翌日、倒された同胞の復讐にギルガメッシュが来襲する……
ということもなく、大天空寺は平穏を取り戻していた。
いや、本当に取り戻したとは言えない。
多くのものを喪いすぎた。まだ奴らの手から戻ってこない人がいる。
本当の意味で、天空寺アユムの戦いはここから始まる。
「……いろいろと世話になったね、エイジ兄ちゃん」
収容できるだけの日用品や非常食を詰め込んだデイバッグを、石段の手前に置いて、アユムはそう告げた。
父タケルは、まだ生きている。
取り込んだもうひとりの記憶からか、その息子は断言した。
異空間に閉じ込められた彼らは一部の眼魂を脱出させることには成功したようだが、自身はまだそこにいるのだ、と。
そこから救い出すべく入り口をこじ開けられるのは、自分のゴーストドライバーだけなのだと。
自身の存在を代償に、『アユム』は、もうひとりの己にその術と智慧とを継承させていた。それがこの時代に来た目的だった。
その『アユム』が今のアユムにどれほど残っているのか。当人からあらましを聞いたエイジには分からない。あえて聞く勇気も、なかった。
晴れ晴れと笑うアユムに、エイジはぎこちなく笑い返した。
「しばらく留守にするけど、それまであのギルガメッシュの相手は、お願いするよ」
「もちろん」
アユムはエイジに、両掌を向けるようにうながした。
言われたとおりにすると、ゆるやかなストレートがエイジの手を打った。
どこに由来するものかは知らないが、それが彼なりの友情の証らしい。
「たこ焼きのお姉ちゃんも、仮面ライダーなんだよね。よろしくね」
その場に立ち会っていた照井春奈に、アユムは言った。
(そう言えば名乗っていなかったっけか)
自らのの呼称が多少はショックであったらしい。やや目を見開いて、それから不満げに片目をすがめて答えた。
「照井春奈です」
訴えるように、あるいは恨み節のような冷厳な語調で言った彼女に気圧されながら、アユムは微苦笑を浮かべて言った。
「わかったよ。照井姉ちゃん」
直後に春奈が漏らした吐息が、どこはかとなく満足げな色を帯びていたのは気のせいだったか。
エイジがわずかに笑みこぼすと、すかさず死角から鋭いローキックが入った。
怪人からの攻撃にも匹敵する急所への痛みに、エイジは身悶えた。
アユムはようやく少年らしい、ほがらかな笑声を弾ませた。
御成が石段を下りてきたのは、そんな時だった。
散々にアユムに独立独歩を求めていたのに、いざその時が来ると物悲しいらしい。
表情をやや大げさに表情を曇らせながら、
「何か、忘れ物はありませぬか?」
とか、
「危なくなったら、無理せず帰って来るのですぞ」
などと、しつこいぐらい繰り返す。
「わかってる」
アユムはかつてのような反発はせず、あくまで好意として受け止めた。
御成は、両手に抱えた包みを解いて、その中身を捧げ持った。
それを見た瞬間、アユムの表情が強ばった。
それは、数個のおにぎりだった。
大きさも形も均一ではない、不恰好なもの。だが、だからこそ、手作り感とそれにともなう温もりが伝わってくる。
アユムは御成を見返した。
僧侶は、慈悲に満ちた目を少年へと向けうなずいた。
少年はそこから、何かしらの意図を汲み取ったようだ。その視線が、山門のあたりへと持ち上がる。
エイジはつられてそこを見た。
細い人影が、その境目をかすめた気がした。黒衣のようなものが、翻ったようにも見えたが、ハッキリとは見えなかった。
(でも、おそらくあれは、アユムの……)
アユムは改めて、おにぎりを見つめ直した。
わななく指先でそのうちのひとつを掴んで一口、かぶりつく。
刹那、あふれた涙がアユムの頰をつたって濡らした。
そしてこのことに、当のアユムが戸惑っているようだった。
「あれ……? なんだろ……? どうってことのない……塩っ辛いだけの握り飯なのに…………なんでっ……?」
涙をぬぐいながら不思議がる彼を見つめながら、エイジにはその理由がわかる気がした。戸惑いながらも、アユム自身だって本心で感じているはずだ。
あれは、『アユム』の流した涙だ。
泣くことも許されず、帰る場所さえもなく、ひとり絶望に抗い続けた少年。
その孤独な戦いの果てに待っていたのは、孤独な並行世界ではなく、帰るべきもうひとつの故郷だった。
涙を振り払った天空寺アユムは、旅立っていった。
ギルガメッシュを経て財団Xへと奪われかけた眼魂。その中に収蔵されていたというタケルのオレ眼魂を起点として、刻印を描き異界の門を開ける。
どこに通じているかも分からない未開の世界への入り口を、彼は晴れやかな表情とともにくぐっていった
「感謝しますぞ、息子……いやエイジ殿」
アユムの姿と、彼の描いた紋が完全に消えるまで見守りながら、前触れもなく御成が礼を言った。
「何やら事情はよく分かりませんが、とにもかくにも、アユム殿が一皮も二皮も剥けたことはたしかですからな、何よりです」
「別に、僕は何も」
エイジはほろ苦く笑って首を左右に振った。
謙遜ではなく、本心からこぼれた言葉だった。
(そう、僕には、何もしてやれなかった)
『アユム』を救おうとした男たちを妨害して、結果『アユム』はその肉体を捨てた。アユムは、そのもうひとりの辛い記憶も、宿命も背負うこととなった。
その時は身体が勝手に動いた。正しい選択だと直感で思った。だから桜井侑斗相手にそう気を吐いた。
だが理性が追いついたと同時にやってきたのは、後悔だった。
(僕の判断は本当に、正しかったのか)
エイジはそう思いかけて首を振った。
シフトカーは自分を選んだ。その運命に導かれた結果であるのなら、そこには何らかの意義があった、はずだ。
「照井さん、ここに来たのってアユム君の見送りじゃないよね」
一礼ともに御成が帰ったのち、自分を欺くようにして話題を切り替え、照井春奈へ話題を振る。
春奈は真顔でうなずいた。
「天空寺アユムの顛末は道すがら説明を聞くとしよう。だが、それよりも同行してもらいたい場所がある」
「どこへ?」
エイジが尋ねると、女捜査官は複雑そうな感情をにじませて答えた。
「嫌な風が吹く街だ」