ベルトが初期化されていようと、ネクストスペシャルのシフトカーが修理に出されていたとしても、ブレイドガンナー自体の機能はまだ生きている。
ダークドライブによる腕力のサポートがない分、多少の重みは当然加わってはいるものの、それでも振り回すことが苦というほどではない。
ロイミュードのボディにも有効なダメージは与えられる殺傷力を保ったままだ。
加えて、支援の三機はまだ活きている。変身能力こそないが、ただ腰元のホルダーに提げておくだけで、重加速を無効化できる力がある。
それに、ベストコンディションでないのはパラドックスだって同じだろう。
ギルガメッシュが用済みの相手の復讐に付き合うはずがない。あのボディ自体は、本来のものではなく、通常のバイラルコアから精製されたものに違いない。
他のライダーやロイミュードを圧倒したとされる全盛のスペックではないはずだ。
条件それ自体は、現状においてはかぎりなく対等に近い、はずだった。
(なのに)
その一撃を加えるまでが、あまりに遠い。
剣に引きずられるように振り下ろした決死の一太刀は、たやすく避けられ、代わりに強烈な打撃が腹に見舞われる。
うめきながらつんのめる彼の頭を、金色の右腕が掴む。その爪が鉤のように鋭く変形し頭皮に食らいつき、大きく横薙ぎに振り回した。
その軌道上にあった備品や医療器具が破損し、その破片が容赦なく、防ぎようもなく背に突き当たり、絶え間ない激痛がエイジを襲った。
血がにじみ、頭蓋がきしむほどに締め上げられた頭が、悲鳴をあげることさえ許してくれない。その遠心力は、手足や内臓がねじ切られるかと思われるほどの負荷を、エイジの肉体に与えてくる。
解放されたその先に、ロータリーと棟内をへだてるガラスの壁があった。
とっさに腕で顔をかばったエイジは、破片で腕や手を切りながら、雨降る屋外へと放り出された。
もはや、満身創痍だった。病院という場所柄もこうなってはもはや皮肉というべきか。流血と傷のない場所を、探すほうが手間、という状態にまでエイジは追い詰められていた。
いかにパワーダウンしたとはいえ、人智を超えた力に、エイジは打ちのめされた。人と機械生命体が単純に争えば、ここまでスペック差が出るというのか。
そして父はどうして、変身できたとしても、こんな強敵に臆さず最後まで立ち向かうことができたのか。
――幼いころ、それを聞いたことがある。
「おとうさんは、どうして
淡く苦い笑い声とともに、父はなんと答えただろうか……?
「変身もできない貴様が、私に勝てるものか」
108は嗤い、この事実の核心を突いた。
「たとえ変身できなくとも、僕は仮面ライダーだ! ……そうありたいと……思うッ」
そう吠え返したエイジが起き上がるよりも速く飛んできた蹴りが、彼の胸を叩いた。濡れたコンクリートへと、その肉体を昏倒させた。
「いいや貴様はライダーなどではない。変身能力を奪われ、自分さえも奪われ、何者でもなくなって私に敗れて死ぬのだ。それがどの世界においても貴様の運命だ」
エイジの意識が、明滅をくり返す。
暗転と復帰をくり返す視野の中で、自分を踏みにじる108の影が変化する。
完全体のパラドックスとしての姿、ナンバープレートのついた素体としての姿、そしてエイジの姿、奇妙な白い着衣をまとったかつてのエイジの姿。
それは自分が見ているだけの原因か。それとも高揚によるヴィジョンのブレか。
「そして今度こそ私は、泊進ノ介に報復を果たしたうえで、この世界で完全復活を果たす!」
「……ッ、ロイミュードは、とっくの昔に滅んでるのに……かっ」
「それがどうした。むしろ好都合だ」
冷ややかに笑いながら、エイジはエイジを踏みつけた。
「私を同胞と認めず見捨てたハートたち、蛮野と004といった対抗馬もいない。肉体さえ取り返せば、残機も少ないギルガメッシュなど恐るるに足らん! この私こそが、唯一無二の、そして絶対の
両手を広げ、雷雨の中でそう高らかに宣言し、鋼鉄の悪魔は狂笑した。
――そして、知らずエイジ自身もまた、激痛をこらえて笑っていた。
無理矢理にではなかった。絶望して我を失ったわけでもなかった。
ただ、自然に笑みがこぼれた。
思い出した。
理解した。
そして悟った。
それゆえの、笑みだった。ひどく、自嘲を含んではいたが。
あぁせめて、もう少し早くに思い出していれば、気づいていれば、こうはならずに済んだものを。
「……なにが、おかしい?」
すでに負かした相手に嘲笑されるほど、腹が立つことはない。
今エイジが考えているこの理屈は、その性格をコピーしたパラドックスにも当てはまるらしく、はじめてその低い音声から余裕が消えた。
「だから、お前は人間に、父さんに負けたんだ」
負けた、そうハッキリとエイジが口にした瞬間、パラドックスの怒りが瞬間的に沸点にまで達したのがわかった。
鬼のようなマスクの目元が左右非対称に歪み、エイジの襟髪をつかんで引き立たせた。
力なく青年は、吊り上げられるがままになっていた。
幸い、気道までは抑えつけられていない。
「お前が目覚めた未来では、蛮野天十郎が世界を支配していた。そして二十年前、お前は父さんに負けた。どっちも、もうすでに終わったことなんだよ」
「黙れ……」
「過去にいつまでもしがみついて、先を見ようとしていない。なのに、未来に対する執着ばかりは誰よりも強い。だからお前は、どこへも進めないんだ。その
「黙れェ! 貴様に、何がわかる……!?」
そう問い返す怪人に、今度はエイジが、意地の悪さを見せる番だった。
「お前が、言ったんだ。……そうさ、それさえも、元は僕の感情だった」
元は同じ生体情報ゆえか。
掴まれたその手から、パラドックスの激情とともに、覚えのない記憶が流入してくる。
そこには、かつての自分がいた。自分の知らない、泊エイジの煩悶があった。
孤立奮闘していた彼だって、人間だった。弱さを抱えて、生きていた。
――あぁ、こんな時に、話に聞く父さんがいてくれたなら……
――そうだ。過去からやり直せれば……そうすれば、きっと父さんにだって会える。会いたい……
「けど、もう終わりだ」
それをぐっと奥歯で噛みしめ飲み下し、その苦みを今のエイジは力に換えて、パラドックスの怪力を押し返した。
「僕は
こじ開けた片腕の隙間に、ブレイドガンナーの銃口をねじ込んだ。
放たれた光弾のいくつかが、竜巻のような意匠の胸部で弾けた。
多少はダメージがあったのか、くぐもった断末魔をあげるロイミュードに、エイジは逆の拳を振り上げた。
その先にあったのは、異形の顔ではない。鏡を見ればいつだって見られる、自分の顔。構わない。そのまま殴り抜く。なんてことはない。取り返しのつかないことをし続けた
パラドックスはノイズとともに姿を戻してエイジを振り払った。
吹き飛ばされた衝撃で、頼みのブレイドガンナーも取り落とした。
だがエイジは諦めない。自身の武器を拾っていては間に合わない。パラドックスが武装を展開するよりも早く、組みつく。
その必死さに、金と黒の魔人は再び声を轟かせた。
「いくらあがいたところで、貴様の罪も過去も、消えるものではない!」
「だから、そんなことは知ってるんだよ! ただ、そこに立ち止まるのはもう止めた!」
人の身で、ロイミュードには対抗できない。
対峙したこのわずかな時間で、エイジは骨身に沁みて理解していた。だが、あえてそこに意識を向けないように必死で抗えば、ふしぎと身体が軽くなった。重心に力が入り、ありえないことにパラドックスを押しとどめることに成功していた。
父流に言えば、「考えるのはやめた」という境地か。
(あぁ、そうだ)
あの時たしかに、父はこう答えた。
「人は、変われる生き物なんだ。英志」
と。
「俺も戦う前は、いや戦ってる最中でも、しょっちゅうしくじった。けど、もう二度と、あの時と同じ間違えはしないと、その都度誓った。やり直しはできないが、次こそは同じように苦しんでいる誰かを助けられる。コピー元のルーツをもとに進化するロイミュードと人間の成長は、そこが違う。それが人間の本当の強さ、ってヤツで、ロイミュードの一歩先を行けたんじゃないかな。……今は、わからなくても良い。けどお前も、そういう人間になってくれると良いな」
少しはにかみながら父は、まっすぐに自分を見据えて言った。
(あぁ、そうだ!)
過去は決して切り離せない。
それがたとえ闇の中から生まれたモノだとしても。あるいは石油のように黒く、ドロドロとした罪だったとしても。
だがそれでも、そこから目を背けず受け入れて、自分の中に正しく組み込めば、きっと明日へと手を伸ばせる燃料に換えられる。
そして過去とは、決してそんなものばかりじゃない。
何気ない一言、わずかな交流。ひとつひとつは闇の中の些末な輝きでも、集めればきっとそれは、真っ赤な太陽にも成れる。
それを背に受けて、自分は、泊英志は変わる。
変身してみせる。仮面ライダーとして。
「ナメるなぁァァァア!」
パラドックスの怒号が響く。あるいは、悲痛な叫びだったのかもしれない。
とにもかくにも、その全身から発せられた雷光を浴びて、英志は飛ばされた。距離を開けられた。視界を取り戻した時にはもう時遅く、パラドックスの右腕は機関銃へと変形していた。
それを突きつけられても、英志の心はもう折れなかった。ブレイドガンナーをなんとか手繰り寄せようとするが、その時間もない。肉体の疲弊も、限界に近付いていた。
終わりだ、とパラドックスが宣告する。
ボディから構築された実弾が、正面からはありありと見て取れた。
負傷を覚悟し、本能的に顔をかばおうとした彼の懐から、何かがすり抜けた。
ちいさなものだった。素早いものだった。英志に劣らず傷だらけ、だった。
紫色の軌道を直線的に描きながら、それは正確に弾丸を跳ね除けた。
鎌で刈り取る死神のように。
……あるいは、獲物を見定めた
「なんだと!?」
驚愕に声をあげるパラドックスをよそに、それは、その小型のバイクは、緊張から解放されて半開きになっていた英志の右手に自分から収まった。
その名を、彼は知っていた。
「……シグナルチェイサー……」
その多くが地下深くに多くが凍結されている中、地上に現存している数少ないシグナルバイク。
あるロイミュードのボディを材料に構築された、特殊なタイプ。
剛が後悔と追悼を込めて、ふだんは肌身離さず持っている、そのロイミュードとの友情の証。
その彼、『始まりの仮面ライダー』であるチェイスが、変身に用いていた、彼の分身であり形見。
それが今になってなぜ再起動したのか。なぜ英志を守るのか。
その多くは分からないが、もしそれが世界を未だ彷徨う彼の意思であるならば……おそらくその使命は、共通している。きっと、応えてくれる。
「START OUR MISSION」
浅い呼吸とともに、ベルトのアドバンスドイグニッションをひねる。
ディスプレイがリングを表示し、シークエンスを開始する。
英志は意識をその新たな相棒に同調させるべく腕を交差させてから大きく回転させた。シフトブレスに、シグナルチェイサーを走らせた。
そしてあらためて、真摯なる覚悟と願いとともに、その言葉を紡ぐ。
「変身」
その形態は、本来はその男のためのものなのだろう。
いつかきっとたどり着く未来。戻ってくる彼のための、新たなるドライブシステム。
プロトドライブでも魔進チェイサーでもチェイサーでもない、だがロイミュードであり仮面ライダーでもある彼の独自性を十全に活かすための、新たなる姿。
本来、英志がそのシグナルバイクを使用しても、変身しようとしてもできるものではない。
だが、そのありえない奇跡が、あるいは見えざる何者かが彼の信念を認めるように、あるいは、死してもなお『彼女の家族を守る』ために、現実となって青年の肉体を包み込んだ。
素体となっているのはダークドライブだが、マスクの視覚センサーは、従来の青に代わってオレンジが点灯していた。顔の右半分をモノクルのように、銀色の強化モジュールと保護プロテクトが覆い、視覚情報を拡張している。
下地のボディスーツは銀色となり、そこに黒い外部装甲が重ねられている。だがそこに刻まれたエネルギーラインは、雷のような青の直線ではなく、濃い紫の、それこそ打ち付ける雨のごとき曲線だった。
〈DRIVE! TYPE……GET! NEXT!〉
一挙に流し込まれた情報の処理を終えたベルトが、新たなる未来の仮面ライダーの名を響かせた。