数時間前、風都警察署。
春奈とともに風都市に向かったエイジがまず連れてこられたのが、そこだった。
といっても、用事があったのは刑事課でも、ましてや交通課でもない。
そこからは、ガラス張りの壁から街の全景が一望できた。解体途中の風都タワーから、足下の人々の歩く姿まで。
絶えずそこを見つめ、エイジたちには背を向けているのは、白髪まじりだが背の高い男だった。
そこから察せられる年齢に反して肉体は引き締まっていて、隙というものが感じられない。服装のセンスも、ずいぶんと若かった。ジャケットやベルトなどの小物は、照井春奈のそれと酷似している。
そんな壮年の男を、春奈は睨みつづけ、自身がやってきた用向きをかいつまんで説明していた。
「……というわけで、『黄金仮面』という犯罪者がこの街で何かしらのアクションを起こそうとしていることはたしかです。インターポールより風都警察署へ、捜査協力を要請したい」
きわめて、事務的に、ふだんの彼女以上にあたたかみを感じさせない調子で。
「話はわかった。協力は惜しまない」
対する男の返答も、平坦な語調だった。だが、冷たさはそこになかった。
「では詳細はまた後ほど」
これ以上の問答を忌避するかのように、突き放すかのように言うと、彼女はきびすを返した。
だが、逆に男のほうは振り返った。
「久しぶりに会ったにしては、ずいぶんと味気ない会話じゃないか。春奈」
一転、親しみに満ちた声を投げかけながら。
「……あ」
思わずエイジは声をもらした。さまよわせた視線の先が、磨き上げられたデスクのネームプレートに向けられた。
『署長 照井竜』
流麗な細文字で書かれた姓名に注視し、そこでようやくこの両者が親子だと確信した。
春奈は冷たい横顔を向けて、足を止めた。
「こちらには、何も話すことはないので」
照井春奈はあくまで冷淡だった。いや、冷淡を装おうとしていながら、はげしい怒りが渦巻いている。
墓場でエイジをなじった時と、同じように。
「仕事でなければ、こんな街に来もしなかった。守ろうとも思わない。……この街は、悪を呼び寄せる」
自分が守護する街をののしられても、照井竜は怒り返さなかった。
ただ、かすかに悲し気で、そしてあわれむような表情でうなずきながら「そうか」とつぶやいた。
「お前の中で、まだあの事件は終わっていないんだな、春奈」
そう、春奈の父親らしき男は言った。
彼女の鉄面皮から、怒りがにじみ出たようだった。夜叉のような形相で父親を振り返り、その長いまつげを震わせた。
「今更言い訳はしない。どう思われようともかまわん。だがそれでも、俺にとってこの風都も、お前も」
春奈は、最後までその言葉を聞こうともしなかった。
エイジが気が付いたときには荒々しい衝撃音とともにドアが閉まり、春奈の姿はそこになかった。
長く細い吐息とともに、署長もまた、ガラスの壁へと向き直った。
重苦しく気まずい空気と、男二人だけが取り残された。
「……あ、じゃあ僕もこれで」
失礼します、と言いかけて、そろそろとドアノブに手をかけた瞬間、照井竜の眼光がするどくひらめいた。
彼が手にしたリモコンを押すと、施錠音が分厚いドアの奥底で聞こえ、ドアノブは固定される。
「失礼しま、失礼、しつれ……ッ」
足早に出ていこうとしたエイジはその場で立ち往生して、どれだけ力を入れて押し引きしようとも、扉はまったく反応しなかった。
「ちょっ、なんですかコレ!?」
「俺に質問するな。聞きたいことがあるのはこちらのほうだ」
娘に対するときとは打ってかわってけわしい表情と語調で、照井竜が詰め寄ってくる。
その彼の背後で、風都署のポスターに、
〈わからなかったら人にたずねましょう!〉
とポップな字体で標語が書かれていたが、すぐに彼の長身の影に隠れてしまった。
いや、完全に視界がふさがれてしまった。
照井の真顔が息がかかるほどに近づき、研がれたような双眸が、ジロジロとエイジの上から下まで、余すところなく睨みをきかせていた。
「いったいキサマはなんだ?」
「は!?」
「娘のなんだと聞いている……!」
「はぁ!?」
「どこまでだ? どこまで振り切った……!?」
警察官という体面もあるのだろう。照井はエイジの身体につかみかかりはしなかったが、濃い顔が殺意にも似た気迫をにじませて接近して来れば、それだけで十分凶器だ。
本人としては『黄金仮面』の出没や娘との因縁と同程度に真剣なのだろうが、いかんせん憂慮すべき点が間違っている。
だが、エイジが返答に窮したのはたしかだ。
彼が勘ぐるような関係とはもちろん違うが、友人とも正式な
そんな煮え切らない態度に業を煮やしたか。照井は一度後退して自分の席にもどった。
そして自分のデスクの下から、メタリックに光る長物を取り出した。
バイクのマフラーと合体したかのような重量感のある剣。
警察にはおおよそ不釣り合いなそれをかつぐようにして持ち出すと、
「返答しだいでは……ッ!」
とエイジに向かおうとした。
だが、
「ふぐっ……!?」
という低い悲鳴とともに、照井の顔が青白くなった。瞳孔と鼻孔を開閉しながら、腰に手をあてうずくまる。
持ち出そうとした剣が、ふたたびデスクの裏にこぼれ落ちた。
「え、あの、ちょっと……お父さん、どうかしました!?」
「うるさいッ! 俺をお義父さんなどと呼ぶなァ!」
そう大声で怒鳴り返したのがいけなかったか。小刻みに震えながら、背を丸め、より低まった姿勢になった。
「どうしたんです署長殿、そんな大声出して……ってなんじゃこりゃあ!?」
室内の異常を察したのか、ふたりの刑事らしき男たちが、隣室につづくとおぼしき別のドアから顔をのぞかせた。
ツボ押し器具を手にした老刑事がまずうつぶせになった上司を発見し、エイジには見向きもせず駆け寄った。
「あー、腰ですか。腰、やっちゃいましたか? いやでも、不謹慎だけどホッとしましたよ~。署長もいちおう人間なんですねぇ」
次いで部屋に入った短髪の中年刑事は、すごくのんきに、そしてなんとなしに嬉しそうにニヤついていた。
「バカ! んなこと言ってる場合か。いいからタンカとシップ持って来い。あと、オレには昆布茶な!」
そんな彼の側頭部を手にした道具ではたきながら、老刑事はその相方に追い出すようにして指示を飛ばす。そして彼自身は照井の傍に座り、彼の姿勢を呼吸がしやすいように調整した。
「いやぁ、でもその辛さ。わかります署長殿。いや私もね、この歳になるまでけっこうやらかしましてね。かれこれ五回ぐらいかなぁ。こういうときこそ、独り身の辛さが出ますなァ。家にカミさんがいればまた違ったんでしょうかね。なんかこう、清楚な感じの和風美人が私のパンツとか干しながら、『ミキオさんは働き過ぎなんですから、こんな時こそしっかり休んでくださいませね』とかなんとか言っちゃってナハハ…………今時分から婚活ってアリですかね?」
「今の俺に質問するなァッ!」
とりとめもない長話をするその刑事に、照井竜は怒鳴り返す。
「……今度こそ、失礼しましたー」
そんな