当たり前の後ろ ~テワタサナイーヌ物語~   作:吉川すずめ

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「じゃじゃーん! 」

 テワタサナイーヌが大輔にドラッグストアのビニール袋を差し出して見せた。

 

 テワタサナイーヌの生理は、きっちり28日周期で狂うことは少ない。

 ところが、前回の生理から28日を過ぎても生理が来なかった。

 予定の日から一週間以上生理が遅れたことはない。

 大輔は、すっかりテワタサナイーヌが妊娠したものと決め付けて喜んでいる。

 その段階ではまだテワタサナイーヌは妊娠を疑っていた。

 しかし、生理の遅れが二週間を過ぎたところでテワタサナイーヌも「もしや」と思い始めた。

 とりあえず確かめてみようと思い、仕事帰りにドラッグストアで妊娠検査薬を買ってきた。

「手伝うすか」

「ふざけんな」

 大輔が間抜けな申し出をしたので、テワタサナイーヌは大輔の背中に膝蹴りを入れた。

 いくら犬化が進んで大輔がハンドラーになっていたとしても、おしっこをしているところを見せようとは思わない。

 大輔の精子と自分の卵子は、染色体数の違いを乗り越えて合体することができたのだろうか。

 テワタサナイーヌは、袋から検査薬の箱を取り出して、箱の中に入っていた説明書を広げた。

(女性の体は、妊娠すると胎盤でhCGという名前のホルモンが作られるんだ。で、これがおしっこの中にも混ざって出てくるわけね。それをこれで検出するっていう仕組みか。hCGは、生理予定日ころから出るっていうことだから、二週間遅れてる私は、当たってれば陽性になるはず)

 説明書を読んでいるうちに怖くなってきた。

 どちらの結果が出るにしても、事実を知るのが怖い。

 陰性であれば落胆するし、陽性の場合はマタニティブルーに突入するかもしれない。

 想像マタニティブルーを経験してしまったテワタサナイーヌは、若干臆病になっていた。

 いくら怖がっていても結果を出さないわけにはいかない。

「赤ちゃん、できてなかったらごめんね」

 テワタサナイーヌにしては珍しく弱気な発言をした。

「私が染色体異常だからいけないんだよね」

 テワタサナイーヌは自分を責めた。

「あはは。大丈夫っす。テワさんは妊娠してるっす」

 大輔が自信満々に笑った。

「なに、その根拠のない自信」

 あまりにも自信満々な大輔の態度にテワタサナイーヌもおかしくなって笑ってしまった。

「ぴくっと手応えがあったす」

 大輔が胸を張った。

「手応えって何よ。あんたは出すときに手応えを感じる特異体質なの?それに、いつのやつに手応えがあったの?」

 テワタサナイーヌが笑い転げている。

「いつのって、テワさん露骨な」

 大輔が頬を赤らめた。

「まあいいわ。とにかく『ぴくっ』と感じたのね」

「そうす」

 二人で爆笑した。

(ありがとう。不安が軽くなったよ)

「さあ、トイレに篭るわよ」

 そう宣言してテワタサナイーヌは検査薬を持ってトイレに入った。

(出ない)

 大輔が気持ちをほぐしてくれたが、やはり緊張でおしっこが出にくかった。

(落ち着け自分)

 深呼吸をして再チャレンジする。

(出た)

 検査薬の先端におしっこをかける。

(えっと、確かこれで1分くらい待つんだったな)

(結果をどうしよう。ひとりで見るか、大輔くんと見るか)

(ひとりで見るのは怖いから、大輔くんと一緒に見よう)

 テワタサナイーヌは、パンツを履いてトイレを出た。

 検査薬の判定が出る窓は手で隠している。

「一緒に見て」

 検査薬を大輔に見せた。

「いいっすよ。楽しみっすね」

 大輔は自信満々のまま動じない。

(どっからその自信が来るのよ。ほんとにぴくっと来たのかな)

(ていうか、どこにぴくっと来るの?)

「大輔くん質問」

「なんすか」

「さっき言った『ぴくっ』は、どこに来るんですかー」

 テワタサナイーヌがおどけた態度で訊いた。

「え、それは、あそこすよ」

 大輔がもじもじした。

「わかんない。代名詞じゃなくて名詞でプリーズ」

「テワさん、ドSすか」

 大輔が恨めしそうにテワタサナイーヌを見た。

「その態度でわかったわよ。そこに来るのねピクミンが」

 テワタサナイーヌが吹き出した。

 そうこうしているうちに規定の1分間が過ぎた。

 テワタサナイーヌは、検査薬を隠している手を少しずらして「終了線」を確かめた。

 終了線には、正常に検査が終了したことを表す反応が出ていた。

「正常終了だって。結果が出てるはず」

 テワタサナイーヌが大輔に見せた。

「そうすね。さあ結果を見よう」

 大輔の鼻息が荒くなった。

「ちょっと待って。やっぱり緊張する」

 テワタサナイーヌが数回深呼吸をした。

 二人が横に並んでぴったり密着した。

「いくよ」

 テワタサナイーヌが大輔に声をかけた。

「はい」

 大輔も緊張してきた。

 いつものブロークンな敬語でなくなっている。

「やっぱり怖いから大輔くん見て!」

 テワタサナイーヌは、ぎゅっと固く目を閉じた。

「5・4・3……」

 テワタサナイーヌがカウトダウンを開始した。

「2……0!」

 テワタサナイーヌがフェイントをかけて検査薬を隠していた手を離した。

「どこ見るんすか?」

 大輔は、検査薬の見方を知らなかった。

「ちょっとー、あんたに見せた意味がないじゃん」

 テワタサナイーヌが呆れたように言った。

「結果窓に細い線が2本出てれば妊娠。1本ならハズレよ」

 テワタサナイーヌが検査薬の見方を説明した。

「えっとですね」

 大輔がもったいつけた 。

「早くしてよ。こっちはさっきから心臓がばっくんばっくんしてんだから!」

 テワタサナイーヌが焦れた。

(?!)

 大輔の手がテワタサナイーヌの下腹部に触れた。

「ようこそ、我が家へ」

 大輔が優しい声で囁いた。

「えっ!?」

 テワタサナイーヌが思わず聞き返した。

「妊娠っす!」

 大輔が叫んだ。

「うおーっ!!」

 目を開けて検査窓を見たテワタサナイーヌが雄叫びを上げた。

「どうしたの!?」

 大輔とテワタサナイーヌの大声を聞きつけた弥生と山口が驚いて2階に駆け上がってきた。

「これ見て!」

 テワタサナイーヌが興奮した様子で検査薬を弥生に見せた。

「わ!」

 弥生も声を上げたが言葉にならなかった。

「やりましたね。早苗さん、大輔さん」

 山口が二人を祝福した。

「ばんざーい!」

 山口が万歳をした。

「ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい!」

 全員で万歳三唱をして喜びあった。

 普段、あまり感情を表に出さない山口が弥生と手を取り合って泣いていた。

 テワタサナイーヌは、嬉しすぎてどう反応していいのかわからず放心していた。

 大輔は、意味もなく部屋の中をぐるぐる走り回っている。

 テワタサナイーヌと大輔のどちらが犬なのか、わからない状況になっていた。

「これだけじゃ妊娠と言い切れないから、時間を作って病院に行くのよ」

 弥生がテワタサナイーヌの手を握った。

「うん!」

 テワタサナイーヌが大きく頷いた。

「とは言っても、あんまり早すぎると胎芽が小さすぎて超音波で確認できないこともあるから、急ぐ必要はないと思うよ」

 弥生がテワタサナイーヌにアドバイスした。

「とりあえず明日から危険業務は避けるようにしましょう」

 テワタサナイーヌの仕事は、山口が割り振りをしているので、いかようにもできる。

「今日が10月だから、予定日は10か月後の8月すね」

 大輔が予定日の計算をした。

「そっか、男の人は『十月十日』って思ってるのね。間違ってはいないけど、計算を始めるところが違うのよ」

 弥生が大輔に言った。

「早苗ちゃんはわかってる?」

 弥生がテワタサナイーヌを見た。

「うん、知ってる。最後の生理開始日から数え始めるんだよね」

「そう、そのとおり」

 弥生がテワタサナイーヌの頭を撫でた。

 テワタサナイーヌは、目を閉じて舌を出した。

「大輔くんも覚えておいて。妊娠期間計算は、最後の生理が始まった日から始めるの」

「へー、そうなんすね。ってきり受精の日からなのかと思ってたす」

「よくある間違いね。第一、受精の日がいつかってわかる?わからないでしょ。最後の生理が始まった日が妊娠0日目、0週目でもあるの。だから、次の生理が来る予定の日は28日後だから、生理が遅れてるなあと思ったときには、もう妊娠4週を過ぎてることになるの」

「早苗ちゃんは、生理が二週間くらい遅れてるから、今日でもう妊娠6週になってるっていうこと」

「えっ、もうそんなになってるんすか。知らなかった」

 大輔が驚いた。

「そう。だから十月十日、つまり42週の妊娠期間は間違ってなくても、計算を始めるときを勘違いすると、4週間以上もずれちゃうことになるのよ」

 弥生が大輔に教えた。

「テワさん、先月の生理はいつだったすか?」

 大輔がテワタサナイーヌに確認した。

「えっとね、確か9月22日」

 テワタサナイーヌが指折り数えて答えた。

「そうすると、9月22日から42週後すね。いつになるんだ?」

 大輔が頭の中で計算を始めた。

「6月29日」

 大輔より先にテワタサナイーヌが答えた。

「テワさん、頭いいっすね!」

 大輔が喜んだ。

「問題は、病院選びですね」

 山口が口を開いた。

「そうね」

 弥生が同意した。

「早苗さんの場合、かなり特殊な胎児と出産になります。どこの病院でも対応できるというわけではないと思います。対応できる病院を探しましょう」

「うん」

 テワタサナイーヌが頷いた。

「場合によっては、出産まで入院になるかもしれません」

 山口は、弥生が妊娠したときの経験を踏まえて、自分なりの予測を述べた。

「現状だと筑波大学に早苗さんの身体に関するほぼすべてのデータがあります。まずは筑波大学から当たってみましょう」

「はーい」

 

 大輔は、筑波大学附属病院にテワタサナイーヌの出産対応が可能かを問い合わせた。

「初めての症例ですし、どのような医療的対応が必要になるかわかりません。もちろん当院で出産のお手伝いをさせていただくことは可能ですし、そうなった場合は関係する診療科すべてで専門チームを結成して対応します」

 筑波大学附属病院は、積極的な回答だった。

「しかし、お宅からだとかなり遠方になります。通院が大変で母胎に与える影響を考えると、もっとお近くの病院がいいと思います。他の病院で出産の対応をなされる場合は、当院で保有しているテワタサナイーヌさんの身体に関するすべてのデータを提供します。お近くですと国立成育医療センターか東京大学付属病院が便利だと思います」

 母胎への影響を考えると遠方より近い方がいい。

 もっともな指摘だった。

「東京大学ですか。懐かしいですね」

 山口がつぶやいた。

「え、お父さん東大だっけ?」

 テワタサナイーヌが意外という顔をした。

「そんなわけないじゃない。ただのたわ言よ」

 弥生が斬って捨てた。

「うちからだと世田谷の成育医療センターより東大病院の方がずっと便利がいいわね」

 弥生は、病院の規模や質よりも通院がテワタサナイーヌに与える負担を気にしていた。

「じゃあ、とりあえず東大病院に当たってみて、対応してもらえそうだったそこにしよ」

 テワタサナイーヌが提案した。

「そうっすね」

 大輔も同意した。

 筑波大学からは、診療情報提供書を作成してもらった。

 肝心のデータは、莫大な量になるため紙ベースではなくDVDに記録したものが交付された。

 テワタサナイーヌと大輔は、筑波大学の診療情報提供書を持って東大病院の産科を受診した。

 東大病院では、まず妊娠の有無について検査を受けた。

 テワタサナイーヌの場合、まだ妊娠初期なので経腹超音波ではなく、経膣超音波検査が行われた。

 検査を担当した医師は、モニタに映った映像を見てすぐに判断した。

「妊娠ですね」

 ベッドの上に寝ているテワタサナイーヌが拳を握りしめて小さくガッツポーズをとった。

「この範囲が胎嚢です。それから、ここに小さな卵のようなものが見えると思います。これが胎芽です。胎嚢の中に胎芽がありますから、正常妊娠といえます。まずは妊娠の第一段階をクリアしています。おめでとうございます」

 医師がにこやかにテワタサナイーヌに説明した。

「ありがとうございます!」

 テワタサナイーヌも笑顔で答えた。

「先ほどお聞きした生理の周期と胎嚢、胎芽の大きさから判断して、現在妊娠8週と診断します。予定日は、来年の6月29日です」

「やっぱり! 予想通りです」

 テワタサナイーヌが喜んだ。

「ご自分で起算なさったんですか?」

 医師が訊いた。

「はい、計算してみたんです」

「すばらしい自覚ですね」

 医師がほめてくれた。

「肝心の出産対応はいかがでしょうか?」

 超音波検査を終えたテワタサナイーヌが大輔とともに診察室で医師に質問した。

「はっきり申し上げると、難しい対応になるのは間違いありません。なにしろ今まで誰も経験したことのないケースです。これに自信を持って『できます』と言えるところはないでしょう。私の一存でお引き受けできるレベルを遥かに超えています。おそらく院全体のカンファレンスで決定されることになると思います。少々お時間をいただいてもよろしいですか。それと、今回の妊娠の経過、出産、そしてお子様の成長について記録を取らせていただき、学会で共有したいと思います。ご了承いただけますか」

「学会での共有は承知しました。カンファレンスの結果がわかるのは、いつごろですか」

 テワタサナイーヌが答えた。

「そうですね。のんびりしていると妊娠はどんどん進んでしまいます。私から部長に働きかけて、緊急のカンファレンスを要請します。早ければ来週にもお答えできると思います」

「わかりました。よろしくお願いします」

 テワタサナイーヌと大輔は頭を下げた。

 

──翌週

 ♪ぽいぽいぽいぽいぽぽいのぽい

 犯抑で事務仕事をしていたテワタサナイーヌのスマホに電話が着信した。

 テワタサナイーヌは、スマホを持って廊下に出た。

「はい、山口です」

 テワタサナイーヌが電話に出た。

「東京大学病院の産科です」

(きた!)

「あ、はい、お世話になっております」

「先日受診いただいた妊娠の件でカンファレンスの結果が出ましたのでお知らせいたします」

「はい」

「当院として山口さんの出産をお引き受けいたします。関係する科で専門のチームを結成し、総力を挙げてご支援させていただきます。また、今回のご出産に関しては、まったく異例ではありますが、日本獣医生命科学大学との合同チームによる対応といたします」

「ありがとうございます!」

「ただし、ハイリスク妊娠になります。すべてのリスクを排除できるとは保証できませんので、ご了承ください」

「はい、わかっています。よろしくお願いします」

 テワタサナイーヌは、電話の向こうの医師に頭を下げた。

「なんで私が東大に?」

「犬だからーっ!」

 テワタサナイーヌは浮かれていた。

 出産を引き受けてくれる病院が決まり安心した。

 しかも、日本獣医生命科学大学との合同チームまで結成してくれるというのだ。

 ただ、ひとつ気がかりなことがは、弥生の例だ。

 自分にも同じことが起こらないとは限らない。

 しかし、これは誰の力も及ばない。

 祈るしかない。

(お姉ちゃん、赤ちゃんを守って)

 テワタサナイーヌは、亡き早苗に祈った。

「お父さん、病院決まったよ」

 事務室に戻ったテワタサナイーヌは、隣の席の山口に病院決定の報告をした。

「よかったですね。東大病院ですね」

 山口も安堵した表情を浮かべている。

「うん。それだけじゃなくて、日本獣医生命科学大学と合同チームまで作ってくれるんだって」

「それはありがたいですね。テワさんの中身は犬の成分が多いですから、獣医の知見が役に立つこともあるでしょう」

「私の血液型のこともあるしね」

「そうです。分娩時に出血が多かった場合、輸血の必要があります。テワさんには、また犬から供血してもらわなければなりません。獣医の協力が得られるというのは、本当に心強いです」

 山口が力説した。

「あ、ごめん、父親になる人を忘れてた。病院が東大病院に決まったよ」

 テワタサナイーヌが後ろでニコニコしながらこちらを見ている大輔に付け足しで報告した。

「よかったすね。お父さんとの話が聞こえてたから、大丈夫すよ」

 大輔は頓着しない男だ。

 

 その日、テワタサナイーヌは早退して市役所に妊娠届出書を提出した。

「おめでとうございます」

 窓口で対応してくれた職員は、まず最初に妊娠を祝ってくれた。

「ありがとうございます」

 テワタサナイーヌもにこやかに答えた。

 おそらく対応した職員もテワタサナイーヌの笑顔でこの妊婦の社会的リスクが少ないだろうことを察したはずだ。

 届出書には、性病に関する検査の有無を記載することになっている。

(そういえば性病の検査って受けたことない。大輔くんが性病を持ってなければ私も大丈夫なはずだけど)

 窓口では、別にアンケート用紙が交付された。

 

「初めての出産ですか」

(はい、と)

 

「妊娠を知ったとき、どんな気持ちでしたか」

 1.嬉しかった

 2.驚き戸惑った

 3.不安、困った

 4.特に何とも思わなかった

(これは1と2と3かな。いや、困りはしなかったから3はないか)

 

「妊娠、出産、育児について相談したり協力してくれる人はいますか」

(もちろん「はい」)

 

「母親教室を受ける予定はありますか」

(とりあえず受けてみよう)

 

「里帰り出産の予定がありますか」

(毎日里帰りしてるからこれは「いいえ」)

 

「タバコを吸いますか」

(はい。なんて書いたら大輔くん驚くだろうな)

 

「お酒を飲みますか」

(これは「はい」と)

 

「出産に関してご自身で心配と思う病気がありますか」

(病気はないけど、心配なことは山ほどあるよ)

 

「何か心配なこと、相談したいことがありますか」

 1.妊娠中の身体のこと

 2.家事や仕事のこと

 3.出産・育児にかかる費用

 4.パートナーとの関係(経済的なこと、身体的・精神的暴力など)

 5.相談者や協力者が見つけられない

 6.その他

(だいたい大輔くんやお母さん、お父さんに相談できるから、これは全部該当なし)

 

 届出書とアンケートを受理した職員は、テワタサナイーヌを別室に案内した。

 別室で保健師の面接を受けることになった。

「妊娠おめでとうございます。これから妊娠中のことや出産、育児のことについて少しお話をさせていただいてもよろしいですか」

 保健師がにこやかに話しかけた。

「はい。よろしくお願いします」

 テワタサナイーヌも笑顔で応じた。

「大変失礼なことを申し上げますが、山口さんは、遺伝的に特殊な方でいらっしゃいますか。あと、戸籍はおありですか?」

 保健師が申し訳なさそうに訊いた。

「あ、はい。人間に生まれたのですが、その後、イヌの遺伝子が入り込んで半分ヒト、半分イヌになりました。ただ、原因は不明だそうです。だから戸籍もあります」

 テワタサナイーヌは明るく答えた。

「そうなんですね。言いにくことをお答えくださってありがとうございます」

 保健師が頭を下げた。

「いえ、全然かまわないんです。私、こんな自分が大好きですから。ほら、首輪だってしてますし。半分犬であることに抵抗ないんです」

 テワタサナイーヌは、その日も大輔に締めてもらった首輪を愛おしそうに触りながら屈託なく笑った。

「そうでしたか。それを聞いて安心しました」

 保健師もこの先の話がやりやすくなったことで安心したようだった。

「山口さんの妊娠とご出産は、かなりのレアケースで高リスク妊娠となると思いますが、対応できる病院の目処はついていらっしゃいますか」

「はい、東大病院と日本獣医生命科学大学の合同チームが対応してくれることになっています」

「それなら安心ですね」

「はい。私の血が犬の血液型なので獣医さんの協力がないと輸血もできませんから」

「わかりました。それでは、今後の妊娠と出産は、そちらのチームにお任せしてもよろしいですね」

「はい、医療的な対応は専門のチームが対応してくれることになっていますから大丈夫です」

「それでは、市としては妊娠中や出産後の育児についてのご相談に応じることにしたいと思います。保健センターや市の保健師が訪問したりお電話を差し上げることがあると思います」

「わかりました。皆さんが支えてくださると思うと心強いです。ありがとうございます」

 テワタサナイーヌと保健師の面接が終わった。

 テワタサナイーヌは、母子健康手帳といくつかの冊子を受け取り帰宅した。

 

「いよいよ早苗ちゃんもお母さんね」

 テワタサナイーヌは、仕事を終えて帰宅した弥生に母子手帳を見せた。

「うん。母子手帳をもらうと実感が湧くね」

 テワタサナイーヌは、母子手帳を亡き早苗の位牌の前に供えて手を合わせた。

「大輔くん」

「なんすか」

 テワタサナイーヌが大輔を呼んだ。

「あんたも父親になるんだから、いつまでも『すーすー』言ってないで、いい加減落ち着いたらどうなのよ」

 テワタサナイーヌは、大輔の頬を指でつついた。

「え、俺、落ち着てないすか?」

 大輔が動揺した。

「全然落ち着いてない。スースーする」

「いや、テワさん、それはメンソールじゃないすか。まあ、なるべくすーすー言わないように気をつけるっす」

「あんた、気をつけるつもりないでしょ」

 テワタサナイーヌが笑った。

「まったくないっす」

 大輔も笑った。

「でも、子供が生まれたら、ちょっとは直そうと思ってるす。子供が覚えちゃったら困るっすから」

 大輔が補足した。

 

 テワタサナイーヌは、スマホのカレンダーを開いて翌年6月29日に予定を追加した。

 

I will connect our life.




 この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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