当たり前の後ろ ~テワタサナイーヌ物語~   作:吉川すずめ

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トースト!

「最近どうしたんですか」

 仕事から帰宅した山口が玄関で出迎えたテワタサナイーヌを見て言った。

「どうしたのって、何が?」

 テワタサナイーヌには何を言われているのか理解できなかった。

「たぶんお父さんは、テワさんが家で裸じゃないってことを言いたかったんだと思うよ」

 大輔が山口の言いたかったことを代弁した。

「え、そういうことなの?」

 テワタサナイーヌが山口の顔を見て小首を傾げた。

「テワさん、超かわいい!」

 大輔が騒いだ。

「うん。ありがと。私のこと好き?」

「もちろん好きですとも」

「あの……」

 山口が申し訳なさそうに声を出した。

「あ、ごめん、ごめん」

 テワタサナイーヌが頭を掻いた。

「私が言いたかったのは、いま大輔さんが言ったことで正解です。最近、テワさんが家で服を着ているからどうしたのかと思いました」

 そう言った山口の足元では、すっかり一人で歩けるようになった日向(ひなた)が尻尾を振りながら山口と大輔の間を行ったり来たりしている。

「うん。日向がまだ家の中と外を区別できないから、私の真似をしないようにと思って」

 テワタサナイーヌは、日向の頭を撫でた。

 日向は気持ちよさそうに目を閉じて柔らかい舌を出している。

「そうね。早苗ちゃん偉い。日向ちゃんは、お母さんの真似をするからね」

 今度は、弥生がテワタサナイーヌの頭を撫でた。

 テワタサナイーヌも目を閉じて柔らかな舌をてろんと出して喜んだ。

「外が暑くなけりゃ服を着てても暑いっていうわけじゃないから平気。日向には、服を着るっていう習慣を身に着けてもらわないとね」

「動物の血が入っていると意外なところに気を遣わないといけないわね」

 弥生が笑った。

「私は、人間に犬の血が入って服を脱ぐようになってきちゃったけど、日向は最初から犬の血だから、今からちゃんと教えてあげれば苦労しないと思うの」

 テワタサナイーヌが日向を抱き上げた。

「きゃー」

 日向が喜んで声を上げた。

「日向は、裸族になっちゃダメだぞ」

 テワタサナイーヌが日向を目の高さに抱え上げ、目を合わせて言い聞かせた。

「らー」

「あら、それは『裸族』の『ら』なのかしら?」

 弥生が日向の頬をつついた。

「あーぃ」

 日向が答えた。

 

 いま、都内では来月に国連常任理事国であるB国大統領の来日を控え、大規模な警備が実施されている。

 B国大統領は、就任後初めての来日のため、国賓としての接遇を受けることになっている。

 外国の要人には、「国賓」「公賓」「公式実務訪問賓客」の三種類がある。

 国賓とは、政府が儀礼を尽くして公式に接遇し、皇室の接遇にあずかる外国の元首やこれに準ずる者で、その招へいと接遇が閣議で決定される。

 公賓とは、政府が儀礼を尽くして公式に接遇し、皇室の接遇にあずかる外国の王族や行政府の長あるいはこれに準ずる者で、その招へいと接遇は閣議了解を経て決定される。

 公式実務訪問賓客とは、外国の元首、王族、行政府の長あるいはこれに準ずる者が実務を主たる目的として訪日することを希望する場合、賓客の地位、訪問目的に照らして政府が公式に接遇し、皇室の接遇にもあずかる賓客で、その招へいと接遇は閣議了解を経て決定される。

「はい、犯抑の山口です」

 デスクの電話が鳴り、山口がいつものように電話に出た。

「沼田です」

「あ、はい。お世話になっております」

(沼田って誰だ?)

 山口は、電話の相手が誰なのか、頭の中の知り合いリストと照合したが思い当たらなかった。

(かといって、「どちら様ですか」と訊くわけにもいかないし。さて、困ったぞ)

「大輔さんと一緒に部屋まで来てください」

 沼田と名乗った男は、大輔とともに部屋に来るように一方的に言って電話を切った。

「大輔さん」

「はい、なんでしょう」

「沼田っていう人をご存知ですか?」

 山口が大輔に心あたりがあるのではないかと思い、確認してみた。

「新総監です」

 大輔が即答した。

「あはは。そうでしたね……」

 山口が右手を額に当てて苦笑した。

「えっ、えっ、総監ですよね!?」

 山口が青くなった。

「総監ですよ」

 当たり前だろうという顔で大輔が答えた。

「一緒に来てください!」

 山口が大輔の襟首をつかんで立ち上がった。

「ちょっ、おとう、じゃなかった係長やめてください」

 大輔は突然襟首をつかまれて慌てている。

「総監に呼ばれました。大輔さんと行って参ります」

 副本部長室に声をかけて山口が大輔を引きずりながら部屋を出た。

「さっき電話で総監から直接呼び出されました」

「え、そりゃ大変ですね。秘書室も通さずに直接呼ぶなんて珍しい」

 山口と大輔が話しながら総監室のフロアに上がった。

「犯抑の山口警部と山口大輔警部補です。総監から直にお呼び出しをいただきました」

 山口が秘書に出頭の理由を説明した。

「え、聞いていませんが……」

 秘書が戸惑った。

「確認してきます」

 秘書が総監室に入った。

「どうぞ、お入りください」

 秘書が山口らを呼んだ。

「犯抑、山口警部、山口大輔警部補入ります」

 山口が入口で申告した。

「あ、山口さんですね。どうぞお入りください」

 低く落ち着きのある声で総監が二人を招き入れた。

「どうぞお座りください」

 総監が二人にテーブルの椅子を勧めた。

「失礼いたします」

 山口と大輔がテーブルについた。

「お仕事中にお呼び立てして申し訳ありません」

 総監が話し始めた。

「いえ、とんでもない」

 山口が答えた。

「お二人にお越しいただいたのは、来月来日するB国の大統領から日本国政府に直々の要請があったからなんです」

 総監が笑顔で言った。

「はあ」

 山口は気の抜けた返事しかできなかった。

 B国の大統領の要請がなぜ自分に関係があるのか、さっぱり見当がつかなかった。

「大統領は、国賓として来日されます。国賓は天皇陛下主催の宮中晩餐会に招かれます。そして、通常、答礼として国賓主催の晩餐会が開催されることになります」

「はい」

 それは山口も知っていた。

「大統領が、答礼晩餐会に山口さんと山口大輔さんをご夫妻でお招きしたいというご意向です」

「は?」

 山口と大輔が間の抜けた声を上げた。

「総監、お言葉ですがB国大統領主催の晩餐会に私たち家族のような市井の者が招待されるというのは、俄に信じがたいのですが……」

 国賓の答礼晩餐会に一介の警察官が招待されるというのは、常識では考えられない。

「それは私も外務省に言いました。ですが、先方からの指名ということであれば外務省でも断ることができないということでした」

 総監が困ったような顔をした。

「たしかに、B国では大統領の招待を断れるのは、旅行で不在の場合など限られた理由があるときのみで『先約がある』では招待を断れないというのが慣行です。それを考えれば、外務省としても断れないとは思います」

 山口が言うと総監も頷いて同意した。

(なんで係長は総監と対等に国際儀礼の話ができるんだ)

 大輔は、話のスケールが大きすぎて、ついていくことができなかった。

「断れないのは理解しておりますが、なぜ私たち家族が招待されたのでしょうか」

 山口としては、招待の理由が気になっていた。

「私も気になって外務省に訊いてみたんです。先方は、はっきりしたことは言わなかったそうですが、どうやら山口さんのお嬢さん、こちらにいらっしゃる大輔さんの奥様でもいらっしゃいます。山口早苗さんの活躍に注目されたようで、一度お会いして話をしたいということのようです」

 総監が山口と大輔の顔を交互に見ながらゆっくりと説明した。

「そういうことであれば納得できます」

 山口は、テーブルの上に置いた手を膝におろしながら答えた。

「それでは、招待に応じると外務省に返答します」

「かしこまりました。それでは、失礼いたします」

 山口と大輔が立ち上がって総監に敬礼した。

「あ、山口さんは、ちょっと残ってください。大輔さんは、お疲れさまでした」

 総監が山口だけを残した。

(嫌な予感しかしない)

 山口は、背中を気持ちの悪い汗が流れるのを感じた。

「失礼いたします」

 もう一度挨拶をして山口は椅子に腰掛けた。

「今回、晩餐会に早苗さんが招待されたのは、もう一つ理由があります」

 総監が本当の理由について話し出した。

「やはりそうでしたか。大統領が早苗に関心を示したというのは、その能力に着目されたのではないですか」

 山口が切り返した。

「おっしゃるとおりです。大統領ご自身が関心を示したのもそうですが、SSが強い関心を示したそうです」

「おおよそ事態が呑み込めました」

 SSというのは、シークレット・サービスの略で、大統領の身辺警護を行う組織のことだ。

「SSは、大統領の行き先を事前にくまなく検索します。爆発物探知犬も入れて検索します。しかし、晩餐会開会中に犬を会場に入れることはできません。そこで、早苗さんが会場内に入れば、万一、爆発物を持ち込まれても早い段階で察知できるのではないかということでした」

「それを確かめたい、と」

「そういうことです」

 総監が頷いた。

「この件は、早苗に伝えるべきでしょうか。それとも伏せておいた方がいいでしょうか」

「教えてあげてください。任務を帯びているということがわかれば、ご自分が招待された理由も理解できると思います」

「かしこまりました」

「一点よろしいでしょうか」

 山口が総監に質問があることを申し出た。

「どうぞ」

「今回、私たち家族四人が招待されると、早苗の娘の面倒をみることができません。通常、子連れでの列席はNGかと思いますが、ご配慮いただけるものでしょうか」

「なるほど、それもそうです。外務省から先方に掛け合ってもらいます」

「よろしくお願いいたします。子連れが不可であれば託児を探します」

 山口が頭を下げた。

「後ほど、B国大使館から招待状が届くことになると思います。ドレスコードなどもあると思いますので、失礼のないようにお願いします」

「承知いたしました」

 山口が総監に敬礼をして退室した。

(早苗さんもワールドワイドになってきたな)

 山口は、階段を下りながら今回の話のスケールの大きさに若干怖気づいた。

「総監に呼ばれ、B国大統領来日時、大統領主催の答礼晩餐会に私たち家族四人が招待されることになりました」

 犯抑に戻った山口は、今あったことを副本部長の坂田警視長に報告した。

「それはまたすごいことになりましたね。山口さんなら失礼なくやってもらえると思いますから、どうぞ行ってきてください」

 坂田が笑顔で出席を許可した。

 

「もうやだー、私ってば社交界デビュー?」

 晩餐会の話を聞いたテワタサナイーヌが興奮した。

「ねえねえ、お父さん。なに着てけばいいの?」

 テワタサナイーヌが興奮しながら山口に訊いた。

「晩餐会ですから、招待状に記載されているドレスコードに従います」

「そうなんだ。普通はどうなの?」

 テワタサナイーヌが小首を傾げた。

「想像ですが、今回は、ブラックタイになると思います」

「ブラックタイ? 黒いネクタイのこと?」

「はい。簡単に言えば男性はタキシード、女性がディナードレスかイブニングドレスになります」

「えー、制服じゃないんだ」

「もちろん制服がある職業人の場合は、制服も正装とみなされますから、制服での列席も失礼には当たりません」

「じゃあ私は制服がいいな。制服の礼服って素敵だもん」

 テワタサナイーヌが目を輝かせた。

「それでは、早苗さんと大輔さんは、礼服を借りるといいでしょう。弥生さんは制服がありませんから、イブニングドレスを借りましょう。私もそれに合わせてタキシードを借りることにします」

 山口が提案した。

「そうですね。そうしたらいいと思うわ」

 弥生も賛同した。

「ところで日向は?」

 テワタサナイーヌが娘のことを思い出した。

「普通は子連れNGです。ですが、いま、外務省を通じて確認してもらっています」

「わかった。国際的な儀礼って大変なのね」

 テワタサナイーヌがため息を付いた。

「それともう一つ、今回は、重要なミッションがあります」

 山口がテワタサナイーヌの鼻に指を当てた。

「またなの?」

 事態を理解したテワタサナイーヌが笑った。

「はい、大統領直々に早苗さんの能力を見たいそうです」

 山口が少し話を膨らませた。

「えーーーーーっ!? 警察庁とかじゃなくて大統領なの!?」

 テワタサナイーヌが腰を抜かしそうな勢いで驚いた。

「はい、大統領とSSが早苗さんに関心があるそうです」

「なんか凄いことになってるんだけど……」

 基本的に物怖じしないテワタサナイーヌだが、さすがにこのレベルになると怖くなる。

「大統領にインタビューできるかな……」

 テワタサナイーヌがぼそっとつぶやいた。

「えっ、まさかやるんですか?」

 山口が驚いた。

「やりたい」

 テワタサナイーヌの目が真剣さを物語っていた。

「怖いもの知らずですね」

「怖いよ。おしっこちびるくらい。でも、こんなチャンス二度とないじゃん。あっちも私の能力を見たいっていうオーダーなんだから、こっちからもオーダーを出してもいいよね」

「言い出したら退きませんよね」

「うん。退かない」

「わかりました。総監から外務省に掛け合ってもらいます」

 山口が腹をくくった。

「早苗がテワタサナイーヌとして大統領にインタビューをしたいと言っています。私も大統領が早苗の能力を見たいというオーダーを出すのですから、こちらからもオーダーを出しても失礼には当たらないと考えます」

 翌日、山口は総監にアポを取り、大統領へのインタビューを具申した。

「ついに世界のトップに突撃しようというのですね。前の高柳さんから申し送りを受けています。テワタサナイーヌさんの突撃インタビューに協力するようにと」

 総監は、予想していたようで驚くことなく応じてくれた。

「あ、それと、子連れ列席の件ですが、今回は特例として許可していただけました」

 総監が笑顔で山口に伝えた。

「ありがとうございます」

 山口が礼をした。

 総監から外務省にインタビューの件を申し入れた結果、晩餐会前の5分間であれば、大統領控室で実施可能という回答を得ることができた。

「大統領がインタビューに応じでくれることになりました」

 山口がインタビュー実施可能という結果をテワタサナイーヌに伝えた。

「やった! さすが大統領。太っ腹だわ」

 テワタサナイーヌが喜んだ。

「日向、あなたは何を着て大統領に会おうかねえ」

 テワタサナイーヌが日向を抱き上げて言った。

「え、まさか日向を連れてインタビューを?」

 山口が不安そうな顔をした。

「当たり前じゃない。私は子育て中なのよ? それを知って晩餐会に招待したり、インタビューに応じるっていうんだから、子供を抱いてて何が悪いの?」

 テワタサナイーヌは、至極当然という顔で答えた。

「たしかに、道理です」

 山口は言い返せなかった。

「そういうことであれば、日向の育ち具合が予測不能ではありますが、私が晩餐会用のドレスを作りましょう」

(毒喰らわば皿まで)

 山口も気分が高揚してきた。

「さーて、鼻を鍛えるかな」

 テワタサナイーヌは、任務のため爆発物マーカーの臭いを覚えなければならない。

 爆発物対策係からマーカーのサンプルを借りてきて、自宅で繰り返し臭いを嗅いで覚えた。

「臭い」

 何度嗅いでも慣れない。

 テワタサナイーヌの隣では、日向も鼻をひくつかせながら臭いを嗅いでいる。

「ちゃい」

 あまりいい臭いはしないので、日向が顔をしかめた。

 

──晩餐会当日

 テワタサナイーヌと大輔は、借りた礼服を着込んだ。

 大輔は、結婚式のときに一度礼服を着ているが、テワタサナイーヌは初めてだった。

 女性警察官の礼服は、上着は男性と同じテーラードのジャケットだが、ウエストが絞られて女性らしさを醸し出す。

 ジェケットの両肩に階級に応じた肩章が付き、右胸の飾緒が華やかさを演出する。

 そのジャケットにミドル丈のタイトスカートが合わされる。

 靴は、エナメルのパンプスにした。

 大輔から贈られた首輪は外さない。

 弥生は、紫のイブニングドレスを借りた。

 山口は、タキシードを借りてきたが、中に着ているウイングカラーのシャツとボウタイは自前のものだ。

 日向には、彼女の髪の色に合わせたシャンパンゴールドのイブニングドレス風衣装を山口が作って着せた。

 五人は、山口が運転する車で迎賓館の通用門を入った。

 通常の招待客は、正門から入るが、今回は警備の任務を持っているため、通用門から入り警備詰所に立ち寄ったのだ。

 警備詰所には、SSのエージェントも来ており、テワタサナイーヌにSS側の無線機を着けさせ、犬耳に骨伝導式のイヤホンマイクを仕込んだ。

「テワタサナイーヌさんの無線は、日本語でお話しできます。なにかあったら日本語で私を呼んでください」

 SSのエージェントが流暢な日本語で説明した。

「はい、わかりました」

 テワタサナイーヌが笑顔で答えた。

 山口は、詰所のSPから挨拶をされたり、自分から挨拶をしていたが、どことなく居心地が悪そうに見えた。

「出たぞ!」

 詰所の無線が慌ただしくなり、一気に緊張感が高まった。

 大統領の車列が宿泊先のホテルを出発したのだ。

 車列は、完全に交通規制された中をノンストップで走ってくる。

 ホテルを出発してものの5分もすれば迎賓館に到着してしまう。

 無線は、車列の位置を細かく伝え続ける。

「迎賓館正門」

「車寄せ」

「降車中」

「到着」

 大統領が迎賓館に到着した。

 周辺の警備が一安心するのと入れ替わりに、迎賓館内の警備は緊張が最高に達する。

 大統領が控室に入り、しばらくしたところでテワタサナイーヌら五人が外務省儀典官室係員の呼び込みを受けた。

 インタビューの準備が整ったのだ。

 インタビューの模様は、冒頭のスチール撮影のみで動画は不可との条件を出されている。

 大輔が一眼レフカメラを抱えて山口に続く。

 テワタサナイーヌは、日向を抱え、弾むような足取りで歩いている。

 五人は、前室に通された。

「テワタサナイーヌさん、入りまーす」

 山口がテワタサナイーヌの耳元で囁いた。

 テワタサナイーヌの目つきが変わった。

「大輔くん、私かわいい?」

「もちろん、かわいいです」

「やっぱりそうよね。大統領も惚れちゃうかな」

「もちろん!」

「そうよね!」

 テワタサナイーヌは、どんどん自分を上げる。

「きゃー」

 テワタサナイーヌのテンションにつられて日向も楽しそうに声を上げた。

「お入りください」

 儀典官が五人を大統領の控室に通した。

「はーい、ミスター・プレジデーント!」

 テワタサナイーヌが大統領に駆け寄って抱きついた。

「Hi, Ms. Tewa-san 」

 大統領が抱擁を返した。

 大輔が写真を連写する。

 山口は、ハラハラしながら様子を見ている。

「ドウゾ」

 大統領が短い日本語でテワタサナイーヌに椅子を勧めた。

「ありがとうございます」

 テワタサナイーヌは、大統領が先に座ったのを確かめてから、笑顔で椅子に座った。

「今日は、私の無茶振りに付き合ってくださりありがとうございます」

 テワタサナイーヌが冒頭の挨拶をした。

 通訳が英語で大統領に伝える。

「いえいえ、国際関係の無茶振りに比べたら、なんでもないことです」

 通訳が大統領の答えを訳した。

「はじめに、私は、かわいいですか?」

 テワタサナイーヌが小首を傾げた。

(めっちゃかわいい!)

 大輔が写真を撮りながら心の中で叫んだ。

「とてもエキセントリックでかわいいと思います。お子さんもとてもキュートです」

 大統領が日向を見て笑顔になった。

「きゅー」

 日向が手を上げて声を出した。

「時間がないので質問は一つだけ」

「日本では、オレオレ詐欺という犯罪が大きな問題になっています。これと同じような犯罪がB国でもありますか?」

 テワタサナイーヌの質問を通訳が大統領に伝えた。

 大統領は、しばらく考えていた。

「我が国にも、オレオレ詐欺のような犯罪がないわけではありません。でも、日本ほど多くはありません。人が人を信じる気持ちを裏切るのは、国に関係なく忌むべきことです。我が国として、日本警察の捜査に協力できることがあれば、全面的にお力添えをします」

 大統領が力強く答えた。

「今日は、お忙しいところお時間を割いてくださりありがとうございました。今度は、私をB国に招待してくださいね」

「こちらこそ楽しい時間をありがとうございます。テワさんをご招待すること、覚えておきましょう」

 大統領が握手を求めた。

 テワタサナイーヌは、大統領と固い握手を交わした。

 大統領は、日向とも握手をして笑顔を作った。

「See you! 」

 テワタサナイーヌは、友達に言うように挨拶をして尻尾を振りながら部屋を出た。

 大統領の控室を出たテワタサナイーヌは、その場に座り込んだ。

 腰が抜けた。

「怖かったよー。すごいオーラだったよ。あんなこと言って、私消されないかな……」

 テワタサナイーヌは、額の汗を拭った。

「大丈夫です。大統領は、茶目っ気のある方で、あれくらいのお遊びは大好きです。今日は、事前にインタビューの趣旨も説明してありますから、大統領もわかって遊んでくれていたと思います」

 儀典官が説明してくれた。

「そうなんですね。ありがとうございます」

 テワタサナイーヌが安堵した。

 五人は、儀典官室係員の案内で招客の控室である「羽衣の間」に通された。

 羽衣の間では、食前の飲み物が供されていた。

 いよいよ晩餐会が開始となる。

 晩餐会は、レシービングラインでの招客の紹介から始まる。

 レシービングラインは、彩鸞の間で行われる。

 彩鸞の間で主人であるB国大統領夫妻と主賓夫妻がレシービングラインを作る。

 羽衣の間の招客は、名前を呼ばれた順に紹介用の名札を受領したうえ、彩鸞の間に進み、レシービングラインの大統領と主賓に挨拶をする。

 挨拶をすませた招客は、花鳥の間に進んで着席する。

 テワタサナイーヌらも彩鸞の間で挨拶を済ませて花鳥の間で着席した。

「ねえお父さん」

 テワタサナイーヌが小さな声で山口を呼んだ。

「なんですか」

「テーブルマナーってうるさいのかな? 私、自信ないんだけど」

 テワタサナイーヌがテーブルマナーを気にした。

「基本的には、イギリス式に則っておけば無難です。ですが、慣れないイギリス式にこだわるあまり、ぎこちない所作になる方がずっと恥ずかしいこととされます。動作が優雅でありさえすれば、多少の失敗は問題になりません。むしろ、そのような失敗をあげつらうほうが下品です。ただ、気をつけないといけないのは、食べ残しは不可です。洋の東西を問わず、食べ物に対しては感謝の気持ちを抱かなければなりません。テーブルマナーの出発点もここにあります」

 山口が小さいながらも通る声でゆっくりと説明した。

「そうなんだ。マナーに気を使いすぎてぎくしゃくする方が恥ずかしいってことなのね」

「そのとおりです」

「それを聞いて安心した。お父さん、ありがとう」

「いえいえ。堂々と食事を楽しんでください」

「うん」

 料理は進み、デザートが供される番になった。

「ちゃーい」

 それまでおとなしくテワタサナイーヌの膝の上で離乳食をもらっていた日向が声を上げた。

「あら、どうしたの?」

 テワタサナイーヌが日向の顔を覗き込んだ。

「ちゃーい、ちゃーい」

 日向が手足をばたつかせながら繰り返した。

「え、どうしたの?」

 テワタサナイーヌは、なぜ日向が急に声を上げたのかわからなかった。

「ちゃーい」

 日向がテワタサナイーヌを見上げて不安そうな顔をした。

(ちゃーい?ちゃいに何か意味があるの?)

 テワタサナイーヌが自分の頭の中の日向語をサーチした。

(確か前に聞いたことがあるはずなんだけど……)

 もう少しで記憶がよみがえりそうなのだが、そのもう少しがなかなか出てこない。

 イライラする。

「ちゃーい!」

 日向の声が強くなった。

「あっ!」

 テワタサナイーヌの記憶から日向語のリストが一つ飛び出した。

(爆弾!)

 晩餐会に招待されることが決まってから、爆発物マーカーの臭いを自宅で勉強しているとき、日向も一緒に嗅いでいた。

 そのとき、日向が「ちゃい」と声を上げていたのを思い出した。

「日向、ちゃいどこ?」

 テワタサナイーヌが臭いのもとを質した。

「ちゃーい」

 日向がきょろきょろしている。

 食後のデザートが供された。

 デザートには、貴腐ワインが合わされた。

「ちゃい!!」

 日向が大きく目を見開いた。

(え、この給仕さん?)

 日向は、デザートをサービスした給仕を目で追っている。

(間違いない。でも私には何も感じなかった)

 テワタサナイーヌは、嗅覚を最大にした。

 しかし、たくさんの食べ物の匂いが混ざり合っている晩餐会会場では、嗅覚を敏感にすればするほどノイズが大きくなり混乱した。

(でも、とりあえず日向の嗅覚を信用してSSに一報入れておこう。外れても困ることじゃないし)

「テワからSSさん」

「はい、SSですオーバー」

「いま、私の席にデザートをサービスした給仕さんからプラスチック爆弾の臭いがします。確認してください。どうぞ」

「了解!」

「ふぅ」

 テワさんは、大きく息を吸って吐いた。

「SSに連絡したよ。あなたの鼻が当たってるといいね。あ、当たってないほうがいいんだけど」

 テワタサナイーヌは、日向に話しかけた。

「んまー」

 日向はおとなしくなり、テワタサナイーヌから離乳食をもらってニコニコしている。

 デザートが供され乾杯となった。

 主人である大統領がスピーチたのめ立ち上がった。

 立ち上がった大統領にSSの責任者が耳打ちした。

 大統領は笑顔のまま頷いた。

 大統領がスピーチを始めた。

「……です。そして、本日は、日本国警視庁のテワタサナイーヌさんという、世界一のテロ対策官をお招きすることができ、光栄の極みです。テワタサナイーヌさんは、嗅覚により会場に紛れ込んだテロリストを特定してくださいました。ここに杯をあげて天皇皇后両陛下のご健康とご幸福をこいねがうとともに、日本国の繁栄を祈りたいと思います」

「トースト!」

 大統領が杯を掲げた。

「トースト!」

 会場内の全員が唱和して乾杯した。

「テワタサナイーヌさんに拍手を!」

 大統領が異例の挨拶を挟んだ。

 会場内が拍手に包まれた。

 テワタサナイーヌは、日向を抱いたまま優雅に礼をした。

 

 晩餐会が終わり、テワタサナイーヌらが警備詰所に戻ってきた。

 SSのエージェントが現れ、テワタサナイーヌに装着させていた無線機を回収した。

「今日は、すばらしい能力を見せていただき、ありがとうございました。大統領も感激していました」

 エージェントが流暢な日本語で挨拶した。

「いえ、今日、爆発物を識別したのは、私ではなく、娘の日向です。私が爆発物マーカーの臭いを勉強しているとき、隣で同じ臭いを嗅いでいた日向がマーカーを覚えていて、給仕からその臭いを感じて教えてくれたのです。そのことを大統領にお伝えください」

 テワタサナイーヌが日向を抱き上げて誇らしげに言った。

「そうでしたか。すばらしい能力をお持ちのお嬢様です。実は、今日のテロリストは模擬でした。大変失礼とは思いましたが、テワタサナイーヌさんの能力を見させていただくため、爆発物探知犬でも感知できない程度のごく微量のマーカーを塗布した服を着せた給仕を出したのです。お許しください」

 SSのエージェントが頭を下げた。

「そうでしたか。いえ、本物じゃなくてよかったです」

 テワタサナイーヌも笑顔で返した。

 

──迎賓館から帰りの車中

 日向は、チャイルドシートの中で寝息を立てている。

「ちゃい」

 日向が寝言を言った。

「『ちゃい』は、『くちゃい』ってことだったのね」

「あなた、とんでもない力を持っているんじゃないの?」

 テワタサナイーヌは、日向の頭を撫でた。




 この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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