日もまだ登らない朝。
俺を含む8人は、いそいそと、だが静かに、荷物を車に積んでいた。
「これでよしと……。んじゃ、後は頼んだぞ」
「任せてよ、お兄ちゃん!」
今回のスキー旅行は一泊することとなる。
流石に寮を空けるわけにはいかないので、妹に代わりを頼んだ。
ちなみにこいつは、鈴蘭寮よりももっと大きな寮の管理人の一人だ。
「久しぶりに羽黒ちゃんと……むふふ……」
「た……頼んだぞ……」
少し心配だが、まあ大丈夫だろう。
寮を出てしばらくは、車内もどんちゃん騒ぎでうるさかったが、しばらくすると、皆眠りについてしまった。
「大和は起きてますよ」
助手席の大和は、皆の寝顔を写真に収めていた。
「お前も寝ておけ。向こうについてから眠いと言ってもおせぇぞ」
「それは提督も同じじゃないですか。それに、ワクワクして眠れる気がしないんです」
そう言うと、大和はスキーゴーグルをつけて見せた。
「スキーは初めてです。上手くできるといいなぁ」
こりゃずっと起きてるだろうな。
まあ、そっちの方が、俺も退屈しないで済むし、ありがたいと言えばありがたいが。
スキー場は朝の8時からオープンする予定で、俺たちが着いたのはもう少し後だった。
ウェアに着替え、スキー板などをレンタルした。
「ジャーン! どう、提督? 鈴谷のウェア姿、可愛いっしょ!」
「馬子にも衣装だな」
「何それ! 酷ーい!」
新品のウェアを着た奴はスキー初心者。
そうじゃない奴は経験者だ。
経験者は鹿島と、意外にも山城だった。
「子供の頃、よくスキーをしに行ってまして……」
この中では一番の経験者という訳か。
「それじゃあ最初は、平坦な所で練習しましょうか。私と山城さんで3人ずつ教えるのはどうです?」
「えぇ、いいわ。それじゃあ私は提――」
「提督さんは私が教えてあげますね!」
「ちょ、ちょっと……!」
「何ですか?」
「そ、そう言うのは……じゃんけんで決めた方が……いいのではないかしら……」
「えー? じゃんけんですか? でも、私は提督さんに教えたいですし……」
「て、提督は駄目駄目だし……飲みこみが遅そうだから……一番の経験者である私が教えた方がいいかと……」
山城の中の俺はどんだけ駄目なんだ……。
大和がクスクスと笑った。
「教えるのは誰でもいいわ。それよりも、3・3の方を決めましょう? どうやって決めましょうか」
「鈴谷は好きな者同士でいいと思いまーす。ていう事だから、提督は鈴谷と一緒ね」
「好きな者同士って言ったよな……?」
「好きな者同士じゃん」
「ほう……鈴谷と提督はそんな関係だったのか……」
「そうだよ長門さん。覚えておいてねー」
ギャーギャー揉めていると、武蔵が皆の前に立って仲裁した。
「貴様らいい加減にしたらどうだ? ここはグーパーで決めようではないか」
武蔵の言うグーパーとは、グーとパーのいずれかを出し、同じ手形を出したもの同士を同じ組とすることにより、二組に分ける事が出来るじゃんけんの変種だ。
「グーパーで3・3に分けて、鹿島と山城はじゃんけんし、勝った方がどちらかの組を選ぶことが出来る。これで良かろう」
どうとでもいいから、早く決めて欲しいものだ。
「よし、提督よ。それでいいな?」
そう言って武蔵は俺と肩を組んだ。
「あ、あぁ……構わ――」
「私はグーを出す。分かってるな?」
武蔵はぼそっとそう言った。
「…………」
「よーし! それじゃあ行くぞ! グーッパー!」
武蔵の掛け声と共に、俺を含む6人は手を出した。
「それじゃあ、提督さん、陸奥さん、長門さん、よろしくお願いします」
「ああ」
「よろしくね」
「よろしく」
結局、俺は鹿島に教えてもらう事となった。
向こうで武蔵が俺を睨んでいる。
「それじゃあまずは、止まる方法から」
到着してから一時間が経とうとしていた。
俺たちは平坦での練習を終え、初心者コースを滑り始めていた。
「……と、こんな感じで止まるのか」
「提督さん、お上手です!」
「結構足に来そうね。太くなったらどうしようかしら……」
陸奥も俺も、ぎこちないが、まあまあ滑れていた。
しかし……。
「たたた、助けてくれ! 止まらな……わっぷ!?」
長門は何回転かした後、柔らかい雪の上で止まった。
「だ、大丈夫ですか!?」
「ちょっと長門、大丈夫?」
「だ……大丈夫だ……」
海の上では大いに活躍した長門だが、何故雪の上ではこうも……。
「うぅ……何故だ……。言われたとおりにしているのに……。イメージトレーニングだって完璧だったし……」
そういう奴の大体は、イメージトレーニングだけは完璧なものだ。
「長門のせいで全然滑れないじゃない」
「すまない……。うぅ……」
このままではいかんな……。
「鹿島、陸奥。お前らは滑ってこい。俺は長門ともうちょっと練習する」
「んもう……。早く上手に滑れるようになってよね。行きましょう、鹿島さん」
「え……あ……でも……」
「心配するな。すぐに合流する」
「あ……はい……。分かりました……」
そう言うと、鹿島と陸奥は下りていった。
「すまない提督……」
「俺もまだまだちゃんと滑れてねぇからな。一緒に練習しようぜ」
俺と長門は平坦な道の続くコースへと向かった。
「ここは超初心者コースらしい。比較的平坦な道が続いてるから、練習にはもってこいだろ」
コースの外は崖のようになっていて、柵は無く、ただ雪が少し多めに盛ってあるのみだった。
「何が超初心者コースだ! こんなの……落ちたら……」
「滅多に落ちる事なんてないんだろうから、こういう作りなんだろうよ。ほら、ゆっくり行くぞ」
ほとんど平坦であるので、スピードはそんなに出ず、何なら止まってしまうほどであった。
「ままま、待ってくれ!」
腰の引けた長門がゆっくりと滑ってくる光景は、ちょっと面白かった。
「姿勢をまっすぐにするんだよ。屈むとスピード出るぞ」
そう言ってやると、長門はすぐにシャキッと姿勢を整えた。
「曲がるぞ」
「お……おぉぉぉ……!」
また引け腰になっていた。
「姿勢だ長門!」
「はっ……! し、姿勢!」
シャキッとした拍子に力が入ったのか、エッジが効いて、長門は綺麗に曲がった。
「て、提督! 見たか!? 見たか提督!?」
「ああ、見てたよ。嫌でも見せられた」
「今のでコツを掴んだ! そうか……エッジを効かすと言うのはこういう事か……!」
それから長門はスピードをあげて滑り出した。
「お、おい!」
スピードが乗ったところで、長門はハの字で止まった。
「どうだ!」
そのどや顔たるや……。
先ほどのビビりはどこへやら。
「滑れてたじゃねぇか。良かったな」
「ああ! これで皆と一緒に滑れるな!」
そう笑った長門の表情が、今では前世よりもはるか遠くに感じる。
「うぅぅ……もういやだ……」
調子に乗った長門は、そのまま途中にある中級者コースへと向かい、壮大にコケたのだった。
「何故だ……何故止まれないんだぁぁぁぁ……」
「まあ……あれだけスピード乗ってればな……」
中級者コースは、見るからに傾斜がきつかった。
俺ですら怖いと思ったのに、調子に乗った時の人ってのは、もっと怖いもんだな……。
「超初心者コースに合流して、ゆっくり下って行こう」
「……無理だ」
「あ?」
「こ、怖くて……もう滑れない……」
ああ、こいつ、完全に心が折れたな……。
とは言ったものの、滑らないと降りれないしな……。
超初心者コースはロングで、普通に滑るだけでも3・40分はかかるだろう。
上級者コースを歩いて降りてもいいが、それでも時間はかかるし、他の客に迷惑がかかってしまう。
「……どうして私はこんなにも駄目なのだろう。車の運転も出来ないし……」
そう言うと、長門は雪の上に座ってしまった。
「ケツ濡れるぞ」
「いいんだ……放っておいてくれ……。私はゆっくり歩いて降りる……」
「そんな事してたら日が暮れるぞ。もう一度、超初心者コースに戻ろう」
「いいから放っておいてくれ……」
そう言うと、長門は膝を抱えて顔を埋めた。
面倒な事になったな……。
「お前を放ってはおけねぇよ。お前が動かないなら、俺も動かん」
そう言って、俺も雪の上に座った。
冷たくはないが、徐々に濡れてゆくのだろうなという感触だ。
「ほら、顔をあげて見ろ。景色は最高だぞ。雲一つない快晴だ」
顔を上げて、景色を眺めた。
「滑るのに必死で気が付かなかったが、周りの山も全部雪化粧なんだな。こんな風景、見たことあるか?」
長門は黙って首を横に振った。
「俺も初めてだ」
そう言って、そのまま雪の上に寝転んだ。
「お前もやってみろ」
「あ、あぁ……」
空はどこまでも遠く、宇宙が見えるのではないかと思うほど深かった。
「ここでもう少し景色を楽しんだら、コースに戻るぞ」
「…………」
「こんな景色が見れるって、皆に教えたくないか?」
「……提督が一人で教えに戻ればいいだろう」
「俺は言葉選びが下手だから、伝わらねぇよ。お前みたいな、感情の分かりやすい奴が必要だ」
「それは……もしかして、馬鹿にしてるのか?」
「だとしたらどうする?」
そう言ってやると、長門は俺の顔に雪を被せた。
「わっぷ……!」
「悪かったな! 単純馬鹿で幼稚な感情で!」
「そこまで言ってねぇだろ……」
「ふん……どうせ私なんか……」
唇を尖らせて、長門は拗ねた。
「……皆何かあると言うのに、どうして私には何もないのだろうか。女としての魅力も……こういう事も……」
その横顔は、本当に悲しそうであった。
「……でも、運転免許は取れたじゃねぇか。免許持ってんの、お前だけだろ」
「あんなの取ろうと思えば誰だって……!」
「それと同じだろ」
「え?」
「運転免許を取ろうと思って取れる奴にとってはそれが普通だが、取れない奴にとっては普通じゃねぇ。お前が普通だと思ってるお前は、誰かにとってはとても魅力的に映っている。それと同じだ」
「…………」
「自分には何もないと言うんじゃなくて、今ある自分を特別に思う様にしろよ。誰かと比べるほど、お前は他人を理解してんのか?」
長門は口を噤んだ。
「ちょっとずつでいいから、今できる事を一つずつやっていこうぜ」
「……そうだな。その通りかもな……。隣の芝生は青いと言う奴かもしれない……」
そう言うと、長門は立ち上がった。
「私は、私自身の力をどこかで過信していたようだ……。だからイメージトレーニングも上手く行きすぎてたし、実際にやって失敗した時のショックが大きかったんだ……」
だろうな、と言いかけて、口を噤んだ。
「自分はもっと小さい人間だと分かっていた気になっていたが、それを認めない心が存在していた……。これからは、もっと自分を見つめなおして、自分の持っている全力を尽くそう。それで恥をかいても、それも魅力の一つだ。そういう事だろう? 提督」
そこまで深い意味は無かったんだがな。
まあ、そう言う事でいいだろう。
「よし……。それじゃあ、戻るとするか。もう一度……滑ってみるよ。失敗したら、笑ってくれるか?」
「ああ、腹を抱えて笑ってやる」
そう言ってやると、長門はニッと笑った。
超初心者コースは途中で終わり、最後の降りからは、初心者コースとなっていた。
急じゃないとは言え、昇るのにリフトが必要なほどの傾斜だ。
「大丈夫か? ここまで来たら、歩いて降りてもいいぞ」
「だ、大丈夫だ……」
長門は深呼吸をすると、覚悟を決めたように滑り始めた。
徐々にスピードは上がってゆき、長門はそれをハの字で止めようとしていた。
「止まらない……!」
「もう少しだ! がんばれ長門!」
並走しながら降ってゆく。
「長門さん、頑張ってー!」
遠くで鈴谷達の応援する声が聞こえた。
「もう少し……!」
傾斜が緩くなり、スピードが落ちてゆく。
そして、平坦になった場所で、長門は止まった。
「や……やった……。やったぞ! 転ばずに降りれたぞ!」
「良かったな長門」
「提督! やったやった!」
よっぽど嬉しかったのか、長門は俺を抱きしめた。
「痛い痛い痛い……! お前……!」
武蔵ほどではないが、長門も滅茶苦茶力が強かった。
「長門、貴女滑れるようになったのね」
陸奥は先ほどよりも上手に滑り、近づいて来た。
「ああ、これでようやく皆と滑れる」
「まだ危なっかしいがな」
それでも、長門は嬉しそうだった。
それから何度か滑り、昼食を取った。
「ごちそうさま。それじゃあ、もう一回滑りに行こう、提督!」
「いや、俺はパスだ」
「えー? なんでなんで?」
「ちょっと休ませろ。俺はお前らと違って寝てねぇんだよ」
文句を言う鈴谷を連れて、皆はリフトへと向かっていった。
「ふぅ……」
スキーシューズを外し、足を休ませる。
結構足を酷使するもんなんだな。
「提督さん」
缶コーヒーを持って、鹿島は隣に座った。
「お前、皆と行ったんじゃなかったのか」
「おトイレに行ってくるって言って、私もパスしちゃいました」
そう言うと、鹿島は缶コーヒーを渡した。
「すまん」
「いえ。疲れちゃいましたか?」
「ちょっとな」
手袋を外し、コーヒーを飲んだ。
「あれ、なんだ。本当に彼氏いたのか」
声の方を見ると、男二人組が鹿島を見ていた。
鹿島は恥ずかしそうに俯いて、じっと手に持った缶コーヒーを見つめていた。
「…………」
男二人組が去ると、鹿島は困り顔で語った。
「さっき……ナンパされちゃいまして……。彼氏がいるって嘘ついちゃったんです……えへへ……」
やっぱりスキー場だとそう言うこともあんのか。
だとしたら、あいつらもナンパとかされてんのかもしれんな。
「……あの二人組、提督さんの事、彼氏だと思ってましたね。やっぱり私たちって……二人だとそう見えるのかな……なんて……」
俺が黙っていると、鹿島はじっと俺の目を見た。
「提督さんは……私とそう見られるの……嫌ですか……?」
「俺は別に嫌じゃねぇが……お前がそう見られるの嫌なんじゃねぇのか?」
「そ、そんな事ありません! 私はむしろそうみられた方が……」
そこまで言うと、鹿島は一呼吸おいた。
「……その、ナンパされなくなるだろうし。あ、でも……利用してる訳でもなくて……なんて言ったらいいんだろう……」
そう言う事か。
一瞬、そう見られたいのかとドキッとした。
「そう言う事なら利用でもいいぞ。じゃんじゃん利用してくれ」
「本当ですか……? じゃあ……今日はずっと一緒に居てくれますか……?」
「ああ」
そう言ってやると、鹿島は嬉しそうに笑った。
「それじゃあ、ちょっと休んだら一緒に滑りに行きましょう! 超初心者コースでゆっくり!」
「分かった」
「楽しみっ! えへへ」
少し前までは鹿島に合わせる顔がねぇと思っていたが、こうして会ってみると、もっと早く会っておけば良かったのかなと思う。
過去に自分を縛り付けてたのは、自分自身なんだと、改めて実感できた。
それから散々遊びつくし、午後4時頃には、皆クタクタになりながら車へと戻った。
「疲れたー」
「足と腕がパンパンだわ……どうしよう……」
そんな中、長門だけは元気いっぱいであった。
「提督、次の目的地まではこの長門が運転しよう!」
「大丈夫か? お前……」
「今なら何だって出来る気がするんだ!」
これ、絶対ダメなやつだな……。
しかし、俺も滅茶苦茶疲れていて、気を抜いたらすぐ寝てしまうほどであった。
「提督、大和が起きてますから、ご心配なさらずお休みください」
そう言うと、大和はニコッと笑った。
「いや……しかし……」
「ほら、どうぞ後ろへお座りください」
大和に押され、俺は後ろの席へと座った。
隣に座る鈴谷は、既に寝息を立てていた。
「提督よ、甘えたらどうだ? この武蔵の肩を貸してやろうか?」
そう言うと、武蔵は隣に座り、俺は鈴谷と武蔵に挟まれた。
「おねんねしましょうね、提督」
そう言って、後ろで陸奥がニヤニヤと笑った。
山城と鹿島はお互いに目を合わせ、クスリと笑っていた。
「お前らな……」
怒ろうにも、段々と眠気が襲ってきて、首ががくんと落ちた。
「無理をするな」
武蔵に肩を抱かれたところで、俺の眠気は限界を迎えた。
「提督よ、着いたぞ」
目を覚ますと、車は既に停車していて、後ろでは皆が荷物を降ろしていた。
「コテージに着いたぞ」
「コテージ……」
しばらくぼーっとした後、ハッと目が覚めた。
「コテージだと……? という事は……無事に着いたって事か……」
「ああ、途中のスーパーで買い物もした。長門の運転、結構上手かったぞ」
長門、成長したな。
ああ、どんな感じの運転だったのか見てみたかった。
コテージは温泉付きの滅茶苦茶広い良いところだった。
「凄いですね!」
「広いわねー」
炊飯器は10合も炊けるものがついており、調理器具なども揃っていた。
「山城さん、見てみて!」
鈴谷はダダダと走り、そのままスイーっと床を滑った。
「山城さんもやろうよ!」
「え……私は……」
「ほらほら!」
山城もしぶしぶ床を滑った。
「こう……?」
その瞬間を大和が写真に収める。
「はしゃぐ山城さん、頂きました」
「ちょ……!」
荷物をまとめる事もせず、皆はワイワイ騒ぎ始めた。
あんだけスキー滑って疲れてるはずなのに、回復早ぇな……。
「提督、ぐっすり眠れたか?」
長門は自信に満ちた顔でそう言った。
「乗り越えたな。助かったよ」
「フフフ……この長門に不可能はない!」
「……なんかキャラまで変わってねぇか? お前……」
いや、これが本来のこいつなのかもしれないな。
危なっかしいが、塞ぎ込んでいるよりは良く見えた。
スーパーで買ったと言う食材は、見るからに多かった。
「こんなに買って、食いきれんのか?」
「朝ごはん用もありますから」
そう言うと、大和は持参した調味料を取り出した。
「わざわざそんなもんまで持ってきたのか」
「買うのもなんだか勿体無かったので。大和と山城さんで料理しちゃいますので、提督は先にお風呂どうぞ」
「すまん」
「提督ー、鈴谷と一緒に入るー? 鈴谷はいいけどー? どうするー?」
「お前は皿洗いでもしてろ」
風呂場に向かうと、武蔵が湯を張っていた。
「ちょうど今湯を張り終えたところだ。提督よ、貴様さえよければこの武蔵……背中を流してやってもいいんだが?」
「遠慮しておく」
そう言って武蔵を締め出した。
「はぁ……」
風呂はあまり好きな方ではないが、今日に限っては永遠に入っていられるかのように感じた。
「痛っ……こりゃ筋肉痛だな……」
体をひねると、バキバキという音が浴室に響いた。
「…………」
最初は来るつもりは無かったが、たまに皆でこうして旅行するのも悪くないな。
何よりも、あいつらの成長にも繋がりそうだし。
今度は別の艦娘達も連れて、どこか……。
「……って、別に俺はいらねぇのか」
何かきっかけだけでもつくってやるか。
何なら、ポケットマネーからいくらか出してやってもいい。
あいつらには、外の世界を知り、普通の人間として、普通の人間がやる事をたくさん経験して欲しい。
戦争は終わった。
艦娘達が守ってくれたように、今度は俺たちが艦娘を守らなきゃいけねぇよな。
今の俺に何が出来るかは分からねぇけど、長門と同じように、今できる事を全力でやっていこう。
「て、提督さん……」
「どわっ!?」
風呂のドアを少しだけ開け、鹿島がこちらを覗いていた。
「お、お前……」
「ち、違うんです! その……バスタオルを忘れていったようでしたので……届けに……」
「そ、そうか……。ありがとう……置いといてくれ……」
「は、はい……。それじゃあ……」
ドアが閉まり、鹿島の足音が遠ざかっていった。
「ビビったぜ……」
そうか、バスタオルを忘れていたな……。
にしても、ドア越しに声をかけてくれればいいものを……。
昔からちょっと天然入ってるとは思っていたが……。
風呂から出ると、食事はある程度出来ていた。
「美味そうだな」
「もう少しで出来ますので、提督もまざってはどうです?」
そう言うと、大和は鈴谷達を指した。
「あがり! また長門さんの負けー!」
「うぅ……何故だ……何故勝てないんだ……!」
長門……。
「いや……俺は遠慮しておこう……。鍋とか洗うぜ……」
「そうですか? じゃあ、お願いします」
あいつのあれは、もはや様式美だな……。
食事に舌鼓を打ち、各それどれが風呂に入ったり、遊んだり、寝てしまったりしていた。
「ふぅ……」
ウッドデッキは椅子すらなく、ただ灰皿が置いてあるのみだった。
「冷えますよ、提督」
そう言うと、大和もウッドデッキへ出てきた。
「冷やしてんだよ」
「お部屋、暑かったですか?」
「ちょっとな」
大和は俺と同じように、柵に体を預けた。
「ここからでも、星が綺麗に見えますね」
「月が出てるから、満天の、とは言えねぇがな」
「提督は満天の星空、見たことありますか? 大和は島で生活してた頃、たくさん見てきました」
まだ大和を秘密兵器としていた頃か。
「あの頃を思い出します……。退屈で退屈で……この星空も嫌いになりそうだったなぁ……」
「…………」
「でも……大和の初恋の人が現れて……後はお話しした通りです。だから、今はこの星空が大好きです」
「振られたのにか」
「振られたのに、です」
大和はニコッと笑った。
それだけ忘れられぬ存在だということなのだろう。
「進まなくちゃいけないって、分かってはいるんです。鈴蘭寮に入れば、その決意ももっと強くなるかなって……。けど、難しいですね、やっぱり」
俺には恋の云々は分からない。
だから、どうしたら大和の力になれるかも分からなかった。
「提督は過去を振り切って進めたのに……大和はまだまだ駄目ですね……。この星空を見るたびに……過去を思い出してしまいます……」
大和は白い息をフッと吐いた。
「……俺はお前に何のアドバイスも出来ねぇ。恋で悩んだこともねぇからな……」
「…………」
「でも……それをただ指を咥えて見ているつもりもねぇ……。俺は、俺に今できる事を全力でやる……。それでお前を自立させてやれるかはわからねぇけどよ……」
「提督……」
「どんなに楽しい思い出も、恋の思い出には勝てないかもしれない。でも、この星空を見るたびに、今日みたいな楽しい時間も思い出せるようにすることは出来る」
「!」
「長い付き合いになるか、短い付き合いになるか分からねぇけど、ここでの思い出をたくさんつくっていけ。もっともっと、お前らに見せたいものがたくさんあるんだ」
一度見た光景も、見方によっては別のものとなる。
一人で見た光景も、皆で見ることが出来れば、全部全部、別物となるだろう。
俺がそうだったように。
「……と、冷えて来たな。そろそろ戻るわ」
そう言って部屋へ戻ろうとした時、大和に手を掴まれた。
その手は少し温かかった。
「どうした?」
「……もう少しだけ、お話ししませんか?」
「構わねぇが、部屋の中でしないか? 寒くてたまらん」
「ここがいいんです……」
大和らしからぬ我が儘だ。
「思い出を下さるというのなら……ここで最初の思い出を下さい。この星空を見るたびに、ここでの会話も……思い出したいから……」
「大和……」
思い出に俺は必要ないと思っていた。
ただサポート出来ればそれでいいと――。
「……駄目……ですか?」
――いや、違う。
本当は、俺なんかが誰かの思い出に残ってはいけないと、俺が思っていたんだ。
鹿島の件もそうだ。
踏み切れなかったのは、許されないのが怖かったからというだけじゃない。
誰かの思い出を、過ちによって汚してしまうのが怖かったんだ。
「提督……?」
でも、こいつは……鈴蘭寮の艦娘達は……俺を必要としてくれている。
俺はそれに応えなければいけないんだ。
そして、二度と過ちを犯さないよう、戦い抜かなければならないんだ。
逃げてる場合じゃねぇんだ。
「……何か羽織るものを探してくる。それからで良ければ」
そう言ってやると、大和は嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます! そしたら、大和は温かいスープをつくってきます! つくると言っても、インスタントになっちゃいますけど……」
「ああ、頼む」
それからずっと、大和と星空の下で話した。
永遠に会話が途切れることは無いと思うほど、夢中になっていた。
「そろそろ寝るか」
「そうですね」
部屋に戻ろうとすると、大和がカメラを取り出した。
「最後に二人で写真を撮りませんか? これも思い出です」
「ああ、構わん」
柵にカメラを置き、二人で写真を撮った。
部屋に戻ると、皆ベッドや布団に入っていて、寝息を立てていた。
「ありがとうございました。素敵な思い出になりました」
「なら良かった」
流石に皆と同じ寝室で寝るわけにもいかないので、居間に布団を持ってきた。
「すみません……」
「いや、こうなる事は最初から分かっていたことだ」
「風邪だけ引かないようにしてくださいね」
「ああ、お休み、大和」
「お休みなさい、提督」
そう言って寝室の扉に手をかけた大和は、もう一度俺の方を見た。
「どうした?」
「……いえ、なんでも。おやすみなさい、提督」
「あぁ」
大和の背中を見送り、俺も布団へ入った。
居間についている暖房のお陰で、俺はすぐに眠りについた。
翌朝は昨晩の残り物で朝食を取り、10時前にはチェックアウトし、寮へと向かった。
車内はしんと静まり返っていて、皆、楽しい時間の終わりを寂しく思っているようであった。
渋滞などもあり、寮に着いたのは15時頃だった。
「羽黒ちゃん……また会いに来るからねぇ……」
そう言うと、妹は羽黒を抱きしめて放さなかった。
「おい、いい加減離れろ」
「やだぁ……羽黒ちゃんをうちの寮に持ち帰るぅ……」
「馬鹿言うな……ったく……」
何とか羽黒からひっぺ返し、そのまま寮へと送ってやった。
妹を送り、寮へ帰ると、皆が俺の部屋で写真をテレビに出力して見ていた。
「あ、提督……」
「おう、写真見てんのか」
そう言うと、皆は俺の顔を見てクスクスと笑った。
「何だよ?」
「これです」
そう言うと、大和はテレビを指した。
そこには、眠る俺の顔で遊ぶ鈴谷達が写っていた。
「あはははは! これとか最高にウケるんですけどー!」
「な、なんだこりゃ……。おい!」
「だって、提督ったら起きないのですもの」
車で眠ってた時のやつか……。
くそ……。
「あ! 出たー! これこれ! あーっはははははは!」
皆が爆笑したその写真には、俺の最高に間抜けな顔が写っていた。
「これ、山城さんがやったんだよね。もう最高ー!」
「た、たまたま撮れちゃって……ぶっ……フフフ……」
「お前ら……!」
鹿島も涙を流して笑っていた。
そんな中、大和だけはカメラで別の写真を見ていた。
「いい写真でもあったか?」
そう言ってやると、大和は俺に写真を見せた。
それは、あの星空の下で撮った写真だった。
「暗かったのに、良く撮れてんな」
大和はニコッと笑い、小さい声で言った。
「えぇ、これは大和と提督だけの思い出です。ふふっ」
その笑顔に、俺はちょっとドキッとしてしまった。
「あー!? なにこれー!?」
鈴谷の声に驚き、テレビの方を見ると、布団で寝ている俺と一緒に陸奥が添い寝している写真が出ていた。
「なんじゃこりゃ!?」
「む、陸奥さん!?」
「あらあら、見ちゃった?」
「こここ、これはどういう事ですか!?」
「そう言う事よ。ね、提督?」
「ど、どういう事だ提督!」
「貴様……あの場でそんな……破廉恥だぞ……!」
「……無いわ」
「陸奥!」
「あらあら、照れちゃって」
大和だけはクスクスと笑っていた。
「鈴谷とそういう関係だと言っていたのに……浮気か!?」
「鈴谷さんとも!?」
「あら、それは初耳だわ」
「一人ならぬ二人とは……クズめ……!」
「……無いわ」
「提督!」
「お前ら全員出てけ!」
こいつらの為に何かをしようと決心した自分の真面目さが馬鹿らしく感じて来る……。
「はぁ……ったく……」
「でも、提督も楽しそうですよ。ふふふ」
楽しい……か……。
「……そうだな」
これも思い出の一つ、か。
そうだよな。
俺も鈴蘭寮の住人と言えば、住人だし、こいつらと一緒に楽しまないといけねぇのかもしれない。
大和が必要としてくれたように、俺もこいつらを必要と思わないといけない。
「また皆でお出かけしましょうね、提督」
「……ああ、そうだな」
変わっていくのは、こいつらだけじゃない。
俺も一緒に変わって行かなければならないんだ。
元艦娘だろうが何だろうが関係なく。
俺たちは、鈴蘭寮の仲間だからな。
――続く。