当たり前の後ろ ~テワタサナイーヌ物語~   作:吉川すずめ

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NST

 12月28日、年末の慌ただしさの最中、官庁が仕事納めを迎える。

 テワタサナイーヌが所属する犯罪抑止対策本部も仕事納めだ。

「本年もお世話になりました。よいお年をお迎えください」

 全員で挨拶をして一年の仕事を終えた。

「テワさん」

 副本部長の坂田警視長が副本部長室から顔を出してテワタサナイーヌを呼んだ。

 テワタサナイーヌが大輔と結婚して山口姓を選択したことで犯抑の山口が3人になった。

「山口さん」と呼ぶと三人が同時に「はい」と返事をするというややこしい事態になったため、坂田はテワタサナイーヌを「テワさん」、山口を「山口さん」、大輔を「山口くん」と呼び分けている。

 坂田がテワタサナイーヌをテワさんと呼ぶようになってから、二人の距離感がぐっと縮んだ。

「なんですか」

 テワタサナイーヌが席も立たずに返事をした。

 坂田も手招きで呼んだとき以外は、それでいいと言ってくれている。

「テワさんも来年はママですね。どんなお子さんが生まれてくるか楽しみです。よいお年を」

 坂田が笑顔で年末の挨拶をしてくれた。

「あ、ありがとうございます。かわいい子犬が生まれると思います。よいお年をお迎えください」

 テワタサナイーヌは、席から立ち上がり坂田に敬礼した。

(犬の妊娠期間って60日くらいじゃなかったっけ?私は普通の人と同じ妊娠期間でいいのかな?)

 テワタサナイーヌは、子犬という発言をしたことで自分の妊娠期間が気になった。

 たしかに病院では来年の6月29日が予定日だと言われている。

 しかし、それは普通の人の場合の妊娠期間という前提で計算されたものだ。

 犬の要素が強い自分もそれでいいのか疑問に思った。

 犬並みの妊娠期間だとしたら、もう出産してしまっていてもいい時期になっている。

 テワタサナイーヌは、自分のお腹をさすってみた。

 ほんの少しぽっこりと出てきたお腹が愛おしいが、まだ出産には程遠い感じだ。

(でもやっぱり気になる。先生に訊いてみよう)

 テワタサナイーヌは、弥生に言われた「専門家に訊け」という教えを思い出した。

「お忙しいところすみません。予約外でしかも遅い時間なのですが、担当の先生はいらっしゃいますでしょうか」

 東大病院に電話をかけ、担当の医師を呼び出した。

「山口さん、どうなさいました」

 担当の医師はまだ病院に残っていた。

「あ、先生、時間外にすみません」

 テワタサナイーヌが謝った。

「いえ、全然かまいませんよ。山口さんの場合は、時間や予約にこだわらなくていいです。いつ何があるかわかりませんからね」

 担当の医師は快く相談に応じてくれた。

「ありがとうございます。実は、妊娠期間の計算について疑問が出たのでお電話を差し上げました」

「妊娠期間ですか? 何かありましたか?」

 医師が(いぶか)った。

「はい。私は、半分が犬でできています。犬の妊娠期間はすごく短くて、だいたい60日くらいだと記憶しています。ですから、私ももっと早く出産を迎えることになるんじゃないかと……」

 話しているうちに段々不安になり、最後は涙声になっていた。

「なるほど。それはもっともなご心配ですね」

 医師は、テワタサナイーヌの心配に共感を示してくれた。

 心配を否定されなかったことでテワタサナイーヌは落ち着きを取り戻すことができた。

「今から病院にいらっしゃいますか? 赤ちゃんの育ち具合を確かめてみましょう」

 医師が時間外の診察を提案してくれた。

「いいんですか? ご迷惑じゃないんでしょうか?」

 テワタサナイーヌとしては嬉しい申し出だったが、年末の忙しいときに自分のために無理をさせているのではないかという気持ちの方が強かった。

「母胎の健康が最優先です。まず、母親が穏やかな気持で妊娠期間を過ごせることが母胎の健康に必要なことです。お時間があるのでしたらいらっしゃい」

 医師は優しく諭してくれた。

「ありがとうございます。すぐに伺います」

 テワタサナイーヌは、大輔と山口に事情を話して東大病院に向かうことにした。

 東大病院には、なぜか大輔と山口も着いてきた。

 あとから弥生も駆けつけた。

(みんなありがと。心強いよ)

 ひとりで診察を受けるのは心細いと思っていた。

 何も言わなくても自分に寄り添ってくれる家族が本当に嬉しかった。

「皆さんでモニタをご覧になりますか」

 医師が超音波検査のモニタを指差した。

「お願いします」

 弥生が即答した。

 医師は、テワタサナイーヌの下半身をカーテンで隠し、他の3人から見えないようにして超音波検査を始めた。

 始めに経膣超音波検査用のプローブをテワタサナイーヌの膣に挿入した。

 モニタに映像が映ったが、テワタサナイーヌたちには何が映っているのか見当がつかなかった。

 しかし、医師が驚いたような顔をしたのは全員が気づいた。

(なにがあった?)

 テワタサナイーヌは不安になった。

 医師は、プローブを抜き去ると、経腹超音波検査用のプローブに持ち替えて、テワタサナイーヌのお腹にゼリーを塗ってプローブを当てた。

 医師は、プローブの角度や位置を変えながら、時おり画像をプリントアウトしたりデータで保存したりしていた。

 その表情には驚きと焦りが浮かんでいるように見えた。

 医師の額には、うっすらと汗が滲んでいる。

 医師が院内PHSを取り上げ内線番号を押した。

「あ、部長、すみません。すぐ診察室に来てください」

 医師が産科の部長を呼び出した。

(あ、なんかよくないことが起こったのね)

 テワタサナイーヌは、緊急事態の発生を感じつつも、どこか予想できていたような覚めた感覚だった。

 診察室の外から重い足音が迫ってくるのが聞こえた。

 速くはないが走っているように聞こえた。

「失礼します。産科部長です」

 大柄の太った男性が白衣を羽織って診察室に飛び込んできた。

「何かあったのか」

 部長が医師に質問した。

「はい。在胎週数に見合わない成長を示しているんです」

 担当の医師がプローブを当ててモニタを示した。

 部長が無言になった。

「信じられん……」

「妊娠期間の計算を間違えてないだろうな」

 部長が医師に詰め寄った。

「はい。山口さんが最後の生理をしっかり記憶していらっしゃいました。間違いありません」

 医師が説明した。

 その間、テワタサナイーヌをはじめ山口、弥生、大輔の4人は、何が起こったのかわからず、呆気にとられていた。

「君は、すぐに入院の手続と山口さんに説明をしてくれ。私は獣医生命科学大の教授に連絡をする」

 部長は慌てたように言い、重い足音を残して去っていった。

(いま、部長は入院って言ったよね)

 テワタサナイーヌは、ベッドに横たわったまま、自分を置き去りに進んでいる事態を他人事のように眺めていた。

「山口さんとご家族の皆さん」

 医師が口を開いた。

 全員が緊張して身構えた。

「現在、山口さんのお子さんは、在胎14週です。この週数ですと、胎児の頭身は、たいだい1対2くらい、つまり三頭身です。ところが、山口さんのお子さんは、1対3、四頭身くらいになっています。四頭身は、新生児とほぼ同じです。体重も500gくらいあり、通常考えられる大きさを逸脱しています。どういうことかと言いますと、非常に成長が速いということです。超音波で見た限りでは、内臓もかなり成熟しています。このペースで成長すると、当初予想していた出産予定日より相当早く出産を迎えることになる可能性が高いです。その速さは、我々にもまったく予測ができません。ですから、すぐに入院していただき、院内でいつでも対応できる環境で妊娠の経過を見させていただきたいと思います」

 医師が興奮気味に説明した。

「あと、付け加えますと、耳殻、あ、耳のことです。耳が非常に特徴的な形をしています」

 医師がテワタサナイーヌを見た。

「これですね」

 テワタサナイーヌが自分の耳を摘んで笑った。

 事態を受け入れたテワタサナイーヌは、笑う余裕ができていた。

「そうです。山口さんと同じような形をしています」

 医師が頷いた。

「先生、性別はわかりますか?」

 テワタサナイーヌが訊いた。

「あ、性別は見ていませんでした。お知りになりたいですか?」

「お願いします」

「わかりました。少しお待ちください」

 医師は、乾いてしまったゼリーを追加してプローブを当てた。

 角度を変えながらモニタを見つめていた医師が口を開いた。

「よく動く子です。普通は、この時期はまだ胎動はほとんどないのですが」

「これだけ動くと胎動を感じるのではないかと思いますが、いかがですか?」

 医師がテワタサナイーヌに言った。

「え、胎動は感じません。なんかお腹がゴロゴロするような感じはありましたけど、もしかしたらそれが胎動だったんですか」

 テワタサナイーヌが驚いたような顔をした。

「よく動いて性器を見せてくれません。やんちゃです」

 医師がプローブで胎児と追いかけっこを始めた。

「おっ、止まった! いい子だ。そのままじっとしてろよ」

 医師が素になっていた。

 医師がプローブをお腹から離して超音波装置に戻し、テワタサナイーヌのお腹についているゼリーを拭き取った。

「わかりました」

「どちらですか」

 パンツを履きながらテワタサナイーヌはワクワクした。

「100%断言することはできませんが、おそらく女の子です」

 医師が自信を持って言った。

「おーっ」

 医師以外の全員が声を上げた。

「急で申し訳ありませんが、今日から入院していただくことは可能ですか」

 医師が済まなそうに言った。

「大丈夫かな?」

 テワタサナイーヌが弥生の顔を覗き込んだ。

「大丈夫よ。職場のことはお父さんと大輔くんに任せなさい」

 弥生がテワタサナイーヌの手を握った。

「ありがとう。お父さん、大輔くん、お仕事お願い」

 テワタサナイーヌが大輔と山口を交互に見た。

「名女優が欠けるのは痛いですが、あとは任せてください。大輔くんが女優になってくれますから」

 山口が大輔を指差して笑った。

「えっ!? 聞いてないっすよ」

 大輔が慌てた。

「いま思いつきました」

 山口が涼しい顔をしている。

「大丈夫です。入院します」

 テワタサナイーヌが医師に返答して即日入院が決定した。

(やっぱり心配なときは専門家に訊くのが一番ってことね)

 弥生のアドバイスが身にしみた。

「大輔くん、スマホの充電器と着替えお願い。スマホが使えないと大輔くんと連絡とれなくて死んじゃう」

 テワタサナイーヌが大輔に甘えた。

「はい! すぐ持ってくるす」

 テワタサナイーヌに甘えられるとデレデレになる大輔だった。

「テワタサナイーヌこと山口早苗です。よろしくお願いします」

 産科病棟に案内されたテワタサナイーヌは、ナースステーションに挨拶をした。

「よろしくお願いします。なんてお呼びすればいいですか?」

 ナースステーションの看護師がテワタサナイーヌに質問した。

「テワでお願いします。本名よりそっちで呼ばれる方が慣れてますから」

「わかりました。じゃあ『テワちゃん』と呼ばせてもらいますね。それにしても、かわいらしい首輪ですね」

「へへ、ありがとうございます」

 テワタサナイーヌが頭を下げた。

(やっぱり犬耳だった)

 病棟の個室に案内されたテワタサナイーヌは、ベッドに腰をかけてニンマリとした。

 自分と同じ犬耳の女の子だ。

 きっとかわいいに違いない。

 どんな毛色をしているんだろう。

 目は何色だろう。

 想像するとワクワクする。

 正月を病院で迎えるのはちょっと残念だが仕方ない。

 仕事柄、正月を家で迎えられないのはいつものことだ。

 病院だとしても職場でないだけマシというものだ。

(手羽先食べたかったなあ)

 仕事納めの後、家族四人で手羽先を食べに行こうと話していた。

(手羽先食べたいから入院を明日にしてくれとは言えないよね)

 テワタサナイーヌは、自分に突っ込みを入れた。

(私、テバサキーヌ……なんちゃって)

 テワタサナイーヌが一人で笑い転げていた。

「あの人、なにやってるの?」

 テワタサナイーヌは、部屋のドアを開けっ放しで大笑いしていた。

 その様子をナースステーションから見ていた看護師が小声で話していた。

 この件から、「テワちゃん=犬耳の面白い人」という評価が定着した。

 

 家に帰った山口は、副本部長の坂田警視長に電話を入れた。

「山口です。夜分にすみません。本日、早苗が入院しました」

「えっ、テワさんがですか!?」

 坂田が電話の向こうで驚きの声を上げた。

「はい、ただ、母胎の容態が悪化したというわけではありません。胎児の成長が予想より速いため、大事を取って出産待機入院となりました」

「そうですか。それを聞いて安心しました」

 坂田の声が落ち着きを取り戻した。

「年明けに改めてご相談したいと思いますが、出産待機入院は特別休暇の対象になりません。年次休暇で対応できない日数になった場合、休職手続きをとらざるを得ないと思います。その際は、よろしくお願いします」

「うん、わかった。テワさんには、仕事のことはいいから出産に専念するようにくれぐれも伝えてください」

「かしこまりました。遅くに失礼しました」

 山口は電話を切って、一つ大きな息をした。

「やっぱり待機入院になってしまいましたね」

 山口が予想通りという顔で弥生に話しかけた。

「そうね。こんなところが似なくてもよかったのに」

 弥生が笑顔で答えた。

「それにしても、あの子と同じ犬耳を持って生まれてくる女の子って、どんな感じなんでしょうね」

 弥生が楽しそうに想像を巡らせた。

「犬耳は超音波でわかりましたが、それ以外のことはまったく想像つきません」

 山口が、スマホの待ち受けに設定しているテワタサナイーヌの写真を見ながら言った。

 

 年末年始の休みの間、大輔はテワタサナイーヌの病室に入り浸った。

 毎日、面会時間いっぱいを病室で過ごした。

 運動制限はなかったので、二人で院内を散策したり、なるべく身体を動かすようにした。

 テワタサナイーヌは、散歩ができないとストレスが溜まる。

 毎日少しでもいいから外に出て歩きたがった。

「あら、テワちゃん、お散歩の時間? いいわねえ」

 二人が病室を出るとナースステーションの看護師が声をかけてくれるようになった。

 テワタサナイーヌも尻尾を振って笑顔で応えた。

 休みの間も担当医師はテワタサナイーヌの様子を見るため回診に来てくれた。

 獣医生命科学大の教授も挨拶がてら超音波を当てに病室まで来てくれた。

 ヒト、イヌ、どちらからの診察結果も異状は認められないということだった。

 ただ、胎児の成長具合がイヌに近いらしいことがわかった。

 大きさはそれほどでもないが、成熟速度が早いらしい。

 正月休み明けに、東大と獣医生命科学大の合同カンファレンスで出産予定日を推定することになった。

 テワタサナイーヌは、つわりもなく有り余る体力を持て余す毎日だった。

 

──正月明け

 大輔は、仕事があるため、毎日病室に入り浸ることができなくなった。

 昼間、大輔が仕事をしているとテワタサナイーヌからメールが山ほど届いた。

「退屈だよー」

「あー、暇」

「寂しいよー」

「グレるぞ」

「早く来て」

(仕事中にメール送ってこられても返せないのに)

 大輔は、昼休みにメールを返すが、それ以外は返せないので心の中でハラハラするしかなかった。

 仕事が終わると、大輔は一目散にテワタサナイーヌを見舞った。

 そして、面会時間終了まで一緒に過ごした。

 この時間があることでテワタサナイーヌも退屈な入院生活を我慢することができる。

(毎日お仕事大変なのにありがとね)

 頭ではわかっていても、大輔が帰ってしまうとまた泣き言のメールを大量に送り付けてしまう。

(私ってば、ほとんどストーカー)

 そう思いながらメールを送信した。

 

 テワタサナイーヌの出産予定日を再設定するため、東大と獣医生命科学大の合同カンファレンスが開催された。

 医師と獣医師の立場から意見を出し合い、熱い議論が展開された。

 このカンファレンスも貴重な資料となる。

 胎児の成長具合と内臓などの器官の成熟度合いから総合的に判断して、出産予定日が大幅に前倒しとなった。

「3月中旬と考えられます」

 担当医師が再設定された出産予定日を伝えた。

「ずいぶん早くなりましたね。未熟児で生まれるんですか?」

 テワタサナイーヌが疑問を抱いた。

「いえ、今の成長具合から考えて、3月で十分成熟するでしょう。未熟児になることはないと思います。ただ、かなり小さな赤ちゃんとして生まれると予想されます」

 医師がカンファレンスでの予測結果を説明した。

「小さいっていうのは、どれくらいですか?」

「そうですね、今のまま推移すると1,200gくらいでしょうか」

「本当に小さいですね」

 テワタサナイーヌが驚いた。

「犬の赤ちゃんをご覧になったことがありますか」

「あります。ちっちゃくって真っ赤で、目も開いてないですよね」

 テワタサナイーヌが答えた。

「そうですね。その状態で生まれてくると考えられます」

「あー、なるほど。それなら納得です」

 テワタサナイーヌが笑顔で左手の平に右の拳をトンと当てた。

「予定日が3月中旬に変更になったよ。犬の赤ちゃんみたいな状態で生まれるんだって。かわいいね」

 回診後、すぐにテワタサナイーヌはカンファレンス結果を大輔にメールで知らせた。

 いつの間にかテワタサナイーヌが何かを知らせるのは、大輔が第一順位になっていた。

「ひょっとしてテワさんの誕生日あたりになるんじゃないすかね」

 大輔から返信が届いた。

(あ、そうだ。3月中旬だと、私とお姉ちゃんの誕生日、お姉ちゃんの命日と私たちの結婚記念日が一度に来てすごいことになるな)

 テワタサナイーヌが想像を膨らませた。

 1月が過ぎ2月になった。

 テワタサナイーヌのお腹もずいぶん膨らみが目立つようになった。

 相変わらずテワタサナイーヌは大輔に甘えている。

 大輔も時間が許す限りテワタサナイーヌの甘えに応えている。

 テワタサナイーヌは、年次休暇を使い果たしたが、それと同じタイミングで産前の妊娠出産休暇を6週間取得することができた。

 ぎりぎりで休職を回避することができ、テワタサナイーヌも山口も安堵した。

 大輔は、まだテワタサナイーヌの妊娠を公表していない。

 テワタサナイーヌも病室からスマホでツイートを飛ばしているので、誰もテワタサナイーヌの入院に気づかなかった。

 お腹の中の子供は、相変わらず小さいが、ひっきりなしにくるくる動き、テワタサナイーヌのお腹を蹴飛ばしている。

「ちょっと、そんなに蹴ったらお腹の皮が伸びちゃうよ」

 テワタサナイーヌが子供に話しかける日が続いた。

 

(痛っ)

 3月に入ってすぐ、テワタサナイーヌは下腹部に張りを伴う傷みを感じた。

「看護師さん、お腹が張って痛いんですけど」

 テワタサナイーヌは、ナースステーションに歩いて行き、お腹の張りを伝えた。

「あら、テワちゃん、お腹の張りが出たのね。ちょっとお部屋で待ってて」

 看護師がテワタサナイーヌに指示を出した。

「はーい」

 テワタサナイーヌは、部屋に戻りベッドに横になった。

「お待たせー」

 看護師が脳天気な声で部屋に入ってきた。

 入院が長くなり、看護師ともすっかり打ち解けた。

 看護師は、NSTという装置を持ってきた。

 NSTは、ノン・ストレス・テストといわれるもので、胎児の心拍数と母体のお腹の張り具合(子宮の収縮)を可視化するものだ。

 看護師は、テワタサナイーヌのお腹にNSTのセンサーを着けた。

 NST本体から吐き出される記録紙を見ると、胎児の心拍数は毎分150回くらいで安定している。

 お腹の張りもほとんど観測されなくなった。

(痛いなあ)

 数時間後、またお腹の張りがきた。

 お腹の張りを示すグラフを見ると、ぐーっと高い数値の方に針が振れているのがわかった。

(陣痛きた?)

 テワタサナイーヌは、ナースコールで看護師を呼んだ。

「はーい、テワちゃんどうしたの?」

 看護師がフレンドリーに応答した。

「お腹痛いでーす」

 テワタサナイーヌも負けじとフレンドリーに応じた。

「先生に連絡しまーす」

 看護師も負けていない。

 病棟の処置室で担当医師の触診を受けた。

「まだ子宮口も開いていませんし、赤ちゃんも下がってきていません。もうしばらく時間がかかると思います。ただ、山口さんの場合は、犬のお産のようにあっさり分娩してしまう可能性もありますから、慎重にモニタリングしましょう。獣医生命科学大には連絡をしておきます。

 医師がベッドに寝ているテワタサナイーヌに説明した。

 

「お腹の張りが来たよ」

 テワタサナイーヌは、大輔に電話をした。

「そうすか! いよいよっすね」

 大輔は興奮した様子だった。

 呼びもしないのに1時間後くらいに大輔が病室に来た。

「まだ早いって」

 テワタサナイーヌが苦笑した。

「いててっ」

 お腹に張りが出た。

「うわっ、生まれる! 大変す!」

 大輔が騒いだ。

「うるさい! あんたが慌ててどうするの。あんたが慌てても子供は生まれないから」

 テワタサナイーヌが大輔を叱った。

「ごめんなさい」

 大輔が肩を落とした。

 その日以降も強いお腹の張りが繰り返し訪れた。

 大輔が病室にいるときは、そのたびに大騒ぎをするのでうるさい。

「あんたが産むんじゃないんだからさ。もうちょっと堂々として。私の飼い主でしょ。しっかりしてよ」

 テワタサナイーヌが呆れた。

 大輔が大騒ぎしてくれると自分の不安が薄れるので助かっているが、それは悔しいので言わない。

「前駆陣痛ですね。もうしばらくこの状態が続くと思います」

 担当医師がテワタサナイーヌに説明した。

「というわけだから安心しなさい」

 テワタサナイーヌが病室から帰りたがらない大輔を追い返した。

 

(この痛いのいつまで続くのかな)

(もう勘弁してよ)

(大輔くーん……)




 この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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