ゼロライナーの食堂車は、静寂に包まれていた。
もともとその乗客は多弁なほうではないし、そんな彼に気を遣って、料理番兼相棒はその顔色をうかがってから話しかけることが多い。
だが、今日は乗客は一層寡黙だった。相棒は彼の内心をいつもより気にかけた。
彼らと旅をしていた少年が列車から降りた。そして、二度と帰ってくることはなかった。
それ故の、静けさだった。
少年の食事のために無理やり拡張されたスペース。そこが空いていると、かえってその不自然さが強まった。
その空間をボンヤリと見つめている男……桜井侑斗の背に、おずおずと、デネブは言った。
「これで、良かったんだ」
と。
鋭い目だけを、侑斗は向けた。
「あぁいや! もちろん良くない部分は、あった。でも、完全には消えなかった。本当に帰るべき場所に帰れた。自分で、お父さんを救いに行ける。……だから、これで良いと思う」
侑斗も威圧感にうろたえながら、だがしっかりとした口調で、教え諭すようにデネブは自分の意見を言った。
子どもがふてくされたような横顔を向けたままだった男は、そんな相方の態度に毒気を抜かれ、かつ理性に立ち返ったようだった。
「バーカ」
という悪態だけを返す。ただしそこには信頼と親愛を感じさせる。そんな口調だった。
えへへ、とだらしなく笑い、デネブは黒いフードの上から頭を掻いた。
「ご飯、準備する」
「おい、シイタケは」
料理の食材に文句を言いかけて、侑斗の視線が乗客だった少年……『天空寺アユム』のいた席へとそそがれた。
満足に食事も採れない世界から来た彼は、好き嫌いも言わずに日々の食事に感謝し、その幸福を噛み締めていた。その幻影を見つめていた。
「……いや、たまには……良いか」
「……そっか」
また一歩、人より遅いながらも精神的の成長していく相棒の姿に、デネブはひそかに喜び、噛み締めるように重く受け止めた。
ならばいっそ、これを期に完全に克服してもらおう。
そんなお節介じみた思いが、また彼をズレた方向へと暴走させた。
「じゃあ、今日はシイタケのフルコースにしよう! シイタケご飯に、シイタケのステーキ、シイタケのお吸い物に、デザートはゼリーにして」
そして喜びはしゃぐあまり、ゆらりと立ち上がった侑斗が近寄ってくるのに気づかなかった。
「デーネーブー……!」
白い歯をむき出しにして、デネブに飛びついた彼は、その巨体を後ろへと引き倒した。
狭い車内、テーブルやクッションやらを引っ掻き回しながら、じゃれ合いのように彼らは暴れまわって興じる。
「お前、程度ってもんを考えろよッ!」
たとえ、何かを得ても、逆に喪おうとも。
変わらないものがあっても、何も変わらなくとも。
それによって喜び楽しもうとも、嘆き悲しもうとも。
河の流れのように、絶えず時間は流れていく。
それが過去にも未来にも行ける列車であっても、それは変わらない摂理だった。
――なつかしい、汽笛の音を聞いた気がした。
しかし、閉ざされたカーテンをめくってみても、そこには広がる青空と白い雲、そして高くのぼった太陽があっただけだった。
白々と輝くその光が、するどく眼を刺して、捜査一課特殊犯罪捜査第4係、泊進ノ介は目をそらした。
「もう朝か……」
「真ッ昼間だよ」
締め切られたオフィスの入り口から、声がかかった。缶コーヒーが投げつけられる。
寝不足の頭ではとっさに対応できず、手先ではじいて床に転がしてしまった。
「寝てないのか?」
と、その『相棒』がたずねた。
「あぁ」と、進ノ介は生返事で応じた。
その男は、大仰にため息をついた。
長年進ノ介のバディをつとめている、親友だ。
彼には相棒と呼べる存在が複数いる。
怠惰なときの進ノ介を戒める霧子。文字通り一心同体となってともに死線をくぐり抜けたクリム・スタインベルト。そして、ひらめきや洞察力はあるものの突っ走りがちな進ノ介を冷静に、かつ理性的にたしなめるのが、この早瀬だ。
絆の深さに優劣はない。ただ、付き合いの長さで言えば彼が最長と言えるだろう。
その足取りがやや常人とくらべて若干重いのは、怪我の後遺症のためだった。
彼らの運命を変えた災厄の日、グローバルフリーズ。
そこで進ノ介が起こした誤射が、早瀬の脚の自由を奪ってしまった。
一度はそのトラウマに苛まれた進ノ介だったが、今では、それもいい思い出と割り切って、より固い結束で結ばれていた。
現在はほぼ完治していて日常生活には問題はないが、怪我のブランクと本人が「自分に合っているから」という理由から、現在もネゴシエーターなどの裏方に回っている。
それでも、変わらず刑事としての相棒であることには違いない。
その早瀬が、コーヒーの差し入れ以外に、散乱したデスクの上に置いたものがあった。
向こう側が透けてみえるのではないかという、薄型の端末。
それに親しんだかのような指捌きで操作すると、ほの暗い空間に複数の映像が投射された。
「『黄金仮面』関連の映像の洗い出し、終わったのか」
「そういうことだ。で、その中に、ちょっと見てもらいものがあってな」
早瀬はうなずいた。
多種多様なSNSや
ふるいをかけること自体はプログラムでも難しくないのだが、最後には肉眼と頭脳による確認が必要になってくる。
しかも今回はどうにも警察に対する圧力や規制があったようだ。欲しい情報が、なかなか捜査側に下りてこない。そんななか、民間から、ネットの海から、とってきてくれた情報だ。
自分に負けず劣らず、根を詰めて気の遠くなるような作業をしてきたであろう早瀬や鑑識、現場の警官たちに、ねぎらいの言葉を与えたかったが、それはすべてが解決した後で、酒でもおごりながらでのことだろう。
その場では目でだけ礼を伝え、自身の目で、早瀬のもたらした情報をチェックすることにする。
ふいに、その早瀬が肩に手をかけてきた。
いぶかしむ進ノ介に、相棒はまるで立てこもり犯に対する説諭のように言った。
「泊、お前も人の親だ」
「? あぁ、そうだな」
「……だから、まぁその、なんだ。冷静に、見てくれよ。そして落ち着いて、ひとりの大人として、対応してくれ」
「は? なんだそりゃ、いったいどういうことだ」
ネゴシエーターという職業柄、常日頃から早瀬の言葉には相手をなだめようという穏やかさと誠実さと理知の響きがあった。
だが、この時ばかりは違う。進ノ介は直感で思った。
何か、ためらいのようなものを感じさせた。あるいは、困惑か。何かを自分にゆだねようとしている反面、自分がとりうる対応自体に危惧を抱いている。そんな気がした。
そして、拡大された写真、そこに映っていたのは『黄金仮面』と対峙している異形の戦士の姿。
――見覚えがあった。
いやそんな言葉では生ぬるいほどに強烈に記憶に残っている。黒い仮面ライダー。頭のなかで反芻する、甲高い笑い声。身体に叩き込まれた斬撃の痛みがぶりかえす。
泊進ノ介は、言葉にしがたい衝撃を受けた。稲妻に、総身を貫かれたかのような。
次に胸を焼くような怒りが、こみ上げてきた。
だがふしぎと、頭は冴えていた。理解できた。早瀬のためらいの原因も、自分と同様、その正体におおよその見当がついてしまっているということも。彼が自分に冷静さを求めた意図も。
かつて、タイプテクニックにはじめて変身したときと同じだ。あまりの怒りに、感情が脳神経を通り越して、理性だけがそこに残っている感じ。
「もういい。だいたいわかった」
そう言って、彼は端末のスイッチを相棒に切るように促した。
両者が対する画像が消えてから、一度は通り過ぎた怒りが血とともにまた頭にのぼってきた。
「……あのバカ……! いったい何をやってるんだ!?」
気が付けば、早足で出口に向かっていた。
「だから、落ち着けって言っただろ。全然わかってないだろ、お前」
その背に、何度も呼びかけながら早瀬が追ってくる。
理解自体は、しているつもりだ。
だがそれと自分がとるべき行動とは、また別の問題だった。
Next Drive……
「『BC事件』。ここで起こった最後の、そして最悪のガイアメモリ犯罪だ」
「それがあいつを狂わせちまった」
「私の慕ったヒーローは、父親として失格だった。私の愛した父親は、ヒーローではなかった……!」
「信じろ春奈! お前の『家族』は、『相棒』はッ、絶対にお前を裏切ったりしねぇ!」
「それを今証明してやるよ、俺が、いや俺たちが」
〈JOKER!〉
第五話:夏の終わりのJoker game!?