血盟騎士団調査室   作:神木三回

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息抜き回。もともとはトールバーナ行程一往復半を2話で収めるつもりだったんだけど、なんか息抜き回のが長くなりそう。



旅の道連れ 1

── 数日前。

 確保すべき宿の数について精確なところが知りたいということでティクルがはじまりの街に戻ってきた。鍛冶屋の人数調整用に二人部屋以上の大部屋を幾つか確保する予定だったが、取れなかったとのこと。人数の上限下限について名簿を覗き込みながら二人で唸っているうち、ふとアーランは横のタスタスが気になった。はじまりの街に戻ってきてから静かである。

 「タスタスも来るか? トールバーナ」

 「え、あ、はいっ」

 萎みかけた風船に空気を押し込んで表面がピンと張ったような変化だった。そんな彼女を数秒見つめ、そのことに彼女が疑問を差し挟みそうになる前に彼はティクルに向いた。

 「じゃあ、タスタスの分の宿を頼む」

 話が飛んでティクルは視線をアーランとタスタスに往復させた。アーランは言った。

 「予備に二人部屋一つ、一人部屋一つで、当日の調整なんとかなるんじゃないか?」

 ティクルの顔に理解が浮かび、にやっとする。

 「使いきったら俺ら野宿っすか」

 アーランは軽くしかめっつらをして、

 「それ、人が増えたのにスカウトが全員諦めたってことじゃないか……その場合は、ここまで帰ってきて反省会だよ」

 あの、とタスタスが手を挙げた。

 「わたし、船団が出る日は会議室に残るんですよね?」

 「向こうに着いたら船団の用事は終わりだから、昼すぎには終わる。こっちに迎えに来るから、夕方にはトールバーナに入れるだろ」

 「ええと、つまり先輩、船団引き連れてトールバーナ行って、はじまりの街に戻って、もう一回わたしとトールバーナ行くってことですか」

 「そう。一往復半、三十キロ弱ってとこか。徒歩三十キロが高々三十キロと思えるあたり圏内くぐれば疲労が消えるってのは大きいよね」

 「それはそうですけど」

 わざわざトールバーナに居る彼に迎えに来てもらうのもなんだろう、と彼女は上目遣いに提案してみる。

 「わたし、別にソロでも……」

 「だめ」

 彼は笑顔で跳ねのけた。

 「ローコストで安全に振れるんだ、出来ることはしとこうよ」

 初めての道は道筋とモンスターについてのメモを確認しながらになる。集中力がちらかった状態でのソロは避けられるものなら避けるべきだと彼は付け加えた。それでもまだどこか言葉を探しあぐねている彼女に苦笑しつつ、

 「じゃあ待ち合わせはホルンカの北の口でどうかな」

 「足して五で割ってませんかー」

 待ち合わせ場所の彼の最初の主張は多分はじまりの街で、言い分を聞いたといってもたった二キロ。初めての道になるホルンカ以北については絶対に譲らない姿勢に、仕方ないなぁと彼女は答えた。

 トールバーナ城門を出る直前にほぼ無手だったことを思い出したアーランはストレージメニューを広げ、数秒メイスの項で指を止めた。ここ数日はスキル上げのために剣でなくメイスをずっと使ってきた。けっこう手に馴染んでいる。が、すぐにアニールブレードの項に指を滑らせた。ストレージから取り出して背中に背負い、続いて短剣の袋を腰に付けた。ここしばらくの本来の戦闘衣の形である。

 門の外に邪魔するモンスターもなく、視界はクリア。城門から踏み出しつつ、しかし彼は首を捻った。

 今の彼のスキルスロットには片手用直剣・投剣・両手用長矛が入る。スキルスロットは三つしかないのに、どんなプレイスタイルであっても一つ以上の死にスキルが出る組合せであった。だから船団を送り届けてメイスが無用になったあとはすぐに索敵を取り直すつもりだったのだが。

 ゆるくうねる軽い坂道を足早に、そして駆け足になる。道から外れてポップしてくるモンスターも斬りふせていく。剣の感触を手の平に思い出しつつ、

 (笑われるなぁ、こいつは)

 彼は長矛スキルを捨てるのが惜しくなっていたのだった。ここまでスキルの取捨選択にほとんど悩まず、スキルスロットの数が足りないと七転八倒したことはなかったのだが。

 手持ちメイスのグレードは今一つ。長矛スキルも片手剣スキルに比べまだまだだが、前に立ちふさがるモンスターに対しての突破力・防御力で初期のアニールブレードを上回った体感があった。アニールブレードと同額掛けるつもりなら今のアニールブレードをも上回るかもしれなかった。

 しかし彼がなによりも欲しいのは制圧範囲だし、時間当たり攻撃量(D P S)でも剣が上回るようだから剣プラス短剣のスタイルを変えるつもりはなく、そしてスキルスロットが四つになるまではまだ遠い。いつか長矛スキルは捨てることになる。それなら軽業か疾走でも手持ちにしておいたほうが良い。現状はただの優柔不断であった。舌打ちしつつ八つ当たり気味にモンスターを叩き斬る。

 トロンダ手前で上手い具合にタスタスから昼食のサンドイッチの差し入れを受けた彼は牧草地を斜めに横切りながらそれを頬張り、さらに早足でホルンカへ。途中、シュードユニコーンが車に轢かれる直前のような顔をして彼の邪魔をしていたりしたが、もはや何の感慨も感想も持たずに討伐した。

 

 一時間ほどでホルンカへの川沿いの道に出る。ナイトメアスリカータも出なくなり、暫くして遠くに北の口が見えた。門の内側にメニューを広げ、こちらに背中を向けている女性の姿がある。

 ただ、剣を背負った厚手の服装に見覚えはなかった。遠目に仕草はタスタスなのだがはて、と思い頭の中をさらって服装について指示を一つ出したことを思い出した。敏捷性を阻害しない限りにおいて下半身の防御を重点的に上げられるだけ上げてこい、というもので、この先の小型モンスター対策である。鍛冶屋には同じ注意をしなかったこともあって忘れていた。

 「おう、タスタス、待たせた」

 「あ、先輩、いま来たところですー」

 メニューを消した彼女が振り返った。彼は演技混じりで固まったような彼女の笑顔を見、わざとらしく後方を振り返り、もういちど彼女に向き直った。首を傾げた彼女はまっすぐに伸びる道の遠くに目を向け、そして固い表情が剥がれ落ちて素に戻った。わやわやと手を振って、

 「や、突っ込みはナシでお願いしますー」

 突っ込みどころは二つ、片方は彼女に免じてスルーとして、と彼は頭をかいた。

 「えっと、遅れたのは本当に悪かった。索敵スキルで遠くから見たくなるのは分かるけど、待ち合わせの手前百メートルくらいからはそういうズルなしで頼むよ」

 「善処しますっ……実は索敵じゃないんですけども」

 「フレンド探索なの? そりゃ最後のほうはくたびれて笑うどころじゃないだろう……」

 彼は一度、門を潜って HP をリセットし、疲れが消えたところで再び門を出た。彼女は彼を少し追い越して振り向いて微笑んだ。

 「反省しましたー」

 船団がトールバーナに向かっている間、彼女に買い出し依頼のたぐいはなく、本拠の会議室に篭もりっぱなしで、たまにメールの中継と、最後の宅配便くらいである。イレギュラーの多そうな作戦行動を遠くからやきもきするだけの簡単なお仕事だった。少し考えて彼女はフレンド探索メニューを開いたのだった。

 船団メンバーで彼女がフレンド登録しているのはアーランとリズベットの二人。フレンド探索で、マップ上の二人の位置が離れていなければおそらく船団が機能している、崩壊していない証拠であり、逆に二人の位置が極端に離ればなれになっていたら異常事態の発生と考えて良い。二人の位置を交互に見ていて、移動速度は速まったり止まったりと色々ながら二人の位置はそれほど離れることはなく、無事トールバーナ入りしたのを見届けて彼女はほっとしたものだった。

 会議室に積んであった鍛冶師の商売道具の山をアーランの手元に送り届けてからはじまりの街を出発し、ホルンカに着いてもまだ彼がトールバーナ近場に居たことには首を傾げて、そのまま彼がホルンカに来るまでマップを見ていたわけである。つまり、フレンド探索を使わなかったとすればもっと精神的にくたびれていたことだろう。

 そこで彼女は首を傾げた。

 「でも、先輩もけっこうお疲れですよね?」

 途中の経過報告は時々あったものの、まあ報告をまとめる気力も時間も無かったのだろうな、ということくらいしか分からなかった。

 こき、と彼は首を二度ほど折った。

 「モンスターは想定範囲だったんだけど、人のほうがなー。気を使った」

 思いついて、彼はあたりを見回してみた。左手に川、右手に丘という風景は朝ここを通った時とまったく同じである。多少の光線の違いはあって、アンビエントな光が真上から当たり人工的な川床が見えてしまって著しく趣を欠いていたが、それくらいだった。しかし見ているものに付随する意味が変わっている。行きも帰りもほとんど何の感想も持っていなかったように思うのに、今は「著しく趣を欠いて」といったような思考が出来ていた。肩の力が抜ける。彼女も彼の表情に気付いた。

 「先輩?」

 「あ、いや」

 正面の彼女を見つめた。彼は自分でもようやく目の焦点が合ったように思う。

 「そういえば、差入れありがとう」

 「トールバーナで食べたかなーとは思ったんですけどねー」

 「ちょっとだけ食べるには食べたんだけどな。でも食いっぱぐれたようなもんだ」

 「そのわりに向こう出るの遅かったですよね。何かありました?」

 「トールバーナの情勢絡みなんで、向こうに着いてから話すよ。何かけっこう歓迎されてて、その挨拶に時間かかった感じ」

 「へー」

 「じゃあ行こうか。と」

 彼は進もうとして彼女の服装に目を止めた。防具指示のことを思いだす。

 「ちゃんと着てきたんだな」

 「そうですよー。リクエストものすごく厳しかったんですから」

 両手を広げて彼女は自分の姿を見下ろした。淡青のデニムのパンツ、濃茶色のジャケット、その上からカーディガン様に防弾チョッキ風革鎧を着る。印象は初秋から初冬の装いのものである。遠目で見たとおり、ズボンが厚めの生地になったこと、上着の裾がわずか長めのものになったことによる。剣の位置も彼と同じく背中に変わっていた。はおる上着が重くなって腰に吊ったのでは抜きにくいからだろう。

 こうしてみると指示(リクエスト)が雑だったなと彼は思った。サイズ違いという概念がほとんどない SAO で着丈の調整は苦労したことだろう。短くしすぎるとただの作業着で、長くしすぎると戦う格好ではなくなる。偶然でないならよく選んだことだと思う。

 「着丈とかの手直しって出来るの?」

 彼に後ろをみせ、彼女は肩越しに背中の様子を覗き込もうとした。

 「防御効果付きのを手直し出来る服飾屋さんはまだみたいです」

 訊いてみれば案の定、という答えだった。探し回ったことが分かってしまう。

 「あー、そいつはすまん。良いんじゃないか。似合ってるぞ」

 ぱた、と彼女が両手を降ろして向き直る。

 「先輩も剣に戻ったんですね、お揃いです。けっこう長いのも似合ってたと思うんですけど」

 「まー、君のレベリング優先だからな。こっちのが手が長い」

 しばらくホルンカから動いていなかった彼女のレベルは少し遅れている。

 「頑張れよ」

 「はいっ」

 並んで歩きだしたところで彼は尋ねた。

 「さっきメールそっちにも送ったろう?」

 「エギルさん達のやつですよね、アルゴさんの報告書。読みました。全わたしが泣きましたー」

 「あれ、どのへんで?」

 「引き合いが少ないってあたりです」

 「ああ」

 以前聞いていた通り、彼らはメンバーをほぼ同じ色(同一兵種)でそろえた。それは二つの考え方がある。一つは、リーダーが一つの兵種しか扱い方を知らないケース。もう一つは、小さくまとまって自分達だけで完結した戦力とするよりも、強く不完全であろうとすること。色が着いた戦力のほうが他のパーティと組みやすいのである。壁不足の現状、彼らを使うのに困るパーティは無いと思われた。

 中間報告で彼らのパーティの現状を聞いたあと、アルゴに重ねて確認してもらった点は二つ。彼らのレベルアップの速さは寄生によるものかどうか、他パーティと組む予約が先まで埋まっているかどうか。

 そしてアーランは最終報告に想像を蹴飛ばされた。アルゴ曰く、寄生ではありえない、予約は空いているだろう。

 いくらかオファーはあったらしい。彼らからオファーしたこともあるようだ。しかし長続きしない。他のパーティと組んでから別れるまでの時間は短く、大部分は彼らは単独で行動していた。明らかに偏った戦力だけで、恐るべき速度でレベルアップしていた。今はもうトールバーナでモンスター狩りをしている。

 「それなあ。レベルのわりに貫禄がありすぎて、組んだパーティリーダーが非常にやりづらい思いをするんだと」

 彼らと組んだパーティに知った名前があったので彼も訊いてみたところ、そういった答えが返って来た。

 「ええと、そんな理由で」

 なにかしらの意図や覚悟をもってパーティ構成を崩したのなら他人が口を挟むことではないが、それはないだろうと彼女は同情した。

 彼としては言われてみれば驚くような理由でもなかったと思う。彼もシムラを平気な顔で振り回したが、同じようにレベルが下のサーシャを振り回すのはかなり困難を感じる。こういったことにはあまりレベルは関係ない。

 「エギルさん達と組んで、先輩は大丈夫なんですか?」

 まじめに心配顔をつくる彼女に、彼は少し笑った。

 「雲の上の攻略組を顎で使った今日より大変ってことはないと思うよ。ことによったらリーダーはエギルさんに任せるかもしれないし」

 そういう理由でエギル達が煙たがられているのなら、逆転の発想でボスレイドでタガを嵌める役も良いのではないかと彼は思う。そう彼が言うと、彼女は変な顔をした。

 「何かな?」

 名目のリーダーがどうあれ、いざボスレイドが壊れそうになったらどっちにしろ先輩も口を出すんじゃないかな、と彼女は思うわけである。ただそちらには話を振らず、

 「エギルさんはエギルさんで、普通に先輩に譲ってくるんじゃないでしょうか?」

 アルゴによるレベルの推定値によればタスタスは追いつかれたものの、まだティクルやアーランが高い。

 「そのへんはまあ、お話次第かな」

 彼はトールバーナのある方角を見上げた。エギル達の側も、アーラン達が彼らに興味をもったことをアルゴ経由で知った頃であった。

 ふっ飛ばされた二匹目のイノシシが川の上でポリゴンとなって霧散した時、いまさらのように彼女が川を指差した。

 「そういえば川ですよ、川。水。あれ、よっく造りましたよねー」

 「まあなぁ。良くできてるよな。霧もどきの飛沫(ひまつ)にならずちゃんとした水しぶきとか、わりと芸術の域だと思う」

 「ですねー。ありえないほど綺麗に跳ねますよねー」

 二人の感想は文字どおりの意味である。水・液体のエミュレーションで手を抜くと計算がとても楽になるのが粘性と音速と濡れ特性の三つであり、SAO でも特に粘性項について大幅に計算を省略している気配があった。この三つ、どれの手を抜いてもしぶきは細かくなるはずなのだが、水しぶきのサイズには大きな違和感がない。アルゴリズム上になにかしらの芸術的な細工があることが窺えた。

 「これくらい合うなら三段渓みたいな表現、どっかの層にあると良いよな」

 「観光ですかぁ……天井が低いから、渓流は厳しいかもしれませんよ。高千穂渓谷みたいに高さはあっても下の川が斜めになってないならもしかすると」

 「あぁ、滝だと順繰りに高低差を加算することになっちゃうか。高千穂ね、なるほど。幼年期地形はあり得るか。高さが欲しいとすれば……階層ぶちぬきで百メートルの滝とか」

 「絶対ボスフロア飛ばして滝登りする人が出て来ますよう」

 「滝がボスになるようなフロアと思えばアリなんじゃないだろうか」

 「あー、なるほどー。それはちょっと楽しそう。中ボスは淵のヌシですねー」

 「水中決戦か? 地味に厳しいな。釣りで良いならワンチャン」

 「いえ、結局、水の中に引きずりこまれて戦うことになるんですよ、先輩がんばっ」

 「僕がやるの? それならまず淵に流れ込む水をバイパスして淵を干上がらせてだな……」

 「半分くらい水が減った頃にモンスターがやってきて水路を破壊していくんですねっ」

 「よし、そいつを水路に近寄らせない仕事はタスタスに振ってあげよう」

 「らじゃー。でも力及ばず、ごめんなさいするんですよー」

 「そこはもっと頑張れ。せっかくリズの造ったポンプを破壊されるのは駄目だろ」

 「大丈夫、リズちゃんは準備万端、予備のポンプをこんなこともあろうかと」

 「予備があるなら最初からぜんぶ使うがな」

 「わぁ、リズちゃんの工房から洗いざらい機材をかっさらっていく気ですね!」

 「そういや鍛冶屋さん達の荷物、案外まだ少なかったな」

 トールバーナへの移動中、ストレージに入らない荷物を手に下げて持ってまわるとか論外なので、ストレージを大きく占拠するような道具はタスタスとアーランの間で輸送した。十人分で会議室が半分埋まるくらいは覚悟したのだが、テーブルが埋もれるくらいですんだ。まあ他人に預けるよりは売り払って現金に換えて持ち運んだという可能性はある。

 「物買うお金あったらスキルアップに使うってことですよね」

 「うん、いちおう必死にやってんだなあと思った。ラストアタックボーナスは龍のウロコかな」

 「コイが龍に変身するんですから、こう、剣が通らない身体くらいは」

 「素晴らしすぎて滝がクモの糸になるだろ」

 「そういう時に限ってフィールドで LA ボーナスの噂が流れるんでしょうね」

 「まさに地獄になったな」

 「登りきれば天国なんですよ」

 「九十九層がそれ、ってのはアリか」

 「ラスボスがお釈迦様ですかー、強い」

 「五十六億年ほどまちぼうけになるラスボスよりは」

 「弥勒はサーバーもちませんね。あ、でも面壁五十六億年でも外は一年くらいだったり」

 「それは、ない」

 「言い切りますね」

 「ナーヴギアは化学物質、ホルモンが血管を移動するのは止められない。精巣卵巣胸腺ランゲルハンス島、首から下にある臓器が自然に作るホルモンの管理はできない。ホルモン絡みで何か違った自覚がないなら時間のずれはないよ」

 「んー、アドレナリンあたり、ちょっとあやしくないですか?」

 「アドレナリンの類は、確かにちょっと強めに出てる感じがあるんだが……」

 「ですよね?」

 「あれ、出るほうは視床下部の管理だからナーヴギアが何かやらかしてるんじゃないかな。でもさ、消えるほう、半減期にずれた感じはないから、時間は狂ってないと思うよ」

 「視床下部アクセスしてるとか恐いんですが」

 「摂食衝動あやつってるから視床下部にインパルス打ち込んでるのは確定だと思う」

 「う。……大脳皮質だけでエミュレーションどうにか」

 「出来なくもないけど、理性と感情に訴えるだけで万人に飢えを実感させるほどの表現て、茅場明彦にそこまでのコピーライターの才能がある気はしないんだけど」

 「でも我慢できるレベルなんですから、たぶん。そういうことにしましょう」

 「あ、うん」

 彼女が恐いのは良く分かるので頷いておく。大脳皮質を焼くのは、まあナーヴギア的にも一所懸命努力しないと出来ないことだからそういう事故はなかなか起きないだろう。しかし脳の奥底にある視床下部にアクセスしようとして近所に誤爆する死亡事故は多発しそうである。── 一年ほど後になって、実は遥かに面倒なことをしていて事故の心配が要らないと知り、二人して胸をなでおろすことになるのだが。

 「一応、時間軸に関しては証明できる。君が」

 彼は少し言い淀んだ。見回して近くに通行人が居ないことを確認する。

 「……えっとだな、つまり、まだ一月経ってないから今すぐにってのはあれだが、女性の月経周期は内外の時間がずれていないことの証拠になる」

 「せーんーぱーいー。一つ大きな問題点があります……」

 ここで彼女は声をひそめた。彼に耳打ちするように、

 「ないですよ?」

 彼も小声で、

 「そうなの? せっかく人がアレな勇気をふりしぼったというのに」

 「そんな勇気は要らないですよぅ、あ、いえ要るのかもしれませんけど今は要らないですー」

 二人ともしばらくおたおたしていた。

 彼は話を変えようとストレージから小さい鉄鉱石を取り出し、水際に浅く投げてみた。跳ねずに沈む。

 「あー、タスタスは風呂ん中で腕とか動かしてみた?」

 「粘性がおかしいとか言っちゃだめですー」

 どこか顔が赤いまま、彼女は眉をへの字にした。彼は笑みを浮かべた。粘性項については彼も分かっている。

 「水中の音速は調べてみたりした?」

 「んと、配水管触りながら蛇口おもいっきりキュッと……」

 「やっぱりウォーターハンマーになるか。あれなぁ……」

 「したんですけどだめでしたー、って先輩もやったんですか? 水管が破壊不能(イモータル)オブジェクトっぽいですよね。コンとも響かなかったです」

 音速は速いほうが計算が楽になる。ただ水中の音速はもともと速く、きちんと言うのは難しい。速くすると水栓を閉めた時に出る衝撃音が大きくなる、ということくらいだろうか。

 「そういえば、そりゃ NPC の水道屋さんが必要になることはしないですよね」

 「うん」

 彼女が彼に目で尋ね、彼は頷いた。まだこのあたりはナイトメアスリカータのような即応性を必要とするモンスターは居ない。一人が警戒している間は無防備でも問題なかった。彼女は川のそばでしゃがみこみ、水をすくった。指の間からさらさらと流れ落ちていく。

 「粘性の小さい液体と言うと……」

 風呂で腕を動かした時にできる渦の様子からして粘性は著しく小さいように思われた。もちろん計算が楽になる方向である。そのことは彼女も分かっているようだった。

 ただ、アーランとしてはデザイナーの頭の中を疑って良いレベルで異常な定数だと思う。よほどの何かがあったのか。ここまで違えば素人でも違和感があるだろう。アーガスが機能していたら SAO サーバの設備増強時に修正されそうな部分である。

 「液体窒素、液体水素、沸騰間近のお湯、ベンゼンあたりの有機溶媒も多分かな」

 彼女が今度は両手ですくってそっと立ち上がる。

 「リアルだと触れる液体じゃないですねー」

 「貴重な体験だな」

 出来るだけ隙間を無くしているつもりでも、指の間から水が糸を引くように洩れる。それを二人で見つめて笑う。

 仮想現実のセンスオブワンダーなんぞいくらでもこうして転がっているのであって、リアライズするのにいちいち他人を巻き込まなくても良いのではないかなと思うのだが、

 「理解はしてくれないのだろうなぁ」

 「何がです?」

 ぜんぶ流れ落ちる前に彼女は手をはたいて水を飛ばした。

 「これを作った本人がさ。他人を巻き込まない楽しみ方が出来ないタイプなんだろ。いちおう物理出身のはずなんだけどな、茅場明彦」

 「物理出身でしかないから、……先輩が前に言ったとおり、登場人物が人工(A)知能(I)だけでは世界として満足できなかった、んじゃないでしょうか」

 「入れ物は造れても、登場人物を自前で用意できる気はしなかったってことだからなぁ……」

 「……ですね」

 さっきの鉄鉱石を水中に見つけ、拾って軽く振り、ストレージに仕舞って再度取りだすと水滴は消えていた。

 濡れ特性周りはゲーム設定が絡むので物理計算の手抜きなのか意識的な仕様なのかを判別するのは難しい。たとえば今の、仕舞うと乾くのは「濡れている」のが一種の状態異常として扱われていることを示す。気化熱もおかしいが、こちらもゲーム設定が絡むので諦めるほかない。今ちょっと川に踏みこんで足が濡れたが、放置しておいて足が冷えたりすることはない。

 「こういう、物理現象がおかしいといろいろ小学生の教育に影響が出そうだよな」

 船団で、そう懸念したのはサーシャである。それを敷衍するに、二年も浸れば中学生も危ないかもしれないなと彼は思ったものだった。十四歳の子が二年間アインクラッドで過ごすのは、自分達で言うなら三年ほど南極越冬隊を務めるのに近い。

 「ふむ。元ネタはサーシャさんでしょうか?」

 「びっくり」

 「えへへへへー」

 上機嫌に彼女は水際でくるっと回ってみせた。

 「んー、そうですね、子供を見て、男の人はたぶん小さいゲーマーが居る、くらいじゃないでしょうか? 船団の中で女性は二人、リズちゃんは疚しいこと抱えてるのであまり雑談には参加しない、としてサーシャさんかなと」

 性差以前に、彼がそういう中途半端な規模の集団について語るところに違和感を覚えての反射的な考察だったが、そこは言わない。

 彼は攻略集団の攻略速度は考察しても誰がラスボスを倒すかといったことには興味がない。それと同様に、彼はプレイヤー全体の被害状況は語っても、その中のサブグループそれぞれの運命について大きな興味はないだろうと彼女は思っていた。

 「まあそうね。リズだけど、初対面だと人見知りの子に見えただろうな」

 そう言ったあと、ああ、なるほどと彼は納得した。人見知りのソロがこういう計画に乗るはずがない。ヘタレ鍛冶屋と似たようなものだが、あちらと同じくバックが居るだろうとシムラは訊いてきたわけだ。それだけでは確証に届かないだろうが、ターゲットに見定めてしまえば証拠の一つや二つ出るに違いない。

 「先輩?」

 「ん、ああ、悪い。ちょっと変に懐いた奴のことで」

 中学生を囲っているなどと言い触らされるのはどうかなぁと彼は心配になった。ただ、杞憂かとは思う。

 「ネズハさん達でしょうか?」

 懐いたと言えば、彼女には彼らが第一に来る。ネズハというか、一緒について来た保護者のギルガメッシュ達のことだが。会議室に案内した時の気張った表情と、出る時に見掛けた融けた表情の違いでよく覚えている。そう挙げてみると、

 「いや、シムラのことだけど……まあ懐くといえば、あいつらもそうか」

 彼は軽く笑った。彼女は首を傾げた。シムラについては悪友という印象がある。面談の時、悪巧み顔で話が盛り上がる横でおいてきぼりにされたセド君と目が合って、おもわずごめんなさいしたものだった。

 「そういえばネズハさん達の時、何したんですか?」

  鍛冶屋の面談にはだいたい居合わせたが、彼らの時に限って席を外していた。見たかったと思う。

 「自己紹介で微妙な顔したら、名前負けしてるだろって何か自虐的に威張るから、ギルガメッシュだって最初はホギャホギャ言ってた赤ん坊だったろと。百層までに王様になってれば良いんだよと」

 「……たぶんオチがあるんですよね?」

 なぜ分かる、という顔をして彼は答えた。

 「エルキドゥは造られた時から強かったんだよなと言ったら一人だけ凹んだ」

 「ひとつふたっつ余計な一言がくっついてきますよねーえ」

 溜息をついて、彼女はどこかうらみがましそうに彼を見上げた。

 




掛け合い部分、日常でもやってるような奴で、そのまま文字で起こしたろうかと思うこともあるのだが、
1時間もすると何喋ったか覚えてへんのよな……。

水の描写はプログレ基準。粘性を下げるとあんな感じになるのと
DFSの設定(物理計算は手を抜こうとする傾向)とも合うので採った。


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