シンデレラガールズ・オブ・ザ・デッド   作:電柱保管

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 これが読まれてるってことは、きっとあたしはもう死んじゃってるんだろうな。

 ……なんてありきたりな書き出しになっちゃったけど、実際そうなんだと思う。

 時間――あたしに残された時間、って意味だけど――もないから、結論から言うね。

 きっと今、バケモノみたいなのがそこらじゅうに溢れかえってると思う。

 あいつらが生まれたのは、あたしのせいなんだ。

 

 ごめん。

 

 ……懺悔を聴いてもらったついで、ってわけじゃないんだけどさ、これを見つけて読んでくれてるキミに、ひとつ頼みたいことがあるんだ。

 

 あたしのせいで壊れたこの世界を、キミに救ってほしい。

 

 ……あたしの話、聴いてくれるかな?

 

 順を追って話すね。

 

 まず、あいつらの正体。

 

 あいつらのことを学術的に定義するなら、「薬理作用によって中枢神経系に異状をきたしたヒト様生物体」ってところかな。

 簡単に言うと、クスリで頭がイカれた人間……人間だったもの、だね。

 あいつらを詳しく検査したわけでもないから、あくまであたしの所見だけど。

 でも、そんなに外れてはないと思うよ。

 なにせ、あいつらの一匹目は、この部屋で、あたしの目の前で、生まれたんだから。

 

 この部屋を訪ねてきたのなら知ってると思うけど、あたし、化学の実験が趣味でさ。わがまま言って貸してもらったこの部屋に実験器具を持ち込んで、薬品の調合やらなにやらやってたんだ。もちろん、薬って言っても、怪しいやつじゃなくて、栄養剤や芳香剤みたいなものだよ。あたしが作った新薬のデータを事務所が製薬会社に売ったりもしてたみたい。ま、家賃代わりだと思って、あたしはその取引には口を挟まないようにしてた。

 

 ただね、ひとつだけあたしから事務所にお願いしてたことがあるんだ。

 それは、ある古書を探して買ってきてほしい、ってこと。

 かなりレアな本で、普通のルートじゃまず手に入らない代物だから、組織の力ってやつを頼るしかなかったんだよね。

 事務所の人たちは、あたしの無理なお願いを真摯に聴いてくれたみたい。

 半年くらい前だったかな。

 海外の、いわゆる闇オークションにあたしが欲しがってる本が出品されているのを事務所の人が見つけて、落札してきてくれた。

 

『Hieroglyphs allegorica』

 

 これがあたしが欲しかった本。ヘンなタイトルでしょ? 『象形寓意図の書』ってタイトルで邦訳書も出てるみたいだね。でも、あたしが手に入れたのは、十五世紀に書かれたラテン語の原著。今普通に出回ってる現代語訳版はどれも、後世に作られた偽書を底本にしていて、重要な記述が省略されちゃってるからね。

 

 この本の著者はニコラ・フラメルっていう中世の錬金術師なんだけど、まず錬金術ってわかるかな? 簡単に言うと、卑金属から貴金属を人為的に作る技術のこと。たとえば鉛を金や銀に変える、みたいなね。科学史的なことを言えば、ヨーロッパの錬金術研究は近代化学の母体となったって説もある。

 で、ニコラ・フラメルは、錬金術を使って実際に水銀から金を作り出したとされる、伝説的な錬金術師。近代力学の祖、かのアイザック・ニュートンが自然科学研究のかたわらひそかにおこなっていた錬金術研究でもフラメルを参照してたって話だから、まあその筋じゃかなり影響力のあった人物と思ってくれていいよ。

 そのフラメルが、長年の研究で掴んだ錬金術の極意を書き残した秘伝書とされるのが、この『ヒエログフス』ってわけ。具体的には、『アブラハムの書』ってカバラの秘法書に記された寓意画の解読結果が記されてる、ってことになってる。まあ、「水銀から金を作った」なんて話は眉唾ものだし、そのほかのほとんどの内容もオカルトの域を出ないって感じだね。

 

 ただね……ひとつだけ、あたしにとって気になる内容が書かれてあったんだ、この本には。

 

 賢者の石。

 

 錬金術では、貴金属を生成する際に使われる、いわば触媒のようなものとされている物質だね。ラメルが成功させた水銀から金を作る実験も、この賢者の石を使っておこなわれたとされてる。

 

 だけどあたしにとって興味深いのは、賢者の石が持つ、また別の側面。

 

 賢者の石はね、不老不死の妙薬であるとも言われてるんだ。

 

 フラメルと彼の夫人も、賢者の石の力で不老不死の肉体を手に入れたって伝説が残ってる。永遠の命を得たフラメル夫妻は世界史を裏で操りながら現代まで生き残り、今もひそかに世界を支配している……なんてのはさすがに与太話だけど。おもしろい話だとは思うけど、さすがに荒唐無稽なファンタジーだよね。

 

 でもね。

 

 賢者の石が不老不死の妙薬になるって話は、化学物質の合成法を象徴的に示唆してるんじゃないか、って説もあるんだよね。それも、現代でもまだ知られていない、未知の物質の。

 まあ、これだってオカルトマニアのあいだでまことしやかにささやかれてるってだけの説なんだけどさ。

 でも個人的にいろいろ調べてみた結果、これがあながちデタラメな説でもないんじゃないか、って気がしてきてさ。

 だから、実際にフラメルの本を手に入れて、本格的に検討してみたいって思ってたわけ。出回ってる偽書じゃなく、フラメルの原著にもとづいてね。

 

 で、『ヒエログラフス』を手に入れたあたしはさっそく、フラメルの記述を現代の科学理論にもとづいて読み解いたうえで、その内容にそって実験をやってみた。

 そうしたらさ、これ、うまくいけばマジにまったく新たな薬が開発できそうじゃん! ってなって。はじめは半信半疑だった志希ちゃんも、俄然ワクワクしてきちゃったんだよねー。

 

 それにさ……。

 ……ここからはバカな話として聴いてほしいんだけどね。

 

 あの人――あたしたちのプロデューサーが、さ。

 

 最近けっこう疲れてるように見えたんだよね。

 ほら、少し前からあたしたちの出る映画の企画を動かしてるとか言って、忙しく働いてたじゃん? 

 その合間にもCD発売だとかライブのプロモーションだとか、ほかの仕事もふつうに立て込んでたしさ、かなりのハードワークをこなしてたみたいなんだよね、ここ数ヶ月。

 あの人、あたしの実験室にもときどき顔を出してくれてたんだけど、会うたびになんかやつれてくような印象もあって。

 少しは休めば? って言ってもみたんだけど、みなさんのためですから、なんて言って全然聞く耳もってくれなくてさ。ほんとバカだよね、あの人。

 まあでも、自分たちのため、なんて言われたらむげにもできないし、だったらせめてなにか精のつくものでも差し入れてあげたいな、なんて思っちゃったんだよね。

 

 不老不死とは言わないまでも、とびきり元気になれるなにかをさ。

 

 フラメルの残した記述をもとに製造できる薬、それは、良質の栄養剤だと、あたしは見立ててた。

 あたしはその新薬を、賢者の石の伝説にちなんで、「エリクサー」と名付けることにした。エリクサーってのは賢者の石の別名なんだ。

 

 三ヶ月前くらいからかな。

 あたしはエリクサーの開発にとりかかりはじめた。

 開発は順調に進んだよ。もともと中世の知識や技術の水準で作られてたものだからね。当時は希少だった物質も今なら簡単に手に入るし、最新の機器を使えば大幅に時間を短縮できる工程も少なくなかった。

 

 でもひとつだけ、精製の最終工程で不可欠なのに、どこをどう探しても見つからない物質があってね……。

 

 フラメルは「ある種の山菜から得られた成分である」なんて書いてるんだけど、説明されてるその成分が、どう考えても現代の化学じゃ見つかってないものだったわけ。

 こりゃ困ったな、これマジに、魔術かなにかを使わなきゃエリクサーなんて作れないわけ? とか途方にくれちゃったよね。

 でも、なかば諦めかけてたとき、ふと見かけちゃったんだよね。

 

 裕子ちゃんが念力をかけてる横で、輝子ちゃんの持ってるキノコがぼんって胞子を吹き出すところを。

 

 なぜかピンときたんだよね。あっ、これかも。フラメルの書いてた山菜って、キノコのことなんじゃないの? って。

 それで、輝子ちゃんの鉢からキノコを欠片を失敬して、ちょっと調べてみたんだ。

 

 結論を言えば、当たりだった。

 

 輝子ちゃんのキノコから抽出した成分は、フラメルが言ってる成分と特徴が完全に一致してた。科学的に検討してみても、それがエリクサー精製に必要な成分であることはまちがいなさそうだった。

 

 ただ不思議だったのは、その成分、ふつうのキノコからはまったく抽出できなくて、裕子ちゃんが横で念力をかけた輝子ちゃんのキノコにしか含まれてていみたいなんだよね。

 

 もう笑うしかなかったよ。だって信じられる? 念力をかけただけでキノコの成分が変化しちゃうなんてさ。それこそオカルトだよ。フラメルも裕子ちゃんみたくキノコに向かって念を送ってたのかもなんて考えると、それも傑作だよね。

 

 もちろん、ちゃんと対照実験をしたわけでもないから、裕子ちゃんの超能力が本当にキノコの成分変化を引き起こしてるのかはわからない。でも、エリクサー精製に使えそうなのは、とりあえず裕子ちゃんが超能力をかけた輝子ちゃんのキノコしかない、これだけはたしかだった。

 

 あたしには、この事実だけで十分だった。

 

 だから、あたし、あの人に頼んだんだ。輝子ちゃんからちょっとキノコを借りてきてくれない、って。輝子ちゃんがあの人の机の下でキノコを育ててることは知ってたからさ。

 プレゼントを贈る予定の相手にそのプレゼント作りを手伝ってもらうなんて、それもおかしな話なんだけどさ。でも仕方なかった。エリクサー精製に必要な成分は、どうも放っておくと自然に分解しちゃうみたいで、裕子ちゃんが念力をかけてからすぐに持ってきてもらわなきゃならなかったから。あの人なら、輝子ちゃんの目を盗んでキノコを持ち出すことも可能でしょ?

 

 輝子ちゃんと裕子ちゃんに直接協力を頼まなかったのは、あたしがこんな実験してるってことを知られたくなかったから。恥ずかしかったし……いや、違うね。

 

 あたしは、プロデューサーを元気づけてあげる役目を自分だけのものにしたかったんだ。だからほかの誰にも、あたしがあの人のための薬を作ってるって知られたくなかった。ひとことで言えば、独占欲、ってやつだよ。

 

 ホント、バカだよね、あたしって。

 

 輝子ちゃんと裕子ちゃんがこれを読んでるかどうかわからないけど、謝らせてほしい。お友達を勝手に持ち出したり、超能力をおかしな実験に利用したりして、ふたりには本当に悪いことをしたと思ってる。

 

 ごめんなさい。

 

 あと、あの人は全然悪くないから、彼のことは責めないであげてほしい。悪いのは全面的にあたし。あの人はあたしに言われるがままにやっただけ。裕子ちゃんが横で超能力をかけた直後のキノコを持ってくるように指定はしたけど、なんに使うかとかは教えてなかったし。薬が完成するまで黙っておいて、あの人のことを驚かせたかったんだ。バカだよね、ホント。

 

 だからどうか、あの人のことだけは許してあげてほしい。

 

 ……そろそろあたしも辛くなってきたから、ちょっと急ぐね。書くべきことは、もうそんなに残ってないと思うから,もう少しだけ付き合って。

 

 あの人に持ってきてもらった輝子ちゃんのキノコを使って、あたしはエリクサーを完成させた。

 それが、一昨日のこと。

 あたしはさっそくこの部屋にあの人を呼び出して、できたてのエクリサーを渡した。特製のスタミナドリンクだって言って。

 わざわざ目の前で調合の最終工程まで実演してみせたりしてさ。自分でも、完全に浮かれてたと思うよ。

 あの人、なんだかんだ優しいからさ、効果もはっきりしない薬なのに、その場で小瓶一本分、なにも訊かずに飲み干してくれたよ。

 余った分は別の小瓶に分けておいたから、疲れたら飲んで、って言ってあの人に持たせた。ちょうど一ダース分あったかな。

 ……人が良いあの人のことだから、たぶん、仕事先とかでほかの人にも配ったんだと思う。

 飲んじゃった人もいるんだろうね。

 

 次にあの人がこの部屋を訪ねたきたのは、今日の夕方ごろだった。

 そのときにはもう、あきらかに様子がおかしかったよ。足元はふらついてるし、苦しそうに胸を押さえてるし。

 驚いて駆け寄ったあたしに、あの人は突然抱きついてきた。あたしはバカみたいに一瞬だけドキっとした。

 でもそのままあたしを床に押し倒したあの人は――なんにも言ってくれずに、あたしの右腕に噛みついた。

 痛いと思うより先に、混乱したよ。

 だってあの人の顔つきが、あきらかにふつうじゃなかったから。死人みたいに青白い顔色のくせして、目だけは真っ赤に血走っててさ。

 あの人の吐く息から、キノコの臭いがした。

 それであたしは直感した。エリクサーのせいだ、って。

 あたしはのしかかってくるあの人を突き飛ばした。まだ肉体の変化になじんでなかったみたいで、あたしでもなんとかまだ抵抗できた。

 言葉もまだ話せるみたいだった。体中が熱いとか女の子を見たら無性に食べたくなるとか、苦しそうにうめいてた。

 なんとかしてあげたかった。

 でも、どうしようもなかった。

 あたしはあの人に殺されてもいいと思った。あの人の食べ物になってもいい、と思った。

 それであの人が苦しまずにすむのなら。

 だけどあの人は、そんなことはできないって言って、この部屋から飛び出していった。たぶん、最後に残った理性を振り絞ったんだと思う。

 あたしはあの人を追いかけようとした。だけどそのとき、右腕がズキリと痛んだ。自分の腕に、彼の歯型がついていた。血が滲んだその傷跡を見て、あたしは嫌な予感がした。いそいでネットをつないで、外の状況を調べた。あたしの予感は、当たってしまった。

 そのときにはもう、あの人と同じような症状を呈した人たちが、ほうぼうで周囲の人に噛みつく騒ぎを起こしていた。

 ネット上に似たような報告が次々と上がってきて……なにが起こってるのか、それだけでもだいたい分かったよ。

 

 血液感染するウイルスによる感染症。

 そのパンデミック。

 

 あたしが軽い気持ちで作った薬が、世界を混乱に陥れようとしてた。

 

 この部屋にひとり取り残されて、仰向けになって白い天井をぼんやり眺めながら、あたしは考えた。あたし、どうすればいいんだろう、って。

 

 ふと、右腕についた歯型が目に入った。あの人の歯型。傷跡から少し血がにじんでいた。あたしはその血を舌で舐めた。

 

 あの人の匂いがした。気のせいかもしれないけど。

 

 あたしはゆっくりと身を起こした。しなきゃいけないことは、もうわかってた。

 

 あたしはまず、エリクサーの成分を解析し直すところから手をつけることにした。手間がかかっても、薬理作用を阻害する方法を考える手がかりになると思ったから。

 自分にはもうあまり時間がないことはわかってた。あの人に噛まれたあたしも、いずれ近いうちに彼と同じ症状を発症する。それまでになんとか治療薬開発の糸口だけでも……と思って、あたしはがむしゃらに分析と調合を繰り返した。

 

 奇跡、って言っていいのかな。

 

 エリクサーの効果を中和できる、言ってみれば解毒剤を、手持ちの材料だけで調合することができたんだ。

 

 二番テーブルの試験管に入ってる液体が、その薬。

 

 ただ、この薬に効果があるのか、その時点ではわからなかった。血液感染によって引き起こされた症状を治療できる見込みに至っては、まったくないと言っていい。症状を引き起こしてるウイルスが人体に寄生するうちに変異していたら、この解毒剤はまったく効果がないかもしれない。

 

 実際に試してみる必要があった。そういう意味では、あたしがあの人に噛まれてたのは、ある意味でラッキーなことだったのかもしれない。どこかから被験者になれる人を探してくる手間が省けたのだから。

 

 あたしはできたばかりの解毒剤を飲み下した。迷いはなかった。

 

 ……エリクサーだってあの人に飲ませる前にまずあたしが自分で試せばよかったんだよね。そうしたらあの人は苦しまずにすんだのに。ふたりで作った薬をあの人にいちばんに飲んでもらいたいなんて、あたしの子どもっぽいわがままが、今回の件のすべての元凶なんだね、きっと。

 

 解毒薬を飲んでから、今で二時間くらい経ってるかな。

 あたしはまだ発症に至っていない。だけど本当に効果が出ているのかどうか、正直まだわからないんだ。いちおう三十分ごとに採血をして、あとで経過を解析する用意は整えてあるけど……まあ無責任な話だけどさ、実験データが取れたとして、あたし自身が薬を完成させるのはもう無理かなー、って思ってるんだよね。

 体にはまだあの人みたいな症状はあらわれていないけど、だんだん体力が落ちてきてる気がするのもたしか。結構呼吸が苦しくなってきてるし、眠気も強くなってきてる。解毒剤の副作用ならまだいいけど、これが感染したウイルスによる症状かもって思うと、そのほうがぞっとする。

 

 いずれにせよ、たぶんあたしはもう助からないと思う。

 

 だからあたしはこれを読んでくれてるキミに、バトンを受け取ってほしいと思ってる。

 

 エリクサーとその解毒剤の成分データと調合法、それらを服用したあたしの体に現れた所見。これらは一冊の実験ノートにまとめてある。

 薬の実物ももちろん残してあるし、採取した血液サンブルもある。

 あとは、あたしが参考にした『Hieroglyphs allegorica』の原典。

 

 これだけのものをしかるべき機関に届けてほしいんだ、キミには。

 

 届け先の候補も、実験ノートにいくつか書いておいたから、参考にしてほしい。どこもあたしが知ってる優秀な科学者がいる研究機関だから、信頼できると思う。少なくともあたしよりは、ね。

 

 実験ノートは二番テーブルの引き出しに入れておくね。目印として『ヒエログラフス』をテーブルの上に置いておくよ。エリクサーと解毒剤、それに血液サンプルは、奥の準備室にある冷蔵保管庫に仕舞っておくことにした。全部バッグにまとめて入れてあるから、それをそのまま持ち出してくれればいいよ。

 

 それと、できればあたしの体も届け先の機関に回収してもらえるよう頼んでくれないかな。たぶん、体細胞やらなんやらが検体として使えるから。

 

 感染が拡大して、万が一にも、治療薬を開発できる研究機関までやられちゃったら手遅れになりかねないから、なるべく急いで動いてくれると助かるな。こんな長々とした告白文に付き合わせたあたしが言うことじゃないのかもしれないけどさ。

 

 ああ、これでなんとか、書くべきことは全部書けたみたい。途中で発狂して中途半端になっちゃったらどうしようって、これでも結構ヒヤヒヤしてたんだよ? 錬金術の真似事なんてしようと思った時点でおまえは狂ってたんだって言われたら、反論のしようがないけど。自分が学者だなんて胸張って言えたことなんてなかったけど、今日ほど自分には白衣をまとう資格がないと思った日はなかったよ。こんなこと、人生の最後の最後まで気づかないなんて、あたしってほんとどうしようもないよね。

 

 ひょっとしたらこの部屋の外はもうひどい状況になってるのかもしれないけど、キミならきっと切り抜けられると、あたしは信じてるよ。これを見つけてくれてるとしたら……小梅ちゃんあたりかな? 単なる勘だけどさ。違ってても気を悪くしないでね。

 

 ……最後にあとひとつだけ。

 

 できればさ、あの人のことも助けてあげてほしいんだ。

 あの人こそ、バカなあたしのいちばんの被害者だから。

 

 あたしの最後のわがまま、聴いてくれると、嬉しいです。

 

 

 Dear my friend

 Shiki ICHINOSE

 

 

 *

 

 

「に、二番テーブル! って、どれだ!?」

「本が置いてある……あれか!」

 

 志希の告白文を読み終えるやいなや、一同は古めかしい本が乗った実験テーブルへ急いだ。そこは奇しくも、志希が下で眠っていたテーブルだった。いちはやく到着した凛が引き出しを開け、中を探る。

 

「あっ! こ、これじゃない!?」

 

 目的のものは難なく見つかった。凛がページを開いた大学ノートを、小梅たちは両隣から覗き込む。英語と日本語が入り混じったメモ書き、日付や時刻、気温とおぼしき数字、それに化学式らしきものが見て取れた。そして、最後のページには、大学の研究室や製薬会社の研究所と思われる名称がいくつか走り書きされていた。

 

 小梅はノートから目を上げ、重々しくうなずいた。

 

「……間違いないと思います。これが、志希さんが残した実験ノートでしょう」

 

 もちろん書かれた内容までは理解できないが、状況から見て、これしかないだろう。やや丸みを帯びた文字に見覚えがある。

 

 ただ、終わりに近いページになると、かなり筆跡に乱れも見られた。まるで、苦しさに耐えながら書きつづったみたいに。……志希は最後の力を振りしぽって、自分たちにこのノートを残してくれたのだ。そう思うと、ぎゅっと胸が締めつけられた。

 

「ヒエロなんとかってのは、こいつか……」

 

 夏樹が古書を手に取り、ページをめくっていた。紙はかなり茶色く変色しているが、厚手の表紙はあまり傷んでいない。中世の書とのことだが、おそらく後世に装丁などは修復されてきたのだろう。

 

「あ、あとは……そうだ! 薬! 奥の部屋!」

 

 弾かれたように振り向いた未央は、部屋の奥にあるドアへ飛びついた。この部屋はもともと会議室だったらしく、隣接する応接室とは中の扉からも行き来できるようになっている。志希はその小部屋を実験準備室として使用していた。

 

 準備室へ入った未央は、小梅たちの追随を待たず、すぐに戻ってきた。その手には平たい箱のようなものを持っている。

 

「冷蔵庫みたいなの中にあった! たぶんこれだよね!? 志希にゃんが言ってた、薬を入れたバッグって!」

 

 未央は持ち出してきたものを実験テーブルの上に置いた。ジュラルミン製のアタッシェケースのようだった。サイズは一般的なビジネスバッグと同程度。表面はくすんだ青色に塗装されている。

 

 小梅はみなに目で合図を送ってから、ロックを外してケースの蓋を開けた。

 

「これが……!」

 

 中に入っていたものを見て、小梅は息を呑んだ。中にはウレタン製の内部ケースがあつられられており、格納用の溝に小さな筒のようなものがいくつか収まっていた。薬品を入れるサンプル容器だろう。赤褐色の液体が詰まったものと、翡翠のような緑色の液体が詰まったものが、それぞれ三本ずつあった。ケース内部には保冷剤かなにかも入っているようで、ひんやりと冷たい。

 

「……これが、エリクサーってやつと、その解毒剤?」

 

 薬品サンプルへ目を落とし、凛が言った。

 

「おそらく……。赤いほうがエリクサー、緑のほうが解毒剤でしょう」

 

 容器にはそれぞれラベルが貼り付けられていた。これもアルファベットで書かれていたが、赤褐色の薬品のほうに付された「elixir」という綴りくらいは読み取ることができた。

 

「てことは、こっちは……」

 

 薬品サンプルと並べて収められていた小型のチューブに、奈緒が目を移した。チューブは計八本あり、それぞれに、番号と日時と思われる数字を記したラベルが貼られていた。

 

「血液サンプルです。志希さんの……」

 

 一同は押し黙った。親指大ほどの小さなチューブに小分けにされた赤黒い血。そんなもの、志希本人とは似ても似つかないはずなのに、小梅の脳裏にはなぜか、子猫のようにいたずらっぽく笑う志希の顔が浮かんだ。

 

 まるで黙祷を捧げているかのような沈黙が少し続いたあと、やがて輝子が重たそうに口を開いた。

 

「わ、私のトモダチが……す、すまない……」

 

 志希のエリクサーの精製には、輝子が育てているキノコが使われていた。輝子が胸を痛めるのも無理はない。

 

 沈痛な面持ちでうつむく輝子を見て、裕子も胸を詰まらせたように小さく叫んだ。

 

「そ、そんなことを言ったら、私だって……っ!」

 

 志希の告白文には、裕子の力もエリクサー精製に関係していると書かれていた。真偽のほどは自分たちには判断できないが、裕子が責任を感じてしまう気持ちはわかる。だけど……。

 

 小梅はふたりに近づく、そっとその手を握った。

 

「起こってしまったことは不幸だけど……でも、これはきっと誰のせいでもない……よ。輝子ちゃんのせいでも裕子さんのせいでも……志希さんのせいでも」

「小梅ちゃん……」

 

 裕子はまぶたに涙を溜め、小梅を見返した。輝子も涙をこらえたような表情で小梅を見つめていた。

 

 夏樹が背後からふたりの肩に手を置いた。

 

「小梅の言うとおりだ。おまえらのことを責めるやつなんざいねえさ。万が一そんなやつがいたら……安心しな。あたしがぶっ飛ばしてやるさ」

 

 夏樹は白い歯を見せて笑う。

 

 それを見た裕子は、いちどうつむいて右腕で目元を拭い、勇ましく顔を上げた。

 

「そうですよね……落ち込んでなんていられませんよね! 志希さんも書いていたとおり、私たちはこの世界を救わなきゃいけないんですから!」

「世界を救うって……そんな大げさな話だったか?」

 

 奈緒が苦笑まじりに返し、少し場が和んだ。ずっと気を張り詰めていたから、なんだか少し気持ちが軽くなった。

 

「でも……あながち大げさじゃないかもね、世界を救うっていうのも。もしこの薬でゾンビを治せるのならさ……」

 

 凛がそうつぶやくと、卯月が少し不安げな表情を浮かべて小梅を見た。

 

「このお薬、ちゃんと効果があるんですよね……?」

「……私たち素人ではなんとも判断できません。でも……」

 

 小梅は目線を下げ、テーブルの下で静かに眠る志希を一瞥した。

 

「ゾンビに噛まれたからなのか、それとも薬の副作用かなにかのためなのか、志希さんの死因はわかりませんが……ただ、志希さんの体にゾンビ化の兆候が現れていないことはたしかです。解毒剤の効果に……希望を持ってもいいと思います」

 

 自分自身に言い聞かせるように、小梅は語気を強めた。今はとにかく、可能性に賭けるしかない。

 

 みなも異論はないようだった。夏樹が全員の顔を見渡してから、薬と血液サンプルが詰められたアタッシェケースの蓋をそっと閉じた。

 

「じゃあ、こいつを志希が勧めてる研究機関ってやつに届ける。それでいいな?」

 

 首肯をためらう者はいなかった。ここまでくればもうあとには引けない。

 

「志希が命賭けて残してくれたもの……だもんね」

「プロデューサーも、この薬で元通りにできるかもしれないしね……」

 

 凛がそうつぶやくと、卯月が少し不安げな表情を浮かべて小梅を見た。

 

「このお薬、ちゃんと効果があるんですよね……?」

「……私たち素人ではなんとも判断できません。でも……」

 

 小梅は目線を下げ、テーブルの下で静かに眠る志希を一瞥した。

 

「ゾンビに噛まれたからなのか、それとも薬の副作用かなにかのためなのか、志希さんの死因はわかりませんが……ただ、志希さんの体にゾンビ化の兆候が現れていないことはたしかです。解毒剤の効果に……希望を持ってもいいと思います」

 

 自分自身に言い聞かせるように、小梅は語気を強めた。今はとにかく、可能性に賭けるしかない。

 

 みなも異論はないようだった。夏樹が全員の顔を見渡してから、薬と血液サンプルが詰められたアタッシェケースの蓋をそっと閉じた。

 

「じゃあ、こいつを志希が勧めてる研究機関ってやつに届ける。それでいいな?」

 

 首肯をためらう者はいなかった。ここまでくればもうあとには引けない。

 

「志希が命賭けて残してくれたもの……だもんね」

「プロデューサーも、この薬で元通りにできるかもしれないしね……」

 

 凛と未央が口々に言った。

 

 そうだ。この解毒剤を完成させれば、プロデューサーを救えるかもしれない。小梅たちはもともとそのために志希を探していたのだ。その志希こそがプロデューサーをゾンビにしていたことには驚かされたが、だからこそ志希もまた、プロデューサーの回復を願っている。

 

 同じ未来を夢見ているのだ。志希も含め、ここにいる全員が。

 

「ああ、そういえばさ――」

 

 奈緒がテーブルの下へ目をやった。

 

「志希のことは……どうする? さっきのメモには検体がどうとかって書いてあったけど……」

 

 志希は、血液サンプルを提供するだけでなく、死後は自分の体を病理解剖に回すことも希望していた。解毒剤の開発に役立ててほしいというのだ。ただ……。

 

 小梅は志希のかたわらにしゃがみこみ、彼女が脱ぎ捨てた白衣を手に取った。

 

「……私たちだけでは、さすがに連れていくことはできません。心苦しいですが、後日遺体を回収してもらえるよう頼むしか……」

 

 凛がすっと隣に座り、小梅の肩を抱いた。

 

「つらいけど……そうするしかないね。でもせめて、どこか広いところへ寝かせといてあげない? ここじゃ、志希も安心して待っていられないでしょ? きっと」

 

 優しげに目を細める凛に、小梅も穏やかな笑みを返した。

 

「はい……そうですね」

 

 志希の遺体は、みなで協力して奥の実験準備室へと運び込んだ。当然ベッドなどはなく、結局のところ床に寝かせるしかなかったのだが、控え室から持ってきていたブランケットを敷いて、なんとか格好をつけた。胸の前で手を組ませ、上からもブランケットをかぶせてやり、一同はしばらくのあいだ祈りを捧げた。

 

 最後に、小梅は志希がいつも羽織っていた白衣を彼女にかけてやった。

 

「志希さん……あなたは最後まで立派な科学者でした。必ず迎えにきますから、少しだけ待っていてください」

 

 穏やかな表情で目を閉じる志希は、かすかにだけれど、微笑んでいるようにも見えた。


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