ロビーの冒険   作:ゼルダ・エルリッチ

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2、騎乗の旅立ち

 かなしみの森の中に、大きな馬のいななき声がひびき渡りました。日は、もうとっぷりと暮れてしまって、空はいちめん、黒のカーテンをしきつめたかのようにまっ黒でした。それというのも、急にわき起こってきた暗い雲が、かすかに光を放っていた星々をも、そのえじきにして飲みこんでしまったからなのです。つめたい風が、ぴゅうぴゅうとかなしげな音を立てて、森の黒い木々のあいだを通りすぎていきます。木々の葉っぱはざわざわとゆれ、まるで、すがたの見えないらい客をむかえいれているかのように、くらやみの中で、すぎてゆく風の声にこたえました。

 

 そんな、ふきつとも思える夜の空の下に、今、三頭の騎馬たちが、その主人たちとともにたたずんでいました。それらの馬たちは、このうす暗さの中でもはっきりとわかる、美しい毛なみを持っていました。二頭は、銀のような美しさのはい色。もう一頭は、おひさまの下にかがやく白い花のようにいんしょう的な、白い馬でした。そして、それらの馬たちの背には、あわせて四人の人物たちが、馬たちと同じくらい美しい、りっぱなくらにまたがっていたのです。

 

 二頭のはい色の馬たちには、それぞれひとりずつ、きらびやかな衣しょうに身をつつんだはい色のおおかみの者たちが乗っていました。そしてもう一頭の白い馬には、この馬と同じくらいに白くて美しいすがたをした、白のひつじの種族の者がひとりと、そして、それとはとても対しょう的な、全身まっ黒の衣服に身をつつんだ、黒のおおかみ種族の者がひとり、乗っていたのです。この黒のおおかみのかっこうは、ほかのふたりのおおかみたちにくらべて、やや見おとりする感じで、着ているものにもなんのそうしょくもありません。黒のジャケットに黒のズボン、黒のマフラーをしていて、そしてその上から、全身をおおうようなかたちで、大きなぼろのような黒のマントをはおっていました(これはもう、なん年もたんすのおくにおしこんであったものを、あわててひっぱり出してきたものでした)。そのほかには、肩からくたびれたかばんをひとつ下げているだけで、これも、とてもきちょうな品であるとは、とうていいいがたいものだったのです。 

 

 ですが、だからといって、この黒のおおかみのことをかんたんに「みすぼらしいおおかみ」ときめつけてしまうのは、まちがったことだといえるでしょう(いいかえれば、ほかの三人の者たちの身なりがりっぱすぎるのです)。すくなくとも、おおかみらしいじょうぶなからだを持っているという点では、ここにいる三人のおおかみたちは、それぞれおんなじくらいりっぱでした。でもやっぱり、じゃっかんではありましたが、黒のおおかみの方がほかのふたりのおおかみたちよりも、ひとまわりくらい、小がらであるといえると思います(せいぜい二インチていどでしょうけど)。ですが、そんなことをくらべっこしてもしかたありませんし、意味のないことだといえることでしょう。だって、もうひとりのひつじの種族の者は、この大きなおおかみ種族の者たちとくらべて、ふたつもみっつも、小がらでしたから(白い馬一頭にふたりが乗れるのも、そのためでした)。

 

 さて、この騎乗の者たちがだれであるのか? みなさんはすでにごぞんじでしょうから、このあたりでかれらを、かれらの持つ、ほこり高き名まえでよんでいきたいと思います。

 

 

 「ロビーどの、旅立ちのじゅんびは、すっかりおすみになられたでしょうか?」

 

 口をひらいたのは、はるか南の地、ベーカーランド国の白の騎兵師団の長、ベルグエルムでした(ベルグエルムは、そういいながらも、はやりたつ馬をせいするので手いっぱいでした。ベルグエルムの乗る美しいはい色の騎馬は、「早くいこうよ」といった感じで、主人であるベルグエルムのことをせかし立てつづけていたのです)。そしてロビーは今、出発の前に、かばんの中のにもつをもういちどかくにんしているところだったのです。

 

 「なにもかもすみました。このほらあなの中にあった、ぼくのたいせつな品物は、すべて、このかばんの中にはいっています。着るものと、食べるもの。インクに、まんねんひつ。本が二さつに、ペンダントがひとつ。このペンダントだけは、ぼくの首にかけてありますけど。みんな持ってきました。もう、このほらあなの中には、持っていくようなものは、なにも残されていません。それいがいは、ただ、くらやみばかりがつまっているだけです。」

 

 ロビーはそういって、長い時間をすごした自分のほらあなのことをながめやりました。今は、とざされた重い木のとびらが、なに者であろうと、その中へまねきいれることをこばんでいるのです。そのとびらのわきには、すすけてうすよごれたガラスのはまった、小さなまどがありました。中はまっくらでした。ついさきほどまでは、ロビー自身が、そのまどの内がわにいたのです。それが今では、このほらあなは、もうなん年もうちすてられていたかのように、まったく人のけはいを感じさせないものになっていました。

 

 「もう、なにも残っていません……」

 

 ロビーはもういちど、だれにいうともなくつぶやきました。なぜだかはわかりませんでしたが、ロビーはふいに、なにかいちばんたいせつなものを中においてきてしまったのではないか? という気持ちになったのです。ですがそれは、品物ではありませんでした。しいていうのであれば、それは、このほらあなそのものでした。ひとりぼっちで毎日をすごしてきた、自分のほらあな。自分がいなくなれば、あとはただ、くち果て、荒れていくだけでありましょう。ロビーはなんだか、とてもかなしくなってきました。かなしみの森の、かなしみの力のせいかもしれません。思いもかけず、なみだがあふれ出てきました。ロビーは自分にとって、とてもたいせつな人が去っていってしまうときのような、そんな気持ちになったのです。ほらあなの気持ちになったのです。

 

 いつか、もどれるときがくるだろうか……。ロビーは心の中で思いました。

 

 でも、たぶん、もどれることはないだろうな……。

 

 いちどもだれもおとずれることのなかった、自分の家(今日きたみんなのことはべつとして)。そして、さいごのひとり、自分自身が去ろうとしている家でした。ですがそれは、ロビーにとっての、大いなるしめいのためなのです。ほこりとそんげんのためなのです。そのためならば、きっと、この暗くてさびしげなほらあなも、やさしく、主人を送ってくれることでしょう。旅立ちとは、そういうものなのです。そして、人が旅立つことは、だれにもとめられないのですから……。

 

 ロビーはげんきを出して、わが家にさいごのおわかれのまなざしを送ると、ゆっくりと、前にむきなおっていいました。

 

 「さあ、いきましょう。」

 

 

 そして、三頭の馬たちはかけ出していきました。もうすっかり、夜のとばりにおおわれてしまった暗い森の中を、まようことなく、はっきりと、かれらは進んでいったのです(ベルグエルムを先頭に、ライアンとロビーの白馬がすぐうしろにつづき、フェリアルがさいごにつきました。これは、守るべきたいせつな人をまん中にすることで、前とうしろの守りをかためることができるためなのです)。

 

 ロビーにとって、馬に乗ったのは、これがはじめてといっていいものでした。せいかくには、小さかったころの遠いむかしに、乗ったきおくがあるわけですが、それは、ただのきおくでしかなく、馬に乗ったけいけんとよぶのには、ほど遠かったのです。ですからロビーは、まったく馬というものになれていませんでした。とうぜん、馬をあやつるなんてことはできっこありませんでしたし、じっさい、この馬にまたがるときにだって、そうとうくろうしたのです(みんなの手をかりて、よいしょよいしょ! ひとしごとでした)。

 

 ですから、これまたとうぜんのことながら、たづなを持って馬を走らせているのは、前にすわっているライアンで、ロビーはライアンのからだにしがみついて、うしろにまたがっていました。そのおっかなびっくりにしがみついているすがたは、ちょっとおかしくも見えましたが、ロビーにとっては、そんなことにかまっているよゆうなどはありませんでした。つまり、なんとかふり落とされないようにがんばることだけで、せいいっぱいだったのです(ライアンの方は、大きなおおかみのロビーにしがみつかれて、う~ん、といった感じでしたけど)。

 

 こうして一行は、夜の森の中を進んでいきました。いくつものしげみをぬけ、急な坂道をのぼり、おり、たくさんの広場を越えました。森の住人たちは、もう自分のすみかにもどって夕ごはんのしたくに取りかかっているころあいでしたので、森の中には、だれも出歩いている者はおりません。もっとも、馬のかける大きな音にびっくりして、みんなどこかに、ひっこんでしまっているのかもしれませんが。ロビーはそのことも考えて、なるべく人の家のそばはかけていかないようにとお願いしていました(かれのやさしさと気づかいが、よくあらわれていますね)。

 

 しばらく進んでいくと、やがて、ひとつのあけた広場に出ました。ここは、森の街道が重なりあうところで、住人たちが集会をひらいたりおしゃべりをしたりするのに使っているところでした。切りかぶをりようしたベンチがいくつもならんでいましたが、そこに腰かけている者は、今の時間ではだれひとりとしていません。そして、すぐにわかるこの広場のとくちょうが、ひとつありました。この広場の地面は、ほかの広場とちがって、すみずみまで草がきれいにかり取られていて、手いれがよくゆきとどいていたのです(これまでにも広場はいくつも越えましたが、どれもみんな、草がぼうぼうに生えておりましたから。そのちがいは、この暗い森の中でもすぐにわかったのです)。

 

 さて、それはなぜかといいますと、この広場のすみには、ほかの広場にはない、あるとくべつなものがあったからでした。それは、いっけんの家でした。そしてそれは、ただの家ではなかったのです。お店でした。そう、それは、かなしみの森の中でゆいいつのお店。「ざっか屋および食りょう品店」である、スネイル・ミンドマンのお店だったのです。店のまわりには、手いれのよくゆきとどいた大きな花だんがあって、花だんは色とりどりの花々でかざられていました(ざんねんながら、今は暗くてよくわかりませんでしたが)。そしてその手いれのよさが、店のまわりのみならず、この広場全体にまでゆきとどいていたのです。

 

 この広場がよく手いれがされてぴかぴかなわけ。それはつまり、店主であるあなぐまのスネイル・ミンドマンの、人のよさと、草木に対する深いじょうねつのためでした(なにしろかれのお店には、ありとあらゆる庭いじりの道具や、なえどこが、そろっているくらいでした。おかげで、一部の気心の知れた住人たちからは、「スネイルのえんげい用品店」という店の名まえに変えたらどうだ? とからかわれていたのですが)。

 

 そしておりしも、ロビーたちがこの広場にやってきたちょうどそのとき。このスネイルのざっか屋および食りょう品店は、店じまいの時間をむかえたところだったのです。つまり、野うさぎのこくげん(みなさんの世界でいえば午後の六時くらいでしょうか?)にあたりました。そのため、店のまわりにあかりはなく(暗くなってから店がしまるまでは、店のまわりにランプのあかりがともされています)、入り口からもれる店内のしょうめいだけが、ぼんやりと、広場をうすくてらしていたのです。空はまっくらでした。暗い雲はどんどんと立ちこめていって、ほんらい星空のあるべき場所にじんどって、あつくたれこめていました。そして、そんな暗い空の下。店のそとでは、ちょうど、店主であるスネイルほんにんがいて、店じまいのしたくにあたっているところだったのです。

 

 スネイルが馬のかける音に気づいてこちらをふりかえり、ロビーたち一行とはちあわせたのは、ロビーたちがこの広場にはいったのと、ほとんどいっしょのときでした。ですから、もしロビーがスネイルのことに気がつかなかったのなら、ロビーは馬の背に乗ったまま、自分がこの広場を通ったということにすら気づかないうちに、この場所を通りすぎてしまっていたことでしょう。それほど、一行の馬ははやくかけていたのです。

 

 「すいません! どうか馬をとめてください! すこしのあいだだけ、とめてください!」

 

 ロビーは大声を上げて、みんなに馬をとめてくれるようにたのみました。ロビーの声にこたえて、三頭の騎馬たちは、それぞれ「ひひん!」と大きくいなないて、そのかけ足をとめます(といっても、あまりにはやかったので、とまったころにはこの広場を大きく越えてしまって、それからひきかえしてきたのですが)。

 

 ロビーは、この森を去ってゆく前に、どうしても、そのことを森のだれかに伝えておかなければならないと思いました。それは、自分のためにみんなにこわい思いをさせてしまったという、つぐないの気持ちからでした。どういうかたちにせよ、自分が森から出ていけば、森の人たちは、このさき、安心して暮らしていくことができるでしょう。ロビーはそのことを、だれかに伝えておいてもらいたいと思ったのです(いずれしぜんとうわさが広まるとは思いますが、今いっておけば、もっと早く安心できるでしょうから)。

 

 それには、このあなぐまのスネイル・ミンドマンにたのむのが、いちばんだと思われました。なにしろここは、森でゆいいつのお店でしたので、森中からお客さんがやってくるのです。ですから、まっさきにうわさ話が広がるのも、この場所からでした(そのうえ、スネイルはロビーと話しをしたことのあるゆいいつの森の住人でしたので、ロビー自身もかれに対して、話しがしやすいということもありました)。

 

 ですが、とうのスネイル自身は、これはもう、おどろきときょうふでいっぱいになってしまっていて、とてもれいせいには、ロビーたち一行に対してせっすることができずにいました。それはつまり、スネイルが明るい店の前にいたのに対して、ロビーたち一行は、はんたいに、そとの暗がりの中にいたからでした。それってどういうこと? これは、じっさいにたいけんしてみればよくわかるのですが、暗い場所から明るいところにいる人は、よく見えるのですが、明るいところにいる人からは、そとの暗がりの中のようすは、はっきり見て取ることができないのです。ですからスネイルには、とつぜんにやってきたこのしっ黒の騎乗の者たちが、どういう者たちであるのか? ぜんぜんわかりませんでした。とうぜんそれが、森はずれのほらあなに住んでいるおおかみだなんてことは、このときのスネイルには、まったくわからなかったのです。スネイルにとっては、なにかとてつもなくおそろしげな魔王の使いかなにかが、自分に害をなさんとして、とつぜん、このくらやみの中からあらわれたかのように思えました(はじめ、ロビーが自分のところにやってきたベルグエルムたちに対して、おそれをいだいたときのことを、思い出してみてください。ちょうど、あんな感じだったのです)。

 

 「みなさん、すこしの時間だけ、かれにおわかれのあいさつをしてくることをゆるしてください。」ロビーは、みんなにことわって馬からおりると、スネイルの方に静かに歩みよっていきました。しかし、これできょうふがさいこうちょうにたっしてしまったのは、スネイルだったのです。なにしろ、顔の見えないまっ黒で大きななにかが、同じくしょうたいのわからない仲間たちのことをしたがえて、自分のもとへと近づいてこようとしていたのですから、それもそのはずでした。

 

 スネイルは、思わず身がまえて、えんげいの道具るいを見やっていちばん「武器」になりそうなものをえらんでひっつかむと(さきの分かれた長いすきでしたが)、きょうふにかられてさけんでしまったのです。

 

 「そこでとまれ! とまるんだ!」スネイルは、あらんかぎりの声でさけびました。ロビーは思わず、びくっとして、その場に立ちすくんでしまいます。

 

 しばらくおいて、スネイルがふたたびどなりました。

 

 「おまえたちがなに者であろうと、わしの家をきずつけるようなまねは、だんじてさせんぞ! だんじてだ! 今すぐ帰れ! さもないと、このすきのいちげきをくらわせてやるぞ!」

 

 スネイルは、自分の持つ勇気のそのさいごの一てきまでふりしぼって、このしょうたいふめいのやみの者に立ちむかいましたが、そういいながらも、からだ中ががくがくふるえて、顔はあせでびっしょりになってしまっていました。

 

 このスネイルの反応には、ロビーだけでなく、うしろにいるベルグエルムたちも、とてもびっくりしてしまいました。じっさい、ベルグエルムとフェリアルは、ロビーのことを守ろうと、もうすこしで腰の剣に手をかけて、ふたりのあいだにわってはいろうかとしたほどです。しかしそれも、ロビーが口をひらいたつぎのしゅんかんまでの、ほんのつかのまのことにすぎませんでした。ロビーは、さいしょはびっくりして、思わずしりごみしそうになってしまいましたが、すぐに、相手の気持ちを考えてものごとをおこなおうとする、自身のその思いやりの気持ちを、はたらかせたのです。つまり、スネイルの気持ちをおしはかって、かれをこわがらせないように、すぐにごかいをとこうとつとめました(これには、ベルグエルムたちのごかいをとくこともふくまれていました)。

 

 「待って! 待ってくださいスネイルさん!」ロビーは両手を大きくかかげて、けんめいになっていいました。「ぼくは、森はずれのほらあなの、おおかみです! ぼくは、あなたをきずつけようとしているのではありません。あなたにお話ししておきたいことがあって、こうして、やってきたわけなんです。どうか、ごかいなさらないでください!」

 

 これをきいて、スネイルはさいしょ、いぶかしげな、うたがわしげな顔をして、この声のもととなる人物のことを、じろじろながめやっていましたが、やがて、どうにかなっとくしたかのように、こわごわ口をひらきました。

 

 「森はずれの、おおかみさんですって? これはこれは、いったい、どういったわけなんです? 近ごろじゃ、めったに、買いものにだってお見えにならないというのに。それも、こんなおそくに。」

 

 そういって、スネイルは持っていたすきをおろしました(それでもすこしだけ、まだ用心しながら、そのすきをにぎりしめていましたが)。

 

 ロビーは、やっとのことで胸をなでおろして、スネイルのそばに歩みよりました(ねんのため、両手は頭の上に高くかかげたまま、ゆっくりと近づいていきましたが)。近づいていくにつれ、スネイルの顔からはきょうふの色が消え、もとの人のいい、あなぐまのスネイル・ミンドマンにもどっていきます。そしてかれは、ロビーのことを見上げると(ロビーの背たけは自分の二ばいほどもありましたから)、それがまぎれもなく、自分の見知っている森はずれのおおかみであるとかくにんして、大きく肩で息をつきました。

 

 「ふう! わたしはまた、なにか、どこかの魔王の手さきかなにかがやってきたのかと思いましたよ。ほんとうに、きもをひやしましたぞ。もうちょっとで、わしは、あんたと、さしちがえるかもしれないところだった。」

 

 スネイルは、なかば怒ったような口ちょうでいいましたが、じっさいに怒っていたというわけではありませんでした。ですが、言葉の中身はほんとうのことで、スネイルは、それがごかいだということがわかって、今、心の底からほっとしていたのです。そしてロビーはといいますと、これは、思いもかけず、スネイルのことをこわがらせてしまったことで、すっかり申しわけない気持ちになってしまっていました。ですけどどうにか、ごかいもといてもらえたようなので、その点にかんしては、ロビーはスネイル以上に、ほっとしていたのです。

 

 「ほんとうに申しわけありませんでした、スネイルさん。あなたをこわがらせるつもりは、ぜんぜんなかったんです。ほんとうにすみませんでした。」ロビーはぺこぺこ頭を下げて、スネイルにあやまりました(それでもスネイルの背がちっちゃいので、ロビーの頭はまだ、スネイルのずっと上にありましたが)。

 

 「ぼくがここにきたのは、スネイルさん、あなたにぜひとも、しらせておきたいことがあったからなんです。つまりぼくは、もう、この森を去らなくてはいけません。去らなくてはいけないときが、やってきたんです。南の地へむかうときが、やってきたんです。」

 

 これをきいて、スネイルはとてもびっくりして、目をまるくしてしまいました。そしてかれは、たじろぐような、ひるむような、そぶりを見せながら、しばらくぼうぜんとしていましたが、やがて、すべてになっとくがいったかのように、なんども小さくうなずいて、ロビーの手を取っていいました。

 

 「お、お、なんということだ……。なんということです。やはり、そうでしたか。旅立つときが、やってこられたのか。」

 

 スネイルはロビーの手をにぎりしめながら、すっかり感きわまってしまっていました。ですが、この反応にすっかりおどろいてしまったのは、ロビーです。なにしろ、自分が旅に出ようとしていたことなんて、もちろん、だれにも話しておりませんでしたから、それもそのはずでした(もちろん、ベルグエルムたちが前もって、スネイルに話したわけでもありません。どうしてスネイルが、そのことを知っていたのでしょうか?)。 

 

 「さあさあ、中へおはいり。火のそばへ。あたって、話しをしよう。」

 

 スネイルはロビーのことをひっぱって、店の中へあんないしようとしましたが、ロビーには、それにこたえることはできませんでした。ロビーはふりかえって、ベルグエルムたちのことを見ました。かれらはただだまって、こちらのようすを見守っておりました(ですが、ロビーとスネイルの話は、すべてかれらの耳にもとどいていました)。

 

 ロビーは、この旅がさきを急ぐ旅であるということを、じゅうぶんにしょうちしていました。ですからここで、あんまりぐずぐずしているわけにはいかなかったのです(今もむりをいって、時間をもらっているのですから)。ロビーはスネイルのさそいをていちょうにことわって、「さきを急がなくてはならない」ということを伝えました。

 

 「申しわけありません、スネイルさん。ぼくは、さきを急がなくてはなりません。あそこにおります、ゆうかんなる旅の友人たちといっしょに、南の地へとむかうんです。ですから、スネイルさん、どうか森のみんなに、よろしくお伝えくださるようお願いしたいんです。」

 

 これをきいて、スネイルはとてもざんねんそうに、ロビーの手を放しました。

 

 「そうか……、ざんねんだ。もうすこし、あんたの話をききたかったのだけど。」

 

 しかし、そこでスネイルは、急にとてもだいじなことを思い出したらしく、手をぱん! と大きくたたいていったのです。

 

 「そうだった! そうそう! あんたに、ぜひ、渡したいものがあるんだ。ちょっと、待っててくれよ。そのくらいならよかろう?」スネイルは、そういって、店のわきにあるものおき小屋の中にかけていきました。

 

 小屋の床にはところせましと、じゃがいものふくろや、とうもろこし、らっかせいのふくろなどがつまれていました(そのため、なんどとなく、スネイルはふくろに足をひっかけて、ころびそうになっていましたが)。そして、たくさんのなえどこや若木のたばを乗り越えた、そのさき。いちばんおくのたなの上に、大きくて長いがんじょうそうな鉄のはこがひとつおかれていて、それには、これまたがんじょうそうな、大きなじょうまえがひとつかけられていたのです。

 

 「ほい、かぎは? と。どこいった?」

 

 スネイルはあちこち飛びまわって、いったりきたりをしていましたが、やがて、かぎをかくしておいたえんとつのすきまのことを思い出すと、その場所から、まるでこわれものでもあつかうかのようにしんちょうになって、そのかぎを取り出しました。それは、すすけてほこりだらけになってはいたものの、美しいししゅうのはいった青いぬのにくるまれていて、だいじにしまってあったようでした。スネイルは、そのぬのの中から銀色にかがやく大きなかぎをひとつ取り出すと、その手ざわりをしばらくたしかめたあと、それをはこのじょうまえにさしこみました。かぎがまわり、はこがひらきます。それからスネイルは、大きく「ほおーっ。」とため息をついてから、その中にだいじにしまってあったものを取り出しました。

 

 それは、ひとふりの剣でした。そうしょくはひかえめでしたが、にぶくふしぎなかがやき方をするさやにおさめられていました。スネイルは両手でそれをかかえ(その剣は小さなスネイルにとっては大きすぎました)、そしてそれといっしょに、肩にはじょうぶそうなリュックサック(これまたかれには大きすぎるものでした)をひとつしょって(というよりも、ほとんど地面にひきずって)、ようやく小屋の中から出てきたのです。そして、ロビーのところへひょこひょこやってきますと、かかえた剣をロビーにむかってさし出しました。

 

 「ほら、こいつだ。」

 

 ロビーはびっくりしながら、おそるおそる、その剣を手に取りました。長すぎもせず、重すぎもしません。それは、ロビーにぴったりのつくりになっていました。ロビーはつかをにぎって、その剣をすこしだけぬいてみましたが、そのやいばはとても美しく、そしてすこしだけ黒っぽく、かがやいていました。まるで、やいば全体が、つめたいきよらかないずみの水にひたっているかのように、にぶく、そして、こうごうしく、光っていたのです。

 

 「どうだね? りっぱなもんだろう? じつは、こいつをおまえさんに渡すようたのまれて、わしは、もう、なん年ものあいだ、ずっとあずかっていたんだよ。おまえさんが南の地へ旅立つという、そのときに、渡してほしいとな。もし、これを渡すそのきかいがなければ、こいつはこのさき、ずっと、このわしの家に眠らせておいてもかまわないということだったんだがね。だが、とうとう今日、ついに、そのきかいがおとずれよった。」

 

 剣を手にしたロビーのことを見て、スネイルはすっかり、こうふんしてしまっていました。それにくらべて、ロビーの方は、なんとも、きまりが悪そうです。

 

 「これはいったい、どういうことなんでしょう? なぜ、ぼくにこんなものを? いったいだれが、なんのために、おいていったんでしょうか?」

 

 剣をもてあましながら、ロビーがたずねました。するとスネイルは、ちょっとのあいだ、頭をひねっていましたが、やがて、やっと思い出したようで、こんなふしぎな話をはじめたのです。

 

 「あれは、今から三年前の、冬の日のことだったと思うが。それとも、四年前だったかな? そう、こんな、暗い夜のことだったよ。わしが、店のかたづけをはじめたころだ。だからやっぱり、野うさぎのこくげんだったんだな。ふいに、くらやみのむこうから、なにか、地面をたたくような音がきこえてきた。すぐにそれは、馬のかける音だとわかったんだが、その音は、まばらな感じだった。わかるかね? まばらなんだ。地面をかけたり、とびあがったりしているかのように、まばらだった。そしてすぐに、それは、わしの店の前までやってきた。まっ黒な馬と、まっ黒な騎士だったよ。わしはもう、おそろしさに、ふるえ上がったもんだ。それらは、まるで影のように、ゆらゆらと、やみの中でゆれておった。わかるかね? まるで、だんろにかかったやかんの湯気みたいに、ゆれてるんだ。わしは、もしかしたら、まぼろしか夢でも見てるんじゃないかと思ったんだが、すぐに、そうじゃないということが知れた。そいつが、口をひらいてしゃべったからだ。

 

 「そいつは、からだ中をまっ黒なマントでおおっていて、顔もまったく、見えなかったが、しゃべっている、その口もとだけは、見て取れたんだ。ひげがあったように思ったかな? そうじゃなかったかもしれんが。とにかくそいつが、わしに話しかけてきた。それは、思っていたよりもずっとおだやかな口ちょうで、わしはびっくりしたもんだった。こういったんだと思うよ。

 

 「『わたしは、南のくにの者です。あなたに、ぜひ、たのみたいことがある。』そういうと、そいつは、ゆっくりと、マントのすそを広げた。マントの中には、ひとふりの剣があった。そいつの腰にさしてあったんだ。そいつは、静かにその剣をはずすと、わしにさし出して、こういうんだ。

 

 「『この剣を、あずかってほしいのです。わたしのくにの剣です。見つからないように、どこかにしまっておいてくださればけっこう。』そして、おまえさんが今持っている、その剣を、わしにあずけていったんだ。わしは、ひと目で、それがひじょうにすぐれた、かちのあるものだと、わかったよ。だから、いってやったんだ。『こんなだいじなものを、見ず知らずのわしに、たくしてしまっていいのかね? わしは、これを、お金にかえてしまうかもしれんぞ。』ってな。するとそいつは、ひるみもせずに、こうこたえたんだ。

 

 「『あなたがそうされたいのなら、そうしてくださってけっこう。すべて、あなたにおまかせしよう。それは、あなたにたくしたものだから、売ってしまおうと、すててしまおうと、あなたしだいです。それと、わたしはあなたに、もうひとつ、たのみたいことがある。』

 

 「『この森のはずれに、ひとりのおおかみが住んでいる。かれは、今はまだ子どもだが、いずれ、このくにをになう者となるだろう。そして、かれが南の地へ旅立つときが、きっとやってくる。そのとき、かれに、その剣を渡してやってほしい。きっと、助けになるだろうから。ぜひ、そうしてやってほしい。』

 

 「そのあいだ、わしは、だまってきいておったが、なんともいえない、ふしぎな感かくにおそわれたもんだった。まるで、わしの心が、そいつのからだの中に、すっぽりすいこまれてしまったかのような、からっぽな気分になったんだ。そいつはつづけた。

 

 「『だが、もし、あなたにそうする気持ちがないのなら、それはそれでよろしい。剣は、あなたのものだ。売ってしまうのもよいだろう。それに、かれが旅立つ、そのきかいに、あなたが出会えなければ、それもまた、さだめというものだ。そのきかいがなければ、剣は、とこしえに、あなたの家のそうこに、眠らせておいてもかまわない。すべては、運命のみちびくところによるものだから。』

 

 「それだけいうと、そいつは、ふっと、音もなく馬をあやつって、もときたくらがりの中へと消えていった。あとに残ったわしは、ただ、ぽかんとして、その場につっ立っておった。すべて、夢の中のできごとだったんじゃないかと思ったよ。だが、自分が手にしている剣の重みが、夢じゃなかったということを、ゆうべんに語っておった。わしは、その剣を手にしているうち、これは、わしにたくされた、しめいであるにちがいない、と思うようになった。これは、だいじにしまっておかなければならない。手放すわけにはいかない、とな。なぜ、そう思ったのかは、わしにもわからん。しいていうならば、剣がそれをのぞんでおった、とでもいうほかない。だからわしは、この剣を長年に渡って、だいじにしまいつづけた。いっとうがんじょうなはこにいれて、いっとうねだんの張るとつべつなじょうまえをかけた。このじょうまえには、ふしぎな力があって、対になるかぎをもちいないかぎりは、はこはぜったいにひらかんようになっとるんだ。

 

 「これが、わしとこの剣との、いきさつだよ。そして、剣はあんたのものだ。ぜひ、受け取ってくれ。剣もそれを、のぞんでいるはずだ。」

 

 そのころには、ベルグエルムたち三人もロビーのそばへやってきて、その場にいたぜんいんが、ねっしんに、スネイルの話にききいっていました。そして、スネイルの話が終わると。ロビーはとてもおちついて、ゆっくりと、スネイルにむかっていったのです。

 

 「この剣は……、きっと、ぼくを助けてくれるものと思います。大きな危険の中で、きっと、やくに立ってくれると思う。スネイルさん、あなたはとてもりっぱな方だ。あなたのような方に、この森で出会えて、ぼくはとてもしあわせでした。」

 

 ロビーは、自分でも知らず知らずのうちに、ウルファの敬礼のしぐさを取っていました。そのすがたはいげんにみちており、その場におりましたベルグエルムたちみんなにくらべても、なんら、見おとりすることはありませんでした。

 

 「わしはただ、自分が正しいと思ったことをしたまで。わしのかってでしたことだよ。こんなきかいがなければ、おまえさんに、さいごのわかれをいうこともできなかっただろうね。それはそうと、もうひとつ。これは、わしから、あんたにおくりたい。持ってってくれんか。」

 

 スネイルはそういうと、肩にしょっていたリュックをおろして、ロビーに手渡しました。

 

 「旅に出るのなら、こういったものがいり用だろうからね。」

 

 リュックの中には、旅に必要な品々が、いろいろつまっていました。ロープや、くさびや、火を起こすための小ばこ。ランプに、油に、せんめん用具。ナイフに、はさみに、紙にペン。ばんそうこう、ほうたい、きずぐすり、などなど。ふわふわであたたかそうなもうふも、ひとつはいっていました。しかも、どれもねんいりに手いれがなされてあって、それもいちばん上とうなものを、えらんであったようでした。

 

 「いつかおまえさんが、あの騎士のいうように、旅に出ていこうというのなら、なにかわし自身としても、手助けしてやれることがないかと思っていたんだが、あいにくこんなものしか、わしにはおくってやれん。だが、これでも、わしの店でいちばんの品ばかりを集めたつもりだよ。」

 

 ロビーは感げきのあまり、言葉も出ませんでした。まさかこの森で、自分のことをこんなにも気づかってくれている者がいようとは、思ってもいませんでしたから。

 

 「わしはいつも、おまえさんのことを心配しとったよ。みなは、おまえさんのことをごかいして、こわがっておるが、わしにはどうしても、そんなような者には見えんかったな。いつも、さびしそうな目をしとったからね。こんな目をした者が悪いやつだとは、とうてい思えんよ。だからといって、わしがどうこうできることでもなかったから、なにもいえずにいたんだが、今日、こうして、おまえさんと話しができて、うれしいよ。

 

 「だが、もう、いかなきゃならんようだな。これ以上、ひきとめるわけにもいかん。さあ、ゆきなされ。おまえさんの旅の安全を、わしは願っておるよ。」

 

 ロビーはもう、胸がいっぱいになって、声も出せませんでした。ただただ、このあなぐまのスネイル・ミンドマンに対しての、かんしゃの気持ちで、いっぱいになっていたのです。ひとみをまっ赤にはらして、ロビーはしゃくり上げて、泣いてしまいました。

 

 「ありがとう……、スネイルさん。ありがとう……」ただ、それだけ、そういうので、せいいっぱいでした。

 

 そしてロビーは、スネイルからのおくりものをしっかりと身につけて、ライアンの乗る白馬にまたがったのです(やっぱり手伝ってもらって)。それからロビーは、ふたたび、スネイルにむきなおって、深くおじぎをしました。

 

 「さいごに、」スネイルがいいました。「あんたの名まえをきいときたいんだが。」

 

 ロビーは、馬上からせいいっぱいの敬意をあらわしながらこたえました。

 

 「ロビーです。」

 

 「ロビー、たっしゃでいけよ。わしは、おまえさんのことを、忘れはしないよ。げんきで、そして、できることなら、ふたたび、ここへもどってきておくれ。そのときには、わしは、おまえさんのことをみなにふれてまわって、おまえさんをかんげいできるようにしておくよ。」

 

 ロビーは出発しました。そしてスネイルは、あとを見送って、さいごにひとこと、大きな声でよばわったのです。

 

 「ロビー! おまえさんは、ひとりじゃないんだ。ひとりだと思ってはいかんぞ。それを、忘れんようになあ!」

 

 ロビーはふりかえってさけびました。

 

 「ありがとう!」

 そして、三頭の騎馬たちは、ふたたび、夜の森の中をかけていきました。

 

 

 しばらくのあいだ、四人はだまってかけていきました。森の街道はまっくらで、人っこひとり見あたりません。道はばはせまく、そのため、馬はいちれつになって進んでいきました。やみはますますたれこめるばかりで、十ヤードさきのようすですら見通せません。ですが、先頭をゆくベルグエルムの騎馬は、まるで道をすべておぼえているかのように、まがりかどのひとつひとつを、すいすいとかけぬけていきました。

 

 かどをまがるたびに、ロビーは、腰におびた剣のそんざいを感じました。今ではすっかり、剣は、そこになじんでいるかのようでした。まるで、あるべきところにもどったかのように、剣もロビーも、そこにそれがあることがあたりまえのことだというように、おちついていたのです。これは、ロビーにとってもふしぎなことでしたが、「この剣に守られている」という気持ちと同時に、「この剣を守らなければならない」という気持ちが、心の中で、しだいに、大きさをましてきていました。剣は、ロビーの腰にあって重すぎず、かといって、かるすぎずに、新しい主人であるロビーに、そのそんざいをうったえかけているかのようでした。

 

 ロビーはもういちど、やみの中で、腰の剣にさわってみました。ひんやりとした、つかの感しょくが伝わってきます。そしてそれは、同時に、まるで生きているかのように、ロビーの手の中でふしぎないのちの力を感じさせました。

 

 「その剣には、」ふいに、前にいるライアンが口をひらきました。「なにか、ふしぎな力があるような気がするね。」

 

 見ると、ライアンは、静かにさきを見つめたまま、まじめな顔をしているのです。

 

 「ぼくも、そんな気がする。まるで、わたしを手放してはならないと、剣がぼくに、語りかけてきているかのようなんです。ふしぎな感かくです。」ロビーが、剣のことに目をむけながらこたえました。

 

 「シープロンドについたら、ぼくの父に、その剣を見せるといいよ。父はもの知りだから、その剣について、なにかわかることがあるかもしれない。」

 

 ライアンの言葉に、ロビーはうつむいて、旅のことを考えました。どこまでいって、なにが待ち受けているのか? ロビーには、まだ、なにもわからなかったのです。

 

 「ぜひ、お願いします。ぼくも、それを知りたいから。」

 

 ロビーは、そういってまた、ライアンのことを見やりました。白いマントのむこうに、ととのった顔立ちが見て取れます。しかし、その表じょうは、つねになにか考えごとをしているかのように、くもって見えました(さきほど、ロビーのほらあなでは、あんなにもむじゃきでしたのに)。ロビーは、そんなライアンのことを見て、すこし、心がさみしくなってきました。

 

 「スネイルさんという人は、しんせつな人だね。」ライアンが、そんなロビーの心をさっしたかのように、やさしくほほ笑んでいいました。ロビーはまた、スネイルのことを思いました。胸にあついものが、ふたたび、こみ上げてきました。

 

 「ぼくは、また、この森にもどってこられるだろうか? 気がかりです。いつか、また、かれにもういちど、ちゃんとしたおれいがいいたいのだけれど。」ロビーがいいました。

 

 ライアンはだまったまま、こんどはなにもいいませんでした。ロビーは、ライアンがだまっていることの意味を、りかいしていました。この旅には、このさき、安全の保しょうなど、どこにもないということだったのです。ロビーがそうぞうできることの、きっと、なんばいも、ライアンはさまざまなことを知っているのでしょう。遠いくにのことや、旅の道のりのこと。そして、たくさんの危険のことも。

 

 だいぶたってから、ライアンはようやく、口をひらきました。

 

 「なんともいえない。ぼくたちは、さきの見えない道を進もうとしているんだから。じたいはますます、しんこくになっていくばかりだもの。きのうまでの道が、今日は安全だという保しょうも、どこにもないんだ。」

 

 ロビーはうつむいてしまいました。気持ちがしずみかけていきそうでした。そんな気持ちをふりはらうかのように、ロビーはまっすぐ、前を見すえましたが、そこにはただ、やみがあるばかりで、さきのようすはまったく見えませんでした。

 

 そのときには、すでに、ベルグエルムやフェリアルの騎馬たちでさえ、はっきりとすがたを見て取ることができなくなっていました。ただ、たしかにそこにいるのだということをしらせる馬のひづめの音だけが、くらやみの中に、ひびいているばかりだったのです。

 

 「でも、きぼうはいつも、ぼくたちとともにある。フェリーもいってたね。うん、そんなに深く考えこむのは、よくないね。ぼくも、すこし、悪いふうに考えすぎちゃった。ごめんねロビー。」

 

 そういうとライアンは、また、ロビーのほらあなで見せたような、むじゃきな笑顔を見せました。それは、ロビーのしずみかけていた心を、やさしくいやしてくれる笑顔でした。ロビーはかんしゃしました。そしてそれと同時に、ライアンも自分と同じに、おそれや不安を感じているのだということを、知ったのです。ロビーは、自分がライアンにたよりすぎていたということを、はずかしく思いました。

 

 「ごめん。ぼくの方こそ、しっかりしなくちゃいけない。ありがとうライアンさん。おかげで、げんきが出ました。きみがいっしょにいてくれて、ぼくはうれしい。みんなでがんばりましょう。」

 

 ロビーの言葉に、こんどはライアンがはげまされた番でした。

 

 「どういたしまして。こっちこそ、ロビーみたいな仲間がいてくれてうれしいよ。いい伝えのきゅうせいしゅが、こんなにもやさしい、ふつうの少年だったなんておもしろいね。でも、だからこそ、世界をすくう力があるのかもしれない。」ライアンは、そこで思わず、「ふふふ。」と笑いました。「悪い意味じゃないよ。ほんきでそう、思ってるんだから。ロビーなら、きっとやってくれると、信じてる。」

 

 ロビーは、ふくざつな気持ちになりました。自分にそんな力があるとは、まだ、どうしたって、思えませんでしたから。でも、なにごとも、やってみるまではわからないですものね。はじめからあきらめていては、なんにもできないのですから。ロビーはあらためて、気持ちを強くかためました。

 

 「ぼくは、さきへ進みたい。そしてこの目で、さまざまなくにを見てまわりたい。こまっている人たちを助けたい。」ロビーは、そっと、ですが力強く、自分のすなおな気持ちをいいました。おおかみたちのくに。人間たちのくに。きっと、自分のことを知る手がかりも、そこにあるはずです。

 

 「ぼくも、同じ気持ちだよ。ぼくの力は小さいけれど、やれるところまではやってみたい。」ライアンも同じく、力をこめていいました。

 

 「ロビーなら、うまくやれるさ。気持ちの強い人だもの。」

 

 そしてふたりは、ふたたび、やみの中へとむかって馬を走らせていきました。

 

 

 かなしみの森は、もうすっかり、夜になっていました。かなしみの力がはたらくのか? それとも、もともとなのか? だれにもわかりませんでしたが、この森の夜は、ほかの森の夜にくらべて、ことさら暗いように思えます。そのうえ、今日はとくに、それに追いうちをかけるかのように暗く見えました。暗い雲はどんどんとひきよせられるいっぽうで、まったく、吹きちっていくそぶりを見せません。風がぴゅうぴゅうと吹いていました。北の、名まえも知らない山々から吹きおろされるつめたい風が、馬上にいる四人には、ますますきびしいものとなってとどきました。

 

 それからまた、どのくらいのきょりを走ったでしょうか? 一行は、ふいに、水音のひびき渡る川の流れのふちにたどりつきました。足もとは、もう、水ぎわにまでたっしていて、あやういところで、馬はそのまま、川の深みの中にまで飛びこんでいってしまうところだったのです。

 

 みんなはあわてて馬の足をとめると、流れのふちに立ちつくしました。水ぎわは、このまっくらな森の中でもぴかぴかとかがやいて見える、きれいな小石やじゃりに、おおわれております。そのため、馬が足をふみしめるたびに、ざくざくという、ここちのよい音を立てました。

 

 さきに立つベルグエルムとフェリアルは、しばらく、ふたりでよりあって言葉をかわしあっていましたが、やがて、ロビーとライアンの白馬に歩みよっていいました。

 

 「この場所は、よそうがいです。わたしたちがはじめにここにきたときには、ここは、あさせであったのに、今ではすっかり、水かさがましてしまっている。これでは、馬で渡ることはむりです。なにか、ほかの手を考えなくては。ロビーどの、なにか、よいお考えはないものでしょうか?」

 

 ベルグエルムは、すっかりこまって、川の流れを見渡しました。水音は、ごうごうとはげしく、水の流れは、まるで、おしよせるたきのようでした。そのうえ、川の上流も下流も、くらやみの中へと消えているばかりで、まったく見通すことができなかったのです。まわり道をしようにも、いったいどこに、この川を渡れるようなところがあるものか? まったくけんとうもつきませんでした。

 

 ですが、この川のことをよく知っている者が、かれらの中にはひとりいたのです。それはロビーでした。知っているというよりは、ロビーはこの場所のことを、よく「おぼえて」いたのです。なぜかといいますと、ロビーはいぜんに、この川にきたことがあったからでした。去年とおととしの夏のことでしたが、ロビーはこの川に、魚つりに出かけてきたことがあったのです。あまりつれなかったものですから、くやしくて、よくおぼえていました(ですから、今年の夏はほかの川へいきました。ちなみにロビーは、自分のほらあなからずっと歩いてここまでやってきましたので、ずいぶん遠くに感じていましたが、その川にもう、ついてしまったということを知って、今、いささか、おどろいていました。あらためて、馬という生きものの足がはやいのを、思い知らされたものだったのです)。

 

 さて、ロビーはこの川のことについて、森の住人たちがうわさ話をしているのをきいたことがありました(それはもちろん、スネイルのお店ででしたが)。つまり、この川は森の精霊たちのしはいしているところなのであって、川の水の流れは、その精霊たちの力によって、さまざまに表じょうを変えるということらしいのです。このあたりに住んでいる精霊たちは、水をなによりもあいする、水の精霊たちであり、とくに、この川のきよらかな流れを好んでいました。まいばん、自分たちの力のもっとも強くはたらく時間には、精霊たちはより集まって、はるか上流にあるというみずうみから、かがやく水のしずくをはこんでくるといいます。そのため、夜の川の流れはいきおいをまし、水かさは、ひるまとはうって変わって、ふえるのだそうでした。そして精霊たちは、その流れのエネルギーを、みずからの力としてたくわえるのだということです(あくまでもうわさ話でしたので、ほんとかどうかはわかりませんが。それにロビーは、そんなにしっかりと話をきけたわけでもありませんでしたし。それはつまり、ロビーがそばによったら、住人たちはこわがって、逃げてしまったからなのです)。

 

 「この川の流れは、この森に住む精霊たちの力によって、いきおいをましているそうです。たぶん、ですけど……。夜のあいだには、この流れがおさまることはないと思う。でも、ここで朝を待つわけにはいかないから、やっぱり、ほかの方法を考えなきゃならないと思います。」ロビーは、せいいっぱいの言葉をえらんで、そうこたえました。

 

 ロビーの言葉をきいて、それからみんなは、しばらく、じっと水の流れに目をこらして考えこんでいました。なにか、川を渡るうまい手は、ないものでしょうか?(みなさんならどうしますか?)

 

 そんなみんなの目に、川の水しぶきがいたずらっぽく、きらきらとかがやいてうつりました。ふしぎなことに、その水しぶきは、このかなしみの森の、このまっくらな夜のやみの中でも、はっきりと見て取ることができたのです。まるで、水そのものが、いのちを得ているかのように、空中で、はねとび、まいおどり、あちらこちらへとちっていきました。

 

 そのようすをもっともねっしんに見つづけていたのは、白きシープロンの王子、ライアン・スタッカートでした。ライアンは、まるでそこになにかがいるかのように、水しぶきのひとつひとつを目で追いやりながら、ながめていましたが、ふいになにかを思いついたかのように、馬の背から、水ぎわの美しいじゃりの上へとおり立ったのです(残されたロビーも、あわてて、馬の背から地面に飛びおりました。ひとりで馬に乗っていたら、落っこちるかもしれなかったからです。ライアンは思わず、「あ、ごめん。」といいました)。

 

 水ぎわの美しいじゃりの地面と、負けないくらいに美しく気品のある、ライアンの白馬。そして、白の衣服に身をつつんだ、美しいライアンほんにん。その光景は夢のようにげんそう的で、まるでそこだけ、夜のやみが取りのぞかれてしまったかのようでした(これぞまさに、ファンタジーの光景! ポスターにしてかざっておきたいくらいです)。

 

 その中に立って、ライアンは、その美しい白いきぬの衣服のポケットから、なにかのふくろを取り出しました。それは、見たこともないような、ふしぎな生きものの羽から作られた、白くふわふわとしたふくろでした。そしてライアンは、ふくろの口をあけて、中のものを取り出しながらいいました。

 

 「ロビーのいったことは、まったく正しいね。この川の流れは、精霊たちの力によるものだよ。精霊の力には、ぼくたちの力ではかなわないんだ。たとえ、いちばんゆうかんな兵士が、たばになってかかったとしてもね。精霊たちの力を、けがしてはいけない。」

 

 ライアンはそういって、仲間たちの方をふりかえりました。

 

 「つまり、精霊たちの力は、強さだけじゃ、はかれないってことだよ。だから、ぼくらのやることはひとつ。精霊たちの言葉に耳をかたむけ、かれらに話しかけて、この川を渡らせてください、って、心からお願いすることだね。」

 

 そしてライアンは、ふくろの中身をかかげたのです。それは、美しくかがやくすいしょうの小びんでした。びんの中には、さまざまな色に変わって見える、とうめいなえきたいがおさめられております。ライアンは、それを頭の上に高くかかげると、川の流れの前にさし出しました。

 

 「このびんの中には、シープロンドの聖地、タドゥーリ連山の源流からくまれた、わき水がはいってる。ぼくたちは、これを、土地の精霊たちとの交流のために使ってるんだ。水の精霊に対しては、ききめがあると思うよ。この水の力をかりて、この川にいる精霊たちと話しができるか? やってみる。」

 

 ライアンはそういって、川の流れに近づきました。白いブーツのつまさきが水についてぬれるくらい、水ぎわのすぐそばにまで歩いていきます。みんなは、そのようすをうしろからじっと見守っていましたが、ふしぎなことに、ライアンのいるそのまわりだけ、なにか、かげろうが立っているかのように、ゆらめいたり、ぼやけたりして見えました。その中でライアンは、手にしたすいしょうのびんを流れの中にむけてかかげ、なにかをてらし出しているかのように、その位置や、むきを、なんども変えていたのです。

 

 しばらくすると、もっとふしぎなことが起こりはじめました。びんの中の水が、きらきらとした青いかがやきを放つようになったのです。そしてそのかがやきは、やがて、びん全体をつつんでいくほどに強くなりました。びんを持つライアンのまわりには、青と白にかがやく、たくさんの光がまいちっています。その光は、まるでダイアモンドのこなをちらしたかのように、きらきら、ぴかぴかと、またたいていました。

 

 そして、よく見てください。その光の中を美しいかがやきにつつまれながら飛びまわっているのは、まさしく、この森に住むという、水の精霊たちではありませんか!(そのすがたはとても小さなもので、ひとりひとりの精霊の大きさは、ほんの一インチにもみたないのでした。)かれらは、びんの中のきよらかな水の力にひきつけられて、ついには、ロビーたち旅の一行の前に、そのすがたをあらわせるほどまでに、その力を大きくさせていたのです。それほど、ライアンの持つ、このせいなる源流のわき水の力は、たぐいまれなる、「くらい」の高いものでした(みなさんは精霊というものを見たことがないかと思いますが、それはとうぜんのことでした。精霊というものは、空気の中にひっそりとかくれ住んでいる者たちなのであって、わたしたちの目には、見えなかったのですから。よっぽど、その精霊が力にあふれていないかぎりは見えません。ここで、ロビーたちの目に精霊たちが見えたのは、この精霊たちの力が、ライアンの持つせいなるわき水の力によって、それほどまでに強くなっていたからでした)。

 

 精霊たちは、ライアンのまわりにより集まって、その手もとからあふれる水の光を、からだいっぱいにあびようと、あっちへすいすい、こっちへふわりと、その小さな美しい青い羽をはばたかせていきます。

 

 

   りる、る、る、りる、きれいだな。

   らり、ら、ら、らり、ら、いいきもち。

   りる、る、る、りる、いいよいいよ。

   らり、ら、ら、らり、みずをおくれ。

 

 

 光の中から、小さな小さな歌声がきこえてきました。それは、とてもかすかな、ささやきのような歌声でしたが、その声はとても美しく、まるで、心の中にちょくせつひびいてくるかのようでした。そしてその歌声は、ひとつまたひとつと、あちらこちらからさそわれて、つぎつぎとわき起こっていったのです。

 

 

   いいよいいよ、みずをおくれ。

   きれいな、そのみずをおくれ。

 

 

 今や、あたりはたくさんの美しい光と、その中を飛びまわる水の精霊たちのすがたで、あふれかえってしまいました。青白くかがやくその光は、どこまでもすみきったきよらかさを、放っております。そしてその光は、ただしんしんと、目にうつす者の心の中にしみこんでいきました。

 

 ベルグエルムもフェリアルも、もうとっくに馬からおりて、この美しい光景に見いってしまっていました(たとえだめだといわれても、とてもがまんができなかったでしょう)。かれらは精霊というものを、今までいちども見たことがなかったのです。それは、この森に長らく住んでおりましたロビーであっても、同じことでした。しかも、こんなにたくさんの精霊たちをまのあたりにすることができるなんて、思ってもいないことだったのです。さらに、さきほどまでは水のしぶきにしか見えませんでしたが、川の水めんではねまわっているものが、すべて、精霊たちのまいおどっているすがたなのだということを知ったときの、三人のおどろきようったらありませんでした。

 

 かれらはただ、口をぽかんとあけたまま、なにもいうことができませんでした。それにひきかえ、とうの精霊たちは、そんなかれらにはまったくおかまいなしに、歌っておどって、まるでせいだいなダンスパーティーでもひらいているかのように、にぎやかに楽しくやっていたのです(かなしみの森のかなしみの力なんて、この精霊たちにはまったくききめがないみたいですね)。 

 

 そして、さあ、それではいよいよ、ライアンとかれらの話しあいがはじまるようです(じつのところ、精霊たちとの交流にはなれているはずのライアンでさえ、こんなにもはっきりと、しかも、たくさんの精霊たちに出会えるなんて、思っていませんでした。ですから、かれもまた、ほかの三人のウルファたちと同じに、感げきとおどろきの気持ちでいっぱいになってしまっていて、精霊たちのことを、ただ、ぼーっとながめてしまっていたのです。ほんとうなら、もうとっくに、かれらに話しかけてもいいころあいでしたのに、なかなか話しあいがはじめられなかったのは、こういうわけがあったからでした。もちろんライアンは、みんなにそのことを気づかれないように、いたってれいせいなようすをよそおっていましたが)。

 

 ライアンは、自分にきたいしている三人のウルファたちのあついしせんに、目くばせしてこたえると、まずは、「おほん。」と小さくせきばらいをしました(これはまあ、「ぎしき」みたいなものですから)。そしてライアンは、すいしょうの小びんを両手でしっかりと持ち、それを自分の胸の前にさし出してから、ゆっくりと語りはじめたのです。

 

 「せいなるタドゥーリの名において、かなしみの森の、水の精霊たちよ。このきよらかなる流れの守り手たる、水の住人たちよ。われの語りかけに、耳をかたむけたまえ。この声をききたまえ。」

 

 ライアンは、いげんにみちたいい方で、おごそかに精霊たちに話しかけました(まるで、今までのライアンとはべつじんのようだと、ロビーは思ったものです)。すると、あたりの空気が、いっしゅん、波が立ったかのようにざわめきました。さきほどまで、あっちへふらふら、こっちへふわふわと、ただまいちっているだけであった精霊たちが、あきらかに、ライアン自身に対して、心をかたむけはじめたのです。歌声のようにきこえていたささやきが、はっととまりました。それからすぐに、そのささやきは、なんともきき分けることのできないふしぎな言葉による話し声に、取ってかわっていったのです。

 

 いくつかの精霊たちのグループが、かたまりとなって集まり、ひそひそという話し声が、あちらこちらからきこえはじめてきました。その中でライアンは、精霊たちのグループの中で、いちばん大きく、いちばん強い光を放っていた者たちに、目星をつけると、いしきを集中させ、さらに言葉をつづけていったのです。

 

 「水の精霊たちよ、わたしたちは旅の者です。そして、わけあって、さきを急がなければなりません。そのためには、あなた方のこの川を、どうしても今、渡らなければならないのです。わたしたちには、ここで朝まで、あなた方といっしょにすごす時間がないのです。すぐにでもこの森をぬけ、南の地へとむかわなければなりません。ですからどうぞ、お願いです。わたしたちにこの川を、渡らせてください。」

 

 ライアンは、せいいっぱいの気持ちをこめて(そして、すっごくわかりやすく)、精霊たちにお願いしました。

 

 さあ、精霊たちのこたえは?

 

 精霊たちはライアンの言葉を受けて、しばらくのあいだ、ざわざわとゆれ動いていました。それが、そうだんなのかなんなのか? そこまでは、ライアンでさえもわからないことでした。そして、そうするうちに。ついに、精霊たちからのへんじがあったのです。はじめはやはり、小さなささやきでしたが、そのうちそれは、はっきりと耳にきこえるようになりました。かれらのその歌声のような声は、つぎのような言葉にきき取ることができるようでした。

 

 

   いいよいいよ、きれいなみずよ。

   きれいなみず、みんなこのむ。

   みんなこのむ、みんなこのむ。

 

 

 そして、それにひきつづいて。まるでせきを切ったかのように、まわりの精霊たちがいっせいにしゃべりはじめたのです。

 

 

   いいよいいよ、きれいなみずよ。

   きれいなみずを、くれるんならね。

   とおしてあげる、とおしてあげる。

   みんなこのむ、そのみずをおくれ。

   きれいなみずを、おくれ、おくれ。

 

 

 もう、あたりは精霊たちのおまつりさわぎでした。かれらのめざすものはただひとつ。ライアンの持っているすいしょうの小びんです。せいかくには、その中にはいっている、せいなるわき水の力をもとめているのです。ライアンのまわりは、われさきにと水をもとめる、なん百なん千といった数の精霊たちで、あふれかえっていました(そのせいで三人のウルファたちから、ライアンのすがたがほとんど見えなくなってしまっているほどでした)。そしてライアンは、そのまっただ中で、手にしたすいしょうのびんの口をあけたのです。

 

 とたんに、びんの中から、まるでスノーボールの中の雪のように、さらさら、きらきらと、小さな水のつぶが空中にまいちっていきました。そしてそれは、あっというまにあたりいちめんに広がっていって、ライアンのまわりを、すっかり、おおいつくしてしまったのです。そしてさらに、その中をよくながめてみますと、まいちる水のつぶの、そのひとつひとつを、精霊たちがしっかりと両手にかかえながら飛んでいるということが、わかりました。

 

 「ここに、われらシープロンをだいひょうして、かなしみの森のきよき水の精霊たちに、敬意をひょうし、このせいなるわき水をおくります。この水の力は、あなた方を助け、この川の流れを、ますます、きよらかなるものとしてくれることでしょう。あなた方がこの川を守ることを、やめないかぎり。」

 

 ライアンはそういって、びんのふたをしめました。びんの中にはもう、いってきの水も残っていません。せいなるわき水は、すべて、空中をまう精霊たちの手によって、はこばれていったのです。そして精霊たちは、ひとりまたひとりと、いずこともなくすがたを消していきました。おしまいには、ほんのすこしの精霊たちだけが、ちらちらとただようだけとなり、やがてそれも、どこかへと消えていってしまったのです。

 

 

 それとときを同じくして。

 

 目の前の川におどろくべきことが起こりました。

 

 ライアンの立つその水ぎわから、むこうのきしにかけて、どうどうと流れる水のいきおいが弱まっていき、まるでそこだけ、いっぽんの橋がかかったみたいに、道がひらけていったのです! みんな(ここでいうみんなとは、ライアンをのぞく三人のことです)はただただびっくりして、口をぽかんとあけたまま、目の前の光景に心をうばわれるばかりでした。なにしろ、道がひらけたその場所「だけ」が、わずか一インチほどの深さのあさせになっていて、その上流と下流には、いぜんとして、いきおいをました水の流れが、そのままごうごうと流れていたのですから! こんなにふしぎなことって、ほかにあるでしょうか?

 

 「さあ、今のうちだよ。みんな、早く馬に乗って。出発しよう。ここを越えれば、森の終わりまでは、すぐそこだから。」

 

 ライアンがみんなによびかけると、みんなははっとわれにかえって、あわてて、それぞれの騎馬たちにふたたびまたがりました(あまりのできごとに、みんな気もそぞろになってしまって、ロビーだけでなく、ベルグエルムやフェリアルでさえ、じょうずに馬にまたがることができないくらいでした)。そして、みんなの騎馬たちは、そろそろと、おっかなびっくり、この新しくひらけたあさせの橋の上を渡っていったのです。

 

 馬の足のふむ場所からは、かたい地面の上を歩いているかのように、しっかりとした感しょくが伝わってきます。そして、さらにびっくり。見れば、ひづめのいっぽいっぽの落ちる、ちょうどその部分だけ、まるで待っていたかのようにぽっかりとまるく水がひいて、川底のきれいなじゃりが、そのすがたをあらわしていきました!(つまり、馬の足はまったくぬれていませんでした!)

 

 「こんなことははじめてだ! わたしは、なんてすばらしいたいけんをしているんでしょう!」声を上げたのはフェリアルでした。

 

 「このことは、長くのちの世まで、守り語りついでいかなくては。この川も精霊たちも、すばらしい、しぜんのおくりものです。こんなにすばらしいものは、だれにもけがさせるわけにはいきません!」

 

 そして、フェリアルのいう通り、このたいけんは、長くかれの子やまごのだいにいたるまで、語りつがれていくこととなったのです。そしてそれは、人々の心に、しぜんのすばらしさ、しぜんを守ることのたいせつさを、いつまでも伝えていくこととなりました(ほんとうにすばらしいことです。ところでフェリアルは、けっこういろんなものごとに、はげしく心が動かされやすいみたいですね。ベルグエルムのおちついたもの腰とは、ちょっと、たいしょう的なところがあるみたいです)。

 

 しばらくののち、三頭の騎馬たちと四人の仲間たちは、ぶじに、この川の流れを渡ることができました。するとどうでしょう! 今さっきまで水がなくなって、あさせの橋になってくれていた場所が、あっというまに、また水に飲みこまれてしまったではありませんか! 今ではいぜんと変わらないくらい、いえ、シープロンドのせいなるわき水の力をさらに得たぶん、水の流れはますます強く、そしてますます美しく、なっているかのようでした。

 

 川を渡り終わったところで、ライアンはふりかえって、もういちど、精霊たちにさいごのおれいの言葉をのべました。

 

 「水の精霊たちよ、ありがとう!」

 

 すると、川の中ほどに、ひとつの青い光が上がったかのように見えました。それはしばらくゆらめいたあと、ふっと、水の流れの中に、そのすがたを消していったかのようでした。

 

 

 きれいなみずを、ありがとう。

 

 

 ライアンには、そうきこえたように思えました。

 

 

 そして、三頭の騎馬たちは、今ふたたび、つづく森の街道にそって進んでいったのです。あたりに生きもののすがたはまったくなく、やみはたれこめつづけ、つめたい風はますます、そのいきおいをましていっているかのようでした。森の黒い木々たちのざわめきが、すぎてゆく景色の中にあらわれては、消えてゆきます。その中を四人は、ただひとつのものにむかって、気持ちも新たにまっすぐかけていきました。そして、ちょうどそのころ。かれらの頭の上から、しんしんとしたつめたいものが、落ちはじめてきたのです。それは、くらやみをかける四人にとっては、なにか、ふきつなしらせであるかのように感じられました。道のゆく手をはばみ、からだのねつをうばい、つかれを大きくさせる、やっかいな相手でした。

 

 雨がふり出しました。いやな雨でした。

 

 

 

 




第3章「セイレン大橋」に続きます。

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