(今年の夏はもう花火なんて見られないと覚悟していたけれど、意外なところでギリギリ見られたな)
風都タワーの根元からすこし離れた場所にある、噴水公園。
そこで、エイジは奇妙な感慨とともに、暮色濃厚な夜空を見上げ、打ち上げられる花火の豪奢な輝きを、顔面に浴びた。
風都タワーの影がその明滅のたびに浮き彫りになるが、その高くそびえ立つ雄姿は邪魔にはならず、むしろ自分たちがそれを護ったことを思えば、誇りたい気分にさえなれる。
欲を言えば素敵なガールフレンドとともに見たい光景だったが、残念ながら隣にいるのは二枚目半の探偵だ。
「お前には、いろいろと世話になっちまったな、エイジ」
その彼、左翔太郎は、夜景を見上げたままおもむろに口を開いた。
「春奈のことでも、苦労をかけたみたいだしな」
とんでもないと、エイジは首を振った。
謙遜ではなかった。またも自分は、何もできなかった。サポートはしたものの、この事件自体が自分たちの不手際が呼び込んだようなものだったし、春奈の葛藤は彼女自身が乗り越えたようなものだ。
ギルガメッシュの残したマシンは鹵獲こそしたものの、その内部のデータはすでに回収されていて、なんのデータも残ってはいなかった。翔太郎の相棒の見たところ、それは街に害をおよぼす代物ではなく、この街を座標として、何かを探査するものだったらしい。
(ほんとうに、僕は何もできちゃいない)
とは言え過度な遠慮は、話をややこしくさせるだけだ。
多少の後ろめたさは残しつつ、エイジはその礼を無言で受け取った。
「……これで、少しは親子仲も改善されるといいんですけどね」
「まっ、心配いらねーだろ。ただ不器用なだけなんだよ、あいつらは。いつか解決するさ」
「そうなれば天国のお母さんも、報われるでしょうね」
ドン、と音と光が夜空で爆ぜる。
「…………あ? 天国?」
翔太郎が怪訝そうな顔で、一拍子間を置いてからエイジを見つめた。
「え? だって、照井さんのお母さんってもう……」
花火のせいで完全に聞き取れなかったか。そう思ったエイジは改めて説明した。
しかし探偵は、すこし気の抜けた表情で首をかしげるばかりだ。
「……いや、天国って……
――なにか、根本的なところで彼と自分の認識は食い違っている。
違和感と、話題それ自体の重さのせいでしどろもどろになりながら、エイジはそんな感触をおぼえた。
「やーっと着いた! 帰って来たー!」
そんな瞬間、花火にも負けないくらいの大きな声が轟いた。
周囲に一切はばかることのない大声量にエイジが振り返ると、そこにひとりの女性が立っていた。
「いやー、やっぱ古傷には湯治だわトウジ! おかげでお肌もピチピチ! 十代に若返ったみたい! 竜くんも仕事休んで来ればよかったのに」
少し流行から外れたセンスの服装の、大きな声に反して小柄で華奢な背の女性。後ろ髪を団子状に結び、顔つき自体は幼いが、ひょっとしたら見た目よりも歳はいっているのかもしれない。そんな気がした。
土産や旅荷らしきカバンや紙袋をパワフルに提げていた彼女は、それらを地面にドスンと落とした。
ちらりと半袖からのぞいた二の腕には、だいぶ昔のものとおぼしき、一筋の長い傷痕が見え隠れしていた。
「おう、なんだもう帰って来たのか?」
そんな彼女と翔太郎は知り合いらしく、馴れた調子で言って彼は歩み寄った。
ところが、
「あぁーッ!?」
その翔太郎を突き飛ばして、女性は甲高いんだか野太いんだか形容しがたい奇声をあげて、花火を食いつくように見上げた。
それからすぐにきびすを返して、自分が突き飛ばした相手へと詰め寄り、夜空を指さした。
「翔太郎君、なんでもう花火上がってんの!? せっかく間に合うように急いで帰って来たのにッ」
当人に、相手を突き飛ばした自覚などなさそうだった。恨みごとのひとつも言えず、やり場のない怒りをこらえるように、翔太郎は帽子を頭の上から押さえつけた。
「……ッたくお気楽なヤツだな! こっちはいろいろ大変だったんだぞ!? 敵は出るわ、春奈は帰ってくるわ照井はぎっくり腰になるわ! ……あだっ!?」
女性の早口に引きずられるかたちでまくしたてていた翔太郎だったが、その頭で快音が響く。女性がどこからともなく持ち出し、探偵の帽子をはたいたのは、緑色のスリッパだった。
――そして、エイジにとってもどこかで見覚えのあるデザインのものだった。
「ってェな!! いきなり何しやがる!?」
「そ・れ・を・早く言わんかい!」
スリッパを握りしめながら、アゴを突き出すようにして目をいからせ、大阪弁ですごむ。その怒りはとてつもなく理不尽なものだったが、翔太郎やエイジに有無を言わせない力強さがあった。
だが次の瞬間、勇ましく表情を作り変えて、まるで演劇のように明後日の方向を向いて、スリッパを構えた。
「こーしちゃいられないわ! 待っててね春奈、竜くん! 良妻賢母が、今帰ってきたからね!」
ほりゃー! ……などという、少々間の抜けた掛け声とともに、嵐のごとく彼女は走り去っていった。
「おーい! もう良妻賢母って歳でもないだろうが!」
翔太郎が遠のく背に余計なことを言ったが、戻ってくる気配はなかった。
やれやれとため息をつく彼の横で、その勢いに圧倒されて唖然としていたエイジだったが、
「……今のって、まさか……」
と、彼女の素性を漫才のようなやりとりから察して自分の思い違いを悟り、そして頬をひきつらせた。
「……ま、そーいうこった」
そんな青年を気の毒そうに見つめ返した探偵は肩に手を置いた。
彼を慰めるように、風都の空に、大輪の華が音とともに開いたのだった。
「――じゃあ、もう行きます」
まるで悪夢でも見ているような心地なのだろう。泊エイジは、心労を隠さない、低いトーンでそう告げてきた。
「おう。ほんとに、いろいろとありがとうな。今度困った時は、遠慮なく言ってくれ。この借りは返すぜ」
でも、と青年は逡巡する気配を見せた。
翔太郎は、そんな迷える後輩を見て、くすぐったげに笑った。
そしてエイジに、指を伸ばした左手を差し出しこう切り返した。
「『ライダーは助け合いでしょ』……ってな」
それは、かつて助けてくれた仲間に言われ、その彼が困ったときには、受けた恩とともに返した、仮面ライダーの心構えだった。
彼もまた青年や自分と同じく仮面ライダーで、そして青年と同じ……
個人的な事情や感情まではわからなかっただろうが、泊エイジの表情からは、多少の気おくれは除けたようだった。
ほがらかで無垢な笑顔をたたえて、「ハイ」と気持ちよく返事をしてくれる。
その身を切り返し走り去っていく。
「またいつでも戻って来い! 今度こそ本当に風都の案内してやるよっ!」
その若さにほほえましさを覚えつつ、翔太郎は新たな後輩に、最大級の親愛を示してみせた。
足音が遠のいていく。と同時に、花火が打ち上がる回数は少なく、間隔も長くなりつつあった。もうそろそろ、大会もフィナーレに近いのだろう。
「……さて」
と、あらためて翔太郎は周囲を見返した。噴水公園にいるのは彼ひとりだが、その背には、山のように盛られた旅荷たちが散乱していた。
「ったくあのバカ、肝心なもの置き忘れていきやがって」
毒を吐きながらも、彼はそれらを自分たちの事務所へと運ぶべくひとつにまとめ始めた。
「んっ、結構重いなコイツ。よっ、と……!」
その中でも最大級の大きさであるキャリーケースを、翔太郎は両手で抱えて持ち上げた。
だが、その大きさゆえに背をそらしてのけぞった時、腰に不自然な負荷がかかった。
「うおあぁあああ!?」
腰を起点に激痛がおとばしり、電流のごとく翔太郎の総身を駆け巡った。
たまらず断末魔をあげた。だが、その声がかえってさらな苦痛を招き、翔太郎はそっとバッグを地面に倒して前のめりに突っ伏した。
「あぁー……あァー……うぉ」
反射的に抑えた腰からは、シグナルのように痛みの波が強弱をつけて寄せては引く。
言葉どころか呼吸さえままならない状況。
だが不幸にも、花火のベストな見物場所とは言い難いこの場所では、通行人と都合よく望みは薄かった。
ゆえにあえて痛みをこらえて、まだ近くにいるであろう彼に、必死に呼びかけるほかなかった。
「戻って来い! やっぱ今すぐ戻ってこォォいッ!」
しかし、半熟の探偵の悲痛な叫びは、周囲にあるオブジェの風車を、むなしく空転させるだけだった。