運転試験場へともどるワゴン車の中は、奇妙な沈黙に包まれていた。
エイジは後部座席で身と拳を固くしていたし、助手席の剛は、バックミラーごしにそんな彼を見やりながらも、どんなふうに扱えばいいのか考えあぐねていて、会話らしい会話はなく、ただ時間と山の木々だけが流れていく。
もっとも、この重苦しい沈黙のそもそもの原因は、運転手の独特の威圧感ゆえだろう。
狩野
端正な顔立ちのこの男は、かつては白バイ隊員であったが、進ノ介と知遇を得たことよって、長年その直属の部下として活躍をしている。
そして、何よりもチェイスのコピー元である。
線の細い端正な顔立ちは、若いころ、ひいてはチェイスの姿の面影をエイジにも想像させる。
だが多少……いや多分に融通がきかないところがあり、感情や記憶まではコピーしてはいないとのことだが、「その点でも似ている」とは叔父や父の談だった。
だが、夜分に駆り出されたにも関わらず、フロントガラスに映り込む彼の顔には、不満の二字はなさそうだった。ただ、フランクという表現とは無縁の空気が、ひたすらに空気を暗く重くさせているのだ。
そんな中で、剛は半ば無理を押すようにして、エイジに話しかけ、
「――なぁ、エイジ」
「エイジ、お前に言っておきたいことがある」
……ようとした矢先に、件の運転手がそれを遮った。
「――――おッ前、ヒトが話そうとしてたのに……ッ」
口をパクつかせて文句をかぶせようとする叔父を無視するように、狩野はハンドルを切りながら淡々と語り始めた。
「お前も承知しているとは思うが、俺はチェイスというロイミュードにコピーされた」
「……知ってる」
「俺は直接会ったことがなく、コピーされたという自覚さえもなかった。だが、この男や元特状課メンバーの言葉が、俺への信頼が、そいつがいかに大切な存在だったかを物語っている。ある意味においては、そこの剛もお前の父親も、俺に死んだチェイスの姿を重ねていると言って良い」
まるで、どこかで聞いたような話だ。エイジは苦さを浮かべた顔を上げた。
その真偽はどうあれ、長年友人として付き合ってきた剛にとってはそう思われるのは心外なことだったのだろう。
むっとした表情で「おい!」と声を張る彼を、
「だが」
と変わらぬ調子で狩野は遮った。
「俺は、それで良いと思っている。そのことに感謝をしている」
彼への同情から顔を上げたエイジを待っていたのは、意外な答えだった。
エイジは目を見開き、狩野は――ほんの、わずかにだが――その目を細めた。
「俺はこういう性格だ。最初に進ノ介に言われたように、友達を作ることなんて、出来ないはずだった。だが、そのチェイスが、俺と剛たちを引き合わせてくれた。感謝しているとは……そういう、ことだ」
自分でも少し恥ずかしいセリフを言っている自覚があったのだろう。
狩野は、暗い車内のなかでもかすかに顔を紅くした。
ストレートに言われて気恥ずかしいのは、その相手だって同じことだ。
声にならない声を詰まらせながら、剛は後ろ髪をバリバリとかいた。
そしてひどく言いにくそうに、
「まぁ、そういうことだ」
と口にした。
「進兄さんたちだって、お前が本当の息子じゃねぇとか、前の時代のエイジのほうが立派だったからとかで、あんなことを言ったんじゃないんだ。ただ、誰かの死への悲しみってのは、理屈じゃないからさ。頭じゃわかってても、お前に面影を重ねちまうし、過去を想いたくなることだってある。でも、きっとそれを含めての、お前への愛なんだと思う」
そう言い切った剛は、気恥ずかしさから狩野と同じように紅潮した。
「って、お前に引っぱられて、なんかオレまでクサイセリフ吐いちゃったじゃねぇかっ!」
「俺のせいにするな」
「いーや、お前のせいだ! つーか、そもそもお前が変なタイミングで割り込んできたから」
叔父と、その友人との他愛ない口論、その後ろで、エイジは忍び笑いを漏らした。
知っている。さっき、似たような言葉で火野映司に教え諭された。
知っていた。ここに来るまでの道中にいろいろなことがあった。様々な考えが浮かんでは消えた。それでも最後に残っていたのが、剛と同じ結論であり、最初から自分の中にあった答えだった。
心の暗雲を晴らしたエイジは、軽く息を整えた。
「僕、帰ったら父さんに謝ります」
その言葉を聞いた前のふたりは、言い争いを止めた。彼の心境の変化に、剛たちは追及をしなかった。ただ、少し間を置いてから、
「あぁ、それが良い」
叔父は、それだけ言って、相好を崩してうなずいた。
「素直になるのはいいことだ。でなければ、この男のようにひねくれた人間になる」
「うるせーよ! てか、お前にだけは言われたくない! 余計なとこで一言多くなりやがってッ」
また、口論をしようとするふたりに割って入るべく、エイジは身を乗り出した。
だが、その視線の先、フロントガラスの向こう側に立つ影に、思わず視線が引き寄せられた。
季節外れの黒いロングコート。
それでもなお闇に溶けるをよしとしない、王冠の輝きにも似た金色の頭髪。
緑碧に燃える相貌。
夜空へ向けて大きく振り上げたその手が、極彩色の光を帯びて……
――意識と、記憶が、混濁していた。
焦げ付く異臭が、エイジの意識を無理やりに引き戻す。
濁っているが火の爆ぜる音。頬には熱せられたコンクリートの感触。
焦点の定まらない視界の中に、横転した車の残骸から、頭から血を流して倒れる狩野を、引っ張り出す叔父の姿があった。
耳鳴りがひどい。頭痛をともなうほどに。
それでも、残された五感のすべてが、この場における異変と危機を報せてくれる。
前方から、金髪の孤影が闊歩してくる。
彼はその手に、黄金の塊、いや巨大な眼魂を持っていた。
それを腹の前に据えると、ベルトと一体化して彼の胴部に固定される。
歩みは止めず左のスイッチを押す。
「変身」
盛る業火、つんざくような耳鳴りの中、唇の形はそう告げていた。
ベルトを核として呼び出されたのは、十体の獣の影。神霊か、あるいは凶獣の魂か。
それらはこの金色の魔少年……ギルガメッシュに吸い寄せられ、取り込まれていく。獅子のレリーフを刻む、黄金にして異形の具足となる。
「最後の、ギルガメッシュ……!」
完全に覚醒すると同時に、エイジはみずからの身体を叱咤し、よろめきながら立ち上がった。
「叔父さん、狩野さんを連れて逃げて」
剛と狩野とを助け起こし、鋭く伝える。
逆の手には、すでに転送したドライブドライバーが握られていた。
「おい、お前……ッ」
「大丈夫。あいつならもう何度も負かしてるから!」
剛とて仮面ライダーマッハだ。だが、わざわざ突発的に飛び出した甥を迎えに行くのに持ち歩いていないだろうし、マッハドライバーはそのポテンシャルが高く多様性に富む反面、破損や故障が多発し、いまだに動作が安定しない。
何より剛自体が「なんのために仮面ライダーになるのか」そのことに悩み、今も答えを探し続ける求道者でもあった。その叔父に、気を失って出血もしている友人を見捨ててまで、助力は仰げない。
つまり、この天災にも似た暴君を止めるためには、自分が変身するしかない。
「……気をつけろよ! そいつ、ヤバイ!」
歴戦の士としての勘が、本能的にそう告げるのだろう。そう言い残し、ぐったりしている狩野を介抱しながら、剛は離脱した。
だがその目線には心配と未練を強く残し、くやしさや無念を噛みしめた唇ににじませて。
両者の影が消えてから、あらためてエイジはギルガメッシュと向き直った。
彼は、一定の距離を保ち、足を止めた。
そして、
「お前のベルトをもらう」
と低い声で言った。
エイジは当惑し、その言葉の目的を探る。だが、対峙して理解したこともある。
常日頃の、こちらを上から目線で嘲弄するような雰囲気はない。
だからこそ、ほかの個体とは一線を画す存在であることを、剛に言われるまでもなくエイジも感じ取っていた。
だが物は考えようだ。
ここで最大の障害を排除してしまえれば、事件の大部分が解決することになるだろう。
父や母たちに、これ以上の心配や負担をかけさせることもなくなるし……認めてもらえる。
「断る! ……変身ッ」
勇ましく足で地面をたたきながら、エイジはダークドライブへと変身をした。