当たり前の後ろ ~テワタサナイーヌ物語~   作:吉川すずめ

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夏休み(上)

 照りつける太陽に日向(ひなた)は目を細めた。

「あつーい」

 日向は、山口が縫ったトロピカルなプリント柄のワンピースを着て、額の汗を拭った。

 彼女は、テワタサナイーヌのぬいぐるみを小脇に抱えている。

 

 ここは那覇空港。

 山口一家は、夏休みを沖縄で過ごすため、羽田から飛行機で到着したところだった。

 日向は、犬耳の部分を切り取った麦わら帽子を頭に乗せ、くるくると走り回ってはしゃいでいる。

「あー、リゾートはいいわねえ。堂々と裸になれる」

 テワタサナイーヌが背伸びをした。

「テワさん、いままで水着になったことないでしょ。なってもラッシュガード着込んでたし」

 大輔が日向に引っ張られながら言った。

「ふふーん。今回は脱いじゃうよ。背中の傷だって見せちゃうもんね」

 テワタサナイーヌが不敵な笑いを浮かべた。

「早苗ちゃん、変わったわね」

 弥生がテワタサナイーヌに言った。

「背中の傷は、私が行きてきた証だもん。隠したら自分の人生を否定することになっちゃうでしょ。恥ずかしくなんかないよ」

「すっかり自信を取り戻しましたね」

 山口が嬉しそうに弥生を見た。

「では、さっそく……」

 そう言うとテワタサナイーヌは、着ていたTシャツを脱いだ。

 Tシャツの下からは、緑をベースにした鮮やかな色彩のセパレート水着が現れた。

「おーっ」

 大輔が声を上げた。

「おかーさん、かっこいい!」

 日向が喜んだ。

 モデルのようなスタイルのテワタサナイーヌが、白い短パンに緑の水着で歩くと、否が応でも周りの視線を集める。

 しかも、その首には赤い革の首輪がはめられている。

 おまけに、犬耳、獣毛。

 さらには、背中に長い傷痕がケロイド状に盛り上がっている。

 目を引かないわけがない。

 そんな周囲の視線をまったく気にすることなく、テワタサナイーヌは自信たっぷりに歩いている。

「ひなたもぬぐー!」

 日向がワンピースを脱ごうとした。

「ちょっ、あなたは脱いじゃダメ!」

 テワタサナイーヌが慌てて制止した。

「なんでー? おかーさんぬいでる」

 日向が膨れっ面でテワタサナイーヌのぬいぐるみを振り回した。

「日向は、下に水着を着てないから脱いじゃダメなの。ホテルに着くまで我慢して」

 テワタサナイーヌが済まなそうに言った。

「おかーさんだけずるーい」

 日向は、大人と同じように扱われないことに不満をもった。

「ごめん、ごめん。じゃあお母さんもTシャツ着るから」

 テワタサナイーヌは、脱いだTシャツを着た。

「ん」

 日向が満足そうに頷いて笑顔になった。

「抜け駆けできないわね」

 テワタサナイーヌが舌を出した。

「そうね。日向は、早苗ちゃんのことをよく見てるから」

 弥生がテワタサナイーヌの頭を撫でた。

「てへ」

 テワタサナイーヌが気持ちよさそうに目を閉じた。

 

「いいですか。行きますよ」

 大輔が全員のシートベルトを確認してレンタカーを発進させた。

 山口一行は、5人なのでセダンでも乗れるのだが、日向用にチャイルドシートを付けてもらう関係で7人乗りのミニバンを借りることにした。

「お願いしまーす」

 大輔を除く全員で声を出した。

 運転手を除く全員で声を出すのが山口家のお約束だ。

 レンタカーの営業所を出て間もなく、空が真っ黒な雲に覆われ、突然激しい雨が降り出した。

「前が全然見えないです」

 大輔が必死に目を凝らすが、前を走っている車さえ見つけることができない。

「少し止まった方がいいですかね」

 山口が提案した。

「そうですね。でも、こんなに視界が悪いと、へたに止まると追突されるんじゃないでしょうか」

「それもそうですね」

 大輔は、なんとか道路のラインを頼りに走り続けた。

 前が見えないほどの雨は、すぐに上がり、雲の切れ間からまぶしい陽の光が射してきた。

「いやー、怖かったです」

 大輔がほっとしたように言った。

「あれがスコールっていうやつなのかしらね」

 チャイルドシートにくくられた日向の隣からテワタサナイーヌが言った。

「あめ、たくさんだった」

 日向がテワタサナイーヌを見ながら手で雨が降る様子を作った。

「すごかったね」

 テワタサナイーヌが日向に答えた。

 山口一行を乗せた車は、那覇市内から本島を横切り東海岸に出た。

 沖縄本島の東海岸は、西海岸ほどの賑やかさはない。

 車は、東海岸を北上する。

 金武町あたりを過ぎると、あまり営造物もない自然の海岸線が続く。

 山口らの車は、さらに北上を続け、大浦湾をぐるっと周回するすように回り、湾の東側にあるリゾートホテルに到着した。

 そのホテルは、ゴルフコースを持つ広大な敷地の中にある。

 あまりにも敷地が広いため、ホテル内の移動には電動カートを使う。

「じどーしゃ!」

 日向は、カートを見つけて大喜びしている。

 山口らは、2台のカートに分乗して海岸線に建つ客室を目指した。

「うわー! きれいな部屋!」

 カートを停めて部屋に入ったテワタサナイーヌが歓声を上げた。

「素敵な部屋ねえ」

 弥生も部屋の中を見回してため息をついた。

「わーい!」

 日向が天蓋付きベッドに飛び込んだ。

 部屋は、広い窓から海を見渡すことができ、窓の外にはバルコニーがあり、バルコニーには木のテーブルと椅子が置かれている。

 浴室もガラス張りで海を見ながら入浴することができる。

「うみ?」

 日向は、初めて海を見る。

「そう。海よ」

 テワタサナイーヌが日向をバルコニーに連れ出した。

「おかーさんのめ」

 日向が海を指差した。

「あー、そうね。お母さんと日向の目の色と似てるね」

「ひなたのめ?」

 日向が首を傾げた。

「そうよ。あなたの目もお母さんと同じ色なのよ。おいで」

 テワタサナイーヌが日向を部屋の中の鏡台に前に連れて行き、二人で鏡の前に立った。

「あ、おんなじ」

 日向が目を丸くした。

「こっち、ちがうよ」

 日向が鏡に映った自分の右目を指してテワタサナイーヌに言った。

「うん。日向の右目は、ちょっと違う色ね」

「おもしろーい」

 日向が喜んだ。

「みみ、おんなじ。め、おんなじと、こっちちがう」

 日向が鏡に映る自分とテワタサナイーヌの違いを説明した。

「そう。よくわかったわね。えらい」

 テワタサナイーヌが日向の頭を撫でた。

 日向は、嬉しそうに目を閉じて舌を出した。

 

 テワタサナイーヌと日向は、夕日を眺めながらのんびりと入浴した。

「おふろ、きもちいい」

 日向がバスタブの縁につかまり、足をばたつかせた。

「おかーさん」

「なーに」

「ひなた、け、ないよ」

 日向が自分の身体とテワタサナイーヌの身体の違いに気づいた。

「ないねえ。なんでないのか、お母さんにもわからないのよ」

「ふーん。そういうもの?」

「あらっ、日向ったら、いつの間に覚えたの?」

 テワタサナイーヌが驚いた。

「へへ」

 日向が笑った。

「おかーさん、いたい?」

 日向がテワタサナイーヌの背中の傷痕を触った。

「ううん。痛くないよ」

「ひまわり?」

「えっ!?」

 テワタサナイーヌが身体を硬直させた。

(そうか。この子は知ってるんだ)

「そうよ。ここにヒマワリがいるの。撫でてあげて」

 テワタサナイーヌが日向の方を振り返った。

「うん」

 日向が傷痕を撫でた。

 テワタサナイーヌは、傷痕を通してヒマワリと日向が交流しているのを感じた。

「ひまわり、いたよ」

 日向が言った。

「どこにいたの?」

 テワタサナイーヌが言うと、日向はテワタサナイーヌのお腹に手を置いた。

「ひまわりと、おはなしした」

「そう。なにをお話ししたの?」

「うーん。わかんない」

 日向が肩をすくめた。

「いま、ヒマワリはどこにいるの?」

 テワタサナイーヌが訊いた。

「ここ!」

 日向は、下を向いてしばらく考えていたが、ぱっと顔を上げて犬耳を摘んだ。

「ここにいるのね」

 テワタサナイーヌも日向の耳を摘んだ。

 訳もなく涙があふれた。

 いつの間にか夕日が水平線に沈み、夜の気配が空を覆っていた。

 

「まさか日向がヒマワリの記憶を持って生まれてきたとは思わなかったわ」

 カートで移動した別の建物のレストランで夕食を摂りながらテワタサナイーヌが夕方にあったことを話し始めた。

「どういうこと?」

 弥生が首を傾げた。

「さっきお風呂に入っていたらね、日向が私の傷痕を見て『ひまわり?』って訊いたのよ。ヒマワリのことなんて一度も話したことないのに」

 テワタサナイーヌがグラスのワインを口に運んだ。

「でね、お腹の中の記憶を持ってて、お腹の中でヒマワリとお話をしてたって。何を話してたかは覚えてないみたいだけど」

 テワタサナイーヌが続けた。

「お腹の中の記憶を持って生まれてくる子がいるっていうのは聞いたことがあるけど、それがまさかヒマワリだったとは驚きね」

 弥生が感心した。

「そうでしょ。それで、今、ヒマワリがどこにいるかって訊いたら、自分の耳を摘んで『ここ』ってはっきりと答えたの。日向の中にヒマワリが受け継がれたのね」

 テワタサナイーヌが涙ぐんだ。

「にくっ!」

 しんみりするテワタサナイーヌの横では、日向がローストされたスペアリブを手づかみにして夢中でかじりついている。

 日向が食べ終わったスペアリブの骨には、ほとんど肉が着いていない。

「いつもながら上手に食べるわね、あなた」

 テワタサナイーヌが感心したように食べ終わった骨をつまみ上げた。

「にっ」

 日向が犬歯を剥き出しにして見せて笑った。

 

 夕食を楽しんだ山口たちは、ハンドルキーパーの山口と大輔が運転するカートに乗って部屋に戻った。

「今日は、俺と父さんがハンドルキーパーだったけど、明日は代わってくれるんだよね?」

 大輔がテワタサナイーヌに訊いた。

「え、他に誰が運転できるの?」

 テワタサナイーヌがきょとんとした。

「まさか、この旅行中、ずっと俺は飲めないっていうわけ?」

 大輔がショックを受けた。

「お父さんだってずっと飲まないんだから、あんたも我慢しなさいよ」

「いや、父さんは飲まないんじゃないくて飲めないんでしょ」

「あはは、冗談。明日は私が運転してあげる」

 テワタサナイーヌが大輔の肩を叩いた。

「頼むよ」

 大輔が安堵した。

「日向、歯磨きするよ。おいでー」

 テワタサナイーヌが洗面所から日向を呼んだ。

「はーい」

 日向が洗面所に走って行った。

「あなた、もうほとんど永久歯に生え替わっちゃってるから、きちんと歯磨きしないとね。虫歯になると面倒だし」

 テワタサナイーヌが日向の歯を磨いた。

「はい、おしまい。ぐじゅぐじゅして」

 テワタサナイーヌが日向のお尻を軽く叩いた。

「んー」

 日向がコップに水を張って口をゆすいだ。

「にー」

 日向は、テワタサナイーヌに歯を見せた。

「ん、大丈夫。きれいになったよ」

「ありがとー」

 日向がぺこりと頭を下げた。

「どういたしまして」

 テワタサナイーヌも頭を下げた。

「じゃあ日向は寝る時間」

 テワタサナイーヌが日向を天蓋付きのベッドに寝かせた。

「おやすみなさーい」

 日向が全員に挨拶をした。

「はい、おやすみなさい」

 山口が返した。

 おやすみなさいを言ったものの、いつもと違う雰囲気の部屋とベッドに興奮した日向は、なかなか寝付けず、ベッドの上をごろごろと転がっている。

「日向は、私たちがみてるから、二人はバルコニーで飲んでくれば?」

 ソファに腰かけた弥生がテワタサナイーヌたちに声をかけた。

「いい? 大輔くん、飲めるよ」

 テワタサナイーヌが冷蔵庫からオリオンビールを2本取り出した。

「じゃあ、お願い」

 テワタサナイーヌが弥生に軽く頭を下げて、大輔と二人でバルコニーに出た。

「乾杯」

 テワタサナイーヌと大輔が缶ビールで乾杯した。

 バルコニーには、ほのかに月明かりを映す海から波の音だけが繰り返し聞こえてくる。

 二人は無言のままビールを飲みながら星空を見つめた。

「月がきれいですね」

「死んでもいいわ」

 二人が同時に吹き出した。

「お約束ですね」

「うん」

「来世でも結婚してください」

 大輔が空を見ながら言った。

「なにそれ?」

 テワタサナイーヌが笑いだした。

「いや、ほら、現世ではプロポーズできなかったから、来世こそちゃんとプロポーズしようと思って」

「プロボーズの予約っていうわけ?」

「うん。来世でも結婚できたらいいなっていう願望も込みで」

「ふふ」

 テワタサナイーヌが口元に手を当てて小さく笑った。

「はい。来世でも大輔くんのお嫁さんにしてください。そして、また首輪でつないでください」

「やった!」

 大輔が両手の拳を突き上げた。

 

 翌日、テワタサナイーヌと大輔は、日向を連れて海岸に遊びに出た。

 もともとゴルフをすることを前提にしたホテルなので、マリンアクティビティは、それほど充実していないし、遊べる海岸も狭い。

 それでも、初めて海に触れる日向には十分だった。

 はじめは、波が打ち寄せるたびに砂浜に逃げていた日向だったが、少しずつ波にも慣れて、腰ぐらいの深さまで歩いていけるようになった。

 午前中いっぱい波と戯れ、日差しが強くなる昼食後は、涼しい部屋で昼寝をした。

「日向、お洗濯行かない?」

 テワタサナイーヌが昼寝から覚めた日向を洗濯に誘った。

 部屋には洗濯機がない。

 少し離れた建物の中にコインランドリーがある。

「いく!」

 日向が元気に手を上げた。

「じゃあカートに乗って行こう!」

「おー!」

 テワタサナイーヌと日向は、カートでコインランドリーがある建物を目指した。

「ふーっ!」

 坂道を登りメインストリートに出てしばらく走っていると、動物のような声が聞こえてきた。

(猫?)

 テワタサナイーヌは、あたりをきょろきょろ見回した。

「あっち!」

 日向が少し離れた茂みを指差した。

 それと同時にカートを降りて茂みに向かって走り出した。

「あ、日向、待って」

 テワタサナイーヌは、カートを道端に寄せて停め、日向を追いかけた。

「うー」

 日向が両足を広げて踏ん張り、低い声で唸っている。

 日向の視線の先には、痩せた猫が毛を逆立てて威嚇のポーズで日向を睨んでいる。

「ふー!」

「うー」

 日向と猫は睨み合い、威嚇し続ける。

(犬と猫か…… まあしょうがないか)

 テワタサナイーヌは、日向に危害が及ばないのであればそのまま見守ろうと思った。

「がっ!」

 日向は短く吠えると、今まで見せたこともないような俊敏な動きで猫に襲いかかった。

 猫は、逃げる間もなく日向に捕まってしまった。

 激怒した猫は、日向をめちゃくちゃに引っ掻いた。

「うー!!」

 日向が牙を剥き猫の目を睨んで唸った。

「みゃー」

 その気迫に猫が負けておとなしくなった。

「ねこ、かわいいよ」

 日向は、にっこり笑って捕まえた猫をテワタサナイーヌに見せた。

 日向の腕や顔は、無数の引っかき傷だらけになっていた。

「日向、その傷、大丈夫なの?」

「へいきー」

 日向はニコニコしている。

「痛くないの?」

「いたい」

「痛いよね」

「ねこ、かわいいから」

 痛いことより、猫のかわいらしさが勝っているようだった。

「じゃあお洗濯行こ」

「うん」

 テワタサナイーヌと日向は、カートに乗ってコインランドリーに行った。

 日向が捕まえた猫は、日向の膝の上でおとなしくしている。

「お部屋には連れていけないから、さっきいたところに帰してあげるのよ」

 洗濯を終えたテワタサナイーヌが日向に行った。

「はーい」

 日向が、猫をみつけた茂みのところで猫を放した。

「みゃ」

 猫は短く鳴くと茂みの中に消えていった。

「日向、どうしたの、その傷!」

 部屋に戻ると日向の傷を見た弥生が慌てた。

「コインランドリーに行く途中、猫と犬が出会って威嚇し合って、犬が猫を捕獲しました」

 テワタサナイーヌが状況を説明した。

「猫とケンカしたっていうこと?」

 弥生が心配そうに訊いた。

「ううん。ケンカじゃないね。日向が猫を狩ったっていう感じ。この子、狩りの才能もあるみたいよ」

 テワタサナイーヌが大笑いした。

「笑い事じゃないでしょ。こんなに傷になって……」

 弥生が心配した。

「あはは、ごめんなさい。でも、そのあと二人…… ひとりと一匹は、ずっと仲良く遊んでたよ」

 テワタサナイーヌが、狩りの後の様子を話した。

「それならいいんだけど」

 弥生は、心配の種が増えたと思った。

 

 その日の晩は、バーベキューを楽しんだ。

 テワタサナイーヌと日向は、バーベキューに来ていた他の家族に大人気で、何度も写真撮影を求められた。

 テワタサナイーヌは慣れたもので、かわいいポーズ、ちょっとセクシーなポーズなど、自在にポージング決めた。

 日向もテワタサナイーヌの真似をして、自分なりにかわいいポーズを作ろうとしていた。

 日向は、こんがりと焼けたTボーンステーキをもらい、がつがつとかじりついた。

 その間にも写真撮影を求められ、骨付き肉を手に持ったままにっこりと笑顔で写真に収まっていた。

「ゆかり! ゆかり!」

 女性の切羽詰ったような声が聞こえた。

「ゆかり、どこにいるの?」

 その女性は、ゆかりという人を探しているようだった。

「どうしたんですか?」

 テワタサナイーヌがその女性に声をかけた。

「あ、実は、娘がいなくなってしまったんです。バーベキューをしている間、ちょっと目を離したスキにいなくなってしまって……」

 女性は、ゆかりという子供の母親だった。

「どこに行ったか心当たりはないんですか?」

「初めて来たホテルですから、心当たりも何も……」

 女性は泣き出しそうな顔をしている。

(みんなで探せばみつかるかな。でも、このホテルは、やたら敷地が広いから探すのは大変そう)

(あっ、日向だ!)

「あの、お子さんの持ち物とか、身につけていたものとかはありますか」

 テワタサナイーヌが母親に訊いた。

「え、持ち物ですか。あ、汗を拭いていたハンカチが置きっぱなしになってます」

 母親がテーブルの上のハンカチを指差した。

「それ、お借りしていいですか」

「え、ええ」

「じゃあ、ちょっとお借りしますね」

 そう言ってテワタサナイーヌは、ハンカチを取り上げた。

「日向、おいで」

「なーに」

 日向が肉をかじりながら歩いてきた。

「ちゃいするよ」

「ちゃい?」

 日向が首を傾げた。

「そう。このハンカチの臭いを覚えて、追いかける遊び」

「ふーん」

「お肉を置いて」

「えー」

 日向は、不承不承手に持っていた肉を皿の上に置いた。

「ハンカチの臭いを覚えて」

 テワタサナイーヌがハンカチを日向の鼻先に掲げた。

 日向は、鼻をヒクヒクさせて臭いを嗅いでいる。

「いい?」

「うん」

 日向が頷いた。

「じゃあ日向、この臭いを追いかけて」

「はーい」

 日向が元気よく手を上げた。

 日向は、鼻をひくつかせながらあたりをきょろきょろ見回した。

「あっち」

 そう言ってバーベキュー場の外に向かって歩き出した。

 日向は、外に出て臭いを追いかけた。

 ときどき立ち止まっては、周りの臭いを確かめる。

「ねこ、いる」

「え、昼間の猫?」

 テワタサナイーヌが日向に訊いた。

 日向が頷いた。

 テワタサナイーヌには、猫の匂いも泣き声もわからなかった。

 日向が走り出した。

 テワタサナイーヌが後を追う。

 バーベキュー場から少し離れたところの茂みの前で日向が立ち止まった。

「あら、ここは昼間の猫がいたところ」

 テワタサナイーヌが驚いた。

「こっち」

 日向が茂みの奥を指差して、茂みをかき分けて奥に進んだ。

「みゃ」

 猫の鳴き声が聞こえた。

 茂みの中に少し広く開いたところがあり、そこに女の子と昼間の猫がいた。

「ゆかりちゃん?」

 テワタサナイーヌが女の子を呼んだ。

 女の子が振り返って頷いた。

「お母さんが待ってるよ。戻ろう」

 テワタサナイーヌが手を差し出した。

「うん」

 女の子がテワタサナイーヌの手を握った。

「ばいばーい」

 日向が猫にバイバイをした。

「みゃー」

 猫が名残惜しそうに鳴いた。

「ありがとうございます。なんてお礼を言ったらいいか……」

 女の子の母親がテワタサナイーヌと日向に礼を言った。

「いえ、娘の鼻が役に立ってよかったです」

 テワタサナイーヌが笑顔で答えた。

 女の子は、バーベキューに飽きてしまい、両親が見ていないスキに外に出て散歩しているうちに、あの茂みに入り込み、出られなくなってしまったらしい。

「また日向のお手柄ね」

 弥生が日向をほめた。

「おてがら?」

 日向が首を傾げた。

「おてがらっていうのは、すごくりっぱな行いをしたことをいうのよ」

 弥生がゆっくりと説明した。

「ふーん」

 日向にはお手柄の意味がわからなかった。

「あなたの『ちゃい』は、とっても役に立つっていうこと」

 テワタサナイーヌが日向の鼻をつついた。

「やん」

 日向が目を閉じて嫌がった。

 

 部屋に戻ると、ホテルの総支配人が部屋まで来て直々に礼を述べた。

「私も夫も、ついでに父も警察官です。警察官としての責務を果たしただけで、それに娘の鼻が役に立ったということです」

 テワタサナイーヌが総支配人に説明した。

「テワタサナイーヌ様のことはネットニュースなどで存じ上げております。本日は、本当にありがとうございました」

 総支配人は、深々と礼をして部屋を去った。

「沖縄で日向の鼻が役に立つとは思わなかったよ」

 テワタサナイーヌがベッドで寝ている日向の頭を撫でた。

 




 この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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