当たり前の後ろ ~テワタサナイーヌ物語~   作:吉川すずめ

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人生の環(リング)

 東京マラソンの翌日、都内の教会で礼拝に参加しているテワタサナイーヌと池上の姿があった。

 ステンドグラスから柔らかな光が降り注ぐ礼拝堂。

 聖母マリア像の柔和な表情が癒しを与えてくれる。

「いやー、心が洗われるようっすね」

 礼拝を終えて外に出た池上が大げさに言った。

「どんだけ汚れてるのよ大輔くんたら」

 池上の腕に絡み付いたテワタサナイーヌが楽しそうに突っ込んだ。

「あ、そうだ。大輔くん」

「なんすか」

「お母さんの結婚指輪見たことある?」

「指にはめてるとこはいつも見てるすよ」

「どんなデザインか覚えてる?」

「いやあ、そこまでは見てないっす」

「ま、普通そうだよね」

 テワタサナイーヌは、池上が弥生の指輪のデザインを知らなくて当然だと思っている。

「この前、お母さんと二人だけのときにじっくり見せてもらったの。すっごいきれいなんだよ」

 テワタサナイーヌは目を輝かせた。

 ただでさえ大きなエメラルドグリーンの目が、より大きくなった。

「あのね、プリンセスカットっていう四角いダイヤが埋め込んであって、その両側にブリリアントカットのダイヤが3個ずつ、これもやっぱり埋め込まれてるの」

「それでさ、これがお父さんのデザインだっていうから驚きじゃない?すごいよね。しかも、普段の生活に邪魔にならないように、どこも出っ張ったところがないの。気配りがニクいでしょ」

 テワタサナイーヌは興奮ぎみにまくし立てた。

「お父さんすごいっすね」

 池上も感心したように頷いた。

「私も大輔くんがデザインしたリングが欲しいなー」

 テワタサナイーヌが甘ったるい声でねだった。

「大輔くん耳かして」

「あ、はい」

 池上が少しかがんでテワタサナイーヌの口元に耳を差し出した。

「…」

 テワタサナイーヌが何事が囁いた。

「本当にそれがいいんすか」

 池上がテワタサナイーヌに確認した。

「うん。大輔くんの手で着けて欲しいの」

 テワタサナイーヌが赤面しながら言った。

「了解っす」

 池上が親指を立てて笑った。

 

「池上さんと早苗さんは、披露宴はやらないんですか?」

 山口が二人に確認した。

「やった方がいい?」

 テワタサナイーヌが逆質問で返した。

「私はお二人が幸せになってくれれば、それで十分です。披露宴をするかどうかはお任せします」

「披露宴しなくても幸せだよ。私は」

 テワタサナイーヌは、迷いなく答えた。

 山口家では、いつの間にかテワタサナイーヌと池上が結婚する流れになっていた。

「いつ結婚が決まったの?」

 当事者のテワタサナイーヌにもわからなかった。

 ただ、結婚を決定的にしたのは、池上の警部補昇任試験合格だったことは間違いない。

 池上は、最終の面接試験をパスして、警部補昇任の切符を手に入れていた。

 池上の階級がテワタサナイーヌと並ぶことが、二人の結婚へのゴーサインだと四人とも考えていた。

 誰も口に出すことはなかったが、誰も疑っていなかった。

 山口も試験の発表に間に合わせるつもりで去年から続けている作業があった。

「それで、いつ式を挙げるの?」

 弥生がテワタサナイーヌに訊いた。

「3月14日とかはどうすか。テワさんの誕生日だから絶対忘れないす」

 池上が提案した。

「それはまた急ですね。もうすぐですよ」

 山口が驚いた。

「急がなきゃならないことになったの?妊娠したとか」

 弥生が半裸のテワタサナイーヌのお腹を見た。

「妊娠してないよ。お母さんに言われたとおり避妊してる」

「あっ!」

 テワタサナイーヌが手で顔を覆った。

(またやった)

 テワタサナイーヌは恥ずかしさに悶絶した。

「私たちは、その日でも全然構わないわよ。でも、あなたたちの準備が整わないんじゃないの?式場とか写真とか、たくさん決めることがあるのよ」

 弥生が心配そうにした。

「えー、実はそのあたりは全部手配済みだったりします」

 テワタサナイーヌが恥ずかしそうに告白した。

「あらまあ、手が早い、じゃなくて手際がいいこと!」

 弥生が喜んだ。

「ドレスも手配済みですか?」

 山口が恐る恐るといった感じに口を出した。

「うん。ちゃーんとフルオーダーで作ってある」

 テワタサナイーヌが答えた。

「そうですか」

 山口が寂しそうに言った。

 山口以外の3人は、顔を見合わせてニヤニヤしている。

「お父さんのドレスでお嫁に行かせて!」

 テワタサナイーヌが山口に抱きついた。

「知ってたんですか」

 山口は、なぜという顔で弥生を見た。

「ごめんなさい。私がばらしちゃった」

 弥生が舌を出して謝った。

「そういうことでしたか。いや、いいんですよ。いずれはわかることですから。それに、事前にわかってもらわないと、ドレスの手配がだぶってしまいますからね」

 山口はさっぱりとした表情をしている。

 山口は、テワタサナイーヌと池上が引っ越してきてすぐにテワタサナイーヌのウエディングドレスを作り始めていた。

「自分で縫ったドレスを着せて式を挙げさせたい」

 これが山口の夢だった。

 毎晩、少しずつ作業を進めて、ようやくできあがったところだった。

「じゃあ、私の31歳の誕生日に挙式でいい?」

 テワタサナイーヌが確認を求めた。

「あなたたちがよければ、私たちは異存ないわ」

 弥生が応じた。

「ねえお父さん」

「はい。なんですか」

「ドレス見せて」

「いいですよ」

 山口は書斎兼作業部屋から完成して間がないウエディングドレスを運び出してきた。

「パニエとコルセットは、お母さんのを借りてください。それで合うように作ってありますから」

 山口がテワタサナイーヌに言った。

「すごいきれい」

 テワタサナイーヌは泣いていた。

「二回も命を救ってもらって、その上こんな素敵なドレスを作ってもらえるなんて、私は、私は…」

「幸せです!」

 テワタサナイーヌが号泣した。

「池上さん」

 山口が池上に正体した。

「はい」

 池上が緊張した。

「早苗の命、託します」

「承りました」

「なんでうちの男はこんなにかっこいいのよー。嬉しくって涙がとまんないよー。バカー」

 テワタサナイーヌが号泣しながら喜んだ。

「着てみますか。サイズの調整が必要かもしれませんから。今ならまだ間に合います」

 山口がテワタサナイーヌに試着を勧めた。

「うん。着る」

 テワタサナイーヌは、まだしゃくりあげている。

 弥生が涙でぐちゃぐちゃになったテワタサナイーヌの顔や胸をタオルで拭いた。

「よくまあこれだけ涙が出るわね。目が大きいと涙もたくさん出るのかしら」

 弥生が涙を拭きながら笑った。

 テワタサナイーヌがドレスを纏った。

 ほとんど調整の必要がなかった。

「いつ私の身体を測ったのよ。スケベおやじめ」

 テワタサナイーヌがニコニコしながら山口を罵った

「目測ですよ」

 山口がとぼけた。

 

 その日から池上は宝飾店と革細工の店に通い詰めた。

 挙式の2日前にようやく池上が納得できるものができあがって納品された。

 

──3月14日

 挙式当日。

 テワタサナイーヌと池上は、準備のため山口夫妻より早く家を出た。

 すっきりと晴れ上がった早春の朝だ。

「またあとでね」

 テワタサナイーヌが山口と弥生に挨拶をした。

「いってらっしゃい」

 弥生が送り出してくれた。

 

 教会に着くと、二人は忙しく準備に追われた。

 感傷に浸っている余裕はなかった。

 結局準備は式の直前までかかって、ようやく整った。

 式の参列者は山口夫妻だけだ。

 あとに残したいので写真だけはプロにお願いをした。

 テワタサナイーヌと山口は、礼拝堂の入り口の外で待つ。

 池上は深紅のバージンロードの先でテワタサナイーヌを待っている。

 池上は、警察官の礼服を着ている。

 黒い生地の上下でパンツの両サイドにラインが入っている。

 テーラードのジャケットは四つボタンで肩章に飾緒が付いている。

 帽子も通常のものとは違う。

 

 礼拝堂のドアが開き、山口に連れられたテワタサナイーヌが姿を現した。

 純白のドレスは、オフショルダーのAライン。

 弥生のドレスと同じくらいのロングトレーンがきれいなドレープを作り出している。

 ソフトチュールで作られたベールは、テワタサナイーヌの犬耳だけ出せるようになっている。

 コルセットでぎっちり締め上げられたウエストは、ため息が出るほど細くきれいな線を描いている。

 テワタサナイーヌは、一歩また一歩とバージンロードを歩く。

 今までの数奇な人生を振り返るように。

 山口とテワタサナイーヌが池上の前まで歩み出ると、池上が山口に敬礼をした。

「娘をお願いします」

 そう言って山口はテワタサナイーヌを池上に引き渡し、参列者席で待つ弥生の元へと去っていった。

 司祭が挨拶をし、聖歌を斉唱する。

 続いて司祭が祈り文を唱え福音を朗読する。

 次いで二人の意志の表明と同意の表明を行う。

 そのあと、池上がテワタサナイーヌのベールを上げて後ろに垂らす。

 そして、いよいよ指輪の交換となる。

 司祭は二人を祝福し、指輪に聖水をかけるが、その日は指輪ともうひとつ違うものがリングピローの上に置かれていた。

 池上は、その指輪でないものを司祭から受け取った。

「この首輪は私たちの愛と忠実のしるしです」

 池上が唱えた。

 そして、赤い革製の首輪をテワタサナイーヌの首にしっかりと締めた。

 テワタサナイーヌの目から涙が一筋落ちた。

 その首輪は、池上がデザインし何度も革細工職人と打ち合わせを重ねて造り上げたものだった。

 首輪にリードを取り付けるDカンには、弥生の結婚指輪と同じくプリンセスカットのダイヤが埋め込まれ、その両側にブリリアントカットのダイヤがあしらわれている。

 これが指輪の代わりになる。

 リードをつけることはないので、Dカンを指輪にしたのだ。

 続いてテワタサナイーヌが司祭から指輪を受け取り、池上の左薬指に通した。

 結婚証明書への署名、司祭の祝福、聖歌と続く。

 

 式が終わり、山口と弥生の元に戻ってきたテワタサナイーヌは、幸せそのものという顔をしていた。

 その首には赤い革製の首輪がしっかりと締められている。

 弥生が首輪に付いているDカンを間近で見てため息をついた。

「やっぱりあなたが見込んだ男ね。やることが凝ってるわ」

「早苗ちゃんよかったわね。かわいい首輪がもらえて」

 弥生がテワタサナイーヌを祝福した。

「うん。ありがとう」

 テワタサナイーヌは、うっとりしている。

 

 その日から、テワタサナイーヌはどこに行くときも首輪を外さなかった。

 もちろん仕事も首輪をつけたままだ。

「これが私の結婚指輪なの」

 そう言って自慢した。

 いつしか首輪がテワタサナイーヌのトレードマークになっていた。

 

 そして、山口が大輔にTwitterの担当を引き継ぐ日が来た。

 山口は、テワタサナイーヌと大輔の結婚を報告した。

 次いでTwitter担当を大輔に継がせることを宣言した。

 山口の最後のツイートは、自分のことでも大輔のことでもなかった。

 

 

「テワタサナイーヌは過去を振り返りません。前を向いて歩き続けます」

 

 

 




 この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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