「鈴……」
病室、僕は未だに目を覚まさない彼女を……ただ側で見守る事しかできなかった。
あの日からもうすでに3日、医師曰く、出血が多く、いつ昏睡から目を覚ますか分からない植物状態に鈴はなってしまったそうだ。
「……今日も来てくれたんだね」
「おじさん……」
と、声をかけてきた鈴の父親に僕は軽く会釈する。
「……良いんですか?この時間帯って仕込みが……」
「娘がこんな風になってるんだ。彼氏の君が来て、私が来ないなんて寂しいじゃないか……」
「……そうですね」
そう言っておじさんは鈴の白い手を握る。
「……すみませんおじさん、俺が、俺がもっと鈴を……守れてたら」
「……いや、悪いのは私の方だ。アイツが暴走しかけてたのを、分かっていて止められなかった。まさかあんなことをするだなんて、予想だにしなかった」
互いに互いを責め合い、暗い雰囲気が僕達を覆う。
「……あの人……おばさんはどうなるんです?」
「……彼女は中国国籍だ、よって本国に強制送還と入国の禁止……暫くは彼方の刑務所に行くだろう。幸い、鈴は中国国籍と私の日本国籍を持ってるから、中国に戻ることは無いだろうな」
「そうですか……でも……」
それが分かったとして、鈴が目を覚まさないんじゃ意味がないんだ……。
「……すまない、私はそろそろ戻らなければならないが……一夏君は?」
「……もう少し、側に居ようと思います。それが、鈴を守れなかった俺にできる、唯一のことだから」
「そうか、……すまないな、君はいつも大変なことを背負っているというのに」
おじさんは心から悔やむようにそう呟く。
「そうかもしれませんね……けど、今度ばかりは重たすぎるかもしれません……」
「…………夜、私の店に来るといい、お互い一人で食べるのは悲しいからな」
「……すみません」
「謝らないでくれ、私が好きでそうしたいと言ってるのだからね」
それだけ告げて、おじさんは静かに部屋から去っていった。暫く漠然と横たわる最愛の彼女の寝顔を眺め、その頬に優しく触れる。
「……鈴、僕、いつもお前に助けられてばかりだよな……」
そっと呟いたその言葉に、返される言葉はなく、ただシンとした雰囲気だけが僕を襲う。
「こんな僕を見たら、鈴はきっと無理矢理にでも引っ張り回して、俺のちっぽけな悩みを忘れさせてくれたよな……」
いつもの、鈴と初めて会った時も、周りから虐められていた僕を、無理矢理に手をさしのべてくれたあの元気な右腕は、今はだらりと、その太陽のような光すら感じることができないほどに、弱々しいものに変わっていた。
数分、数十分が経っただろうか、僕はいつまでも居るわけには行かず、鈴に軽く別れの挨拶を告げてその場から立ち去った。
夕暮れの川辺、どんよりとした雰囲気で歩く僕の姿に、街の人間達はうって変わって心配そうな表情をしていた。
いや、正確には心配そうではなく、自分が襲われないかと冷々してるのだろう。それだけ、あのときの僕の不可思議な現象は印象が強すぎたのだ。
(……そういや、鈴のことで頭が一杯だったから気にしなかったけど……あれはいったいなんだったんだ?)
あのときの感覚、まるで電気を浴びたような痺れと、それでいてどこか懐かしくも感じる心地よさ、さらに僕自身を覆った白黄の電撃。
(自分じゃよく分からないけど、まるで……)
「……魔法みたいだったな」
ぽつりと呟いたその言葉は、空虚に見えてその実的を射たような実感を持っていた。
その時、突然不意にパチパチと、感嘆するような、それでいて抑揚の無い拍手の音が僕の耳に響いた。ゆっくりとその方向を見ると、そこにはブロンドを短く纏めて、青いコートを纏う少女の姿があった。
「……凄いね、何のヒントも無しにそこまで気づいてるなんて」
「……君は?」
「僕はシャルロット・トゥーレ、少し君に用があってね」
シャルロットと名乗った少女は、そのタレ目にも見えるその瞳を此方に向けながら笑みを向けゆっくりと此方に……
「……!!」
その瞬間、嫌な予感というか、危険を感じた体が少しだけ少女から飛び退いた。
「あれ?まさかあの距離でそんな感じに取られるなんて思ってなかったんだけどね」
「お前、僕に何をしようと……」
「う~ん、簡単に言うと催眠術だね。僕は半径2~3メートル内で瞳を合わせた人間に、色々と洗脳みたいなことをできるんだ~」
間延びしたように言ってるが、対象にされるであろう此方からしたらたまったものじゃない。というより、いつの間にそんな間合いに入られた?
「まぁそんなことはどうでもいいんだ、僕はただ君に会わせたい人が居る」
「会わせたい?人を勝手に洗脳しようとした人間の言葉を簡単に聞くと?」
「大丈夫だよ、何せその人間は僕の主人であり、君の目標であり尋ね人だからね」
最後の台詞に、僕はピタリと固まる。目標であり尋ね人……それはつまり、
「織斑一夏、『
念願かなって恩人に会うことになった僕が来たのは、街から少し離れた廃工場の中だった。
「……最初に君に会ったときも、こんな場所だったね」
聞こえてきたその声は少しだけ高く、それでいてどこか狂ってるように感じた。
「……もっとも、その時君は失神していたがね」
「……それは、自殺紛いをした僕に対する叱責か?」
「そんなことはないさ、むしろ、その一件が無ければ私と君が出会うことすら無かったのだからね」
そして現れた男、紫色の長髪に長身、鋭い目付きに白衣といういかにもマッドというような風貌の男……それが恩人の見た目の第一印象だった。
「まずは自己紹介といこうか。私の名はジェイル・スカリエッティ、無限の欲望の体現者にして、君の恩人というやつだ」
「……その節はお世話になりました」
少しだけ素っ気なく言うと、スカリエッティはどこか納得するように頷く。
「なるほど……どうやら君は私が本人か疑っているようだね」
「そういうわけじゃ……けど、ネットにすら名前が載ってない人物が、目の前に現れたら」
「そうだな……ではまずそこから話をしようか」
ジェイルが語ったことは、まるでお伽噺のようで、それでいて納得できるものばかりだった。魔法のこと、別世界のこと、そして自分自身の存在のこと……。
「……僕がクローンなんてな……」
「まぁクローンというよりは、どちらかと言えばそうだが本質的には普通の人間だよ」
「別にそんなことはいいです……なら」
僕は、彼に正面から向き合うと思いきり頭を下げた。
「お願いです……鈴を……俺の彼女を救ってください」
「……君を庇った少女か、だが君が私にできることなどあまりにも少ないと思うが?」
「確かにお金なんて払えないです……けど僕、いや俺には魔法能力がある、その全てを貴方に支払っても構わない」
俺にできる事なんて、ただ本当にそれだけだ。
「……それは、私が君に戦場に立てと言ったとしてもかい?」
「……戦えと言うなら喜んで、死ねと言われればすぐにでも、周りの全てを捨てろと言うのなら、俺はそれすら嬉々として受け入れます」
「ククク……!!大概私もそうだと思っていたが、君は私と同じくらいに狂ってる!!それもいい意味で!!」
ジェイルは笑いながらそう言うと僕に向かって歩み寄る。
「ならば問おう織斑一夏、君は全てを擲ち、私と同じ地獄に至る覚悟はあるか?」
「……地獄なんて、ここで毎日見てきた。そう変わらない!!」
「いい答えだ!!ならば契約しよう、君は私に忠誠を誓い、私は君の大切な少女をどんな手を使ってでも元に戻して見せよう!!」
そして僕の……俺の前にシャルロットが目の前に現れる。
「その子は君とパートナーとしてタッグを組ませる。そのつもりでいたまえ」
「……分かりました。それで出発は?」
「君にも時間が必要だろう……そうだな明日の夕刻、君の大切な彼女の病室でだ」
それだけを聞くと、俺は足早にその場を立ち去ろうとする。
「……最後に一つだけ聞きます。鈴を……絶対に助けられるんですよね?」
「そこは大丈夫だ。時間は掛かるが少なくとも……五年前後までには、元通り意識を取り戻すだろう」
「……分かりました。それでは明日に……」
そう言って完全に立ち去る俺の目には、今まで見えてなかった光が、うっすらとだが見えたような、そんな気がしていた。
次回から舞台は管理世界『ミッドチルダ』へと変わります。