「それじゃあ私はお金も車も取られ損ってことですか!?」
50歳くらいの男性が悲痛な声を上げた。
テワタサナイーヌと大輔は、足立区の西新井警察署でオレオレ詐欺被害防止キャンペーンに出演し、所属に戻るため生活安全課長に挨拶をしているところだった。
「ずいぶんヒートアップしていますね」
大輔が課長に言った。
「そうですね。ヤミ金からお金を借りてしまったようです」
課長が説明した。
「あんたの気持ちはわかるよ。でも、借りた金は返すのがスジだし、返済を滞らせたのはあんたなんだから、担保を持っていかれても仕方ないだろ」
相談を受けている警察官が言い返した。
相談をしている男性は、服装も薄汚れていて、いかにも生活に疲れた様子が窺える。
年齢が50歳くらいに見えるが、実際は四十代なのかもしれない。
対する警察官は、定年間近に見え、痩せぎすでいかにも神経質そうな雰囲気を漂わせている。
「ねえ大輔くん。あの対応は、まずくない?」
テワタサナイーヌが大輔の耳元に小声で囁いた。
大輔が無言で頷いた。
「課長、大変僭越で失礼なことを申し上げますが、あの相談対応は、ちょっと問題があると思います。」
大輔が遠慮がちに課長に具申した。
「えっ、どうしてですか?」
課長が訝しげな顔をした。
「はい、問題点が二つあります。一点目は、借りた金は返すのがスジだと言っているところです」
「いや、待ってくださいよ。借りた金を返すのは当たり前じゃないですか」
課長が反発した。
「はい、それは法定利息を守っている契約であれば言えることです。ヤミ金のように違法な高利で貸し付けた場合は、元本も含めて返済の義務がありません」
大輔は、ヤミ金について最高裁判所が示した判断について説明した。
「利息の支払い義務がないっていうのはわかります。でも、元本も含めて返済しなくていいというのは納得できませんよ」
課長は、まだ理解できなかった。
「テワさん、判例検索で判例を出してください」
「了解」
テワタサナイーヌがスマホで最高裁判所のwebサイト内から判例検索を実行した。
「これね」
テワタサナイーヌが検索結果画面を大輔に見せた。
「ありがとう。これです」
大輔がスマホの画面を課長に示した。
大輔が見せた判例は、平成20年6月10日の最高裁判所判決で、要点は二つある。
一点目は「本件ヤミ金融業者が借主(被害者)に対して行った一連の行為(著しく高利での貸付けや、弁済の名目で金銭を受領した行為)は不法行為となる。借主(被害者)はヤミ金融業者に元利金の弁済として支払った金額全額を損害として、損害賠償請求をすることができる」というもの。
二点目は「本件ヤミ金融業者が貸付として借主(被害者)に交付した金銭は、不法原因給付に該当するため、本件ヤミ金融業者から借主に対して返還請求することはできない」というものだ。
「ただ、この判例は、利息が年率数百%から数千%にも及ぶ著しい高利での貸付けに関して示された判断です。すべてのヤミ金にそのまま適用されると考えるのは危険ですが」
大輔が課長に補足した。
「うーん、こんな判例があったとは。勉強不足でした」
課長が頭を下げた。
「それと、車がどうのこうのという話が聞こえたので、ちょっと気になります。差し支えなければ、話を聞かせてもらってもよろしいでしょうか」
「そうですか。山口さんは、詳しいようなのでアドバイスいただけますか」
課長が大輔を相談室に案内した。
「はじめまして、警視庁犯罪抑止対策本部の山口警部補です。ヤミ金から借金をされてお困りのようですが、お話をお聞かせいただけますか」
大輔が男性に挨拶をした。
「あ、はい。よろしくお願いします」
男性が頭を下げた。
「私は、個人で印刷業をやっていますが、会社の運転資金が足りなくなったのですが、銀行でお金を借りられなくなってしまったので、街金に手を出してしまいました」
「街金は、利息が高くて、よく言われる『トイチ』なんていうのは当たり前で、ひどいところになると10日で5割の利息を取るところもあります」
「普通の街金は、まあ取り立てが厳しいだけですが、今日相談に来たのは自動車金融にひどいことをされたからです」
「今回、私が自動車金融からお金を借りたのは、3か月くらい前になります。あちこちの街金から借金を重ねて、いよいよ資金繰りに困ってしまい、街中にある『車でお金を貸します』という広告を見て、その会社に電話をしました」
「その会社は、ちゃんと事務所も構えていて、対応も紳士的でした。ただ、やっぱり利息は高くて、10日で3割ということでした。借りられるのが10万円で、利息が10日ごとに3万円でした。それでも、日銭が欲しかったので相手の言いなりで契約してしまいました」
「契約するときに、私が仕事で使っている自動車の車検証と鍵を相手に預けました。そのとき、車を相手に譲渡するという書類と名義変更に必要な委任状のようなものに実印をついた記憶があります」
「それでも、私が利息を払い続けていれば、そのまま車を乗り続けることができるということなので、良心的な業者なんだと思っていました」
「ところが、2週間くらい前になって、とうとう利息の支払いもできなくなってしまい、2回分の利息を滞納してしまったのです。そうしたら、昨日の朝、駐車場から私の車がなくなっていたのです」
「相手の会社に電話をしたら、私が利息を滞納したから担保として車を引き上げたと言われました。担保であれば仕方ないのかもしれませんが、車がないと仕事になりませんし、そうなると利息も払えなくなってしまいます。それで、どうしたらいいか教えてもらいたくて相談に来ました」
男性は、ほとほと困った様子でぼそぼそと話した。
「そうですか。大変でしたね」
話を聞き終わった大輔が男性に同情した。
「ありがとうございます。何か所かに相談に行きましたが、まず言われるのが『なんでヤミ金なんかから借りたんだ』という説教でした。大変でしたねと言ってくれたのは初めてです」
男性が涙を拭った。
「ヤミ金からでも借りなければならないほどお困りだったんですよね」
大輔が男性に言った。
男性が無言で頷いた。
大輔がスマホで計算機のアプリを立ち上げて計算をした。
「10日で3割という利息ですから、年利にしたら1,095%にもなります。つまり、一年間利息を払い続けると、元本の10倍の金額になる著しい暴利です」
大輔が怒りを込めて説明した。
(大輔くん、かっこいい)
相談に立ち会っているテワタサナイーヌが大輔の対応に惚れ惚れした。
「結論を言うと、あなたはこれ以上、利息の支払いも元本の返済も必要ありません。それだけではありません。これまで払った利息を全額返還請求することができます」
大輔が男性に結論を伝えた。
それまで下を向いていた男性の顔が輝いた。
「本当ですか?! 利息だけじゃなく元本も返さなくていいんですか?」
男性が信じられないという顔をした。
「本当です。最高裁判所が言っていますから嘘ではありません」
大輔が男性に笑顔を向けた。
男性の表情からみるみる不安が消えていった。
「相談者にも説明しましたが、今回の貸し借りは、貸主側が違法なので利息の支払いも元本の返済も不要です」
大輔が課長に説明した。
「そうでしたか。ありがとうございます」
課長が礼を言った。
「あと、今回の件は、いわゆる自動車金融です。これは、譲渡担保といわれる取引になります」
大輔が今回の取引について説明した。
「譲渡担保? なんですかそれは?」
課長が首を捻った。
「譲渡担保というのは、民法に明記された典型契約ではありません。判例上認められた非典型担保の一種です。具体的には、自動車や工場の工作機械などを一旦債権者に譲り渡します。つまり所有権が債権者に移ることになります。それを、債務者、これが借主になりますが、債務者がその目的となる物を賃借、つまり借り受けて使用し続けます。そして、その賃料を支払うというものです。この賃料が利息に相当します」
大輔が譲渡担保について、わかりやすく説明した。
「なるほど、難しいですが、なんとなくわかりました」
首を捻っていた課長が腕組みをして頷いた。
「そして、ここからが本題になります。普通の担保は、質権を設定してその物を貸主に引き渡します。ですが、譲渡担保は借主がその物を使い続けるところに特徴があります。借主が使い続けるということは、所有権は貸主にあっても、占有は借主にあります。貸主は、所有権を持っていますが、それだからといって譲渡担保を自力で執行することはできません。他人が占有している物を勝手に持ち去れば窃盗になります」
大輔が譲渡担保の効果を説明した。
「すると、今回の相手方であるヤミ金は、自動車に対する窃盗が成立するということですか」
「おっしゃるとおりです」
大輔が頷いた。
「なるほど、譲渡担保というのは民法に書いてないから、あまり知られていないんですね。実際、私も知りませんでした。よし、すぐ着手だ! 窃盗は刑事課の仕事だが今回は高金利の出資法違反と抱き合わせで保安がやってくれ。刑事課長には私が仁義を切っておく」
課長が指示を飛ばした。
「大輔くん」
「なんですか」
署を出て最寄り駅に向かう途中、テワタサナイーヌが大輔に話しかけた。
「大輔くん、いつ譲渡担保なんて勉強したの?」
「いつだっけかな? 父さんに教わったんだ」
「お父さんに!?」
テワタサナイーヌが目を丸くした。
「それにしても、自動車金融が勝手に車を引き上げちゃうのが窃盗になるって、よく気づいたよね」
「父さんがいつも言ってるじゃない。原則を理解すれば応用が利くって。それだよ。窃盗は、他人が占有している物を盗むことだよね。所有権は要件じゃない。だから、たとえ所有権がある人でも、それを他人が占有していたら勝手に持ち去ることはできないってことだね」
「そっか、そうだよね。さすが大輔くん」
「えらい?」
「うん。とってもえらい!」
テワタサナイーヌが大輔の頭を撫でた。
捜査の結果、ヤミ金業者に対する逮捕状と事務所に対する捜索差押許可状が発付された。
「警視庁です。窃盗並びに出資法違反の疑いで捜索差押許可状が出ています」
事件の端緒をつかんた大輔がガサの指揮を任され、先頭で業者の事務所に入った。
「はあ? 警察に用はねえんだよ。勝手に入ってくんな!」
大輔が事務所にいた業者の男に令状を示すと、男がふてぶてしい態度で挑発してきた。
捜査員の中にはテワタサナイーヌの姿もあった。
令状を示した大輔が令状発付の理由となっている犯罪事実を読み上げた。
「ふざけんなよ。こっちは正当な契約で担保にとった車を処分しただけだぞ。利息を払わない奴が悪いんだろ。こっちは被害者だ。俺のせいにすんじゃねえよ、クソポリ公が!」
「お前らはあれか。金を借りて踏み倒すような奴の味方すんのか? 借りた金は返すのが当たり前だろ。俺は、そういう当たり前のことを教えてやったんだよ。むしろ感謝してもらいたいね」
「警察も暇なんだな。こんなちっぽけな零細業者いじめて何が楽しいんだ? あー? もっと他に取り締まらなきゃならない事件がいくらでもあるだろ。やりやすいとこからやってんじゃねえよ。税金泥棒が!」
業者の男は、大輔と顔がぶつかるくらいに迫り、早口でまくし立てて威嚇した。
「言いたいことはそれだけか?」
大輔が低い声で言った。
「あー? 言いたいことはそれだけか? ふざけんなよ。こっちは言いたいことなんざ山ほどあるっつーの!」
男が大声でわめいた。
「言うのは自由だ。勝手に吠えてろ。だがな、俺に指一本でも触れてみろ。ただじゃおかないぞ」
大輔が挑発に乗らず冷静に警告した。
「あとな。お前、口が臭いぞ。客商売ならエチケットにも気を遣え」
大輔が冷ややかな笑いを投げつけた。
「な…… くそったれ!」
男が悔しそうに大輔から離れて椅子に腰かけた。
(大輔くんすごい迫力。いつものへなちょこじゃない)
テワタサナイーヌがうっとりした。
事務所の捜索により、顧客台帳や賃貸借契約に関する書類や台帳類、携帯電話、パソコン、大量の自動車のキーなどが押収された。
捜索を終えたところで、大輔が男に逮捕状を示した。
「窃盗並びに出資法違反で逮捕する」
大輔が男に逮捕を告げた。
「おい、なんだよ。ふざけてんのか? これっぽっちの利息で逮捕すんのかよ。おかしいだろお前ら。頭、沸いてんのか?」
明らかに男は動揺していた。
別の班により、持ち去られた車も転売される直前のところで差押えることができ、無事に被害者の男性に還された。
逮捕されたヤミ金融業者は、無登録で貸金業を営んでいて、相談に来ていた男性のほかにも多数の顧客に対して違法な高金利による貸付を行っていることが判明した。
そして、客の利息支払いが滞ると、勝手に担保の自動車を引き上げるということが常態化していたこともわかり、数多くの自動車が借主の元に還された。
被害男性が支払った利息は全額返還され、元本の請求も放棄された。
「俺たちの武器は拳銃だけじゃない。法律が最高の武器になる。向こうから事件が転がり込んでくるのを待っている法の『適用』じゃ足りないんだ。被害に遇っている人、困っている人を助けるために使える法律がないかをとことん考え抜く。そして、法律を駆使して被害の発生を防ぐ。もし被害が発生してしまったときは、その拡大を止めるのが法の『執行』だよ。だから、俺は法の執行者でありたいと思ってる」
男の逮捕を終えた大輔がテワタサナイーヌに話した。
「それも、お父さんの受け売り?」
テワタサナイーヌが笑った。
「影響は受けてるけど、気持ちの部分は、俺オリジナル」
大輔が胸を張った。
「かっこいい!」
テワタサナイーヌが大輔に抱きついた。
その後の捜査の結果、業者の男は、利息が払えなくなった客に利息支払い猶予の代わりとして携帯電話を新規に契約させて、それをオレオレ詐欺犯人グループに売っていたことが判明した。
「こんなところから犯罪インフラが提供されてたのね」
久しぶりにテワタサナイーヌがマズルを伸ばした。
「いたたた。お父さん、鼻を押さえて」
伸びたマズルを戻すとき、テワタサナイーヌには激痛が走る。
ところが、山口が手でテワタサナイーヌの鼻を押さえると、その痛みがかなり緩和される。
これは、他の人ではダメで、山口が触れたときだけ効果が現れる。
「はー、ありがとう。助かったわ」
テワタサナイーヌが深呼吸をした。
「そういえば、
山口が思い出したように言った。
「あの子、基本的に穏やかだから、まだ激怒したことがないんじゃないかな。激しく怒ったらマズルが伸びるかもしれないよ」
テワタサナイーヌが変形でずれた鼻骨を直しながら予想した。
「顔の骨って自分で直せるものなんですか?」
山口が驚いた。
「うん。私はマズルが伸び縮みしたあとだけ、ずれた分を直せるみたい。いつも動かせるわけじゃないよ」
「便利なのかそうでもないのか、よくわかりませんね」
山口が感心した。
「そういうものですから」
テワタサナイーヌが笑った。
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません