夜が、ふたたび暗黒を取り戻す。
電光が収縮した後、視覚こそ取り戻した春奈だったが、烟る煙火が視界を遮っていた。
「泊刑事!」
息苦しさとひどい臭いとむせ込みながら、彼女は彼の名を呼んだ。
もう一度、そして続けて三度目……呼べどもむなしく木霊が返ってくるばかりだ。
「……っ!」
思わずもう一人の彼の名を呼びかけたとき、霧の中から影が浮かび上がる。
身構えた春奈だったが、徐々にはっきりとしてくる輪郭に、拳と肩の力を緩めていった。
それは、脱力したダークドライブを抱えた進ノ介の姿だった。
「けっこう、来るもんだな……」
本人は変身も解けて傷ついていないところがないほどに散々な有様だが、それでも意識はハッキリしているし、両の足でちゃんと二人分の体重を支えている。
一方、ダークドライブも強制的なシャットダウンによって、解除が始まっていた。その装甲はキューブ状になって分解され、徐々に剥がれ落ちていく。ベルトも、黒焦げたディスプレイに忌まわしき三桁の数字が見えず、ただ点滅とスパークをくり返していた。
「父……さん……?」
その間隙を縫うようにして、エイジの声が漏れ聞こえる。弱り切った語調に、虚偽の響きは感じられない。エイジ本人のものだと確信が持てる。それは進ノ介も同じだろう。
「ったく、いつまでも寝ぼけるな。自分の足で歩け」
毒づき、安全な場所を選んでエイジを下ろしながらも、その口元に、安堵と喜びがある。
自分に向けて片手を挙げる刑事を見て、春奈もまた、胸を撫で下ろして、ほっと息をついた。
ずぶり、と醜い音がした。
びちゃりと、血がしたたり落ちた。
青い刃が、背と胸にかけて、進ノ介を貫通していた。
その場にいた、すべての時間が停止した。
凍りついた顔を上げた照井春奈も。
信じられない、とい言わんばかりに目を見開き、後ろを顧みる泊進ノ介も。
「…………え…………?」
そして、ブレイドガンナーで父を突き刺した、泊エイジでさえも。
いったい、何が、起こった?
エイジの意識は、混乱と混沌の極みにあった。
彼の空白の時間を埋め合わせるかのように、この二時間ほどのメモリーをモニターが反芻する。
自分が知覚しえない、凶暴そのものの、ダークライダーの姿がそこには映っていた。
自分のものではない、醜悪な高笑いが、彼の意識を徐々に覚醒させていく。
いったい、何が、起こった?
いま、いったい、なにを、した?
いま、自分は、なにを、して、しまった。
悪夢であろうと何だろうと、目を開けて正視すれば、現実はそこにある。血にまみれた父の背中がある。
そして、その背を刺し貫く凶刃が伸び、元を辿れば……返り血を浴びた自身の手が、そこにある。
「おのれ……よくも!……よくもォ! たかが路傍の小石風情が、何度もワタシに泥をつじぇるとはァ!」
自分のものではない声が、ダークドライブのマスクに響く。
知っている。ロイミュード108。今の今まで、自分の意識とこの姿を奪っていた存在。……かつての自分を、殺した存在。
その支配からはシステムは解放されつつあったが、その執念と父への憎悪が、ほんの一瞬……それも意図してかは知らないが、誰もの気が逸れた直後に上回った。
その報復に残る力を使い果たしたデータの魔物は、システムから排斥された。と同時に、ダークドライブのシステムも完全にダウンした。
ブレる視界の片隅で、そのコアが空中を漂いながら逃げていくのが見えた。だが、誰も追わなかった。追えなかった。
恐慌と耐えがたい吐き気とが自分の中で相殺する。
感情の渦の中で、身動きが取れず、ただ酸欠のように、荒い呼吸を繰り返す。
「違う……こんなはずじゃ、こんな……っ」
言い訳めいた繰り言を反復する彼に、進ノ介は生気をうしなった目で振り返った。
怖気づいてしまって退こうとする我が子を、死に体とも思えない力強さで引き留めた。
そして、精一杯、震えるエイジを受け入れ、抱擁した。
「すまなかった」
という、かすれ声の詫びとともに。
「お前に、ずいぶんと辛くて、寂しい思いを、させちまってたんだな……俺は」
意識の混濁のためか。……あるいは、今この瞬間を逃したら永遠にないと覚悟を決めたかのように。
彼はここまでの確執に対して謝っていた。
本当に辛いのは自分のはずなのに、子を想ってその声を震わせ、悲しみをにじませて。
「けどなぁ、前のエイジの代わりだなんて……すごい勘違いだぞ?」
固まるエイジの襟元に、すがるように身を寄せながら、彼は語り続ける。
それはきっと、彼の生命を削るだけの行為のはずなのに、エイジはその腕の中で小刻みにわななくしかなかった。
「前の
父さん、とエイジは呟く。
英志、と進ノ介はおだやかに目を細めた。
「ほかの誰でもない。お前は、俺の、自慢の息子だ」
父の腕が落ちていく。全身から力が消えていくのがわかった。
必死につかもうとしたその手はすり抜けた。
泊進ノ介は、自身の血の海に沈んで停止した。
遠くで、照井春奈が救急車を呼んでいる。
間もなくして、その手配通りに駆け付けた救急車と、そして叔父たちがやってきた。
ストレッチャーに乗せられて、父が運ばれていく。特状課の皆が、必死に彼の名や愛称を呼んでいた。
その息子をよそに、めまぐるしく状況は移り変わる。
膝を落として呆然とするばかりの青年に、声をかける余裕は誰にもなかった。
世界から取り残されたかのような状況で、青年は、涙さえ流さなかった。
ただ、贖いようのない罪だけが、あるばかりだった。
そして雨が、降り始めた。
Next Drive……
第七話:NEXT