当たり前の後ろ ~テワタサナイーヌ物語~   作:吉川すずめ

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未病

「つわりが全然ないんだけど」

 

 テワタサナイーヌが弥生に相談した。

 12月、間もなくクリスマスになろうという頃だ。

 テワタサナイーヌは、妊娠13週を迎えていた。

 テワタサナイーヌのつわりは、ご飯が炊ける匂いに軽い吐き気を覚える以外、まったく体調の変化がなかった。

「あら、いいじゃない。羨ましい」

 弥生はあっさり肯定した。

「でもさ、つわりがないとか軽いとよくないみたなことがネットにたくさん書かれてるでしょ。ちょっと心配になっちゃって」

 テワタサナイーヌがお腹をさすった。

「そうね、ネットの情報を見れば見るほど不安になるわよね。特に初めての妊娠となると、自分の経験で得た知識がないから余計にネットの情報が気になっちゃうでしょうね」

 弥生がテワタサナイーヌの心情を代弁してみせた。

「そう。そうなの。自分で少しでも経験してることなら『そんなことあるわけないじゃん』て笑い飛ばせるんだけど、それができないのよ」

 テワタサナイーヌが眉を八の字にした。

「情報過多の弊害よね。心配になったときは、専門家に訊くのよ。ネットの情報を鵜呑みにすると間違えるから。だから、今度の検診に行ったときお医者さんに訊いてごらんなさい。『全然心配いりません』て言われるから」

 ネットの情報は、玉石混交で有益なものもあれば無益なもの、さらには有害なものまで多種多様だ。

 弥生は、自分で判断がつかないときは、ネットから離れて専門家の意見を訊くようにアドバイスしたのだ。

「それに、早苗ちゃんは半分犬だからお産が軽いのかもしれないわよ」

 弥生が意外な着眼点を提示した。

「あ、そうかも!」

 テワタサナイーヌも合点がいった。

(そっか、私、犬だもんね。お産が軽くて助かるかも)

 テワタサナイーヌは、犬の遺伝子をもらってよかったと思った。

「もうあれよ。早苗ちゃんがめいっぱい安産して、あなた自身が安産のシンボルになっちゃえばいいのよ。犬なんだし、ちょうどいいでしょ」

 弥生も面白がって提案した。

「面白そう。水天宮で巫女さんやったら人気出るかな?」

「公務員は兼業できないからダメ」

「ちぇっ」

 二人は笑った。

 

 テワタサナイーヌの妊娠を大輔はまだTwitterで報告していない。

 エゴサーチをすると、テワタサナイーヌが東大病院の産科に出入りしているところを見たというツイートがあるにはあるが、ほとんど拡散されていないので公知の事実とはなっていない。

 クリスマスも近いということで、テワタサナイーヌがサンタクロースのコスプレをした写真を大輔がTwitterに投稿した。

 赤いサンタコスに赤い革製の首輪が映える。

 どことなく頽廃的な絵になってしまった。

「この人妻サンタはエロい」

「テワちゃん相変わらずかわいい」

「プレゼント手渡してください」

 サンタコスに対しては、好意的な反応が多く返ってきた。

 大輔とテワタサナイーヌは、喜んでタイムラインを見ている。

 その中に一つだけ批判的なものが飛び込んできた。

「警視庁の犯抑は全然わかってない。このTwitterを見てるような人はオレオレ詐欺の被害になんて遭わない。年寄りはここ見ないから無駄」

 ターゲットの年齢層が間違っているという指摘だ。

「うーん、なんかムカつく。大輔くんが一所懸命情報発信してるのに」

 テワタサナイーヌのマズルが少し伸びた。

 テワタサナイーヌは、冬だというのに相変わらずの薄着だ。

 犯抑に着任してしばらくはパンツスーツでおとなしくしていたが、ここ最近はすっかり自分の好きなものを着てくるようになった。

 ロッカーにスーツをしまっているので、必要なときは着替えることができる。

 だいたい短いスカートに薄手のブラウスかカットソーというスタイルだ。

 通勤のときは、コートを着なくても寒くないが、周りを寒くするという理由で着せられている。

「テワさん」

 大輔がテワタサナイーヌに話しかけた。

「なによ」

 テワタサナイーヌが大輔に八つ当たり気味に答えた。

「あ、ごめん。大輔くんが批判されてるのに大輔くんに当たってもしょうがないよね」

 テワタサナイーヌは、すぐに自分の間違いに気づいて謝った。

「テワさん、落ち着いてて偉いっすね」

 大輔がほめた。

「こういうリプライは、『まあそういう見方もあるよね』くらいにしておくといいっす」

 大輔が余裕のある態度でモニタを見ながら言った。

「反論しないの?」

 テワタサナイーヌは、なぜ闘わないのか不満だった。

「反論して有益なものと無駄なものがあるっすよ。これは無駄な分類に入るっす」

「そうなの? なんかすっきりしないけど大輔くんが言うんだから間違ってないんだよね」

 最近のテワタサナイーヌは、大輔を信頼している。

「でもさ、ターゲットを間違えてるって言われてるわけじゃん。私もそんな気はしてたんだけど、それってどうなの?」

 テワタサナイーヌも薄々疑問に感じていたことだった。

「ほら、係長も前に言ってたじゃないすか。お年寄りに直接訴求することで被害を防ぐことは限界にきている。これからは、お年寄りを取り巻く地域や家族に訴求して、お年寄りをサポートする方向が重要だって」

 大輔がずいぶん前に山口から教わったことを思い出してテワタサナイーヌに言った。

「うん。まあね。それもそうなんだけど。実際、うちのツイートを見てたヘルパーさんが、訪問した先のおうちでそこの家のおばあちゃんが電話をしていたらしくて、その話の内容がツイートにあった手口だったんで被害を防げましたっていうリプライももらったことあるけどね。でも、それだけじゃなんか弱いような気がするんだよね。Twitterで若い世代に訴える理由っていうか目的っていうかメリットみたいなものって、もっとはっきりしたものがないのかな?」

 テワタサナイーヌもそれなりに真剣に考えている。

「そうすね。そう言われるとなんかTwitterを使う理由がふにゃふにゃしてくるっすね」

 大輔も自信がなくなってきた。

「こういうときは年寄りに訊くのよ」

 テワタサナイーヌが山口を指差しながら大輔に笑いかけた。

「ねえお父さん」

「聞きたくないことまで全部聞こえてました。年寄りは、そういうところはよく聞こえるんです。Twitterを使う理由ですね。年寄りがお答えしますよ」

 山口が苦笑いしながら二人に向き合った。

「年寄りってやーねー」

 テワタサナイーヌが冷やかした。

「年寄りをバカにするんじゃありません。みんないずれ年寄りになるんです」

 山口がテワタサナイーヌの伸びたマズルを指で抑えて戻した。

「さて」

「テワさん、医療をその考え方や方向性で大きく二つに分けると何と何になりますか?」

 山口がテワタサナイーヌに質問した。

「んー、考え方や方向性? なんだろ。東洋医療と西洋医療みたいなこと?」

 テワタサナイーヌが自信なさげに答えた。

「そうです。そのとおりです」

 山口がテワタサナイーヌの頭を撫でた。

 テワタサナイーヌが尻尾を振った。

「漢方医学と西洋医学と言ってもいいかもしれません」

 山口が続けた。

「西洋医療は、客観的で分析された結果にもとづいて施され、病気に対してピンポイントに治療します。これに対して漢方医療は、経験の集積にもとづいて、体全体の調和を図ろうとして、個人の体質や特徴を重視します。この違い、わかりますね」

「うん、わかる」

 テワタサナイーヌが頷いた。

「では、大輔さん。オレオレ詐欺の被害者になる可能性がある高齢者に直接働きかける広報啓発は、西洋医療、東洋医療のどちらになりますか?」

 山口が大輔に質問した。

「狙ったところにピンポイントに治療しようとするから西洋医療すか」

 大輔も少し自信なさげに答えた。

「そうです。西洋医療です。さすが大輔さん」

 山口が大輔もほめた。

「東洋医療の最大の特徴は『未病』も治せるということです」

「未病ってなに?」

 テワタサナイーヌが訊いた。

「未病というのは、今はまだ病気ではないけれど、病気になる可能性のある状態のことです」

「実は、この話の本題に入る前にした会話の中に答えが潜んでいたんですが、お気づきになりましたか?」

 山口がニヤリとした。

「え? なにそれ。全然わかんないよ」

 テワタサナイーヌが小首を傾げた。

「テワさん、超かわいい!」

 大輔が喜んだ。

「ありがと。だったらもっと惚れなさい」

 テワタサナイーヌも慣れたものだ。

「この話に入る前、私とテワさんは、どんな話をしていましたか」

「えー、たしか年寄りは悪口はよく聞こえるとか、そういう話」

 テワタサナイーヌが申し訳なさそうに答えた。

「そうですね。それで私はなんと言ったでしょう」

 山口が更に質問した。

「なんだっけ、えっと、えっと、みんな年寄りになるんだとか言ってなかった?」

「そうですね。そう言いました」

「それと、未病を合体させましょうか」

 山口がわけのわからないことを言い出した。

「みんな年寄りになるっていうことと未病を合体させるの?そうするとどうなるっていうの?」

 テワタサナイーヌには、まったく理解できなかった。

「いま、私たちはオレオレ詐欺の被害防止について議論しているわけですよね。そこで、被害の発生を病気の発症と置き換えて未病を考えてみてください」

 山口が二人を交互に見ながらゆっくりと説明した。

「被害の発生を病気の発症に置き換えて未病を考える……えっと、今はまだ被害者になっていないけど、いずれ被害者になる可能性がある状態が未病ってこと?」

 テワタサナイーヌが考えを巡らせた。

「大正解です。テワさん、さすがですね」

 山口がほめた。

「いま若い人もいずれ年寄りになります。ですから、いずれオレオレ詐欺の被害者になる可能性がある未病の状態と言えます」

 山口が謎を解き明かした。

「あ!!」

 テワタサナイーヌと大輔が同時に気づいて声を出した。

「お父さんは、数十年先の被害を防ごうとしてたってわけ!?」

 テワタサナイーヌが思わず大きな声を出した。

「そうです。西洋医療は、いわば対症療法で、いま出ている症状を改善しようとするものです。これに対して東洋医療、漢方は、体質の改善により体全体の調和を図ることで未病をも治療しようとします。私がTwitterでやろうとしていたのは、まさに漢方医療です。若い世代のオレオレ詐欺に対する意識を変容させる、これが漢方の体質改善にあたります。体質改善には時間がかかります。すぐには効果が現れません。一見すると無駄なように見えます。しかし、必ず将来効果が現れます。近視眼的な効果は薄くても、ちゃんと効いているということです」

 山口は、二人に噛んで含めるように説明した。

「短期的な効果しか見ていなかったんすね。俺らは」

 大輔が自分の考えを恥じた。

「いえ、決して恥じるようなことではありません。要は、どう組み合わせて活かすかです。どちらか一方だけが優れていて、片方が劣っているという話ではないのです。各々の長所を組み合わせれば、より高い効果が生まれるのです。最近は、医者で出される処方箋にも漢方薬が入っていることが多いと思います。そういうことです」

「そっかー。今まで私たちは西洋医療的な対策ばっかり重視してきたのね」

 テワタサナイーヌが感心したように頷いた。

「即効性が期待できますからね。無理もないと思います」

 山口が紅茶をすすった。

「じゃあ、今のことをさっきのリプライくれた人にちゃんと説明したらわかってもらえるんじゃない?」

 テワタサナイーヌが鼻息を荒くした。

「そうですね。わかってもらえるかもしれません。ただ」

「ただ?」

「わかってもらえない可能性が高いです。もともとTwitterは、独り言の世界です。議論には向かないメディアなんです。ですから、相手を説得しようという使い方には向いていません。もちろん、災害時などにデマのような明らかに間違った情報が拡散されているようなときは、なにがなんでも打ち消さなければなりません。しかし、個人の考え方に対して、それを論破しようとするのはTwitterの使い方として好ましくないと思うのです。特に、大きな組織の公式アカウントが個人の考えを否定するのはよくない」

 山口が持論を展開した。

「なるほどね。たしかにそうだわ」

 テワタサナイーヌも腑に落ちた。

「大輔さん。これは今までノウハウとしてお伝えしていませんでした。なぜかというと、これも私の考え方にすぎないからです。ですから、これを踏襲するかどうかは、大輔さんの判断です」

 山口が大輔を見た。

「いや、俺も同感す。今の話の路線を受け継がせてください」

 大輔も山口の考えが理解できた。

「ところで」

 山口が大輔に言った。

「なんすか」

 大輔は、更に難しい話が来るものと身構えた。

「テワさんのサンタコスの写真、データもらえませんか」

 山口が意外なオーダーをした。

「オッケーす。未公開分も含めて差し上げるす」

 大輔が親指を立てた。

「ちょっと、お父さん。私の写真どうするつもりなの?」

 テワタサナイーヌが尻尾を振って大喜びしながら追及した。

「いえ、ちょっと、スマホの待ち受けにと思いまして……」

 山口が恥ずかしそうに言った。

「もー、お父さんも私のことが好きなのね。しょうがないなー」

 テワタサナイーヌが満足そうな顔をした。

「ねえねえ、もしかして今の待ち受けも私なの?」

 テワタサナイーヌが山口のスマホを取り上げた。

「あっ、ダメです! 人のスマホを勝手に見るんじゃありません」

 珍しく山口が焦った。

「待ち受けを見るだけなんだからいいでしょ」

 テワタサナイーヌは意に介さない。

「あらー」

 テワタサナイーヌが声を上げた。

「ミクさんじゃない」

 テワタサナイーヌが山口のスマホを大輔に見せた。

 山口のスマホの待ち受けは、初音ミクだった。

「まあ、お父さんらしいちゃらしいわね」

 テワタサナイーヌは納得した。

「返してください」

 山口がテワタサナイーヌの手からスマホを奪い返した。

「まったく、油断も隙もあったもんじゃない」

 口ではそう言いながら、山口は楽しそうだった。

 

「テワさん、大輔さん」

 落ち着きを取り戻した山口がテワタサナイーヌと大輔を呼んだ。

「なーに」

「なんすか」

 二人が順番に答えた。

「年明け第二週の土曜日なんですが、戌の日なので安産祈願に行きませんか。予定が空いてればですが」

 山口が安産祈願に誘った。

「年明け第二週の土曜日ね。なんかあったっけ?」

 テワタサナイーヌが大輔に予定を確認した。

 二人の予定は、大輔が管理していた。

 大輔が管理しているというより、テワタサナイーヌが管理しないので大輔が仕方なくやっている。

「その日はフリーっす」

 大輔が答えた。

「空いてるって」

 テワタサナイーヌが山口に予定を伝えた。

「そうですか。じゃあ行きますか?」

「うん、いいよ」

「戌の日にテワさんが神社にいたら参拝客に喜ばれそうですね」

 山口が笑った。




 この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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