当たり前の後ろ ~テワタサナイーヌ物語~   作:吉川すずめ

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グリーン&グリーン

「いやあ、典型的な安産でしたね」

 担当の医師が回診に来た。

「すっごい大変だったんですけど、あれで安産なんですか?」

 テワタサナイーヌは、安産と言われても納得できなかった。

 彼女は、慣れない手つきで日向を抱き、副乳でない乳房で授乳をしているところだ。

 抱くといっても、片手の上に乗ってしまうほど小さいので、「手に持つ」という表現がぴったり当てはまる。

 日向は、まだ目も開いていない。

 小さい体の小さい口を大きく開けてテワタサナイーヌの乳首に食いついている。

(ちょっとサイズ感が合ってない)

 テワタサナイーヌは、改めて日向の小ささを実感した。

「はい、安産ですよ。陣痛が始まってから赤ちゃんが生まれるまでの時間、お母さんのいきみ方、生まれるときの赤ちゃんの姿勢、会陰切開も不要、新生児仮死にもならず元気に泣けました。どれをとってもお手本になるような安産でした」

「犬みたいに?」

 テワタサナイーヌが小首を傾げて笑顔で医師を見た。

「あ、なるほど。安産だったのはそういう理由だったんですね」

 医学の常識で考えられない現実と長く付き合っている医師は、医学で説明できないようなことも難なく受け入れられるようになっていた。

「犬って多産じゃないですか。ひょっとして私も双子とか三つ子なんじゃないかと思っていたんです」

 テワタサナイーヌが屈託なく笑った。

「実は私もその可能性を考えました。そうなっていたら、超超ハイリスク妊娠になるところでした」

「あ、やっぱり先生もそう思ったんですね」

「ええ、失礼とは思いながら『犬だから』という理由で」

「全然失礼じゃないです。だって私半分は犬ですから」

 テワタサナイーヌは授乳しながら尻尾を振ってみせた。

「あ、今日からシャワーをしていただいて大丈夫です」

「本当ですか。ありがとうございます」

 授乳しながらテワタサナイーヌが頭を下げた。

「ふぎゃ!」

 テワタサナイーヌが頭を下げた拍子に日向の口から乳首が抜けてしまい、日向が怒った。

「あー、ごめん。抜けちゃったね」

 テワタサナイーヌは、慌てて乳首を日向の口にあてがった。

 日向は満足そうな顔で乳首を咥えた。

「では私はこれで」

 担当の医師は部屋を出ていった。

(ようこそ我が家へ)

 テワタサナイーヌは、妊娠検査薬で妊娠が判明した日に大輔が言った言葉を思い出した。

「お母さん、育児には全然自信ないけど頑張るからね」

 日向の顔を見ながら囁いた。

むきゅっ

 テワタサナイーヌの乳首を咥える口に力が入った。

「お返事なの? ありがとう」

 テワタサナイーヌが笑った。

「べっ」

 日向は乳首を舌で押し出すと満足そうな顔で眠りについた。

 テワタサナイーヌは、日向をベッドに寝かせた。

(まだ生まれて2日しかたってないけど、生まれたときよりずいぶん大きくなってるような気がする)

 生まれたときは、手のひらに乗ってしまいそうな大きさだったが、今日は手のひらからはみ出すほどになっている。

「こんにちは」

 獣医生命科学大の教授がテワタサナイーヌと日向の様子を見に来た。

「あ、先生、こんにちは。日向は、いまちょうど寝てしまったところです」

「そうですか。いやあ大きくなりましたね。この育ち方は犬ですね」

「この育ち方でいくと、おそらく一週間後には体重が生まれたときの倍くらいになりますよ」

 教授が日向の育ち具合を考察した。

「えっ、そんなに大きくなるんですか!?」

 テワタサナイーヌが驚いた。

「はい、個体差はありますが、犬は生後一週間でだいたい倍、三週間で3倍くらいになります。日向ちゃんは、生まれたときが1,200グラムくらいでしたから、三週間で普通の人間の赤ちゃんと同じくらいになるのではないかと予想しています。その後の成長がどうなるかは、私たちにもちょっと想像できません」

 教授が予測を披露した。

「むくむく大きくなる感じですね」

 テワタサナイーヌが嬉しそうに言った。

「はい。犬の赤ちゃんは、むくむく大きくなりますよ」

 教授も嬉しそうな顔をした。

 

「日向が正式に我が家の一員になったよ」

 日向の出生届を提出しに行っていた大輔が帰って来た。

 母子手帳に出生届済みのスタンプを押してもらい、記念に戸籍謄本を取ってきた。

「本当に私たちの子なんだね」

 戸籍謄本を見たテワタサナイーヌが感慨深げにつぶやいた。

「そうだね。元気に育ってくれるといいね」

 大輔が日向の頬をつついた。

「ぷぁ」

 日向が寝ながら大きなあくびをした。

「この子ね、話しかけたり触ったりすると、いちいち反応してくれるの。面白いよ」

「目は開いてないけど、他の感覚は鋭いのかもしれないね」

「いつごろ目が開くんだろうね。どんな目をしてるのか楽しみ」

「目が開く時期は、ずいぶん個体差があるみたいだから、気長に待つとしよう」

「うん」

 二人は飽きもせず日向の寝顔を眺めていた。

 

──生後一週間

「大きくなりましたね」

 面会に来た山口が驚いた。

 山口は、日向が生まれた翌日までしか見ていなかった。

 その後、仕事が立て込んでしまい面会に来られなかったのだ。

「獣医さんの説明だと、一週間で体重が倍くらいになるっていうことだったよ」

 テワタサナイーヌが説明した。

「そうなんですか。今日の体重はどれくらいだったんですか?」

「朝測ったときは、2,300グラムくらいだった」

「やはり倍くらいに増えたんですね」

「うん。犬の育ち方なんだってさ」

「犬並みの安産に犬のような育ち方ですか。でも、見た目は犬耳の付いた人ですから面白いですね」

「尻尾も付いてるよ」

 テワタサナイーヌが日向のお尻を出して見せた。

 薄い茶色の産毛が生えた尻尾がぴょこぴょこと動いている。

 生まれたときは、まったく無毛だった頭と耳にも薄茶色の毛が生え始めた。

 どちらの毛も薄茶色というより金色に近い色と光沢を持っていた。

「ひょっとして金髪なのかな」

 テワタサナイーヌが日向の頭を撫でた。

「ぷごっ」

 日向が寝息を立てた。

 

──生後二週間

 日向の毛が増えてきた。

 毛が生えている部分は、頭、耳、尻尾だけ。

 テワタサナイーヌのように顔や身体には毛が生えてこない。

 頭と耳、それと尻尾に生えている毛は、すべて同じ色をしている。

 ほとんど金色に近い薄茶色だ。

 顔つきも新生児特有の腫れぼったい感じがなくなり、すっきりとしてきた。

 顔に毛は生えていないが、鼻が黒く犬のそれのような形をしている。

「痛っ」

 授乳中のテワタサナイーヌは乳首に痛みを感じた。

「えっ、歯が生えてる!?」

 おっぱいを飲み終わった日向の口の中を見たら下の前歯が顔を出していた。

(これで噛まれたのね)

「おい、歯が生えてきたんだから、優しくおっぱい吸ってくれないと痛いぞ」

 テワタサナイーヌは、日向の頬を両手の指でつついた。

「ふんが」

 日向が声を上げた。

「ん、ちゃんとお返事して偉いぞ」

 テワタサナイーヌが笑った。

「お母さん、ちょっとトイレ行ってくるからおとなしく待っててね」

 日向に言ってテワタサナイーヌは部屋を出た。

「おっ!? おっ!? おーーーーっ!!」

 トイレから戻ったテワタサナイーヌが驚きの声を上げた。

 日向が目を開けていた。

「あらーっ、日向、あなた目が開いたの!? おっきいわねえ!」

 日向の目は、テワタサナイーヌのようにぱっちりと大きかった。

 その大きさも驚きだったが、何より瞳の色に驚いた。

 ディープシーグリーン。

 右目は深海のような濃い緑色。

 緑というより、ほとんど黒に近い深い色だった。

 一方、左目は、テワタサナイーヌと同じエメラルドグリーンだった。

「オッドアイ」

 テワタサナイーヌは、その美しさに魅入っていた。

 まだ視点が定まっていないが、見つめられたら吸い込まれそうな美しさだった。

「ねえねえ、日向が目を開けたの。見てこれ。きれいでしょ!」

 テワタサナイーヌは、日向を抱いてナースステーションの看護師に見せた。

「うわ! すごい。こんなの見たことない!」

 日向の目を見た看護師が口に手を当てて驚いた。

 日向は、目をぱちくりさせている。

 その網膜には、まだほとんど像が結ばれていない。

 ぼんやりと明るさを感じる程度だ。

「きれいな茶髪にオッドアイとか、あなたモデルにでもなるつもり?」

 テワタサナイーヌが日向に冗談を言った。

「んーー」

 日向が応じた。

 

──生後三週間

 日向の体重は、3,000グラムを超え、一般的な新生児と同じ程度にまで成長した。

 オッドアイの目は、ますます大きく開くようになり、きょろきょろと辺りを見回している。

 上顎の前歯も生え始め、授乳のたびにテワタサナイーヌが乳首を噛まれて顔をしかめる回数が増えた。

 金色がかった薄茶色の毛が頭と耳を覆い始めている。

 尻尾も頭と同じ色の毛で覆われた。

 体毛はない。

「日向は、私と毛の生え方がずいぶん違うね」

 テワタサナイーヌは、日向をあちこちひっくり返しながら観察した。

「ぶぎゃー!」

 ひっくり返された日向が怒った。

「はいはい、そう怒らないの」

 始めの頃は日向が泣くと手を引っ込めたり謝ったりしていたテワタサナイーヌだったが、すっかり慣れて、さらっと受け流せるようになった。

「もうちょっと毛が生え揃ったらフォロワーのみんなに報告しようか」

 大輔がテワタサナイーヌに相談した。

「そうね。まだちょっと毛が少なくてかわいそうだもんね」

 テワタサナイーヌは、日向の頭の毛を弄りながら答えた。

 産後、張りが出た副乳もいつの間にか消えてなくなっていた。

 テワタサナイーヌと日向は、まだ病院で過ごしていた。

 産後三週間入院というのは、異例の長さといえる。

 日向が特殊な遺伝子をもつ子供ということで、慎重に経過を観察したためだ。

「東大と獣医生命科学大の合同カンファレンスの結果が出ました」

 担当の医師が病室を訪ねてカンファレンスの結果が出たことを知らせた。

「特殊な遺伝子の影響で予期しない変化が現れるのではないかと心配していましたが、三週間経過しても特に問題となる症状はみられませんでした。カンファレンスの結果、退院してご自宅で過ごしていただけることになりました」

 医師から退院の許可が出た。

「日向を家に連れて帰れるんですね。ありがとうございます!」

 テワタサナイーヌが大喜びした。

「成長が普通のお子さんとまったく異なります。母子手帳に載っている成長曲線や標準的な発達の目安は、参考にしないでください。日向ちゃんは、あるがままの成長を見守ってあげてください。私の方から市や保健センターには連絡をしておきます。ひとつお願いしたいことは、日々の変化をできるだけ詳しく写真付きで記録して欲しいのです。山口さんの記録がそのまま学術的に価値のある資料になりますから」

「わかりました。忘れずに記録します」

 テワタサナイーヌが応じた。

 

──その週の土曜日

 テワタサナイーヌと日向が退院することになった。

 山口が運転する車に大輔と弥生が同乗して迎えに来た。

「長い間お世話になりました。皆さんのおかげで無事に退院を迎えることができました。本当にありがとうございます」

 短パンにタンクトップというラフなスタイルのテワタサナイーヌが薄いタオル地のカバーオールを着せた日向を抱いてナースステーションに挨拶をした。

 大輔、山口、弥生も深々と頭を下げて礼をした。

「日向ちゃーん、元気でね」

 看護師が日向に声をかけた。

「ぶぶ」

 日向が看護師を見て声を上げた。

「テワちゃん、写真撮らせて」

 看護師が写真撮影を申し出た。

「うん。どうぞどうぞ」

 テワタサナイーヌも快く応じた。

 看護師が思い思いにテワタサナイーヌ、日向とともに写真を撮影した。

「本当にありがとうございました」

 テワタサナイーヌが言い、全員で礼をした。

 看護師らが手を振って見送ってくれた。

 テワタサナイーヌは尻尾を振ってそれに応えた。

 カバーオールの中の日向の尻尾も振っているように動いていた。

「あ、ベビーシート付けてくれたんだ」

 山口の車の後部座席には、真新しいベビーシートがシートベルトでしっかりと固定されていた。

「もちろんです。日向に万一のことがあったら困りますからね」

 運転席から山口が後ろを向いて言った。

「その万一を起こすつもりはないよね?」

 テワタサナイーヌが笑いながら言った。

 ベビーシートに寝かされた日向は、物珍しそうにきょろきょろと周りを見回している。

「ぶぎゃーっ!」

 今までの環境との違いに気づいたのか、日向が激しく泣き出した。

「あらあら、気づいちゃった?まあ我慢してね。泣いてもベビーシートから出すわけにはいかないからね」

 テワタサナイーヌは涼しい顔で日向に言った。

 3,000グラムの日向を抱っこして、時速40kmで正面衝突した場合、日向は約210キログラムの重さで飛び出そうとする。

 とても人間の力で抑えることなどできない。

 泣こうが喚こうが、安全には代えられないのだ。

 山口の車は東大病院をゆっくりと出発して自宅に向かった。

 普段から慎重な運転の山口だが、いつも以上に運転が慎重になっている。

 大声で泣いていた日向も、泣いても相手にされないことがわかったのか、ぐずぐず言いながらベビーシートの中で横たわっている。

「ごめんね。でもあなたの命を放り出すわけにはいかないから」

 テワタサナイーヌは、日向に謝った。

「あー」

 泣き止んだ日向が元気な声を上げた。

 

 山口の車が自宅に着いた。

 テワタサナイーヌは、日向をベビーシートから取り上げて胸に抱えて車を降りた。

「ここがあなたの家よ」

 日向を縦に抱いて家を見せた。

 日向は、大きなオッドアイの目をぱちくりさせている。

 玄関を入る。

 日向が黒い犬のような鼻をひくひくさせている。

 匂いを確かめているかのようだ。

 家の中が嗅ぎ慣れた母や家族の匂いで満たされていることを知ると、日向は安心したような顔をした。

 家の中の匂いを嗅ぎながら、日向は犬耳を盛んに動かしている。

 犬耳は、外側が金色に近い薄茶色の毛で覆われ、内側は白いふわふわの毛で満たされていた。

 日向の耳は、何か物音がするとそのその音源の方に素早く向きを変える。

 嗅覚と聴覚は、かなり敏感なようだ。

 しかし、嗅覚にしても聴覚にしても、あまりにも敏感なままだと日常生活に支障をきたす。

 これから徐々に感度を自分で調整する能力を身に着けなければならない。

 これは、テワタサナイーヌにしか教えることができない。

 テワタサナイーヌは、日向を抱っこして、家中の場所を歩き回った。

 家の中の匂いを覚えさせるためだ。

 この匂いがする範囲は、日向にとって安全だということをわからせる。

 家の案内が済むと、テワタサナイーヌは日向を自分たちの寝室のベッドに寝かせた。

 広いクイーンサイズのベッドの真ん中に小さな日向が寝転がっている。

 ベッドが広いだけに日向の小ささが際立つ。

 テワタサナイーヌが日向に布団を掛けたが、日向はすぐに足で蹴って布団をどかしてしまう。

「うーん、この子も私みたいに寒くないのかな」

 テワタサナイーヌが腕組みをして日向の様子を見ている。

「たぶんそうなんだと思うけど、まだなんとも言えないよね」

 大輔も日向がテワタサナイーヌのように寒くない体質なのだろうと思ってはいるが、自信がもてなかった。

「あー、やっと裸になれる!」

 日向をベッドに置いたテワタサナイーヌは、短パンとタンクトップを脱ぎ捨てると、ブラジャーを外して日向の横に寝転んだ。

「よかったですね」

 大輔もテワタサナイーヌは裸でいるのが自然に思えるようになっていた。

 日向はきょろきょろしている。

「たぶん日向も裸族なんだろうけど、テワさんより体毛も少ないし、外では服を着るっていうことを教えないといけないから難しそうだね」

 大輔が日向の方を向いて横になっているテワタサナイーヌの傷痕をつついた。

「あん、傷痕は弱いんだからダメだって」

「そうだね。裸で外に出られたら困るわ」

 テワタサナイーヌが苦笑した。

 

 日向が家に帰って数日。

 産休中のテワタサナイーヌは、終日、日向と過ごした。

 まだ授乳の間隔が短いので、夜も頻繁に起こされ寝不足が続いている。

 日向は、母乳だけでなく粉ミルクも好んで飲んだので、夜は大輔が起きてミルクを与えてくれる。

「テワさんは、昼間も日向と一緒に過ごして疲れるんだから、夜は寝てていいよ」

 そう言って寝かせてくれる。

 ただ、乳房が張ってしまったときは母乳を与えるようにしている。

 大輔も眠いはずだが、そのような素振りは見せない。

 

 大輔が仕事から帰り、ダイニングでテワタサナイーヌと食事をしていた。

 日向は、クイーンサイズのベッドの真ん中に寝かせてある。

「日向もずいぶんおっきくなったよね」

「そうだね、最初は手のひらサイズだったんだけど」

 テワタサナイーヌと大輔が他愛もない会話をしていた。

 

ごんっ!

 

 寝室から何かが床に落ちたような鈍い音がした。

 

「ぎゃーっ!!」

 

 鈍い音から一瞬間を置いて日向が激しい泣き声を上げた。

「どうしたの!?」

 テワタサナイーヌが慌てて寝室に飛び込んだ。

「いやーっ、大変! 日向が、日向が落ちた!」

 テワタサナイーヌが叫んだ。

「あれまあ、日向が落ちちゃいましたか」

 大輔がのんびりと寝室に来た。

 ベッドの脇の床に日向が寝転がって泣いている。

 テワタサナイーヌが抱き上げた。

 日向は火が着いたように泣き叫んでいる。

「どうしよう、どうしよう」

 テワタサナイーヌは、青い顔をしてオロオロしている。

「どれ」

 大輔は、日向の頭を触って外傷がないかを確かめた。

「あー、頭の後ろにたんこぶができてるね。落ちたときにぶつけたんだろう」

 大輔は、あくまでものんびりしている。

「目はどうかな」

 頭の次は、日向の目を確かめた。

「日向ー」

 大輔が日向の前で声をかけた。

 泣いていた日向が一瞬泣き止んで大輔を見た。

「あ、大丈夫。異常ない」

 日向はまた泣き出した。

「えー、なんで異常ないってわかるのよ。たんこぶできてるんじゃない。頭の中で出血とかしてたら大変だよ」

 テワタサナイーヌは、今にも泣きそうな顔をしている。

「たんこぶができてるってことは、外傷性だし、『目は傷を見る』って言って、脳内に損傷があると、目の向きがおかしくなることが多いんだよ。日向は呼びかけにも応じたし、ちゃんと俺の方も見たからたぶん大丈夫。でも、心配なら病院に行こうか」

 大輔が落ち着いていることでテワタサナイーヌも少しずつ落ち着きを取り戻した。

「病院連れて行ってくれる?」

「わかった」

 二人は、山口の車を借りて夜間救急外来のある病院に行った。

 CT検査の結果、脳に損傷はなかった。

「よかったね。これで安心でしょ」

 大輔がテワタサナイーヌに優しく言った。

「うん、大輔くん、ありがとう」

 テワタサナイーヌが日向を抱きしめた。

 日向はニコニコしている。

 

「大輔くん」

「なんですか」

「お父さんに似てきたね」

「そうですか」

「そうよ」

 家に帰る車中、テワタサナイーヌが大輔を見てしみじみ言った。

「でもさ、なんでさっきあんなに落ち着いていられたの?」

 テワタサナイーヌには、大輔が落ち着き払っていたことが、正直腹立たしかった。

 もう少し慌ててくれてもいいのではないか。

 本当に日向のことを思ってくれているのか。

 そんな疑問が浮かんだ。

「いや、本当は焦ってたんだよ。でも、二人であたふたしたら収集がつかないじゃないですか。だから、あえてのんびり構えることにしたんだ」

 大輔が少し恥ずかしそうにした。

「そうだったんだ。大輔くんえらいね。ていうか、ありがとう」

「日向、あんたのお父さん、意外とすごいんだよ」

 テワタサナイーヌが日向に話しかけた。

「ぶぶー」

 日向が声を上げた。

「でも、なんで日向がベッドから落ちた?」

 大輔が思い出したように日向を見た。

「あ、ほんとだ! ベッドの真ん中に寝かせたのにね」

 テワタサナイーヌが不思議そうに首を傾げた。

「相変わらずテワさん超かわいい」

「ありがとう。でも、今はそれより日向が落ちた理由よ」

「寝返りうったとしか考えられないんだけど」

 大輔が推理した。

「そんな。まだ1か月よ。寝返り打つわけないじゃん」

 テワタサナイーヌが否定した。

「そうだよね」

 大輔も納得した。

「帰ったら確かめてみよ」

「そうだね」

 帰宅後、ふたりは日向をベッドの真ん中に寝かせ、それぞれベッドの両脇に座り、日向の様子を観察した。

 日向は、両側にいる両親をきょろきょろと見ていた。

 すると突然くるっとテワタサナイーヌがいる方に寝返りをうってうつ伏せになった。

 そして、もう一度寝返りをうって仰向けになり、テワタサナイーヌを見て笑った。

「寝返りうった!」

 テワタサナイーヌが驚いた。

「寝返りうったよね」

 大輔も信じられないというような声を上げた。

「これなら落ちるわ」

 テワタサナイーヌが笑った。

「サークルの付いてるベビーベッド買わなきゃダメだね」

 大輔がサークルの形を手で作った。

 

「あんた、また学会報告のネタを作っちゃったね」

 テワタサナイーヌが日向の犬耳を摘んだ。

「だー」

 日向が嫌そうに顔を左右に振った。




 この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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