シンデレラガールズ・オブ・ザ・デッド   作:電柱保管

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「えっ――!?」

 

 プロデューサーが突然目の前から消えた。

 

 混乱したのは無論、小梅だけではなかった。

 

「なっ……!?」

 

 プロデューサーを取り囲んでいた一同は、彼を探して周囲を見渡した。

 

 が、気配がしたのは――。

 

「う、上ですっ!」

 

 小梅がとっさに視線を跳ね上げたときにはもう、プロデューサーは小梅たちの目前にまで()()()()()()()

 

「き、きゃああっ!」

 

 甲高い悲鳴を上げながら、一同は蜘蛛の子を散らすように四方へ飛びのいた。

 

 プロデューサーは小梅たちが輪になっていた場所へ四肢を広げて着地――と思いきや。

 

「ふんっ!」

 

 ぐっ、と身を沈めると、プロデューサーはすぐさま垂直に大きく跳び上がった。そして空中で器用に体を反転させ、両手両足を使って天井に張りつく。

 

「ス……!?」

 

 信じがたい光景に、奈緒はぎょっと目を剥いた。

 

「ス、スパイダーマンかよ!?」

 

 もはやゾンビの域さえ超えている――そんな格好のまま、プロデューサーは首だけをぐるりと回し、小梅たちを一瞥した。

 

「ここからだとよおく見えますよ、みなさんの恐怖に歪む顔が」

 

 にやりと笑ったプロデューサーは、またも器用に体をひねり、スカイダイビングのような格好でこちらへ向かって飛びかかってきた。

 

 狙いは、ほぼ真下にいた凛。

 

「きゃあっ!」

 

 凛はとっさにうしろへ飛び退き、突然の強襲をなんとか回避。

 

 が、床に着地したプロデューサーはバネ仕掛けのおもちゃのようにすぐさま跳び上がり、今度は正面から凛に襲いかかった。

 

「ぐがぁっ!」

 

 右肩を掴まれた凛は、凶手を振りほどこうと必死に身をよじる。

 

「い、いやあっ!」

 

 悲鳴を聞いた奈緒はハッとして、すぐに両手でほうきを握り直す。

 

「は、離せよ、このっ!」

 

 背後からプロデューサーに殴りかかる奈緒。

 

 いささかでたらめな太刀筋ではあったが、ぶん回した一撃は運良くプロデューサーの肩口あたりをとらえた。

 

「ガッ!?」

 

 プロデューサーは弾かれたように背を反らし、凛から手を放した。

 

「きゃっ!」

 

 難を逃れた凛だったが、勢い余ってその場に尻もちをついてしまう。

 

 小梅はすぐさま凛に駆け寄った。

 

「だ、大丈夫ですか!? 凛さん!」

「あ、危ない!」

 

 凛の切羽詰まった声に反応して振り向くと――。

 

「ガアッ!」

 

 態勢を立て直したプロデューサーが、またこちらへ迫っていた。

 

 床に膝をついた今の態勢では、とっさに回避行動がとれない。まずい――! そう思った矢先。

 

 小梅とプロデューサーのあいだに人影が割り込んだ――未央だ。

 

 未央はビニール傘をバットのように振り回し――。

 

「てやあっ!」

 

 プロデューサーの胴へおもいきり打ち込んだ。

 

「ぐう……っ!」

 

 みぞおちを叩かれたプロデューサーは、体をくの字に折って苦しげに身悶える。

 

 未央も手ごたえを感じたようだ。

 

「や、やった!?」

「……なあんてね」

「え?」

 

 未央の表情が凍りつく。

 

 おもてを上げたプロデューサーは、余裕の笑みを浮かべていた。

 

 そして自らを襲ったビニール傘をつかむと、プロデューサーはそのまま左右に身をひねりはじめた。

 

「う、うわっ!」

 

 振り回された未央は、遠心力に耐えきれず、とうとう傘から手を放してしまう。乱暴に薙ぎ払われ、未央は踏ん張ることすらできず床に転がった。

 

「み、未央ちゃん!」

 

 卯月が倒れた未央のもとへ駆け寄ろうとした。

 

 しかしプロデューサーはそれを足止めするかのごとく、卯月の足元へビニール傘を投げ捨てた。

 

「ひっ!」

 

 ひるんだ卯月を見て、プロデューサーは「ハハッ!」と短く哄笑を漏らした。

 

「元気がいいですねえ、みなさん。おかげで僕も、いい具合に肩慣らしができましたよ」

 

 軽口を叩くと、プロデューサーはちらりと背後をうかがった。

 

「どうしたんです? 神谷さん。いつでも仕掛けてきてくださいよ」

「ぐ……っ」

 

 背後からの接近をプロデューサーに気取られ、奈緒は逆に動きを封じられてしまう。なんとか相手に切っ先を向けつづけてはいるものの、攻勢に転じる気配はなく、むしろ無意識のうちにじりじりと後退させられてさえいるようだった。

 

 勝ち誇ったような笑みをたたえたプロデューサーは、散り散りになった小梅たちをゆっくりと眺めまわしたあと、おもむろに右手を上げた。

 

「っ!」

 

 小梅たちは即座に警戒を強めたが、プロデューサーはなにもしてこなかった。が、おびえる小梅たちをにやにやと眺めながら、彼はこれみよがしに右手を軽く振った。

 

 彼の手首にまとわりついていた細長い布切れのようなものが、するりと足元に落ちる。

 

「あ――」

 

 小梅はそこでようやく、彼が自分たちになにを見せたかったのかを悟った。

 

 プロデューサーの手首から落ちたもの――あれは、彼の手首を縛っていたネクタイだ。

 

 より正確にいえば、ネクタイの()()である。

 

「いやあ、僕もまさか、担当アイドルにネクタイで縛り上げられる日がくるなんて、思ってもいませんでしたよ」

 

 プロデューサーはわざとらしく手首をさすってみせると、窓際へ目をやった。

 

 釣られて視線を動かすと、目に入ったのは落ちていた黒っぽい紐状のもの。すぐにその正体にも気がついた。ベルトだ。こちらはプロデューサーの足首を縛っていたものだが、ネクタイと同様、無惨にも真ん中あたりでズタズタに引きちぎられていた。

 

 小梅の脳裏に、プロデューサーが暴れだす直前に聞いた派手な物音が蘇る。

 

 あれは、彼がネクタイとベルトを力任せに引きちぎった音だったのだ。

 

「し、信じられない……」

 

 小梅の口からついてでた言葉を聴くと、プロデューサーはいたずらを成功させた悪ガキのようにニタリと笑ってみせた。

 

「言ったでしょう? こんなちゃちな縄じゃ僕を縛ることはできないって」

 

 聴きようによってはクサイ台詞を吐きながら、プロデューサーは足元に落ちたネクタイの切れ端をわざわざ拾い上げ、紙でも破るかのようにびりびりと引き裂きはじめた。まるで、自らの力を誇示するかのごとく。

 

 本当に信じられなかった。ネクタイだけならまだしも、革製のベルトを一発で引き切ってしまうなんて……。

 

「に、人間業じゃねえ……」

 

 驚愕に息を呑む奈緒を見て、プロデューサーはますます気を良くしたようだった。鷹揚に腕を広げ、あらためて小梅のほうに向き直る。

 

「さて、と……。なにか僕に訊きたいことがあるんでしたっけ? このとおりなにもしませんから、どうぞ心置きなくなんでもお訊きください。僕にわかることなら正直に答えますよ」

 

 心置きなく――か。質疑応答を終えたら即座に襲ってやると言われている気もしたが、黙り込んでもどうせやられるだけだろう。小梅は腹をくくった。

 

 訊きたいこと――訊くべきことは、やまほどある。

 

「痛みを……感じないんですか?」

 

 いろいろ考えたが、まずは軽く探りを入れることにした。少しでも痛みを感じてくれていれば勝機もあるのだが……。

 

 こちらの思惑を知ってか知らずか、プロデューサーは少し悩むようなしぐさを見せたから答えた。

 

「まったく痛くないわけじゃありません。もっとも、みなさんのようなか弱いお嬢さんにいくら殴られても、蚊に刺された程度の痛みしかありませんですが」

 

 プロデューサーは皮肉げな視線をちらりと奈緒に向ける。

 

「ぐ……」

 

 悔しげに歯噛みする奈緒を横目に見ながら、小梅は冷静に頭を働かせた。

 

 プロデューサーの、あの余裕ぶった態度。虚勢を張っているわけではなさそうだ。

 

 本当に痛みを感じていないらしい。

 

 痛みに対する過剰なまでの耐性。感覚の異状――。

 

 やはり彼は、ゾンビになってしまったのだ。

 

 小梅は沈みそうになる気持ちを必死に奮い立たせ、にやにやとした顔で次の質問を待つ彼を見返した。

 

「……私たちのことは、覚えているんですか?」

 

 プロデューサーはあざけるように鼻を鳴らす。

 

「おかしなことを訊きますね。もちろんじゃあないですか。僕はあなたたちのプロデューサーですよ?」

 

 背後から憎々しげな舌打ちが聞こえてきた。

 

「なにがプロデューサーよ……、私たちをあんなひどい目に遭わせておいて……」

 

 凛の恨み言を聞き流し、小梅は質問を重ねた。

 

「私たちをここに呼び出したことは?」

「どうでしたかねえ? じつは今日一日の記憶にあいまいな部分がありまして」

 

 小梅がいぶかしげな視線を向けると、プロデューサーはわざとらしく胸の前で両手を振ってみせた。

 

「とぼけてなんていませんって。本当に記憶がおぼろげなんです。夕方頃、一ノ瀬さんに会いにいったことはなんとなく覚えているのですが」

「一ノ瀬? 一ノ瀬志希?」

 

 小梅は思わず眉をひそめた。なぜここで彼女の名前が――? 

 

 だが、小梅が問いただすよりも先に、奈緒が身を乗り出してプロデューサーに詰め寄った。

 

「おい! あんたまさか、志希にまで手を出したんじゃないだろうな!?」

 

 食ってかかられたプロデューサーは、心外そうに顔をしかめた。

 

「ですから、よく覚えていないんですよ。でも、襲ったりはしてないと思うけどなあ」

「し、信じられるかよっ、そんなこと! トレーナーにだって襲われたし……、あ、あんたもあいつらの仲間なんだろうが!?」

 

 奈緒は口から泡を飛ばしながら窓のほうを指さした。窓の外――前庭には大量のゾンビがたむろしている。

 

「仲間?」

 

 プロデューサーは突然真顔になると、次に小さく鼻を動かして、臭いをかぐしぐさを見せはじめた。

 

「……なるほど。僕と似た人たちが近くにたくさんいるみたいですねえ――おや? これは……」

 

 ひとりごとをつぶやいていたプロデューサーが突然、悪巧みでも思いついたように口元をゆがめた。

 

「な、なんですか?」

 

 思わず訊き返した小梅に、プロデューサーは楽しげに笑いかけた。

 

「いやね、いいことを思いついたんですよ」

 

 そんなことを言うと、プロデューサーは小梅たちの顔をひとりずつ見回した。

 

「どうでしょう、みなさん。みなさんも、僕の仲間になりませんか?」

「は?」

 

 一瞬、なにを言われているのかわからなかった。

 

 そろって怪訝な顔になった小梅たちを見て、プロデューサーは愉快そうに口元をゆがめた。

 

「ですからね、みなさんにも、僕と同じ力を持っていただきたいんですよ。なあに、不安に思うことはなにもありません。僕に少し噛まれれば、みなさんもすぐ()()()()に来られるんでしょう?」

 

 舌なめずりをしたプロデューサーを、凛が嫌悪感たっぷりににらみかえす。

 

「この変態……っ」

 

 プロデューサーはキザっぽく肩をすくめた。

 

「それはひどい言い草だなあ。なにも、()()()()()()ってわけじゃないのに」

 

 そう言ってプロデューサーはすっと表情から笑みを消した。

 

 その顔を見た途端、小梅の背筋にぞくりと悪寒が走った。

 

 プロデューサーはふたたび不敵な笑みを口元にたたえ、ゆらりと体を左に傾けた。

 

「でしたら残念ですが、少々手荒な真似をさせてもらうしかないですね」

 

 次の瞬間だった。

 

 プロデューサーは、たん、と軽く床を蹴ったかと思うと――瞬間移動のごとき速度で、まっすぐ小梅に飛びかかってきた。

 

「っ!?」

 

 一瞬のうちに目前まで迫られ、小梅は息を詰まらせてその場に固まってしまう。

 

「小梅っ!」

 

 とっさに小梅を助けたのは凛だった。上から両肩を押さえつけられた小梅はいやおうなしに身をかがめることになり、そのおかげでプロデューサーの不意打ちは小梅の頭を上をかすめるだけに終わった。

 

「チッ――」

 

 悔しげに舌打ちをしたプロデューサーは、すぐに体勢を立て直した。鬼のような形相で小梅たちをにらみつける。第二撃がくる――!?

 

「うああああっ!」

 

 が、先にしかけたのは凛のほうだった。凛は小梅をおしのけるようにして前に出ると、体う斜めにして、プロデューサーに渾身のショルダータックルを食らわせた。

 

 助走がなかったとはいえ、勢いは十分だった。が――。

 

「嬉しいですねえ。渋谷さんから僕の胸に飛び込んできてくれるなんて」

 

 凛に体ごとぶつけられても、プロデューサーはびくともしなかった。

 

「なっ――!?」

 

 驚いて目を見開く凛にニヤリと笑い返すと、プロデューサーは凛の両肩をがっちりとつかんだ。

 

「ちょっ……! やめ……っ、離してよ!」」

 

 凛はプロデューサーの手から逃れようともがくが、プロデューサーは余裕綽々といった面構えで暴れる凛を抑えつけていた。

 

「さ、楽にしてください、渋谷さん。僕に任せてくれれば、すぐに終わりますから――」

 

 言い終わるが早いか、プロデューサーは大口を開けて凛の首筋に顔を近づけはじめた。

 

 凛の顔が恐怖にゆがむ。

 

「い、いや……っ」

 

 小さな悲鳴を聞いて、奈緒がハッと目を見開いた。

 

「こ、このっ……、やめろ!」

 

 奈緒は凛に迫るプロデューサーをキッとにらみつけると、その背中をほうきでおもいきり殴りつけた。

 

 遠慮のない強烈な一撃。普通の人間ならば悶絶してもおかしくないが――。

 

「……不思議だなあ。本当に全然痛くないや」

「なっ……!」

 

 余裕の笑みを浮かべて振り返ったプロデューサーを見て、奈緒は言葉を失った。

 

 やはり単純な打撃では傷ひとつ負わせることもできないのか――しかし。

 

「は、離せっ!」

 

 凛は奈緒の攻撃が誘発したプロデューサーの油断を見逃さなかった。彼が目を離している隙に、強引に腕を振りほどき、強く胸を突いて彼の懐から逃れる。

 

「おっとっと」

 

 不意の抵抗にあったプロデューサーは、さすがにバランスを崩し、少しよろめく。

 

 これをチャンスと見たのが、未央。

 

「く……このっ!」

 

 未央はかたわらに落ちていたビニール傘をすばやく手に取り、それを腰に構えてプロデューサーへ突進した。鋭く突き出した先端で狙うのは、彼の腹部。

 

「やっ!」

「おっと、危ない」

 

 が、プロデューサーは闘牛士のような身のこなしで未央の打突を難なくかわす。

 

「あっ!」

 

 それどころか、いなされた未央のほうが逆にプロデューサーに背中を見せる格好になってしまう。プロデューサーがにやりとほくそ笑む。

 

 このままでは危ない――が、すかさず奈緒が助けに入る。

 

「させるかよっ!」

 

 奈緒は上段に構えたほうきをプロデューサーの額を狙って振り下ろした。しかし――。

 

「ふん!」

 

 顔面に向かってくるその一閃を、プロデューサーは片手だけで受け止めてしまった。

 

「なっ……!?」

 

 驚く奈緒。

 

 だがまだだ。

 

 今度は凛がモップでプロデューサーの頭を狙う。

 

「このっ!」

「っと、危ない危ない」

 

 言葉とは裏腹に、プロデューサーは凛の攻撃も片手で簡単に受け止めた。さらには――。

 

「ふんっ!」

 

 ぐ、と歯を食いしばったかと思うと、プロデューサーは両脇のふたりを同時に自分のほうへ引き寄せた。

 

「う、うお!?」

「きゃっ!」

 

 不意に引っ張られた奈緒と凛は、なすすべなく互いの肩をぶつけあう。

 

「はっはー、いけませんねえ、アイドルがこんなものを振り回しちゃあ」

 

 プロデューサーはふたりから武器を奪い、後方へ放り投げた。ほうきとモップはちょうど真後ろにあったテレビにぶつかったらしく、ガシャンと液晶画面の割れる音が室内に響き渡った。

 

「う……あ……」

 

 まだビニール傘を握っていた未央はいちおう構えをとっていたものの、仕掛ける気配はもはやない。完全に及び腰になっている未央からそっと武器を取り上げると、プロデューサーは力の差を見せつけるかのようにそれを未央の足元へ投げ捨てた。

 

 ビニール傘が床に落ちると同時に、プロデューサーは小梅のほうへ振り向いた。

 

「さ、次はどうするおつもりで? 白坂さん」

「に――」

 

 プロデューサーの問いかけを聴き終えぬうちから、小梅そのひとことを口にしかけていた。

 

 打てる手はもう、これしかない。

 

「――逃げて!」

 

 振り返ると、みなの体はもう出口のほうを向いていた。

 

「きゃあああっ!」

 

 口々に悲鳴を上げながら、一同は一目散に出口へ向かう。

 

 さいわい、ドアを塞ぐバリケードはもうない。いちばん早くドアの前に到着した奈緒がノブをひねる。

 

「あ、あれ? 開かない!」

「奈緒! 鍵! 開けなきゃ!」

「そ、そっか!」

 

 凛に急かされ、奈緒はあわててサムターンをつまんだ。

 

 しかし、そんなふうにもたついている時間など、いまの小梅たちにあるはずもなかった。

 

「きゃあっ!」

 

 背後で甲高い悲鳴が上がり、小梅は弾かれたように振り返った。

 

「ひどいなあ、僕を置いてみなさんで出かけようだなんて」

「う、卯月さんっ!」

 

 最後尾にいた卯月がプロデューサーに捕まっていた。

 

「い、いやっ、いやですっ! は、離してくださいっ!」

 

 腕をつかまれた卯月は、必死の抵抗もむなしく部屋の奥へ連れ戻されていく。

 

「そんなつれないことをおっしゃらずに、僕と楽しく踊りましょう」

 

 プロデューサーはそれこそ社交ダンスでも始めるかのごとく、卯月を自分の胸元にぐいと引き寄せた。

 

「や、やめて! やめてくださいっ!」

 

 拘束から逃れようと、プロデューサーの腕の中で暴れる卯月。

 

 しかしプロデューサーのほうは、そんな卯月の抵抗を楽しんでいるようにすら見えた。

 

「ふふ、いい顔してますよ、島村さん」

「い、いやあっ!」

 

 泣き叫びながら激しく首を振る卯月。

 

「う、卯月さん……っ」

 

 いますぐ助けにいきたかった。しかし、小梅の足はどうしても動いてくれなかった。まるで目の前に見えない壁でもあるかのように、最初の一歩を踏み出すことができない。

 

「ぐ……っ!」

 

 小梅以外の者も同様の状態らしく、みな一様に歯噛みしながらもドアの前から動けずにいた。

 

 プロデューサーは小梅たちの様子を横目でちらりとうかがってから、涙でぐちゃぐちゃになった卯月の顔をあらためて見つめた。

 

「さあ島村さん、楽にしてください。怖がる必要はありません。少しチクっとするだけで、すぐ気持ちよくなりますから」

 

 気色の悪い台詞を言い終えるやいなや、プロデューサーは卯月に向かってゆっくりと唇を近づけはじめる。

 

「い、いやあああっ!」

 

 卯月の悲鳴が小梅の胸に突き刺さる。

 

 幸子の最期の姿が脳裏をよぎった。あのときと同じように、自分はまたしても、目の前で起きようとしている惨劇をなすすべなく見ていることしかできないのか……!

 

「た、助けてっ……神様」

 

 弱々しい卯月の声が聞こえ、小梅が唇を強く噛み締めてうつむいた――次の瞬間だった。

 

「ぐ……っ!?」

 

 男の苦しげなうめき声が耳に入り、小梅は思わず顔を上げた。

 

「え……?」

 

 我が目を疑った。

 

 プロデューサーが、胸を押さえて苦しがる様子を見せていたのだ。

 

「うぐ……っ、ぐあ……っ!」

 

 うめき声を上げるプロデューサーはとうとう卯月から離れ、窓際のほうへよろよろと後退しはじめる。

 

「な、なに……?」

 

 未央たちもそろって眉根を寄せ、いぶかしげな視線をプロデューサーに注ぐ。

 

「え……え?」

 

 間近で彼と接していた卯月ですら、なにが起きているのか理解できていないらしい。()()()()()()()()()()()()()()()()()、目を白黒させていた。

 

 これもまた例のごとく悪ふざけなのか? いや、しかし……。

 

「げ、ゲホッゲホッ! い、息が……息が苦しい……っ!」

 

 とうとう窓際まで下がってしまったプロデューサーに、卯月がおそるおそる声をかける。

 

「プ、プロデューサー……さん?」

「ぐう……っ、や、やめ……っ、そ、それは……それだけは……っ!」

 

 プロデューサーは震える指を卯月のほうへ向けた。卯月がなにかしているのか? 

 

「は、はい!?」

 

 しかし卯月自身に心当たりはないらしく、素っ頓狂な声を上げて目を丸くした。

 

 小梅の目にも、卯月がプロデューサーへなにか攻撃をしかけているようには見えなかった。卯月自身か、あるいはその近くにあるなにかがプロデューサーを苦しめているのはたしかだと思えたが、それがなにかがわからない。そうである以上、うかつに踏み込むこともできない。

 

「う、卯月、とにかく、こっちへ」

「は、はい」

 

 凛にうながされ、卯月はあわてて小梅たちのもとへ駆け戻ってきた。

 

 すると、どうだろう。

 

「……はっ! ぐ……っ、この……!」

 

 プロデューサーは突然持ち直し、怒りに満ちた形相で卯月をにらみつけた。

 

「ひ、ひいっ!」

 

 おびえた卯月は、身を守るかのように()()()()()()()()()()()()

 

 その瞬間だった。

 

「うっ! ぐ、ぐわ……っ!」

 

 プロデューサーはまた息を詰まらせ、がくりと膝を落とした。

 

 気づいたのは、みなほぼ同時だっただろう。しかし、いちはやく卯月の手元を指さしたのは、未央だった。

 

「しまむー! それだよ、それ! 手、組むやつ!」

「え? え?」

 

 卯月はとまどいながら自分の手元に目を落とす。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

「祈り――?」

 

 小梅の口からぽつりと漏れたその言葉に反応してしまったのか、プロデューサーは顔を上げてこちらをうかがった。

 

「ぐあァッ!」

 

 ちょうど正面にいた卯月の姿を見た途端、プロデューサーは視界を遮るように両手で顔を覆った。

 

「目が、目があっ!」

 

 祈りのポーズをとる卯月が、プロデューサーにはまぶしく見えるらしい。

 

 いったいどんな理屈なのかはよくわからないが――そういうことならば、今やるべきことはひとつだ。

 

「み、みんな!」

 

 未央の切羽詰まった呼びかけを待つまでもなく、小梅たちは卯月を真似てみずからの両手を胸の前でがっちりと組み合わせた。

 

「え、えい!」

 

 祈り――と呼ぶには穏やかならぬ気勢を挙げ、未央はプロデューサーへ向けて組んだ拳を突き出した。

 

「ぐあッ!」

 

 途端、プロデューサーは透明の弾丸にでも打たれたかのように、胸を押さえておおげさに体をのけぞらせた。

 

 効いている。奈緒もそう判断したらしく、苦しげに身悶えるプロデューサーをキッと見据えると、一気に彼の真正面へ踏み込んだ。

 

「くらえこの……バルスッ!」

「ガッ!?」

 

 一瞬全身をこわばらせたあと、プロデューサーはついにがくりと膝から崩れ落ちた。

 

「わ、私たちもいくよ!」

「は、はい」

 

 凛のかけ声で、卯月と小梅も急いでプロデューサーの元へ向かう。

 

「グッ……ガッ……!」

 

 いよいよ獣じみたうめき声を上げはじめたプロデューサーを、小梅たちは祈りのポーズをとりながら取り囲んだ。まるでエクスシストである。

 

「バ、バルス!」

 

 奈緒は繰り返しそう叫んだが、この怪物に通じているのはもちろん崩壊の呪文ではない。

 

 神様への祈りだ。

 

「グウウッ……ウッ!?」

 

 床にうずくまったプロデューサーがびくんと体を跳ねさせたのを見て、未央はその場にしゃがみこんだ。そこにはちょうど、さきほどプロデューサーに奪われてしまったビニール傘が落ちていた。未央はすばやくそれをつかむと、ためらうことなくプロデューサーの枕元へ向かった。

 

「やっ!」

 

 未央はプロデューサーを蹴り上げて仰向けの体勢にさせると、先端を下に向けてビニール傘を頭上高く振りかぶった。

 

「いいかげんもう……眠ってよ!」

 

 無防備にさらされた胸部を狙って、未央は鋭く尖った金属の先端を振り下ろす。

 

 惨劇を察知して、残りの者はとっさにその瞬間から目をそむけた。

 

「ガッ! ……ハッ!」

 

 断末魔の叫びが耳に入り、小梅はおそるおそるまぶたを開ける。

 

 左胸を貫かれたプロデューサーは、驚いたようにカッと目を見開いていた。

 

 体をくの字に曲げてしばらく固まっていたかと思うと、プロデューサーは突然、糸が切れたようにばたりと手足を床に落とした。

 

「う……」

 

 直後、彼から漂ってきた臭いに、小梅は思わず顔をしかめた。鼻をつく嫌な臭いではあったが――それは不思議と、嗅ぎなれた臭いであるような気もした。


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