血盟騎士団調査室   作:神木三回

11 / 16
先月末めっさ忙しかったとかそのあと風邪で寝込んだとかいろいろあるが、実時間も掛かってるというのもあるかもしんない……。



旅の道連れ 2

 「生け捕りですー」

 ナイトメアスリカータの領域に入った早々にタスタスが一匹捕まえて掲げてみせた。 

 アーランは素直に感心した。やるかもしれないと思っていたから彼も少し考えてはみたのだが、すばしっこいのはなんとかなるとしても小さすぎて無力化が難しい。彼女はポップエフェクトの光と同時に後側に回り込み、ポップ完了と同時くらいに抱え上げ、口に鉄鉱石を突っ込んで無力化して生け捕り完了と、午前中と同じく彼がサンプルを見せたとはいえほぼ初見で見事な手際だった。捕えられたナイトメアスリカータも彼女の腕の中でおとなしく、口を塞ぐための石が辺りに見当たらないから代わりに鉄鉱石、というのも上手かった。

 「えへへー」

 褒めているのが分かったのか、彼女も相好を崩す。

 彼に向かって威嚇するナイトメアスリカータと彼女を見比べながら、彼は真顔に戻って釘を刺した。

 「こいつら集団でポップしてくる。集中力切るなよ」

 なにしろ彼女は片腕が使えない状況である。

 言うそばから彼女の足元に再びぼんやりとした光が灯った。ひゃ、と小さく悲鳴を上げて一歩下がりつつ彼女はナイトメアスリカータを彼の間合いに放り上げる。彼は即座に二匹を消し飛ばした。

 彼女も剣を抜く。ふたたび辺りから音が消える。あたりにポップ気配の光もなく、死体も口に突っ込んでいたはずの鉄鉱石も消えた。

 「イノシシの口に詰めこむなら金貨の袋詰めか……と思ったけど」

 「大損待ったなしですねぇ……」

 警戒しながら彼女が彼の呟きに答えた。

 もっとも、フレンジーボアの闊歩する草原なら石も落ちていたかもしれない。このあたりが綺麗すぎるのだろう。そういえばと見回してみればメンテナンスの人の手が入っているような土地である。一面の草の背丈が芝生というには高く乱れているので庭園というほどではないが。

 ただ、庭師や草刈りといったメンテナンスの NPC を見掛けたことはなかった。

 先に進もうかと誘って、歩きながらそのあたりを彼女に話す。

 「山に柴を苅りに行くおじいさんは居ませんか。……林の中の空き地に丸太とか間伐材とかは積んであったりします?」

 「そういう演出も無かったなぁ……NPCリソース掛けなくてもそういう生活感の演出はタダで出来るな、そういえば。シイタケの木組とか?」

 「マツタケでもトリュフでもなくてシイタケですか」

 「木の根元に生えてる何かならどうせそのうちあるだろう」

 「そうですね。シイタケあたりは一種の宝箱扱いになるんでしょうかねー」

 「で、一緒にワライタケが生えてるんだ、きっと。鑑別よろしくな」

 「キノコの鑑別は専門家が必要なんですよぅ」

 「一年くらい修行すればなんとかなる」

 「修行途中であたって死にません?」

 「圏内で食べてみるぶんには大丈夫なんじゃないの? あれ? どうなんだろう」

 首を捻って、さらさらとティクルにメールして訊けば、毒キノコでも圏内なら HP が減ることも死ぬこともないとのこと。ただし腹痛相当の状態異常はあるらしい。

 「それ、何の保証にもなってなくないですか? ドクササコとか、リアルでは強烈な痛みで思わず自殺するケースもあるのに」

 「あれか、やばいキノコは実装されてないとは思うと言ってみても、試食する奴にとっては何の慰めにもならないパターンだな」

 「ですよぅ、未鑑定のレア食べて大丈夫かどうか事前に誰も保証してくれませんし。それに、実際ノックバックってけっこう痛いですから……」

 「痛みの上限設定、けっこう高いもんなぁ。腹痛で七転八倒したあげくログアウトボタンを手探りで探す展開は、ジョークアイテムとして普通にありそうだ」

 茅場晶彦の人間性にほとんど何も期待できなくても、アイテムやクエスト、設定の凶悪度には上限が存在する。それはどんなものであれ、社内(アルファ)テストやベータテストを通過しなければならないからである。ベータテストは十層以上のアイテムについてチェックしないからあまりあてにできないとしても、アーガスの茅場晶彦以外のメンバーが駄目出ししたであろうアルファテストについてはアーランは幾らか期待していた。しかし、この場合はアルファテストの想定もあまり役に立ちそうになかった。

 「レアキノコ試食、無理ですよね?」

 「だな」

 

 二人の散歩道は川のせせらぎの音以外静かなものだった。すれ違うプレイヤーも居らず、レベリングのことを思うと実はあまりよろしくないが幸いにしてポップしてくるモンスターもない。午前中に大集団が通過、狩りつくした影響だろうか。ここまでタスタスは一匹もナイトメアスリカータを殺していない。となると、と彼は思う。彼女が生け捕りできるならじっくりとテイミング実験ができる。しかし ──

 「スリカータってネコって言ってたよな?」

 経路上のモンスターの予習での話である。彼が小型モンスターをまとめてイタチと呼んだところ、彼女からクレームがついていた。

 「著しく誤解を生む発言ですねぇ……オービットもスリカータもイタチって適当にまとめるから訂正を要求しただけですよぅ」

 「いやまあ、それは良いんだけども」

 テイム可能かどうかというとっかかりは今のところ不明だった。ナイトメアスリカータがネコのグループ、ムステリオービットがイヌのグループだとして、イヌならテイム可能、ネコならテイム不可能というような可能性があるかどうか。とりあず植物系・鉱物系のモンスターは考えないものとして、リアルの動物の分類がヒントになっているような設定があるかどうか。

 以前、彼女のフレンジーボアの生け捕りについてアルゴとティクルに訊いてみたことがある。二人は自信無げながら異口同音にテイミングスキルのきざしではないかと言った。狩ってしまったらいけないんじゃなかったかと訊くと二人とも降参したのだが。ただ、とアルゴは補足した。ベータテスト時代、テイミングについての研究はそれほど系統だって行われたわけではないと。ベータテストが終了した後にネットに名乗り出て来たプレイヤーを含めてやっと十名。テイミングの成功報告はそれだけしかないから、抜けも多いだろうと。

 つまり、一匹も狩っていないからテイムフラグが立っているかもしれないし、関係ないかもしれないし、ネコなのでそもそもテイム不可能モンスターかもしれないし、そうでないかもしれない。

 そしてテイミングスキルはベータ時代よりも格段に凶悪度が上がっており、当然レア度は上昇するだろう。つまり攻略の強力な武器となった ── か、あるいはレアになりすぎて攻略上必要でなくなってしまったか。

 彼は溜息をついた。そこそこ手掛かりが揃ってきたつもりでいたが、実は何にも分かっていなかった。

 「えっと、先輩?」

 「あぁ、悪い」

 話そうとした矢先、こういう時にかぎって大量にポップの光が取り巻くのだった。

 「話は後な」

 「はいっ」

 内心で舌打ちしつつも複数ポップしてくれば身体は自然に動いた。もぐら叩きよろしく次から次へと斬り飛ばしていく。もちろん彼女も同じである。「殺すな」とは言っていないから当然ではあった。彼女に不殺を貫いてもらおうとするなら、走って逃げて追いかけて来るモンスターを彼が全て狩る、という形になるだろうか。実はやってできなくもなかったことを何匹か彼女が狩ってしまったあとで気付いた。しかしもう一つ思索を進めてみれば後悔は無かった。気付いていても「殺すな」とは言わなかっただろう。それはほとんど無意味に負荷を重くする。

 

 そろそろ来るかと見上げた丘にお約束通りポップエフェクトの光が広がっていた。警告しようかと彼女に振り向けば、彼女にもまだまだ余裕があった。良いことである。

 「上からシュードユニコーン来るぞ」

 もちろん今は稜線のユニコーンを叩く部隊は居ない。彼は手早く周囲のナイトメアスリカータを狩り取って足もとをクリアにした。彼女も斜面の先を見上げ、

 「どこがユニコーンなんですかぁ」

 「初めて見た人のお約束かもだな」

 彼は拍手した。

 「鍛冶屋さん達は突っ込むどころじゃなかったからな」

 彼らにとっては要するに「上から突っ込んでくるでっかくて恐いの」であって姿・形・名称の細部はどうでも良いのだから当然である。実はアーランも名前を気にするようになったのはタスタスがスリカータをネコ科だと言い出して以後のことだが、インドサイ(Rhinoceros unicornis)がユニコーンの一種だとかはスリカータをネコ科だいう以上にどうでもよいことの気がしたので勉強会では指摘していない。

 「要するにサイですよね……って気付いてましたね?」

 タスタスが口を尖らせた。へぇ、と意外に強い反応に彼は少し驚く。もうすこし軽く流すものだと思っていた。攻略本には載っていなかったのでアルゴに伝えてみたところ、彼女も既に知っていた程度のネタである。

 「見て驚くところまでは予定調和の範囲だと思うけど」

 「情報隠すのって良くないと思いますー」

 「ん、まあそうだな。すまん」

 彼女は軽くむくれたものの、突っ込んでくるユニコーンにすぐ真顔に戻った。最初の一体について手本を見せたあとは彼女にユニコーンを任せ、彼はナイトメアスリカータの処理にまわった。これはフライングアーケロンの、「でっかいのが突っ込んでくる」という状況に慣れておくための狩りでもあった。

 三体目あたりからだいぶ慣れてほとんど気遅れせずに立ち向かっている彼女に、

 「リアルに帰って車に轢かれそうになっても勝てると思うなよ?」

 「思いませんよぅ……思っちゃうかも」

 「不意をつかれても落ち着いて受身をとるくらいは出来るかもだな」

 「先輩こそ、自分の身体が想像以上にヤワだってことにブロック塀にぶつかってから気付いたんでは遅いんですよ? 鎧とか着てないんですしー」

 

 ポップが落ち着いたころ、ここは終わりだろうと二人で走り出す。その途中で彼はテイムの可能性について話した。ムステリオービットの領域まで走り通して一息ついたところで彼女は言った。

 「そういう話は会議室でしましょうよ……」

 パーティの行動方針に関わるレベルの話である。

 「いやー、ちょっと迷ってて。そしたらイタチ……じゃなくてスリカータに襲われて決断前にルート決まっちゃったしなー」

 「え?」

 テイムについて方針をまとめていないなら会議室で提案しないのは彼女にも分かる。しかしこういうのは珍しい。意志決定しないならしないで「意志決定しない」と明言するだろう。安全について口喧しい彼がレベルが下の自分を抱えての作戦行動中に、優柔不断を表に出すのは ──

 「先輩、やっぱりけっこう疲れてませんか?」

 思い返すにポップを見てから狩りにいく後手後手感が凄かったと思う。ユニコーンが落ちてくる前に周りを綺麗にした時の手際は良かったので気付かなかった。

 「頭半分くらい明後日の方角に向いてても、いつもならもう少しいろいろ手が早いんじゃないかなと思うんですけど……」

 後半のコメント本体はともかく、前置き部分に非難と鬱屈を感じとって彼は手を上げて降参した。不要不急の話を考え込んでコンビの片割れを放置したのは非難されても仕方がない。

 「まあ忘れてて良いよ。色気だすほどじゃないのは確かだ」

 「……そういうことじゃないです」

 上目使いで彼女は言った。

 「わたしは、先輩が不覚をとったりしないか心配だ、って言ってるんです。こういうの、HP ゲージ見てても分かりませんよ?」

 彼は苦笑した。彼も自覚がないではないが、かといって今できることは少ない。それは分かりそうなものだけどなと思いつつ、

 「想定外が山積みされたというならともかく、一応予定の仕事配分のうちだから。大丈夫だよ」

 そして付け加えた。

 「エギル達との交渉は明日に回すことにするよ」

 じっと見つめていた彼女も、ようやく落ち着いたのかなんなのか頭を下げてからこぶしに力をこめた。

 「……先進むしか、出来ることはないですよね。ごめんなさい。先輩に頼ることのないよう、がんばります」

 「いや、無理されてハラハラするほうが疲れるんだけど……って聞いてないね」

 きびすを返した彼女は既にあたりの索敵、警戒に入っていた。

 ムステリオービットのエリアでは暫く待ってみても結局一対も見掛けず、止むを得ず次の林に進む。

 シャドウイーターの林では、一体を見掛けて彼が処理したあとは一転して彼女の索敵スキル大活躍になった。頭の上から落ちて来るモンスターが奇襲にならないのがどれほど気持ちを楽にするか。彼は後ろから安心して見ていられた。これならと街道を逸れてフライングアーケロンのエリアへと踏み込む。

 とば口の林と比べればだいぶ樹々の密度が上がってきた奥の林に、唐突に広場が開けていた。さしわたし五十メートルほどの芝生、にみえてやや低くなっている半分以上のエリアが沼で、その上を水草が覆いつくしていた。芝生部分とよく見比べると緑がやや濃くて葉の形も丸い。水気の多そうな土地のわりに芝生部分の土は固く締まっていて、メイスで叩けばなんとか土は抉れそうだが、剣を土に突き立てることになれば耐久度に影響が出そうである。もちろん林道の床ほどではない。あちらは破壊不能オブジェクトである。広場を抜け、林道をさらに進んだあたりに次の広場も覗いている。そちらもフライングアーケロンの巣の一つだった。

 広場に踏込み、沼を一瞥してからアーランは振り返った。

 「さて、カメだ」

 日向ぼっこでもしているのか岸辺に身体半分を乗せているモンスターの姿が二体。沼にも数十センチほど不自然にもりあがった黒光りする部分があり、ゆっくりと動いていた。

 「カメですね。やっぱり足以外に手があるんですけど……ていうか、これリクガメですよね? アーケロンなのに」

 そして彼らに目を向け、のっそりと沼から上がってくるモンスターが一体。全長三メートルほどの六本足のカメであった。甲羅の一番高いところで一メートル半かそこらで、反対側にプレイヤーが立つと少し互いが確認し辛いくらい。そしてリクガメにウミガメの前ヒレをつけくわえたような体型で、ヒレのエッジは刃になっているのか金属光沢を帯びて光っていた。

 「ねえ?」

 彼女は肩の上に乗せたカメに同意を求めるように、指先でつついた。手は肩にしがみついたまま首だけひっこむ。生まれたばかりのウミガメの子供よろしく沼地のまわりをペタペタ這いずって逃げようとしていたのを彼女が拾って来たものである。リトルタータスは逆にウミガメベースにリクガメの手が付いたような体型だった。

 「じゃあちょっとやってみせるから ──」

 「見本要らないです。やってみます」

 「そう?」

 沼の中の待機中のカメも今のところはおとなしい。一体だけなら試行錯誤も問題ないだろうと彼が数歩ひくと、彼女はリトルタータスを地面に降ろし、沼に這いずっていくのを見守ってから剣を握った。一呼吸いれて、

 「行きますっ」

 彼女は身体を沈めて横殴りに斬りつけた。アーケロンは彼女の切先の流れる方向へ身体を捻りつつ剣の間合いの外へ跳ぶ。沼の縁に着地、泥水が盛大に跳ねとんだ。

 アーランは首を傾げた。悪手とまでは言わないが、地面近くを水平に斬りにいったのでは力が入らず、ダメージは稼げない。

 「む。やりますねー」

 彼女も沼の近くまでは追いかけない。

 沼の中から首をもたげて彼女を睥睨するアーケロンと、戦いに興味をもった風情の、ひなたぼっこしていた別のアーケロン。その陸の上のカメのほうがジャンプする気配 ──

 沼から離れ、飛び掛かったカメから大きく逃げて回り込み、カメと沼の間へ。アーランは表情を厳しくした。カメを沼から切り離したつもりで間違いでもないが、彼女が挟まれたとも言える。

 「先輩の出番はまだー」

 わずかに姿勢が動いたのが分かったのだろう、彼女からそう声が飛んだ。周りを見る余裕があるならと彼は剣を降ろした。ただ、現状のまま推移するなら勝ちは拾えるだろうが合格点はやれないと思う。

 

 陸の上に居る唯一のモンスターにあれやこれやと斬りつけ、カオスながら無事しとめたあたりで彼もなんとなく分かった。彼女は予習をなかったことにしていたらしい。新発見のモンスターだとすればどうするか、で動いていたようだった。沼に首も沈めたカメが直接陸上のプレイヤーに攻撃してくることはないという知識は活用しているが、モンスターが一体だけ現れたという状況を仮定しているのなら構わないだろう。

 一体をしとめたことで必要な攻撃量は実感として得られたようだった。二体目をポリゴンに変えた時、変えたことを確認もせずに彼女は三体目の処理にかかっていた。このあたりでだいたい予習に追い付くだろうか。

 (しっかしなー)

 彼は内心で顔をしかめた。三人の中でもっとも素直なトレジャーハンターデッキで育っている彼女が情報ゼロの新モンスターにソロでぶつかり、しかも逃げずに倒す必要があるとすれば、それはアーランとしては心配と恐怖で呼吸が止まりそうな状況であるはずだった。想像するだけで胃が痛くなってくるが、そういう練習をするなとも言えない。

 こういう時に彼が思うことは一つである。早く彼女を箱に詰めて宅配便で現実世界(リアルワールド)に送り返したい、というような。

 

 彼は戦況に思考を戻した。四体目、五体目が近付いてきているから彼女がさっさと三体目を片付けにいくのは正しい。

 現状の単位時間あたり攻撃量(D P S)はカメのアクティブ化ペースに追い付いておらず、したがって陸の上のカメの残数は増える。どこかで攻撃手段をソードスキル主体に切替える必要があった。剣の出来に頼ったクールタイムがほぼゼロの戦いから長いクールタイム前提の戦いへの移行は、彼にも覚えがあるが、なかなか度胸が要ることではあった。

 彼女の表情も真剣なものに変わっていく。ジャンプする気配のカメに彼女も受けて立つ構え。カメがジャンプ ──

 「ひゃ」

 一目散に彼女がカメの間合いから大きく逃げ出し、カメの攻撃は空を切り、地響きを立てて着地した。

 「……おい」

 気合いの入った構えはなんだったんだと半眼で睨むと、

 「だって、泥水が飛んできたから……さ、作戦のうち?」

 「いいけどさ……」

 ここで汚れると洗う機会はトロンダまで進むかあるいは下の川まで戻るかで、いずれもそれなりに不快な思いをするから分からないでもないが、時間のロスは致命的だろう。

 さすがにソードスキルレスでは余裕がなくなったのか、跳んできたカメに彼女は二連続の水平斬りソードスキルで片方のヒレを切り落としつつ頭に斬りつけて沈めた。しかしまだ削りきれていない。彼女に警告した。

 「うしろ、次のやつもう来てるぞ」

 「ちょ、まだ待ってー」

 動きの悪くなった一つ目のカメの首を大きく振りかぶって切り落とし、ポリゴンに変わり始めたところだけ確認して沼から遠ざかるように飛んで逃げ、振り返る。二つ目と三つ目は陸に上がって既に飛ぶ姿勢、そして四つ目の波紋が岸辺に近付いていた。

 そして彼女は気付いているかどうか、やや離れた後ろの林の枝の上にシャドウイーターのポップが二つ。奥の沼からのっそり這い上がって道を塞ぎつつこちらにやってくる様子のフライングアーケロン一体。

 先ほどは身動きしただけで彼女から制止された。だから彼は泰然として待った。

 

 唐突に間合いを広げ、足を止めて彼女が唸り、そして後ろの林に向かって走り出した。

 「先輩の、いーじーわーるー」

 その勢いのままシャドウイーターが一体隠れる樹を蹴飛ばして揺らし、襲いかかってきたところを斬り伏せる。協調するつもりだったのかどうか二体目がその隙をつこうするも遅い。カメとの距離を目算した彼女が二連撃スキルで二体まとめて消し飛ばす。

 さきほどまでの沼は六体目がそろそろと陸に近付いていた。つまりアクティブ化したアーケロンが陸上に四体になろうとしていた。目の前の一体を片付けるか、戻って一つ増える前に三体を片付けるか、どうするのかなと見ていると、目の前のほうを先に片付けるらしい。ついていって訊いてみる。

 「各個撃破でなくて良いの?」

 「後ろからドスン、のほうが恐いですー」

 道の両脇の樹々に挟まれてジャンプに不自由していたアーケロンをだいぶ慣れて来た様子で大技ソードスキル二つで片付け、振り返ってさすがに顔から血の気が引いたらしい。四体目も陸に上がり、列をなして進むところだった。この距離からでも迫力がある。

 「半分やっとこうか?」

 取り巻くこの状況の彼女の認識と自分の口調の落差が酷いと彼自身も思うが、しかし彼女も口元に微笑みを浮べた。

 「いえ……これ、後ろのやつ、前のやつを飛び越えて来たりしますか?」

 「ひとつ後ろのやつはあるよ。ふたつ後ろのやつが跳んできたことはない」

 一番前だけ相手していれば良いのなら、沼のボスとか言われたりはしない。彼が脇に避けると、

 「わかりましたっ」

 そう言って彼女は林から飛び出した。

 彼が道からやや離れた枝の上にいたシャドウイーター一匹を片付けてから広場に戻ると、三体に半包囲されかかっている彼女の姿があった。一つは片付けたらしい。ほとんど岩壁がおしよせてくる図は壮絶だった。ただ彼女の表情は押されているものではなく、痩せ我慢の気配はない。沼地はと見ると、動く甲羅が二つ、ポップエフェクトの光が一つ。

 (ふむ)

 剣を握った手に力を込めた瞬間、再び声が飛んだ。

 「だめっ、です」

 振り絞る声に彼は再び手を止めた。

 彼女は跳ねてきた一体を避け、二連撃スキルで残る二つの HP を削る。跳んだ一体が姿勢を整える前にヒレを切り落とす。これを三度繰り返し、次の二体が陸に上がってくるまえに三体をほとんど同時に消し飛ばした。三体相手の方法論の確立だった。単位時間あたり攻撃量もそろそろポップペースに追い付いただろうか。まぁ広場の外に出るようなことがあると圧倒的に足りなくなるのは変わりないが。

 しかし間合いが近すぎて見ていて恐い。

 「五、六体相手にする時、どうするかちょっと考えてみてくれないか」

 「六匹、ですかぁ……」

 ほとんど泣き笑いの顔を彼に向けた。

 「……そんなの、決まってるじゃないですかぁ」

 超低空でのソードスキルを持っていないプレイヤーの場合、基本的にはアーケロンが跳び掛かってくるのを待つ必要がある。一対一を維持できるならともかく、そうでないなら跳び掛かってくるタイミングを管理しなければならない。彼女が彼女が今やったように、跳びかかる気配が見えたカメに対峙する、だと三体かそこらが限界だし、躱し方がぎりぎりにすぎる。最近に攻略組の間で確立した手順では、踏込み幅と量を調整して跳びかかってくるカメをこちらで決め、他のカメには少し待ってもらう。手順に感覚的な部分が残っていてまだ攻略本には載ってないが、次の次くらいには載るだろう。が ──

 彼女は二体が上がってくるのを待ち、それから踏み込みから引く、を繰り返し余裕を持って二体を狩り飛ばした。

 「驚いた。いや、教えること何にもなくなったぞ……」

 彼女は綺麗なVサインをしてみせた。

 三十四、五体ほどをたいらげたところで目の前の沼地は空になった。まわりを見回してから彼女は一息ついて手近な林の木陰に向かった。彼は苦笑しつつそれを止めた。ヒョウが樹上に湧いてでるような林の中で休むのは厳禁である。見た目は何時もと同じくほんやらと笑ったような、最初からほとんど変わったところのない様子に見えたが実のところだいぶくたびれているようだった。

 彼女も彼のほうを見つめて制止されたことで気付いたのか、あぁ、と口を開けてから U ターンして林から離れ、沼地に寄った草地で力が抜けるようにして座り込んだ。顔はまっすぐ沼を向いたままだ。

 彼は首を振ってストレージからポーションとゴザを取り出し、木陰から出た。歩くと案外遠いものである。

 「芝生のようなもんだけど、……ほら、敷いとけ」

 ゴザをひろげて、のそのそと上に移動する彼女にポーションを手渡す。

 「あ、はい。ありがとうございます。……なんかピクニックになりましたねー」

 「そうだなー」

 どかどか飛び回る岩山が無くなってみれば、草地は本来の広さを取り戻した。そよぐ風も軽い。微笑む彼女の手の中でポーションの空瓶がポリゴンの光になって消えた。

 「座りません?」

 彼女がペタペタとゴザを叩いてそう言ってきたものの、途中から声は小さくなった。

 「……と言うわけにはいかないんでしょうね、やっぱり」

 「わりと安全地帯から遠いところだからな」

 ぼけっとしていて奇襲を受け、即死は無くとも脚にダメージでも負えば救助の手が無いと簡単に詰む。人を背負ったままでは、ここからは進むのも戻るのもすこしばかり厳しい道のりである。このあたりが最前線だった頃の話として、たかがしれた傷で涙を飲んで撤収したパーティのことは良く聞かされた。怪我人をベースキャンプに置いたまま戦うな、という警告でもあるのだろう。

 「ま、歩哨は僕がやるさ」

 アーケロンのポップの様子はみられなかった。奥の沼地からもしばらく来ていない。小さい方のカメなら、そこらに数匹。

 彼女が尋ねた。

 「先、行くんですか?」

 「今日はここが本命だったんだよな。先に行けば大物は居るけど連続して狩れるわけではないから、次の連続湧きまでは期待したい……が」

 言葉を切って彼女の視線を遮るように腰を下ろすと、ほとんど一拍遅れてから彼に目の焦点が合って、驚いた彼女は少しひいた。

 「疲れた?」

 「ステータスはだいたい戻りましたけど……」

 「休むってのは心を休めることだからな?」

 「まぁ、そうですよね?」

 先輩もですよ、という声が聞こえた気がして彼は立ち上がって再び沼に目を戻した。

 「で、どういうことよ。恐かった、というのとは違うようだけど、えらく真面目に狩ってたけど」

 彼女がフィールドに出るとナイトメアスリカータ戦のような見ていて楽しいものになるものであって、こういう普通の狩りにはならないだろう ── などと直接言ってしまうとだいぶ失礼なことになるので、彼は少しもってまわった。決まりきった教科書手順で狩るにしても個性は出るものであり、センスや才覚で彩られる。彼女が頭から砂をかぶったような戦い方をするのを見たのは初めてだった。

 身体的な効率は普段より良かっただろう。だが、それは SAO ではあまり意味がない。精神的に草臥れないことが大事なのだ。頭は全く使わないでいるか、楽しんで使うかであって、苦難呻吟するとか嫌々やるとかはもってのほかである。

 ニュアンスの意味するところは分かったのか、彼女は不満げに小さく唸ってから、

 「真面目にやらなきゃ追い付けないでしょう……ていうか、なんか追い付ける気がしないんですけど、どこまで進んじゃったんですか」

 「まあ想定よりだいぶレベル上がったからな。でも君もそろそろ上がるだろうし、一日で驚くほど僕らが伸びたのなら、同じことをすれば次の一日で驚くほど差が縮まるから大丈夫だよ」

 「そおですかーねー。……先輩」

 「どした?」

 彼が振り向くと、彼女は疲れた笑いを浮かべた。

 「わたしも先輩と一緒に攻略がしたい、です」

 小声の、さらっとした言葉だったが、沼地や周囲の林に振り分けてあった意識をもっていかれて彼は一瞬慌てた。この瞬間にモンスターに襲われたらひとたまりもなかったかもしれない。

 「普通にレベリングで追い付くだろ? 何が問題になってる?」

 「追い付いても……わたしに何にもさせないつもりですよね?」

 「そんなことを思ったことはない……こともないか、な?」

 省みて少し首を捻った。ディアベルの支援もあって攻略グループに追い付くまでの工程表にかなりの余裕が出て来ていた。前に出さなくて良いのなら、出したくないという思いは常にある。そしてトールバーナに彼女を連れていけば迷宮区で偵察に出す機会が増えそうなことを彼は懸念していた。つまりなんとか出さないですませようと頭を使っている。

 要約すると、彼女の言い分は正しいらしい。彼は頭をかいた。

 「いやしかし、何にもするなとか、あれこれさせないとか考えたことはないし、提案なり立候補なりしてくれれば仕事そのまま割り振ると思うけども ──」

 ふと見れば、彼女の笑顔に「それは絶対に嘘だと思う」と書いてあった。彼は苦笑した。まあ嘘かもしれない。彼女が迷宮区で単独偵察に出たいと言いだしたとしても出すとは思えなかった。

 「そこまでやる気にならなくても。君にもしものことがあったらリアルでご家族さんに報告するの僕なんだけど。どんな顔して会いに行けと……第一、なんて報告すんの。数千名の人質の礎となりました、って伝えて心の底から納得する御両親でもないんだろう?」

 「それを持ち出すのは反則ですよぅ……それを言ったら、先輩に何かあったら、それ先輩の家に伝えるのわたしですよね? わたしと同じくらい自重してください」

 彼はひょいとストレージからスクロールを一枚取り出して彼女に手渡した。

 「なんです? なんか論文(レター)? こういうのって SAO に持ち込めたんですか?」

 「持ち込もうとは思ったんだけどな、出来るようになってなくてアーガス阿呆だなと思ったもんだが。それは僕の書いたやつだよ」

 「……何時の間に」

 「風呂入ってて手ぶらだったとしても思いついたらタブレットって便利だぞ。というわけで、僕と同じくらい自重して論文書きに邁進してください。添削突っ込み反論はしてあげる」

 「そんなところに罠があったなんて……」

 彼女はがっくりと項垂れた。言い逃れすることも出来なくはなかったが、意味がないのはすぐに分かった。つまり、あまりに攻略プレイ・危険行為に走るつもりなら宿題を積み上げるよ、という脅しだった。

 「先に進みたいという思いが強いと引く判断を間違うからさ。レベルが上がってくるの、ちゃんと待ってるから、そういうのは皆で考えようか」

 視線の先、沼の水面に光が浮かんでいた。リポップタイムが過ぎたようだった。

 

 次の連続湧きでの討伐は、いわば普段の彼女に戻っていた。

 カメの背中を蹴ってポンポン飛び越え、水際にたどり着くと上陸途中のカメの首を落していく。カメも手足半分が沼に沈んだ状態から跳ぶのは難しいらしい。それがわかったのか彼女は喜々として自身をおとりにして、一度上陸してしまったカメも再び沼に戻しはじめた。沼の中には十体、そろそろポップするスペースすらない。再上陸も順番待ちである。さっきまでは孤軍奮闘の騎士だったが、今はエアロビクスダンスだ。しかし ──

 陸の上からカメを一掃してしまったところで彼は大きく息を吐きだした。とりあえず彼女に一声かけてから奥の沼から上がってきていたカメを潰しに向かう。彼女が目の前の沼から手を離して陸に溢れたカメをまた沼の中に帰す作戦とか、何度も見ることになるのは胃に悪い。何かやらかした時に救助の手が間に合ったかどうか。さすがに沼の中のカメの背中を足場にするのは止めさせたが。

 カメ二匹ヒョウ五匹ほどを狩って戻って来てみれば、順調に作戦は続いていた。

 「あー、もしかして AGI振り組のアーケロン戦ってこうやれってことか……」

 ナイトメアスリカータからシャドウイーターまで、素早いモンスターが多い西のフィールドで、よりによってレベリング向けのモンスターがパワー寄りだったことに色々愚痴が出ていたが、こういう戦い方前提なら納得できなくもない。適切な補助があればアルゴでも狩れるのではなかろうか。

 沼の岸辺のラインにそってカメ消失エフェクトの光の壁が立ち並んだのが綺麗だった。ライトアップされた噴水だ。

 「ちょっとそこ代わってくれないか。二、三分くらいでいいや。遠目で見ると綺麗だぞー」

 そう言って彼はスイッチ、カメ討伐に入った。タイミングを合わせて岸辺上のアーケロン数体の HP を滑らかに連続的にゼロにする。すこし離れて振り返った彼女が声を上げて拍手した。それに笑顔で答えたあと、再度試みようとしてもあまりうまくない。上陸するカメの数次第なのだった。散発的に消失エフェクトを幾つか作ったあと、ようやく三体同時の消失エフェクト。ポーションを飲み終えたタスタスとハイタッチして戻った。ふたたび彼女がリズムに乗って跳び回り、剣を振るい始めた。

 「もうちょっと素早いと、もっとシャワーが綺麗だったかもですねー」

 カメの移動速度でエフェクトの光の頻度が決まるが、現状だと噴水として楽しむには少しのんびりだ。散発的になることもあるあたり、花火大会に近い。しかし彼は言った。

 「その場合は、黒子やってるプレイヤーがせわしないことになるんじゃないか?」

 複数で狩っても良いが、黒子が増えるのも見ていて鬱陶しいだろう。

 「隠蔽かけながら狩ればいけるんじゃないでしょうかー」

 「観客から消えるほどの隠蔽って、コケてカメに踏み潰されても分かんないじゃないかな……フィナーレの消失エフェクトがプレイヤーって嫌だろ?」

 「うぅ、想像してしまいました」

 それから一時間ほどしたところで彼は狩りを止めさせた。カメも居るしまだ続けられるという顔をした彼女に、

 「下から人が来てる。沼を空っぽにして反感買うのもなんだから、このあたりで打ち止めにしとこう。……何人くらいいるか分かる?」

 「まだ索敵範囲には入ってないみたいです……なんで分かったんです?」

 「エフェクトっぽい光がちょっと光った」

 道から外れた林の中、樹の上のほうの葉の照り返し具合いが一瞬変わった。風に吹かれての光度変化とはまた違う人工的な何か。こちらに向かっているかどうかまでは分からないが、少なくともトロンダに向かうだけなら通らない位置。

 「索敵で見えてないなら良いや。向こうからも見えてないだろう。知らんぷりして消えるよ」

 「あ、はい」

 神妙な顔で彼女が頷く。

 「というか、あれだ、そろそろ行かないとトールバーナまでに陽が落ちるかもしれない」

 「えへ」

 後半に入って彼女が狩りを気持ちよくできるようになった結果、アーランも止めどころを失った格好だった。

 

 トロンダまでの推奨経路から外れ、クロヒョウがパラつく道を進み、ようやくして抜けてから彼は空を仰いだ。この道を通るのは三度目か四度目かそれくらいだったが、カメでなくここのヒョウでレベリングするプレイヤーも居るに違いないと思う程度には相変わらず鬱陶しい道だった。リアルで言うなら、ヒルが頭上から落ちて来る山道のようなものだった。振り返ると彼女もげんなりとした表情を浮かべていた。晴れ晴れとした青空との対比の違和感が凄かったが、次第に光景に目を奪われていく様子は見ていて気持ち良い。

 午前中に抜けたところからやや東にずれた稜線で、ここは石塊がだいぶ大きくなってカルスト台地に近い趣がある。一見では、荒涼とした気持ちに陥りやすい荒れた草地よりも遥かに清々しい気持ちになれる土地だった。彼は笑顔でそんな彼女を見つめていた。

 迷宮区やトールバーナの城壁などに興味深げに視線をめぐらした後カルストの白い岩々に目を向け、しばらくして次第に彼女は膨れっ面に変わっていった。

 「……ここ、地雷すぎません? たぶん、破壊不能(インモータル)オブジェクトですよね?」

 ついに彼は腹をかかえて爆笑した。

 このカルスト台地では、大きな岩陰でモンスターにポップされると出現エフェクトが見えない。岩陰を確認して安心しても次の瞬間、その岩陰からモンスターの奇襲があるかもしれない。つまり市街地のゲリラ戦よりも状況が厳しい。もちろんモンスターがゲリラである。隣の西の荒地なら戦車(プレイヤー)が蹂躙して終わるところだ。

 そしてリアルの市街戦と同様、経路上の岩をすべて粉砕して進めば何事もないので、もちろんそんなフィールドになっているはずはなかった。おかげで樹の枝ごと斬り落せたシャドウイーターや必要とあれば甲羅ごと斬れたフライングアーケロンと違い、岩陰に隠れられると一々回り込んで狩らねばならない。

 彼はひーひー笑いながら、膨れっ面の鉾先が彼に向いたのを感じて謝った。

 「経験値稼ぎが出来るモンスターが出るでもないから、ぜんぶ任せたりはしないよ。普通にパーティ戦だ。頑張っていこうか」

 そう言うと、彼女は花を咲かせたように笑って頷いた。

 同じオーバーキルでも知恵の働かせがいのあるこちらのフィールドのほうがたぶん楽しいので、西を回ることは提案しない。

 「そういえばさあ、君に何にもさせないだろうってどうして思ったの。えらく悪い奴にされてない?」

 彼女がおおげさに驚いた表情を作った。

 「まさか、心当たりがないとか言いませんよね?」

 ようやく笑い転げていたところから彼も立ち直って、

 「いや、一応、士気を落さないように、角が立たないように、物事もっていったつもりだからさ」

 「んー、そういう意味では、わりと上手かったかもですね……」

 彼女が例に挙げたのは、育てる鍛冶師として女性を選んだことだった。自然に世話役として張りつけて圏内に留めておくことができた ──

 「だいたい合ってる。甘めに採点して六十点くらいだけど」

 「四十点はどの辺でしょうか?」

 「リストに女性名があったのは偶然だろ。そんな偶然に頼ったりはしない……という部分の考察」

 「そこ考えたんですけど、分かりませんでした。リズちゃんが居ることを前から知ってました? 一応、プレイヤー鍛冶屋のこだわりは前からありましたよねー」

 「女性の鍛冶屋をどこかで見掛けてたとして、しかも名前を聞く機会があったとして、それがティクルの予備調査に入って来るかどうかは分かんないでしょ。あれだけ長いリストに女性名一つだけだったし、君に連れてきてもらう時も住んでるところまでは知らなかったし」

 「そうなんですよねー。とすると、女性の確率は四分の一ほど、職業的に減るとしても一割くらいは居るだろうという? 性別不詳の名前も多いですから、それだけだと女性を当てられるか分かんないですよねぇ」

 彼女が首を捻ると、彼は笑った。

 「今年一杯の宿題にしとこうか、それ」

 そういう機会があったから、その理由で彼女を圏内に張り付けたにすぎない。男性名しかなかったら、別の理由で彼女を圏内に留めておくことになっただろう。

 ホルンカから来た場合、手前の峠の丘から見えるトロンダの村の印象は、濃い緑の森や林で覆われた丘陵のそこだけが切り取られたように広がる牧草地である。もちろん牧場があればそれの管理人 NPC も住んでいるわけで、傾斜地の一番下、浅い谷底の一角に共同牧場の管理主の住むロッジもあった。田舎の木造二階建て小学校校舎のようなそこで《逆襲の雌牛》クエストを受け、二人は手早く片付けてロッジに戻った。

 ロッジの玄関前でタスタスが首を傾げ、アーランを見上げた。

 「ティクル君が来てるっぽいですけど……」

 「……あー、寄り道しすぎかな」

 そう答えつつ、ロッジに入った。ロビーを見回すと奥の喫茶コーナーにティクルの姿がある。彼のほうも二人に目を止め、手を上げた。

 向かいの椅子に二人は座って、まずアーランは謝った。

 「や、もしかして迎えに? 悪かったな」

 「なんかそんなことになる気がしてたっす」

 どんなトラブルがあっても午後五時までにはトールバーナ入りできているはずだったが、もう五時を回っていた。タスタスもコーヒーを手にしたまま挙動不審に視線をさまよわせたあと頭を下げた。

 コーヒーと同時に注文してあったチーズケーキをひとかけら口に運び、彼は微妙な表情をした。同じものを食べてこちらは顔を綻ばせているタスタス、ティクルの前に置いてあるチーズケーキの皿、ティクルと順に見比べていると、タスタスが、

 「これ、美味しいですよぅ……ねえ、ティクル君も。いくらでも気兼ねなく食べられますー」

 ティクルが笑う。

 「はは、ボス、このあたりは砂糖が貴重品ってことになってますから」

 「そうなのか……」

 手元のケーキに目を落して悄然とした。そのケーキはほとんど甘くなかった。洋菓子というか、酒のつまみの範疇である。そういうものだと思えば確かに美味かったが、ホルンカからトロンダまで、どころかトロンダの村の中でまでずっと狩りを続けていてのようやくの休息で砂糖水でもがぶ飲みしたい気分だっただけに落胆は大きかった。

 同じ道を彼よりも長く狩りをし続けたはずのタスタスはと見れば、見た目は普通のチーズケーキを幸せそうに頬張っていた。すこしほっこりしてから彼はティクルに目を戻した。

 「で、城門前で待ち合わせくらいかなと思ってたんだけど、ここまで出張ってきたってことは何かあった?」

 「エギルさんのところからOKと言ってきてまして。とりあえず夕飯一緒にどうかと」

 アーランは目をしばたたかせた。

 「えっと、僕んところに話来てないんだけど、というか、まだ何のオファーもしてないんだけど……」

 「《鼠》から一通り聞いてるみたいっす。ボスがトールバーナから離れてるのも知ってましたよ。で、直接俺のトコに来たと」

 「うちの宿まで知ってんの。どんだけだよ……」

 「そりゃああの報告書と同じくらいじゃないっすか。確かボス、うちの情報の公開許可だしてましたよね」

 「……うん、納得した。それで君がこっちまで来たのか」

 今日のレベリングでタスタスのレベルも上がっている。話合いの前に一度ティクルとタスタスはお互いの力量を確認しておく必要があるだろう。タスタスにもそう言うと、彼女は手を止めて彼を見上げ、やや心配げに頷いた。そういえば交渉は明日にしようとか言っていたと思う。

 ともかく、短い息抜きの時間は終わった。

 




忙しかった時期にもちょろっと書いてた部分、タスタスがレベリングに励む傍らでアーランがずっと昼寝していた。リアルの状況と願望反映しすぎだろうとばっさり消えた。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。