「大輔くん」
テワタサナイーヌと大輔が結婚して1か月が過ぎた日曜日。
山口は、2階に上がりソファに寝そべっていた大輔を呼んだ。
この日、弥生とテワタサナイーヌは二人連れだって映画を観に行っていた。
もちろんテワタサナイーヌは、お気に入りの首輪をしっかり締めて出かけた。
「これがないと自分が自分じゃないみたいで落ち着かないのよね」
首輪は、テワタサナイーヌの身体の一部になっていた。
「あ、はい。すんません」
大輔は慌てたように起き上がって謝った。
「こちらこそ予告もなしに上がり込んですみませんでした。どうぞ、楽にしてください。別に寝転がっていてもいいですよ」
山口が笑顔で言った。
大輔は、山口が社交辞令や建前を言う人ではないのを知っていたので、山口が寝転がっていていいと言うときは、本当に寝転がっていいとわかっている。
(テワさんなら迷わず寝転がるな)
しかし、さすがにそこまで図々しくなれないので、とりあえずソファに座ったまま応対することにした。
「大輔さんと早苗さんは、なんとなく結婚しました。と言いますか、私と弥生には、そう見えました」
「はい、そうすね。実際なんとなく結婚しちゃいました」
大輔は否定しなかった。
「もしかして、プロポーズしていないとかですか?」
山口が憂いを抱いたような表情で訊いた。
「はい。してないっす」
大輔は、それがどうしたのかという顔をしている。
「ああ…」
山口がため息をついて頭を抱えた。
「え、プロポーズしないといけないかったんすか」
大輔が焦った。
「そうなんです。いけないんです」
山口は大輔の顔を気の毒そうに見た。
「私たちの妻は、性格が似てますよね」
山口はテーブルセットの椅子に腰かけた。
「そうっすね。結構似てると思うす」
大輔にとって、怖さではテワタサナイーヌの方が遥かに上だが、基本的な性格はよく似ていると思っている。
「ということは、ある同じ刺激を与えると、それに対する反応も」
山口が問いかけた。
「同じようなものになる?」
大輔が疑問形で答えた。
自信がなかったからだ。
「そうですね。だいたい同じ反応を示すと思います」
山口が頷いた。
「プロポーズしないとどうなるんすか?」
大輔はだんだん不安になってきた。
「私たちが結婚したのは、だいたい32年前です」
「テワさんの歳にプラス1くらいすよね」
「そうです」
「実は私も大輔くんと同じでプロポーズをしないまま、なんとなく結婚しました」
「仲間っすね!」
「いやいや、仲間と喜んでもいられないのです」
山口が大輔をたしなめた。
「結婚して32年経った今でも『プロポーズされてない』と言われています」
山口はニヤリと笑って大輔を見た。
「ひーっ」
大輔がムンクの「叫び」のようなポーズと顔になった。
「性格は似てますが、早苗さんの方が行動は強烈ですからね。覚悟しておいてください」
山口は、椅子から立ち上がってソファでうなだれる大輔の肩をぽんとひとつ叩いて部屋を出ていった。
「お父さん!」
大輔が山口を追いかけてきた。
「はい、なんですか」
山口が階段の途中で振り返った。
「お父さんは、プロポーズされてないって言われたとき、どうしてるんすか!?」
大輔が必死の形相で訊いてきた。
(そんなにビビらなくてもいいのに。ちょっと脅しすぎたか)
山口は、大輔が気の毒になった。
「私は、言わせないという戦略をとっています」
山口がにこやかに答えた。
「言いそうになったら口をふさぐんすか?」
大輔が真面目バカなことを言った。
「やっぱり果てしないバカですね」
山口は楽しくなってきた。
大輔はしょんぼりしてしまった。
山口に果てしないバカと言われるのは、リアリティがありすぎるからだ。
「果てしないバカは冗談です」
山口が言うと大輔の顔が明るくなった。
「毎日プロポーズしてます」
山口がさらっと言った。
「へ?」
大輔がぽかんとしている。
「一日一回は『結婚してください』と言っています。そうすれば、向こうからプロポーズされていないという不満が出てくるスキがなくなります」
山口は笑った。
「お父さんジーザス!」
大輔が親指を立てた。
「結婚してください!」
帰宅したテワタサナイーヌに大輔がいきなり言った。
「な、な、なに?どうしたの大輔くん?熱ある?」
そう言ってテワタサナイーヌは大輔のおでこに自分のおでこを当ててきた。
そしてついでにキスもした。
「熱はないね」
テワタサナイーヌは安堵した。
「誰か言う相手を間違えてない?誰かだとしたらひどい話なんだけど」
テワタサナイーヌが小首を傾げた。
「テワさんかわいい!」
大輔が喜んだ。
「いや、あれっすよ。俺、テワさんにプロポーズしてなかったじゃないすか。だから改めてプロポーズをしようと思った次第っす」
大輔がドヤ顔で言った。
「ドヤ顔で言うことじゃないと思うけどね」
テワタサナイーヌが苦笑した。
「なんで今日いきなりなの?」
テワタサナイーヌが疑問を抱いた。
「なんで今日かって言われてもですね。あ、結婚一か月という区切りす!」
大輔が苦し紛れに適当な理由をつけた。
「またいい加減なことを」
テワタサナイーヌが大輔のこめかみに拳をねじ込んだ。
「痛いす。テワさん痛いす」
大輔が手足をばたつかせて痛がった。
「どうせお父さんになんか言われたんでしょ。あんたが突然変なことを言うときは、だいたいお父さんの受け売りだからね」
テワタサナイーヌは、拳を緩めない。
「助けてください。痛いす」
大輔が泣きそうになった。
(かわいい。このまま泣かせてみよう)
テワタサナイーヌのS心に火が点いた。
テワタサナイーヌは、さらにこめかみを抉った。
「あー、あー、あー」
大輔は、もう声にならない。
(これくらいにしてやるか)
テワタサナイーヌが手を緩めた。
「テワさん、痛かった」
大輔は涙目だ。
「首輪されても全然おとなしくならないんすね」
大輔がテワタサナイーヌの首輪をくるくる回した。
「ひゃっ」
テワタサナイーヌが身震いした。
「だ、大輔くうん、それは反則」
テワタサナイーヌが脱力した。
「テワさんのハンドラーは誰すか?」
「大輔くんです。きーっ、悔しい!」
悔しがりながら尻尾を振ってしまうテワタサナイーヌであった。
「で、結局さっきのプロポーズはなんだったの?」
「お父さんがすね、32年前結婚したとき、プロポーズしなかったらしいんすよ。そうしたら、いまだにお母さんから『プロポーズされてない』って言われるらしいんす。だから俺も言われるんじゃないかと思って、先制攻撃をしたわけっす」
大輔が白状した。
「ははーん、やっぱりお父さんの入れ知恵ね。そうねえ、そういえばプロポーズされてないわよねえ。私も毎日言っちゃおうかなー」
テワタサナイーヌが大輔の耳元で囁いた。
「えー、赦してくださいよー」
大輔が情けない顔になった。
「しょうがない子ね。じゃあ、毎日必ず愛してるって言って。そしたらプロポーズのことは忘れてあげる」
「お安いご用っす」
大輔が快諾した。
「じゃあ早速今日の分お願い」
テワタサナイーヌが手を合わせた。
「テワさん愛してるっす」
大輔が元気に言った。
「ダメー。もっと心を込めて『愛してる』とだけ言うの」
テワタサナイーヌが注文をつけた。
「かわったす」
「愛してる」
大輔がテワタサナイーヌの耳許に囁いた。
「私も愛してる!」
テワタサナイーヌが大輔をベッドに押し倒した。
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。