当たり前の後ろ ~テワタサナイーヌ物語~   作:吉川すずめ

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霞ヶ関

 日向(ひなた)は、金色に近い薄茶色の髪と犬耳、右目が黒に近いディープシーグリーン、左目がテワタサナイーヌと同じエメラルドグリーンの瞳をもつ。

 犬耳は、外側が薄茶色で内側は白いふわふわの毛で覆われている。

 短めの尻尾も頭と同じ金色に近い薄茶色の毛が風になびくくらいに伸びてきた。

 すっかり首も座り、縦に抱っこをしても頭がぐらつくこともない。

 上下に四本の犬歯が生え、上の犬歯が唇からちょっと顔を出している。

 寝返りをうち始め、ベッドから落ちた日向は、ベビーベッドに寝かされることになった。

 今ではサークルの中をくるくると自由に動き回り、起き上がって座りあたりを見回している。

 ときにはサークルにつかまって立ち上がろうとする姿も見られる。

 

 今日は、育児休業中のテワタサナイーヌが日向を犯抑に連れて行くことになっている。

 大輔たちを見送った後、ゆっくりと外出の支度をした。

 久しぶりに着るスーツは身が引き締まる。

 テワタサナイーヌの体型は、出産前と同じくらいに戻っていた。

 出産前のスーツがそのまま着られる。

(あれっ、ちょっと待って。今日は仕事じゃないからスーツを着なくていいんだ)

 テワタサナイーヌが一人で照れ笑いをした。

 スーツを脱ぎ捨て、タイトなジーンズと薄手のカットソーに着替えた。

 まだ授乳中のテワタサナイーヌがカットソーを着ると、もともと大きかった胸がより強調される。

(なにこの巨乳)

 自分でも不思議な大きさだった。

「日向ー、お出かけするよ」

 サークルの中でつかまり立ちをしてお尻を振っている日向を呼んだ。

「んあ」

 日向が応えた。

 赤ちゃんを連れての外出は荷物が大きくなる。

 おむつ、着替え、タオル、ミルク用のお湯、哺乳瓶、粉ミルク、ウエットティッシュなどなど。

 テワタサナイーヌは、たくさんの荷物を詰め込んだリュックサックを背負い、日向を抱っこして家を出た。

「日向は、電車に乗るの初めてだね」

 テワタサナイーヌは、抱っこされている日向に話しかけた。

「あー」

「それは、お返事?」

 まだ言葉は出ないが、意思の疎通はできているような気がした。

 朝の通勤時間帯が過ぎ、上り電車も空席が目立っていた。

「よいしょっと」

 リュックサックを下ろして足の間に挟み、日向を膝の上に座らせた。

「あー? おー?」

 日向が物珍しそうに声を出している。

「で・ん・しゃ」

 テワタサナイーヌが一音ずつ区切ってゆっくりと言って聞かせた。

「だー」

「そうそう、上手に言えたねえ」

 明るい日差しが差し込む車内でテワタサナイーヌと日向は楽しく会話した。

「うおっ?」

 電車が地下に潜った。

 日向が少し驚いたように声を出した。

「そっか、電車が地下に入ると結構大きな音がするよね」

「電車の中は、ちょっとお耳の聞こえ方を絞るといいよ」

 テワタサナイーヌは、自分の犬耳を倒して耳をふさぐようにして見せた。

(まだわかんないかな)

 わからないとは思いながらも、とりあえずきちんと教えてあげようと思った。

 日向は、テワタサナイーヌの真似をしようとするが、まだ耳を自由に動かすことができない。

「やー」

 日向が泣きそうになった。

「いいのよ、まだできなくて。こうするの」

 テワタサナイーヌが日向の耳を手で倒してあげた。

「おー」

 日向が喜んだ。

 

 テワタサナイーヌが日向と遊んでいるうちに電車が霞ヶ関駅に到着した。

「あ、降りなきゃ」

 テワタサナイーヌがリュックサックを手に持ち、日向を抱っこして電車を降りた。

 ホームでリュックを背負い改札を出る。

 長い地下の通路を通って総務省の前で地上に出る。

 地上に出たすぐの歩道上、道路際に「霞が関跡」の標柱が立っている。

 気をつけていないと見落としてしまうくらい目立たない。

 その標柱には、こう記されている。

 

この辺りは、江戸時代、霞が関と呼ばれ、武家屋敷が建ち並んでいました。

そして、その名は代々受け継がれ、現在では中央官庁街の代名詞になっています。

霞が関は、武蔵国(現在の東京都・埼玉県・神奈川県の一部)の中にあったといわれていますが、正確な場所は分かっていません。

今のところ、霞が関のあったとされる場所として、千代田区・多摩市・狭山市が考えられています。

千代田区に霞が関があったとの説は、「武蔵野地名考」という資料の「上古(じょうこ)ハ江原郡に属す今ハ豊嶋郡にあり。」という記述、「江戸名所図会」という史料の「桜田御門の南、黒田家と浅野家の間の坂をいふ。往古の奥州街道にして、関門のありし地なり。」という記述から導き出されています。

また、名前の由来については、「武蔵野地名考」に「この場所から雲や霞の向こうに景色を眺めることができるため」と記されています。

 

 霞が関といえば中央官庁街の代名詞だが、実はそれがどこにあったのか定かでないという。

 テワタサナイーヌは、標柱の存在は知っていたが、そこに書かれている説明は読んだことがなかった。

「ほーら、あそこがお母さんの職場だよ。あそこにお父さんもじーじもいるんだよ」

 テワタサナイーヌは警視庁の建物を指差して日向に教えた。

 テワタサナイーヌは、首から提げてカットソーの中に入れていた職員証を引っ張り出して、門の前に立っている警備の機動隊員に見せた。

 玄関を入り、ゲートに職員証をかざした。

 軽快な機械音がしてゲートが開いた。

(ちゃんと開いてよかった)

 久しぶりなのでゲートが開くかどうか心配だった。

(身体が鈍っちゃってしょうがないから階段で行こうっと)

 テワタサナイーヌは、日向を抱っこしたまま階段室に入った。

 日向を抱っこしているので、万一のことがあってはならない。

 体力的にはまったく問題なかったが、あえてゆっくりと上ることにした。

 

♪ここに集った善良な皆さん

 お耳拝借 私の講釈

 ちょっとでもいいから聞いてって

 

 テワタサナイーヌは、口上を歌いながらゆっくりと階段を上った。

(ずっと休んじゃってるけど、やっぱり私は警察官なんだな)

 口上を口ずさんでいると、すぐにでも仕事に復帰したい気持ちになった。

「あーあー」

 日向もテワタサナイーヌの口上に合わせるように声を出している。

(あら、もう着いちゃった)

 歌いながら階段を上っていたら、いつの間にか10階に着いていた。

 テワタサナイーヌは、階段室を出て犯抑の部屋を覗いた。

 山口と大輔の姿が見えた。

「こんにちはー」

 テワタサナイーヌが入り口から顔だけだして控えめに声を出した。

「あっ、テワさん! お久しぶりです」

 テワタサナイーヌに気づいた係員が声をかけてくれた。

「どうもご無沙汰してます」

 テワタサナイーヌが頭を下げた。

 そのやり取りを聞きつけた大輔がテワタサナイーヌを迎えに飛んできた。

「疲れなかった? 大丈夫?」

 大輔がテワタサナイーヌと日向を気遣った。

「うん。電車も空いてたから大丈夫よ。途中、日向とおしゃべりしてたし。あっという間だった」

 テワタサナイーヌが日向の顔を覗き込んだ。

「お」

 日向が口を丸くしていった。

「こんにちは」

「ご無沙汰してます」

 部屋の奥に進みながら、係員に挨拶をして通る。

「ご無沙汰しています。娘の日向です」

 副本部長の坂田警視長に挨拶をして日向を見せた。

「いやあ、テワさんに似てかわいい女の子です。耳がたまりませんね」

 坂田が目を細めた。

「それにこの目が魅力的です。不思議な力を持っているように見えます」

 日向のオッドアイに魅入られた男が一人増えた。

 テワタサナイーヌは、久しぶりに自分のデスクについた。

「ここがお母さんの机よ。じーじの隣。後ろにはお父さんもいるよ」

 テワタサナイーヌが椅子を回転させながら日向に周りを見させた。

「きゃー」

 山口や大輔が視界に入ると日向は声を上げて喜んだ。

「テワさん、写真撮ってTwitterにあげよう」

 大輔がスマホを取り出した。

「そうだね。もう毛も生えそろったから公開してもいいかな」

 テワタサナイーヌが日向を抱き上げた。

「テワタサナイーヌが第一子を生みました。母親と同じ犬耳の女の子です」

 大輔が写真を投稿した。

「いつの間に出産を!」

「オッドアイすげー」

「やっぱり犬耳なんだ」

「金髪かわいい」

 妊娠、出産を伏せていたのでタイムラインは、驚きの声で溢れた。

 犬耳とオッドアイも衝撃的だったようだ。

「じゃあこれで帰るね」

「もう帰るの? ゆっくりして行けばいいのに」

 大輔が引きとめようとした。

日向(ひなた)、初めての電車だから。空いてる昼間のうちに帰らないと」

「そっか、そうだね」

 テワタサナイーヌは、溜まった配布物の整理や提出する書類の作成などを済ませると、坂田警視長に挨拶をして犯抑の事務室を出た。

 テワタサナイーヌは、日向を抱っこして階段で1階に下りた。

 ゲートに身分証をかざして、副玄関から外に出た。

 警備の機動隊員に挨拶をして総務省前の歩道をのんびりと歩いて霞ヶ関駅に向かう。

「あーあー」

 日向が総務省の1階にあるマルチスクリーンモニタに映る映像を指差して声を上げた。

「テレビがいっぱいあるね」

 テワタサナイーヌは、歩道を外れて総務省の前に近づいてモニタを見せた。

「お、お」

 日向は楽しそうにモニタを見ている。

「もういい?」

 日向に声をかけて駅に向かった。

 階段を降りて地下に入る。

 地下に入ってすぐ改札がある。

 この改札は丸ノ内線と日比谷線の改札だ。

 テワタサナイーヌが使う千代田線は、長い通路を歩いた先にある。

 テワタサナイーヌは、左脇に日向を抱えて改札前を通り過ぎようとした。

「お金を……はい……入れてきました……」

 テワタサナイーヌの犬耳が反応した。

 高齢の女性の声だった。

(こんなところでお金の話?しかもお年寄り)

 テワタサナイーヌは不審に思った。

 犬耳の感度を上げて声の主を探した。

 声の主はすぐに見つかった。

 改札を通り過ぎた先の通路脇にコインロッカーがある。

 そのコインロッカーの前で携帯電話で通話している70歳くらいの女性がいた。

「はい、コインロッカーの前に着きました。どうすればいいんですか」

 その女性は、電話の相手に何か指示を受けようとしている。

(これはまずい)

 テワタサナイーヌは、その女性がオレオレ詐欺の被害者だと直感した。

「え、ロッカーにお金を入れるんですか?そんなことしていいんですか?」

 電話の相手は、女性が持っているお金をコインロッカーに入れさせようとしているようだった。

(ここで止めて被害を防ぐ? それとも一旦お金を入れさせて犯人が取りに来たら捕まえる?)

(でも待って、お金を入れさせて、万一犯人に持って行かれたらまずいよ)

(今からステルス呼んで間に合うかな。とりあえず呼んでみよう)

 テワタサナイーヌは、女性の会話に注意しながらスマホで大輔に電話をかけて、今の状況を伝え、ステルスの応援を要請した。

「わかった、すぐ連絡する」

 大輔が緊張した声で答えた。

 テワタサナイーヌが注視している眼の前で、女性はコインロッカーの扉を開け、トートバッグの中から取り出した茶色の紙袋を入れた。

 女性は、ロッカーの扉を閉め、操作パネルの現金投入口に料金を入れた。

 操作パネルからレシートが吐き出された。

 その間、女性はずっと携帯電話で通話している。

「お金を入れましたよ。レシートが出てきました。はい、ロッカーは5番です。え、レシートに書いてある暗証番号ですか?どれのことかしら……」

 電話の相手は、ロッカーを開けるための暗証番号を聞き出そうとしていた。

「ああ、これですね。えーと、暗証番号は××××って書いてあります」

「あ、はい。これで逮捕されないんですね。ありがとうございます」

 女性が安堵したような表情で電話を切った。

(終わった、声をかけなきゃ。あ、警察手帳がない。預けちゃってたんだ。どうしよう)

 テワタサナイーヌは、カットソーの中から身分証を取り出してその女性に見せた。

「すみません。警視庁の警察官です」

「えっ、お金は払いましたよ。逮捕されないんじゃないんですか?」

 女性が怯えた。

「あ、大丈夫です。おばあちゃん、詐欺に遭っていたんです。どういうお話でしたか?」

 テワタサナイーヌがにこやかに女性に説明した。

「あ、はい。逮捕されないんですね。よかった」

 女性に安堵の表情が戻った。

「いえ、朝方のことなんですけどね。家に証券会社から電話があって『未公開株の購入権が当たった』て言われたんです」

「私、株に興味なかったから断ったんですよ」

「それで、『それでは弊社で購入させていただきますので、お名前だけ貸していただけますか』と言われたんです」

「名前を貸すだけなら別にいいのかなと思って、いいですよって言っちゃったんですよ」

「そうしたら、ちょっと後にまた電話があって『名義貸しはインサイダー取引で犯罪になる。保証金を払えば逮捕されない』って言われちゃったんです」

「もう私怖くなっちゃって」

「それで、どうしたらいいのかって聞いたら、200万円を紙袋に入れて、霞ヶ関駅のコインロッカーに入れろって言われたんです」

「でも、私、コインロッカーなんて使ったことないからわかりませんって言ったんです。そうしたら、駅に着いたら電話をくれ、電話で使い方を教えるからって」

 女性がこわごわ話をした。

「そうでしたか。間違いなく詐欺です。おそらく、もうすぐ犯人がお金を取りに来ます。私は犯人を捕まえますから、おばあちゃんは離れたところで待っていてください」

 そう言ってテワタサナイーヌは女性を有人改札の係員のところに案内した。

 係員に事情を説明して、女性を有人改札脇で待たせてもらった。

 日向を抱えたテワタサナイーヌは、警察官には見えない。

 堂々とコインロッカーの前で犯人を待つ。

 10分ほど日向とおしゃべりをしながら辺りの様子に気を配っていると、昼間の官庁街ど真ん中の駅に似つかわしくないだらしない服装をした大男が、きょろきょろと周りを見回しながら近づいてくるのを見つけた。

 男は、身長190センチはあるだろうか。

 背は高いが、体つきに締まりはない。

 ろくに運動もしていないのだろう。

(宝の持ち腐れだな)

 男はスマホで誰かと電話をしている。

 テワタサナイーヌは、男の会話に聴力を向けた。

 テワタサナイーヌの耳は、聞きたい音を選別することができる。

「はい、5番ですね。暗証番号が××××。了解しました」

(受け子に間違いない)

 テワタサナイーヌが確信した。

 しかし、まだステルスが到着した様子はない。

 もっとも、到着していてもどこに紛れているのかわからないのがステルスなのだが。

(私一人であいつを逮捕か。ま、できるな)

 日向を抱えていても、片手一本で倒せる自信はあった。

 その大男を逮捕することはできるが、問題は見張りがいてそいつにお金を持っていかれないかということだ。

(とにかくお金を持ち逃げされないようにしなきゃ)

 男がコインロッカーの操作パネルの前に立った。

 5番のロッカーを指定して、暗証番号を入力した。

 5番のロッカーが開放された。

 男がロッカーの扉を開け、中の紙袋に手を触れた。

「ちょっといい、警察よ」

 テワタサナイーヌが男の肩を叩いた。

 男がテワタサナイーヌを振り返った。

 その瞬間、男の顔が恐怖で引きつった。

 テワタサナイーヌがマズルを伸ばし、牙を剥いていた。

 日向もテワタサナイーヌの真似をして犬歯を剥き出しにしている。

「詐欺未遂の現行犯で逮捕する」

 テワタサナイーヌが男に告げた。

「ふざけんな!」

 男が自分の肩に置かれたテワタサナイーヌの手を掴んで立ち上がった。

 テワタサナイーヌはすっと重心を落とし、男の懐に入り込むように回転しながら掴まれた右手で男を前に崩した。

 男が前に崩れた勢いを右手で回転運動に換えて振り上げ、刀で切るように振り下ろした。

 回転の動きに乗ってしまった男は、まったく抵抗することもできずに仰向けにひっくり返った。

 呼吸投げ。

 すべての動きに無駄がなく、相手の動きに逆らわない流れるような動作だった。

 テワタサナイーヌは、自分の右手を握っていた男の手を持ち替えて、手首を極めた。

「ほーら、痛いでしょ。折れちゃうよ」

 テワタサナイーヌがニコニコしながら男の関節を締め上げる。

「いてーっ」

 男が痛みから逃れようとして身体を回転させた。

「あーら、自分からうつ伏せになっちゃって。いい子ねー」

 そう言いながらテワタサナイーヌは男の背中に膝を当てて制圧した。

 その間、テワタサナイーヌはずっと日向を左脇に抱えたままだった。

 日向は遊んでもらえたと思い、声を上げて喜んでいる。

「お疲れ。子供を産んでも相変わらずのキレだな」

 テワタサナイーヌの背後から聞き慣れた男の声が聞こえた。

 ステルスの班長だった。

(またいつの間にか来た)

「みんなで見て楽しんでたんでしょ」

 テワタサナイーヌは、声の主を見ず男を注視したまま言った。

「あまりにも見事な逮捕だったんで、俺たちが手を出すまでもないと思ってね」

 班長が笑った。

「被害者は、そっちの有人改札で待たせてるから、あとお願い」

 テワタサナイーヌが有人改札を顎で示した。

「知ってるよ。見てたからな」

「そんなとこから見てたんなら手伝ってよ」

「ははは。テワさんなら一人でやってのけるだろうと思ってさ」

「そりゃあこの程度の男なら片手一本でいけるけどさ。子供抱えてるんだからちょっとは手伝ってよ」

 テワタサナイーヌも笑いながら答えた。

「ぶー」

 日向も声を出した。

 被害者が用意した現金は、無事、被害者のもとに還された。

 

 翌日の新聞、ネットニュースにはテワタサナイーヌが大男を片手で投げ飛ばしている写真とともにオレオレ詐欺犯人逮捕の記事が数多く掲載された。

「犬耳婦警、片手で大男を投げ飛ばす オレオレ詐欺犯人逮捕」

「昨日、千代田区の地下鉄霞ヶ関駅構内で、犬耳の女性警察官がオレオレ詐欺犯人の男を片手で投げ飛ばして逮捕した。

◎育児中、子供を抱いたまま

オレオレ詐欺犯人を逮捕した女性警察官は、警視庁犯罪抑止対策本部の山口早苗警部補(32歳)。山口警部補は、今年3月に長女を出産、育児休業中で、昨日は、長女を連れて警視庁に来た帰りだった。

昨日は、駅のコインロッカーにお金を入れようとした高齢の女性をみつけ、声をかけたところ証券会社を名乗った犯人から名義貸しを持ちかけられ、その後、名義貸しが犯罪になると脅されて現金を用意したものであることを見抜いた。

その後、コインロッカーに入れられた現金を取り出しに来た犯人を詐欺未遂の現行犯として逮捕しようとした。その際、犯人が抵抗したため山口警部補は、長女を片手に抱えたまま、右手だけを使い合気道の投げ技で犯人を投げ飛ばして逮捕した。犯人は、身長190センチメートル、体重100キログラムを超える大男だった。

山口警部補は、聴力と嗅覚が警察犬に匹敵するという特殊な能力を持っている女性警察官で、過去にその能力により警視総監賞を幾度も受賞している。近いところでは、昨年の東京マラソンで白バイによる先導を務めた際、近くの不審者が持っていたバッグの中身を嗅覚で爆弾の原料と見破り、あわや大惨事となるところを未然に防いだことがある。

警視庁は、事件の背後関係や余罪について追及するとしている」

 そして、読者提供写真として、テワタサナイーヌが男を投げ飛ばしている瞬間と日向を脇に抱えて男を背後から膝で制圧している写真が掲載されていた。

「私、かっこよくない!?」

 新聞を見たテワタサナイーヌが歓声を上げた。

「テワさん、すごいよ。超かっこいい。かっこいいだけじゃなくて美しい!」

 大輔がテワタサナイーヌをほめちぎった。

「でしょー、惚れた?」

 テワタサナイーヌが勝ち誇ったような顔をした。

「とっくに惚れてますって」

 大輔が笑顔で答えた。

「それは知ってた」

 テワタサナイーヌも笑顔になった。

「それにしても、警視庁のお膝元で現金の受け渡しをするなんて、ずいぶん舐めた真似してくれるわよね」

 テワタサナイーヌが憤った。

「犯人にしてみれば、現金の受け渡しはどこでもいいんです。受け子が逮捕されようが犯人グループの首領にはなんのダメージもありません。だから、私たちは、使い捨てにされる受け子になる人を一人でも少なくする努力もしなくちゃいけない。受け子になっている人のほとんどは、始めからオレオレ詐欺に加担しようと思ってなんていません。受け子にとっても不幸な犯罪なのです」

 山口が真剣な顔で話した。

 

 そう話す山口が座っている椅子でつかまり立ちをしていた日向が、手を離してひとり立ちしていたのを誰も見ていなかった。




 この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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