当たり前の後ろ ~テワタサナイーヌ物語~   作:吉川すずめ

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糖鎖

 テワタサナイーヌは目白の科学捜査研究所にいる。

「久しぶりだなあ。13年ぶりくらいかな」

 テワタサナイーヌが科捜研に足を運ぶのは、高校3年のとき、警察官採用試験の受験資格があるかどうかを鑑定してもらうために来て以来だった。

(あのころは、高校の制服着てたんだよな。今でも着られるかな。サイズアウトしちゃってたらやだな)

 帰ったら家に置いてある高校の制服を着てみようと思った。

 今日、テワタサナイーヌが科捜研を訪ねたのは、科捜研に保管されている自分の遺伝子情報を開示してもらうためだ。

 遺伝子情報を開示してもらう目的は一つ。

 妊娠の可能性について知りたいから。

 テワタサナイーヌは、ヒトとイヌの遺伝子情報を併せ持つ。

 この自分が大輔の子を宿すことができるのか。

 それを知りたかった。

 テワタサナイーヌは、ワクワクしていた。

 自分と大輔の子は、どんな外見なのだろう。

 ヒトに戻るのか、イヌ化が進むのか。

 身体能力はどうか。

 そう考えると楽しくて仕方ない。

 自分は、外見の変化はないものの、身体の機能や行動、性格といった部分が徐々にイヌに近づいているという自覚がある。

 そして、イヌに近づいている自分が愛おしい。

 首輪をかけてもらったのもそういった変化の現れだった。

 このままイヌになって大輔に飼われている自分を夢想することもある。

 

「お待たせしました」

 ネクタイを締めたワイシャツの上に白衣を羽織った科捜研の研究員が分厚いファイルを数冊運んできた。

 研究員は、テワタサナイーヌの首輪を見て少したじろいだが、すぐに平静を装ってテーブルに着いた。

「これがテワタサナイーヌさんの遺伝子情報を解析した報告書です」

 研究員は、ファイルの適当なところを開いて見せてくれた。

「さっぱりわかりませんね」

 テワタサナイーヌは苦笑するしかなかった。

 専門用語と塩基配列図のようなものがたくさん書かれているが、内容がさっぱりわからない。

「そうですよね。専門家じゃないテワタサナイーヌさんにはわからなくて当たり前です」

 研究員がページを繰りながら言った。

「今日お伺いしたのは、私が人間の子供を産めるのかということを教えてもらいたいからです。私は夫の子を妊娠することができますか?」

 テワタサナイーヌにとって切実な問題だ。

 真剣な表情で研究員に質問した。

「妊娠できるかどうかですね」

 そう言うと研究員は、しばらく沈黙して資料を見ていた。

 テワタサナイーヌは、どこを見ていたらいいのかわからず、落ち着きのない態度であたりの掲示物をきょろきょろと眺めていた。

 研究員は、時折ボールペンで頭を掻きながら資料のページを繰って、考えを巡らせているようだった。

(なんかずいぶん考えてるけど、そんなに難しいことなのかな)

 テワタサナイーヌは待っているのが退屈になってきた。

「お待たせしてすいません。何分当時の研究員がもう誰も残っていないので、この資料から判断するしかないのでお時間がかかってしまって」

 研究員が資料を見ながら申し訳なさそうに言った。

(あー、散歩行きたい)

 テワタサナイーヌは、上の空だ。

 研究員が顔を上げた。

(お、ようやく沙汰があるのか)

「結論から申し上げます」

 研究員が口を開いた。

「遺伝子情報から判断すると、『わからない』ということしか申し上げられません」

 研究員が頭を下げた。

「わざわざお越しいただいたのに、わからないという回答しかできないのは忸怩たる思いがあるのですが、わからないことをわかった風に言うのは科学的な態度ではありませんので、そう申し上げるしかありません」

「あの」

「素人考えで申し訳ないんですけど、私の染色体数とヒトの染色体数は同じなんですか?染色体数が違うと受精できないっていうことを聞いたことがあるんですけど」

 テワタサナイーヌがおずおずと声を出した。

「そうですね。テワタサナイーヌさんとヒトの染色体数は違います。基本的に染色体数が違うと受精できないというのは間違っていないと思います。でも、例外もありますから絶対に受精しないと言い切ることはできません」

 研究員は慎重に言葉を選んでいるようだった。

「つまり、わからないっていうことですね」

 テワタサナイーヌは笑った。

「そういうことです。ほんと、歯切れ悪くて申し訳ありません」

(信用できる人っぽい)

 わからないことをわからないと言う研究員に好感を抱いた。

「あ、ただ、妊娠の可能性だけを考えるなら、遺伝子や染色体より糖鎖について検査した方がいいと思います」

 研究員が思い出したように話した。

「とうさ?なんですかそれは?」

 初めて聞く言葉だった。

「動物は、基本的に異種交配できないようになっています。それを実現しているのが糖鎖です。動物の卵細胞、人間でいえば卵子ですね。その周りを糖鎖の層が覆っています。精子は、先端から出る酵素で糖鎖を溶かして卵子の中に飛び込みます。そのときなんですが、卵子の糖鎖と精子の酵素の型が合わないと糖鎖の膜が溶けません。つまり受精できません。この型が種によって異なるため、異種交配ができない仕組みになっているんです。ですから、妊娠できるかどうかを知りたいのなら、テワタサナイーヌさんの卵子の糖鎖を検査するのがいいと思います」

 研究員がわかりやすく説明してくれた。

「へー、異種交配ができないのって染色体数の違いじゃなかったんですね」

 テワタサナイーヌが感心した。

「いえ、もちろん染色体数も重要な要素ではあります。でも、染色体数が違う種でも交配できる例がありますから、絶対ではないということです」

「なるほど。じゃあ糖鎖を検査すれば、妊娠できるかどうかを知ることができるんですね」

「そうですね。あくまでも可能性として、ということにはなると思いますが」

 研究員は、慎重だった。

「こちらで糖鎖の検査はできますか?」

「残念ながら科捜研では糖鎖の解析はできません。できなくはありませんが、時間がかかってしまいますし、正確性を担保できません」

 研究員が頭を下げた。

「いえ、ありがとうございます。糖鎖を検査してもらうには、どこに行けばいいか教えてもらえますか?」

 テワタサナイーヌは、糖鎖の検査を受けてみようと思った。

「そうですね、このあたりだと筑波大学がいいと思いますが、テワタサナイーヌさんだったら、どこの大学でも大歓迎してくれると思います。超がつく貴重な検体ですから」

 

きゅん

 

「検体」という言葉に反応してしまうテワタサナイーヌだった。

(たしか高校生のときからそうだったな)

 昔の自分を思い出した。

「わかりました。今日はお忙しいところ、お時間を割いていただきありがとうございました」

 テワタサナイーヌは、礼を言うと科捜研を後にした。

(糖鎖ねえ。知らないことがたくさんあるなあ)

 テワタサナイーヌはそんなことを考えながら科捜研から目白駅まで歩いた。

 

「ただいまー」

「おかえりなさい」

 テワタサナイーヌは、弥生に帰宅の挨拶をして2階に上がった。

「どの箱だっけ?」

 山口の家に引っ越してくるとき、荷物をダンボール箱に適当に詰め込んだ。

 すぐに使わないものが入っている箱は、引っ越してきたときのまま積み上げられている。

 その中のどれかに高校の制服が入っているはずだった。

(何を入れたか書いとけばよかった)

 テワタサナイーヌは後悔した。

 こういうところは、かなり大雑把な性格だ。

 大雑把すぎて後悔することが度々あるが、学習しない。

 テワタサナイーヌは、手当たり次第箱を開けて中身を確かめることにした。

 箱を開けて中身をひっくり返すと、懐かしいものや自分でも存在を忘れてしまっていたものが出てきて、ついじっくり眺めてしまう。

(私、なに探してたんだっけ?)

 本来の目的を忘れて思い出探しになってしまい、時間がどんどん過ぎていく。

(あー、そうそう、高校のときの制服)

 本来の目的を思い出した。

(あったあった。虫食ってないかな)

 一応、定期的に防虫剤を入れ替えてはいたので、虫が食うことはなかった。

(思ったより小さいんだけど)

 箱から出した制服を広げたテワタサナイーヌは、軽いショックを覚えた。

 制服が小さくなるはずがない。

 考えられる可能性はひとつ。

(そういえばこの頃より丸くなったな、私)

 その頃より太ったわけではないが、身体の線がより丸みを帯びて成熟していた。

 白いブラウスに袖を通してみた。

 防虫剤の匂いが少し鼻につく。

 チェックのプリーツスカートは、丈を短く加工した跡がある。

(ウエストがちょっときついのは気のせい)

 息を吐いてウエストを締めた。

(尻尾出ない…)

 高校生の頃は、尻尾をスカートの中にしまって隠していた。

 今は大輔にトリートメントとブローをしてもらったフサフサで自慢の尻尾だ。

 むしろ見せたくて仕方ない。

 ブラウスに紺色のリボンを付けると一気に高校生らしくなる。

 最後に三つボタンの紺色ブレザーを羽織った。

 ブレザーは、ウエストが絞られ身体に優しくフィットする。

 31歳の女子高生のできあがり。

 制服は女子高生だが、決定的におかしなところがある。

 首輪だ。

 首輪をした女子高生というのは、どう考えてもおかしい。

(まだ高校生で通るんじゃない?)

 テワタサナイーヌがかなり無茶な思い込みを抱いた。

(大輔くん、これ見たら喜んでくれるかな)

 テワタサナイーヌは、大輔の帰宅を女子高生で迎えることにした。

「じゃりっ」

(帰ってきた!)

 門を入ってきた大輔の足音にテワタサナイーヌの犬耳が反応した。

 テワタサナイーヌは、尻尾を振りたかったが、スカートの中にしまっているので我慢した。

 階段を駆け下りて玄関で大輔を待った。

「ただいま帰りましたー」

「わあ!どうしたんすかテワさん!?」

 驚いた大輔が後ずさろうとして玄関のドアに激突した。

「えへへ、かわいい?」

 テワタサナイーヌは、玄関にちょこんと正座して大輔を迎えていた。

「めちゃくちゃかわいいっす。それ、学校の制服すか?」

 落ち着きを取り戻した大輔がテワタサナイーヌをまじまじと見た。

「そう。高校のときの」

「高校のときからサイズ変わんなかったんすね。さすがテワさんす」

 大輔は、ほめるポイントを外さない。

「へっへーん。私がいつまでもきれいな方がいいでしょ」

 テワタサナイーヌがスカートの中で尻尾を振った。

「せっかくだから一緒に写真撮っていいすか」

「うん。撮ろう、撮ろう」

 二人は、玄関で写真を撮り合った。

「大輔くん。この写真、Twitterにあげたりしちゃダメだよ。『警視庁の中の人、女子高生と交際か!?』とか書かれちゃうからね」

「面白そうっすね。やってみよっと」

「ダメって言ってるのに」

 そう言いながら楽しみにしているテワタサナイーヌだった。

 予告通り大輔は写真をTwitterにあげた。

 二人とも手で顔を隠して並んでいる写真だった。

「警視庁の中の人、女子高生と交際か!?」

 期待通りの反応が返ってきた。

「これはバカップル」

「テワさん何やってんすか」

「首輪つけてたらバレバレですやん」

「31歳の人妻がはじけとる」

「どこのお店ですか?行きたいです」

「これで二人とも警部補とか笑う」

 こちらも期待した反応だった。

 テワタサナイーヌと大輔は、大喜びしながらタイムラインを追った。

(私も一緒に写りたかった)

 それを横で見ていた山口は、口にこそ出さなかったが羨ましかった。

 

 テワタサナイーヌは、筑波大学にアポを取り、糖鎖の解析を依頼した。

 筑波大学では、せっかくだからということで、卵子以外のありとあらゆる身体のことを検査された。

(検体だもんね)

 ほぼ丸裸に検査されるは嫌いじゃない。

 むしろ軽い興奮を覚える。

 糖鎖を含む卵子を検査してもらった結果、テワタサナイーヌの卵子の糖鎖はヒトと変わりないことがわかり、卵子の構造だけから見れば、受精も可能という所見をもらうことができた。

「ただし、染色体数が違いますから、そちらがどうなるかはわかりません」

 解析を担当してくれた助教も「わからない」という意見だった。

 

「まったく妊娠できない身体じゃないらしいよ。ていうか、犬と交尾しても妊娠しないって。あははは」

 テワタサナイーヌは、大輔に大雑把な報告をした。

「そうすか。じゃあ、あとは俺の精子が染色体数違いの壁を打ち破ればいいんすね。頑張れ俺の精子」

 大輔が気合を入れた。

「ねえ大輔くん」

「なんすか」

「私たちの子って、どんな見た目で生まれてくると思う?まだ妊娠もしてないけど」

 テワタサナイーヌが子供を欲しがっているのが大輔に伝わった。

「そうすねえ。テワさん、半分犬じゃないすか。見た目が。あ、最近は中身がほぼ犬っすけどね」

「うっさいわね。あんたが調教したからこうなったんでしょ」

 テワタサナイーヌは尻尾を振りながら大輔を睨んだ。

「えー、どの口が言うすか。首輪を求めたのはテワさんすよねえ」

 最近は、大輔も負けていない。

「ちくしょー」

 テワタサナイーヌが悔しがった。

「人間の成分で計算してみると、俺が1分の1す。テワさんが2分の1す。精子と卵子は減数分裂で染色体が半分になるから、俺2分の1、テワさん4分の1になるす。それを足すと4分の3が人間成分になるから、テワさんより人間ぽい赤ちゃんになるんじゃないすかね」

 大輔が自分なりの推論を披露した。

「単純に足し算するとそうなるね」

 テワタサナイーヌも同意した。

「足し算でいいのかっていう疑問はあるす」

「それもそう」

 

「お母さーん」

 半裸のテワタサナイーヌが1階に下りて弥生を呼んだ。

「なーに、早苗ちゃん」

 弥生がキッチンから顔を出した。

「私、妊娠していい?」

 テワタサナイーヌが直球を投げ込んだ。

「いいんじゃない。夫婦なんだから誰に遠慮もいらないと思うの」

 弥生が直球を簡単にキャッチした。

「じゃあ妊娠する」

「楽しみね」

「あ、でもさあ、私ってばこんな化け物みたいな見た目してるでしょ。生まれてくる子供もエイリアンみたいなのかもしれないよ」

 テワタサナイーヌが自虐的に可能性について言及した。

 どんな子供が生まれてくるかは、大学の研究施設でも予測不能だった。

「あら、いいじゃない。うちにエイリアンが一人くらいいたら楽しそうよ。うじゃうじゃいたら邪魔だけど」

 弥生は笑い飛ばした。

(お母さんの子でよかった。ありがとう)

 深刻に考えられるより笑い飛ばしてもらえて安心できた。




この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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