「管理人さん、お手紙来てるよー」
「おう、ありがとう」
それは、武蔵と長門からの封筒だった。
中には手紙と、一枚の写真が入っていた。
ピカピカの校舎をバックに二人が写っている。
「しおいが読んであげる」
「お、読めるのか?」
「大丈夫! しおい、意外と本も読んだりするんだよ」
「自分で意外とか言うなよな」
しおいは俺の膝の上に座り、手紙を読みだした。
二人とも元気にやっているようで、夏になったら遊びに行くと書いてあった。
「――長門・武蔵より!」
「よく読めたな」
「えへへ、褒めてー」
そこに、鈴谷がやってきた。
「あー! ずるーい! 鈴谷も鈴谷も!」
「あ?」
「鈴谷も撫でてー!」
「何言ってんだよお前は……」
「しおいが撫でてあげる」
「本当? わーい!」
「ったく……なんなんだよお前ら……」
思わず笑みが零れた。
五月蠅い奴らも居なくなり、一人部屋でゴロゴロしていると、陸奥がコーヒーを持ってやってきた。
「さぼってるわね」
「海軍への報告も終わって、一段落着いたんだよ」
「そう」
コーヒーはいつもより苦かった。
いや――。
「甘い方が良かった?」
そう言って、陸奥は悪戯な顔をして笑った。
「鹿島さんとの事、聞いたわよ。お気の毒ね」
「まさか、振られるとはな。これを機に、俺はもう恋なんてしないさ」
「少しは失恋した人の気持ち、分かったかしら?」
「痛いほどにな」
鹿島との件は、俺が鹿島に振られたという事で広まった。
実際、鹿島はもう俺を好きになる事は無いと言っていたし、そっちの方が色々と、お互いに都合が良かった。
「そもそも、管理人である俺が寮の艦娘に手を出しちゃいけねぇんだよ」
「負け惜しみは見苦しいわよ」
「そう言うことにしといてやる」
「嫌ねぇ……。なーんでこんな男を一度でも好きになっちゃったのかしら」
「本当にな」
そう言ってやると、陸奥はつまらなそうに頬を膨らませた。
昼過ぎになると、今度は鹿島が部屋を訪ねてきた。
「おう、どうした」
「少し、散歩しに行きませんか?」
「二人でか?」
「はい」
あの件があって以来、鹿島と二人で出かけたことは無かった。
これからも無いと思っていたが……。
「どこに行く?」
「ゆっくりお話が出来るところ……ですかね」
「……分かった」
俺たちは、街を見渡せる静かな丘へと向かった。
夕方でもない限り、そこからの風景は退屈なものだった。
「初めて提督さんからディープキスを奪った場所です」
「あれは情熱的だったな」
「それ以上の事を期待して、反応していたのは誰でしょう?」
俺が赤面していると、鹿島はニコッと笑った。
「で? 話ってなんだ?」
「別に、何も」
「あ?」
「ただ、こうして二人でお話ししたいなーって。駄目ですか?」
「構いやしねぇがよ……」
「じゃあいいですよね」
そう言うと、鹿島は近くのベンチに座った。
隣に座るよう、促しながら。
「意外ですか? 関係が終わったのに、こうして誘った事」
「まあそうだな」
「あれから色々考えたんです。やっぱり私は、提督さんが好きだなーって」
「…………」
「そんな顔しないでください。恋という訳じゃありません。一人の友人として……元同僚としてですよ」
「……そうか」
「提督さんは?」
「俺も鹿島が好きだ。友人としてな」
「私たち、友達ってことでいいですか?」
「ああ、構わん。親友でもいいぞ」
「やったー、ウフフ」
何が嬉しいのか、鹿島はニコニコと笑っていた。
「そんな事言う為にここに来たのか?」
「逆に、提督さんは何を期待したんですか?」
「そりゃ……色々だよ。だが、こんなことだとは思わなかったな」
そう言ってやると、鹿島は少ししおらしくなった。
「改めて提督さんが好きだと思ったのは本当ですよ? だから、以前のように仲良くしたいなって思ったんです。ほら、私たち、恋人じゃ無くなって、ちょっと距離があったじゃないですか」
言われてみれば、顔を合わせることが少なかった。
鹿島のコーヒーも、あれから飲んでないしな。
「でも、何も変わってなくて安心しました。今日はそれを確かめたかったんです」
「確かめるまでもねぇよ」
「そのようでしたね」
再び静かな時が流れる。
遠くに見える積乱雲が、夏の訪れを思わせた。
「これからどうするんですか?」
「どうするも何も、このままだ。いつも通り、管理人をやる」
「いずれ、一人になっても?」
「覚悟の上だ。誰かを泣かせてまで、一緒に居ようとは思わん」
「確かに、もう泣くのはごめんです」
俺がフッと笑うと、鹿島も同じように笑った。
「お前はどうするんだよ?」
「もちろん、新しい恋を探します。でも、その前に、見たいものがあるんです」
「見たいもの?」
「えぇ。提督さんの言う、家族のような存在があるのかどうか……。それに恋が必要なのかどうか……」
「……どういうことだ?」
「いずれ分かりますよ。一つ言える事は……そうですねぇ……恋の無い愛……かな」
「恋の無い愛……」
「私は、提督さんのいう家族のような存在は、恋がないとなれるものじゃないと思っていました。――いや、今もそう思っています」
俺もそう思わされた。
「でも、そうじゃないかもって思えるようなことを、この前ある人に言われたんです」
言わずとも、大和の事だと思った。
何故かは分からないが。
「私はその愛があるかどうかを見極めてから、新しい人を見つけようと思います」
「そうか……」
「そうじゃないと……」
鹿島は俺の手をギュッと強く握った。
「痛っ……」
それに構わず、鹿島は続けた。
「提督さんを……完全に諦める事は……できませんから……」
握る手から、徐々に力が抜けていった。
「鹿島……」
「……なんて。冗談ですよ」
手の痛みが、そうじゃないと訴えていたが、あえて何も言わなかった。
「そうだ提督さん」
「なんだ?」
「恋人が駄目なら……ムフフなフレンドになるのはどうですか?」
「ムフフなフレンドって……」
「だからぁ……」
意味は分かっていたが、鹿島はあえて耳打ちして言った。
「――っていう関係ですよ」
「馬鹿、そんな事ばかり言っていると、軽い女だと思われるぞ」
「私、処女ですよ?」
「そういう事じゃなくてだな……。嗚呼、クソ……」
追い打ちをかけるように、鹿島は言った。
「大丈夫ですよ。こういう事言えるのは、提督さんの前だけですから。ウフフ」
「フッ……ったく……」
心の中にあった重い何かが一気にとれたように、俺はベンチに深く腰掛けた。
「そう言えば提督さんは、そういう経験あるんですか?」
「ある訳ねぇだろ。恋も知らねぇんだぞ」
「えー、じゃあ、初めて同士で練習しませんと」
「お前なぁ……」
そんな事を言い合い、笑いあった。
俺たちの間にはもう、大きな壁は無かった。
風呂を出て、食堂を覗くと、やはり大和がいた。
「おう」
「提督」
「お前、いつもいるよな」
「提督も、いつも来るじゃないですか」
「冷たい茶を飲みに来てるだけだ」
「大和だって同じです」
「そうかよ」
椅子に腰かけると、やはりいつものように茶を出してくれた。
「しおいはどうだ?」
「楽しそうにやってますよ。学校の帰りは、いつもあの人の……あ、しおいちゃんの提督に会いに行ってるみたいです」
「この前の男の所か」
「しおいちゃんはあの人が大好きだから。ここに来たのだって、その理由がほとんどを占めてるんですよ」
好きな人と一緒に居たいが為に……か。
分かるぜ。
だが、純粋だ。
「今日、鹿島さんとお出かけしてましたね。関係を戻したんですか?」
「戻したよ。恋をする前の関係にな。いや、それ以上に仲良くなったか」
「それは良かったです。ギスギスしないか心配だったから……」
「余計な心配だ」
静寂の中で耳を澄ますと、俺の部屋の方で鈴谷達の笑い声が聞こえた。
「あいつら……こんな時間に……」
「賑やかでいいじゃないですか。これからはもっと五月蠅くなりますよ。駆逐艦達は元気ですから」
「だろうな……」
俺の頭の中では、駆逐艦達にもみくちゃにされる俺の姿があった。
それを見て、隣で笑う――。
「――……」
「提督?」
「大和、お前は今後どうしようと考えてるんだ?」
「今後……ですか?」
「武蔵や長門、山城が卒業して、他の連中も色々考えているようだ。お前はどうするんだよ?」
大和は考える事もせず、すぐに答えた。
「ここに残ります」
「あ?」
「なんなら、海軍に相談して、ここの管理人に……」
「何言ってんだよ……?」
大和は真剣な顔をして、俺の目を見た。
「大和はここに残って、提督と一緒に鈴蘭寮に入って来る艦娘達を見守っていきたいと思います」
「恋はどうするんだよ……?」
「恋はもうしません」
「……ふざけてんのか?」
「ふざけてません」
苛立ちが募る。
それが俺の表情に出ても、大和は冷静だった。
「大和は提督が好きです」
今更驚くことは無かった。
「……だからなんだ。俺はもう恋はしない」
「構いません。大和も恋をしませんから」
ますます分からん。
鹿島の言葉を思い出しても、恋をしないという以外、それにつながるものがあるとは思えなかった。
もしかして、大和じゃないのか?
「家族のような存在……」
「…………」
「提督が欲しいのは……そういう存在ですよね?」
「ああ……」
「それに恋が必要だと……大和もそう思ってました。提督も……鹿島さんも……陸奥さんも……」
「今でもそうだ……」
「でも……違うんですよ……。そうじゃないんです……」
大和の表情が、徐々に、悲しみに満ちてきた。
「提督はおっしゃいましたよね……大切な人は、追いかけるのではなくて、隣にいるものだって……」
「確かに言った。だが、それとはまた――」
「――同じです!」
今にも泣きそうな声で、そう切った。
「同じなんです……。隣に居たい……好きな人と……ただそれだけが……大和の願いなんです……」
「…………」
「もう……追いかけるだけは嫌なんです……。恋じゃなくてもいい……ただ隣を向けば……大切に想える人が欲しいんです……。家族のような存在が……」
家族のような存在……。
恋のない……愛……。
「お願いです……。貴方の隣に……居させてください……。恋も……女の喜びも……何もいりません……。何も与えられなくてもいい……だから……」
大和が泣く姿を見て、俺は声を荒げて机を叩いた。
「ふざけんな! そんな簡単な事じゃねぇんだぞ!」
大和は驚くこともしないで、ただ泣くだけだった。
「ふざけんなよ……! 何が与えられなくてもいいだ……! お前は何を望んでここに来たんだ!? あぁ!? 言ってみろ!」
大和は答えなかった。
「お前が言ってるのはただの逃げだ! 恋が上手に出来ないから、逃げてるだけだ!」
これには大和も思う所があったようで。
「それは提督も同じでしょう……!」
涙を拭いて、キッと俺を睨んだ。
「提督だって……恋が上手くいかないから……一人でも大丈夫だとか言って鹿島さん達を振ったんでしょう……? 本当は寂しいくせに……!」
「なんだと……!?」
「人は一人では生きていけません……。だからこそ……恋をするか……誰かと一緒に居ようとするんです……」
「…………」
「提督だけが特別じゃないんです……。大和も提督も……普通の人間なんです……! 一人で生きていけるほど……強くはないんですよ……!」
「違う!」
「違くありません!」
食堂が静寂に包まれる。
「いい加減……認めましょうよ……」
大和は肩の力を抜いて、俺に近づいた。
「無理なんですよ……。そうやって強がっても……」
「…………」
「大和じゃ……不満ですか……?」
「……そうじゃない」
「なら……」
「俺だって……そうならどれだけいいかと思う……。だが……俺の背負うものを……お前にも背負ってもらうことになってしまうんだ……。それだけは……避けてぇ……」
「……提督はお優しいのですね」
大和はそっと、俺の手を取った。
「でも、それを一緒に背負う覚悟もあります。私は元艦娘ですよ? 提督の背負ったものがどんなに重いものでも、二人なら楽勝ですよ」
そう言いニコッと笑う顔を見て、俺の視界が歪んでいった。
「……お前、馬鹿だな」
「えぇ、馬鹿です……」
大和も再び、泣き出しそうな顔を見せた。
「ふざけんなよ……本当に……」
「はい……」
「楽勝なわけねぇだろ……」
「はい……」
「俺は男だからいいが……女のお前に恋が無い事がドンだけ辛いのか……しらねぇだろ……」
「はい……」
「こんな所で終わらせるなよ……」
「はい……」
「……お前……適当に返事してねぇか……?」
「はい……」
「おい……」
「……はい」
大和はぽろぽろと大粒の涙をこぼした。
「大和……」
「どれだけ辛いことが起きても……大和は……貴方と居たいです……」
それを聞いて、俺の頬にも涙が伝った。
その涙は、俺がこれから一人で流すはずのものであった。
「提督……一緒に居ましょう……。ずっと……ずっと……」
「駄目だ……」
「じゃあ……この手を離しますか……?」
そうは言っても、大和はギュッと握って離さなかった。
俺も、振り払うことはしなかった。
「これから……色々な事を乗り越えていきましょう……。一緒に……」
「……勝手にしろ」
そう言った時、鹿島達が食堂へと入ってきた。
「お前ら……」
「えへへ……ごめんなさい……。食堂から怒号が聞こえたから……様子を見に来たら……」
鈴谷としおい、陸奥も一緒だった。
「大和さん……これが貴女の答えなんですね……」
「はい……」
「そっか……。こういう愛も……あるんですね……」
「鹿島……」
「これで私も、新しい恋に進めます。ね、陸奥さん」
「えぇ、そうね。でも、言わせて」
そう言うと、鹿島と陸奥は、俺を一瞥した。
「ばか」
「あほ」
「な……!」
「私たちをその気にさせた罰と、ちょっとした嫉妬です」
「なんだそりゃ……」
鈴谷としおいは大和を囲った。
「やったね大和さん。っていうかさ、いつの間にそんな気があったの? 鈴谷しらなかったんですけどー?」
「ごめんなさい……」
「大和さん、泣いてるの? しおいが慰めてあげる。しゃがんでー」
「ううん。ありがとう。大丈夫よ」
それを横目で見ていると、鹿島と陸奥が俺を押した。
「ほら、ちゃんと言ったら?」
「そうですよ」
「言う……?」
大和の方を見ると、何かを待つようにして、胸に手を当てていた。
「提督、ちゃーんと言うんだよ? ほら、これからー?」
「これからもー?」
ああ、そう言う事か……。
「いいとはいってねぇんだが……」
「勝手にしろと……いいましたよね……?」
「あれは……」
「嘘なんですか……?」
しおいが今まで見たこともないくらい、細い目で俺を睨んでいた。
「……分かったよ。大和……」
「はい……」
「これからも……よろしくな……」
「……はい!」
そう言うと、大和は再び涙を流した。
そういや、こいつが泣くところ初めてみたな。
今までずっと、ニコニコ笑ってたから。
「提督さんは本当に女性を泣かせることが好きですねぇ」
「別に好きで泣かしてるわけじゃねぇよ……」
「ほら、慰めてあげて」
「分かったよ……ったく……」
これからこんな事がたくさん起こる。
泣かせることもあるだろう。
でも、こいつはついてくると言ってくれた。
どこまでも、一緒に――。
「こんなことで泣くな大和。これから同じような事が何度も起こるんだぞ」
「なにそれー!? 全然慰めになってないんですけどー!?」
「管理人さんさいてー」
「うるせぇな……」
そんなやり取りをしている内に消灯時間を迎え、俺たちは各自の部屋に戻り、何ごとも無かったかのように眠りについた。
そして翌日からも、同じように、何事もなく過ごした。
何一つ変わらない日々。
ただそこに、将来に対する孤独や不安は、もう無かった。
「提督さん、そろそろ駆逐艦達が来ますよ」
「お、おう……」
「大丈夫ですか? なんだか凄く緊張されているようですが……」
「おう……」
「……駄目ですね。これは……」
今日、社会見学の一環として駆逐艦達がこの寮に来る。
その中には、かつて俺が見ていた奴らもいるらしい。
「はぁ……」
「大丈夫ですよ提督さん。もう大分前の話ですし、あの子達だって……」
「だといいがな……」
そこに、陸奥がやってきた。
「到着したわよ」
「行きましょう、提督さん」
「ああ……」
寮の前には駆逐艦達が行儀よく並んで集まっていた。
「行くぞ……」
「はい」
鹿島と二人で出てゆくと、駆逐艦達はワイワイ叫びながら、鹿島の方へと向かった。
「鹿島先生!」
「久しぶりー!」
皆、鹿島に夢中で、俺には見向きもしなかった。
いや、或いは俺の事など、もう……。
「あの……」
声の方を見ると、そこには響が立っていた。
「な、なんだ……?」
やっぱり、俺の事を――。
「あの……どこかで……会いませんでした……?」
「――……」
そうか……。
そうだよな……。
「……いや」
「そう……ですよね……。ごめんなさい。なんだか、懐かしい感じがして……」
そう言うと、響はニコッと笑い、一礼して鹿島の方へと向かっていった。
「そうか……」
あいつら、俺を恨んでいると思っていたが、俺の事すら忘れていたのか……。
「でも……俺は……」
「提督」
大和が隣に寄り添って、俺の手をギュッと握った。
そして、全てを分かっているかのように、ニコッと笑った。
「一緒に見守っていきましょう。彼女たちの未来を」
「……着いてきてくれるか?」
「えぇ、もちろんです」
それを聞いて、俺は救われた気がした。
罪だとか、償いだとか、もうそんなものはどうでもいい。
俺はここで、あいつらの未来を――大和と共に、明るい未来を――ここで――。
「提督さーん! 皆を案内しますよー!」
「ほら、呼ばれてますよ」
「ああ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」
庭に咲いた鈴蘭が、再び訪れたそれを祝う様に、花を揺らしていた。
――鈴蘭寮の艦娘達―完―
最後までご愛読いただきありがとうございました。
次回作もお付き合いいただけると幸いです。