北宇治高校ダブルリードパートへようこそ   作:言巫女のつづら

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二人とも別に専任じゃないだろ、的なツッコミは無しの方向で


第9話 落胆するスネアドラムと楽天的なティンパニ

 リード製作講習会から一ヶ月が過ぎ、いよいよ吹奏楽コンクール府大会当日。

 あれから鎧塚さんも幾分調子を取り戻したようだった。

 

 結局、彼女はコンクールにそのまま出場する事になっている。

 傷害事件の影響で、コンクールメンバーにかなりの入れ替えが生じたのが影響していた。

 謹慎処分の三年に代わってほとんどの二年生が出場資格を得たので、例の言い訳では苦しくなったのか。あるいは楽器の代行自体が認められなかったのか。

 楽譜の件で出場を自粛した中世古先輩。繰り上げで出場資格を得たが、同様に自粛した斎藤先輩。あとは、こんな弱小部では飾り物以外の何物でもないファゴットの喜多村先輩くらいしか二年で漏れている人はいない。

 もっとも、コンクール間近になってのメンバー交代。棚ボタで出場機会を得た二年の先輩達も、嬉しさよりも困惑の色が濃かったが。

 

 

 コンクール会場である京都コンサートホール。その楽器搬入口では、ベリーショートの髪型に眼鏡をかけた女子部員が、自分達選抜落ちメンバーに打楽器搬入の指示を出している。

 

加山(かやま)先輩、ナックル先輩から連絡きました。今ホールに着いたそうです」

「そう、よかった。……ったく、ナックルもよりにもよって当日になって寝坊なんてドジ踏まなくてもいいのに」

 

 打楽器も、これで意外とデリケートなので、運び方一つ間違えても調子がくるってしまう。普段の練習から不真面目な三年生がその辺りの事を満足に心得ているはずもない。貧乏くじを引かされた加山先輩は目を三角にしている。

 

「こっちはもう大丈夫です。先輩も控え室の方で準備に入った方がよくありませんか?」

「管楽器みたいにチューニングするわけじゃないんだから、行っても意味ないっしょ」

「イメトレとか……」

 

 大太鼓(バスドラム)を運んでいる長瀬さんと後藤が、おずおずと加山先輩をなだめている。二人も最近になってようやく落ち着いたのか、部活に顔を出すようになっていた。

 

「あの喧騒を聞いたでしょ。こっちにいた方がよっぽど精神統一できると思わない?」

「それもそうですね」

 

 皮肉交じりの笑みを浮かべる加山先輩に、素直に頷いた。

 

 舞台近くの保管場への搬入作業が済んでしまえば、後は本番直前の打楽器の設置まで裏方業務はなくなる。連絡ついでにチューニングが行われているはずの控え室に出向いた時は、何とも脱力させられたものだった。

 

 ――え~と、チューニングA(アー)? チューニングB♭(べー)?――

 ――もー、B♭に決まってるでしょ。吹奏楽なんだから――

 ――あー、リードを水に漬けすぎたぁ! 替え持ってない?――

 ――えー!?――

 

 ……聞いていて頭を抱えたくなるような発言がそこかしこでなされていた。

 本番前のリハーサル特有の緊張感など微塵も感じられない。悪い意味で。

 準備不足のドタバタ感ばかりが漂っている。

 

「今日が本番なのに、こんな状態で一体どんな演奏をしようっていうのかしらね」

 

 加山先輩のつぶやきに、誰もが苦笑いするしかない。

 選曲を間違えてる段階でロクな合奏にならないとは思っていたが、土俵に上がる前から早くも前途多難な状態だった。

 

 

 

 

 舞台裏。メンバー落ちした自分達一年生十四人、そして中世古先輩達二年生三人。それぞれが固唾(かたず)をのんで見守る中、北宇治の演奏は始まった。

 課題曲の方は不真面目なりに早くから取り組んでいた事もあり、まだ聞かせられるレベルに落ち着いていた。

 

♪……↓↓

 

 しかし自由曲のボレロの方は出だし、フルートが受け持つ最初の主旋律(メロディー)から不安を煽ってきた。

 音が弱々しすぎる。楽譜上では、確かにこの部分を静かに奏でるように指示されてはいる。しかしそれを考慮に入れても音量が小さい気がしてならない。

 

「なんかよく聞こえないね」

 

 喜多村先輩が困惑した様子で(ささや)いてきた。

 

「ええ。曲が曲だから許容範囲かもしれませんが……。あ、そろそろ主旋律(メロディー)がフルートからクラリネットに移りますよ」

 

♪~!!↑↑

 

 あれ? 一気にボリュームが上がった。

 

「クラリネット……、音響かせすぎじゃないかな」

「うん、フルートの音が小さかったから余計そう感じる」

 

 中世古先輩と斎藤先輩も苦々しい表情でつぶやいている。

 

 ボレロは序盤から終盤に向かって、段階的に盛り上がっていく曲である。言い換えると序盤は大人しい曲なので、主旋律(メロディー)の引き継きで音量に差ができると違和感ありまくりだ。やはり練習不足が響いているのだろうか。

 

♪~

 

 クラリネットの後をうけて、主旋律(メロディー)は岡先輩のファゴットに移る。ここは割と高音。低音楽器であるファゴットには辛いところではある。

 正直なところ出来は今一つだったが、後を受け継いだ鎧塚さんのオーボエの音色は見事だった。

 ここまで微妙な流れだっただけに余計に彼女の演奏の上手さが際立っている。

 

「……よかった。みぞれ調子を取り戻したみたい」

 

 吉川さんが満足げに目を細めている。

 どこか怪しい感じだった合奏も、鎧塚さんのオーボエを軸にして持ち直してきた。

 この調子ならなんとか……。

 

 

"ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽっ,ぽぽぽぽっ, ぽぽぽぽっぽっ"

 

 

 !? なんだなんだ?

 

「ホルンの音がデカすぎる。それに音もあってない」

「自己主張しすぎだよね……。もっと抑えないと」

 

 合奏が持ち直してきたと思えたのもつかの間。

 耳に飛び込んできたのは規則正しい鳩の鳴き声……というかホルンのリズム。

 後藤も長瀬さんも、開いた口が塞がらないでいる。

 せっかく鎧塚さんが軌道修正してくれたのに、甘かった。

 ホルンはチューニングがおざなりなまま本番に挑んだらしい。

 

"ポポポ↑ポッ↑ポッ↑≪ぽ↓≫ポポポポッ↑ポポポポッ↑"

 

『!?』

 

 主旋律(メロディー)を奏でるトランペットとフルートの影が薄れる程に、大音量でリズムを取り続けているホルンが思いっきり音を外した。

 みんな思わず吹き出している。

 

「うわ……ひどいなー」

 

 中川のつぶやきに心の底から同意しつつ、笑いを噛み殺している内に主旋律(メロディー)はサックスに移る。そしてピッコロとホルンの二重奏(デゥエット)。次はここまで全く出番がなかったトロンボーン。ボレロの最難関部分を担当する。とはいえマーチングでの前科もあるのでもう嫌な予感しかしない。

 

"ぱぉぉお~ん,ぱぉぱぉぱぉぱぉぱぉぱぉ,ぱぉっぱぉっぱぉっぱぉ~"

 

『……』

 

 鳩の次は象が乱入してきた。先輩達はうつむいて顔が見えないが、背中を小刻みに震わして膝を叩きながら必死に笑いを堪えてる。自分もそろそろ限界だ。腹筋が。

 

「ちょっと慧菜(けいな)海松(みる)。そっちのパートの先輩達ひどすぎない?」

「なによー。木管だって序盤は大概だったじゃん」

 

 井上・島のフルート・クラリネット一年組と、岩田・岸辺のトロンボーン・ホルン一年組が互いの粗探し。先輩達が静かにしなさいと(なだ)めている。

 自分は遠巻きに様子を眺めるだけ。こんな所で女子同士の諍いに巻き込まれるのは御免だ。

 

「いやー、どっちも五十歩百歩と思うけどねー」

「……サックスもね。さっきのところ、音が裏返っているせいでエキゾチックというか……かなり前衛的な雰囲気を(かも)し出してたぞ」

 

 呑気な口調で他人事のように軽口を叩くサックスの平尾に、ジトっとした視線を向けた。

 そうこうしている間にも、トロンボーンの公開処刑はなお続く。

 

"ぷぁ~,ぷぁぷぁぷぁぷぁぷぁぷぁぷぁぷぁぷぁ,≪ぱお…ぱお…≫"

 

 九連符の後で息が続かないのか、本来なら一息に吹き続けなければならない所がコマ切れになっている。まるで死にかけの象の鳴き声みたいだ。

 

 ……そこから先は、先輩達も開き直って笑いを取りにでも行ったのか滅茶苦茶な演奏。

 田中先輩や鎧塚さんの個人レベルでの抵抗も空しく、ひたすら聞くに堪えない音楽を拝聴する羽目になった。

 こんな合奏を披露する位なら、傷害事件で出場停止になってた方が恥をかかずに済んでよかったのでは……。

 そう思ったが、もはや後の祭りだった。

 

 

 

 

「はあ……」

「先輩、そこまで落ち込まなくても。先輩は頑張ったと思いますよ」

 

 トラックへの楽器の積み込みも一通り終わり、後はバスに乗って学校への帰路につくばかり。合奏後からずっとうなだれたままのナックル先輩に声をかけた。

 この人もたいがい生真面目だ。軌道修正しようもなくなったあの状況でも律儀に小太鼓(スネアドラム)でリズムを取り続けていた。

 曲の初めから終わりまで先輩が小太鼓(スネア)を叩く回数、四千回超。

 これを普段の合奏練習からやっているのだから、本番前に腕がおかしくならないか気が気でなかった。

 

「合奏は中盤からどうにもならなくなってましたし、他の先輩みたいにふっ切れても文句言われなかったと思いますけど」

「……そうだろうけどな。そういうわけにもいかねえんだよ」

 

 悔しそうに拳を握りしめる先輩の筋肉質の腕に、血管の筋が微かに浮き出ている。

 打楽器を叩く時の邪魔にならないようにしているのか、ナックル先輩はいつも制服の袖をまくっていた。

 

「退部した連中にとっちゃ面白くなかっただろうけどな、俺は吹部の方針の事を問題だとは思ってなかったんだ。実力順なら実力順で、今とは別な意味でギスギスするに決まってるからな。だから三年の言うように、楽しめればいいと思ってた。下手なりに合奏が出来ればいいと思ってた」

 

 ナックル先輩の言葉は、どれも過去系だった。

 

「だけどこんな風に合奏の体をなしてないとな。さすがに違うんじゃないかと思えてくる」

 

 ナックル先輩はうなだれていたが、口調はしっかりしていた。

 先輩本人が練習をしっかりやってきたのは自分も知っている。

 ……当日になって遅刻した事はいただけないが。

 

「見ろよ。立華の連中を」

 

 先輩の視線の先には、立華の生徒と一目で分かる青色のブレザーの集団があった。

 自分達と同じで、帰りのバスに乗車しようと整列している。

 

「さすがに京都屈指の強豪ですよね。同じ高校生なのにこうも違うのかと気遅れするくらい、凄い合奏でした」

「いや……それもあるが、そうじゃなくてだな。よく見ろ。歩道に一列に並んで乗車待ちしてるだろ。俺達はどうだよ。好き勝手に仲間内でバラけてお喋りしてるじゃないか。歩行者の迷惑なんて考えちゃいない。強豪校ともなると演奏技術だけでなく、そのあたりの事もしっかりしてんだろうなあ」

 

 言われてみれば、自分達と立華のバスの乗車待ちの様子は対照的だった。

 バスの待ち方ひとつでその学校の吹奏楽の力量が分かる、という訳でもない。

 しかしこの行儀の悪さが、北宇治の吹部の(たる)みきった現状を示唆していると言えなくもなかった。

 

「どいつもこいつもやりきった。そんな感じの満足げな様子だし、合奏もしっかり一つにまとまっていたな」

「……先輩も変な所で鋭いですね」

 

 良くも悪くも細かい事は気にしない。打楽器奏者にはそんなイメージがつきまとっているので、ついついナックル先輩の事もそういう目で見てしまっていた。

 自分は、立華の乗車待ちの様子を見ても、ただ綺麗に並んでいるなと思っただけだ。

 

「来年はもう少しまともな合奏をしたいもんだな、蔵守」

「ええ、そうですね」

 

 残念な出来の合奏ではあったが、きっちり制限時間内には済ませたので銅賞を獲得する事は出来た。何の慰めにもならないその事実に唇を噛み締めながら、バスに乗り込んだ。

 

 

 

 

 大コケしたコンクールの影響で、元々乗り気な人も少なかった夏休み中の部活動は開店休業状態。

 音楽室から、ぽつぽつと楽器の音が鳴り響くようになったのは二学期も始まってからだった。

 

♪~

 

「ホルン。音合ってないよ。チューナー使っていいから合わせて」

 

 指揮台の上に立っている二つ結びのおさげの先輩……小笠原先輩の、芯の通った声が音楽室に響き渡る。三年生が引退して姿を見せなくなってから、早々と新部長の就任要請を受けた彼女が基礎合奏の指揮をとるようになっていた。

 自分もそうだが、本人も部長役は田中先輩あるいは中世古先輩あたりに決まると思っていたらしい。急に舞い込んできた引き継ぎ業務で、休み明けしばらくはあたふたしていた。

 

 そんな彼女の指摘を受けて、ホルンパートの二年生達が慌てて音程の修正に入っている。

 さすがにコンクールで痛い目を見ただけに、そのまま続ける気にはなれないらしい。

 

 ……本当は、チューニングは基礎合奏の前に各自で済ませておくものだ。

 そうでなければこの時間に本来すべき、音の出を揃える為のリズム感作りや音程の統一を目的としたハーモニー練習が十分にできなくなる。

 それでも直そうとしているだけ、夏休み前よりずっとましだった。

 

 

 そんな風にゆっくりと少しずつではあるが、吹部の活動はまともになりだした。

 他方、部活外はというと。

 

「あ、傘木。久しぶり」

「く、くらむ~!? コンクール、散々だったみたいだけど来年頑張ってね、それじゃ!!」

「お、おい……」

 

 ……たまに学校で鉢合わせしても、そそくさと逃げ去られてろくに話もできない。相変わらず傘木には避けられる日々が続いていた。

 

 

 

 

 時も過ぎて進級間近になった三月。パート練習中に岡先輩が厄介事を押し付けてきた。

 

「蔵守。四月からはアンタがダブルリードのパートリーダーね」

「は?」

 

 なんでやねん。俺一年。思わず変な声を出してしまった。

 

「これまでは私達がパーリー代行してたでしょ。四月から晴れて受験生だしぃ。楽をさせてよ」

「……この緩い部活で楽をしたいと言うほど、パーリーの仕事は重かったんですか?」

 

 まずい。つい皮肉が口からこぼれた。

 

「お? ナマ言うようになったじゃない。いつから私に向かってそんな口が叩けるようになったの?」

 

 岡先輩が笑みを浮かべながら、自分の頭を拳で挟んでくる。

 

「痛い痛い! 謝りますから頭グリグリはやめて下さい!! 先輩と違って自分の頭は出来がいいんだから!!!」

 

 どうも今日は口がよく滑る。前の怪我の後遺症だろうか?

 

「きさまー!!」

「駄目だよ美貴。人にものを頼む時はしっかりと頭を下げてお願いしないと。

……という訳で蔵守くん。来年のパーリー、よろしくお願いします♪」

「……」

 

 逆上する岡先輩を宥めると、喜多村先輩はスカートの裾をつまみ上げて、仰々しく腰を折った。

 北風だろうが太陽だろうが、仕事を押し付けているのに変わりは無い。

 礼儀を尽くして迫っている分、断りにくくなったのでタチが悪い。

 

「要は先輩達、パーリーをやりたくないんですよね。なら鎧塚さんに任せても」

「嫌」

 

 この上なく冷淡に言い放つオーボエ第一人者。

 四月からは本来のパーリー業務よりも、この三人のご機嫌取りで四苦八苦する未来しか見えない。

 部費で胃腸薬代おりるだろうか。ふとそんな事を思った。

 

 

 弱小校のパーリーという、内申の肥やしにもならない名ばかり管理職。

 その就任の件を小笠原先輩に伝えに行くと、田中先輩と中世古先輩と一緒にいる所にバッタリ出くわした。

 小笠原先輩はなにやらしかめっ面をして、ご機嫌斜めな様子。

 

「……というワケで自分がやる事になったんですが、上級生がいるのに下級生がパーリーって問題ないんですかね」

 

 キミがパーリー!? と目を白黒させる先輩達に一部始終を話し終えると、中世古先輩が顔を曇らせた。

 

「美貴達が冗談半分に蔵守君をパーリーにって話してたのは聞いてたけど……本気だったんだね。ごめんね、二人にはそれとなく(たしな)めておくから」

「あ、いえ。愚痴のつもりで言ったんじゃないんです。上下関係とかで問題無いかちょっと確認を取っただけで。今年は先輩達が切り盛りしてたのは事実ですし。来年は楽をさせてもいいかなとは思ってるので」

 

 一年生絡みのトラブルが続いただけに、下級生に負担を被せる事に神経質になっているのかもしれない。真顔でつぶやく中世古先輩に慌てて弁解している内に、つい心にもないおべっかが口から出てしまった。そして人の良い先輩はそれを素直に受け取ってしまう。

 

「ふふ。優しいんだね。同じパートだし、二人の手綱の取り方はもう心得ちゃったかな。蔵守君がやってもいいと考えてるなら、私は良いと思うよ」

「ほらほら、一年生もパーリーやるって覚悟決めてるよー。晴香もいつまでも部長嫌だとか誰か代わってとか情けない事いってないで、しっかり吹部引っ張ってちょうだいよ」

 

 田中先輩がねっとりとした視線を小笠原先輩に向けた。

 機嫌が悪いように見えたのは、意に沿わない部長仕事で鬱憤が溜まってるせいか。

 そう見当をつけていると、小笠原先輩の周囲から禍々しいオーラが漂ってきた。

 

「……ふんだ。どうせ私は部長って柄じゃないよーだ」

 

 あ……、まずい。

 

「私だって別に好きで部長になった訳じゃないもんサックスのパートリーダーってだけでも大変なのに三年生はあすかを指名したのにあすかが断ったのがいけないんだよ誰も他に部長やろうとしないし仕方なく私が生贄になったんだよみんなそこんとこわかってるのかなあもう少し私を労わってよ香織もずるいよ吹奏楽部のマドンナとか言われてるくせに部長も副部長もやらないんだもん普通貴方達二人が人望的にもやるべきでしょいつも二人と比較される私の身にもなってよ」

 

 またスイッチ入ったか。

 

 部長に就任してからというもの、壁にぶつかる度に発動する小笠原先輩の鬱モード。

 愚痴を聞かされる身としてはたまったものじゃない。

 

「……部長、その癖直した方がいいですよ。自分達一年はもう知ってますから取り繕ってもしょうがないですけど、四月から入ってくる新入部員に舐められますから」

 

 田中先輩や中世古先輩みたいな才媛なら、こういうポンコツなところも可愛く見えるんだろうけど。

 

「そうだよ。私達は最上級生になるんだから。もっと堂々としないと」

 

「蔵守君も厄介事押し付けられた者同士私の苦労わかってくれると思ってたのになあ来南や美貴が羨ましいよパシリにできる後輩がいて私は人望ないから去年の件でサックスパートからも結構退部させちゃったしでも私も葵や香織と一緒になって後輩の為に出来るだけの事はやったつもりだよそれなのに香織の方だけ退部者ゼロとか私のプライドはもうズタボロだよ」

 

 自分と中世古先輩の声が聞こえていないのか、尚も呪詛の言葉を吐き続ける小笠原先輩。

 愚痴の矛先を自分に向けてくるのもいい加減勘弁してほしい。三年に暴言吐いた件でも散々小言を喰らったし。

 

「ほらほら、後輩に絡んでるんじゃないの。いつもの晴香にもどれ~」

 

 田中先輩がそう言いながら小笠原先輩の頭を斜め四十五度上方から叩く。部長は昭和のテレビか。

 

「絡んでにゃい! 先輩として後輩に忠告したの! パーリーやるんならいろいろと大変になるにきまってるんだから!」

 

 本人はもっともらしい事いってるつもりかもしれないけど、どもってしまったせいで何とも締まらない。さすがに恥ずかしかったのか顔を真っ赤にする小笠原先輩の頭を、田中先輩が撫でている。

 

「耳まで真っ赤にしちゃって~。晴香ったら可愛いんだから~」

「うう……」

 

 満更でもなさそうに頬を染める小笠原先輩。

 田中先輩が部長の機嫌を直すのも、もうすっかり恒例行事。

 

「……コホン。それじゃ早速だけど、ひとつ仕事を頼むね」

 

 場をとりもとうとしてか、咳払い一つして自分の方に向き直る小笠原先輩。格好つけても手遅れな気もするが。

 

「何をすればいいんでしょうか?」

「難しい事じゃないよ。新入部員の楽器振り分けの前に、楽器紹介するから適当なスピーチを考えてきてほしいの」

 

 楽器紹介か。ファゴットの方は先輩達に任せるとして、オーボエは自分がやるしかないな。

 どう考えても鎧塚さんはこういう事に向いてなさそうだし。

 

「それじゃ任せたよ。私達は入学式に向けて【暴れん○将軍のテーマ】の練習に入るから。裏方業務の方は後で連絡するからよろしくね」

「あ、はい」

 

 屋外の演奏という事もあって、新入生歓迎の演奏に関してダブルリードはノータッチ。

 打楽器の後片付けや部員勧誘用の看板づくりを担当する事になる。

 ……しかしまたけったいな曲を選んだもんだ。

 小笠原先輩達も選曲センスの無さに関しては、三年生からしっかり受け継いだらしい。

 

 

 

 翌々日のパート練習の時間。とりあえず形になった原稿片手に、鎧塚さんに早速披露してみた。

 

「オーボエは色々と扱いが難しい駄々っ子のような楽器です。まず音を出せるようになるまでも大変ですが、それをクリアしても思い通りの音にコントロールするまでまた一苦労。楽器自体も繊細な構造で温度変化に弱く、迂闊に屋外に出そうものならすぐ調子がおかしくなって楽器店での修理コース直行。リードの調整もこれまた手間で……」

 

――十分経過――

 

「……そのくせ、吹奏楽では存在感が薄くいらない子扱いされていますが、管弦楽(オーケストラ)には欠かせない楽器で需要も多いので潰しは効きます。独奏(ソロ)を担当する事が多いので、目立ちたがり屋な人にもお勧めです。難しい楽器ですが、やりがいはあるので、一緒にやってみませんか?

……こんな感じで楽器紹介しようと思うんだけどどうかな」

 

 ひと呼吸おいて鎧塚さんを見やると、当の本人はこっくりこっくり舟を漕いでいる。

 

「すぅ……」

「おい」

「……ん? ええと、それで問題無いと思う」

「嘘つけ、寝てただろ。……全く。無駄な所や退屈な所があったのなら、その時点で遠慮なくバッサリ言ってくれればよかったのに」

「全部」

「 」

 

 思った以上にあっさり言ってのけられて言葉を失った。

 

「長い。三行でまとめなさいよ」

 

 横目で様子を窺っていた岡先輩からも駄目だしされた。

 

「蔵守くんが入部した時の、あすかのスピーチみたい」

 

 喜多村先輩が苦笑交じりにつぶやく。失敬な。

 

「あんなウィキペディアの文を丸コピペした安直なスピーチと一緒にしないで下さい。

今のスピーチは一言一句、ゼロから考えた自分の……」

「はいはい。キミのオーボエ愛はわかったから。延々と担当楽器について語られても引かれるだけだよ」

 

「……大変参考になりました。早速修正します」

 

 パートメンバー三名全員から不評。内一名はちゃんと聞いていたかどうか怪しいが。

 田中先輩みたいだとまで言われたのには相当凹んだ。

 これでも短くてオーボエの魅力を説明しきれてない気がするのに。

 

 

 

 

 それから一週間後の入学式。田中先輩の指揮の元、合奏は滞りなく行われた。出来はまた別問題だったけど。

 

「今日の演奏も今一つだったよね」

「まあね。でもあのコンクールの頃と比べれば、随分まともになった方だよ」

 

 歩みを止めて聞きいる新入生の反応から察するに、素人目にもおかしいと感じるほど酷くはないようだった。吹部目当てで北宇治に入学してくる酔狂な経験者なんてそうそういないだろうし、素人にはそれなりに聞こえるものになっていたのかもしれない。

 

「ほい、マレットケース。小太鼓(スネア)はそこに置いといて、片づけとくから」

「あーいいよ。私がやるから」

 

 先輩達が無駄に凝って造った勧誘用の看板を楽器準備室の壁に立てかけてから、遅れて入ってきたローポニーテールの同級生の側に円筒形のケースを置いた。

 ベルトがついていなければ、ちょっと高級なゴミ箱と勘違いするかもしれない。

 

「何度見てもゴミ箱っぽいよね、そのマレットケース」

「あはは。私の中学の吹部だと、本物のごみ箱をマレット入れに代用してたからね。だから間違ってゴミ入れる人は勿論いたよ」

 

 いいのかそれで。

 ケース共々ぞんざいな扱いをうけるマレットを不憫に感じるのは、オーボエというヤワな楽器を扱っているせいか。

 彼女の無頓着さに閉口していると何か思い出したのか、スカートのポケットから白い紙を取り出して自分に見せてきた。

 

「そうそう。昨日の夕方ね、家にクラス表届いたんだよ。ほら、今年は私と鎧塚さん、蔵守君と一緒のクラスだよ」

「え、そうなの? こっちにはまだ届いてないな」

 

 今日中には届くだろうけど。それにしても、また鎧塚さんと一緒か。一々連絡の為に、他のクラスに足を運ばずに済むのは有難いが……。

 

「という訳で……不肖、大野美代子(おおのみよこ)。これから一年間よろしく! なーんて」

 

 このまるで悩みのなさそうな楽天家の彼女と、いつも無口で無愛想な鎧塚さんがうまくやっていけるのか、他人事ながら心配だ。

 

「こちらこそ。……と言っても部活でいつも顔合わせてるからあんま変わらない気もするけど」

「あはは、そうだね」

 

 打楽器の片付けに一区切りつけて、気分転換に窓から校庭を眺めた。入学式が始まったのか、先ほどまでの各部の熱心な勧誘の声も聞こえず静かなものだ。

 

「新しく赴任してくる顧問ってどんな人かな。パーリー会議で先輩達、何か言ってなかった?」

「なんにも。ただ……田中先輩の言うところじゃ、三十代から四十代。もしくは五十代の男性あるいは女性教師だってさ」

「なにそれ。何にも分かってないって事じゃない」

「そうともいう」

 

 どうせ程なく分かる事。あの人のつまらない冗談もその場は適当に聞き流していた。

 

「まあいいけどね。今年は何人吹部に入ると思う?」

「自分らの時と同じ位の数は来るんじゃないの? 何人残るかは知らないけど」

 

 今年から顧問が変わると言っても、そんなのは新入生の知った事ではない。一昨年と実績が変わっていない以上、新入部員の数も例年通りに落ち着くだろう。

 退部した連中から中学の後輩に、吹部の悪評が広まる可能性もなくは無い。とはいえあの事件があろうとなかろうと、ここ十年ずっと鳴かず飛ばずの弱小校がそもそも進学先に挙がるのか疑問だし。

 松本先生は、今の吹部の弛緩した空気を一変させる為に外部の人を招くと言っていた。

 しかし、その言葉もどこまで期待していいものやら。新任の顧問がアテに出来ない場合は、また一定数が部活の方針にそぐわず退部することになりかねない。

 

「……やっぱり上級生優先だと、やる気なくす経験者の人とかでちゃうのかなあ」

 

 去年の事が頭に浮かぶのか、大野さんの言葉にも覇気がない。

 

「ウチは強豪でもないし新入部員の皆が皆、経験者って訳じゃない。下手でも頑張ってる人にチャンスを与えようっていう考えなら、別に上級生優先でもいいとは思うんだけどね」

 

 現実は、約束されたコンクールメンバーの席に胡坐をかいて下級生の頭を抑えつける人がほとんどだったが。

 

「それならそれで、今年はコンクールメンバーの選抜方針とか、部活のスタイルとかを早めに一年に教えた方がいいと思うんだ。暗黙の了解というか……不文律みたいなのは無くしたい。去年みたいな、お互い意見の食い違いでトラブルが起きないように」

 

 やる気ある後輩に、傘木達と同じ思いを味わわせるような事はしたくなかった。

 

「言葉を飾ってもしょうがないと思うけどね。先輩達も通った道なんだから一年くらい我慢しなさいって率直に言っちゃえば? 蔵守君も神経質だよね。まだ希美ちゃん達の事気にしてるの?」

 

 大野さんの無神経な一言にカチンときた。

 

「……傘木の決起に同調しなかったのはそれが理由?」

 

 努めて平静を保ちながら言葉を紡いだが、声色の低さまでは隠し通せない。

 しかし大野さんは鈍感なのか肝が太いのか、気にした風もなかった。

 

「そうだよ? さっき言ってたけどウチみたいな弱小校だと、上級生優先っていう方針は別に珍しくないじゃない。蔵守君だって義理で希美ちゃん達に協力したトコロあるんじゃないの? あんまりコンクールに固執してた様には見えなかったけど」

 

 平然と言い放つ大野さんに反論できず、言葉に詰まった。

 確かにコンクールを第一に考えていたのなら、こんな学校の吹部に入ってはいない。

 

「いじめや無視してくる三年生達にはさすがにどうかなと思ったけど、希美ちゃん達も場違いな高校に来ちゃったなあって思っちゃうもん。嫌な先輩もいなくなったし、復帰の誘いかけてものれんに腕押しだし」

 

 それも否定できなかった。

 小笠原先輩達は去年の三年を反面教師として、まともな部活にしようと精力的に活動しているように自分には見える。しかし、未だに退部した連中が出戻ってくる様子がないところを見ると、強豪校出身の彼女達にはまだまだ生ぬるい部活に映っているのかもしれない。

 

「晴香先輩に香織先輩、葵先輩は去年の三年生に比べればずっと良い人達だよ。それに出場枠にも結構空きがあるじゃない。無理に実力優先にしなくてもいいと思うけどな」

 

 確かに今年の新入部員は恵まれている。幸か不幸か、去年の傷害事件と三年の引退を経て、今現在の部員は四十三名に激減した。コンクールメンバーの上限が五十五人だから、一年生にもかなりの数の出場枠が保証されている事になる。

 

 ……それはそれとして。

 

「さりげなく自分のパート(パーカッション)の上司を"良い人"からはずしたな。後でナックル先輩と加山先輩に言いつけてやる」

「ちょっとお! やめてよー」

 

 大野さんとふざけあいながら、再び部屋の窓から外を覗いた。入学式はもう済んだのか、校舎の陰から新入生が歩いて来るのが目に入ってきた。

 黒髪のロングヘア。北宇治の女生徒にはあまり見かけない黒のニーソックスを穿いている。北宇治の冬服特有の、温かみのある茶系を基調としたセーラー服には、去年卒業した三年と同じ赤色のスカーフが纏わりついていた。

 それがいやに不快感を覚えて、打楽器の後片付けに戻る事にした。

 

 


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