当たり前の後ろ ~テワタサナイーヌ物語~   作:吉川すずめ

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ヒマワリの血

 テワタサナイーヌの前駆陣痛は、一週間以上続いた。

(痛いってば、もー)

 テワタサナイーヌも繰り返されるお腹の張りに嫌気が差していた。

 医師の触診では、胎児が下がってきてはいるが、まだ本格的な陣痛が来る段階ではないということだった。

 テワタサナイーヌの前駆陣痛が始まってからというもの、大輔が完全に浮き足立ち、仕事が手につかない状態になってしまった。

 見かねた山口は、犯抑の副本部長である坂田警視長に相談し、大輔を出産まで休ませることにした。

「とりあえず、予定日になっている中旬あたり、そうですね15日くらいまで休暇を取って休んでください」

 山口が大輔に休暇を命じた。

「えっ、そんな。俺が休んだら係長に負担がかかってしまうす」

 大輔が恐縮した。

「今でも十分負担がかかっています。大輔さん、仕事になってないです」

 山口は、笑いながら大輔の肩を叩いた。

「すんません」

 大輔が申し訳なさそうな顔をした。

「仕事のことは忘れていいです。私が三人分やりますから。大輔さんは、テワさんの側にいてあげてください」

「はい! ありがとうございます」

 大輔が顔を輝かせて退庁した。

「というわけで、お父さんが休みをくれたす」

 病室に着いた大輔が、出産まで休めるようになったことをテワタサナイーヌに報告した。

「あー、またうるさくなるのね」

 テワタサナイーヌがわざとうんざりしたような態度を取った。

 しかし、尻尾が元気に振られていたので、喜んでいるのは明らかだった。

 大輔もテワタサナイーヌの態度がかわいくて仕方ない。

「いつ生まれる気になるすかね。うちのお嬢さんは」

 大輔がテワタサナイーヌのお腹に話しかけた。

「3月14日だよ!」

 テワタサナイーヌが裏声で言った。

「やっぱりそうすか! そうなると、毎年3月14日は忙しくなるすね」

 大輔が喜んだ。

(本当にそうなりそうな気がする。私にとって3月14日は、特別な日だから)

 喜んでいる大輔の様子を見ながら、テワタサナイーヌは確信した。

 

──それから数日

「ちょっとお散歩いこ」

 テワタサナイーヌが大輔を散歩に誘った。

「お散歩行っていいですか?」

 病室を出た二人は、散歩の許可をもらうため、ナースステーションに声をかけた。

 子宮口が開いてきていて、いつ出産を迎えてもおかしくない状態になっていたため、散歩に行くときは看護師に断ってからという条件が付けられていた。

「あ、お散歩ね。どうぞ行ってらっしゃい。でも、お腹の張りが出たら、無理しないで休むんだからね」

 すっかり仲がよくなった看護師がにこやかに送り出してくれた。

「やっぱり一日一回は外に出ないと人間がダメになるわ」

 病棟の外に出たテワタサナイーヌが背伸びをした。

「テワさんの人間がダメになったら、完全な犬になるすかね」

 大輔がボケた。

「あ、そうだね。そしたら優しく飼ってよ」

 テワタサナイーヌは、そうなってもいいと思った。

 3月とはいえ、外はまだ寒い。

 大輔はダウンジャケットを着込み寒そうにしている。

 一方のテワタサナイーヌは、薄い半袖のロングTシャツと短パン姿で、まったく寒そうな気配を見せない。

 胎児が小さいのでマタニティウェアを着る必要がなかった。

「ほんとに寒くないんすか」

 テワタサナイーヌを見ていると、大輔の方が寒くなってくる。

「寒くないからこんなかっこしてるの。別に我慢大会してるわけじゃないよ」

 テワタサナイーヌは平然としている。

「生まれてくる子も寒がらないんすかねえ」

「どうだろうね。それは私にもわかんないよ」

「俺ら、こんなことでもなけりゃ東大に足を踏み入れることなんてなかったすね」

「そうね。まったく縁のないところだと思ってた」

 二人は歩き慣れた病院の敷地をそぞろ歩いた。

「ところで今日って何日?」

 テワタサナイーヌは、入院生活ですっかり日にちの感覚がなくなってしまった。

「今日は13日すよ」

「そう。生まれるのは明日ね」

 テワタサナイーヌが独り言を言った。

「さて、そろそろ部屋に戻るすか」

 大輔が時計を見た。

 散歩に出てから1時間が経っていた。

「うん」

 テワタサナイーヌが従った。

(たっ!)

 テワタサナイーヌが足を止め、右手で大輔の腕にしがみつき、左手でお腹を抱え込むように身をかがめた。

 苦悶の表情を浮かべている。

 今までに経験したことのない強いお腹の張りと下腹部の痛みを感じた。

 テワタサナイーヌは、口呼吸で痛みを逃そうとしている。

 口呼吸をすると、無意識に舌が出てしまう。

「テワさん、大丈夫すか?」

 大輔がテワタサナイーヌの背中をさすった。

「大丈夫くない。痛い」

 テワタサナイーヌが口呼吸をしながら答えた。

「陣痛かもしれないけど、すぐにお産になることはないと思うから、このままちょっと待ってて」

 テワタサナイーヌは、苦しそうに言った。

 大輔は、なにもできない自分が歯がゆかった。

「ふうーっ」

 しばらくするとテワタサナイーヌが大きく息を吐いて立ち上がった。

「よし、部屋に戻ろう」

 お腹の張りが退いてしまえば普通に動ける。

 テワタサナイーヌは、大輔の手を引いて病室に戻った。

「いやー、強烈な張りと痛みが来たよ」

 ナースステーションの看護師に報告した。

「強烈ってどれくらい?」

 看護師が痛みの程度を確認した。

「今までの最高レベル」

 テワタサナイーヌは、どう説明していいのかわからなかったので、とりあえず思いつく表現で説明した。

「それって何分前?」

 看護師がさらに質問した。

 テワタサナイーヌが大輔の顔を見た。

「えっとですね、だいたい10分くらい前す」

 大輔が腕時計を見て答えた。

「そのあと次の張りは?」

「まだないよ」

「わかった」

 テワタサナイーヌと大輔は、病室に戻った。

「きた、きた、きた!」

 テワタサナイーヌがお腹を押さえた。

「大輔くん時計見て」

 テワタサナイーヌが陣痛の間隔を確認するよう大輔に指示した。

「さっきの張りから15分くらいす」

「ありがと。まだね。でも、ナースステーションに教えてきて」

「了解っす!」

 大輔が部屋を出てナースステーションに駆けて行った。

(走ることじゃないんだけどな)

 テワタサナイーヌは、大輔の真剣さが嬉しかった。

「テワちゃん、先生の触診があるから処置室に行って」

 看護師が病室の入り口から顔を出した。

「はーい」

 テワタサナイーヌは、ベッドから起き上がり歩いて処置室に入った。

「子宮口が八割方開いてきました。もうすぐ本格的な陣痛に入ると思います」

 医師が触診の結果を伝えた。

 その後も、陣痛は不規則な間隔で訪れた。

(もうちょっと規則的にならないといけないんだったよね。それにしても痛いな)

 陣痛の間隔を計っていたテワタサナイーヌは、待ちくたびれてきた。

「いただきまーす」

 テワタサナイーヌは、病棟内のラウンジで夕食を摂った。

 大輔は、食事のため院内の食堂に行っている。

「んんんーっ!」

 突然、強い張りと痛みが襲ってきた。

 食べ終わった食器を片付けようとしていたテワタサナイーヌは、思わずトレーごと落としそうになった。

 テワタサナイーヌは、口呼吸をしながら下膳を済ませ、ナースステーションに手と尻尾を振りながらなんとか部屋に戻りベッドに横になった。

 陣痛を感じているときは、この世の終わりかと思うほどだが、痛みが治まってしまうと、それまでの苦痛をすっかり忘れてしまう。

(肝心なときに大輔くんはいない)

 これで出産になったら一生恨んでやろうと思った。

「またきた!」

 テワタサナイーヌは時計を見た。

 陣痛の間隔が10分を切っていた。

 テワタサナイーヌは、ナースコールで陣痛の間隔が10分を切ったことを伝えた。

「テワちゃん、触診しますよ」

 看護師がテワタサナイーヌを処置室に案内した。

「ほぼ全開に近くなりました。陣痛室に入りましょう」

 テワタサナイーヌは、そのまま陣痛室まで歩いて移動した。

(大輔くん、早く帰ってきてよ)

 テワタサナイーヌは、大輔が恋しくなった。

「あれっ、テワさん?」

 病室に戻った大輔はテワタサナイーヌがいないのを不思議に思った。

「山口ですけど、妻はどこにいますか?」

 ナースステーションにテワタサナイーヌの居場所を確認した。

「あ、テワちゃんなら陣痛室に入りましたよ」

 看護師が普通のことのようにさらっと答えた。

「陣痛室ってどこですか?」

「ご案内します」

 看護師に連れられて大輔が陣痛室に入ってきた。

「遅いー」

 テワタサナイーヌが尻尾を振りながら恨めしそうな目で大輔を見た。

「すんません」

 大輔が頭を下げた。

「そうだ、お父さんとお母さんに連絡してくる」

「そうね、お願い」

 大輔が陣痛室を飛び出して行った。

 

──3月13日午後8時

 東大病院の産科病棟がにわかに慌ただしさを増した。

 普段なら恐れ多くて見ることもできないような教授陣が続々と集まり、テワタサナイーヌの状態をモニタリングしている。

 獣医生命科学大からも教授や獣医師らが動物用の器材を搬入し始めた。

 大勢のスタッフが怒声をあげながら病棟内を駆け回る。

 輸血が必要になったときに備えて、供血のための大型犬が病院の敷地に設営されたテントに集められた。

 テワタサナイーヌの出産は、国内のみならず海外の大学からも注目され、ライブ配信されることになっている。

 山口と弥生も病棟に到着し、病室で待機している。

 陣痛室のテワタサナイーヌは、相変わらず10分間隔の陣痛に苦しんでいた。

 大輔は、なす術もなくテワタサナイーヌの側に立ち尽くしている。

(役立たずめ。ていうか、この場面で役に立つ旦那なんていないか)

 苦痛に顔を歪めながらもテワタサナイーヌは冷静な部分を持ち合わせていた。

 陣痛の間隔は、なかなか10分より短くならない。

 医師が触診をしても、子宮口の開き具合に変化が見られなかった。

「もう少しかかるかもしれませんね」

(もー、さっさとしてよ)

 誰のせいでもないが、誰かのせいにしないではいられなかった。

 

──午後10時

 陣痛室では、テワタサナイーヌが陣痛と闘っていた。

 陣痛の間隔は2分から3分にまで短くなっていた。

 病棟内は緊張と興奮が極致となっている。

 医師の触診の結果、子宮口は全開になった。

 いつでも出産できる。

 

──午後11時

 陣痛の間隔が1分又はそれを切るくらいにまで短くなった。

「分娩室に移ります」

 医師が宣言した。

 テワタサナイーヌは、大輔に支えられながら、お腹を抱えるようにして分娩室に入り、分娩台に乗った。

 分娩室には、直接分娩に携わるスタッフのほか、大勢のギャラリーが詰めかけていた。

 分娩に携わるスタッフは、院内で最も優れた技術と知識、そして経験を積んだ者が選抜された。

 ライブ配信のためのカメラ数台と照明器具が設置され、物々しい雰囲気を醸している。

 部屋に入りきれない者もいて、外に設置されたモニタでテワタサナイーヌの分娩の様子を見守っている。

 分娩台の横には大輔がいる。

 テワタサナイーヌは、大輔の手を握り締めている。

 陣痛が来ると思わずいきみたくなる。

「まだいきんじゃダメ!」

 スタッフが語気荒く注意した。

「もー、さっさと出させて!」

 テワタサナイーヌが悲鳴を上げた。

「あ、でも、まだ14日になってないから出ちゃダメ。あーん、どっちにすればいいのよ!」

 テワタサナイーヌは、痛みに耐えながら我が子の誕生日を気にしていた。

 テワタサナイーヌの子宮は、ほぼ休みなく収縮を続け、胎児を外に押し出そうとする。

「大輔くん、いま何時?」

 テワタサナイーヌは切れ切れの息で大輔に時間を確認した。

「11時30分す」

「まだ生まれちゃダメーっ! 赤ちゃん、まだ我慢して!」

 テワタサナイーヌが叫んだ。

「痛いよーっ! 大輔くんのバカーっ!」

 痛みを紛らわそうと叫んでみるが、意味のない言葉しか出ない。

 

ちゅるっ

 

 生温かい液体がお尻を伝って流れ落ちるのを感じた。

 破水した。

 出産が目前に迫った。

 

──午後11時45分

「いきんで!」

 スタッフの指示が飛んだ。

 テワタサナイーヌは、陣痛の波に合わせて息を止めていきんだ。

 思わず背中が反る。

「背中を反らしたらダメよ!」

「お尻を突き出して!」

 スタッフが続けざまに指示を叫ぶ。

「ぐぁい!」

 テワタサナイーヌは、言葉にならない言葉で返事をした。

(もうちょっと、もうちょっと待って、赤ちゃん!)

 あと少しで日付が変わる。

 日付が変われば特別な日になる。

「頭が見えてきたわよ! いきみを止めないで!」

「あーーーーっ!!」

 テワタサナイーヌは叫ぶことしかできなかった。

 テワタサナイーヌに握り締められた大輔の腕は、彼女の爪が食い込み血を流している。

 大輔は、テワタサナイーヌの手を払おうともせず、痛みを共有しようとしている。

「発露した! いきみを止めて短促呼吸!」

 スタッフが次の段階の指示を出した。

「はっはっはっ……」

 テワタサナイーヌは、短い呼吸を繰り返す。

 

ずるっ

 

 胎児が外に出て嬰児となった。

「おお!」

 部屋中から驚きの声が上がった。

「ぎやっ、ぎゃっ、ぎゃっ」

 子供が大きな泣き声を上げた。

 新生児の泣き声は、胎内の循環から離脱して自発呼吸に無事切り替わったことを示す。

 すぐに胎盤が娩出された。

 胎盤は、研究資料として保管された。

 大輔は、放心したように生まれたばかりの子供を見つめている。

 子供は、手のひらに乗りそうなほど小さく、ふるふると震えていた。

 体毛がまったく生えておらず、頭髪すらなかった。

 その肌は薄く、血の色が透けて見えるほどだった。

 目も開いていない。

 そして、なにより特徴的なのは、普通の人の耳たぶのあたりから、側頭部のあたりまである大きな耳だ。

 犬のような耳だが、やはり毛が生えていない。

 腰から尻尾のような短い突起が出て、ぷるぷる震えている。

 そして、鼻の頭が微妙に黒い。

「女の子ですよ」

 スタッフがおくるみにくるんだ子供を、力尽きてぐったりしているテワタサナイーヌの元に運んで見せた。

「触ってもいいですか」

 テワタサナイーヌが訊いた。

「どうぞ、優しく触ってあげてください」

 スタッフが促した。

「かわいい……私とおんなじだ……」

 テワタサナイーヌは、娘の耳を軽く摘まんだ。

 テワタサナイーヌの目には涙が浮かんでいた。

「ふぎゃーっ!!」

 娘が激しく泣いた。

「あーっ、ごめん。嫌だった?」

 テワタサナイーヌが慌てて手を引っ込めた。

 部屋中が笑いに包まれた。

「おめでとうございます」

「おめでとう」

「テワちゃんよかったね」

 部屋にいた教授陣やスタッフから自然発生的に祝福の言葉がかけられた。

「ありがとうございます」

 テワタサナイーヌは、泣きながら笑った。

「ありがとうございました」

 大輔が深々と頭を下げた。

 テワタサナイーヌは、大輔がまた山口に近づいたのを感じた。

 子供は、コットに寝かされ、新生児室に運ばれていった。

 

「ところで時間はどうだった?」

 テワタサナイーヌが気がかりだったことを思い出した。

「わかんないす」

 大輔も時計を見る余裕がなかった。

「ただ、ぎりぎりどっちかっていうところだったと思うす」

「ぎりぎりどっちかだったのね。どっちでもいいわ」

 テワタサナイーヌは、無事に生まれてくれたことで誕生日などどうでもよくなった。

「大輔くん、その傷どうしたの?ひどいケガだよ」

 テワタサナイーヌが大輔の腕についた爪痕に気づいた。

「さっき犬に引っ掻かれたす」

 大輔が笑った。

「ごめーん。全然記憶にない」

 テワタサナイーヌが手を合わせて謝った。

「いいんす。俺も参加した証す」

 大輔が胸を張った。

 

 テワタサナイーヌの出血がほとんどなかったことから、院外で待機していた供血用の大型犬は任務解除となった。

 大輔は、テントを訪ねて獣医師や犬の飼い主一人ひとりに礼を言って回った。

 獣医師や犬の飼い主は、全員がお祝いの言葉をかけてくれた。

 大輔は、最敬礼で応えた。

 

 今後の医療のため一番先にやらなければならないのが娘の血液型の特定だ。

 テワタサナイーヌのDEA4か、大輔の血液型か。

 どちらを受け継いでいるのか、教授陣は固唾を呑んで結果を待った。

 もちろん、テワタサナイーヌと大輔も緊張しながら結果を待っていた。

 東大の教授と獣医師が共同で血液型の判定をするという初めての事態だ。

「お子さんの血液型は、DEA4です」

 担当の医師が結果を発表した。

(勝った!)

 テワタサナイーヌが内心で喝采した。

(あなたもヒマワリよ)

 テワタサナイーヌは、新生児室の娘に心の中で話しかけた。

 自分を守ろうとして死んだヒマワリの血が、父の暴力に勝って命を受け継いだのだ。

 テワタサナイーヌは、それが嬉しく誇らしかった。

 

「元気そうだけど、まだしばらく起きちゃダメだからね」

 仲良しの看護師が病室に戻ったテワタサナイーヌに注意をした。

「えー、全然元気だよ」

 テワタサナイーヌが不満そうな顔をした。

「ダメだってば。Stay!! 」

「わん!」

 看護師とテワタサナイーヌが笑った。

 大輔、山口、弥生も笑った。

 分娩中、外さざるを得なかった首輪を大輔にかけてもらった。

「やっぱり首輪は安心するねー」

 テワタサナイーヌは満足げだ。

「赤ちゃん見てくれば」

 テワタサナイーヌが山口と弥生に新生児室にいる娘を見てくるように勧めた。

「そうね。行ってくるわ」

 大輔の案内で弥生と山口が新生児室のガラス越しに孫と対面した。

「本当に犬耳だったわね」

「本当でしたね」

 弥生と山口はが感慨深げに話しながら孫を見つめた。

「小さいと言われていましたが、本当に小さいですね」

 山口が指で孫の大きさを作って弥生に見せた。

 同じ部屋に寝かされている他の子と較べても明らかに小さい。

 半分あるかないかだ。

「あれで未熟児じゃないんですよね。普通の子と一緒に寝かされてますから」

 弥生も感心したような顔をしている。

 

「はい、これ。おめでとう」

 朝になり、看護師がテワタサナイーヌに一枚の書類を差し出した。

「出生証明書」

 書類のタイトルには、そう書いてあった。

「あ、これで誕生日が決まるね」

 テワタサナイーヌが大輔を見た。

「そうすね」

「どっちだと思う?」

「そうすねえ、俺は14だと思う」

「やっぱり?私もそう思う」

 二人の意見が一致した。

 

「生まれたとき」 3月13日午後11時57分

 

「えーっ!」

 テワタサナイーヌが声を上げた。

「惜しい!」

 大輔が悔しがった。

「あと3分待ってくれればよかったのに……」

 テワタサナイーヌが天を仰いだ。

「ていうか、3分くらいおまけしてもらえないんすかね」

「ダメなんじゃない」

 二人で苦笑した。

「でもさ、人の意見に流されない強い意志を感じるよね。いいと思う」

 テワタサナイーヌが娘をほめた。

「そういうものっすね」

「うん。そういうものだから」

 二人の間には、すでに自分たちの子供は自分たちの所有物ではない、意思を持った人格だという自覚が芽生えていた。

「もう親になっています。さすがですね」

 二人の様子を見ていた山口が弥生の耳元で囁いた。

 弥生が黙って頷いた。

 

「あははは。ねえ大輔くん見て」

 テワタサナイーヌが前開きのシャツのボタンを外して胸を見せた。

「ねえ見てっていうのは変態さんす」

 そう言った大輔が飲みかけの牛乳を吹いた。

「テワさん、おっぱい増えてるっすよ!」

 出産したことで、それまで見立たなかったテワタサナイーヌの副乳も張ってきたのだ。

「おっぱい四つになっちゃった」

 テワタサナイーヌがケラケラ笑った。

 張ってはいるものの、副乳には母乳を作り出す機能はないようだった。

「ホルスタインになった気分だよ」

 テワタサナイーヌは、まんざらでもないという顔をした。

「ねえ大輔くん」

「なんすか」

 いつもの呼びかけが戻った。

「副乳もブラジャーすべき?」

「いつまで張ってるかによると思うす」

「そっか、そうだよね。外に出るようになっても張ってたらブラジャーしなきゃね」

「そうすね」

 大輔が副乳をまじまじと見た。

「そんなに見ないでよ」

 テワタサナイーヌが手で副乳を隠して恥らった。

「いつも裸で歩いてるじゃないすか」

 大輔が反論した。

「そうなんだけど、副乳は、なんでだか恥ずかしい」

「違いがあるんすかね」

 二人が首を捻った。

 

「えー、ただ今から家族会議を始めます」

「昨日生まれた娘の名前を決めたいと思います」

 大輔が病室で家族会議の開会を宣言した。

 娘の名前を決める会議だ。

「あら、あんたすーすー言うのやめたの?」

 テワタサナイーヌが大輔の変化に気づいた。

「親っすからね」

 大輔がドヤ顔で言った。

「変わってないじゃん」

 テワタサナイーヌが突っ込んだ。

「わざとですーすー」

 大輔がテワタサナイーヌに舌を出した。

「小僧のくせに生意気よ!」

 テワタサナイーヌが悔しがった。

「みんなで名前の候補を出し合って、その中から選ぼうと思います。どうですか?」

 大輔が提案した。

「私たちは、大輔さんと早苗さんが決めた名前でいいですよ。ですよね?」

 山口が弥生を見た。

「そうよ。あなたたちの娘だもん。いい名前を考えてあげて」

 弥生がテワタサナイーヌと大輔に優しく言った。

「本当にそれでいいんですか?あとで後悔しても知りませんよ」

 大輔が不敵な笑みを浮かべた。

「ちょっと待て。あんたはどんな名前をつけようとしてるのよ」

 テワタサナイーヌは不安になった。

「あ、冗談です。大人になっても恥ずかしくない、いい名前を考えます」

 大輔が頭を下げた。

 山口と弥生が帰宅した後、テワタサナイーヌと大輔は、二人で娘の名前を考えた。

「いざ名前を決めようとすると、なかなか決められないもんだね」

 テワタサナイーヌが溜め息をついた。

「そうだね。難しいなあ」

 大輔も頭を悩ませている。

「私と娘は、ヒマワリの血を受け継いでるでしょ。だから、夏の太陽に向かって真っ直ぐ伸びる向日葵をイメージして『日向』ってどう?」

 テワタサナイーヌが案を出した。

「ひなた、か。かわいいね」

 大輔もまんざらではなさそうだった。

「やまぐちひなた」

 テワタサナイーヌがフルネームを声に出して呼んでみた。

「リズム感も悪くないんじゃない?」

 テワタサナイーヌが笑顔を見せた。

「漢字で書いても、ほとんどが左右対称で子供でも覚えやすそうだね」

 大輔が補足した。

「これでいいかな」

 テワタサナイーヌが紙に名前を書いた。

「いいな」

 大輔が赤ペンで花丸をつけた。

 

氏名: 山口日向(やまぐちひなた)

 

3月13日生まれ

性別: 女

体重: 1,225g

人型 犬耳 尻尾

能力: 未知数




 この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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