彼らのパーティの行動原理や実際の行動との間にズレを感じない。つまり、彼らの間で話合いがもたれていたとしても、その結論に残る二人の思索は反映されていない。おそらく見たとおりのアーランのワンマンチームである。実際、アーランとの交渉の席でタスタスが同席していることもあったが、彼女が存在感を示したことはない。判断をリーダーに丸投げすればメンバーが判断能力を鍛えられることはなく、二人をアルゴに寄越した時、彼女は最初「おれっチは保育所じゃナイゾ」とすら思ったものだった。

 しかしこの席でタスタスは存外にイニシアティブをとってみせた。その出来は望外だったが、その彼女が、ずっと静かだったティクルを要所で頼った。アーランは三人目の存在を物理的に隠していたが、ことによると能力的な意味では今も隠しているだろうか。

 「脇にちょっと入ったところの小さな喫茶店だヨ。そこを貸切りにするダケ……」

 タスタスの表情で話のピントを外していたことに気付いた。

 「別に、セーフティハウスとかそんなんじゃない。こういう場所で話をすることのほうが珍しいヨ」

 二人は苦笑して頷いた。それはそうだろう。情報屋が聞き耳を立てられる場所で情報の売買などとまずあり得ない状況である。聞き耳を立てられることを前提として、つまり宣伝を兼ねて情報屋を使うのはアーランくらいのものであった。

 

 徒歩数分の、そのうらびれた間口の狭い小さな喫茶店に客は誰もおらず、店長 NPC に貸切り札を出してもらったアルゴは一口コーヒーに手を付けてから二人に訊いた。

 「それで、あのにーサンは何て言ってきたのカナ?」

 仕事に戻る店長を興味深げに眺めていたタスタスは、

 「エギルさんとキバオウさんが話をするところを聞いてみませんか、というお誘いです。さしつかえなければですが、アルゴさん、聞き耳スキルもってますよね?」

 「聞き耳スキルについては、まあ秘密にしておこうカ。無くてもなんとかするようにするよ。というか、君達持ってないよネ?」

 少し困ったようにタスタスが微笑んで、

 「わたしたちは後で先輩に聞けば良いだけですから。アルゴさんの場合、又聞きじゃ駄目ですよね」

 「それはそうだネ。で、その二人のやりとりを聞いたとして、おれっチが払う対価は?」

 「荒事になった時に、その場に乱入することで ──」

 「ちょっと待って、それ難易度が高すぎないカ、プレイヤーの乱闘を止めるとか ──」

 前衛職と攻略トッププレイヤーの喧嘩に逃走能力全振りが飛び込めば交通事故一直線である。さすがに慌てたアルゴの抗議を軽く止めて、タスタスが続けた。

 「いえ、飛び入りするだけです。何て言うんですか、身体を張るという意味では何にもしなくて良いそうです。先輩が知りたいのは、アルゴさんの判断基準、具体的にはボスレイドで何がどうなったときに危険と判断してその場に飛び込むか、そのあたりのことなんです」

 「おれっチにも訓練に参加シロ、ということカ……」

 「はい」

 椅子に深々と座り込んだアルゴを見つめるタスタスは「断りませんよね」とにっこり笑っていた。実にリーダーに良く似た表情だった。

 彼女が承諾すると、あとは細かい摺り合わせである。アーラン達 B 隊と E 隊の話合いの前提や目的を聞く。閉鎖空間から外部へ、メニューを開く動作なしで様子を送る方法を聞いたところでアルゴは目を丸くした。

 「良く思いつく……」

 窓越しにハンドサインでもするか、と思っていたところである。ここに居ないアーランに軽い賞讃を送るとタスタスがにっこりして、

 「あ、ありがとうございます。思いついたのわたしですー」

 「今回の件のために考えたってことじゃないのカ。つまりいままでモ?」

 「使ったことはありますが、こういう実用は初めてですねー」

 「でも肝腎の迷宮区の現場ジャ使えないよネ?」

 「本当にそういうところは厳しく造ってありますよね」

 アーラン達は迷宮区にこもることが少なかったから、彼らが生み出したものは迷宮区の制約を考慮していないものが多かった。フレンド探索でプレイヤーの位置が分かることを使って、立ち位置を変えることで情報を伝える、というのもその一つである。

 

 その後、簡単な先約があるからとアルゴはそのまま同行することを断り、でも話が始まるくらいには戻るよ、と言ってから彼女は二人と別れた。

 アルゴが倉庫街の草むらに身を潜めていたタスタスとティクルの二人を発見したのは、夕暮れも陽が落ちる直前である。影が伸びて目立つ時刻で、窓から見られる位置に陣どることも出来ずに二人は ── というより多分タスタスだけは背を低くして繁みに隠れるのに苦労しており、こうして背中側からみているともさもさしていて面白かった。

 「この大事な時期に、くだらん傷を残したまんまで仕事が出来るかっ!」

 声を掛けようとしたところで二人が監視していた目の前のレンガ積み様式の倉庫から大声が響いた。そちらを見ると、素人連れて中に侵入する必要があるかと思っていたが、良く見れば窓もドアも開けっ放しだった。なるほど何時でも突入できる。この倉庫はキバオウ達のホームというかたまり場だったはずである。明らかな敵地で色々良くやる、と思っていると、彼女に気付いたのかタスタスが振り返った。

 「あ、アルゴさん」

 「遅れたかナ」

 「いえ、キバオウさんもさっき戻ったばっかりでたぶん始まったばかり、というか」

 「あれ、にーサンの声だったね。聞き耳スキル要らないねェ……」

 アルゴは滑り込むようにしてタスタスの脇に座った。

 「あははは……」

 恥ずかしそうにタスタスは俯いた。ティクルが振り返り、静かにしろと指を一本立てる。こちらはこちらで、アルゴ並にこの手のミッションに慣れている風だった。

 合同パーティの話合いの中でアーランが他者の発言を切って捨てたことは何回かあった。しかし断固としてはいたが静かな声音であって、彼が声を荒げるのをエギルは初めて聞いた。

 そしてアーランの鉾先は一瞬引いたキバオウだけでなく、エギルにも向いていた。

 ちなみにキバオウの下に居たはずのラスト氏は皆を倉庫まで案内してきた後は奥に引っ込んで震えていて仲立ちの役に立つ様子はない。ここまでの道中、アーランと仲良く雑談していたが、エギルも今にして思うに、あれはラスト氏に手伝ってもらうためでなくキバオウ氏の人となりを知るためのものだったのかもしれない。エギルのほうはローバッカと話をしていた。中国風の幅の広い剣……刀?で、エギルの使う斧と剣の間のような感じだった。時々アーランが剣使いが足りないとぼやいていたが、こういう感じのものだろうかと思ったものである。

 

 エギルやキバオウの当事者については、むしろ問題ない、相手の話をどう聞いたにせよ、判断が遅れることはないだろうとアーランは言った。

 問題は B 隊 E 隊の他のメンバーである。エギルが E 隊に何か提案したとして、キバオウが受けたとする。その時に E 隊のメンバーは即応できるか? キバオウの内心をおもんばかって反応が遅れたりはしないか。その逆はどうか。

 正面のキバオウを見つめたままのアーランに後ろからエギルが話しかけた。彼の言い分に一理を認めなくはないのだが、

 「いやしかしな、アーラン、こういったことは早々すぐにどうにかなったりはしないぞ……」

 せっかく抑え込んだことをおもいっきり蒸しかえしているが、そこまでしてメリットがあるのかと思ってしまう。キバオウが帰って来た時に一瞥して睨まれ、「これはだめだ」とアーランに交渉を丸投げしてしまったのは悪いと思っているが、合同訓練を提案した当人がここまで話を壊しにくるとは思っていなかった。そのキバオウが視線をエギルにずらして微かに同意したような表情を見せるくらいである。

 アーランが一枚スクロールを取り出してキバオウの前のテーブルに置いて、

 「《鼠》の奴にこれを書かせたのはあんたか?」

 キバオウが拾いあげると、会議で受け取ったボス情報のペーパーである。

 「何のことや?」

 「違うのか。じゃあそこから確認しなきゃなんないかな」

 アーランは、このペーパーがキバオウの会議での発言による成果だと言った。

キバオウの泣き落としでベータテスター達から第一層ボスの情報を引き出し公開させた。おかげで偵察が省略できてしまい、攻略が一日早まった。

 「……泣き落としちゃうわ」

 そっぽを向きながらも、キバオウは必ずしも悪い表情ではない。むしろエギルのほうが内心で驚いた。会議で愚痴っていたことと違う。

 エギルに気付いたかどうか、アーランは首を振って、もう一つスクロールをキバオウに手渡した。

 「いや、泣き落としだね」

 「なんやとっ」

 スクロールを読めと、顔を真っ赤にしたキバオウをほとんど無視するようにしてアーランは目で言った。

 「確認が必要なら《鼠》に訊け。そこにあるように、ここまでの元テスター達の死亡率四十パーセント、新人さんは十八パーセントほどになる。テスターの半分なんだが、ま、こっちはどうでも良いや」

 「それが何や」

 もう一言なにかないのか、というアーランの表情に付け加えた。

 「……ざまぁとしか言いようがないわ」

 「まぁ自業自得な訳だが。一ヶ月で半分だぞ、このまま行きゃ、あいつら全滅するぞ」

 「ええやないか。清々するわ」

 「殺すな。すこしは助けろよ」

 アーランが大袈裟に舌打ちしてみせて語った戦略方針には、その場に居る全員が軽く引くことになった。キバオウでさえ眉を顰めている。このまま元テスター達には漢探知させておけというものである。彼らが宝箱を開けると二つに一つの確率で死に、もう一方がレアアイテムを手に入れる。現状はそういうことだと彼は言った。

 盗み聞きしていたアルゴでさえタスタスとティクルに説明を求め、部屋の中ではエギルが声を上げた。

 「待て、アーラン、それは無い……」

 振り返った彼はいつもの表情で、本気で語っているのがエギルにも分かった。

 「けどな、エギル、数字上はそういうことだぞ」

 元ベータテスターは二人に一人が死ぬ代わりに宝を独占し、何も手にすることのない新人は代わりに五人に四人が生き残る。エギルもそれは分かる。しかし昨日の話で、そのあたりのことは俎上に乗らなかったから彼の話の持って行き先が不安でしかたがない。

 「そうかもしれん、それならそれを止めるとか……」

 さんざん彼が攻略速度が速すぎることを嘆いていたのを思い出してエギルの言葉尻が小さくなる。

 「……手助けするとか、だな」

 不思議そうにアーランが首をかしげて笑う。

 「だからそう言ってるわけだけど」

 それからキバオウに向きなおって悪魔のように笑った。

 「少なくとも、泣いてすがってそれ寄越せ、というのは違うよな?」

 「先輩、豪快にやっちゃってますねー」

 元ベータテスターに対する悪意と嘲笑の説明に対してタスタスは朗らかに笑ってみせた。ティクルも顔色を変えることなく呟いた。

 「天下三分の計、どころじゃなかったな」

 どういうことだという顔をしたアルゴに、

 「現状の事実が、そう解釈も出来るというだけですから」

 死亡率の話が出たとアルゴから聞いてから表示していたスクロールをしまい、アルゴさん昨日の会合の話聞いてませんもんね、と呟いてから彼女は説明した。攻略プレイヤーにおける元テスターと新人の死亡確率はほぼ同じであること。同じデータから、今日は二対一の比率を引き出して説明していること。明らかに意図をもって話している。

 「……同じデータだロ?」

 二対一は分かるがほぼ同じって何のことだとアルゴは訊いた。

 「プレイヤー全体での死亡率の比は二対一ですね。攻略プレイヤーの死亡率が一対一。新人さんの大部分は攻略に参加してないので、母集団変えると比率変わりますよ?」

 昨日の朝の会合では攻略プレイヤーの低減具合いにしか興味がなかったから、そちらの話しか出ていない。もちろん今日の話でも本題は攻略プレイヤーの死亡率になるはずだが、そこを全プレイヤーの話にすり替えて二対一という数値を捻り出した。

 アルゴは慌てて自分で清書したデータを取り出して上から下まで読みなおしてから、顔を上げた。

 「つまり、元ベータテスター達が進んで漢探知しているという事実はナイ?」

 「はい。もっとも、本気で誤解してもらって、元ベータテスターさん達が冷や水浴びせられて、それでみんなが落ち着いてくれるならそれはそれで本望だと思ってそうなんですけどね……」

 引っかかりかけたアルゴも何とも言いようのない顔をして、

 「じゃあ、にーサンの話の意味は」

 「B隊・E隊、というかレイドに参加してる人というか、キバオウさん達とそれ以外の間に対立軸があるから、それを跨いだ命令や依頼でつまずくんですよね? 元ベータテスターさん達を嫌うキバオウさん達にも、そのキバオウさん達を疎ましく思うエギルさん達からも、ドン引きしてもらえるような意見を出してみせたわけですね」

 アーランが悪役になりすぎると一瞬思ったものの、そうではないことに気付いてアルゴは頭痛を覚えた。最悪の場合でも、ただのマッチポンプだった。

 「いざとなったら、そんな事実は無いといって火消しするつもりカ……」

 「なんですけど、このへんの話、エギルさん達も聞いてるはずなんですが、そのあたりどんな感じなんでしょうか?」

 「……あんまり分かってる感じはナイな」

 そうですかぁ ── と彼女はインスタントメッセージをどこかに送った。相手はエギルだろう。

 

 ところで、とティクルがアルゴに向いた。

 「今の瞬間て、もしかして俺らの突入のタイミングじゃなかったすかね?」

 そんな話もあったなぁ、とアルゴは遠い目をして、

 「ン、いや今のは違うネ。本番でもこれくらいじゃ突入はしないヨ。それくらいは本隊に任せヨウ」

 

── もっとも、夜半に合同訓練から戻り、リズベットの所に行こうとタスタスを誘ったアーランは道すがら別の二つのことを語った。

 一つはキバオウ達の命運である。

 現状、攻略組のトップグループのほとんどが元ベータテスターであろう。キバオウ達のグループは、そこに混じっていながら反テスターを明確にした。つまり同業者の助けが得にくい立場になった。ぬるく足をひっぱられるなら良いほうで、クリティカルなタイミングで他のグループにサボタージュされるとそこで終わってしまう。せめてこれ以上、傷口をひろげないよう心理的なはけ口を用意した。ベータテスター達からリソースを取立てようとするよりは、心の中で嘲笑させておくほうがまだ良かった。

 「もっとも、彼は十分に善良だったけどね」

 あのキタローさんが一緒に居た相手だ、そんなに悪いはずはないと思っていたよ、ラストさんからも裏付けは取れたしね、と笑いながら付け加えた。

 二つ目は、アーラン自身が彼に共感していたということである。

 迷宮区には入るなとは言ったが、最大の理由は経験値の問題ではなく、迷宮区では地の利の勘を持つ元ベータテスターと張り合うことは出来ないという点にある。元テスター達と五分で張り合える時期がくるまでは雌伏を続けるつもりだが、今の最前線で戦うキバオウ達のストレスは大きいだろう。

 「特に他人の命を背負っている人はね。昨日の宝箱が空でなければ助かった仲間が居る、と思っちゃうのはどうにもならない」

 「……先輩も、ですか?」

 「こないだ君が抗議してきた程度には僕も少しおかしくなってたかもな。この程度でどうにかなるようなやわな精神構造はしてないつもりだったが、定規ごと歪んでると分からんもんだ」

 「そこまでにしておけ」

 エギルが後ろからアーランの口をふさいだ。

 「俺らは明日のための合同訓練でここまで来たんだろうが」

 時間を取らせたとエギルが謝ると、キバオウも溜息をついた。

 「そやったな。……B隊、エギル、言うたな。そないな危険物放置するんやないで?」

 「いやー、しかしな、俺らもレイドが終わったらパーティ分かれるつもりだしな」

 「そやったか? そういえばそいつ護送船団やらのリーダーやってたはずやな? 何時の間にリーダー代わったんや?」

 アーランがトントンとエギルの腕を叩いたのでそっと手を離してみる。アーランは笑いながら、

 「いや、悪いね。興奮しちゃって。エギルさん船団の時には組んでなかったから、代わるも何もないよ」

 「そうなんか」

 毒気が吹きとんだような顔したまま、キバオウも呟くように答えた。エギルも普段に戻った。キバオウを相手にしてどう対処したらいいか分からないというような表情はしていない。火災を爆風で吹きとばしたような空気が漂った。

 「じゃあ行こうか? キバオウさんはお薦めの場所とかあるかな?」

 ほとんど何事もなかったように、しかしきっちり仕切る彼にキバオウとエギルは顔を見合わせた。

 アーランは真顔に戻って目を細めた。キバオウの態度は、この程度の悪意を前にしただけで元敵(エギル)と手を取り合うことができるということを意味した。

 「あんたは、そこまで悪党ではない、ということで良いのかな?」

 「貴様ほどではないわ。けど一人だけ高笑いしてる奴がおったらそれはゆるさへんかもしらん」

 「別に特定の個人にライバル意識持つのまで止めろとは言わないよ」

 「ライバルちゃうわ……」

 「エギルさんも、もうすこし元テスター達を何とかしようという方針にこれからも協力してもらえるだろうか?」

 「構わないが、もう少しこう言葉を選んでくれないか。あんたらと付き合って一週間か二週間か、……知らないやつが聞いたら心臓止まるだろう」

 迷宮区の天辺まで往復するくらい疲れたぞ、と彼は額を押えて天を仰いだ。

 「キバオウさんはライバル意識剥き出しで突っかかっていく相手が居るそうだけど、それについてはどう思う?」

 キバオウとアーランを見比べてから彼は言った。

 「……別に良いんじゃないか?」

 「だそうだよ?」

 いちいち答える気もなくしてキバオウは告げた。

 「迷宮の十八階にええところがある、そこ行こか」

 その言葉に、ここまで見物に徹していた E隊の何人かに気合いが入った。はて、とラスト氏に説明を求めてそちらに向くと、彼も首を捻っている。

 「そいつは知らん。ここんとこリトルアトラス相手しとらんからな」

 エギルが一歩前に出て、

 「予習はさせてくれるんだろうな?」

 「あたりまえや」

 迷宮区十八階の、ある通路を塞ぐように立つ植物型モンスターだとキバオウは言った。

 一メートル強の太さの胴体で背丈は高く、首の部分は天井につっかえてしまっている。口の部分の歯も恐いはずだが、高い場所にありすぎて無視して良い。最大十本の蔓形状の腕を持ち、腕にはサヤエンドウのサヤのような形の曲刀が付いていて、それを振り回して攻撃してくる。本体の移動速度はほぼゼロに近く、その場から動かない。

 「攻撃力はそこそこある。今の俺らでも二、三割もってかれるで?」

 ただし防御力や HP はリトルネペントと同程度。攻略組ならどれほど不器用でも二撃当てれば倒せる。リポップインターバルは二十秒。

 「リポップインターバルは短いが、レベリングの行列が出来てたりはせん」

 「防御力が無いからだな。経験値が増えない」

 答えたエギルは、キバオウに意外そうな顔を向けられて少し凹んだ。キバオウは彼に挑むように、

 「なら後ろの奴らの気が入ってる理由言うてみい」

 「すまん。もしかして誰かやられたか……?」

 「それだけでここまでなるかっ!」

 血を吐くように叫んでから、ギリと歯を食いしばってキバオウは説明した。

 攻撃力だけはあるリトルアトラス。これが中ボスと思い、その向こうに十九階への階段があると信じて戦い、一人死んだ。しばらくして十八階のマップが全て埋まり、そこで彼らは知った。リトルアトラスが塞いだ向こう側に出るのにリトルアトラスを倒す必要は無く、ぐるっと反対側まで平和な回廊が繋がっていたことに。

 せめて戦ったこと自体が身になっていれば良いものを、直感的にも経験値稼ぎにはならないことが分かっている。今や全員が全員無視するモンスターだった。

 「そうくるかぁ……」

 後ろで疑問を覚えたアーランすら、地雷すぎてキバオウに訊けなかった。つまり、そのことを元ベータテスター達は知っていたかどうかである。ベータ時代に居なかったのなら、キバオウ達が納得できるかどうかはともかくただの不幸な偶然だが、居たのなら情報を出さなかったテスターに対し、もはや彼もフォローする自信がない。あとでこっそりティクルに訊いてみることにする。精神的に歪みそうだからと近付かなかった迷宮区上階だが、具体例を聞くと近付かなくて本当に良かったと思う。

 ちなみに手持ちのマップの当該位置には非推奨モンスターのマークが入っていた。理由は攻撃力のわりに経験値蓄積が激少。マップを開いてみて彼も思い出した。

 「そういやコメント読んでスルーした記憶があるなぁ……」

 観光に来ていれば見物くらいはしたかもしれないが、十八階は観光したことがなかった。

 「で、そんなもん俺らにぶつけようというのか?」

 エギルの固い声の質問に割り込んで答えたのはアーランである。キバオウが答えると角が立つ可能性があった。ここまで来て拗れてほしくはない。

 「エギルさん、これで正しい。これからするのは強いボスを想定した練習だ。相手がボスまがいに十分に強く、なおかつ事故った時にすぐにモンスターを消して治療に入れる程度には相手が弱い必要がある。……すくなくとも、相手に攻撃力がないとただのタコ殴りになってしまって連携練習にならないぞ」

 「それでええんやけど……なんや、貴様変わった言い回しするんやな」

 「いや、こいつはこんなもんだ」

 「そか?」

 首をひねってから、

 「まあええわ。で、確認しとくことがあるんや。あんたらボコボコにリトルアトラスの攻撃受けるわけやけど、本番までに武器の手入れ出来る、んか?」

 帰ってくるころには NPC 鍛冶屋は閉まっている。あ、と言ってエギルはアーランに振り向いた。アーランはキバオウに尋ねた。

 「そういう言い方をするってことは、あんたらは当てがあるのか?」

 「懇意にしとるプレイヤー鍛冶屋に店開けてもらえばええからな……」

 へえ、とばかりに頷いたアーランをキバオウは苦々しく見つめて、

 「そこでドヤ顔するなや、感謝はせんぞ」

 なるほどプレイヤー鍛冶にはそういう利点もあったのかとアーランも初めて知った。ならもう少しレベルの低い鍛冶屋も連れて来て良かったかも知れない。基本的に夜は寝る時間なので盲点だった。

 「エギルさん達の分は僕のところで無理聞いてもらおう。ラストさんのはキバオウさんのところでやってもらえるとして、ローバッカさんは?」

 「じゃあ俺の分も頼むわ」

 「分かった。トータル五人分だな」

 見回して人数を数え、彼はリズベットとタスタスにメールを送った。

 キバオウ達の倉庫はトールバーナ北門近くの倉庫街の一画である。迷宮区タワーは北門から少し歩いたところにあった。

 キバオウがラストからアーランと何を話したか尋問していると、その当人のアーランから声が掛かった。彼は周囲を見回しながら、

 「この倉庫っていうか元倉庫街、そもそも何のためにあることになってるか知ってます?」

 「別に借りてるわけやないから、説明テキストは付いてこん」

 「……不法侵入ですかもしかして」

 「ここらにある倉庫の、あの一棟だけ鍵が壊れてるんや」

 「キバオウさんっ!」

 おそらくキバオウパーティの一人だろう男から注意が飛んだが、そちらを向いて彼は言った。

 「どうせ二、三日したら引き払うんやで?」

 「……あんた元テスターでもないのに良く知ってたな?」

 「最初に占拠した奴がおってな。そいつから買った。たぶんベータやったんやろう。業腹やが、初期経費はともかく維持費はゼロやしな」

 「あー、すまん、悪いこと訊いた」

 最前線のやつらというものは、これほど地雷を抱えているものかとアーランは内心で頭を抱えた。するとあのディアベルもなんだろうかなぁ、と思ってしまう。売ったプレイヤーも要するに情報屋としての仕事をしただけだから淡々と仕事をすれば良いだけのところ、わざわざ要らないことを言ったのだろう。

 「気持ち悪いこと言うなや。こっちからも訊きたい。あんたの立場が良く分からん。ベータ共は嫌いか? なんや助けるようなことを言うとったが」

 「論点は違うかもしれないけど、僕もけっこう怒ってるよ。けど、たかだか十層かそこらで全滅してもらっちゃ困るんだ。わりとマジで」

 「……本気で言うとったのか」

 「《野性の勘》スキル持ってそうな君に口だけでごまかせるとは思ってないよ」

 「ないわそんなもん」

 

 なお、対リトルアトラス戦では、あまりに B 隊盾職の固い壁に「こちらの練習にならんっ」とキバオウが切れ、仕方なくランダムに壁に穴をあけることになった。戦闘指揮そのものは、本人の普段の言動のわりに落ち着いた堅実な指揮で危ないところもなかっただけに、アーランはそこだけは惜しいと思う。

翌、ボス戦当日、その朝。集合場所の中央劇場にて、あくまでもディアベルの語り口は軽かった。

 「一人でも欠けたら今日は作戦を中止しようって思ってた! でもそんな心配、みんなへの侮辱だったな! 俺、すげー嬉しいよ……!」

 アーランは頭を抱えていたが、エギルもそれをたしなめようとはせず、厳しい顔つきになっていた。ウルフギャング、ナイジャンの二人もエギル達の考えていることが分かるのか、固い表情でエギルを窺う。

 「エギルさんや」

 「なんだいアーランさんや」

 「今からレイド抜けようかな……一人欠ければ中止に出来るんだよな」

 ここまで煽ったのでは最早ディアベルでは撤退指示が出せまい。完遂か全滅かの二択になる。となると事前に偵察を送って情報を確認してこなかった罪が重かった。

 「分からんでもないが……やめておいたほうがいい。皆のためではあるかもしれないが、改善策とか聞いてもらえなくなるぞ」

 急所を突いた止め方にアーランがエギルを見れば、あんたにとってはそれこそが大事なことなんだろう、と表情で語っていた。

 「それも大問題だな……。一応確認するんだけど、せめて班のリーダーの間で指揮権委譲順位とか決めてある?」

 「そういやどうするんだ。リーダーが A 隊じゃないから、次が B 隊の俺ってことはない訳だよな」

 「決めてないのかよ。まあ別に暗黙のうちに決まってても良いんだけど……キバオウさんじゃないよな? エギルさん頑張る?」

 「どっちも無いな。……まずいかな?」

 「まずいだろ」

 撤退判断を誰がするかという話である。誰にも出来ないことが一目瞭然だから各自の判断、ということになれば一瞬で戦線が崩壊する。アーランが考えこむと、エギルが彼をじっと見つめた。言いたいことは分かる。

 「で、何。僕がディアベルさんに訊くの?」

 「サブリーダーの俺らがやったら自分を二番手に指名しろと言ってるようなもんじゃないか」

 「昨日言ったと思うけど、僕、葬式に立ち会ったことないんだぜ。もちろん遺言状とかいうしろものも見たことはない」

 二番手に誰を指名するか、と訊くのはつまりそういうことである。

 「おいおい、葬式で遺言状に立ち会うのはそんな多くないぞ。……そういう感覚は大事かもしれないな」

 「なんのこと?」

 「身近な人が死ぬのが恐いってことがさ。あんたが安全に口喧しいのは、そのへんが原点なんだろうな」

 「そりゃそうよ」

 大きく溜息をついたアーランが諦めたようにメニューを操作しはじめる傍らで、エギルは小さく首を振った。言いたいことはそうではない。身の回りに死んだ人が居ない、実感が無い、というわりには誰かが亡くなることを病的に恐れている気がしたからだが、リアルに関わることだからと彼は沈黙を守った。

 ディアベルからの返事はすぐに返って来た。遠目に彼を見ると小さく片手でごめんと言っていた。彼は意外にもキバオウを指名し、それは A から G までの全サブリーダーに伝達された。昨夜の合同訓練を思い返してみて、アーラン達も特に不満はなかった。

 自分で閑職に追いやったと思われたディアベルが指名したことは不思議だったが、彼に問題が生じた時、A から D までの本隊が無事とは思えないといえばそのとおりであり、C のディアベル隊が壊滅したのならその時点で補充に E 隊が代わりに入っている。本隊の中でもっとも余力があるであろう E 隊が指揮するのも自然な話ではあった。

 


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