獣の猛攻を支えきれない。そう判断した照井親子は、左右に散開して勢いを殺した。そして挟み込むように、反撃を加えていく。
青き異形の背筋から、腕から脚から、液体が噴き出る。それは瞬く間に凝固し、風を切ってしなる鞭となり、鉄をも貫くであろう鋭利さを持った、錐と化した。
それはどれほどに斬り払っても、雑草のように再生し、枝分かれして数を殖やし、物量でもって容易に接近を許さない。
「はぁぁぁ……!」
そこに埒を開けるべく、初代アクセルは気炎とともに突入した。
〈ELECTRIC〉
雷電を帯びた太刀筋でもってな自分の周囲を一掃し、再生よりも速くに飛びかかる。それでもなお、追いすがろうとする無数の敵意が真紅の装甲へと迫ろうとする瞬間、彼は足を止めずにドライバーのグリップを捻った。
アーマーを、周囲が歪むほどの高熱が包む。それに怖じて退いた触手を、文字通りの炎刃が雑草のごとくに彅ぐ。
肉薄。
太刀筋の間合にその巨体を収めたアクセルは、エンジンブレードを腕の一本に叩きつけ、振り抜いた。切断した。
絶叫が響き渡る。時折少年の声色が混じるその怒号は、精神的にも肉体的にも圧迫感がある。傷つけたこちら側が、逆に生々しい息苦しさや痛ましさを覚えてしまう。
手負いに獣は、さらに猛る。
ますます数と勢いと速さを加えた触手を、春奈は援護射撃で落としていく。だが、残る腕までは、遠距離からの牽制程度では止まりもしない。父のように、乾坤一擲の接近戦で挑まなければ、ダメージは与えられない。
残る五本の腕が竜の全身をつかみ上げた。地表がまくれ上がるほどに叩きつけ、滑る身体が荒れた大地をさらに削る。追撃を妨げようとあえて距離を詰めて射撃をする春奈だったが、その彼女にも、触手が迫っていた。
「春奈!」
竜が叫ぶ。叫びながらも、その行動は素早く的確だった。
ドライバーのバックルを自身の身体から両手へと移し替えた彼の身体が、機械のように変形していく。
そして、一台のバイクとなって、地面に突き立つ針を縦横に回避しながら娘へと身を寄せた。
その意を察した春奈は、自身が絡めとられる間一髪のところで、アクセルに足をかけた。
ひさびさに乗る、父の背。
奇妙な感慨を共有しながら、親子は一度死地から離脱した。
操縦は父に委ね、春奈は彼よりエンジンブレードを受け取った。
コンクリート片をものともせず、たくましいドリフトとともにその身を旋回させる。爆音を響かせて再度迫った。
迫るその手を、腕を、『運転』に専念する父はたくみに回避していく。そこは、自身にまたがる春奈の上背、それを考慮するとような……気遣いと、想いやりがあった。
親の心を噛み締め、誓いのごとく、剣を立てる。
世界を守ろうとする正義への献身。人々を守るために燃やす闘志。その疾走を、一ミリたりとも無駄にしてなるものかと。
〈CYCLONE MAXIMUMDRIVE!〉
互換性があることを承知で、T3メモリを弾倉のようにエンジンブレードへと装填する。
緑碧の旋風を帯びた一太刀が、引きちぎるように周囲の触手を薙ぎ払う。返しの斬撃が実寸よりもはるかに伸びて、飛びかかった怪獣の右腕を一気に全て斬り伏せた。
自身のウェイトの多くを占めていた部位の消失は、そのまま体幹の均衡の崩壊を意味していた。持て余した力によって大きく姿勢を崩した獣はしかし、それでも偽りの生を諦めない。なお食らいつくべく春奈たちを頭から飛びかかかって追尾した。
竜は、その前輪を大きく持ち上げ、ビルの壁に押しつけた。そのまま馬力によって垂直の壁を強引に駆け上り、怪物の頭上に回り込む。その身を大地と並行に横たる。
春奈は剣を獣に向けて投擲した。自身は、空転する前輪に飛び移った。
回転の渦へと我が身を投じる。その勢いを借りてカタパルトとしてみずからを撃ち出す。
獣もまた、断末魔とともに飛び上がった。
〈ACCEL! MAXIMUMDRIVE!〉
マキシマムスロットの代わりに、メモリ自体を一度を抜き差した。
「――お前の苦しみも、痛みも、罪もっ! 私たちは、すべてを背負って乗り越える! その先に、始まりの未来があるッ!」
全リソースを絞り出してくり出した回し蹴りが、赤い轍を虚空に描く。
三度目の激突。策も小細工もない。純粋な力と力、今日を生きようとする本能と、過去も今も振り切って、明日を拓こうとする意志が、拮抗する。
景色が溶けるほどに、風が叫び出すほどに。
荒れ狂う力の渦はやがて彼女らを分厚く覆い包み、嵐となって互いをえぐる。
だがそれは決して、永続するものではなかった。
「希望が私の、スタートだッッ!」
残る左腕を力づくでこじ開けて、春奈はさらに膝を曲げて空中で回転した。
槍のごとく、矢のごとく。そして彼女自身の心の鏡のごとく。
まっすぐに横一文字に振り切った照井春奈の踵は、青い獣の脇腹を直撃した。
たしかな手ごたえを感じた春奈が着地すると同時に、その背で巨魁は脱力と傾きを見せた。
くっきりとその胴に刻まれた轍が、導火線のように明滅をくり返し、熱を持ち、そして暴発する。
天さえ引き裂くような絶叫が、鳴り響き、それは爆発音へと変わった。
彼の内より膨れ上がる日からかばうように、アクセルは春奈の前に駆け付けて、火除けとなった。
おのが腹部にかすかな痺れと痛みが差し込んだのは、その次の瞬間だった。
ドライバーがスパークを放ち、火花を散らし、そして腰に固定していたベルトが調整機能を停止してたわみ、バックルごと地面に落下した。
――このあたりが、限界だったようだ。
むしろよく、ここまで力を維持してくれたと感謝すべきだろう。
バックル部分がオーバーヒートによって小規模な爆発を起こした。外部からの衝撃では容易に破損したドライバーだが、内燃機関の冷却が追いつかなければ、その防御性も意味をなさない。
装填されたアクセルメモリをも巻き込んで、ついにT3アクセルドライバーは砕け散った。
「……」
知れ切った結末だった。覚悟もしていた。だが実際にその無残な姿を目の当たりにすれば、達成感にも似た一種の脱力感や虚無感が、春奈の胸に去来していた。
揺らぐ視界の彼方に、ふと青い人影が飛び込んできた。
顔を持ち上げる。炎と蜃気楼の壁を隔てて、ライダーの姿に戻った彼が、よろめきながら遠のいていくのが見えた。
人らしき姿には戻っていても、やはり怪物に変貌していた間のダメージは、それでも反映されているものらしい。
その右腕は、二の腕から先が切り落とされていた。
切断面からは、絶えず放電が続いていた。
(――なんという)
生きることへの欲求だろうか。
善悪を抜きにしても、あらためて深く噛み締める。
彼の執着を。ただひたすらに生きようとした彼の純粋さを、踏みにじって先へと進むことの意味を。
「待て!」
人型に戻った父が、今度は自分の足で追いかけようとするのを、春奈は肩で押しとどめた。
「もう、十分でしょう」
どう見立てても、あのライダーは致命傷を負っていた。その手ごたえもあった。
そして装置と融合したギルガメッシュ自体が、もはや勝とうと負けようと長くは保てない。
あの王が停止すれば、彼と繋がる軍勢は役目を終えて、偽りの肉体は死滅する。それはあのライダーとて例外ではない。
生かそうにも、もはや止めようのないことだった。
ただそのほんの一時、残っている余命が数秒だけだったとしても。
「せめてそれぐらいなら、生きることを、赦してやっても良いでしょう」
父は言葉もなく、娘を見返した。
だが彼女の視線は、自分が落下した施設の屋上へと向けられていた。
力が流動しながら、その圧と勢いを増していた。竜にもそれは伝わっているのだろう。春奈の視線を追いながら、息を呑んで天を仰いでいる。
その潮流が良い方向に向かっているのかどうかはわからない。
だが英志が踏みとどまっているからこそ、まだ戦闘は続いている。
(すまない。これ以上の力にはなれない)
春奈は内心で英志に詫びる。
身を守ることさえままならないこの状態で無理やりに介入すれば、かえって英志の足を引っ張ってしまう。一片の妥協も手抜きも無駄も、そのまま命取りにつながる。あそこで行われているのは、そういう駆け引きであるはずだ。
ただ彼女にできることは、信じること。任せること。そして、
「負けるなよ、『仮面ライダー』」
託して勝利を祈ることのみだった。