当たり前の後ろ ~テワタサナイーヌ物語~   作:吉川すずめ

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対数正規分布

 3月。

 日向(ひなた)の保育所入所が決まり、テワタサナイーヌが仕事に復帰した。

 日向は、実年齢は1歳なのだが、身体の成長と発達の度合いから、3歳児クラスに入ることになった。

 お試し保育のときから日向は保育所を嫌がらず、すぐに保育士と打ち解けた。

 多少は嫌がるものと思っていたテワタサナイーヌの方が拍子抜けするほどだった。

「いってらっしゃーい」

 保育士と日向が手を振って送り出してくれた。

「いってきまーす」

 テワタサナイーヌも元気に手を振った。

 

 日向の保育所入所は、あっさりと決まった。

 テワタサナイーヌが市役所と直談判をしたからだ。

 

──1月

 テワタサナイーヌは、市役所の保育課にいた。

 日向が1歳になるのを待って仕事に復帰しようと考えている。

 そのために保育所への入所について相談をするためだ。

 日向は、特殊な身体だ。

 おそらく丸腰で相談に行っても門前払いされるのが目に見えている。

 テワタサナイーヌは、あらかじめ東大病院から「通常保育に支障ないものと認める」という診断書をとっていた。

 日向の血液型は、DEA4で極めて特殊だ。

 だが、そもそも保育所で輸血をするようなことは考えられない。

 血液型が保育を断る理由にはならない。

「山口さん、お待たせしました」

 保育課の職員がファイルを数冊抱えてテワタサナイーヌを迎えに来た。

「こちらにどうぞ」

 職員は、テワタサナイーヌをパーティションで仕切られた半個室に案内した。

「よろしくお願いします」

 テワタサナイーヌが挨拶をした。

「今日は、お子さんの保育についてご相談ということでよろしかったですか」

 テワタサナイーヌの首輪に気づいた職員は、一瞬驚いた顔をしたが、すぐに平静を装って話を続けた。

「はい。娘が1歳になるのを待って保育所に預けたいと考えています。ただ、見ての通り、私も娘も半分が犬という特殊な身体です。これでも保育所で預かっていただけるのかをお聞きしたくて参りました」

 テワタサナイーヌは、丁寧に説明した。

「基本的に住民票がある方のお子さんでしたら、お預かりしています。ただし、通常と異なる特別な対応が必要となるお子さんの場合は、保育をお断りすることがあります。山口さんのお子さんの場合、かなり特殊な身体と推察いたしますので、市の保育所でお預かりするのは難しいと思います」

 職員は、予想どおりの答えを出した。

「そうですか。通常と異なる特別な対応が必要でない場合は、外見が特殊でも受け入れていただけるということですね。つまり、外見は保育を断る理由ではないと解してよいのですね」

 テワタサナイーヌは、論理的に詰め寄った。

「は、はい。そういうことです」

 職員も認めざるを得なかった。

「ありがとうございます。産前から診ていただいている東大病院から、通常保育可能という診断書をいただいています」

 テワタサナイーヌは、クリアホルダから診断書を取り出して職員の前に差し出した。

「診断書は、わかりました。ですが、感染症などのリスクもありますから、この診断書だけでは受け入れられません」

 職員が抵抗した。

「感染症などもすべて検査済みです。必要があれば診断書をお出ししますが」

 テワタサナイーヌの目に凄みが増した。

「あ、そ、そうですか。そういうことであれば、検討できなくはないと思います」

 あくまでも断言をしない、役人のスタイルだ。

「検討していただけるのですね」

 テワタサナイーヌが畳み掛ける。

「はい、検討はさせていただきます」

(結果に責任はもてないという但し書き付きね)

 テワタサナイーヌは、腹で笑った。

「申し遅れましたが、娘の生育歴は、すべて東大に渡します。そして、それがそのまま学術資料となります。もちろん、保育所の入所に関しても学術的に検証されます。賢明なご判断をお願いいたします」

 テワタサナイーヌが頭を下げて部屋を出た。

 その日のうちに市役所から電話があり、日向の保育所入所は問題ないとの回答をもらうことができた。

 ただし、入所定員の関係で空きがない場合は、しばらく待ってもらうことになるかもしれないとのことだった。

(それはしょうがないよね。みんな待ってるんだから)

 テワタサナイーヌも納得した。

「なんとか保育所には入れてくれそうだよ」

 1階のリビングで椅子の背もたれに向かって座ったテワタサナイーヌが缶ビールを飲みながら報告した。

 缶ビールを置いてビーフジャーキーをかじる。

「ちょーだい」

 日向がテワタサナイーヌの肘を引っ張った。

「あ、欲しいの? はい、どうぞ」

 テワタサナイーヌがビーフジャーキーを小さくちぎって日向に差し出した。

「ありとー」

 日向が満面の笑みでビーフジャーキーを受け取ってぺこりと頭を下げた。

「どういたしまして」

 テワタサナイーヌも頭を下げた。

「とても美しいやり取りなんですけど、その座り方はどうなんでしょう」

 山口がテワタサナイーヌの座り方を注意した。

「えー、前は裸だったから注意されたけど、今日は服着てるからいいんじゃない?」

 テワタサナイーヌが不服そうな顔をした。

「はい、露出的には問題ないと思います。でも、日向は早苗さんのコピーですから、いいこと良くないこと、全部真似します。日向が小さいうちは控えたほうがいいような気がするんですが」

 山口は、自分の考えを強制しない。

「はーい、わかりましたー」

 テワタサナイーヌが膨れっ面で椅子を回転させて座り直した。

 

 育児休業明けの初出勤を終えて帰宅したテワタサナイーヌは、1階でビールを飲んでくつろいでいた。

 テレビのニュースでは、女児に対する連続わいせつ事件の発生を繰り返し伝えている。

 この事件は、都内の特定の地区で4歳から8歳までの女児が公園のトイレや団地の薄暗い自転車置き場などに連れ込まれて、性器を弄ぶなどのわいせつ行為を行うというものだった。

 同じような手口での犯行が2か月の間に10件以上連続して発生している。

 被害者の中には、性器への異物挿入で処女膜裂傷の負傷を負わされた者もいて、付近住民を恐怖に陥れている。

 警察も周辺パトロール強化や防犯カメラ映像の確認など、大規模な捜査を行っているが、いまだ犯人の手がかりが得られていないという。

 ただ、犯人はマウンテンバイクを使い、広範囲に移動しているらしいということは判明した。

「これだけ連続で被害が発生しているのに警察は何をやっているんですか。警察は、もっとしっかり捜査をして欲しいですね」

 テレビのコメンテーターが警察に対して辛辣なコメントを発している。

「しっかり捜査していると思うんですが」

 山口がため息をついた。

「聞き込みや防犯カメラでもホシにつながる情報がないんでしょ。もちろん前歴者も洗い出しているよね。他に打つ手はないの?」

 テワタサナイーヌが悔しそうに言った。

「あるにはあるんですが……」

 山口が拳を握りしめた。

 その後も被害は発生し、防犯カメラ映像から犯人らしいマウンテンバイクに乗った男の姿が確認されたが、犯人を特定することはできなかった。

「無能警察」

「これぞまさしく税金泥棒」

 ソーシャルメディアには、警察を非難する声が増え始めた。

「まずいな」

 山口の後を継いでアカウントを担当している大輔がメンションを見て独り言を言った。

 犯罪抑止対策本部のTwitterアカウントに対しても警察を非難するメンションが数多く寄せられるようになったからだ。

「なんか、こう『犯人はこいつだ』ってわかるような魔法みたいな手法はないの? よく海外ドラマとかであるじゃない。プロファイラーが犯人像を特定して、鮮やかに犯人を捕まえちゃうようなやつ」

 テワタサナイーヌがモニタを見ながら拳をデスクに打ち付けた。

「プロファイリングですね」

 山口が応じた。

「そう! プロファイリングで犯人を見つけちゃえばいいのよ!」

 テワタサナイーヌが人差し指を立てた。

「一口にプロファイリングといっても、二つに分けられますから、どちらを指しているかによって話が違ってきます」

「そうなの? 何と何?」

「海外ドラマなどで取り上げられることが多い『犯罪者プロファイリング』と、犯人の居住地や活動拠点を推定する『地理的プロファイリング』に分けられます」

 山口がプロファイリングの分類を説明した。

「へー、そうなんだ。じゃあ、それをやればいいんじゃない?」

 テワタサナイーヌがもっともな疑問を抱いた。

「そうですね。犯罪者プロファイリングは、手口捜査の延長のようなものですから、今の段階でもやっていると思います。それでも犯人につながる情報が得られていないのでしょう」

「じゃあ、地理的プロファイリングで犯人のヤサを見つければいいんでしょ」

「それが、日本では地理的プロファイリングの手法がまだ確立されていないんです」

「えーっ!? そうなの!? 信じられない」

「信じられないことですが、まだ発展途上です。発展途上というか研究者がいません」

「そこにいるじゃないですか」

 副本部長室から坂田の後任として着任していた大森警視長が顔を出した。

「え、どこにいるんですか?」

 テワタサナイーヌが大森に訊いた。

「テワさんのお父さんですよ」

 大森がにこやかに答えた。

「お父さんがですか?」

 テワタサナイーヌが驚きの声を上げた。

「そうですよ。山口さんは、日本でただ一人、山口さんにしかできない地理的プロファイリングの技術を開発した人です」

「なにそれ、聞いてないんだけど!」

 テワタサナイーヌが興奮した。

「刑事部から応援の要請がありました」

 大森が山口に伝えた。

「例の連続犯ですか」

「そうです。力を貸してください」

「かしこまりました」

 山口の顔が上気している。

「地理プロをやるにあたって、必要な環境を整えさせていただくことは可能でしょうか」

 山口が大森に伺いを立てた。

「山口さんが望む環境を提供しましょう」

「ありがとうございます。それでは、ArcGISとそれのプラグインであるSANET、あと、計算ソフトのRを導入した環境をお願いいたします。それから、かなり高負荷な演算を行いますので、できるだけハイスペック、特にメモリをふんだんに積んだマシンをご用意願います」

「わかった。全部提供させる」

 大森が快諾した。

 その二日後には、山口のデスクにミドルタワーのパソコン一式がセットされた。

 パソコンには、山口が要求したアプリケーションがすべてインストールされていた。

「あとは、今までの発生場所を一覧表でご提供ください」

 山口が大森にリクエストした。

「すぐに出させる」

 大森は、その場で刑事部参事官に電話をして、発生場所のデータを山口まで届けるように依頼した。

 10分もしないうちに刑事部の職員が発生場所のデータを記録したUSBメモリを持参した。

「ありがとうございます。早ければ明日には結果をお返しできます」

 山口が礼を言った。

「お父さん、話しかけていい?」

 珍しく真剣な表情の山口にテワタサナイーヌが恐る恐る声をかけた。

「いいですよ。どうぞ」

 山口が作業の手を止めてテワタサナイーヌを見た。

「お父さんは、一体いつ地理プロの技術を開発したの?」

「私が犯抑に来てすぐです。まだテワさんや大輔さんが着任する前ですね」

「へー、そうなんだ。でも、地理プロは、犯抑の主管業務じゃないよね。なんで?」

「少しでも現場の方の無駄を少なくしたいと思ったからです。地理プロというのは、犯人の家がここにありますと予言するような技術ではありません。あくまでも確率論として『このあたりに拠点があると推定される』ということしかできません。それでも、まったく手がかりがない中で、闇雲に広範囲に人を投入するよりも、少しでも優先順位を付けて集中的に人を投入して時間と人的リソースの節約を行ったほうがいいという思想です」

「なるほどー。そういうものなのね。私、プロファイリングって、もっと魔法みたいな神秘的なものなのかと思ってた」

「そういうイメージがありますよね。犯罪者プロファイリングには、なんとなくそんな側面がなくもないですが、地理プロに限っては、完全に統計学というか確率論の世界です」

「お父さん、大学で統計学専攻したの?」

「してません」

「じゃあ、高校のとき数学が得意だったとか?」

「苦手でした。高校1年のときは成績が1でした」

「ダメじゃん」

「そうです。ダメな生徒でした」

「なのに、なんで統計学の世界に首を突っ込んだの?」

「面白そうだと思ったからです」

「そんな理由なんだ」

「面白そうと思うことは、最強の動機です」

「そっか。そう言われてみればそうね」

 テワタサナイーヌが頷いた。

「副本部長が『日本で一人しかできない技術』って言ってたでしょ。あれはなんで?」

「それは、私が開発しただけで、警視庁として正式に採用されたものではないからです」

「つまり、当たらないってこと?」

 テワタサナイーヌが笑った。

「なんて失礼なことを」

 山口も笑った。

「当たりますよ。かなり」

 山口が作業を続けながら控えめに自慢した。

「いま、数理的な地理プロの世界的なスタンダードになりつつあるのが、カナダのバンクーバー市警察に所属していた警察官でキム・ロスモという人が開発したCGTという手法です。私は、これを日本の道路事情に合うように改良したんです」

「どういう風に? ていうか、そもそもCGTって何?」

 テワタサナイーヌが首を傾げた。

「テワさん」

「なーに?」

 二人の会話は、ここから始まる。

「テワさんが、今回の事件の犯人だとします」

「えー、私幼女に興味ない」

「いえ、だから仮定の話です」

「わかってまーす」

「テワさんが、犯人だとして、自分の家の近くで犯罪を犯そうと思いますか?」

「思わない」

「なぜですか」

「知ってる人に見られるかもしれないじゃん」

「そうですね。ですから、犯人の家に近いところで犯罪が行われる確率は低くなります。では、逆にずっと遠くではどうですか?」

「うーん、それも嫌かな。だって戻ってくる間に職務質問や検問に遭うかもしれないでしょ」

「そうでしょう。だから、家から遠くなればなるほど犯罪が行われる確率が低くなります。そうすると、家からの距離が離れるにしたがって、犯罪が行われる確率が徐々に高くなります。そして、一定の距離を境に今度は確率が下がっていくことになります。その確率を図にするとこういう形になります。

 

【挿絵表示】

 

 山口は、手元にあった紙の裏にグラフを書いてみせた。

「こういう形を描くグラフを距離減衰関数といいます。そして、この形を描く現象というのは、自然界に割りと多くて、対数正規分布という確率密度関数で表されることがしばしばあります」

「うん。わかんない」

 テワタサナイーヌがぽかーんと口を開けている。

「難しいことはわからなくてもいいです。今言った対数正規分布を一連の事件に適用して、犯人の住居や活動拠点のありそうなところを推定するのが私の手法です。CGTと違うところは、距離の算出方法と距離減衰関数の式です。CGTでは、距離を縦軸と横軸に沿って計測します。こういう距離の出し方をマンハッタン距離系といいます。海外のように道路が碁盤の目に整備されているところでは、これが最短移動距離になりますから、マンハッタン距離系でうまく当てはまります。ですが、日本では碁盤の目のように道路が整備されているところは少ないです。なので、私は道路を移動する道のりを距離として採用しています。こういう距離の出し方をネットワーク距離といいます」

「ますますもってわからなくなってきた」

 テワタサナイーヌの頭が倒れたまま起き上がらなくなった。

「まあ、そのネットワーク距離と対数正規分布を使って犯人の住居を推定しようというわけです」

「それがキモなのね」

「はい。キモなのです。ただ、犯人の移動手段や罪種によって距離減衰関数のピークをどこにするかという問題があります。そこは、経験と勘の世界です。ケースを積み上げれば何らかの定数が得られるかもしれませんが、今のところはまだ職人芸と言わざるを得ません」

「やっぱり刑事の経験と勘は必要なのね」

「はい。科学捜査が進んでも、刑事の経験と勘が不要になることはありません。プロファイリングは、刑事の経験と勘を補完する役割でしかないのです」

 山口は、テワタサナイーヌと会話しながら休みなくパソコンで演算や地図の操作を繰り返している。

「ここが一番負荷の高い作業になります」

 山口が作業開始のエンターキーを叩いて背伸びした。

「なにをしてるの?」

 テワタサナイーヌが質問した。

「地図の範囲を数十万の細かいメッシュに切ります。そのひとつひとつのセルから各犯行地点までのネットワーク距離を計測して、距離減衰関数に代入します。そして、得られた数値を合計してそのセルのポイントとします。この演算をしてるところです」

「ごめん。聞いた私がバカだった」

 テワタサナイーヌが両手を上げた。

「負荷が高いといっても、ハイスペックなマシンを用意してもらえましたから、もうすぐ終わると思います」

 山口が紅茶をすすった。

「あ、終わりましたね。そうしたら、この結果を各セルに代入して地図表示させればできあがりです」

「えっ、もう終わっちゃうの?」

「そうです。数理的に処理するだけなので簡単なんです」

 山口は、できあがった地図をテワタサナイーヌに見せた。

 

【挿絵表示】

 

「へー、なんかきれいな地図になるのね」

 テワタサナイーヌが感心した。

「この地図の赤くなっているところが高確率域。つまり、犯人の住居や活動拠点があると推定されるところです。高確率のところから順に人を投入するのが効率的といえます」

 山口が説明した。

「なるほどねえ」

 テワタサナイーヌは、感心して言葉も出ない。

「でも、よく見てください。この地図だと川も確率を計算していますから、高確率のところが川の上だったりします。人は道路を移動します。ですから、平面ではなく道路に確率を反映させることで、より具体的なイメージを提供することができるんです。それがこの地図です」

 山口が別の地図を表示させた。

 

【挿絵表示】

 

「うわー、きれい! こっちの方がずっとわかりやすい。道路に色が付いてるもんね」

 テワタサナイーヌが歓声を上げた。

「これを刑事部に提供して、捜査に使ってもらいましょう」

 山口がサンプルをプリントアウトして大森に見せ、データを刑事部に送信した。

 

 

「犯人の部屋からは、大量の児童性愛を描いたマンガやアニメ作品が発見され、警察に押収されました……」

 テレビから連続女児わいせつ犯逮捕のニュースが繰り返し流れてくる。

「お父さんの地理プロが当たったんだって?」

 テワタサナイーヌがテレビを見ながら山口に訊いた。

「はい。私が作った地図の高確率域の中に犯人の家があったそうです」

 山口が嬉しそうに答えた。

「すごいじゃない。ばっちり当たったってわけね」

「今回は、ですよ。すべての事件で当たるわけではありませんから」

 山口が謙遜した。

「日向もこういう男にひっかからないようにしないとね」

 テワタサナイーヌが忌々しそうに画面を見つめる。

「児童性愛ってロリコンのことでしょ? まったく理解できない。なんで子供に萌えるわけ? 変態なの?」

 テワタサナイーヌが吐き捨てた。

「そうねえ、私にも理解不能。ていうか気持ち悪いわよね」

 弥生が頷いた。

「日向を裸にして、あんなことやこんなことをするようなマンガやアニメなんでしょ…… ぎゃーっ、絶対に許せない! ぶっ殺してやる!」

 テワタサナイーヌが怒りをぶちまけた。

「テワさん、テワさん」

 大輔がテワタサナイーヌに声をかけた。

「なによ! 変態!」

 テワタサナイーヌが大輔に当たり散らした。

「いや、俺は犯人じゃないし」

 大輔が苦笑した。

「お怒りはごもっともだと思うんだけど、この犯人が観てたのは、マンガやアニメ作品でしょ。実在の子供を対象にした児童ポルノとは違うよ」

「あ、あんた犯人の肩を持ってる。さては、あんたもロリコン?」

 テワタサナイーヌが大輔を睨んだ。

「ははは。俺はテワさんラブだから。三十過ぎた幼女はいないっしょ」

 大輔は、テワタサナイーヌの攻撃を相手にしないで受け流した。

「うん。わかった。それならいい。でも、なんで犯人の肩を持つようなことを言うのよ」

 テワタサナイーヌは、そこがまだ納得できなかった。

「いや、俺だって犯人に同情できるところはひとかけらもないよ。だけど、その怒りをマンガやアニメに向けるのは、ちょっと筋違いじゃないかなって思うんだよね」

「えー、どうしてよ。そんなもん読んだり観たりしてるからロリコンになって犯罪に走るんじゃない。なくしちゃえばいいのよ」

 テワタサナイーヌの怒りはまだ収まらない。

「まだ収まらないみたいですね」

 大輔が苦笑しながらビールを飲んだ。

「ロリコンのマンガやアニメに触れるからロリコンになるのかな?」

 大輔がテワタサナイーヌに疑問を投げかけた。

「え? どういうこと? 当たり前じゃない」

 テワタサナイーヌがきょとんとした。

「いや、ロリコンものに興味がない人が、ロリコンものの作品を観るのかなってこと」

 大輔が落ち着いた声で答えた。

「観たいと思うから観るんでしょ」

 テワタサナイーヌが憮然とした表情で応じた。

「そうだよね。観たいから観るんだよね。だから、ロリコンものの作品が犯人を作り出したんじゃなくて、もともとロリコン気質がある人だからロリコンものの作品も観るし、子供に手を出すんじゃないかな」

 大輔がゆっくりと説明した。

 大輔の説明の仕方が山口に似てきた。

「んー? 言われてみればそうよね。ロリコンじゃない人がロリコンものの作品を観ても気持ち悪いだけだもんね。そもそも観ようと思わないか……」

 テワタサナイーヌが頬杖をつきながら頷いた。

「そうでしょ。だから、さっきみたいな事件があると、だいたい『犯人の部屋からロリコンものの作品が押収された』みたいなニュースになって、『あ、ロリコンものを観てるやつは犯罪者になるんだな』っていう意識ができるじゃない。つまり、子供に対する犯罪を犯した犯人の部屋には、高い確率でロリコンものの作品がある。ゆえに、ロリコンものの作品が部屋にある人は犯罪者になるっていうことになってしまうけど、それって因果関係が逆だよね。ロリコンという性癖があるからそういう作品を観ているわけで。でも、たいていのロリコンの人は犯罪者じゃない。統計がないから断言できないけど、ロリコンの人の中のどれくらいの割合の人が犯罪を犯すのかっていうことと、非ロリコン群の人の中から犯罪者が出る割合を比べないと、ロリコン=犯罪者とは言い切れないよね」

 普段あまり長々と持論を述べない大輔が珍しく語った。

「大輔くんの言うとおりだわ」

 テワタサナイーヌも大輔の説明が腑に落ちた。

「でもさ大輔くん」

「なに?」

「ロリコンの作品って、そもそも児童ポルノで違法じゃないの?」

 テワタサナイーヌが大輔を見つめた。

 実は、テワタサナイーヌは答えを知っていたが、大輔がどれくらい知っているか確かめたのだ。

「え、ものによるでしょ。二次元だったら児童ポルノじゃないし、三次元だと児童ポルノで違法だよ」

 大輔はすらすら答えた。

「さすが大輔くん。ちゃんと知ってたんだ」

「もちろんでございましょうとも。そこを混同してる議論が多いよね。幼児性愛を描いた作品は、全部児童ポルノだ、みたいな」

「児童ポルノの定義を読めばわかることだけどね。児童ポルノは『児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写したもの』っていう定義があるでしょ。で、児童って18歳未満の者なわけ。『者』だから自然人じゃなきゃいけない。そうなると、二次元表現は、児童ポルノに該当しない」

 大輔が児童ポルノの定義を説明した。

「大輔さん、よく勉強してますね」

 山口が口を挟んだ。

「前にも一度言いましたが、法律は第1条をよく読まないといけません。児童ポルノ処罰法の1条には『児童の権利を擁護することを目的とする』と書かれています。つまり、実在の児童を保護することが目的です。それ以外の目的はありません。ですから、実在の児童をモデルとしない二次元表現は、この法律による規制の対象にはならないということです」

 山口が紅茶を飲みながら続けた。

「ロリコンものの作品が気持ち悪いと思うのは否定しません。表現に対する感じ方は人それぞれですから。ですが、『俺が不快に感じるから』という理由で他人の表現を規制しようとするのは乱暴です。それを許容してしまうと、あらゆる表現が規制可能になってしまいます。『俺の表現は規制されるべきでないが、あれは規制されるべきだ』というのは、ただのわがままでしかありません。法律にダブルスタンダードは許されないのです」

 オタク気質の山口は、主観的な基準による表現規制に強い危惧を抱いている。

「これと同じようなことが、子供の成績とスマホ利用時間の相関などでもよく言われます。スマホ利用時間が長くなると、その子供の成績が悪くなる、というような調査結果のときです。成績がよくない子というのは、そもそも勉強したくないんです。だからスマホやゲームをするんです。そういう子からスマホやゲームを取り上げても勉強はしません。他のことをやるだけです。わかりやすい相関関係があるものに目をつけて、それを悪者にするのは簡単です。でも、それが本当の因果関係にあるのかは甚だ疑問です。このように、他に原因となることが隠されているにもかかわらず、あることとあることに相関関係が現れることを擬似相関といいます。これはたくさんありますから統計を読むときによくよく気をつけないと、間違いを犯すことになります」

 山口が力説した。

 

「ということで日向は、勉強好きですか?」

 山口が日向の頭を撫でた。

「しらなーい」

 日向が首を振った。

「そうですね。まだわかりませんね」

 山口が笑顔で応えた。




 この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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