当たり前の後ろ ~テワタサナイーヌ物語~   作:吉川すずめ

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夏休み(中)

 沖縄旅行3日目。

 山口一行は、大浦湾沿いのホテルをチェックアウトして国道331号線から国道329号線に入り、本島を西海岸へと横切った。

 国道329号線は、沖縄本島の背骨のような山を越えるルートで、両側にジャングルのような鬱蒼とした森林が続く。

 ところどころに米軍基地との境界を示すフェンスが現れては消える。

 西海岸に出ると国道58号線に突き当たる。

 国道58号線を海を左手に見ながら北上する。

 すぐに左手に名護警察署を見つけることができる。

 山口らは、警察署の前に車を停めさせてもらい、記念撮影をした。

 警察署のすぐ先に沖縄で有名なハンバーガーショップがある。

 一行は、その店で休憩を取ることにした。

 テワタサナイーヌは、その店の名物となっている飲み物「ルートビア」を注文した。

 ルートビアは、独特の香味があり、好き嫌いがはっきり分かれる飲み物といえる。

「チャレンジャーですね」

 山口が自分もルートビアを飲みながらテワタサナイーヌに笑いかけた。

「まずいって聞いたことがあるんで、どんだけまずいのか試してみようと思って」

 テワタサナイーヌがグラスに注がれたルートビアの香りを嗅いだ。

「うん、確かに日本的な飲み物じゃない香りがする。かなり鼻を弱く調整しないと鼻がもたないかも」

 テワタサナイーヌが鼻を摘んだ。

「お父さんは、平気なの?」

「はい。私は好きです。ドクターペッパーが飲める人ならいけると思います」

 山口はおいしそうにルートビアを飲んでいる。

日向(ひなた)も飲みますか?」

 山口が日向にルートビアを勧めた。

 日向が興味津々にルートビアの香りを嗅いだ。

「やーん」

 ほんの僅か香りを嗅いだだけで日向はグラスから顔を背けて首を左右に振った。

「ははは。日向には香りがきつすぎましたかね」

 山口が苦笑した。

「なんかさ、木の根みたない香りがするよね」

 テワタサナイーヌが香りの印象を説明した。

「そうですね。いくつかの木の根が香り付けに使われているみたいです。だから『root』という名前がついているんだと思います」

 山口が説明した。

「なるほどねー」

 テワタサナイーヌが感心した。

「ちょっと飲んでみようっと」

 テワタサナイーヌがストローに口をつけた。

「……」

 ストローからルートビアを口に含んだテワタサナイーヌが無言になった。

「なんだろ。まずいんだけど、すごく嫌っていうわけでもない味がする。なにこの不思議な味」

 テワタサナイーヌが混乱した。

「あ、それはたぶん好きになる兆候だと思います。ルートビアを好きになれない人は、最初からまったくダメですから。こちらの世界へようこそ」

 山口が笑いながら手招きした。

「さて、そろそろ行きますか」

 山口が声をかけた。

 ここで運転を山口からテワタサナイーヌに代わった。

 テワタサナイーヌが運転する車は、国道58号線で名護市内を抜け、国道449号線に入り北上を続ける。

 国道449号線は、左手に海を見ながら右手に採石場の荒々しく削られた山肌を眺める。

 採石場がある地帯を過ぎてしばらくすると道路の右手に本部警察署が見えてくる。

 山口一行は、そこでも記念撮影をした。

 警察署の前を通るたびに記念撮影をしているようだ。

 またしばらく北上を続けると、国道449号線の終点である浦崎の交差点に差し掛かる。

 そこを左折してしばらく北上すると、目的地である美ら海水族館に到着する。

 美ら海水族館がある国営沖縄記念公園の中には、頭上と足元からミストシャワーが出る場所がある。

「おさかなー!」

 日向は、ミストシャワーの上に設置されているイルカのオブジェを見て興奮した。

 ミストの中を走り回り、嬌声をあげている。

 日向のワンピースは、ミストでしっとりと湿ったが、気温が高いのであっという間に乾いてしまった。

 美ら海水族館では、上野動物園のときのような「人ですか?」という質問もなく、すんなりと入場することができた。

 本やネット上の情報では水族館を見たことがある日向だったが、実際に足を踏み入れるのは初めてだった。

「おっきー!」

「きれー!」

「すごーい!」

 すべての言葉に感嘆符が付いた。

 中でも巨大な水槽の中を悠々と泳ぐジンベイザメが気に入ったようで、水槽にくっついて離れようとしなかった。

「もう行こう」

 テワタサナイーヌが声をかけた。

「やだ!」

 日向が首を横に振った。

「次の予定があるわけじゃないから、好きに見させてあげよう」

 大輔がテワタサナイーヌの肩を抱いた。

「そうね」

 テワタサナイーヌが大輔にもたれかかった。

「行こう!」

 どれくらい大水槽の前に張り付いていただろうか。

 日向が後ろを振り向いてテワタサナイーヌに言った。

「満足した?」

 テワタサナイーヌが日向に訊いた。

「ん!」

 日向が大きく頷いた。

 その後も、ところどころで日向が停滞しながら、水族館を一周りした。

「たのしかった!」

 水族館から外に出た日向が、陽の光に目を細めながら飛び跳ねた。

「楽しかった?よかった」

 テワタサナイーヌも嬉しそうに答えた。

 テワタサナイーヌにとっても初めての美ら海水族館だった。

「またみんなで来ようね!」

 テワタサナイーヌが山口らを見回した。

「そうですね、また来ましょう」

 山口が頷いた。

 

「お昼を過ぎてしまいました。沖縄そばを食べに行きましょう」

 テワタサナイーヌから運転を代わった山口が後ろに座っているテワタサナイーヌたちに声をかけた。

「さんせーい」

 テワタサナイーヌが手を上げた。

「さんせー」

 日向も真似をして手を上げた。

「では行きます」

「お願いしまーす!」

 山口が運転する車が沖縄記念公園の駐車場を出た。

 本部(もとぶ)で国道449号線をはずれ、山間部に入っていく。

 初めのうちは商店や民家が立ち並んでいるが、しばらくすると何もない山道になる。

 しばらくすると伊豆味という地区の町並みが見えてくる。

 目指す沖縄そばの店は、その町並みの中にある。

 その店は、行列ができることで有名で、駐車場に車を停められたらラッキーというくらいの人気店だ。

 幸いその日は、駐車場に空きがあり車を停めることができた。

「いやあ、すぐに車を停められてよかったです」

 山口がほっとしたようにつぶやいた。

 車を降りて店に行くと、すでに店の外まで行列ができている。

 真夏の昼下がり。

 気温がぐんぐん上がっている。

 テワタサナイーヌと日向は、無意識のうちに舌を出して口呼吸で体温調節をしている。

 大輔は、うちわで自分と日向を交互にあおいで涼んでいる。

 提供しているものが沖縄そばなので、客の回転は悪くない。

 それほど待たずに客席に案内された。

 店内は、四人がけのテーブル席が3つ、座敷に座卓が5つある。

 テワタサナイーヌらは、座敷の一番奥の座卓に案内された。

 店内にエアコンは「一応」ある。

 しかし、古い木造の建物で気密性が高くないため、ほとんど効かないといっていい。

 あとは、いくつもある扇風機に頑張ってもらうしかない。

 5人は、全員ソーキそばを注文した。

 水は、給水器からセルフサービスで準備する。

 10分ほど待つと、ひとつのどんぶりにごろっと大きなソーキ(スペアリブ)が5個も乗ったそばが運ばれてきた。

「にくっ!」

 ソーキを見た日向が興奮した。

「せーの、いただきます!」

 全員で手を合わせた。

 テワタサナイーヌが、まずスープを口に含んだ。

 鰹節の香りが鼻を抜ける。

 味は、ほんのりと甘みがあり、なんとも言えない懐かしさを感じさせる。

「はぁー、おいしい……」

 テワタサナイーヌが目を閉じて至福の表情を浮かべた。

「にくっ!」

 日向は、ソーキの骨をかじってご満悦だ。

 山口と弥生が日向にソーキを2個ずつ分け与えた。

「ありがと!」

「どういたしまして」

 日向の前の骨を置くための小皿は、みるみるうちに骨が積み上げられていった。

 どの骨もきれいに身が削ぎ落とされ、中には形が崩れているものもある。

 この店のそばは、スープも一品の料理のように感じる。

 スープ、そば、スープ、そば、と交互に口に運びたくなる味だ。

 五人は、汗を拭きつつ、残さず完食した。

「ごちそうさまでした」

 最後も全員で声を合わせて感謝した。

 

 店を後にして名護方面に車を走らせる。

 途中、パイナップル畑の中をカートで回れる施設に立ち寄った。

 2台のカートに分乗して園内を一周りした。

 その後は、ショップの中でパイナップルの試食ができる。

 日向は、次から次へとパイナップルを口に運んでいる。

「いくら食べ放題だからって、あんまり食べないでよ。他の人だって食べるんだから」

 テワタサナイーヌが日向を止めた。

「んあーい」

 パイナップルを頬張ったまま日向が返事をした。

「では、この先、ちょっと長い距離移動して、今日の宿に向かいます」

 山口が車を発進させた。

 名護から国道58号線で西海岸を南下する。

 恩納(おんな)村に入り、真栄田(まえだ)岬の近くにある道の駅で「ぜんざい」を食べた。

 沖縄のぜんざいは、かき氷に黒糖で煮た小豆がたっぷりとかけられているものをいう。

「私が思ってるぜんざいと全然違う」

 テワタサナイーヌが氷を口に運んだ。

「んー、きたきた!」

 テワタサナイーヌが頭頂部を手で押さえた。

 アイスクリーム頭痛だ。

「んあー!」

 日向も頭を押さえた。

「なんで冷たいものを食べると頭痛くなるんだろうね?」

 テワタサナイーヌが山口に訊いた。

「なんででしょうね。私もわかりません」

「へー、お父さんでも知らないことってあるんだ」

 テワタサナイーヌが驚いたように言った。

「知らないことだらけですよ。世の中のあらゆることを知るなんて無理です。知らないことがあるから知ろうとする。それが面白いんだと思います」

「なるほどね。たしかにそうかも」

「さて、あと少しで今日の宿に着きます。出発しましょう」

 山口が声をかけた。

 道の駅を出てすぐ、嘉手納基地方面に向かう国道と真栄田岬方面に向かう県道に分岐する。

 山口は、真栄田岬方面に車を走らせた。

 真栄田岬と残波(ざんぱ)岬の間のあたりで左折して細い坂道を登る。

 坂の途中に、白壁の3階建ての建物が目に入る。

「あれが今日泊まるところです」

 山口がその建物を指差した。

 その建物は、海側から見ると3階建てに見えるが、実は5層構造のコンドミニアムだ。

 部屋数は6ですべてメゾネットタイプ。

 1階が各部屋ごとに仕切られた駐車場。

 駐車場にあるドアを入ると2階のリビングに上がれる。

 リビングには小さいキッチンがあり、テラスに出ることもできる。

 階段を上がった3階は、バス、トイレとユーティリティルームになっている。

 最上階の4階がベッドルームだ。

 すべての部屋から東シナ海を望むことができる絶景の宿だ。

 5層構造の最後は、地下にある。

 地下が共用のプールになっていて、各部屋からアクセスすることができる。

「すごい! きれい! 眺めがいい!」

 テワタサナイーヌが興奮した。

「わーい」

 日向は、階段を昇り降りして遊んでいる。

「プール付きってすごいわね」

 弥生が感心した。

「なんだかわからないけどワクワクしますね」

 大輔も興奮気味だ。

「ホテルのようなサービスはありませんけど、こういうところも楽しいと思います」

 山口がエアコンのスイッチを入れた。

「ほんとね。ご飯を自分たちで調達すれば、あとは誰に気を使うこともなくていいわね」

 弥生が同意した。

 

 山口たちは、このコンドミニアムで二泊を過ごした。

 

「今回は、なにも事件がないのね」

 テワタサナイーヌが小首を傾げた。

「テワさん、かわいい!」

 大輔が喜んだ。

「おかーさん、かわいい!」

 日向が真似をした。

「あら、ふたりともありがと。やっぱりお母さんがかわいい方がいいでしょ」

「うんうん」

 大輔と日向が繰り返し頷いた。

「そういう回もあります」

 山口が冷やしたさんぴん茶を飲みながら答えた。

 

 翌日は、沖縄旅行を終えて帰宅する予定になっている。




 この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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