金曜日。
あ゛ぁ~……お腹がぺこぺこで頭がどうにかなっちゃいそうですね。朝食には、一リットルペットボトルに入っているコーヒーをがぶ飲みしてきましたよ。
なので今は、カフェインでお目めパッチリ。いや、パッチリどころかギンギンになっちゃっていますね。
ですが、このどうしようもない空腹は、矢張りお肉でしか解決することができません。今日の仕事はさっさと終わらせて、あのお店に直行したいところですね。
出社した時、余りに疲れている様子の私を見た友人は『体調でも悪いの?』と問いかけてくれました。はい、お腹が空いております。
周りにいる人達、全員美味しそうに見えてきます。慣れたもんですけど入社したばかりの時は、何度上司を喰ってやろうと思ったことか。
ですが、職場の人間が行方不明になったと来たら、警察やら何やらが動きかねません。できるだけリスクは減らしたいので、今は『狩り』はしていませんね。
え? ああ、昔はしていましたよ。小さい頃ですけど。
まあ、今はお金を払ってとある場所から買っているので、狩りをする必要がなくなった感じです。
あちらさんは『お金はいい』と言っていますけど、社会人としてそこは妥協できないところ。対価というものはきっちりと払わなくてはいけませんもんね。
社会人はお金が掛かるんですよ? 結婚のお祝儀やら、職場の人の出産祝いやらで……畜生めぇぇぇえええ!!
まあ冗談はさておき、今日の取材に行くお店は中華料理屋さんです。
チャイナですよ。あちょー、っと。
私も一度、高校の文化祭でチャイナドレスを着てみましたが、あのチャイナドレスはスリットが深すぎて……忌まわしい事件でしたよ。
それは兎も角、中華料理と言えば横浜。現在、私は横浜の繁華街に来ております。
あちらこちらから、胸がムカムカとするような臭いが漂って来て、私の食欲を煽りに煽り立てていきますね。
そして今私は、肉まんを買い食いしております。『取材前に何食っとんねん!』と言われるかもしれませんが、流石に朝食がコーヒーだけはお腹が減って……。
とりあえず、空きっ腹のままは辛いんです。
二十代の女性が、グーグーとお腹を鳴らしながら人前を歩いている光景を想像して下さいよ。はしたないでしょう? 『元々だろ』とか言う人は、もれなく私が喰べちゃいます。
そんな私が今食べているふかふかの生地の肉まん。これぞまさしくスポンジの如き食感。その生地に染み込んでいる獣臭い肉汁は瞬く間に食欲を減退させていき、豚肉の中に紛れている野菜が追い打ちを掛けてきます。
玉ねぎの口に残る臭い、タケノコのまんま植物の茎のような食感と灰汁の風味、干しシイタケの鼻を抉るような強烈な臭い。
これぞまさしく肉まんですね。
スタンダードであるにも拘わらず、これだけのポテンシャルを発揮しているとは。
どうでもいい話ですけれど、肉まんの弾力って女性のパイオツと同じ位らしいんですって。
……なんですか。いいんですよ、私は。貧乳はステータスなんです。
さて、肉まんをもぐもぐと頬張り終われば、とうとう取材するお店に辿り着きました。ほう、成程。中々立派な外装ですね。
流石、横浜の中華街にそびえ立っているだけあります。
赤を基調とした外装に足を運べば、店員さんが私などに向けてお辞儀をしてくれますよ。
悪くない気分です。そう思ってしまうのは、私の心が汚れているからでしょうか。
まあそれは兎も角、さっさと席に座っちゃいましょうね。折角の中華料理のお店でしたら、ターンテーブルに座ってみたいという願望もありますけれど、一人で来ているのにターンテーブルに座る必要はありませんし、素直に普通のテーブル席に座ります。
ほぉ……厨房から離れている場所にも拘わらず、厨房で取り扱っているだろう香辛料や調味料の臭いが漂ってきますよ。
あぁ~、なんでしょうね。獣臭さに青臭さ。鼻にツンと来る臭いに、思わずえずいてしまうかのような臭い。干された食材のような濃厚な臭い―――色んな臭いが混ざって、すでに私の鼻の感覚が痺れてきているかもしれませんね。
まあ、まずは店内に漂う臭いだけを堪能しておきましょうかね。無心で。
左腕に付けている腕時計の秒針が動くのを感じながら待つこと三十分。ジッと待っていた私の下に店員さんが持ってきてくれた料理は、
「お待たせいたしました、天津飯です!」
「おぉ~、ありがとうございます!」
天津飯。『餃子ゥ―――ッ!』って叫んでる方じゃありませんよ。
とか言っていたら、玉子の上にちょこんと乗っているグリーンピースが、目に見えてきました。
確か、天津飯とは日本独特の中華料理であるらしいですね。つまり、食に対して飽くなき探究心を有す日本人向けの料理……末恐ろしいですよ。
この上に乗っかっている玉子は芙蓉蛋といって、中国版オムレツ的な存在です。
それを乗せて、とろみのあるタレを掛けてあげた、お子様にも大人気な料理……で・す・が、喰種の私にとってとろみのあるタレなど、難敵以外の何物でもありません。
ふふふ……ですが、一昨日餃子を食べた私であれば、天津飯などどうということはない相手。
私の胃袋に納められたあの料理のように、貴様もペロリと食べちゃいますよ。
レンゲを持って、天津飯にスッと切れ込みを入れれば、中に入っている白くて艶々で蛆虫みたいなお米が姿を現し、そこへ涎みたいにドロドロのタレがたっぷりと掛かります。
うっひょ~。よく見たら、芙蓉蛋の中に蟹の身や豚肉、海老、刻みネギ、干しシイタケとか入っていて、よりどりみどりじゃないですか。
ははっ、まるで大便みたいですね。
さて、自分で自分の食欲を減退させる想像をしてから、一口パクリ。
「ん~……!」
あぁ……とろみが私の舌に絡みつきます。この甘酢餡、外国の甘すぎるお菓子のような甘みを発しているにも拘わらず、私の鼻や喉などにツンとくるような酸味も有しており、それだけでお口の中が大変な事に。
ねっとりと絡んだ後は、ニチョニチョと音を立てる糊を練っているかのような食感のお米。
そこへ同時に、動物園と水族館を合わせたみたいな臭いの芙蓉蛋が参戦! ここまで来ると、殺意すら感じ取れそうな不味さのハーモニーが感じ取れますよね。
だが、こんなもんじゃあない……気合いで食べつくしてやりますよ!
「お待たせいたしました。御注文の品の酢豚です」
ウー○ンが来やがりましたね。こんなに可哀相な姿になっちゃって……。
まあ、酢豚を頼んだ時点で豚肉が来るのは分かり切っていた事ですけど、私が気になっているのはパイナップルですよ。パイナポー。
くっ……ここの店は、酢豚にパイナップルを入れるお店でしたか。昔、小学校や中学校でもサラダにパイナップルが入っていましたが、私、アレが大っ嫌いでした。
サラダに果物入れてんじゃねえよ。単品で食わせてくれよ、的な感じで。
しかし、サラダではなく、これは炒めた料理。それにパイナップルを入れるなんて、私からすればナンセンス。
はい、個人的な好みですね。
これまた甘酢餡が掛かってます。しまった、別の料理を食べるべきだった。
二連続甘酢餡は、私の味蕾が完全に破壊されてしまいます。
ですが、退けぬ戦いがある。それが今です。
気合いで天津飯を間食すれば、今度はお箸で酢豚にチャレンジですよ。甘酢餡の中には豚肉の他に、タケノコ、玉ねぎ、人参、ピーマン、そしてラスボスのパイナップルが混じっております。
夢なら覚めて欲しい。
くっ、泣き言をいつまで言っていてもしょうがありません。箸でまずは豚肉を処理します!」
「んっ!」
只でさえ獣臭い豚肉の周りには、脂と油を吸った衣がまとわりついており、並大抵ではない臭いが私の鼻を汚染します。
噛めば噛むほど溢れだしていく悪臭と、機械油のような油。
こりゃあ堪ったもんじゃないですね。
ですが、ここは勢いで行かせて頂きましょう。
―――ナナフシのような色合いのタケノコは青臭く
―――玉ねぎは虫の翅みたいに気色悪く
―――人参は諸に土を食べているかのような風味が口の中に広がり、
―――ピーマンはカナブンの硬い甲殻を噛んでいるかのような食感で、
―――パイナップルはそれら全ての臭いを纏うと同時に、甘酢餡と違う気色悪い甘みと酸味を有す水分を滲ませていく
「……」
眉間を指で摘む私。
思わず涙が溢れてきましたよ。ちょっと離れたテーブルから、『あの人なんで泣いているんだろう』っていう声が聞こえてきますが、この涙は止まりませんよ。
さて、後は無心で胃袋に納めましょうか。
「お待たせいたしました、北京ダックです!」
「は~い、ありがとうございま~す!」
ふぅ……真のラスボスが来ましたね。
中華料理と言うか北京料理ですけれど、あったので折角ですし頼んでみました。
一人前を頼みましたが、アヒルを模した器に入っている北京ダックの数は三つ。ほう、中々の数を用意してくれやがりましたね。
おっと、すみません。思わず口調が悪くなってしまいました。
って言うか、アヒルの器に乗せるのってどうなんでしょうか? トンカツ屋さんとかでも、看板の豚が『おいしいブー』とかほざいてますけど、『食われてるのお前なのに何言ってんの?』とツッコみたくなります。
喰種に例えれば、そうですねぇ……。
若いピチピチの美少女が、手を差し伸ばして『私、美味しいですよ……』的な。
うん、イケますね。
喰種的にも、食べるなら顔が整っている方がいいですしね。
まあ、器から発展した話は兎も角、今は北京ダックですよ。アヒルの皮をパリパリに焼いて、それを薄餅や荷葉餅にネギやきゅうり、中華甘みそと一緒に包んで食べるやつです。
茶色になるくらいパリパリに焼いたアヒルの皮を筆頭に、もちもちとした食感の皮、シャキシャキなネギやきゅうりなどといった、『音』を楽しむ料理でもありますね。
ですが、人間を食べていて『シャキシャキ』とかいう食感なんてありませんから、本来は喰種にとって未知の領域である食感なんですよ。
まあ、社会に溶け込んでいる喰種でしたら、ネギやきゅうりくらいなら食べてると思いますけど。それでも、きゅうり味のコーラなんて飲まないでしょうね。
アレ? 私って異端? 大丈夫です、知っています。
まあ、早速皮に包まれたダックをイートしましょうかね。
「あ~ん……んっ!」
この具を包み込む皮……小学校の時に使っていた下敷きのような食感ですね。中々噛み切れないです。
そして北京ダック。これはもう獣臭さとかいうよりも、焼いたであろう炉の臭いの方が強いですね。そして食感は、パリパリしているのに無駄に弾力がある……如何にも獣の皮っていう感じです。
そしてネギやきゅうりは言わずもがな。まあ、一言で表すなら、お口の中でカメムシが飛んでいます。
あぁ、生を食しているという実感が湧き上がってくる一品ですね。
思わず、体が震えてきています。
テレビ番組で、激辛料理を食べている人が震えていたりするけれど、多分それと同じですね。
いくら、鍛錬を積んだ所で、まだまだ私はひよっこという事でしょうか。
うふふっ……ですが、注文した手前、完食せずにはいられませんね。頼んだ物は、一度胃袋に納め切る。それが私のポリシーという奴ですよ。
まあ、何故なら今日は……。
***
取材も終わり、帰宅―――と思いきや、今は東京の20区に来ております。
早くしなければ、私の腹と背中がくっ付いて、胃袋の中に納められている物体がリバースされてしまいますからね。
私が訪れようとしているのは、閉店ギリギリのこのお店―――
「お邪魔しまぁ~す!」
「いらっしゃいませ……って何だ、太田さんか」
私を見るなり、げんなりとした表情を浮かべるこのカフェ『あんていく』の看板娘。
黒髪アシメとは、同年代の男子にとってしてみれば、顔立ちと相まって堪らないんじゃないんでしょうかね。
「トーカちゃんは厳しいですねぇ。まあそれよりも、店長さんはどこですか?」
「店長なら奥ですよ。呼んできますんで、そいつをちょっと相手してて下さい」
「はい?」
そいつとはどいつですか? ドイツですか? なんつって。
トーカちゃんはさっさと店の奥に消えていきますが……一応私、お客さんなんですから、そういう扱いっていうのは果たしてどうかと。
パッと振り返れば、趣ある店内の中に不思議な雰囲気を漂わせる青年が一人。
おお、彼は
「習くんじゃないですか。これまた偶然ですね」
「
「また心にもないことを」
私が卒業した晴南学院大学の後輩である、月山習くんですね。イケメンなのに、言動の所為で残念なイケメンな印象が強い習くんです。
カフェで座ってコーヒーを啜る彼の姿は、まさにイケメン。
ですが彼もまた、私と同じ喰種。さっき会ったトーカちゃんも喰種。あんていくの従業員は全員喰種です。ここを訪れる人の多くも喰種であり、ここを定期的に訪れる私にとっては、同族とよく会える場所でもありますよ。
まあ、そんな場所で会ったんですけど、私は習くんの事苦手なんですよね。
「聞こえていますよ」
おっと、イケねえや。
いつの間にかに動いてしまっていた口を押える私。そんな私に、習くんがどんどん歩み寄ってきます。
ああ……習くんって身長があるから、近寄られると怖いんですよね。
「……それより太田先輩。貴方はまだ、あの悪食を続けているんですか?」
「まあ、仕事ですから」
「
「はぁ……」
駄目だ。やっぱり苦手です。何がって、彼の放つ独特の雰囲気が。
これはトーカちゃんも苦手意識を持つのも仕方がないって話ですよ。って言うかトーカちゃん。早く戻ってきておくれ。
私一人では、この美食家を止めることはできないですよ。
というより習くん。この店内の中で、そんなに腕を広げるようなポーズをとらないで下さい。
一応、閉店時間間際だから誰も居なくていいものの、お昼ぐらいだったら邪魔で仕方がないですよ。
「『食』とは『生』! 生き物は生きるために食事をしなければならない! なのに、貴方は悪食を続けている……それはつまり毒を食べているのと同じ!」
「まあ、実感していますよ」
「悪食を続ければ、貴方はそれ相応の力しか発揮できない……貴方のチャレンジ精神は素直に賞賛するが、僕にはそれが耐えられないっ!!」
「えぇ~……」
声量が凄い。役者さんみたいですね。
っていうか、そんなに熱を込められて語られても困るんですが……トーカちゃ~ん、速く来ておくれ~。
「太田先輩……僕に貴方をプロデュースさせて頂きたい。僕が、究極の美食というものを教えてあげましょう」
「もしかして、習くんがよく行ってるお店のことですか?」
「ええ! そこで貴方に、かつてない程の美食を―――」
「遠慮しときます」
……あれれ。素直に断ったら、習くんの顔が凄いことになっていますね。
まあ、社会では断る時は断らないと大変なことになりますから、早めに断っておくことに越したことはないです。
「まあ、人並みにそのお店に興味はありますけど、『教える』って言われたらなんか……萎えます」
「……
「好きに食べるからこそ美味しいのであって、他人にわざわざ喰わされるのって―――……
「かっ―――」
「太田さん、いらっしゃい」
「あ、店長さん。ご無沙汰しています」
なんか、習くんの顔が凄いままですけど、漸く店長さんが来てくれましたね。そして共にやって来たトーカちゃんが、習くんに『おらっ、閉店だからさっさと金置いて帰れよ』とお尻を蹴り飛ばしています。
うん、トーカちゃん位の美少女にお尻蹴られたら、一部の男性にはご褒美なんでしょうね。
まあそれは兎も角、店長である芳村さんが手招いていますから、いつものあの部屋へと向かいましょうか。
「それでは習くん、ごきげんよう」
放心状態みたいですけれど、私もお腹がぺっこぺこなんで、さっさと店長にお肉貰って帰りましょう。
うふふっ、想像するだけで涎が出てきそうですよ。
さあ……どんな風に食べちゃいましょうかね。
***
「
あぁ、貴方には失望しましたよ。
『家畜みたい』だなんて……貴方がそう言った時の瞳が、あの
は、はは……貴方には至高の美食を教えてあげようと思っていましたが、もうこれ以上関わるのは止しておくことにしよう。
成程……そういうことか。
「
***
「どうだい? 是非、感想を聞かせてもらいたいんだが……」
「ん~、そうですねぇ……」
私は現在、店長さんに出されたザッハトルテを食している最中です。チョコレートケーキの王様ですよ。
これは人間のお客さん用にと、店長さんが作った物らしいんですが……う~む。
「潰したスポンジと土の塊を入れたような食感……ねっとりと絡みつくチョコレートは粘土みたいですね」
「ははっ、それは喰種としての感想だろう?」
「そうですね。う~ん、これチョコガナッシュにラム酒を入れていますか?」
「ああ、入っているよ」
「だとすると、ちょっとアルコールが強めですねぇ……コーヒーと合わせるなら、もうちょいラム酒は少な目にして、生クリームの分量の方を増やせばいいと思います」
「成程。参考になったよ、ありがとう」
「いえいえ。いつもご贔屓してもらっていますし」
我ながら、いいアドバイスができたと思います。ラム酒はサトウキビの廃糖蜜なんかで作っていますからね、風味が独特なんですよ。
そしてコーヒーと合わせるとなれば、チョコの分量が多くて甘くなりすぎるよりも、生クリームでまろやかさを出した方が良いと思われますし。
まあ、最終的には人間に食べてもらうのが一番なんですけどね。
ですけれど、喰種的な意見を、ダンディな方である店長さんはにこやかに笑ってお礼を言ってくれます。
ふふっ、ちゃんとレポートした甲斐があるというものですよ。
「それじゃあ、今日はこの辺りで……」
「気を付けるんだよ」
「は~い、お世話様でしたぁ~!」
もう、ルンルン気分で帰りますよ。
意気揚々よ裏口から出た私は、家に向かってスキップで―――。
バキッ。
コケッ。
ドテッ。
「―――……ッ」
ヒールが折れました。
ちくしょうめぇぇぇえええ!!!