シンデレラガールズ・オブ・ザ・デッド   作:電柱保管

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「こっちだ! 入れ!」

 

 バックヤードへ続く間口の前まで来たところで、夏樹は振り返って小梅たちに先をうながした。

 

「はあ、はあ……」

 

 小梅たちが間口へ駆け込むと、夏樹は脇にのけてられていたテーブルを抱え上げ、壁に立てかけるようにして間口を塞いだ。

 

 小梅の視線に気づくと、夏樹はニヒルな笑みを返してきた。

 

「連中、どういうわけかこっちまでは入ってこねえけど、ま、念のためな」

 

 夏樹は小梅の背中を優しく押し、バックヤードの奥へエスコートした。

 

 いかにも業務用然としたキッチンを抜け、一行は奥の部屋へ。

 

 室内に入るなり、未央は倒れ込むようにして近くにあったパイプ椅子に腰を落とした。

 

「未央、大丈夫!? どこも怪我してない!?」

 

 凛が未央の肩を揺さぶった。

 

「あ、ああ……。とりあえず、大丈夫みたい」

 

 未央がぎこちない笑みを返すと、凛は安堵のため息を落とし、うなだれた。長い髪がはらりと垂れる。

 

 小梅も未央の全身にざっと目を走らせたが、怪我を負っている様子は見受けられなかった。

 

「念のため、服の下も確かめておいてください。噛まれたり引っかかれたりしてないか……。小さな傷があるだけでもゾンビウイルスに感染するおそれはありますから」

「う、うん、わかった」

 

 未央は少し顔をこわばらせると、いそいそとジャージの上着を脱ぎはじめた。

 

「背中……あたしが見るよ」

 

 奈緒がそう買って出て、未央の背後に回る。

 

 あわただしく動きまわる小梅たちを見て、夏樹が憐れんだように目を細める。

 

「たいへんだったみたいだな、おまえらも」

 

 夏樹は部屋の隅に積まれていたダンボール箱のほうへ向かった。中から取り出したのは、小型のペットボトルだ。

 

「ほら、これ飲んでおちつけ」

 

 夏樹は未央と凛に一本ずつ緑茶のペットボトルを差し出した。

 

「小梅ちゃんたちもどうぞ。たくさんありますから、遠慮なさらず」

 

 裕子も同じダンボールからペットボトルを抱えてきて、一本ずつ小梅たちに配る。

 

 それを受け取るやいなや、卯月が瞳をうるませた。

 

「ぶ、無事だったんですね、裕子ちゃんも輝子ちゃんも……。よかったあ……」

 

 裕子は弾けるような笑顔を返す。

 

「はいっ、危ないところでしたが、私のサイキックパワーで敵を一蹴したのです!」

「夏樹さんが……助けてくれた」

 

 ポーズを決める裕子の隣で、輝子があっさりと真相を暴露した。

 

 小梅たちの顔は自然とほころんだ。こんな気の抜けた雰囲気も久しぶりな気がする。

 

「えっと、ここって……?」

 

 ジャージを着直しながら、未央が室内を見回す。奈緒も同様に殺風景な室内に視線を巡らせている。どうやら未央はどこも怪我をしていなかったようだ。

 

「このカフェで働いていたやつらの休憩室だったみたいだな」

 

 夏樹がパイプ椅子に腰を下ろしながら答えた。

 

 休憩室、と言われるとたしかに納得できる。部屋の中央には中央に長テーブルと数脚のパイプ椅子が並び、小型のパイプワゴンの上には電気ポットが置かれていた。壁に掛けられたホワイトボードに目を凝らせば、アルバイトのシフト表などのようなものも書かれている。

 

「ふふん、なかなかいいところでしょう?」

 

 裕子がまるでここが我が家とでも言わんばかりに、自慢げに胸を張る。

 

()()()()()も入ってこないですし、飲み物も食べ物もたくさんあるので、夏樹ちゃんに助けてもらってから、私たち、ここに隠れていたんですよ」

「さっきも言ってたけど……夏樹に助けてもらったって?」

 

 凛は裕子ではなく、輝子のほうを向いて訊いた。

 

 輝子は凛から微妙に視線を外しながらも、ぼそりと口を開く。

 

「み、みなさんと別れたあと……、私と裕子ちゃんは、一緒にト、トイレへ行った」

 

 輝子が語りだすと、小梅たちは思わず身を乗り出した。輝子たちが控え室を出た直後ということは、まだ事務所内に多くのゾンビの徘徊していた頃のはずだ。そんな危険な状況を輝子たちはどう切り抜けたというのか。

 

 輝子はいつのまにか、小型の植木鉢を両手に抱いていた。彼女がいつも持ち歩いているキノコの鉢だ。輝子はそのキノコにしゃべりかけるようにして話を続ける。

 

「ト、トイレを済ませて、そ、それから……プロデューサーの部屋へよ、寄った……」

「え――」

 

 思わぬ名前が飛び出し、小梅たちは一様に目を丸くした。

 

「プ、プロデューサーの部屋って……?」

「はい。上の階にあるお部屋です」

 

 ハキハキと応じたのは裕子だった。上の階というのはもちろん、今いる建物ではなく、小梅たちがもともといた建物の上階という意味だ。小梅たちのプロデューサーをはじめ、数人の事務所スタッフのデスクが置かれている一室がある。ここにいる者はみな、いちどは訪れたことがあるはずだ。

 

「ト、トモダチの様子を見に……行ったんだ」

 

 輝子が口元をひくつかせる。こう見えても微笑んでいるのである。

 

「あ……プロデューサーさんの机でキノコを育ててるんだっけ、輝子ちゃん」

 

 小梅が思い出して言うと、輝子はこくりとうなずいた。

 

「せ、正確には、机の下、だ……。みんな、ジメジメしたところが好きだから……。あ、あと、キノコじゃなくて、トモダチ……」

「あ、うん……ごめん」

 

 小梅が素直に謝ると、輝子は満足げに口元をひくつかせた。輝子は自分で栽培しているキノコ類を「トモダチ」と呼んでいる。会話もできるらしい。

 

「そ、それで……、大丈夫だったのかよ? あの人の部屋なんか行って……」

 

 奈緒が息を呑む。そのときすでにプロデューサーがゾンビ化していたら……と考えたのだろう。

 

 しかし輝子は不思議そうな顔つきで奈緒を見返した。

 

「へ、部屋のなかには誰もいなかった……んだ。トモダチも元気だったから、ひ、控え室に戻ろうと思った。そしたら……」

「廊下で、あの人たちに出くわしたんです……」

 

 話を引き継いだ裕子は、そのときのことを思い出したのか、めずらしく表情を暗くした。

 

 それだけで、彼女たちの身に起きたことは容易に想像できた。小梅たちと同じように、裕子たちもゾンビに襲われていたのだ。

 

「最初はどこかで会議でもあったのかなって思ったんです。みなさん、事務所の社員さんだってことはわかりましたから……。けど、なんか様子が変で……。こう、みんな青白い顔をしてて、それで、私と輝子ちゃんを見つけたら、訳のわからないことを言いながらみんなしてこっちに押し寄せてきて……」

 

 身振り手振りをまじえて恐怖の場面を再現する裕子を見て、卯月が憂い顔を浮かべる。

 

「よく……ご無事でしたね……」

 

 裕子は卯月に力なく笑いかえした。

 

「もうダメかと思ったんですけど、ちょうどそのとき、下の階から大きな物音がして。あの人たち、そっちが気になったのか、みんなして階段のほうへ行っちゃったんです」

「大きな物音?」

 

 小梅は眉をひそめた。

 

「ええ、なんていうか……大きな物が倒れるっていうか、壁に物がぶつかった、みたいな?」

「あ……ひょっとして……」

 

 小梅はようやく、裕子が聞いたという物音の正体に気づいた。

 

 下の階で壁――というか、大きな物体が天井にぶつかった出来事に、ひとつ思い当たるものがある。

 

 あのときはまだ理性を失った状態だったプロデューサーが、目一杯に跳び上がって、天井に頭をぶつけた――。

 

 ……あの音が期せずしてほかのゾンビをおびき寄せていたのか。それによって裕子たちが九死に一生を得たというのなら、皮肉というか、奇遇な話だが。

 

「ヤ、ヤツラが気をそらした隙に、わ、私たちは廊下の反対側に……、は、走って逃げた」

 

 輝子がその後の行動を説明すると、裕子が続きを引き受ける。

 

「あの人たちみんなエレベーターのほうへ向かっていたので、私たちは反対側の階段から下に降りたんです。いったんみなさんのところへ戻ろうと思ったんですが……」

「あいつらがいたせいで、廊下を通れなかったのね?」

 

 凛が先を急ぐと、裕子は深刻そうにうなずいた。

 

「仕方なく、私たちは外に出ることにしました。そのほうがまだ安全だと思ったんです」

「でも、庭のほうにもたくさんいたでしょう……()()()()()

 

 卯月が心配そうにたずねた。裕子は苦笑いで応じる。

 

「ええ、まあ。ただ、廊下よりは道が広くて動きやすかったですから、なんとか逃げられたんです。でも、正門のほうにはいっぱいいて抜けられそうになかったので、裏へ回ろうと、中庭へ向かったんです。ですが……」

「ここからはアタシが話そう」

 

 渋めの声が割り込んできた。夏樹だ。

 

 そういえば裕子たちは、夏樹に助けられたと言っていた。

 

「ちょうど、アタシがギターでヤツラに応戦しはじめたころだったな。裕子がヤツラに囲まれてるのが見えた。それで、あわてて助けに入ったってわけだ」

「ちょ、ちょっと待って」

 

 凛がとまどいぎみに夏樹の口を止める。

 

「ギターで応戦って……どういうこと?」

「ああ、悪い。アタシのほうも最初から話したほうがいいのか」

 

 夏樹は咳払いを入れて調子を整えると、訥々と語りはじめた。

 

「アタシは今日、ライブの打ち合わせがあって事務所に来てたんだが、仕事が終わったあと、中庭でギターを弾いてたんだ。いつもどおりな」

 

 木村夏樹は自他ともに認めるロックミュージック好きのアイドルだ。本人の言葉どおり、ふだんからよく中庭のベンチに座ってギターを鳴らしている。

 

「まあ、アタシはいつもと変わらず気持ちよく()()と遊んでたんだが、そのうち、カフェのほうに妙な動きをする連中がいることに気づいてな」

 

 夏樹は中庭のほうを振り返った。

 

「最初はたいして気にしちゃいなかったんだが、アタシがお気に入りの一曲を弾いてるあいだに、いつのまにか妙な連中の数が増えてたんだ。気がつきゃ、中庭はヤツラであふれかえってるありさまさ」

 

 夏樹は肩をすくめた。多少は誇張もあるのだろうが、中庭の状況を思い起こせば、夏樹の語るゾンビの急増は実際に起きた現象なのだろう。

 

「そ、それでよく無事だったね、夏樹……」

 

 未央が呆れとも感嘆ともとれる複雑な表情を浮かべる。たしかに気がつかなかったとはいえ、目の前をゾンビが闊歩する状況下でギターを弾きつづけるとはたいした肝の座り方である。

 

 だが夏樹は苦笑いを未央に返す。

 

「まあ実際、まわりを囲まれて、危ないところだったけどな。でも、あいつらがギターの音に反応するってわかったおかげで、なんとか逃げ出せたってわけさ」

 

 そこで、奈緒がはっと目を見張る。

 

「ゾ、ゾンビは音に反応する!」

「やっぱり、おまえらも気づいてたか」

 

 夏樹は奈緒に不敵な笑みを返すと、すぐ脇の壁に立てかけてあったアコースティックギターを手に取った。

 

「アタシも偶然に気づいたんだが、どうもあいつら、()()()()()()()()()らしいな。こっちのコードだと気に入って寄ってくるし、こっちだと反対に嫌そうな顔して離れていっちまう」

 

 夏樹は二種類の和音を弾きくらながらそう説明した。

 

 その説明を聴いて、小梅は面食らう。

 

「ち、ちょっと待ってください。今の話、本当なんですか? 音の違いによってゾンビの反応の仕方が変わるって……」

「なんだ、おまえら? それを知ってたから、音楽を鳴らしてあいつらを撹乱しようとしてたんじゃないのか?」

 

 小梅たちはとまどいを隠しきれない互いの顔を見合わせた。

 

「いや、私たちはあいつらが音のするほうへ寄ってくるとしか……」

 

 凛が恥を忍ぶようにして告白すると、夏樹はなにか得心がいったのか、大きく頭を縦に振った。

 

「なるほどな。だからさっき、未央があいつらに囲まれちまってたのか」

 

 そのとおりだった。面目ない気持ちになり、小梅は目を伏せる。ゾンビのことならなんでも知っているような顔をして、その実、中途半端な知識がすべてだと思いこんでいただけだった。夏樹の話で、それを思い知らされた。

 

「ごめん……なさい」

 

 なんだかいたたまれなくなって謝ると、夏樹は驚いたように目を見張ったあと、ぷっと小さく吹き出した。

 

「別に謝ることじゃねえだろ。こんな訳のわからねえ状況じゃ、誰もなにも知らなくて当然だろうよ」

 

 あっけらかんと言うと、夏樹はギターを丁重に壁際へ戻した。

 

「さっきも言ったが、アタシだって気づいたのはたまたまだ。まあ強いて言えば……助かったのは、こいつのおかげかな」

 

 夏樹は愛用のギターを慈しむように見つめた。

 

「そう……ですね」

 

 小梅はようやく頬を緩ませた。たしかに、ゾンビと遭遇したときに楽器を携えているなど、そうあることではない。幸運――いや、夏樹にとっては、めぐりあわせとでも言うべきか。

 

「わ、私たちも……、な、夏樹さんのギターに……助けられた」

 

 輝子が話を本筋に戻すと、それを受けて、裕子が少し顔をこわばらせた。

 

「私……中庭に駆け込んだところで、なにかにつまずいて転んでしまったんです。それであの人たちに囲まれてしまって……。でもそこに、夏樹さんがさっそうと現れたんです!」

 

 その場面を思い出したのか、裕子は鼻息を荒くして拳を固めた。小梅たちは、ついさきほど、未央の窮地に現れた夏樹の姿を思い出していた。

 

「すごかったんですよ、夏樹ちゃん! ギター一本であの人たちをバッタバッタとなぎ倒して! あれはまさに、サイキックパワーでした!」

 

 キラキラと目を輝かせる裕子。

 

「だから、別に超能力とかじゃねえって言ってるだろ」

 

 賞賛された夏樹のほうは対照的に苦笑を浮かべた。きっと同じやりとりが何回かおこなわれているのだろう。

 

「あ、超能力といえば――」と、ここで妙な連想を働かせたのは、奈緒だった。

 

「さっきの、あれ。輝子と裕子が懐中電灯であいつらを倒してたやつ。あれはいったいどういう仕掛けなんだ?」

 

 夏樹がひょいと奈緒のほうに顔を向けた。

 

「ああ、あれはな―-」

「サイキックパワーです!」

 

 釣られて裕子のほうを向いてしまった一同をコツコツと指で机を鳴らして呼び戻すと、夏樹はあらためて奈緒の疑問に答えた。

 

「連中、強い光を当てられるとひるむみたいでな。アタシのギターに加えて、あいつらを追っ払うときに使ってるのさ」

「そうだったんだ……」

 

 小梅は素直に感心した。ゾンビが光の刺激に弱いこともあまり意識していなかった。むしろ外灯などの光に集まるものと思っていたくらいだ。音の件もそうだが、彼らには刺激に対する閾値みたいなものがあって、弱い刺激は好むけれど、度を超すと今度は逆に忌避するようになる、ということかもしれない。

 

 凛も感心しきりといった顔つきで夏樹たちを眺めた。

 

「でも……よく気づいたね、それも。懐中電灯なんて、別に持ち歩いてたわけじゃないでしょう?」

「ああ、それはな……」

 

 夏樹はなぜか少しバツが悪そうに視線をそらし、人差し指で眉を掻いた。

 

「……ここに逃げ込んだあとも、ちょくちょく外へ出て、見回りをやってたんだ。誰かほかに逃げまわってるやつらがいないか、探してな」

「え――」

 

 小梅は大胆な行動に驚いただけだったのだが、夏樹は照れくさそうに目を伏せた。恥ずかしがる理由もないと思うが、勇んで人助けに向かうことだったり、あるいは自分の活躍を自慢げにひけらかすことだったりが、夏樹にとってはあまり格好のいい真似には思えないのだろう。

 

「もちろん私もお手伝いしましたよ! サイキックパワーを駆使して!」

 

 裕子が片手を前に突き出す。……夏樹とはずいぶん価値観が違うようだ。まあ、夏樹は美学の違いくらいで他人と仲違いするほど了見の狭い人ではないと思うが。

 

「私たちのことも、それで見つけてくれたの?」

 

 凛が訊くと、夏樹ははにかんだ顔を返した。

 

「そういうことだ。ちょうど出かけようとしてたところだったけどな。そうしたらおもてのほうが騒がしくて、音楽も聞こえてきたからあわてて出ていったら、おまえたちが泡食ってるところだったってわけさ」

「あ――その節は、本当にありがとう、夏樹。本当に助かったよ」

 

 未央が改まって頭を下げる。

 

 夏樹はまた照れくさそうに顔をそむけ、ひらひらと手を振った。

 

「礼なんていいって、別に。アタシらが勝手にやったことだ。それより――」

 

 夏樹は顔を前に戻し、表情をあらためて小梅たちを見渡す。

 

「今度はおまえらの話を聴かせてくれよ。裕子たちの話を聴くかぎりじゃ、おまえらも今までずっと向こうの控え室にこもってたわけだろう? それがなんでまた、急に外に出てきたんだ?」

 

 小梅たちは互いの顔を見合わせた。別に隠す必要はない。無言の相談をすべき事柄は、誰の口から説明するかという一点だけだった。

 

「少し長い話になりますけど……」

 

 結局、なんとなくうながされて小梅が切り出した。裕子たちが出ていったあと、あの部屋で自分たちの身に降りかかった出来事。小梅はそれをあますところなく夏樹に語って聴かせた。

 

「そ、そんな、プロデューサーが……」

 

 プロデューサーがゾンビになって襲いかかってきたという話を聴いて、裕子の顔には目に見えて動揺の色が広がった。無理もない。日頃世話になっていた恩人が凶暴化したなど、聞くに堪えない話だろう。

 

「さ、幸子ちゃん……」

 

 輝子は幸子の最期を知って、かなりショックを受けていた。もともと小梅たちと一緒にいたはずの幸子の姿がなかったから、うすうす勘づいてはいたのだろうけれど、あらためて不幸を聴かされると、やはり堪えるものがあったらしい。輝子はうつむいて、きつく唇を噛み締めていた。

 

「……なるほどな。それで、志希の実験室へ向かってたってわけか……」

 

 小梅たちの目的を知って、夏樹が考え込むしぐさを見せる。冷静さを装ってはいるが、もちろん彼女とて少なからず動揺しているはずだ。その証拠に、小梅の話を聴くあいだに組み合わせていた脚が、少し前からずっと小刻みに震えていた。

 

「……志希の実験室は、となりの建物の中にあるんだよな?」

 

 夏樹がわずかに視線を動かす。小梅はうなずいた。

 

 夏樹は「そうか」とつぶやくと、うつむいて眉根を揉んだ。

 

「アタシらも一階までは見回りに行ったんだ。明かりが消えてて暗かったから、上までは行けずに引き返してきたんだけどな」

「そ、そうだったんですか」

 

 思いがけない情報に、小梅は目を瞬かせた。夏樹たちは本当に、この周辺をくまなく探索していたらしい。

 

「明かりがなかった――ってことはつまり、向こうの建物では、非常電源がうまく働いてないってこと?」

 

 凛が顎に手にあてて、眉間にしわを刻む。

 

 つづいて卯月が、不安げに視線を揺らしつつ考えを口にする。

 

「で、でも、中には入れた……ってことですよね?」

「あいつらはいなかった……ってことか?」

 

 奈緒がたずねると、夏樹はこくりとうなずいた。

 

「アタシらが行ったのは、日が落ちてだいぶしてからだったからな。ヤツらがいた痕跡はあったが、アタシらが入ったときにはもう姿は見当たらなかった。ここもそうだが、暗くなってからは連中、なぜか建物の中までは入ってこようとしねえんだ」

「あっ、あれか……、ゾンビは人間だったころの習慣を引きずる……だっけ?」

 

 確認を求める奈緒の視線に気づき、夏樹も小梅に目を向けてきた。

 

「習慣? なんだ、そりゃ?」

「え、ええと、ゾンビの習性……みたいなものです。おそらく、人間だった頃の潜在的な記憶が残っていて……と、とにかく、もともと社員だった人たちは、就業時間を過ぎると事務所から引き払ってしまうようです」

「はあ、なるほどな」

 

 夏樹は小梅の説明を聴いて、興味深そうにうなずいた。

 

 けれど、こうも素直に納得されると、こちらのほうがかえって自信が揺らいできてしまう。

 

「こ、これも私の推測にすぎないんですけど……」

「いや、おもしろいぜ。アタシらにはなかったからな、そういう発想は」

 

 夏樹は組んでいた脚を崩し、前かがみの姿勢をとった。足元はもう震えてはいなかった。わずかにのぞく口元は、不敵に歪んでいるように見える。

 

「夏樹……さん?」

「ああ、悪い」

 

 顔を上げた夏樹の口元には、まだ微笑みが残っていた。

 

「ちょっと、うらやましくなっちまってな」

「うらやましい?」

 

 いぶかしんで訊き返すと、夏樹は苦笑いを浮かべ、窓のほうを見やった。

 

「いや、おまえらがプロデューサーを助けるって言ってるのがさ……。なんていうか……希望があるじゃねえか。アタシはさ、格好つけて見回りなんてやってきたけど、正直なところ、不安で仕方なかったんだ。いつまでこんなこと続けりゃいいんだ、こんなイカれた世界に未来なんてあるのか――って。口では無事なやつを探すんだなんて息巻いてたが、実際のところ、アタシはあてもなくうろついてるだけだった。でも、おまえらは違う。ちゃんと行くべき場所があって、やるべきことを見つけてる。こんな世界だっていうのにな。そういうのが、なんかいいな、って思ったのさ」

 

夏樹は小梅へ目を戻し、屈託なく笑ってみせる。

 

「な、夏樹さん、それは――」

 

 自分たちだって、ほんの少し前までは同じ気持ちだった。そう告げようとした。しかしその刹那、背後から肩にそっと手を置かれた。

 

「小梅」

 

 振り向くと、優しげな目をした凛が小さく首を横に振った。

 

「あのさ」

 

 視線を感じて顔を正面に戻すと、夏樹が居住まいを正してこちらを見つめていた。

 

「プロデューサーを治すって件、アタシにも手伝わせてくれないか? ちょっとおかしなやつではあったが、プロデューサーにはいろいろ世話になったから、アタシもなんとか力になりたいんだ。頼む」

 

 夏樹は膝に手を当て、深々と頭を下げた。

 

 それを見た輝子と裕子が、そろって一歩前へ出た。

 

「私も……プ、プロデューサーを助けたい……。トモダチ……だからな」

「ぜひ加勢させてください! 今こそエスパーユッコの秘められし力を見せるとき!」

 

 言い回しは三者三様だったが、気持ちは十分に伝わった。小梅たちは互いに視線をかわした。難色を示す者など、当然ひとりもいなかった。

 

「こちらこそ……夏樹さんたちのお力、ぜひ貸してください」

 

 頼もしい仲間が増えた。小梅は心からそう思った。

 

 


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